「私の人生の転機」を語

2018年03月18日 15時53分11秒 | 日記・断片
午後1時からの八重洲地区の会合へ参加した。
司会を頼まれなければ、東地区の会合へ行きたかったが、仕方ない。
歌の合唱、ビデオでは青年たちの世界的規模のイベントのダイジェスト版を放映。
プロジェクターを使用し、襖2枚をスクーリンにして映像を観た。
生で観たら凄い迫力であっただろう。
同じラップ調の歌をそれぞれの国の言葉で歌う構成になっていた。
日本語、英語、韓国語、スペイン語、フランス語、ドイツ語などで。
歌は世界の青年を一体化さるものだ。
ビデオのあとは、「私の人生の転機」を語るコーナーに。
一言では収まらず、時間が大幅に伸びたが、それぞれの方々の人生には色々な歩みと転機、原点となることも多々あったのだ。
涙を流し、声を詰まらせて語る人もいた。
終ってお茶をいただくが、赤飯も用意されていた。
和菓子、箱根の温泉饅頭を食べる。
参加したんは男性3人、女性5人。
お彼岸で墓参りに行った方や体調不良なので、4人の方が姿を見せなかった。

















伝えると伝わるは違う

2018年03月18日 12時08分58秒 | 社会・文化・政治・経済
伝えたつもり、が問題。
国民の目線で分かりやすく伝える。
子どもやお年寄りにも分かるように、難しい言葉は使わない。
とにかく易しく、分かりやすく表現をする。
一番大事なのは<間>。
相手が自分の言葉を受け止めるために間をとらないと、自分の言い分だけを押し付けることになってしまいます。

松尾芭蕉が説く「不易流行」
何時までも変化しない本質なもの(不易)である。

詩人マラルメの「火曜会」

2018年03月18日 11時37分03秒 | 社会・文化・政治・経済
夏目漱石の木曜会
マラルメの「火曜会」をまねたものと思われる。
来客の多さに耐えかね、木曜日を面会日と決めた。
夏目漱石宅で、漱石の教員時代の教え子や漱石を慕う若手文学者が集まり、さまざまな議論をした会合のこと。
毎週木曜日に開かれたのでこの名がついた。
1906年(明治39年)、漱石の家には小宮豊隆や鈴木三重吉、 森田草平などが出入りしていたが、同年10月中旬ごろ、鈴木三重吉が毎週の面会日を木曜日午後3時以降と定めた。これが後の「木曜会」の起こりである。
後に日本文学界を代表し「漱石山脈」と称される門下生や文士仲間が13,4人が訪れた事に始まる 。
当初は子規庵における「山会」やその後の「文章会」なの流れをくんだもの。

マラルメの「火曜会」
フランスでサロンが、イギリスでコーヒーハウスが、日本では茶の湯が生まれた。
いまでいえばコミュニティという言葉が合うだろうか。
そこで生まれる遊びから芸能の切磋琢磨が生まれることもあれば、社交の場として、人と人がつながりをつくった。
広告もコーヒーハウスから生まれたという。
どうやら19世紀フランスの代表的詩人のステファヌ・ マラルメは、よりクローズな空間で交流の場を持っていたようだ。『自宅での「 火曜会」にはモーパッサン、プルースト、ヴァレリー、ジッドをはじめとする多くの青年文学者芸術家が集まった。その影響は20世紀芸術の広範に及んでいる』

ステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842年3月18日 - 1898年9月9日)は、ポール・ヴェルレーヌやアルチュール・ランボーと並ぶ19世紀フランス象徴派の代表的詩人。
代表作に『半獣神の午後』『パージュ』『詩集』『骰子一擲』(とうしいってき、『サイコロの一振り』とも)、評論集『 ディヴァガシオン』など。
詩人ボードレール(1821-1867)に心酔した若いマラルメは、20 歳の頃にはすでに詩を発表し、やがて、リアリズムではなく「アナロジー(類推)」や「 サジェスチョン(示唆)」に基づいた新しい詩の作法を編み出しました。
イギリスの詩人エドガー=アラン・ポー(1809-1849)の熱心な支持者で、後にその仏語訳を手がけるようになるマラルメは、英語を修得し、地方で、次いでパリで英語教員となりました。

