阪神オープン戦初勝利

2018年03月11日 22時20分20秒 | 社会・文化・政治・経済
巨人に勝ちオープン戦8試合目で待望の初勝利
守護神ドリス締める ...

2回巨人無死、巨人・山本泰寛の打球を好捕する阪神・ 2枚2枚. 「オープン戦・阪神6-3巨人」(11日、甲子園球場). 阪神が8試合目にして、オープン戦初勝利を飾った。
本拠地初登板となった高橋遥人投手(22)=亜大=が、先発で、3回を投げて3安打1失点。
立ち上がりの連打から1点こそ失ったが、二回以降は修正した姿で巨人打線を封じた。
計58球。新加入の ...
<オープン戦:阪神6-3巨人>◇11日◇甲子園 日刊スポーツ

 阪神が遅ればせながら今季のオープン戦初勝利を挙げた。
1点を追う4回、陽川、中谷、高山の3適時打で逆転。6回、同点に追いつかれたが、その裏、3点を奪って、再び勝ち越し。そのまま逃げ切った。
これまでオープン戦開幕から7戦で6連敗中。前日10日の中日戦で引き分けていた。ようやく白星を得て、金本知憲監督(49)も「日曜日で、お客さんがたくさん入っていた。勝ち試合を見たかっただろうし、そういう意味では良かった」と笑顔を見せていた。

石巻・大川小学校の卒業生

2018年03月11日 21時49分00秒 | 社会・文化・政治・経済
東日本大震災は人々の価値観を揺さぶり、生き方に影響を与えた。
当時5年生の「奇跡的に助かった少年」も青年になった。
「亡くなった友達のためにも話さなきゃ」と己を奮い立たせた。
津波で3年生の妹(当時6歳)、母(41歳)、祖父(67歳)を亡くした。
自宅も流された。
「大川伝承の会」に父とともに加わった。
石巻工業高3年(18歳)只野哲也さん


石巻市「大川小」遺族、震災以後の「卒業生スライド」封印に激怒女性自身
2018年3月10日 04時00分 (2018年3月11日 21時28分

「亡くなった子供たちも、私たちも、また切り捨てられたんですね……」
2011年3月11日に発生した東日本大震災の津波で、全校児童の約7割にあたる74人もが犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校。
悲劇からまる7年を目前にした2月24日、33年の歴史に幕を下ろす閉校式が行われた。

震災当時、同校5年生だった二女の紫桃千聖さん(享年11)を亡くした母・さよみさん(51)は、式の後半に上映されたスライドで、04年入学までの卒業アルバムしか映されなかったことを知り、怒りを抑えるように呟いた。

現に、14年3月に23人の児童たちの遺族である19家族が起こした裁判は、いまも継続中だ。紫桃さんら遺族が宮城県と石巻市を相手に約23億円の損害賠償を求めて起こした民事訴訟では、16年10月に県と市に約14億3千万円の支払いを命じる一審判決が出たが、被告、原告ともに控訴している。
地震発生から津波が襲うまでの51分間。教師たちの判断で校庭で待機した挙げ句、津波が押し寄せる堤防方向へと移動させられ、命を落としたわが子たち。なぜ、すぐ背後の裏山に逃げなかったのか。どの親も抱く「空白の51分間に何が起きていたのか」という疑問に、一審判決は何も答えてはいなかった。その裁判の控訴審判決が、この4月26日に出る――。

「震災以降の歴史は、無視されたも同然です」

14時46分に地震が発生した「あの日」。津波は校舎にも押し寄せた。その後、大川小では別の小学校を間借りして授業するなどしていたが、児童数は29人まで減少し、閉校に至った。旧校舎は、「震災遺構」として保存されることが、すでに16年春に決まっている。
「7年たって、私たち親も家族も、いろんなことに向き合わなければならない。閉校式に参加するかしないかも、大事な節目なので、長男とも長女とも相談して個々で決めました。彼らにとっては母校なので『同級生と行くよ』と言うから、私は『どうぞ、行ってらっしゃい』と送り出しました」

さよみさんの言うように、かつては子供たちの元気な声で溢れていた大川小の閉校は大きな節目ではあるが、遺族にとっては震災が終わったわけではない。…
「なんで、あのとき、私は千聖を迎えに行かなかったんだろう。入学式のときに、『学校は児童の命に責任を持ちません』って言ってくれれば、すぐに迎えに行ってたのに。あのとき、51分間も校庭で待たずに、有無を言わさず裏山に避難誘導されていれば、わが子は助かった――」

