十代の最後、親元を離れ一人暮らしを始めました。
不動産情報を調べ、選んだ地が「自由が丘」。
当時は、インターネットもなくアパマン誌などで探したのだと思います。
夢と希望にあふれ何でも出来そうだった、あの頃。
「自由」というキーワードがココロをとらえたのだと思います。
1980年代の自由が丘は、今以上に若者の街で、ファッショナブルな男の子、女の子が闊歩する街でした。
ジョージタウンと呼ばれた吉祥寺、シモキタと呼ばれた下北沢と並び、自由が丘は、オカジューなどと呼ばれていました。
この街は、東急電鉄が中心となって形成された山の手のターミナル。
お隣は高級住宅が立ち並ぶ田園調布です。
自由が丘駅の西口は、都市銀行、証券会社、信金などのビジネス機能とアパレルショップ、セレクトショップ、スイーツ系、ケーキ屋、カフェといった女性ターゲットのファッショナブルゾーンで構成。
歩くだけでも楽しいエリアです。
いっぽうの東口は、ガード下文化が根付いており、居酒屋、飲み屋、牛丼屋、立ち食いソバ屋などが林立しています。
自由が丘らしさは、自由が丘1丁目~3丁目に立ち並ぶ高級住宅街。
歩くと、本当に「丘」であることを実感できます。
一軒一軒がオリジナリティに溢れ、ガレージにはBMWやメルセデスが止まって
います。バブル経済に向かう日本経済・・・。
土地は高騰し、ビジネスパースンも皆イキイキと働いていた時代。
24時間戦えますか?
自由が丘もアンナミラーズに代表される華やかなる輝きに満ちていました・・・。
わたしは蚊帳の外・・・。
友人と飲みに行くのもガード下系。
歌舞伎町と変わらぬ煩雑さと庶民パワーがそこにはあります。
今は天然記念物のようになっていますが、当時の自由が丘はかなりの喫茶店が存在していました。
そこで働くウエイトレスの女性は、東京の中でもトップレベル・・・。
学生の憧れでもありました。
当時、住んでいたのが、この高級住宅地に隣接する老朽化したアパート。
老夫婦が大家さんの学生相手のオンボロアパートでした。
四畳半、トイレ共同。
家賃は一万円程度だったと思います。
初めての一人暮らし・・・。
夕刻になるとホームシックにかかったことを覚えています。
お世話になったのがガード下の牛丼屋や蕎麦屋。
自由が丘デパートという不思議な商業空間、武蔵野館という映画館、洋菓子モンブランを初めて作ったというケーキ屋さん・・・。
オカジューは、とても面白い街でした。
当時はコンビニもなく買い物に行くのも大丸ピーコック。
インスタントラーメンを買いに行ったところ、いわゆる袋メンはなく、高級インスタントラーメン「中華三昧(ハウス食品)」しか置いてなかったことを覚えています。
ここは山の手、生活も結構たいへんです。
持つものと持たざる者・・・。
生まれて初めて「格差」を認知したのです。
高級住宅と四畳半ボロアパート・・・フレンチレストランと立ち食いソバ・・・高級外車と満員電車・・・。
自由が丘は、そのギャップを認識できる「場」だと思います。
中原中也ではありませんが、「思えば遠くへ来たもんだ。今では女房子供持ち・・・」。
よくここまでやってきたよな~と自分で自分をほめてあげたいと思う今日この頃です。
マンションのローンも終わったし、それなりの車もあるし、適度な貯蓄もあるし・・・。
あの時の憧れや焦り、嫉妬心が自分自身を押してくれたのだと思います。
あの時、自由が丘で感じたこと、考えたこと・・・。
基本、あまり変わっていない自分に、少し安心する1日でした。