「美人は美男を好まない」?!

2017年01月23日 23時06分35秒 | 創作欄
木村悟が酒を毎日のように飲むようになったのは、27歳の時であった。
それまでは、自ら酒を飲むことはなく、会社の同僚や仕事関係の知人たちに誘われ週に何回か酒を飲んでいたのだ。
悟は恋愛らしい恋愛をしたことがなかった。
自意識過剰で、心を動かされた女性に何度か出会ってきたが、自ら心を開くことが出来ずに居たのだ。
臆病であったのかもしれない。
彼は比較的面食いであったが、多くの場合、それなりに魅力的な女性には既に彼氏が居たのである。
あるいは、相手の女性は多くの場合、悟を眼中に置いていなかったのだ。
つまり、悟るは女性から見て魅力的な男性ではなかったと思われる。
悟の同僚の佐野孝作は、男が惚れ込むほどの端正な容貌であった。
しかも、営業マンとして際だった実績をあげており上司ばかりではなく、女性社員からも好意的に見られていたのだ。
悟は佐野の前で卑屈になっていた。
「君はハンサムでないから、美人に好かれるよ」と唐突に佐野が言うのだ。
「美人は美男を好まない」と佐野は持論を述べ、悟るを揶揄する。
社員食堂で二人は時々、文学談義をした。
佐野は大学でドイツ文学を専攻し、ドイツ語を話せた。
悟は国文学を専攻したが、ただそれだけのことであった。
古典文学や中世文学などを専攻していれば、それなりの専門知識を誇れただろう。
だが、近代・現代文学を専攻した悟には、何ら誇れるものはなかった。
大学で学ばなくても誰もが近代小説、現代小説を読んでおり、それなりの知識があり、文学談義もできるのである。
佐野は文学談義では、谷崎潤一郎、三島由紀夫、志賀直哉、有島武郎などについて語り、「それぞれの文体で創作ができる」と豪語していた。
佐野は営業マンであったが、社内報の編集責任者をしており、編集後記には格調のある文章を毎月掲載していた。
その佐野は悟が投稿した文章にかなり手を加えたのである。
悟なりに拘りのある文章を書いていたので、手直しは屈辱であった。
悟は一人、新宿のバーで酒を飲むようになっていた。
ウイスキーのロックを飲みながら、「店の女と親しくなれないか」などと目論んでいたのだ。

社会問題の判断基準

2017年01月23日 11時10分42秒 | 社会・文化・政治・経済
「事実」、言い換えれば「現実のフィードバックの洗礼で磨かれた知恵」を何よりも重視する。
学術理論、自分の信念や思い、権威の意見は、うっかり頼ると高い確率で現実無視の迷妄の世界に入ってしまう。
文系学問にも物理学くらいの精度があればいいのだが、それは原理的に望めない。
民主主義的判断はどうか。
かつて悲惨な敗戦の洗礼を受けた世代は、大なり小なり「現実に磨かれた知恵」を共有するに至った。
それゆえに戦後日本社会は、人権尊重、平和希求、国威発揚よりも民生重視、格差の少ない横並びの発展を理念に掲げ、先進国レベルへの経済成長と長寿と、治安の安定と国際的なブランドの向上を同時に達成できた。
つまり戦争経験世代の民主主義的な判断は、多くの点で正しかったわけだ。
トランプ政権の発足も、ベトナム戦争経験者が消えつつあることと連動している。
現場を知らぬ層が事実のフィードバックを無視して下す決定は、かなりの確率で間違える。
世の多数派が、現実の教訓に学んだ冷静な判断を下せるかどうかを「民度」と呼ぶのであり、これを高くするのは、文字よりも実測数字、デスクワークよりも現場経験に学ぶ姿勢都訓練を、世に広げるしかない。
常に現場に立って土俵を設定し、現実のフィードバックに学んで判断する。
民度の技術力も経済力も「国力」も、上げ方は同じだ。
毎日新聞「時代の風」
日本総合研究所主任研究員・藻谷浩介さん

過去にしがみつく日本人

2017年01月23日 10時21分03秒 | 沼田利根の言いたい放題
★「日本会議の正体」
青木理著
海部宣男評

「神道は宗教ではない」。
神道は「祭祀」であり、日本の根源。
それがまさに「国家神道」の考えである。
祭祀は神を祀るもの。
もりろん純然たる宗教だ。
日本会議は、大規模な政治家の取り込みを図ってきた。
いま自民党を中心に約280人の国会議員が名を連ね、地方では小選挙区に支部を作ることを目指している。
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日本の亡霊。
変わることができない日本人。
過去にしがみつく日本人。
軍国主義・「国家神道への回帰」「戦後体制の打破」はまさに時代錯誤である。
神社本庁、天皇を神として国家神道のもと軍国主義、戦争へと日本を駆り立てた、大日本神祇などの流れを組む。
国民は日本会議の思惑を見過ごすほど愚かではないはず。
沼田利根