創作欄 美登里の青春 4

2018年03月15日 20時28分42秒 | 医科・歯科・介護
2012年2 月17日 (金曜日)
「頑張れ」
励ましは、確かに重荷になる場合もあるだろう。
だが、真意が伝わるのなら、その励ましは背中を押す力になるはず。
真意が伝わりにくい世の中でもある。
善意が、悪意に捉えられることもあるだろう。
人間関係の微妙さである。
美登里は、勤務を休んで峰子の面会へ千葉県の松戸市内にある拘置所へ向かった。
そこは、まったく無縁な場所であり、1人で行くことに不安も覚えた。
本3冊とチョコレートを差し入れるため、前日それを買い求めた。
駅前の交番で拘置への道順を聞いた。
中年の警官が親切に教えてくれた。
椅子に座る若い警官はしげしげと美登里に視線を注いでいた。
教えられた女学校が右手に見えた。
それから公園を抜けた時、母子の姿を見た。
母親はどこか峰子に似ていた。
そして、3歳くらいの女の子を見て、峰子がどのような形で我が子を殺したのかを想ってみた。
拘置所の手前に小学校があったことは、意外だった。
受付で吉田峰子に面会に来たことを告げた。
用紙に面会する峰子の名前を書き、友人 佐々木美登里と記入、住所欄も書いた。
差し入れの包を出したら、「本は差し入れられますが、食べ物はだめです」と係りの人が言う。
「これはチョコレートなのですが、だめですか?」美登里は心外に思った。
「規則です。食べ物を差し入れたければ、所定の店で購入してください。外へ出て50メートルくらい先の右側に店はあります」と言われた。
待合室には和服を着た女性と目つき鋭い男が2人居た。
「あんた、初めて面会に来たんだね」
和服姿の女性が声をかけた。
「そうです」
美登里は改めて女性の顔を見た。
厚化粧であり、普通の女性には見えない。
髪をアップにして粋な感じがした。
30代後半の年ごろであり、顔は綺麗な感じがしたが、どこか異質である。
大きな瞳は人を圧倒するようで、押し出しの強さが漂っていた。
「三郎、案内してやりな」と女性は顎で若い男を促した。
椅子から立ち上がった男は、180cm以上背丈があった。
角刈りで高校生のようにも見えたが、目つきが鋭い。
「おねいさん、何処から来たの」
突き刺すような目とは裏腹に、声は意外に優しかった。
「川崎市の登戸からです」
「登戸? どの辺?」
美登里は男の大きなスニーカーに目を落としていた。
自分の靴の倍くらい大きい。
「小田急線の登戸駅から来ました」
「そうなんだ。遠くからきたんだな」
若者が笑うと白い歯が見えた。
歯並びがいいなとそれを見た。
店のガラス扉を男が開けてくれた。
店は2坪くらいで狭く、果物、菓子、下着を含めて日常雑貨製品が棚に収まっていた。
60代と思われる男性が店番をしていた。
チョコレートとバナナを買った。
それを店の人がケースに収めた。
ケースごと峰子宛に店から届けられる仕組みだった。
面会室は5つあった。
美登里は3番の札を渡された。
着物姿の女性と男性2人は5番。
1番、2番は面接中。
男はたちは、ほとんど無言であった。
どのような人たちなのだろう?
美登里は気にした。
そして、峰子と面会したら、どのような言葉をかけようかと考えた。
「頑張って」と言うべきか?
峰子は泣くだろう、自分も泣くに違いない。
美登里はバックからハンカチを取り出した。