信号が必要な複雑な交差点

2018年03月18日 11時05分35秒 | 日記・断片
午前8時40分に待ち合わせをして小堀(おおほり)の赤峯宅での支部の会合へ行く。
取手市民会館へバイクで向かう春川さんが、見えた。
イベントでもあるのか、市民会館の駐車場が満杯であった。
今日は各地区で会合がある。
小堀地区は午前11時から、台宿地区は10時から、東地区は午後2時、小学校2年の桃ちゃんが司会を務めるので、会合に参加したこともない同級生の友達も参加するそうだ。
梅野台地区、八重洲地区が午後1時。
前回の青年部のイベントには、梅野台10人が参加、他の地区は2~3人なので、驚く。
その中には県大会出場に向けてテニスの練習を早退して参加した女子高校生もいた。
会合後お茶会となる。
温泉饅頭、串団子、濡れ煎餅、チョコレート、ミカンなどをいだく。
今日は台宿地区を除き、いつものメンバーが顔を揃えた。
帰りには、強引に直進を無視して横切る車と衝突しそうになる。
ウインカーも出していない。
ゴルフ場へ右折する車、柏方面へ向かう車、成田方面へ向かう車。
信号が必要なのに、複雑な車の流れはそれぞれの思惑で動く状態だ。
しかも、左から合流する車が運転席から見えにくいのだ。
事故が起こりそうなので、かえって運転が慎重となり、、事故は起きていない場所なのだ。









就学. 前の子どもに教育投資効果

2018年03月18日 05時16分13秒 | 医科・歯科・介護
ジェームズ・ヘックマン

ジェームズ・ヘックマン. シカゴ学派. 生誕(1944-04-19) 1944年4月19日(73歳) イリノイ州シカゴ.
国籍アメリカ合衆国
研究機関, 南カリフォルニア大学 · シカゴ大学. 研究分野, ミクロ計量経済 ...

「5歳までのしつけや環境が、人生を決める」

5歳までの教育が、人の一生を左右する――。


5歳までの教育がやる気や忍耐力を伸ばし人生を変えることを、ノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ ヘックマン教授が、著書『幼児教育の経済学』の中から明らかにする。
人生の成功で重要なのは、学力テストでは測れない能力だった!

今後日本が優先的に取り組むべき政策分野として、教育改革、労働・競争政策の見直し、人口高齢化対策の3つを挙げる。
中でも教育改革については、質の高い幼少期教育の提供が重要だと指摘。
人的資本の基盤を拡大することは、人口問題への対策としても有効だと説く。

就学. 前の子どもに対する教育投資効果に着目し、「就学後の教育. の効率性を決めるのは、就学前の教育にある」とする論文を、. 科学雑誌『Science』で発表しました。
彼はまた「恵まれな. い家庭に育ってきた子どもたちの経済状態や生活の質を高め. るには、幼少期の教育が重要である」 と主張しています。 就学前教育の有無が. 教育的、経済的な差を生み出す. ヘックマンが論文を書く際に依拠しているのは、1960年代. にアメリカで行われたペリー就学前計画の実験

ノーベル経済学賞受賞者のジェームズ・ヘックマン米シカゴ大学教授は、今後日本が優先的に取り組むべき政策分野として、教育改革、労働・競争政策の見直し、人口高齢化対策の3つを挙げる。

中でも教育改革については、質の高い幼少期教育の提供が重要だと指摘。人的資本の基盤を拡大することは、人口問題への対策としても有効だと説く。

同氏の見解は以下の通り。

<スキル形成と創造性重視の教育>

日本は若い世代への教育を改善することで、人的資本の基盤を拡大すべきだ。そのためには、社会的流動性の促進を目的として、質の高い教育を幼少期の早い段階から始める必要がある。