紫桃さんら遺族たちは怒りのなかで、説明会の開催を訴え、ほぼ1カ月後の4月9日になって、ようやく第1回の保護者説明会が行われた。ここには、当日学校にいて唯一生き延びた男性教師のA先生も出席した。

「助けられなくて本当に申し訳ありませんでした。すいませんでした……」

この後、A先生は「波をかぶったが、ひとりの男子児童を助けて山に登り、助かった」という旨の説明を途切れ、途切れにしただけだった。…
その後は「体調を崩し自宅療養中」とのことで、裁判中を含めて、今日まで顔を見せていない。しかし、実際に当日、A先生が逃げ込んだ自動車整備工場の社長は「A先生も児童も服装はきれいで濡れていなかった。波はかぶってないと思います」と証言しており(本誌既報)、食い違う。A先生の「波をかぶった」などの証言は「偽証だったのではないか」という見方も広がっているのだ。

さらに、当時の校長の、以下のような問題発言もあった。

「説明会の約10日前の震災後初の登校日、校長は子供たちに『笑顔がいっぱいの学校を作ろう』と語りかけたそうです。この言葉で、私たちの子は、亡くなった子供たちは切り捨てられたんだと思いました」

さよみさんが、冒頭、閉校式を受けて「また切り捨てられた」と発言したのには、こんな前段があったのだ。

判決を1カ月半後に控えたいま、さよみさんと夫の隆洋さん(53)には一層、「勝たねばならない」という思いが強い。

「親であれば、ふつう、子供に『先生の言うことをよく聞きなさい』と教えるでしょう。そう教えたのが正しかったのか、そういう自問自答も入っているんです」

取材:鈴木利宗、加藤順子)

北朝鮮の拉致の真実

2018年03月11日 21時39分08秒 | 医科・歯科・介護
招待所という名の収容所

「招待所」という名の収容所 - 柏書房
世界は拉致をどう見ているか。
当事者の生の証言を引き出し、発端から現在までの実態を剔抉して浮かび上がった、拉致問題の真実。
最初の拉致から40年、被害者5人の返還から15年……そこには、鉄条網と監視員に囲まれた「招待所」と呼ばれる地区があった!
いったい、日本人拉致事件とは何だったのか?
その全貌を世界に知らしめた、渾身のノンフィクション!

北朝鮮による拉致の真実. 【献本御礼】 ロバート・S. ボイントン著、山岡由美訳『「招待所」という名の収容所―北朝鮮による拉致の真実』(柏書房). Posted on 2017年9月23日 by kadoshunsuke. 2017年09月23日. 柏書房編集部の山崎孝泰様から『「招待所」という名の収容所―北朝鮮による拉致の真実 』をご恵贈いただきました。 続きを読む ▷. Posted in 未分類 | Tagged 「招待所」 という名の収容所―北朝鮮による拉致の真実, ロバート・S. ボイントン, 北朝鮮, 山岡由美, ...

著者は、金正日が日本人拉致を認めるまで、拉致問題を知らなかったという。
そういう国の読者向けの一冊ではあるが、拉致問題について多少の知識がある人なら「読まなくても知っている」という水準にはとどまっていない。
拉致被害者の蓮池薫さん夫妻らの体験談をベースとし、明治期の日朝関係や周辺の人々の話を織り交ぜつつ、さまざまな角度から拉致問題に光を当てている。
人物の話に焦点を当てているため、難解な内容にはなっていない。
ボイントンは登場人物の言葉を通じて、北韓の、独裁 ...

『記者襲撃』 赤報隊事件

2018年03月11日 21時09分08秒 | 社会・文化・政治・経済
赤報隊を肯定する流れ

「もしこの本を読んだのなら、名乗り出て、事件の真相を明らかにすべきだ。・・・赤報隊よ。逃げ隠れするな」
赤報隊事件は終わっていない。
過激な右翼言説が飛び交う現在の起点として、検証され直すべき事件ある。

NHKスペシャルで「赤報隊事件」を特集するも、主犯の疑惑くすぶる統一 ...

