ALS: 筋萎縮性側索硬化症ってどんな病気?

2018年03月23日 18時49分31秒 | 医科・歯科・介護
「ALS」という病名を聞いて、どんな病気か思いあたる人は少ないでしょう。
ALSは、脳や末梢神経からの命令を筋肉に伝える運動ニューロン(運動神経細胞)が侵される病気で、難病の一つに指定されています
。現在、日本に約8,300人前後の患者さんがいると考えられており、原因究明の研究が多くの研究者によって進められています。
では、ALSとは一体どんな病気なのか、くわしく見てみましょう。からだのどこが悪くなるの?
 人間の手や足、顔など、自分の思いどおりにからだを動かすときに必要な筋肉を随意筋といい、随意筋を支配する神経を運動ニューロンといいます。
「ニューロン」というのは「神経細胞」のことです。
 運動ニューロンは、歩いたり、物を持ち上げたり、飲み込んだりするなど、いろいろな動作をするときに、脳の命令を筋肉に伝える役目をしています。
 この運動ニューロンが侵されると、筋肉を動かそうとする信号が伝わらなくなり、筋肉を動かしにくくなったり、筋肉がやせ細ってきます。
ALSはこの運動ニューロンが侵される病気です。 ALSでは運動ニューロンは侵されますが、知覚神経や自律神経は侵されないので、五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)、記憶、知性を司る神経には原則として障害はみられません。
あなたがだれかに皮膚をつねられたとき、痛いと感じ、つねられた手をひっこめるでしょう。
痛いと感じるのは「知覚神経」、手をひっこめるのは「運動ニューロン」の働きです。
ALSになると痛いという感覚はあり
ますが、手をひっこめることができなくなります。
 ALSで侵されるのは、随意運動を行う筋肉(随意筋)を支配する運動ニューロンです。
随意運動とは、手を上げるなど自分の思いどおりにからだを動かす働きのことです。
心臓や消化器も筋肉でできていますが、随意筋ではありません。
心臓が動き、胃や腸で食べ物が消化されるのは無意識に自動的に働いており、これを支配しているのが「自律神経」です。
ALSでは自律神経は侵されないので、心臓や消化器の働きには影響がありません。
しかし呼吸は、自律神経と随意筋である呼吸筋の両方が関係するので、ALSで運動ニューロンが侵されると、呼吸筋が次第に弱くなって呼吸が困難になります。


枯れ葉剤 今も戦う米兵と家族

2018年03月23日 18時30分57秒 | 社会・文化・政治・経済
この50年の世界
1968~2018 第2部・ベトナム戦争の傷痕/下 枯れ葉剤 
今も戦う米兵と家族
毎日新聞2018年3月23日 

ベトナム戦争中、米軍は1962年から約10年に北ベトナム軍やゲリラの隠れ場所や食料を奪うため、ベトナムの森林に約7570万リットルの枯れ葉剤を散布した。結局、米軍は敗退。枯れ葉剤が引き起こしたと考えられている健康被害は、現地の人々だけでなく多くの米帰還兵とその子供も苦しめている。
ホーチミン市の「戦争証跡博物館」に、右腕がない白人の幼女の写真が飾られている。
ジェニファー・ローニーさんは撮影当時2歳半。父親のダニエルさんは枯れ葉剤散布のピーク時にあたる67~68年にベトナムで戦った帰還兵だ。
ジェニファーさんはいま、37歳。
10歳の娘を持つ母親だ。
父の出身地である東部ペンシルベニア州のフィラデルフィア近郊で薬局専門のコンサルタント会社に勤務。車を運転し、脇の下に包丁を挟んで料理もする。できないことは「チェーンソーで木を切ることぐらい」(ジェニファーさん)だ。
「でも、子供のころは、10の頭を持つ怪物のように扱われた。子供も大人も、自分と違う人間には残酷だから」
当時の地元紙の報道などによると、戦地で約45キロも痩せ、21歳なのに頭髪が抜けたというダニエルさんは、ジェニファーさんの障害は枯れ葉剤が原因と確信していた。
危険性を訴えたが、米政府は因果関係を認めなかった。約8年がたち、ダニエルさんは妻のビクトリアさん(70)に言った。「もう十分だ。子供を持とうとする帰還兵には警告できた」
2003年、ダニエルさんは妻子が買い物に出た間に拳銃自殺した。56歳だった。
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アメリカでの枯葉剤健康被害

