1968年1月円谷選手は自ら命を断った

2017年01月01日 13時32分05秒 | 社会・文化・政治・経済
「過度に期待してはいけない」

「過度に期待してはいけない」
円谷幸吉さんの持病の腰痛は東京五輪後再発。
思うように走れず苦しんだ。
約2年後、長兄に手紙でつづった。
「披露困憊でいささかの余裕すらありません。一線クラスとしてこれ以上続けるには無理であります。強いてやっても無駄飯を食らうだけならなんの役にならぬと考えます」
次のメキシコ五輪への重圧に加え縁談も進まず、気持ちを立てなおせなくなり自殺した。

1964年10月21日、大学生の沼田利根は学友たちと道路でマラソンを観戦していた。
目の前をアベベ選手が軽快な走りで通過。
まもなく、円谷選手が2位で通過。
「やるじゃないか?あれは誰だ!」友人が驚嘆するように言う。
日本大学の体操部の先輩たちや教官が体操で東京オリンピックに出ていたが、マラソンには疎くアベベ選手だけしか知らなかったのだ。
2人は日本選手を応援するよりもアベベ選手を見に来ていたのだ。


12月31日の毎日新聞の1面の記事で、円谷選手に縁談があったが破談になったことを知る。
円谷選手の所属していた自衛隊体育学校の校長が結婚はメキシコ五輪に障害になると結婚に反対したのだ。
「世界の円谷だ。結婚すると記録が伸びない」などと勝手な判断で反対したそうだ。
円谷家は結婚式の日程まで決めていたが、約半年後の1966年末、もらった指輪や手紙を女性は返送。
円谷側との関係は途絶え、1967年女性は地元の男性と結婚。
1968年1月円谷選手は自ら命を断った。

病魔はきざしていたのだろう

2017年01月01日 11時36分03秒 | 日記・断片
まさかの闘病せいかつである。
昨年は何となく調子が悪く、箱根駅伝を見に行く気になれずテレビ観戦した。
今想うのだが、この時点で病魔はきざしていたのだろう。
そして、冷たい麦茶を飲むたびに、異常な腹部の痛みがした。
麦茶がなぜ痛みの原因であったのか、を訝る。
そして、麦茶を飲むのを止め、温かい日本茶にした。
さらに、5月か6月ころ日本酒がまずくなり、あまり飲まなくなり缶チュウハイや生ビールにした。
知人に「顔が白いよ、体悪いんじゃないの?病院で診てもらったら」と言われたのが9月ころだった。
顔の白さは、3年か、4年ぶりにであった水海道の知人にも指摘された。
これは10月ころ。
初雪の11月27日に、異常を感じ、隣の春川さんに頼み取手東病院での血液検査の結果、貧血が明らかになる。
胃の内視鏡検査、CT検査などをした。
目まいの原因も貧血、下血が原因と明らかになる。
階段や坂を上る時の異常さも感じていて、心臓に原因があるのか、とも思っていたのだが・・・
このような状況であるので、初日の出も見に行かなかった。












友人の肥田さんが真心を込めて折った折り鶴



携帯電話 壊れることもあるのか?

2017年01月01日 07時59分05秒 | 日記・断片
除夜の鐘
お仙泣かすな
本願寺


午前12時になったので、取手・井野の本願寺へ行く。
自宅の付近からもすでに除夜の金の厳かな響きが空気を震わせるように伝わってきた。
この時間帯であるが、近くの2軒のスナックからカラオケの歌が響いていた。
家族連らしい二組とすれ違った。
本願寺に灯りが見え、駐車場の満車の状態になっていた。
取手地元には歴史的な寺もあるが、除夜の鐘が鳴るのを身近に聞いたのは始めてである。
JAとりで総合医療センターへの入院を自らの身勝手な気持ちで止めて、本願寺のない境内に佇み鐘堂を見上げている自分を返り見ていた。
下血しているので、貧血気味で寒さが応える状態。
まさに自業自得である。
ちなみに携帯電話が機能しなくなった。
壊れることもあるのか?