中野浩一元選手
競輪での主な獲得タイトルと記録
1976年 競輪祭(新人王)(小倉競輪場) 1977年 賞金王(66,139,600円)
1978年 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場) 賞金王(82,385,200円)
1979年 オールスター競輪(岸和田競輪場) 賞金王(92,186,200円)
1980年 オールスター競輪(いわき平競輪場) 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場) 賞金王(111,410,600円。日本プロスポーツ選手史上初の年間獲得賞金1億円突破)
1981年 日本選手権競輪(千葉競輪場 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場) 賞金王(107,685,711円)
1983年 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場) 賞金王(109,093,600円。史上最多の6回目の座に就く)
1985年 KEIRINグランプリ(立川競輪場。初代優勝者)
1987年 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場。同大会最多優勝記録(5回)達成) 1988年 全日本選抜競輪(青森競輪場) オールスター競輪(岸和田競輪場) 1989年 全日本選抜競輪(前橋競輪場) 年間賞金王6回
通算出走回数1236回中1着666回
優勝回数 169
1985年……優勝
1986年……3着
1987年……2着
1988年……5着
1989年……中止
1990年……2着
世界選手権個人スプリント10連覇
特別競輪12勝(GP1勝、GI11勝)、賞金王6回(歴代最多)を達成している。
途中までは中団に位置し、残り数百メートルあたりで全力ダッシュをかけて一番前に出て、そのままゴールまで先頭を維持し続ける「捲り」という走りを最も得意とした。スプリントV10はこの走り方により成し遂げた面が大きい(浩一ダッシュとも言われた)。高橋健二は浩一ダッシュを「一瞬の爆発力。ピストの走路に中野がダッシュすると、タイヤのスリップ跡が付いた」と評している。
浩一ダッシュの秘密が、競輪学校の教材に残されている。中野の場合、踏み込む時には大きく力が加わっているが、その後は全く力が加わっていない。一流選手でも力が残る人が多いのとは対照的に、中野の切り替えの見事さが際立っている。ペダルは両足で漕ぐが、右足で下向きの力を掛けている時に左足の力も残っていると、ギアを回転させる力を殺してしまうのだ。中野が高速でペダルを踏んでも絶妙なタイミングで切り替えができたのは、実は陸上競技をしていた時の練習の賜物で「踵がお尻に当たるような、足を出す時に早く巻き込むというようなイメージで、陸上練習をやっていたのが、逆に役に立っているのかなと思う。僕の自転車に乗ってる姿を見て、なんか自転車の上で走ってるようだねっていう人もいた」と述懐している。
競輪競走においてダッシュは2通りある。一つは、いわゆるスタンディングと呼ばれる全くスピードに乗っていない状態からの踏み出しで0発進と呼ばれ、長塚智広が世界有数の能力を持っている。もう一つは、ある程度スピードに乗った状態からの急加速であり、吉岡稔真のF1ダッシュ(ラジオの題名)が有名である。通常、この2つはあまり同居せず、長塚智広は並のS1選手であり、吉岡稔真は常に踏み出しで遅れをとっていたが、中野はこの2つのダッシュ力においてどちらも輪界トップであったことが驚異的な成績につながることになった。なお、ダッシュ力の持続は数百メートルの範囲であり、競輪以外での中・長距離走は苦手であることを現役時代から公言している。
中野の速さのもう一つの秘密は、自転車のフレームにあった。他の選手は通常、結構ハンドルにしがみついて乗るフォームになる。それに対して、中野は全速力で走る時も、腰をサドルに乗せたままペダルを漕ぐ。しかし腰を浮かせて前に行ったほうが、ペダルに力を掛けやすい。そこで、中野の自転車を製作していた長澤義明は、その走り方の特長を最大限に生かそうと考えた。フレームの形を変え、サドルの位置を前に2cmずらした。これなら安定して強い力で漕げる。さらに中野のパワーに負けないように、フレームのパイプを肉厚にした。重くはなるが、力が逃げない。安定したペダリングで強い踏み込みができるこのフレームは、中野が世界で勝った後、わずか3年でスタンダードになっていた。
競輪競走1236走中9着は僅か4回で、うち一回は落車後の再乗車によるものである。自身も「9着を取らない」ことを相当意識しており、不利な状況でもできる限りの力を尽くしたと後のインタビューで答えている。
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吉岡稔真元選手
1992年 日本選手権競輪(前橋競輪場) 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場) KEIRINグランプリ'92(平塚競輪場)
1993年 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場)
1994年 寛仁親王牌(前橋競輪場) 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場)
1995年 KEIRINグランプリ'95(立川競輪場)
1996年 日本選手権競輪(千葉競輪場) 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
1997年 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
1998年 日本選手権競輪(西武園競輪場)
1999年 全日本選抜競輪(大垣競輪場)
2006年 日本選手権競輪(立川競輪場)
