今日は午後1時、中田宅での八重洲地区の会合へ出た。
会合の責任者の富田さんに急用ができたので、啓発ビデオの放映や歌の合唱はできなかった。
大きなスクリーンや放映装置がなかったのだ。
男性の出席者は当方のみ、
幼児を含め、子どもは3人。
あとはご婦人のみ。
最高齢は今年89歳となる高田さん。
民謡などの「希望の会」をやっている森田さんが来て三味線を5曲。
同じ会に所属する中田さんも民謡を歌う。
初めに皆で歌える曲として黒田節。
後は皆さんが一緒に歌えない民謡ばかり。
森田さんはカラオケも大好きで、ボランティアで介護施設などにも出向いているそうだ。
拠点としてカラオケは、下高いのカラオケスナックだうだ。
「私が行くとお客さんが増えるので、喜ばれている」と言っていた。
このあと「私の人生を語る」のコーナーで、感動的な話が聞けた。
北九州市から取手に移転してきた黒田さんは、学校の先生をしていた旦那さんが肝臓がんで亡くなり、家を処分して、娘さんが住む取手のマンションに越してきたそうだ。
旦那さんが酒も飲まず、C型肝炎から肝臓がんになったそうだ。
御本人が覚悟のしたのか、治療を自ら止めたそうだ。
最後は、「病院へ行っている」と奥さんに嘘までついていたそうだ。
63歳の死であったそうだ。
黒田さんは、ずっと市役所に勤めていたと言う。
如何にも温厚でな人柄であり、知的な感じのする人で穏やかな口調で笑みを絶やさない。
人の心を和ませる感じであった。
高田さんは娘時代から、結婚の話、子どもができない体で幼児から養女を育てた話など。
旦那さんと性格不一致による不仲、別居、姉妹の話など波瀾の人生を涙ながらに語る。
これまでにない「私の人生を語る」に会合に参加した方々から「来てよかった。また会合に参加したい」との感想を聞くことができた。
若い方の話も聞けた。
若い人が参加することがまれなので、新鮮な感じがした。
会合後は、お汁粉、北海道、九州など、それぞれの故郷からのお土産がテーブルに並びお茶会での和気あいあいとした懇談となった。
不登校の孫にの問題で心を痛めていた小暮さんにも笑顔が戻っていた。
皆の励ましに当方も感謝した。


----------------------------
「北九九州市から取手に移転されて、感想は?」
「ローカルですね。静かでいいですよ」
「利根川へも行って見てください」





会合の責任者の富田さんに急用ができたので、啓発ビデオの放映や歌の合唱はできなかった。
大きなスクリーンや放映装置がなかったのだ。
男性の出席者は当方のみ、
幼児を含め、子どもは3人。
あとはご婦人のみ。
最高齢は今年89歳となる高田さん。
民謡などの「希望の会」をやっている森田さんが来て三味線を5曲。
同じ会に所属する中田さんも民謡を歌う。
初めに皆で歌える曲として黒田節。
後は皆さんが一緒に歌えない民謡ばかり。
森田さんはカラオケも大好きで、ボランティアで介護施設などにも出向いているそうだ。
拠点としてカラオケは、下高いのカラオケスナックだうだ。
「私が行くとお客さんが増えるので、喜ばれている」と言っていた。
このあと「私の人生を語る」のコーナーで、感動的な話が聞けた。
北九州市から取手に移転してきた黒田さんは、学校の先生をしていた旦那さんが肝臓がんで亡くなり、家を処分して、娘さんが住む取手のマンションに越してきたそうだ。
旦那さんが酒も飲まず、C型肝炎から肝臓がんになったそうだ。
御本人が覚悟のしたのか、治療を自ら止めたそうだ。
最後は、「病院へ行っている」と奥さんに嘘までついていたそうだ。
63歳の死であったそうだ。
黒田さんは、ずっと市役所に勤めていたと言う。
如何にも温厚でな人柄であり、知的な感じのする人で穏やかな口調で笑みを絶やさない。
人の心を和ませる感じであった。
高田さんは娘時代から、結婚の話、子どもができない体で幼児から養女を育てた話など。
旦那さんと性格不一致による不仲、別居、姉妹の話など波瀾の人生を涙ながらに語る。
これまでにない「私の人生を語る」に会合に参加した方々から「来てよかった。また会合に参加したい」との感想を聞くことができた。
若い方の話も聞けた。
若い人が参加することがまれなので、新鮮な感じがした。
会合後は、お汁粉、北海道、九州など、それぞれの故郷からのお土産がテーブルに並びお茶会での和気あいあいとした懇談となった。
不登校の孫にの問題で心を痛めていた小暮さんにも笑顔が戻っていた。
皆の励ましに当方も感謝した。


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「北九九州市から取手に移転されて、感想は?」
「ローカルですね。静かでいいですよ」
「利根川へも行って見てください」