2012年2 月19日 (日曜日)
創作欄 美登利の青春 5
拘置所の面会室は、3人も入れば一杯といった感じであった。
美登利が席に着いたと同時に、扉が開いて女性の係官に先導されて、峰子が姿を現わした。
ガラスの窓越しに見た峰子は、一瞬、笑顔を見せたが、直ぐに涙を浮かべた。
化粧をしていない峰子の頬は青白く、目の周囲は赤く泣き腫らしたままであった。
小さな丸い穴があいたプラスチック製の窓越しに二人は相対した。
「来てくれて、ありがとう」
美登利は黙ってうなずいた。
「来週の火曜日に、初公判があるの。来られたら来てね」
「火曜日なのね?」
「午前中なの」
面会時間は約20分。
峰子の背後に座る係官が二人の会話をメモしていた。
「私のこと、驚いたでしょ」
「驚いたわ。私、新聞読んでいないの。それにテレビもあまり見ていないし、峰子のことは手紙をもらって初めて知ったの」
「そうなの。何も私のこと知らなかったの? 誰かに聞かなかったの?」
峰子は思い出したのだろう、肩を震わせて泣いた。
頭を深く垂れたので長い髪が顔を覆った。
抑えた嗚咽がいかにも悲しい。
美登利は峰子が哀れれに思われ、咽び泣いた。
そのまま、暫く時間が経過した。
あれを言おう、これを言おうと電車の中で思っていたが、美登利の頭は真っ白になった。
特に美登利は、自分が信奉している宗教の教えを峰子に伝えようとした。
係官はペンを止めて二人の姿を冷やかに見ていた。
やがて面会終了の時間が告げられた。
「頑張ってね」
扉の向こうに峰子が姿を消す瞬間、美登利は声をかけた。
峰子はラフな水色のジャージ姿であった。
美登利が3番の面会室の外へ出るとほとんど同時に、和服姿の女性たちも5番の面会室を出てきた。
「あんた、松戸駅まで行くんだろう?」と背後から声をかけられた。
「はい、そうです」
美登利は振り向いて和服姿の女性を見つめた。
「駅まで車で送って行っておげる。遠慮はいらないよ」
強引な言い方であった。
美登利はうなずく他なかった。
「三郎、車を玄関によこしな」
「ハイ、ねいさん。直ぐに車とってきます」
三郎と呼ばれた男が駐車場へ走り出していく。
もう1人の男は、紙袋を抱え和服姿の女性の背後に立っていた。
この男も角刈り頭で三郎ほど背丈はないが、がっしりとした体形である。
「孝治 今度の公判は何時と言っていた?」
「親分の後半は、来週の火曜日、午後1時です」
「そうだったね」
和服姿の女性が玄関の外でタバコをくわえると、男が素早く脇からライタを取り出した。
間もなく、拘置所の玄関の外に黒塗りのベンツが横付けされた。
男二人が前の席に乗り、美登利は和服姿の女性の隣に座った。
「面会の相手は、誰なの?」
和服姿の女性は横目に美登利を見た。
「友だちです」
「男だね?」
「女性です」
「女? 罪は?」
前の席の男二人が背後に目を転じた。
「親子心中です。子どは亡くなり、友だちは死ねなかったのです」
「そうかい。じゃあ、殺人罪だね」
和服姿の女性は眉をひそめた。



2012年2 月19日 (日曜日)
創作欄 美登利の青春 6
「私の名前は、米谷明美。あんたと拘置所で会うなんてね」
和服姿の女性は名乗ると頬だけで笑った。
大きな瞳は人を射るようであった。
厚化粧で隠されていたが、左頬にナイフでの切り傷があった。
「お茶、ご馳走するから、私の店へ寄っていって」
松戸駅が近くなった時、米谷明美が美登利を誘った。
深く関わりたくない人たちであるから、美登利は断ろうとしたが、言い出せなかった。
松戸駅の傍のデパートの裏側の道路に面したビルの1階にその店はあった。
男二人は店の前で米谷明美たちを降ろすと走り去って行った。
後で知ったのであるが、広域暴力団S連合箱田組の男たちであり、組事務所は新松戸駅から歩いて10分ほどの商店街沿にあった。
明美の店の名前は、「パブ新宿」。
夜の営業時間は午後7時から午前2時までであった。
午前11時から午後5時まで軽食喫茶店として営業されており、女子高校生たちの溜り場となっていた。
「私ね。高校生の頃は、東京の新宿歌舞伎町で遊んでいてね。今は流れ流れて松戸。この店ご覧のとおり、女子高生が多いでしょう。私と波長は合うのね。彼女たち私に色々相談ごとするの」
女子高校生たちを見つめる明美の瞳が優しくなった。
「窓際に居るあの声が大きい子、スケ番なの。昔の私のよう」
美登利はその女子高校生を見た。
よく動く大きな目が特長で、明美のように人を射るような輝きをしていた。
20歳で子ども産んだ明美には19歳の息子がいた。
フェザー級のプロボクサーであった。
「今度の土曜日、午後7時に後楽園ホールで試合があるの。来てね」
明美はチケットをカウンターのテーブルに置いた。
美登利はコーヒーカップを置き、そのチケットを手にした。
ボクシングの試合を見たことがなかった。
「ボクシングですか? 試合見るの、怖くありませんか?」
美登利は病院の医療事務職であるが、血を見るのは苦手である。
明美は肉弾がぶつかり、激しく打ち合う迫力に血がたぎる思いがして、試合にはいつも興奮した。
美登利は断りきれず、後楽園ホール行く約束をして明美の店を出た。

