9人で走る競輪に人間ドラマがある。
取手輪太郎は競馬から競輪に転向した。
競輪ファンにもそれぞれのドラマがあった。
「競輪は、長いのですか?」輪太郎は、隣り合わせた人に聞いてみる。
「長いね。女子競輪もあった時代、後楽園競輪はすごかったな。フェンスによじのぼってな、声援したものだ」
「そうなんですね」輪太郎はそのような光景を想像してみた。
70代と思われその人は、意外と背広姿で紳士風である。
「あんたは、競輪歴は?」
「2年です」
「若者は競馬で、競輪は人気がない」
「中野浩一選手のようなスパースターが出てきましたが」
「そうだね」その人は、秋の陽射しを受けソフト帽をかぶり直した。
その日は、中野浩一選手の父親も取手競輪のレースに出ていた。
「そうですか、あの4番選手が中野選手のお父さんですね」
輪太郎は、1週間前、松戸競輪場で往年の名選手の高原永伍選手のレースを見た。
昭和30年代、先行逃げ切りの戦法で競輪ファンのハートをとらえたスーパースター選手であったが、昭和51年高原はわき役の存在になっていた。
その日も先行に拘り、見せ場を作ったが4着であった。
それでも「エイゴ、エイゴ」と多くのファンが温かい声援を送っていた。
拘りの先行を貫く姿に、ファンは自分の人生を重ねて来たのだろう。
輪太郎は多くの出会いを競輪場で重ねた。
スナック「富士」のママの富士子もその中の一人であった。
富士子は、競輪ファンであったら絶対に買わない目を軸に車券を買っていたのである。
「ママ、8番選手など買って、金をどぶに捨てるようなもんだよ」と倉田昭二は呆れた。
「いいのよ。本命の7番選手は無視するの」
「どうして?」
「私は、陰の女として生きてきたの。だから本命の隣の8番選手を買うと決めたの」
富士子は中学を卒業して秋田から上京、町工場に勤めていたが、浅草に同僚と遊びに行った時にキャバレーのホステス募集の立て看板に目を留めた。
それで、深い思いもなくキャバレーのホステス応募に心を動かされたのだ。
19歳の富士子には男に対する興味もあったのである。
キャバレー「フロリダ」で女の世界と男の夜の世界を知ったが、美しい容貌でなかった富士子は陰のような存在であった。
派手な生活をしたわけではなく、10年の歳月の中で金も貯めた。
浅草から上野のキャバレーに勤めた時、同じホステス仲間の北村純子から「取手に住まない。家賃も安いわよ」と誘われたのだ。
富士子は錦糸町のアパートから取手に移住することになる。
昭和50年の暮れの12月であった。
「陰の女か?!」利根輪太郎は、富士子に関心を持ったのだ。
取手輪太郎は競馬から競輪に転向した。
競輪ファンにもそれぞれのドラマがあった。
「競輪は、長いのですか?」輪太郎は、隣り合わせた人に聞いてみる。
「長いね。女子競輪もあった時代、後楽園競輪はすごかったな。フェンスによじのぼってな、声援したものだ」
「そうなんですね」輪太郎はそのような光景を想像してみた。
70代と思われその人は、意外と背広姿で紳士風である。
「あんたは、競輪歴は?」
「2年です」
「若者は競馬で、競輪は人気がない」
「中野浩一選手のようなスパースターが出てきましたが」
「そうだね」その人は、秋の陽射しを受けソフト帽をかぶり直した。
その日は、中野浩一選手の父親も取手競輪のレースに出ていた。
「そうですか、あの4番選手が中野選手のお父さんですね」
輪太郎は、1週間前、松戸競輪場で往年の名選手の高原永伍選手のレースを見た。
昭和30年代、先行逃げ切りの戦法で競輪ファンのハートをとらえたスーパースター選手であったが、昭和51年高原はわき役の存在になっていた。
その日も先行に拘り、見せ場を作ったが4着であった。
それでも「エイゴ、エイゴ」と多くのファンが温かい声援を送っていた。
拘りの先行を貫く姿に、ファンは自分の人生を重ねて来たのだろう。
輪太郎は多くの出会いを競輪場で重ねた。
スナック「富士」のママの富士子もその中の一人であった。
富士子は、競輪ファンであったら絶対に買わない目を軸に車券を買っていたのである。
「ママ、8番選手など買って、金をどぶに捨てるようなもんだよ」と倉田昭二は呆れた。
「いいのよ。本命の7番選手は無視するの」
「どうして?」
「私は、陰の女として生きてきたの。だから本命の隣の8番選手を買うと決めたの」
富士子は中学を卒業して秋田から上京、町工場に勤めていたが、浅草に同僚と遊びに行った時にキャバレーのホステス募集の立て看板に目を留めた。
それで、深い思いもなくキャバレーのホステス応募に心を動かされたのだ。
19歳の富士子には男に対する興味もあったのである。
キャバレー「フロリダ」で女の世界と男の夜の世界を知ったが、美しい容貌でなかった富士子は陰のような存在であった。
派手な生活をしたわけではなく、10年の歳月の中で金も貯めた。
浅草から上野のキャバレーに勤めた時、同じホステス仲間の北村純子から「取手に住まない。家賃も安いわよ」と誘われたのだ。
富士子は錦糸町のアパートから取手に移住することになる。
昭和50年の暮れの12月であった。
「陰の女か?!」利根輪太郎は、富士子に関心を持ったのだ。