教育の主要目標として、受験にはあまり重きを置かないことだ。
人生の成功にとって重要なスキルやクリエイティビティを評価すべきだ。

学生が創造的であると同時に確かな情報に基づく議論で権威に挑戦できるように、教育する。権威への白紙委任や丸暗記の学習は減らす。そして学校や人生において、第2、第3のチャンスを与えるべきだ。

人間は、家族や学校、周辺環境によって形成し得る多様なスキルを有している。
能力は、遺伝的特徴によって不変なわけではない。賢い介入によって発展させることが可能なのだ。

多くの若者にとって見習い制度や職場内研修が重要な機会となること、そして大学が万人のためにあるわけではないことも認識すべきである。

<柔軟な労働市場と産業の新陳代謝>

第2に、日本は雇用や産業参入に関する規制を減らすべきだ。
変化に適応できる、より柔軟な労働市場、製品市場を創造しなければならない。

職場のルールや企業参入規制(の見直し)を通じ、変化に適応しやすくする。
働く人の移動を容易にする一方で、生産性の低い企業が退出し、生産性の高い企業が取って代わることを許容すべきだ。

<2種類の人口高齢化対策>

第3に、日本の人口は高齢化が進んでおり、フレッシュな人材が必要だ。ゲストワーカー(海外からの一時的労働者)の受け入れプログラムを通じたものでもよいから、移民にもっと門戸を開くべきである。

しかし、移住者を日本社会に同化させ、エンクレーブ(居留地)形成を避けることによって、日本の伝統的な価値観は守るべきだ。

そして、人口を有効な大きさまで押し上げるためのもう1つの道は、最初に述べたように、包括的なスキル形成を目指す(教育)政策を通じて、人々のスキルを強化することである。



*本稿は、特集「2018年の視点」に掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいています。

(編集:麻生祐司)

貧困の存在が固定化

2018年03月18日 05時10分57秒 | 社会・文化・政治・経済
生活保護を受けていない低所得者たち。
彼らは生活保護を受けていれば免除される国民健康保険税、医療費を支払わなければならない。
このために、保護基準以下の生活を余議なくされている。
近年は不安定な非正規雇用が一般化したので、極貧と背中合わせで生活している。
政府が極貧レベルを下げるような政策を進めると、貧困の存在が固定化していくだろう。
行く末はどうなるんもだろう。
国民が疲弊すると、国力は衰退していく。

貧困の悪循環は、貧しい家族は少なくとも3世代以上の貧困状態の罠に陥るという事で定義された。
そういった家族には貧困脱出の助けとなる知的・社会的・文化資本をもつ祖先がいなくなっているため、貧困から脱出するのには長い時間がかかる。
生活保護世帯の子どもが大人になって再び生活保護を受給するという「貧困の連鎖」の解消を掲げている。

これには、生活保護世帯の4割(25.1%)は出身世帯でも生活保護経験を持っており、生活保護における貧困の連鎖が確認された調査結果が背景としてある。
中でも母子世帯では、出身世帯で生活保護歴のある割合が3割以上となり、特に母子世帯における貧困の連鎖が強い上、母子世帯生活保護受給率(13.3%)は他の世帯(2.4%)と比較して高い(2008年比)。
福祉現場では子どもの頃に生活保護を受けていた母子家庭の娘が成長し、自分も母子家庭となり生活保護を受けて生活しているという親の生活様式の踏襲が見られるなど、生活保護の制定以来60年近くが経過し、3世代、4世代の受給世帯が現れている。

貧困世帯の性行動は活発で、最近は中学へ進学する頃から性行動が始まり、不特定多数の相手との性交渉も多く、避妊しないことによる性感染症の問題や10代の出産となり、それを防ぐ総合的な貧困対策が必要である。

母子世帯の学歴はふたり親世帯の学歴より低く、中卒は同世代女性の約3-4倍となっており、母子世帯の貧困や諸困難の背景に低学歴という問題がある。
学歴が低いほど就業率が低く、正規雇用率が低い。
非婚(未婚)世帯は中卒割合が22.5%で、同世代女性の6倍強で、増加傾向にある。