2012年2 月21日 (火曜日)
創作欄 美登里の青春 7
松戸の裁判所での初公判の光景は、美登里にとって衝撃的であった。
傍聴人は男性が2人、女性は美登里を含めて3人、地元の千葉の新聞社など報道関係者が2人であった。
表面の扉が開き裁判長らが入廷して、全員が起立した。
そして、右側の扉が開き、手錠、腰縄の姿で刑務官に先導されて峰子がうな垂れて入廷してきた。
席に着く前に、峰子の手錠、腰縄が外された。
峰子はうつむいたままで、一度も傍聴席に目を向けることはなかった。
美登里は濃紺の地味なスーツ姿であり、化粧もしていなかった。
初めに検事が詳細に罪状を述べた。
それから国選弁護人が医師の診断書に基づき峰子の弁護をした。
峰子は犯行半年前から地元松戸市内病院の精神科に通院していた。
さらに、東京・四谷に住んでいた時には、信濃町の大学病院の精神科にも通院していた。
弁護士は、犯行時に峰子が心神喪失状態であったと主張した。
裁判官3人が顔を見合せながら言葉を交わしていた。
そして、裁判官が、「次回公判は3月24日、火曜日、午前11時、それでいいですか」と弁護人に尋ねた。
弁護人は、手帳を確認してから、「結構です」と答えた。
裁判所を出て、美登里は前回と同様に本とチョコ―レートとバナナを差し入れるために、拘置所の所定の店へ行った。
その店で美登里は、暴力団員の三郎に再会した。
「親分の裁判が、午後1時にあるんだ」と三郎が言う。
美登里は罪状が何だろうと思った。
拘置所へ行くと三郎が「ねいさん」と呼ぶも米谷明美が居た。
「2週続けて、拘置所に来るなんて、あんた、偉いね」と明美は微笑んだ。
明美はこの日は和服姿ではなく、豊か胸が大きく開いた花柄模様のワンピース姿であり、妖艶な感じがした。
明美は39歳であり、19歳の息子が居る母親の姿とは思われない。
明美は和服姿の時は髪をアップにしていたが、この日は長く髪は下ろしていたので、若く見える。
美登里は、後楽園スタジアムでのボクシングの試合の観戦に誘われ、チケットまでもらったのに、その試合に行かなかったことを明美に謝罪した。
「いいよ。気にしなくとも。息子は判定で試合に負けた。あの子は性格が優しいから、ボクシングに向いてないかもしれない。攻めきれなかった」
美登里は、どのように言うべき分からずうなずいた。
美登里はその日、休むわけにいかず、午後から病院の勤務に向かい、その日は午後8時まで残業をした。

ホーキング博士が76歳で亡くなった

2018年03月15日 19時54分57秒 | 社会・文化・政治・経済
ホーキング博士は、時空を“超越”した物理学者だった
3/15(木) 12:12配信

長年の間筋委縮性側索硬化症(ALS)と闘い続けたホーキング博士

PHOTO: FREDERICK M. BROWN/GETTY IMAGES
スティーヴン・ホーキング博士が、3月14日に76歳で亡くなった。地球上で最も有名な物理学者である彼は、実は多くの“間違い”もしている。

ホーキング博士が、「人類の未来」について語っていたこと

彼は一時期、物理学においてあり得ないとされていたにもかかわらず、ブラックホールが情報を破壊すると考えていた。
そして6,000光年の彼方にあるX線源のはくちょう座X-1は、ブラックホールではないと考えていた(のちにブラックホールであることが判明した)。
彼は宇宙において質量が実在する間接的な原因であるヒッグス粒子を、誰かが発見するだろうとは考えていなかった(欧州原子核研究機構の研究グループが2012年にを発見した)。