1984年、アメリカのベトナム帰還兵らが枯葉剤製造会社に対して集団訴訟を起こした。訴訟に加わった帰還兵らは4万人を超えた。
しかし、裁判が審理入りする直前になり、突如原告代表者が会社側との和解を発表、製造会社側は枯葉剤の被害を認めぬまま原告に補償金1億8000万ドルを支払うことで同意した。裁判で帰還兵らの枯葉剤健康被害が公にされる事がないまま、帰還兵らの証言はお蔵入りとなったのである。
この突然の和解を不服とした帰還兵や遺族らが1989年に再び集団訴訟をおこしているが、却下された。

1991年、アメリカの枯葉剤曝露帰還兵に対して救済法が成立し、15の疾病に枯葉剤との関連が認められた。ベトナム帰還兵の子供世代への健康被害調査も行われ、帰還兵の二分脊椎症の子供および女性帰還兵に限りその他の先天障害をもつ子供へも補償が認められた。
しかしこれによって認められた枯葉剤の次世代への健康被害は限られたものであり、現在も多くの帰還兵の子供の疾病や先天障害は枯葉剤との関連が不明であるとされている。
[誰によって?]
枯葉剤作戦は、ベトナム戦争中の1962年から1971年にかけて行われたアメリカ軍の軍事作戦である。ベトコンが潜む森林を失わせ、同時に食料を絶つ目的でベトナム共和国の農村部一帯に推定1,200万ガロンもの枯葉剤を散布した。
その中で、最も多く使われたのが「オレンジ剤」と呼ばれる枯葉剤だ。
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■現在も被害が続く悲惨な「枯葉剤作戦」の影響

 ベトナムのホーチミンは、今でこそビジネスの発展が目覚ましいアジアの大都市であるが、わずか40年前は現地でまだベトナム戦争が行われており、「悲しい歴史を背負った町」という側面もある。
中でも、戦時中に米軍が行った「枯葉剤作戦」が悲惨だった。

 当時の米軍は、ベトナムの自然環境破壊や食糧を奪う目的で、農村地帯に9年間も枯葉剤を撒き続けた。
最も多く散布されたのが「オレンジ剤」と呼ばれる薬剤である。ベトナムの共産化を阻止する口実でアメリカは1965年から本格的に軍事介入したが、実際に現地でやっていたことは「むごい」の一言でしか表現できない、毒入り薬剤の散布――。

 その結果、50万人ものベトナム人が死や病気に苦しめられ、実はその被害は現在も残されており、被毒3世の子どもも身体障害を訴えている。過去の話として簡単に忘れ去るべき史実ではないため、今ここに掲載しておこうと思う。


その枯葉剤の影響で兵士やその子供達がガンやリンパ腫、不妊、遺伝子の異常などの被害にあってしまったんだよ。
猛毒のダイオキシンを含む枯葉剤を、アメリカ軍は南ベトナムの各地に、7200万リットルも空から撒きました。 アメリカ政府は、「木を枯らすだけで、人体には何の影響もない」との嘘を、10年間もつき続けました。 アメリカ軍が枯葉剤を撒いたのは、相手の食糧を絶つために作物を全滅させるため ...

61年から10年の間に約7,200万リットルの枯れ葉剤を米軍は散布した。 ... 米兵は58,000人が死亡したといわれている。 ... 米軍のベトナム帰還兵の枯れ葉剤集団訴訟に対しては1億8,000万ドルの補償金を支払ったにもかかわらず、ベトナムの枯れ葉剤被害者に対しては、ベトナムでの枯れ葉剤の使用が戦争終結直前の時点では国際法に反しておらず、また原告側が奇形などの症状と枯れ葉剤の因果 ...

なぜ、自殺者まで出るのだろうか?

