グローバル化はさまざまな変化をもたらし、「格差」を生んだ。
経済成長の恩恵は不平等に分配され、市民と経済エリートの間には、明確な摩擦が生じた。
それとは対照的に、グローバル化は文化間・文明間の差異を打ち消し、ある種の“同一性”も、もたらした。
今日、私たち、私たちは東京、ニューヨーク、ロンドンのどこにいても、同じホテルやレストランを見つけることができる。
その反動として、差異を認めてほしいとの感情が爆発し、ナショナリズムの運動などに形を変えている。
つまり私たちは、一方ではアイデンティティーの喪失、他方では復興という矛盾を目のあたりにしている。
最後に挙げたいのは、かつてないほどの資本と労働力の移動だ。
これにより、とりわけヨーロッパや北米では、近年、移民と居住者の間で摩擦が生じている。
「上から」に象徴される人々は、市場を支配しようとする経済エリートだ。
彼らの主導による「上kらのグローバル化」は、効率的に富を生み出すことを目的とし、人々の幸福には目を向けない。
反対に「下からのグローバル化」は、そうしたエリート主義に対抗し、社会的・経済的な正義を広める人々の運動を指す。
それは、実質的な民主主義を築く挑戦―選挙で人を選ぶだけではなく、経済成長の恩恵が平等に分配される社会を築く挑戦だ。
この「下からのグローバル化」が真に力を発揮するには、アイデンティティー喪失への恐怖心に駆られた暴力的エネルギーではない、新しい政治エネルギーを必要とする。
しかし残念ながら、世界では右派ポピュリズム(大衆迎合主義)ともいえるナショナリズムが席巻し、自国を“第一”に置く風潮がある。
そうした風潮は、人類への共感を欠くだけでなく、自らが人類の一部であるとのアイデンティティーを、放棄することにも通じる。
ゆえに私は、道徳的価値と人類的視野に立った「人間的グローバル・ガバナンス(地球社会の統治)」の必要性を訴えてきた。
とりわけ私は、個人主義を重んじる西洋社会において、対話の必要性を感じる。
コミュニケーションの文化が失われ、家族の絆が弱まったのは、なんら驚きではない。
対話がもたらす最高の“贈り物”とは、相手の話を聞くことであると私は思う。
大切なのは、他者の悲しみや理想を理解することだ。
人間には本来、積極的に他者と関わる能力がある。
宗教や思想を超えた対話は、その「家族」の枠を延長してき挑戦であるといるるだろう。
核廃絶への容易ならざる挑戦を前に、私たちは、不確実な現実を受け入れ、遠い未来への“保証”はないことを知るべきだ。
成功は保証されているから前進するのではなく、自らの努力が正しいとの確信を糧にして、行動を続けなくてはならないのだ。
米プリンストン大学名誉教授・リチャード・フォーク博士
経済成長の恩恵は不平等に分配され、市民と経済エリートの間には、明確な摩擦が生じた。
それとは対照的に、グローバル化は文化間・文明間の差異を打ち消し、ある種の“同一性”も、もたらした。
今日、私たち、私たちは東京、ニューヨーク、ロンドンのどこにいても、同じホテルやレストランを見つけることができる。
その反動として、差異を認めてほしいとの感情が爆発し、ナショナリズムの運動などに形を変えている。
つまり私たちは、一方ではアイデンティティーの喪失、他方では復興という矛盾を目のあたりにしている。
最後に挙げたいのは、かつてないほどの資本と労働力の移動だ。
これにより、とりわけヨーロッパや北米では、近年、移民と居住者の間で摩擦が生じている。
「上から」に象徴される人々は、市場を支配しようとする経済エリートだ。
彼らの主導による「上kらのグローバル化」は、効率的に富を生み出すことを目的とし、人々の幸福には目を向けない。
反対に「下からのグローバル化」は、そうしたエリート主義に対抗し、社会的・経済的な正義を広める人々の運動を指す。
それは、実質的な民主主義を築く挑戦―選挙で人を選ぶだけではなく、経済成長の恩恵が平等に分配される社会を築く挑戦だ。
この「下からのグローバル化」が真に力を発揮するには、アイデンティティー喪失への恐怖心に駆られた暴力的エネルギーではない、新しい政治エネルギーを必要とする。
しかし残念ながら、世界では右派ポピュリズム(大衆迎合主義)ともいえるナショナリズムが席巻し、自国を“第一”に置く風潮がある。
そうした風潮は、人類への共感を欠くだけでなく、自らが人類の一部であるとのアイデンティティーを、放棄することにも通じる。
ゆえに私は、道徳的価値と人類的視野に立った「人間的グローバル・ガバナンス(地球社会の統治)」の必要性を訴えてきた。
とりわけ私は、個人主義を重んじる西洋社会において、対話の必要性を感じる。
コミュニケーションの文化が失われ、家族の絆が弱まったのは、なんら驚きではない。
対話がもたらす最高の“贈り物”とは、相手の話を聞くことであると私は思う。
大切なのは、他者の悲しみや理想を理解することだ。
人間には本来、積極的に他者と関わる能力がある。
宗教や思想を超えた対話は、その「家族」の枠を延長してき挑戦であるといるるだろう。
核廃絶への容易ならざる挑戦を前に、私たちは、不確実な現実を受け入れ、遠い未来への“保証”はないことを知るべきだ。
成功は保証されているから前進するのではなく、自らの努力が正しいとの確信を糧にして、行動を続けなくてはならないのだ。
米プリンストン大学名誉教授・リチャード・フォーク博士