だが、ホーキングは多くの点で正しくもあった。
彼と物理学者のロジャー・ペンローズは、一般相対性理論に基づく「特異点定理」と呼ばれる概念を説いた。
それはいかなる人間も直接的には観測できないような世界だが、ホーキングの精神はそれをつぶさに“見る”ことができるほど特異なものであるか、あるいは想像できたのである。

彼の計算によって、若い宇宙が量子スケールの変動であるインフレーションを通して膨張・成長し、われわれの周囲にある銀河ができあがったことが理解されるようになった。
人がいつかほかの銀河を訪問することはないだろうし、また量子の世界がわれわれの技術において、われわれにその存在を示すことはないだろう。だが、ホーキングはその両方を思い描いていた。

また、彼はブラックホールはときに爆発するのだと計算していた。それは最高のヴィジュアル・エフェクトの使い手でさえも描写が困難なイメージだろうが、彼はそれらを人々に説明することもできたのである。

ホーキングは2009年に退任するまで、ケンブリッジ大学のルーカス教授職にあった。
アイザック・ニュートン、チャールズ・バベッジ、そしてポール・ディラックが就いていたのと同じ地位だ。

そして科学で示される最も難解な概念のひとつに関する卓越した普及者でもあった。
1988年の著作『ホーキング、宇宙を語る』は1,000万部以上ものベストセラーになっている。

彼は変性疾患である筋萎縮性側索硬化症(ALS)の合併症のために電動車いすに乗り、合成音声によって話した。
そして「ビッグバン☆セオリー ギークなボクらの恋愛法則」や「新スタートレック」のようなテレビドラマに出演し、マニアックな発言をしたりもしていた。

そんなイメージは、20世紀後半の「科学者」像を決定づけた。
おそらく、アルベルト・アインシュタインの乱れた髪型とドイツ訛りとが、20世紀前半のそれを決定づけたのと同じくらいに。それはホーキングが聡明な人物であるだけでなく、ユーモアを兼ね備えた人物だっらからだろう。
あるいは少なくとも茶目っ気があったのだ。

ホーキングいわく、彼は問題の多い学生だったのだという。1963年に21歳でALSであると診断され、彼はあと2年しか生きられないと考えた。だが、病気はそれほど早く進行しなかった。

そのとき、ホーキングは次のように述べたという。「驚くことに、わたしはこれまで以上に現在の生活を楽しんでいることに気づきました。わたしは自分の研究を進め始めたのです」

車椅子の使用によって移動速度が制限されていながら、彼は研究に向かって危険なまでに加速した。彼はタイムトラヴェラーのためのパーティーを開くことによって、タイムトラヴェルが存在しないことを証明したことがある。
なぜなら、そのパーティーが終わるまで招待状を出さなかったからだ。
結局のところ、誰も来なかったのである[編註:タイムトラヴェラーなら、パーティー終了後に招待状を受け取っても過去にさかのぼって出席できる、という理屈だった]。

創作欄 美登里の青春 2

2018年03月15日 12時46分01秒 | 創作欄
2012年2 月14日 (火曜日)
創作欄 美登里の青春 2
人には、色々な出会いがあるものだ。
美登里は、徹と別れた後、思わぬところで男と出会った。
小田急線の下北沢駅のベンチに座っていると、新聞を読みながら男が脇に座った。
横顔を見て、「ハンサムだ」と思った。
ジャニーズ系の顔だ。
男は視線を感じて、美登里に目を転じた。
「こんにちわ」と男が挨拶をして、ニッコリと微笑んだ。
女の心をくすぐるような爽やかな笑顔である。
「女の子にもてるんだろうな」と想いながら、美登里も挨拶をした。
「君は、競馬をやるの?」
男は新聞を裏返しながら言う。
甘い感じがする声のトーンであった。
「競馬ですか? やりません」美登里は顔を振った。
「明日はダービーがあるんだ。一緒に府中競馬場へ行かない?」
赤の他人からいきなり意外な誘いを受けた。
21歳の美登里は、妻子の居た37歳の徹が初めての男であった。
目の前に居る人物は、徹とはまったくタイプの違う20代と思われる男だ。
「あなたと初対面だし、競馬をやらないので行けません」美登里は断った。
「そうか、残念だな。もし、来る気になったら、内馬場のレストランに居るから来てね。競馬仲間とワイワイやっているから」
美登里は愛想笑いを浮かべて、うなずいた。
男が読んでいたのは、スポーツ新聞の競馬欄だった。
急行電車が来たので、それに乗る。
徹は美登里の存在を忘れたように、新聞に埋没していく。
美登里は登戸駅で降り時に、脇に立つ男に挨拶をした。
「お会いできて、光栄です」控えめな性格の美登里自身にとって、想わぬ言葉が口から出た。
「ではね」
男は爽やかに笑った。
「また、何処かで出会うことがあるだろうか?」美登里は電車を見送った。
男は新聞に目を落としたままであった。
美登里は徹との別れを苦い思いで振りかえった。
最後は痴話喧嘩となった。
徹は美登里の気持ちを逆撫でにした。
徹は妻が妊娠していることを、無神経にも美登里に告げたのだ。
「そんなこと、どういうつもりで、私に言うの」
徹はバツが悪そうに沈黙した。
「この人は、都合が悪いと黙り込むんだ」
美登里は徹が風呂に入っている間に、怒りを込めたままホテルを出た。
渋谷のネオン街全体が、美登里には忌々しく想われた。