2018年03月23日 17時55分14秒 | 社会・文化・政治・経済
何時も思うのであるが、なぜ、自殺者まで出るのだろうか?
財務省近畿財務局職員の自殺である。
何に、何者に追い込まれたのか、と疑念が湧くがその死が軽視されたり黙殺されるのが常。
一人の死が犬死に同然に扱われていいものか憤りさえ覚えてしまう。
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「このままでは自分1人の責任にされてしまう」「冷たい」──今月7日に自殺した近畿財務局の男性職員が遺したメモの詳細を、昨日夜、NHKが伝えた。

 この男性職員が書き遺した言葉は、痛ましく、生々しい“告発”だった。数枚にわたるメモには、こんなことが綴られていたという。

「決裁文書の調書の部分が詳しすぎると言われ上司に書き直させられた」
「勝手にやったのではなく財務省からの指示があった」
「このままでは自分1人の責任にされてしまう」

 男性職員は仕事に真面目だったと報じられているが、本省から文書の改ざんを指示され、さらにマスコミ対応にも当たり、どんどんと心身ともに追い込まれていったとみられている。
実際、現在発売中の「週刊新潮」(新潮社)によれば、親族は男性職員から「(月に)100時間を超える残業が続いていた。それも何カ月も」「鬱の反応が出ている。薬も合わず、夜も眠れない」と聞いていたと語っている。

 しかも、政府は当初、近畿財務局だけに責任を押し付ける方向で動いていた。
そうした状況が男性職員を死に追い込んだのは、「このままでは自分1人の責任にされてしまう」というメモの文章からも明らかだ。

 安倍首相や麻生太郎財務相がまったく責任をとろうとしない一方で、現場の職員だけが追い詰められているこの状況には激しい怒りを感じるが、犠牲者は他にもいるようだ。

 数日前から、今度は財務省理財局の職員が自殺したという情報が流れている。しかも、2人の名前が挙がっている。

 ひとりは、理財局国有財産業務課の係長だったAさん、もうひとりは、理財局の別の課の調査主任のBさんだ。

校法人「森友学園」(大阪市)との国有地売却取引について財務省が決裁文書を改竄(かいざん)した問題をめぐり、財務省近畿財務局で学園との取引に携わっていた管財部門に所属し、自殺したとみられる50代の男性職員が、財務省上層部の指示で文書を書き換えさせられたことを示す趣旨のメモを残していたことが13日、関係者への取材で分かった。

 関係者によると、男性職員は7日午後、神戸市灘区内の自宅マンションで、自宅で首をつって死亡しているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。現場の状況から自殺とみられ、自宅からは家族に向けた遺書のほか、男性職員の自筆とみられる複数のメモ書きが見つかった。

 遺書は数行程度で国有地取引や決裁文書に関する記述はなかったが、メモ書きの中には、財務省の上層部の指示で文書の書き換えに関与したことをほのめかす記述があったという。

寝だめは厳禁

2018年03月23日 16時48分17秒 | 社会・文化・政治・経済
寝だめって実は心身の健康に良くない

間違った睡眠習慣は、心臓病、糖尿病、精神疾患などあらゆる病気のリスクを増大させる。
6時間睡眠が2週間続くと、2晩連続で徹夜したのと同じような脳の状態になることを確かめた実験結果などを紹介。
睡眠負債が溜まったままでは、認知症や、がんをはじめとする命にかかわるような病気のリスクが高まるので、眠りのリズムを整えることが大切、とまとめられていました。
まず、理解しておくべきポイントは「睡眠不足」と「睡眠負債」は違うということです。
睡眠不足は、ある一日、睡眠時間が短かったために日中、強い眠気などを感じる状態のこ。
一方、睡眠負債のほうは、睡眠不足が積み重なって、自分でも気付かないうちに体調を崩していくような状態を示しているのです。
また、誤解しやすいのが、たとえば週末に「寝だめ」をすれば、睡眠負債が返済できると思うことです。
忙しい毎日が続いていると、週末の寝だめで少しは疲れが取れたように感じることもあるでしょうが、睡眠負債を解消していくことを考えると、実は逆効果とさえ言えるのです。
2017年の6月にNHKスペシャルで『睡眠負債が危ない』が放送されたことで、一気に日本社会の注目ワードになった「睡眠負債」。
番組では、6時間睡眠が2週間続くと、2晩連続で徹夜したのと同じような脳の状態になることを確かめた実験結果などを紹介。睡眠負債が溜まったままでは、認知症や、がんをはじめとする命にかかわるような病気のリスクが高まるので、眠りのリズムを整えることが大切、とまとめられていました。
NHKのウェブサイト、番組紹介のページでは、滋賀医科大学の角谷寛教授監修による『睡眠負債リスクチェック』が掲載されています。
8問の選択式の質問に答えると、自分の睡眠負債リスクが表示されます。