優勝回数 106
年間賞金王3回 - 1992年、1994年、1996年
S級最多連勝(18連勝) - 1994年
ちなみに、A級なども合わせた連勝記録は、ロサンゼルス五輪銅メダリストの坂本勉(青森)の31連勝。 競輪祭新人王戦にはペナルティと特別競輪優勝者除外規定により出場していない。特別優勝による規定を受けたのは、ヤンググランプリを通しても現時点では吉岡稔真が唯一である。
デビュー時には圧倒的なトップスピードと持久力で競輪の頂点に上り詰めた。
一旦かかってしまえばタレない(スピードが充分に乗ってしまえば、最後の直線でもほとんどスピードが落ちない)という、典型的な地脚(じあし)型の選手。
だが短距離の加速に弱点があり、他の選手が突然ダッシュよく仕掛けた場合、後方に置かれるケースがしばしば見受けられた。
しかし全盛時はそれをも巻き返す強烈な脚力を誇っていた。
引退時まで自力でのトップスピードは衰えることなく、後方からの「F1捲り」が決まる時は全盛期を彷彿とさせる圧勝を演じた。
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滝沢正光元選手
1984年 - 日本選手権競輪(千葉競輪場)
1985年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
1986年 - 日本選手権競輪(平塚競輪場)、高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
1987年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)、全日本選抜競輪(京都向日町競輪場)、オールスター競輪(宇都宮競輪場)、KEIRINグランプリ'87(平塚競輪場)
1988年 - 日本選手権競輪(立川競輪場)
1989年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
1990年 - オールスター競輪(宇都宮競輪場)、競輪祭(小倉競輪場)
1992年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
1993年 - KEIRINグランプリ'93(立川競輪場)
年間賞金王4回 - 1985年、1986年、1987年、1988年
S級年間最多勝利数(80戦64勝) - 1986年
デビュー時から果敢に先頭で走る徹底先行に徹し、最後の直線では力を入れるためか首を上げる独特のフォームでペダルを踏み込んでいる。最初の頃には後ろの選手に捲られたり追い込まれたりすることが多かったが、いつの間にか相手がどれだけ強かろうとも逃げ切ってしまうだけの脚力を身に付けていた。また他の選手との並走や追走についてもほとんど苦にせず、全てにおいてパワフルな走りと滝澤自身が大柄であった事から連想されたのか、いつしか他の選手やファンからは「怪物」と呼ばれるようになり、後に出た漫画のタイトルの由来にもなっている。
競輪での主な獲得タイトルと記録
1976年 競輪祭(新人王)(小倉競輪場) 1977年 賞金王(66,139,600円)
1978年 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場) 賞金王(82,385,200円)
1979年 オールスター競輪(岸和田競輪場) 賞金王(92,186,200円)
1980年 オールスター競輪(いわき平競輪場) 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場) 賞金王(111,410,600円。日本プロスポーツ選手史上初の年間獲得賞金1億円突破)
1981年 日本選手権競輪(千葉競輪場 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場) 賞金王(107,685,711円)
1983年 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場) 賞金王(109,093,600円。史上最多の6回目の座に就く)
1985年 KEIRINグランプリ(立川競輪場。初代優勝者)
1987年 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場。同大会最多優勝記録(5回)達成) 1988年 全日本選抜競輪(青森競輪場) オールスター競輪(岸和田競輪場) 1989年 全日本選抜競輪(前橋競輪場) 年間賞金王6回
通算出走回数1236回中1着666回
優勝回数 169
1985年……優勝
1986年……3着
1987年……2着
1988年……5着
1989年……中止
1990年……2着
世界選手権個人スプリント10連覇
特別競輪12勝(GP1勝、GI11勝)、賞金王6回(歴代最多)を達成している。
途中までは中団に位置し、残り数百メートルあたりで全力ダッシュをかけて一番前に出て、そのままゴールまで先頭を維持し続ける「捲り」という走りを最も得意とした。スプリントV10はこの走り方により成し遂げた面が大きい(浩一ダッシュとも言われた)。高橋健二は浩一ダッシュを「一瞬の爆発力。ピストの走路に中野がダッシュすると、タイヤのスリップ跡が付いた」と評している。
浩一ダッシュの秘密が、競輪学校の教材に残されている。中野の場合、踏み込む時には大きく力が加わっているが、その後は全く力が加わっていない。一流選手でも力が残る人が多いのとは対照的に、中野の切り替えの見事さが際立っている。ペダルは両足で漕ぐが、右足で下向きの力を掛けている時に左足の力も残っていると、ギアを回転させる力を殺してしまうのだ。中野が高速でペダルを踏んでも絶妙なタイミングで切り替えができたのは、実は陸上競技をしていた時の練習の賜物で「踵がお尻に当たるような、足を出す時に早く巻き込むというようなイメージで、陸上練習をやっていたのが、逆に役に立っているのかなと思う。僕の自転車に乗ってる姿を見て、なんか自転車の上で走ってるようだねっていう人もいた」と述懐している。