2018年1月29日 - 2018年1月28日、NHKスペシャルで、1980年後半から90年頃にかけて発生した、朝日新聞の記者が襲撃・殺害された「赤報隊事件」を特集。しかし、事件の関与や主犯が疑われている新興宗教・朝鮮統一教会の存在を明かさず、「ある宗教団体」と隠していた上に、その他の部分にスポットを当てる番組構成となっていた。
2018年1月28日 - NHKはこの場面で、赤報隊の犯人が朝日新聞に「50年前に帰れ」と主張しているのを取り上げて、 『赤報隊は一切の異論を認めない戦前のような社会に帰れと主張』 とナレーションしていたり、その他にも赤報隊が『戦後体制に激しい憎悪』『戦後体制を批判しテロ行為を肯定する記事を載せていた』などと述べて、右翼=戦後体制の否定=悪人、という印象操作を大々的に行っていました。 私は昨年の5月からずっと安倍総理による「憲法改正」の事をブログで取り上げて書いてますが、このNHKの「印象 ...
「もしこの本を読んだのなら、名乗り出て、事件の真相を明らかにすべきだ。・・・赤報隊よ。逃げ隠れするな」
赤報隊事件は終わっていない。
過激な右翼言説が飛び交う現在の起点として、検証され直すべき事件ある。

元朝日新聞記者が執念で描いた「赤報隊事件のひとつの真実」
30年間、犯人を追い続けて――
伊藤 博敏 ジャーナリスト

圧倒的な取材量

記者は「書いて記録を残すこと」が仕事である。
そのために取材を積み重ね、記事にして社会に訴えかけて喜びを得る。

だが、朝日新聞の樋田毅記者が、記者生活の大半をかけて取り組んだのは、猟犬のように犯人を追い詰める取材だった。

赤報隊事件――。

1987年5月3日、朝日新聞阪神支局を散弾銃を持った男が襲い、当時、29歳の小尻知博記者を射殺、42歳の犬飼兵衛記者に重傷を負わせた。犯人は「赤報隊」を名乗り、その後、全国の朝日新聞施設を襲撃、爆破未遂を重ね、首相への脅迫状などにも拡大、延べ62万人の捜査員が投入されたものの、15年前に公訴時効を迎えた。

樋田氏は、事件発生直後から特命取材班に参加、16年間、犯人を追い続けた。時効を機に取材班を解散しても本業の合間を縫った取材を重ね、その執念の取材過程は、今年1月27日、NHKスペシャル未解決事件ファイル「赤報隊事件」で、草彅剛が樋田記者役を演じて広く知られるところとなった。

「見えない赤報隊」を追い続けること、それを記録(記事)にせず、ひたすらファイルに溜め込む作業は、生半可な思いではできない。しかし樋田氏は、それを定年延長後の再雇用となっても続け、昨年12月、退職した後、その“成果”を『記者襲撃』として、2月21日、上梓した。





2006年4月13日、阪神支局の新局舎3階に「朝日新聞襲撃事件資料室」が開設された。
記者2人が殺傷された阪神支局事件を中心に、言論機関を狙ったテロに関する資料を展示している。
市民に公開することで、事件を多くの人に語り継ぎ、言論の自由など民主主義の大切さを伝えるのが目的である。
開館から2012年3月末までの見学者は、社員を含めて4,000人を超えた。
展示物は、殉職した小尻記者と重傷を負った犬飼記者が銃撃された編集室から採取された散弾粒、血 ...
「116」捜査されなかった告発書 ―朝日阪神支局襲撃30年 - 時事ドットコム

南京大虐殺」報道に敵意. 「赤報隊」が時事通信社に送り付けてきた犯行声明文=1987 年5月6日【時事通信社】. 「116(イチイチロク)」。警察関係者や事件記者の間でこう呼ばれた一連の朝日新聞襲撃事件(警察庁指定116号事件)は、記者2人が殺傷された阪神支局襲撃事件が2002年に公訴時効を迎えたのに続き、03年3月には静岡支局の駐車場に時限爆弾が置かれた爆破未遂事件も時効となり、類似事件も含めた8事件 全ての時効が成立した。警察は延べ124万人の捜査員を投入し、右翼・新右翼関係者らを ...



【赤報隊事件】は自作自演だった!?犯人の正体と真実に迫る!

2018年1月27日 - 赤報隊事件 自作自演 犯人 真実. 「赤報隊事件」とは、1987年から1990年にかけて起きた以下の事件のことを言います。
朝日新聞東京本社銃撃事件; 朝日新聞阪神支局襲撃事件; 朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件; 朝日新聞静岡支局爆破未遂事件; 中曽根康弘・竹下登両元首相脅迫事件; 江副浩正リクルート会長宅銃撃事件; 愛知韓国人会館放火事件. 特に注目を集めた事件が「朝日新聞阪神支局襲撃事件」で、執務中だった記者2人が被害者となったことで、言論弾圧事件として大きな注目を ...