週末の寝だめでは睡眠負債を返済できない。
番組では「眠りのリズムを整えることが大事」とまとめられていましたが、具体的に、手っ取り早く睡眠負債を解消する方法などは紹介されませんでした。「じゃあ、どうすればいいんだよぉ!?」と感じた人がいるかも知れません。
『最近の注目ワード「睡眠負債」のメカニズムを知っておこう』
さて、寝だめがNGとなると、どうすれば睡眠負債を解消することができるのか。
この答えは、NHKスペシャルが提言していたように「眠りのリズムを整えること」しかないのです。
それはつまり、この『世界睡眠会議』が提唱している「快眠サイクル」の大切さにも深く関連しています。
たとえば、眠って最初に訪れるノンレム睡眠が深くなるよう、眠りへのルーティンや眠る環境などを工夫することで、睡眠の質を高めることはできるでしょう。
とはいえ、本当は8時間寝るべき体質なのに、夜更かしが習慣になっていて6時間しか眠れていない、といった人などは、しっかりと睡眠時間を確保することがとても大切です。
今すぐに自分の「快眠サイクル時計」を作り、生活習慣=快眠サイクルを見直すことをオススメします。
また、誤解しやすいのが、たとえば週末に「寝だめ」をすれば、睡眠負債が返済できると思うことです。
忙しい毎日が続いていると、週末の寝だめで少しは疲れが取れたように感じることもあるでしょうが、睡眠負債を解消していくことを考えると、実は逆効果とさえ言えるのです。
週末の寝だめといえば、朝寝坊して遅くまで寝てしまう人が多いはず。
でも、毎朝7時には起きている人がお昼近くまで寝坊するような1日の過ごし方をすると、体内時計がズレてしまって、月曜日の朝起きるのがつらくなったり、睡眠の質を下げてしまうことに繋がりやすいのです。
どうしても週末に睡眠負債を返済したい時には、普段と同じ時間に一度ベッドから出て、朝日を浴びて朝食を食べ、それから二度寝するほうが、体内時計の狂いを抑えやすいことを覚えておきましょう。
ちなみに、週末の寝だめ習慣自体を改善する場合は平日の起床時刻となるべく同じにするよう心掛けましょう。
遅くとも2時間以内までに起きるのが望ましいですが、いきなり習慣を変えようとして挫折するよりは、例えば、週休二日で土日が休みの場合など、はじめは二度寝などで長く眠るのは土曜だけにして、日曜日はウィークデーより遅くても2時間以内に起きて昼間は活動的に過ごして、夜は少し早めに寝るというように、段階を踏んでいくことをオススメします。
『「ぐっすり」のための第一歩。まずは「朝」から変えてみる!』
快眠サイクルを整えるには、就寝時間に神経質になるよりも、朝の生活習慣を変えてみるのはどうですか、という提案です。

読書とは一つの<出会い>

2018年03月23日 16時31分31秒 | 社会・文化・政治・経済
未来の扉を開く

「伸びゆく心に感動を贈り、友愛や正義を伝える良質の活字文化は、絶対に死守していかねばならない」童話作家・小川未明

子どもの時に本を開くことは、とても大切なことだと思います。
読書とは一つの<出会い>です。
幼少期、また青春時代に読んだ本が、人生を大きく変えることがあります。
若き日に、魂が感動で打ち震えるよな読書体験を持つ人は本当に幸せです。
人生を変えるかもしれない1冊。
心の糧になる本を見つけてほしい。
本は人間の成長に欠かせないものたと思います。
「本を開くことは、未来の扉を開く」ことです。

なぜフィリピン人が110万人も亡くなったのでしょうか?