2012年2 月15日 (水曜日)
創作欄 美登里の青春 3

あれから3年の歳月が流れた。
それは24歳の美登里にとって、長かったようで短かったようにも思われた。
徹と別れたが、気持ちを何時までも引きづっていたことは否めなかった。
美登里の当時の職場は、徹の職場の九段下に近い神保町。
美登里の伯父が経営する美術専門の古本店であった。
現在の職場は、東京・新宿駅の南口に近い国鉄病院(現JR病院)の医療事務である。
その日、小田急線登戸駅沿いのアパートへ帰り、ポストを確認すると茶封筒があった。
裏を返すと友だちの峰子の手紙であった。
お洒落な封筒を好む峰子が、何故、茶封筒なのだろう?
美登里は部屋の灯りの下で、着替えもせず封を切った。
「ご無沙汰で、このような手紙を書くのを許して。私は今、千葉県松戸の拘置所の中にいるの。会いに来てね。その時、何か本を差し入れてね。それから大好きなチョコレートが食べたいの。それもお願い、差し入れてね。私は3歳の娘と心中したのだけれど、娘だけが死んで私は生きてしまったの。死ねばよかったのに、何という皮肉なの。待っています。必ず会いに来てね」
美登里は息を止めたままその手紙を読んだ。
想像はどんどん拡がっていく。
情報が乏しい中で頭を巡らせながら、何度も立ったまま手紙を読み返した。
美登里は新聞を購読していない。
テレビもあまり見ない。
峰子のことは、当然、マスコミで報道されただろう。
美登里は段々頭が混乱してきた。
思えば徹との問題で峰子に相談したことがあった。
「焦ることが、一番、いけない。時間が解決すると言われているわね。今は美登里にとって冬なの。冬は必ず春となる。そうでしょ、自然の摂理でしょ」
あの時、峰子は言った。
そして、妻子のある徹との別れは、意外な展開でやってきた。

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創作欄 美登里の青春

2018年03月15日 12時31分14秒 | 創作欄
2012年2 月 8日 (水曜日)

「あの夏の日がなかったら・・・」
美登里はラジオから流れているその歌に涙を浮かべた。
歌を聞いて泣けたことは初めてであり、気持ちが高ぶるなかで手紙を書き始めていた。
「なぜ、あなたを愛してしまっただろう。冷静に考えてみようとしているの。あなたは遊びのつもりでも、私の愛は真剣なの。でも、陰でいることに耐えられない。18歳から21歳までの私の青春が、あなたが全てだったなんて、もう嫌なの」
そこまで書いたら、涙で文字が滲んできた。
美登里は便せんを二つに割いた。
泣いて手紙を書いていることを、徹に覚らせたくはなかった。
美登里は日曜日、信仰している宗教の会合に出た。
そして会合が終わり、みんなが帰ったあと1人残った。
先輩の大崎静香の指導を受けるためだ。
「美登里さん、私に何か相談があるのね。元気がないわね。会合の間にあなたを見ていたの」
指導者的立場の大崎は、説法をしながら壇上から時々美登里に視線を向けていたこを美登里も感じていた。
美登里と6歳年上の大崎は、性格が明るく生命力が漲り、常に笑顔を絶やさない人だ。
そして何よりも人を包み込むような温かさがあった。
人間的な器が大きいのだと美登里は尊敬していた。
「この人のように、私もなれたら」美登里は目標を定めていたが、現実を考えると落差が大きかった。
大崎は美登里の話を、大きく肯きながら聞いていた。
「それで、別れることはできないのね」
大崎が美登里の心を確かめるように見詰めた。
「そうなの」
美登里は涙を流した。
「それなら美登里さん、日本一の愛人になるのね」
美登里はハンカチを握りしめながら、大崎の顔を怪訝そうに見詰めた。
「日本一の愛人?!」心外な指導であった。
大崎は当然、美登里に対して、「相手は、妻子のある男なのだから、別れなさい」と指導すると思っていた。
改めて、美登里は尊敬する大崎の包容力の大きさを感じた。
そして、美登里は決意した。
「私は、日本一の愛人にはなれない。徹さんと別れよう」