歌劇「ローエングリン」

2018年03月18日 04時45分23秒 | 医科・歯科・介護
ローエングリン』(Lohengrin)は、リヒャルト・ワーグナーのオペラ。
台本も作曲者によるもので、10世紀前半のアントウェルペンを舞台とする。
以降に作曲された楽劇( Musikdrama)に対し、ロマンティック・オペラと呼ばれる最後の作品である。
バイエルン王ルートヴィヒ2世が好んだことで知られる。
ディズニーランドに建つシンデレラ城、そのモデルとなったノイシュバンシュタイン城の城主として知られている。

第1幕、第3幕への各前奏曲や『婚礼の合唱』(結婚行進曲)など、独立して演奏される曲も人気の高いものが多い。
初演は1850年8 月28日、フランツ・リストの指揮によりヴァイマル宮廷劇場で行われた。
日本での初演は1942年11月23日、東京歌舞伎座で行われた藤原歌劇団の公演である。
演奏は東京交響楽団(現在の東京フィルハーモニー交響楽団。現在の同名の団体とは別)、指揮マンフレート・グルリット、主役のローエングリンは藤原義江が演じた。
堀内敬三訳の日本語訳詞で歌われたが、戦時中3時間を越える上演は禁止されていたため、内容を縮小しての上演された。
現在でも第3幕を数分間カットして上演されることが多い。

ローエングリン(テノール)白鳥の騎士。名前と氏素性は秘密だが、第3幕で明かされる。
エルザ・フォン・ブラバント(ソプラノ)ブラバント公国の公女。
フリードリヒ・フォン・テルラムント伯爵(バリトン)ブラバント公国の実権をねらう。
オルトルート(メゾソプラノ)フリードリヒの妻。魔法使い。
ハインリヒ・デア・フォーグラー(バス)東フランク王ハインリヒ1世。
ハインリヒ王の伝令(バス)
ゴットフリート(歌わない)エルザの弟。公国の世継ぎ。
ブラバントの貴族4(テノール2、バス2)
小姓4(ソプラノ2、アルト2)

第1幕[編集]
第1場
前奏曲。アントウェルペンのスヘルデ河畔。ハインリヒ王がハンガリーとの戦いのために兵を募る。そこへフリードリヒが現れ、ブラバント公国の世継ぎゴットフリートが行方不明になり、ゴットフリートの姉エルザに弟殺しの疑いがあるとして王に訴える。王はエルザを呼び出し、釈明を促す。
第2場
エルザは夢見心地の様子で、神に遣わされた騎士が自分の潔白を証明するために戦うと話す。王の伝令が騎士を呼び出す。すると白鳥が曳く小舟に乗って騎士が登場する。
第3場
騎士は、自分がエルザの夫となり領地を守ること、自分の身元や名前を決して尋ねてはならないことを告げ、エルザはこれを承諾する。「神明裁判」によって、フリードリヒと騎士は決闘し、騎士が勝利するが、フリードリヒは命を助けられる。

第2幕[編集]
第1場
夜のアントウェルペン城内。庭の物陰で、フリードリヒは妻オルトルートに、決闘に敗れた自分が追放処分になること、エルザに弟殺しの罪を着せるようけしかけたのはオルトルートであることをもらして、悪態をつく。オルトルートは、騎士が決闘に勝ったのは魔法を使ったためであり、名前と素性を言えと迫られるか、あるいは体の一部でも切り取れば魔法が解けるという。フリードリヒは気を取り直し、2人は『復讐の二重唱』を歌う。
第2場
バルコニーに現れたエルザにオルトルートは嘆いて彼女の同情を誘い、さらに騎士への疑念を吹き込む。オルトルートはキリスト教以前の神々として、男神ヴォータン、女神フライア(のちに楽劇『ニーベルングの指環』にも登場する)の名を呼ぶ。
第3場
夜が明けると王の伝令が現れ、フリードリヒがまがい物の力を用いて神前決闘を為したことを咎め、ブラバントから追放し、神聖ローマ帝国騎士の称号を剥奪することを宣言する。これにより、フリードリヒは、フリードリヒ・フォン・テルラムントからフリードリヒ・テルラムントになる。