2018年03月23日 14時31分56秒 | 社会・文化・政治・経済
天皇皇后両陛下が訪問したフィリピンでは、日本軍将兵が51万人、フィリピン人が110万人亡くなったと言われています。

第二次大戦で、なぜフィリピン人が110万人も亡くなったのでしょうか?

アジア進出の足がかりとしてフィリピンを植民地化していたアメリカと、南方の資源を確保するための重要な拠点と考えていた日本が、太平洋戦争で激しく衝突した。
日本は現地でマカピリと呼ばれるフィリピン人部隊を組織、アメリカも抗日ゲリラとしてフィリピン人を組織する。双方の対立は、同じ村人どおしが互いに殺し合うまでに激化する。
今も癒えることのない傷が残る、フィリピン民衆の悲劇。
フィリピンにアメリカが進出してきたのは、1898年のことである。
10年近い戦いの末、アメリカはフィリピンを植民地にする。
アメリカにとってフィリピンは、本土からハワイを経由してアジアへと進出する、戦略上の重要拠点だった。
アメリカは、フィリピンに軍事基地を建設する。
アメリカは、地主などの有力者と協力してフィリピン統治を進めた。
まず、土地の所有権を役所に登録するよう義務付ける。
しかし、法律は民衆には十分周知されず、アメリカ人と結託した地主が、農民の土地を勝手に登録するケースが後を立たなかった。
土地を奪われた農民たちは、収穫の半分にものぼる高額の小作料を地主に払わざるを得なくなった。
生活の糧を失う人も出てきた。
こうして貧しい農民たちは、アメリカへの不満を募らせていく。
ついに貧困層を中心に編成された「サクダル党」が、アメリカ支配に対して立ち上がる。
1935年5月2日、サクダル党を中心とした5000人以上の群集が、フィリピン各地で役場や警察を襲った。
そのもっとも激しい戦いの場になったのが、「カブヤオ村」だった。
カブヤオ村は、マニラの南40キロ、ラグナ湖のほとりに位置し、米作りやラグナ湖で取れる魚などで生計を立てる貧しい村である。
サクダル党の人々は、村の中心にある教会に立てこもる。
カブヤオ村に住むラビ-ニャさん達兄弟も、当時サクダル党のメンバーだった父親と共に行動に参加した。
日本は、欧米諸国と対立し孤立を深めていた。
そのため日本は、インドネシアの石油など南方の豊かな資源を押さえる必要に迫られた。
その南方と日本を結ぶ中継点に位置するのがフィリピンだった。日本の掲げた大義名分は、大東亜共栄圏建設である。
欧米の植民地支配からアジアを開放し、共存共栄の新しい秩序を建設しようとするスローガンだった。
フィリピンを占領した日本は、社会からアメリカの影響を排除し日本文化の浸透を図る。
日本が特に力を入れたのは、教育だった。
アメリカ植民地時代の英語に替わり、日本語の教育が盛んに行われるようになる。
アメリカの影響を払拭しようとした日本、その試みは成果を上げ始めたかに見えた。
ところが、日本軍がフィリピンに60万人もの大兵団を投入したことが、やがて思わぬ結果を招く。
日本軍の食料は現地で調達せよと命じられたのである。
このためフィリピン社会は、深刻な食糧難に陥った。
こうしてカブヤオでは、日本軍に対して強い反感を抱く人達が生まれていく。
反日感情が高まると共に、各地でフィリピン人による「抗日ゲリラ」が次々と組織されていく。
その攻撃の矛先は、日本軍の軍事施設のみならず、日本人が経営する鉱山や日本に協力している人にまで向けられた。
悪化する一方のフィリピンの治安状況に、日本は懐柔策に踏み切った。
1943年10月4日、日本を後ろ盾として、「フィリピン共和国独立」が宣言される。
しかし抗日ゲリラの活動は激しさを増すばかりだった。
そこで日本は、フィリピン人の抗日ゲリラに対し、同じフィリピン人部隊・「愛国同志会」、通称「マカピリ」を対抗させたのである。マカピリに参加したのはアメリカ植民地時代に貧困に苦しんでいた人々で、4000人~5000人に上ったと言われている。
1945年8月15日、日本敗戦。9月3日にはフィリピンの日本軍もアメリカ軍の降伏文書に調印する。
日本の激戦に巻き込まれて犠牲になったフィリピン人は、110万人以上に上ったといわれる。
日本軍降伏後、日本軍に協力していたマカピリ兵士達は、抗日ゲリラの中に取り残された。
当時の映像にはリンチに遭う人々が映し出されている。
生き残った対日協力者達は、人々の憎しみを一身に浴びることになった。
抗日ゲリラによって秘密裏に殺害されたマカピリの数は、今も判明していない。
1946年7月4日、フィリピンは「アメリカの植民地支配を脱し独立」する。
ここにフィリピンは、400年にわたる植民地支配に終止符が打たれたのである
。しかしその後も、フィリピンにはアメリカ軍基地がおかれ続けた。
その規模は極東最大となる。軍事のみならず経済的にもアメリカに依存した関係が、戦後のフィリピンに続いた。
カブヤオ村は再び平穏を取り戻した。
しかし戦争で引き裂かれた人々の心の溝は、埋まることはなかった。
しかし抗日ゲリラによって家畜も家財も奪われてしまっていた。