創作 娘夫婦が同居した日々

2018年03月15日 12時19分20秒 | 創作欄
2012年1 月 6日 (金曜日)

娘夫婦は東京の北千住のマンションに住んでいたが、子どもが生まれて実家に戻って来て、貴子たち同居することになった。
半年が経過した頃から、貴子はイライラが募ってきた。
孫娘は夜中によく泣いた。
貴子は熟睡ができずに睡眠不足のまま朝を迎え家事をした。
夫は午前5時30分に起きて、自動車で千葉県市川市内の仕事場へ向かう。
娘の夫は歯科技工士であり、深夜に帰宅する日が続いていた。
娘は、「子育てに精いっぱい」と自分の夫の食事の支度を母親任せにしている。
「私のことを、お手伝いの婆やと思っているんじゃないの!」と貴子は声を荒げた。
「ごめんね、おかあさん、暫く頼むわ」
娘はニヤリと笑って申しわけ程度に首を竦めるだけだ。
睡眠不足が重なったので、貴子は寝室を2階から1階に移した。
そして、2世帯住宅のつもりで、夫と自分だけの食事の支度をした。
娘に甘い夫は、酒を飲んで帰宅すると娘たちの部屋へ顔を出して出て来ない。
そればかりではない、娘の夫の食事の支度までやった。
夫は現在、宅建の資格をとって不動産業をしているが、貴子が結婚した頃は東京・日本橋の料理屋の板前をしていた。
だが、35歳の時に夫は、兄に説得され建設業に転じた。
色々な経緯があって、夫の兄の建設業は借金を重ねた挙句に倒産した。
「いずれ、料理屋を開くという貴方と結婚したのに、兄さんにさんざ利用されるだけ利用されて、放り出されたのね」
貴子は嫌味を並べたが、夫は詫びるわけではない。
不機嫌に黙り込み、朝から酒を飲んで憂さを晴らしていた。
45歳になって貴子は、近所の不動産屋の事務として働きだした。
失業した夫は50歳であった。
「中途半端な年齢なんだ、どこも雇ってくれないな」
夫は職安から帰ると冷蔵庫からビールを取り出して飲んだ。
息子は自動車販売のセールマンとなっていた。
娘は歯科衛生士として、歯科医院に勤務していた。
貴子は寝れない夜、夫が失業していた頃のことを思い出した。
「明日は、娘夫婦に家を出てほしい」とハッキリと言おう。
決意をすると、貴子は深い眠りにつくことができた。

