とても尊敬する日本人の男性がいます。
日本の歴史の中で、たくさん偉大な人物がいますが・・・。
その中で最もダンディな男・・・すごい日本人がいました。
身長185センチ
英国仕込みのクイーンイングリッシュを操るスキル
ツイードのジャケットを着こなし
時の権力者にも正々堂々と渡り合える交渉力
女性にモテモテ
高級スポーツカーを乗りこなす
スポーツ万能
大金持ちの御曹司でセレブ
ケンブリッジ大学卒・・・。
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その人の名前は、白洲次郎さん(しらす・じろう)です。
1902年に兵庫県芦屋に生まれ、83歳で亡くなるまで波瀾万丈、疾風怒濤の人生を送ります。
17歳で英国ケンブリッジ大学クレアカレッジに留学。
学生時代、ベントレー、ブガッティを所有しレースに参戦、スペイン、フランスなどを車で巡ります。
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ブガッティやベントレー・・・当時も超高級車。
現在で言えば、フェラーリやランボルギーニのスーパーカーという感じでしょうか。
それを学生時代から転がしていました。
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27歳で樺山伯爵家の次女・正子と結婚。
英字新聞社の記者、現日本水産の取締役などを歴任・・・ビジネスマンとしての頭角を現します。
38歳で仕事を退き、神奈川県の山奥に農家を買って隠居。畑仕事、家具作りに精を出す。
43歳で終戦連絡事務局参与に就任。GHQとの交渉にあたる。
44歳、GHQ作成の日本国憲法草案の場に立ち会う。
46歳、貿易庁長官に就任。
48歳、吉田首相の特使として池田勇人蔵相、大蔵省宮澤喜一秘書官と渡米。
49歳、サンフランシスコ講和条約に全権顧問団として出席。東北電力会長に就任。
57歳、日本テレビ社外役員に就任。
74歳、軽井沢ゴルフ倶楽部常任理事に就任。この時代、ポルシェやランチアを乗りまわす。
83歳、逝去。遺言通り、葬式、戒名はなし。
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白洲さんのダンディズム・・・女性にもモテモテです。
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白洲次郎さんは、生涯を英国スタイルで貫き通しました。
クイーンズイングリッシュを操る白洲さんは、戦後、GHQの高官に話した逸話が有名です。
「戦争に負けただけで、あなたたちの奴隷になったわけではない」
「(米国政府高官に向かって)あなたももっと勉強すれば、英語(クイーンズイングリッシュ)がうまくなるよ」
マッカーサーや進駐軍にも物申す男・白洲次郎・・・実にカッコいいです。
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白洲さんは、大洋ホエールズ(現横浜DeNA)のファンだったそうです。
ラグビーやゴルフ・・・スポーツ万能の次郎さんです。
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白洲次郎さんが目指したのは、英国のカントリージェントルマン。
英国の紳士たちのライフスタイルを日本で実現させました。
神奈川県の山奥に藁葺の農家を買い、畑を耕したり木工をしたり自然の中での生活を楽しみました。
いざ鎌倉の時には、東京へ。
晩年も死ぬまでイッセイミヤケを着こなし、ポルシェやイタリア車ランチアに乗っていたそうです。
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共に仕事をした宮澤喜一元総理は、「忖度のできない白洲さんは政治家には向いていない」と話されています。
でも、こんなご時世・・・白洲次郎さんのような総理大臣がこの国に出てくれば、日本が、世界が変わると思います。
壁にぶち当たった時に開く座右の書の一冊の本「白洲次郎」。
いつも勇気とエネルギーをいだたきます。
白洲次郎さんには決してなれないですが、1ミリでも近づけるように努力していきたいと思います。
感謝!
写真は(平凡社・白洲次郎より・1999年)
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