【フィリピン政府の発表は
大半が餓死という説明です】

フィリピンが対日賠償要求の時に犠
牲数を111万1938名と伝えました。
(当時のフィリピンの人口は1600万人
です)

対日賠償要求の時に人命損害は民間
人の死亡者総数に1500ドルを乗じて
計算しました。

東京裁判ではフィリピンの犠牲者は
軍人 27258人、民間人 91184人
です。


新著「プライド」が好評

2018年03月23日 14時05分03秒 | 社会・文化・政治・経済
金子達仁さん
〈髙田延彦VSヒクソン・グレイシー――総合格闘技イベント「プライド1」の誕生秘話を描いた著作『プライド』を、昨年末に発刊した。歴史は、何かを懸けた人間の交わり

伝説の試合、高田延彦×ヒクソン・グレイシー。
20年の時を経てすべての関係者が重い口を開いた。
髙田延彦の悔恨、ヒクソン・グレイシーの恐怖、榊原信行の苦悩―。
三者の数奇なる運命の物語。
延べ50時間以上にわたる当事者、関係者への徹底取材が紡ぎだす、衝撃のノンフィクション!

新著「プライド」誕生の背景には、知られざる多くの人々の<ドラマ>があった。
現実の世界には<脇役>なんていない。
完敗した髙田さんと、日本の自信をへし折ったヒクソン。
だが、こうした単純な見方では捉えきれない、人間の葛藤や信念の交差が「プライド」の舞台裏にはある。
そこに着目した時、物語の広がりが生まれました。
人は、決して独りでは存在しません。
しがらみの中で、もがきながら前に進んでいて、それぞれの歩みに意味がある。
その実像を浮き彫りにできたと思います。
物事を関係性の中で描くとき、白か黒かという両極端な考え方を超えた、<もう一つの視点>を提示できるのではないか。
そして、人と人を結べるのではないか。
そんなふうに思い始めています。
今は、何でも調べことができる時代ですが、大事なことは、目の前の人の話に心を傾け、相手を分かろうと全力を注ぐことだと思います。
勇気をもって相手もとに飛び込む。
そして、「また、あなたに書いてもらいたい」と言われる仕事を続けてたいですね。
著者・金子達仁(たつとし)さん