競輪競走においてダッシュは2通りある。一つは、いわゆるスタンディングと呼ばれる全くスピードに乗っていない状態からの踏み出しで0発進と呼ばれ、長塚智広が世界有数の能力を持っている。もう一つは、ある程度スピードに乗った状態からの急加速であり、吉岡稔真のF1ダッシュ(ラジオの題名)が有名である。通常、この2つはあまり同居せず、長塚智広は並のS1選手であり、吉岡稔真は常に踏み出しで遅れをとっていたが、中野はこの2つのダッシュ力においてどちらも輪界トップであったことが驚異的な成績につながることになった。なお、ダッシュ力の持続は数百メートルの範囲であり、競輪以外での中・長距離走は苦手であることを現役時代から公言している。
中野の速さのもう一つの秘密は、自転車のフレームにあった。他の選手は通常、結構ハンドルにしがみついて乗るフォームになる。それに対して、中野は全速力で走る時も、腰をサドルに乗せたままペダルを漕ぐ。しかし腰を浮かせて前に行ったほうが、ペダルに力を掛けやすい。そこで、中野の自転車を製作していた長澤義明は、その走り方の特長を最大限に生かそうと考えた。フレームの形を変え、サドルの位置を前に2cmずらした。これなら安定して強い力で漕げる。さらに中野のパワーに負けないように、フレームのパイプを肉厚にした。重くはなるが、力が逃げない。安定したペダリングで強い踏み込みができるこのフレームは、中野が世界で勝った後、わずか3年でスタンダードになっていた。
競輪競走1236走中9着は僅か4回で、うち一回は落車後の再乗車によるものである。自身も「9着を取らない」ことを相当意識しており、不利な状況でもできる限りの力を尽くしたと後のインタビューで答えている。
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吉岡稔真元選手
1992年 日本選手権競輪(前橋競輪場) 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場) KEIRINグランプリ'92(平塚競輪場)
1993年 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場)
1994年 寛仁親王牌(前橋競輪場) 競輪祭競輪王戦(小倉競輪場)
1995年 KEIRINグランプリ'95(立川競輪場)
1996年 日本選手権競輪(千葉競輪場) 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
1997年 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
1998年 日本選手権競輪(西武園競輪場)
1999年 全日本選抜競輪(大垣競輪場)
2006年 日本選手権競輪(立川競輪場)
優勝回数 106
年間賞金王3回 - 1992年、1994年、1996年
S級最多連勝(18連勝) - 1994年
ちなみに、A級なども合わせた連勝記録は、ロサンゼルス五輪銅メダリストの坂本勉(青森)の31連勝。 競輪祭新人王戦にはペナルティと特別競輪優勝者除外規定により出場していない。特別優勝による規定を受けたのは、ヤンググランプリを通しても現時点では吉岡稔真が唯一である。
デビュー時には圧倒的なトップスピードと持久力で競輪の頂点に上り詰めた。
一旦かかってしまえばタレない(スピードが充分に乗ってしまえば、最後の直線でもほとんどスピードが落ちない)という、典型的な地脚(じあし)型の選手。
だが短距離の加速に弱点があり、他の選手が突然ダッシュよく仕掛けた場合、後方に置かれるケースがしばしば見受けられた。
しかし全盛時はそれをも巻き返す強烈な脚力を誇っていた。
引退時まで自力でのトップスピードは衰えることなく、後方からの「F1捲り」が決まる時は全盛期を彷彿とさせる圧勝を演じた。
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滝沢正光元選手
1984年 - 日本選手権競輪(千葉競輪場)
1985年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
1986年 - 日本選手権競輪(平塚競輪場)、高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
1987年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)、全日本選抜競輪(京都向日町競輪場)、オールスター競輪(宇都宮競輪場)、KEIRINグランプリ'87(平塚競輪場)
1988年 - 日本選手権競輪(立川競輪場)
1989年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
1990年 - オールスター競輪(宇都宮競輪場)、競輪祭(小倉競輪場)
1992年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
1993年 - KEIRINグランプリ'93(立川競輪場)
年間賞金王4回 - 1985年、1986年、1987年、1988年
S級年間最多勝利数(80戦64勝) - 1986年
デビュー時から果敢に先頭で走る徹底先行に徹し、最後の直線では力を入れるためか首を上げる独特のフォームでペダルを踏み込んでいる。最初の頃には後ろの選手に捲られたり追い込まれたりすることが多かったが、いつの間にか相手がどれだけ強かろうとも逃げ切ってしまうだけの脚力を身に付けていた。また他の選手との並走や追走についてもほとんど苦にせず、全てにおいてパワフルな走りと滝澤自身が大柄であった事から連想されたのか、いつしか他の選手やファンからは「怪物」と呼ばれるようになり、後に出た漫画のタイトルの由来にもなっている。