初めてチェーホフの小説を読む

2018年03月15日 12時08分31秒 | 医科・歯科・介護
2012年1 月 2日 (月曜日)
些細なことには、怒ることはよそう。
新年にあたり、指針として人生の師は、「朗らかに生きよう」と呼びかけた。
腹は立てるもではなく、腹を揺する。
つまり、笑い飛ばして、力強く歩むのだ。
神奈川県の小田原で昼食のために、その店に入る。
主人らしい50代の男性と、30代と20代と思われる店員が居た。
そして、厨房に1人。
ところで、主人はことあるごとに、20代の店員に文句を言っていた。
「遅い! 早く」
「ぼんやり、立っているんじゃない。かたずけろ」
「何度、言わせるんだ。早く」
「お茶が出てない。先にお茶を出すんだろ」
「ハイ分かりました」
「ハイ、すいません」と若者は感情を表に出すこともなく率直に返事をしていた。
食事をしながら若者の様子が気になりだした。
立ち居振る舞いが、緩慢なのだ。
知的障がい者のようにも思われた。
徹はイジメにあっても、何時も何事もなく微笑んでいた若者がいたことを思い出した。
それは、学生のころにアルバイトをしていた東京・新宿の居酒屋でのことであった。
ある日、終電に乗り遅れて、徹は若者のアパートに泊めてもらった。
歌舞伎町から職安通りを渡り、柏木の若者が住む古い木造のアパートへ向かった。
4畳半一間の部屋には、机と本箱だけがあった。
読みかけであったのだろうか、机の上にチェーホフの短編集があった。
本棚に目をやると、露西亜の作家の単行本が多かったので、「ロシアが、好きなの」と聞いてみた。
「18世紀、19世紀のロシアが好きだね。でもソ連は嫌だ」と微笑んだ。
徹はフランス文学やドイツ文学、そしてイギリスの文学を好んでいた。
露西亜文学に対しては、暗く重苦しいイメージを抱いていたのだ。
「チェーホフの短編集、君に貸すよ。認識を変えてほしい」
若者は頬を紅潮させて、はにかむように言った。
徹は裸電球の下で、ページをめくった。

「人づくり革命」

2018年03月15日 11時40分46秒 | 社会・文化・政治・経済
誰でも何歳になっても能力を発揮できる社会を目指す。
教育の無償化や「学び直し」
社会保障制度改革などテーマに。
「新卒一括」の見直しなど企業の採用の多元化や、高齢者雇用のあり方がテーマ。

政策パッケージ】政府が政策パッケージを閣議決定 2兆円規模「人づくり ...

2017年12月8日 - 政府は8日の臨時閣議で、2兆円規模の政策パッケージを決定した。
安倍晋三政権の看板政策「人づくり革命」と「生産性革命」の実現に向け、平成32年4月からの幼児教育の…
平成29年11月1日 基本方針 | 平成29年 | 政府の基本方針 ... - 首相官邸


2017年11月1日 - 緊迫する北朝鮮情勢、急速に進む少子高齢化。
まさに国難とも呼ぶべき事態に立ち向かい、この国を、守り抜く。
その決意の下、この度の総選挙において、政策を訴え、国民の皆様から力強い御支持を頂くことができた。 安定した政治基盤の上に、北朝鮮の脅威に対して、国際社会と連携しつつ、毅然とした強い外交を推し進め、国民の命と平和な暮らしを守り抜く。
生産性革命と人づくり革命を車の両輪として、少子高齢化に立ち向かう。
国民の負託に応えるため、内閣一丸となって、以下の政策を推し進め、 ...
新しい経済政策パッケージ - 内閣府

2017年12月8日 - 等学校教育、高等教育、更には社会人の学び直しに至るまで、生涯を通じて切. れ目なく、質の高い教育を用意し、いつでも有用なスキルを身につけられる学. び直しの場が、 安定的な財源の下で提供される必要があるほか、高齢者向けの. 給付が中心となっている我が国の社会保障制度を、子供・若者から高齢者まで. 誰もが安心できる「全世代型の社会保障」へ大きく転換していく必要がある。
その重要な鍵を握るのが「人づくり 革命」、人材への投資である。
これまで. も政府は、誰もが生きがいを持って ...
人づくり革命原案:自公幹部、官邸に抗議「党内議論ない」 - 毎日新聞

2017年11月9日 - 自民党の岸田文雄、公明党の石田祝稔両政調会長は9日、人づくり革命に関する2兆円規模の政策パッケージの政府原案について、与党内の議論を経ていないとして、電話で首相官邸に抗議した。
2017年12月8日 - 等学校教育、高等教育、更には社会人の学び直しに至るまで、生涯を通じて切. れ目なく、質の高い教育を用意し、いつでも有用なスキルを身につけられる学. び直しの場が、 安定的な財源の下で提供される必要があるほか、高齢者向けの. 給付が中心となっている我が国の社会保障制度を、子供・若者から高齢者まで. 誰もが安心できる「全世代型の社会保障」へ大きく転換していく必要がある。
その重要な鍵を握るのが「人づくり 革命」、人材への投資である。これまで. も政府は、誰もが生きがいを持って ...