迷いの先には救いがあるはず

2018年03月23日 13時29分23秒 | 社会・文化・政治・経済
自分を表現できた時人は輝く


自分の書く文章や絵に納得できず、迷う時期もあるようだ。
自分がその言葉に納得できなかったり、どんな言葉を選んでも<うそ>になると思うようにんる。
この言葉で、<人を傷つけてしまうのではないか>などと迷い出す。
考えだすと、表現すべき言葉が見つからなくなる。
だが、人は必ず迷うもの、<迷いの先にはきっと、救いがあるはず>と前向きとなる。
心が揺れ動いたらこそ、自分らしさを追求する。
誰にでも、自分らしく生きるための一つの手段として、「何かを表現したい」というものがあるとだろう。
それが詩・俳句・短歌や歌謡、合唱、楽器、舞踊などの場合も。


甲子園 国歌独唱 冨永春菜さん(茨城・水戸三今春卒業)

2018年03月23日 12時58分26秒 | 社会・文化・政治・経済
甲子園国歌斉唱

2018年3月23日に開幕する、第90回記念センバツの開会式・閉会式の司会と、開会式で国歌を歌う高校生が決まりました。
▼開会式司会進行
成松海悠さん(熊本・熊本一今春卒業)
第64回NHK杯全国高校放送コンテスト・朗読部門優勝
廣瀬久実さん(山梨・山梨学院今春卒業)
第64回NHK杯全国高校放送コンテスト・アナウンス部門優勝

▼閉会式司会進行
木村太飛〔たいひ〕さん(青森・北斗新3年)
第64回NHK杯全国高校放送コンテスト・朗読部門優秀(3位相当)

▼国歌独唱
冨永春菜さん(茨城・水戸三今春卒業)
第71回全日本学生音楽コンクール・声楽部門(高校の部)優勝



21代目となるセンバツ開会式・閉会式の司会進行は、今年も開会式2人、閉会式1人が選ばれました。
開会式の担当は、昨年行われたNHK杯全国高校放送コンテストのアナウンス、朗読部門の優勝者でともに3年生(この春卒業)。
閉会式の担当は2年生の中から、同コンテストで最も良い成績を残した人が選ばれました。
成松さんは、昨年の閉会式に続いて、センバツでは史上初めて2年連続の司会担当となりました。
NHK杯は前年、アナウンス部門の優秀を獲得。
今回は朗読部門で挑んで、見事に優勝。中学時代の夢は「大河ドラマのナレーション」と「甲子園開会式の司会」だったそうですが、後者が叶いました。
廣瀬さんは、甲子園常連の山梨学院に在校していました。
残念ながらダブル出場とはなりませんでしたが、山梨県から2002年以来の司会として、グラウンドに立ちます。
母親もアナウンサーが経験があるそうです。
木村さんは、青森県から9年ぶり4人目の甲子園司会となります(9年前は現NHKアナウンサーの副島萌生さん)。
中学は部活動に所属せず、高校から放送部に入って朗読を始めましたが、1年あまりでNHK杯の全国3位に入り、夢の舞台をつかみました。
冨永さんは、中学生は有志の合唱団に入っていました。
音楽科のある高校に進学して、片道2時間の通学という学生生活の中で、ソプラノに磨きをかけてきました。
テレビ東京系の「THEカラオケ★バトル」にも出演経験があり、将来はプロの歌手を目指しているそうです。
数々の高校生が鍛えた「声」を披露してきた、甲子園という舞台。
歴代の司会担当者の中からは後にアナウンサーや声優などになった方を輩出し、歴代の国歌を歌った担当者も全員がその後も声楽を続けていて、世界的に活躍している方もいます。今年担当する皆さん、ぜひ甲子園で最高のパフォーマンスを見せて下さい!