経緯 - 事件の背景と犯人像 ... - 社会の反応 - 真相解明への取り組み

記者襲撃 - 岩波書店
2018年2月21日 - 記者襲撃. 赤報隊事件30年目の真実. 書かないで済ませることはできなかった…….
日本の言論史上類例のない事件を,発生当初から追い続ける記者による渾身の書き下ろし. 記者襲撃. 著者, 樋田 毅 著.

高機能アルコール依存症

2018年03月11日 20時43分17秒 | 社会・文化・政治・経済
高機能アルコール依存症を理解する
飲みすぎの傾向はあるかもしれないが、仕事はちゃんとやっているから問題ない。
高学歴、専門職、高い社会的地位などから見過ごされることが多いのが「高機能 アルコール依存症者」である。
有能な仕事ぶり、きちんとしている(ように見える)生活が、 アルコール依存症という病気を本人の目からも周囲の目からも覆い隠してしまい、治療に向かわせられない。本書はそうした高機能アルコール依存症者に焦点をあて、進行する依存症、そして回復までの道のりを、著者自身のアルコール依存症者としての経験とともに詳述する ...
酒で失敗することもあるが、私がアルコール依存症のはずはない。人一倍、仕事を頑張っているし、成功もしているから……。
アルコール依存症者には、家族も仕事も家も失った者だ、などのステレオタイプのイメージがつきまとう。このようなイメージとは遠く、 高収入で社会的に成功している人たちの中にもアルコール依存症者は存在する。
この高 機能アルコール依存症に焦点を当てたのが『高機能アルコール依存症を理解する』だ。 著者は、自らの体験をもとに「全てを失った酔っぱらい」に当てはまらない高機能アルコール依存症
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今週の本棚
内田麻理香・評 『高機能アルコール依存症を理解する』/『自分を傷つけてしまう人のためのレスキューガイド』
毎日新聞2018年3月11日 東京朝刊

本・書評
◆『高機能アルコール依存症を理解する』セイラ・アレン・ベントン著(星和書店・3024円)=水澤都加佐監訳

 ◆『自分を傷つけてしまう人のためのレスキューガイド』松本俊彦監修(法研・1728円)

「否認の病」から救い出すために

 酒で失敗することもあるが、私がアルコール依存症のはずはない。人一倍、仕事を頑張っているし、成功もしているから……。
アルコール依存症者には、家族も仕事も家も失った者だ、などのステレオタイプのイメージがつきまとう。このようなイメージとは遠く、高収入で社会的に成功している人たちの中にもアルコール依存症者は存在する。
この高機能アルコール依存症に焦点を当てたのが『高機能アルコール依存症を理解する』だ。著者は、自らの体験をもとに「全てを失った酔っぱらい」に当てはまらない高機能アルコール依存症者の問題をあぶり出した。
彼らはいわゆる典型例に該当しないため、本人も周囲も依存症であると認識することが難しい。治療を始めるのが遅れたり、全く治療されなかったりする。「酒癖が悪いけど、優秀な人だから」と見逃されてしまうのだ。しかし、この依存症は死に至る病であるから、放置できない。

 依存症になる理由は、本人の意志の弱さとは無関係だ。四十年ほど前から、依存症者は自らの抱える困難や苦…
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被災者なお7.3万人

2018年03月11日 19時53分52秒 | 社会・文化・政治・経済
東日本大震災、11日で発生から7年=復興へ、続く歩み-避難者

復興庁によると、避難者は1年前に比べ約5万人減少し、7万3349人(2月13日現在)となった。
東京電力福島第1原発事故の影響が続く福島県では、なお約3万4000人が県外での避難生活を余儀なくされている。
原発事故に伴う避難指示の解除は進んだが、住民の帰還の動きは鈍い。
警察庁によると、死者は3月9日現在、12都道県の1万5895人、行方不明者は2539人。震災による負傷の悪化などで死亡した「震災関連死」を合わせると2万2000人 ...

東日本大震災は11日、発生から7年を迎える。
復興庁によると、避難者は1年前に比べ約5万人減少し、7万3349人(2月13日現在)となった。
東京電力福島第1原発事故の影響が続く福島県では、なお約3万4000人が県外での避難生活を余儀なくされている。
原発事故に伴う避難指示の解除は進んだが、住民の帰還の動きは鈍い。
警察庁によると、死者は3月9日現在、12都道県の1万5895人、行方不明者は2539人。震災による負傷の悪化などで死亡した「震災関連死」を合わせると2万2000人 ...