続けて王の伝令は、騎士がエルザと結婚してブラバントの守護者となることを告げる。4人の貴族が東方出征への不満をもらしているところへフリードリヒが現れ、企てを話す。
第4場
婚礼の式のために礼拝堂へ向かうエルザ。『エルザの大聖堂への入場』の音楽。突然オルトルートが行列を阻んでエルザを罵り、素性の知れない騎士を非難する。
第5場
ハインリヒ王と騎士がやってくるところ、フリードリヒも群衆に向かって騎士が魔法を使っていると告発し、名前と素性を明かせと迫り、エルザは動揺する。
騎士はフリードリヒらをエルザから引き離し、「自分に答えを要求できるのはエルザただひとり」だと答える。
エルザは騎士の戒めを守る事を高らかに宣言したため、騎士は「さあ!神の御前に赴こう。」と促し、2人は礼拝堂へと入っていく。 その後姿を、一人恨めしそうに見つめるオルトルート。しかし気が萎えるどころか、ますます復讐の念を強める。
禍々しい者の勝利を確信した如き、不気味な音楽が流れて、幕が降りる。

第3幕
第1場
華々しい前奏曲のあと、『婚礼の合唱』(いわゆる「ワーグナーの結婚行進曲」)。
第2場
エルザと騎士は初めて二人きりになる。騎士はエルザに疑いの心を持たないように再三再四説く。
しかし、エルザは次第に不安が募り、夫に対する疑念にも似た気持ちは抑えられず、とうとう騎士の素性を問い詰め、騎士は困惑する。
そこへフリードリヒが仲間の貴族を率いて乱入し、エルザは即座に騎士に刀を渡す。
騎士は渡された刀でフリードリヒを一撃で倒す。するとそこにむなしくも悲しい空気が静かに漂う。
永遠のしあわせは瞬時に奪われたのだ。
暫くの沈黙の後、騎士は、お付きの女官に命じてエルザを着替えさせる。
第3場
場面転換の間奏はトランペットとティンパニの壮大なファンファーレ。
第1幕と同じスヘルデ河畔。
王や大衆はいよいよ色づくも、エルザはうなだれて足取りも重く、続いて旧テルラムント臣下が亡主の遺骸を掲げて入場する。そこに騎士が登場するが、「皆さんと戦いに赴く事が出来ない。」と宣言し、同時にエルザが禁問の戒めを破った事を訴え
た。騎士は続けて、悲しみ、苦しみ、逡巡するも、力を振り絞り、ハインリヒ王の前で、「私は、自分はモンサルヴァート城で聖杯を守護する王パルツィヴァルの息子ローエングリンだ」と名乗る(この名乗りの歌ではLohengrinを「ローヘングリン」のように発音するのが通例である)。
白鳥が小舟を曳いて迎えにやってくる。
ローエングリンは角笛と刀と指輪をエルザに手渡すが、指輪だけは丁重にエルザの手の中に置いた。
復讐を遂げた事に満足したオルトルートはあざ笑うが、ローエングリンが静かに祈りを捧げると、白鳥は人間に姿を変える。その白鳥こそ、ブラバントの正嗣であり、オルトルートの魔法によって行方不明にされていたゴットフリートだった。
叫び声を上げて倒れるオルトルート。ローエングリンが去り、エルザもまたゴットフリートの腕の中で息絶える。
なお、初稿では「ローエングリーンの名乗り」の後5分程度の「グラール語り」が書かれたが、後に削除されていて、更に実際の上演では、上述のギャラの協定によってもう5分程度カットされる。

歌劇「ローエングリン」とルートヴィヒ2世

2018年03月18日 04時23分35秒 | 社会・文化・政治・経済
ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)