小1死亡、6年生の8倍=歩行中事故

2018年03月23日 12時04分47秒 | 社会・文化・政治・経済
横断歩道も注意―警察庁
3/22(木) 10:16配信 時事通信


 昨年までの5年間に起きた小学生の歩行中の交通事故を分析したところ、1年生の死亡者数が6年生の8倍に上ることが22日、警察庁の調査で分かった。

 死傷事故は道路の横断中が最も多く、うち4割は横断歩道上だった。

 4月6~15日の春の全国交通安全運動に向け、同庁の担当者は「新入生は1人で登下校するようになるので、思いやりの気持ちを持って運転してほしい」と呼び掛けている。

 警察庁によると、歩行中の小学生の死亡者数は過去5年間で計84人。うち1年生が32人を占め、4人だった6年生の8倍に上った。けが人を含めた死傷者数を人口10万人当たりで見ると、1、2年生に相当する7歳が全年代で最多で、午後3~5時の下校時間帯が特に多かった。

 道路横断中の死傷者は1万8841人。うち横断歩道のない場所での被害は1万262人だったが、横断歩道上も約4割に当たる7364人に上った。横断歩道での飛び出しや信号無視が計約1000件あったものの、小学生側の8割以上に違反などの問題はなかった。一方、車両側で明確に違反がなかったのは6件のみだった。 

救急車のサイレン

2018年03月23日 08時31分52秒 | 日記・断片
玄関の扉を開くと救急車のサイレンが微かに聞こえてきた。
何処へ向かうのかと耳を傾けていた。
近づいてきたようであり、遠くへ去っていくようにも聞こえた。
サイレンは風向きの影響や、井野団地の棟に反響して方向が定かではない。
だが、確実に芸大通りから右折したのだろう、サイレンがこちらに向かって近づいてきた。
八重洲団地の旧商店街を通過する赤色灯の点滅が3本内側の路地から見えた。
東6丁目で救急車のサイレンは止んだ。
どこの家停まってのか?
気になったが、東5丁目方面へ向かう。
知人の額田さんと東3丁目ですれ違う。
彼は道路の向かい側を歩いていた。
まだ暗いが、街灯で額田さんだと確認できた。
彼とは10年前に知り合ったが、独身のままだ。
60歳になっただろうか。
午前4時50分ころ家を出て、取手駅まで向かうのだ。
背が丸まった感じがした。
ゆっくりした歩みなので、約30分の道程だ。
50分後に散歩から戻ると西田さんに出会う。
「ピポピポ聞こえたので、耳にいったら、そこの佐藤さんだった」
「佐藤さんですか?」
「以前、脳梗塞で倒れているからね」
「そうですか、しりませんでした」
佐藤さんは、友人の林さんの中学の同級生のお父さんであり、以前、口論となったことがある。
相手が理不尽であり、黙っていられなくなったのだ。
いきなり1万円札を出し、「これで、何とかしてくれ」と信じられない対応であった。
お金の問題ではなく、心の問題であったのだ。
「変な人だね」と西田さんが言っていた。
「そなんです。変な人なのです」と苦笑する。
猫のタマが柿の木に突然、飛び乗る。
「降りてこい。散歩に行くよ」と西田さんが声をかけるが、タマは樹で爪を研ぐ仕草を繰り返していた。

日本独自の季節感

2018年03月23日 07時51分18秒 | 日記・断片
四季があることの意味。
日本人は古来から、季節の変わり目に敏感であった。
自らの人生の節目を季節に重ねてきた。
それは心に反映され、数々の詩歌を生み出してきた。
日本人を日本人たらしめてきたのは、まさに四季である。
農業国になったのも必然であろう。
「暑さ寒さも彼岸まで」日本独自の季節感でもある。
情緒的であり、知的な自然観に日本人の奥行きを感じさせるではないか。

ネット情報の問題は匿名性

2018年03月23日 07時01分59秒 | 社会・文化・政治・経済
どこの誰だか特定できないので、言いたい放題になることが問題の核心部分にある。
必然的に誹謗や中傷、人権侵害にもつながる。
立場が極めて曖昧で無責任であるので、言い逃れもできる。
確かに、指摘されているように、別人格が生まれる。
自動車を運転する時に、別人格になることに酷似しているだろうか。
発信者の狡さや卑屈さ、心の歪みなどが見え隠しているのだ。
匿名を盾に当人の本性を露骨に表出しているので、違和感が募るばかり。
時には、恥知らずの所業とも想われる。
僭越ながら、過去に人様を傷つけた自戒を込めて・・・
沼田利根