「知の地域創造」

2017年01月28日 18時55分55秒 | 医科・歯科・介護
★国の経済成長が望めない時代の危機的な状況を考えると、地方再生のあり方自体を根本から考え直すべきだろう。
経済は、人間が食べていく上で大事ではあるが、それとは別次元で「地方再生とは何か」という問題を考えてはどうかと思うのだ。
そこで私は、新しい発想として「知の地域創造」とおうキーワードを考えている。
「知の地域創造」とは何か。
ここで言う「知」とは、経済とは対照的な、心、知的生活、子育て、健康、老後の暮らし、文化活動、人とのつながり、一緒になにかをすること、祭りなど、幅広いさまざまなものをまとめたものだ。
「知の地域創造」は、<残されたもの>とほとんど重なり合う。
たとえ経済的に困窮して<残されたもの>に列挙されるものがしっかりと確認されれば、人は生きていけるのではないか。
<残されたもの>とは家族の愛、深い友情、生きている私、時間、ヒマ。
「知の地域創造:を具体的に構築するにはどうすればよいのか。
1「ふれあう」「つながる」場づくり=何でも相談に乗ってもくれ、談論もできる場をつくる。
2「生きがいを語り合う」場づくり=特に農業、漁業、商店の人たちとの連帯だ。
3新しい故郷の創造=傾聴・聞き書きボランティアなど。
4集落全体で子ども、高齢者、障害者を見守る共同体組織づくり。
これらは「知の地域創造」の一端に過ぎないが、ここに挙げたようなものが「まち」「むら」にそろえば、大したお金をかけなくとも「今日はたのしかったね」「ここはたのしいまちだね」「わがふるさとはいいところだね」と言いつつ、毎日を過ごす人生が開けるのではないか。
自分の財を増やすより、人と人がつながり合い、笑い合う生き方へと価値観を転換する時代になりつつあるという意識を持つことが求められているのだ。
毎日新聞「深呼吸」作家・柳田邦男さん

「縁」の重要性を提起

2017年01月28日 15時29分56秒 | 社会・文化・政治・経済
国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」において、最も配慮すべき存在の筆頭に、子どもと若者が挙げられている。
その多くが貧困や格差などの厳しい状況に直面している現実がある。
若い世代の力に直目した動きが国連で相次いでいる。
若者を“変革のための重要な主体”と位置づけ、その力の発揮に期待を寄せている。
青年の存在と活躍こそ、地球的問題群を解決する原動力である。
「同じ地球で共に生きる」との思いに立った連帯を、青年を中心に広げることだ。
長らく不可能と言われてきたことが、今では世界中の国々で協力して臨もうとする流れに変わってきたのだ。
温暖化対策のような「認識の共有」に基づく行動の連帯を、あらゆる分野で築いていかなければならない。
紛争にしても災害にしても、直接的に被害に加えて人々を苦しめているのは、“自分たちのことが見過ごされているのではないか”との思いではないだろうか。
焦眉の難民問題についても、昨年5月の世界人道サミットに続き、難民と移民に関する国連サミットが9月に行われたが、国際協力は思うように進んでいない。
大切なのは、どれだけ問題が大きく、解決が困難であろうと、互いに連帯しながら、人々のためにできることを積み上げていくアプローチではないだろうか。
仏教の出発点も、人々の苦しみを一緒になって乗り越えることにある。
釈尊の評伝を書いた哲学者のカール・ヤスパースも、「仏陀の出現は知識の教師としてではなく、救済の道の告知者  者としてなのである」と記している。
釈尊には、生命の尊厳に対する深い確信があった。
全ての人に尊極の生命が具わっており、厳し環境にあっても生命に具わる可能性を開花させることができるとの確信である。
当時の社会は、自分の姿や未来は、過去からの宿命で一切が定められ、変えることができないと説く「宿命論」が支配的であった。
また、人間生活の出来事には特別な原因や条件はないとする「偶然論」の思想も説かれていた。
「宿命論」の思想は、どれだけ努力しても運命は変えられず、自分の境遇を受け入れるしかないとのあきらめを植え付け、人間の心から希望を奪い去るものであった。
「偶然論」も、どんな行いをしようと結果には関係ないと考えるために、人生を無軌道にしてしまうばかりか、他の人々を傷つけても意に介さない状態を招いた。
人生は全て動かい難いものと決定づけられているのではなく、今この瞬間の「行い」で切り開くことができると説いたのである。
仏教では、自らの一念の変革によって、未来の結果につながる今現在の状態そのものを変えることができると訴える。
原因と結果の関係を方向づける「縁」の重要性を提起している。
つまり「原因」が同じでも、そこにどのような「縁」が結びつくかによって、一人一人に現れる「結果」異なると説いた。
この視座に立って、生命の尊厳と可能性への確信を抱きながら、生きる希望を失いかけた人に寄り添い、共に前へ進もうと励ます生き方を仏教は促しているのである。
大乗仏教では、自他共の幸福を目指す生き方を「菩薩」と名付けている。
同苦の心で、今いる場所から行動を起こしていく。