ルートヴィヒ2世 (Ludwig II., 1845年8月25日 - 1886年6月13日)は、第4代バイエルン国王(在位:1864年 - 1886年)。神話に魅了され長じては建築と音楽に破滅的浪費を繰り返した「狂王」の異名で知られる。
ノイシュヴァンシュタイン城やバイロイト祝祭劇場を残し、後者には文字通り世界中より音楽愛好家が集まっている。
若い頃は美貌に恵まれ、多くの画家らによって描かれた。
廃位と謎の死. 2 ルートヴィヒ2世の精神病について18歳でバイエルン国王として即位し、美しい青年王として国民に熱狂的に迎えられたルートヴィヒ2世。
ワーグナーの音楽に心酔してその庇護者となり、ノイシュヴァンシュタイン城、リンダーホーフ城など夢のような豪華なお城を次々に建築するなど、「 メルヘン王」として歴史上では華やかな存在であるルートヴィヒ2世ですが、即位から22 年後、40歳でシュターンベルク湖で非業の死を遂げました。
今も世界中の人々の高い関心を抱いている。

ルートヴィヒ2世 ~多感すぎる青年王の困惑の婚約期間

多感すぎる青年王の困惑の婚約期間 憧れの人エリーザベトと婚約者ゾフィー・シャルロッテ ☆ こうして普墺戦争が一段落した頃、ルートヴィヒには生涯で一度となる「婚約」 という出来事が待ち受けていました。
ルートヴィヒは同性愛者として知られていますが、 父親の厳格教育と母親のカルヴァン主義的信仰の影響で、彼の女性観というものは極端に理想的なものでした。
女性の肉体的な面に惹かれたりということは全くなく、清らかな「聖処女」のイメージを女性には求め、それを崇拝したのでした。 ほとんど女性と親しい交流 はなかった。

ルートヴィヒ2世 青年王とワーグナー

ルートヴィヒとワーグナーの衝撃的な出会い ようやくスポットライトを浴びたドイツ・オペラ
☆ ルートヴィヒがリヒャルト・ワーグナーの作品を最初に知ったのは12歳の時でした。
その頃、ミュンヘンで歌劇「ローエングリン」が初演されたのですが、まだルートヴィヒにはオペラは早すぎると父に禁じられました。
やっと許されてミュンヘンの宮廷歌劇場にて初めて歌劇「ローエングリン」を鑑賞したのは、ルートヴィヒが15歳の時でした。
感動に胸を震わせ、はらはらと涙を流すルートヴィヒ。
その感激ぶりは周囲もあきれるほどでした。

生年月日:1845年8月25日
出身地:ニンフェンブルク宮殿
死没:1886年6月13日 (40歳)
設立団体:ミュンヘン工科大学..

男性更年期障害

2018年03月18日 03時54分08秒 | 医科・歯科・介護
男性更年期チェック
いつまでも若々しく元気でいるための 男性更年期 ...

何もやる気がしない、朝の目覚めがスッキリしない、身体がだるいなど、憂うつな気分にとらわれているあなた、ひょっとしたら男性更年期障害(LOH症候群)かもしれません。 女性だけの症状と思われがちな更年期障害ですが、実は男性にもあるのです。日本には600万人の潜在患者がいると推計されています。
特に中高年の働き盛りが要注意です。仕事のストレス等でうつ病と診断されていた人が、検査をしてみたら更年期障害だったということもあります。

更年期障害は女性に特有なものと思いがちですが、男性にも更年期障害はあるのです。
男性更年期の症状は、大きく3つに分けられます。 1.体の症状 2.心の症状 3.性の症状. 40代以降の男性に特有にある職場や家庭でのストレス、 ...


男性更年期と心の症状 - 男性更年期セルフチェック - 男性更年期とうつ病について - うつ病

男性更年期の心の症状は、テストステロン(男性ホルモン)が減少することにより、うつ状態や健康感の減少、不安感、無気力、不眠、ささいなことでイライラするなどの症状がみられます。
、「やる気がない」「怠けている」「年だからしょうがない」と勘違いされ、周囲の方から誤解を受けてしまうことはありませんか。

男性ホルモン「 テストステロン」の減少がもたらす「更年期障害」が疑われる症状。
最新の研究では
深刻なケースでは「認知症」「うつ」「心臓病」などを引き起こすこともある「現代病」であることが分かってきた。
働き盛りの男性を襲う意外なピンチ、その克服の処方箋に迫る。