多くの人がよりよい生き方を考える

2018年03月11日 19時03分05秒 | 社会・文化・政治・経済
東日本大震災<3・16>は、社会のあり方、人間のあり方が問われた出来事だといえます。
大震災を経験した東北・福島の姿を通して、多くの人がよりよい生き方を考える。
そうした機会を提供することが、未来を創る力になるでしょう。
心の財(たから)は絶対に壊れない。
目に見えるもとが奪われても、誰もが必ず心の中にに持っている。
そのことを自覚することで、多くの人がよりよい生き方を考える。
そうした機会を提供することができた。

ミュージカル「李香蘭」

2018年03月11日 12時13分38秒 | 医科・歯科・介護
「李香蘭」は、演出家・浅利慶太さんの戦争体験が原点。
「悲劇が繰り返された昭和という時代を風化させてはいけない。あの戦争の悲劇を語り継ぐ責任が僕にはあると思っています」
「長い歴史的つながりがある国とあれだけの大きな戦争があった。その理由はあるわけですよ。この事実を知らせたく作りました」
1992年には北京や大連など中国4都市で、1997年にはシンガポールでも公演した。
「すごい反響でした。まったく日本と同じように感動してくださいました」
「この作品には力がある。架空ではなく、現実の歴史の中から物語を取り出したわけですから」
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ミュージカル李香蘭』(ミュージカルりこうらん)は、国際女優・山口淑子の半生に焦点をあてたミュージカル作品。
史実を基にしているがフィクションである。
浅利慶太の演出により劇団四季が断続的に上演している。
原作は山口淑子と藤原作弥の共著による『 李香蘭 私の半生』。
劇団四季の昭和三部作と呼ばれる作品群の一つ(残り二作は『 ミュージカル異国の丘』と『ミュージカル南十字星』)。
山口淑子は李香蘭の芸名を持ち、 戦前は中国人と思われていた。
第二次世界大戦の終結に伴い中華民国政府により漢奸裁判にかけられた。
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本作は、日中戦争のさなか、中国で一世風靡した歌姫・李香蘭として生きた山口淑子さんの半生を描いています。
戦後70年以上が経過し、若い世代にとって戦争は遠い過去の出来事となり、また戦争体験世代の高齢化により、語り部も失われつつあります。
演出家・浅利慶太は「悲劇が繰り返された“昭和”という時代を決して風化させてはいけない」という思いから、1991年の初演以来、この作品を上演し続けてまいりました。 昨年は日中国交正常化45周年、今年は日中平和友好条約締結40周年。両国にとって節目となる ...

狂言回しとして、清朝王族の娘でりながら日本人の養女となった川島芳子が登場。
狂言回し(きょうげんまわし)とは、物語において、観客(あるいは読み手などの受け手) に物語の進行の理解を手助けするために登場する役割のこと。
場合によっては物語の進行役も務める。狂言廻しとも書かれる。
狂言の世界から生まれた言葉で、今ではあらゆる分野のフィクション全般で広く使われる。

忘れることができない7年前

2018年03月11日 11時21分58秒 | 日記・断片
午前8時40分、富田さんが迎えに来て、小堀(おおほり)の赤峯宅での支部の会合に参加した。
富田さんは、1月以降、日曜日も仕事が続き、久しぶりの参加となる。
未曾有の東日本大震災から7年、会合では東北の復興の歩み、地域の人々の奮闘、励ましと慈しみに焦点を当てた。
東北の発展、前進を願うばかりだ。
取手にも被災された方々が避難し、移住してきたので被災地とは無縁ではない。
「不屈の東北」に学ぶことが少なくないと改め思った。
「3.11、あなたは何処に居ましたか?」
それぞれの方にとって、忘れることができない7年前であった。
当方は、日本歯科医師会の代議員会を傍聴してから、歯科関係業者の方と懇談し、勤務先に戻る途中であったが、地下鉄千代田線の綾瀬駅で足止めされ、北千住駅まで歩き、寒い中ビルの通路で夜を明かした。
取手駅に戻れたのは翌日の午後1時過ぎであった。
その日から常磐線は止まったので出勤できなかった。
ところで今日、闘病中に毎日メールで励ましていただいた友人が、「実は私も昨年、がんでした」と告げる。
「それは、大変でしたね。どこのがんですか?」
「前立腺がんでロボットで手術しました」と言う。
針を何本も刺して検診するそうだ。
その1本の針にがん細胞が付着し発見されたのだ。
針にがん細胞が触れない方が多いので、1本の針は幸いしたのだ。
会合後は、いつものようにお茶会となる、串団子、ミカン、イチゴ、チョコレート、濡れ煎餅などをいただく。
奥さんに帰りに「大根、もらいものだけど、どうぞ」と声をかけられたのでいただいた。