高き価値を創造する

2017年01月28日 12時57分53秒 | 社会・文化・政治・経済
★大乗仏教の「菩薩」の精神。
民族や宗教の差異を超えた友情の水嵩を増しながら、多様性の尊重に基づく「平和の文化」を築くことだ。
★仏法が説く生命尊厳の哲学に根ざした「地球民族主義」。
どの国生まれ、どの民族に属そうと、誰一人、差別したり、踏み台にしたり、犠牲にするこがあってはならない。
★「誰も置き去りにしない」という、国連が現在。国際社会を挙げて成し遂げようと呼び掛けているビジョンとも響き合う思想でもある。
★「核なき世界」の選択へ、人類は歴史的な岐路に立つ。
★真に必要な学問はどう生きるかを学ぶこと―トルストイ
★高き価値を創造するよう考えることだ―青年は新思考で突破口を。
★人との違いを理解し、見守ることが親の大事な役目。
★困っている人を見抜き、必ず寄り添い、放っておかない。
★日頃のあいさつ、周りへの気配り、スピード感のある行動、折れない心、常に出し惜しみしない声。

いわゆるヨーロッパ(4、6、8)

2017年01月28日 12時03分20秒 | 創作欄
競輪は4番青、6番緑、8番ピンク、いわゆるヨーロッパ(4、6、8)と語呂合わせでファンの間で言われている選手は格下の選手であり、スター選手や実力上位(格上)の選手は、4番、6番、8番のユニフォームで走ることはまずない。
スナック「富士」のママの富士子は、青、緑、ピンクの色合いの衣服を好んできている。
そこに独自の思い入れがあったのだ。
「私は、陰の女だからね」と言っていた。
利根輪太郎たち競輪ファンが富士に通い通い始めていた時期には、富士子に男の陰はなかったが、
ある時期ヤクザ者の女になっていた。
「やられたんだな。もう少しましな女と思っていたのにな。バカな奴だ」」と宮元武蔵は突き放すように言った。
男には妻子がいたのだ。
しかも、悪質なぼったくりバーを取手駅前の通称祇園横町で経営していた。
愚かにも、輪太郎は何かの薬入りのウイスキーを飲まされ、財布から約10万円を抜き取られていた。
「呆れたよ。この男、貯金通帳まで背広の内ポケットに入れているよ」とママの稲子が嘲る。
ホステスの性女たちの嘲る声で、輪太郎は我に返った。
ヤクザ風の男たちが4人ボックス席で輪太郎を威圧するように目を光らせていた。
その中に、富士子の男も居た。
その時期の輪太郎は競輪が絶好調で、競輪貯金を200万円ほど貯め込んでいたのだ。
「穴も当てるし、本命も当てる。輪ちゃんは競輪の天才じゃないか」と荻野勝雄が驚くほどだった。
輪太郎は周囲の取り巻きたちに、5000円、1万円を配っていた。
「輪ちゃんはホントに、気風のいい男だよ。惚れ直したよ」と富士子が身を寄せて抱きかんばかりである。
「ねいさん、アニキには内緒にしておきますよ」19歳になったばかりの弟分の五郎が近寄ってきたのだ。
富士子はハンドバックから1万円を取り出し、若い男の手に握らせた。
「五郎!あっちにいっていな」と若者を手で押し返すような仕草をした。
「ヤクザ女に手出して、家を取られた爺さんもいるからね。輪太郎ちゃん気をつけな」と石田譲二が警告する。
輪太郎は、富士子を信じていた。
どこかで、富士子を不憫に思う感情もあったのだ。
「浅草か、上野で輪太郎ちゃんに出会っているような気がするんだ」
「会っているかもしれないね」と輪太郎は慰めの気持ちで言った。