2012年4 月16日 (月曜日)
渋谷駅で降りた芳子は、玉電(東急玉川電車)に乗り換えた。
緑色の2両編成の小さな車体は路面をガタゴトと音を立て走っていた。
電車が坂を上り、そして下って行く光景を見て、芳子は東京の街は起伏が多い土地柄だ思った。
玉電の窓から見える光景は、意外と緑の木立も多かった。
用賀停留所に降り立った時、芳子はようやく辿りついたのだと胸をなでおろした.
東京・世田谷区用賀町は、まだ畑が多く残っており、丘の斜面では土地の造成が進んでいた。
用賀は江戸時代以前、大山街道の宿場町であり、眞福寺の門前町であった。
畑の間には小川が流れており長閑な感じがした。
芳子が働く、大学の教授宅は緑の木立に囲まれた神学院の南側にあった。
神学院の北側は桜丘であり、武蔵野台地の南端部に位置する
用賀地内には複数の湧水があり、旧品川用水の吸水の跡を源に、中町を経由し水は等々力渓谷を流れていた。
この渓谷には多量の湧水がみられ、世田谷区野毛付近で丸子川(六郷用水)と交差し、世田谷区堤で多摩川に合流する。
この日は休みであったので、大野太郎教授宅には家族全員が居た。
大野は芳子の高校の教師であった辻村玲子の恩師である。
大野は居間に和服姿でくつろいでいて、新聞を卓に置きパイプをふかしていた。
大野は白髪頭であるが、まだ52歳であった。
「君のことは、辻村君から聞いているよ、君は数学ができるそうだね」
芳子は数学がそれほど得意でなかったので戸惑った。
お茶を運んで来た大野夫人の伸江は48歳で、病院に勤務する小児科医であった。
和服姿で割烹着を着ていた。
「あなたは、料理はどうなの」
伸江は手伝いの芳子に期待をしていたので確認をした。
芳子はお手伝いとして働くので、母には料理を習ってきたが所詮は群馬県の田舎料理である。
「何とかできると思います」
芳子は控えめに答えたが、次の日に伸江から早速、「あなたの料理はダメ、味付けが塩辛いわ」と指摘さてしまった。
芳子は前途多難だと心細くなった。
そして、その夜に徹に手紙を書いた。
<芳子の手紙>
今、東京の世田谷区用賀の仕事先の部屋でこの手紙を書いています。
私の仕事は詳しくは話さなかったけれど、お手伝いの仕事です。
旦那様は大学の先生で、奥様は病院の小児科のお医者さんです。
家族は旦那様のお母さん、息子さん2人、そして娘さん1人の家族構成です。
大きな母屋があり、私は庭の外れの離れの部屋に住んでいます。
隣の部屋には高校の受験を控えている娘さんが居ます。
私の部屋は4畳半でこじんまりしていて、気持ちが落ち着ける部屋です。
部屋の小さな机に置かれたスタンドの下でこの手紙を書いています。
庭には大きな桜の木が5本もあり、今が満開でとても綺麗です。
沼田公園の御殿桜を徹さんと観たことが、昨日のように思い出されます。
朝は日課の犬の散歩があります。
柴犬でハナコと呼ばれたメスの犬です。
朝は5時起きでなの、近況は次の手紙に書きます。
徹さんのお手紙を心待ちにしています。
芳子
渋谷駅で降りた芳子は、玉電(東急玉川電車)に乗り換えた。
緑色の2両編成の小さな車体は路面をガタゴトと音を立て走っていた。
電車が坂を上り、そして下って行く光景を見て、芳子は東京の街は起伏が多い土地柄だ思った。
玉電の窓から見える光景は、意外と緑の木立も多かった。
用賀停留所に降り立った時、芳子はようやく辿りついたのだと胸をなでおろした.
東京・世田谷区用賀町は、まだ畑が多く残っており、丘の斜面では土地の造成が進んでいた。
用賀は江戸時代以前、大山街道の宿場町であり、眞福寺の門前町であった。
畑の間には小川が流れており長閑な感じがした。
芳子が働く、大学の教授宅は緑の木立に囲まれた神学院の南側にあった。
神学院の北側は桜丘であり、武蔵野台地の南端部に位置する
用賀地内には複数の湧水があり、旧品川用水の吸水の跡を源に、中町を経由し水は等々力渓谷を流れていた。
この渓谷には多量の湧水がみられ、世田谷区野毛付近で丸子川(六郷用水)と交差し、世田谷区堤で多摩川に合流する。
この日は休みであったので、大野太郎教授宅には家族全員が居た。
大野は芳子の高校の教師であった辻村玲子の恩師である。
大野は居間に和服姿でくつろいでいて、新聞を卓に置きパイプをふかしていた。
大野は白髪頭であるが、まだ52歳であった。
「君のことは、辻村君から聞いているよ、君は数学ができるそうだね」
芳子は数学がそれほど得意でなかったので戸惑った。
お茶を運んで来た大野夫人の伸江は48歳で、病院に勤務する小児科医であった。
和服姿で割烹着を着ていた。
「あなたは、料理はどうなの」
伸江は手伝いの芳子に期待をしていたので確認をした。
芳子はお手伝いとして働くので、母には料理を習ってきたが所詮は群馬県の田舎料理である。
「何とかできると思います」
芳子は控えめに答えたが、次の日に伸江から早速、「あなたの料理はダメ、味付けが塩辛いわ」と指摘さてしまった。
芳子は前途多難だと心細くなった。
そして、その夜に徹に手紙を書いた。
<芳子の手紙>
今、東京の世田谷区用賀の仕事先の部屋でこの手紙を書いています。
私の仕事は詳しくは話さなかったけれど、お手伝いの仕事です。
旦那様は大学の先生で、奥様は病院の小児科のお医者さんです。
家族は旦那様のお母さん、息子さん2人、そして娘さん1人の家族構成です。
大きな母屋があり、私は庭の外れの離れの部屋に住んでいます。
隣の部屋には高校の受験を控えている娘さんが居ます。
私の部屋は4畳半でこじんまりしていて、気持ちが落ち着ける部屋です。
部屋の小さな机に置かれたスタンドの下でこの手紙を書いています。
庭には大きな桜の木が5本もあり、今が満開でとても綺麗です。
沼田公園の御殿桜を徹さんと観たことが、昨日のように思い出されます。
朝は日課の犬の散歩があります。
柴犬でハナコと呼ばれたメスの犬です。
朝は5時起きでなの、近況は次の手紙に書きます。
徹さんのお手紙を心待ちにしています。
芳子