下請取引の適正化・改善急務

2018年03月15日 11時22分55秒 | 沼田利根の言いたい放題
「下請けいじめ」を指導した件数は6302件、過去最高 公正取引委員会
雇用全体の7割を占める中小企業。
大企業の利益増がきちんと下請けにまで届く流れをつくることが重要だ。
日本経済を支える中小企業を成長させ、従業員の賃上げをしやすい環境を整えることができれば、景気の好循環が生まれてくる。
山口善行・立教大学名誉教授
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不当な買いたたきや減額
値引きセールする目的で、下請け代金から減額

下請けいじめは、結局、下請け企業を困らせ、商品が売れない原因となる。
雇用全体の7割を占める中小企業の従業員の賃上げがらなければ、物を買う余裕がなくなる。
この基本原理が分かってない。
沼田利根
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中小企業庁:下請取引の適正化等について、親事業者等に要請します
www.chusho.meti.go.jp > ... > 経営サポート > 取引・官公需支援 -
2017年11月15日 - 我が国の経済は、景気の緩やかな回復基調が継続する中、中小企業の業況も緩やかに改善していますが、原材料価格の上昇や人手不足への懸念等、中小企業を取り巻く環境は依然として厳しい状況にあります。
こうした経済情勢を踏まえ、経済産業省は、親事業者(約21万社)等に対し下請取引の適正化等について要請します。
具体的には、 下請代金支払遅延等防止法の遵守、金融繁忙期の下請事業者の資金繰りへの配慮、 適切な取引価格の決定、原材料価格等の上昇への配慮、消費税の円滑 ...

下請取引の適正化等について、親事業者等に要請します(METI/経済産業 ...
2017年度一覧 2017年11月15日 - 我が国経済は、景気の緩やかな回復基調が継続する中、中小企業の業況も緩やかに改善していますが、原材料価格の上昇や人手不足への懸念等、中小企業を取り巻く環境は依然として厳しい状況にあります。
こうした経済情勢を踏まえ、経済産業省は、親事業者(約21万社)等に対し下請取引の適正化等について要請します。
具体的には、 下請代金支払遅延等防止法の遵守、金融繁忙期の下請事業者の資金繰りへの配慮、 適切な取引価格の決定、原材料価格等の上昇への配慮、消費税の円滑かつ ...

中学生にようサイバー犯罪

2018年03月15日 10時57分06秒 | 社会・文化・政治・経済
女子中学生はツイッターを通じて、21歳の女性からコンサートチケットを8万円で購入する約束をし、入手した女性の個人情報を利用してツイッターのアカウントを開設。
女性になりすまし、徳島県の女子高生2人にチケットを売る約束をして、女性の口座に計8万円を振り込ませた。
その一方女子中学生は、転売サイトに女性名義でチケットを出品、約6万円を得た。
チケットが届かなかったことから、徳島県の高校生が同県警三好署に被害相談。
女性は逮捕され、19日間勾留されたが、その後の捜査で女子中学生が女性になりすましていた疑いがあることが判明。
県警は女子中学生を詐欺容疑で書類送検した。
19日間の勾留は酷過ぎる話だ。
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他人のパソコンをロックして金銭を要求する身代金要求型ウイルスを作成した14歳男子中学生が逮捕されている。


増加する中高校生のサイバー犯罪、実は多数の犯罪予備軍が

2017年8月25日 - 十分予想されるように、サイバー犯罪自体は増加の傾向にあり、その内容(手口)もサイバー社会の進展によって様々ですが、その目的に着目すると不正送金等の金品強奪が第一になります。
しかし以前から変わらず、オンラインゲームや各種コミュニティでの不正操作やメール等の盗み見も一定数有ります。
不正アクセス禁止法が施行される15年以上前から、高校生どころか小中学生の法令違反が問題となっていました。
例えば不正に他人のゲームアカウントを搾取し、ゲームを勝手に進行したり、ゲーム ...

この送検された本人はもとより、同じようなことを考えている人たちを勘違いさせて、犯罪 に手を染めさせてはなりません。 犯罪に巻き込まれないためのスマホやSNSの利用法といったルールやマナーを教える事も大事ですが、同じようにネット社会の論理教育も必要であり、前者と同じように、出来るだけ早い時期、つまり小中学生から必要です。
ネットで何が出来るのか、それを悪用するとはどういうことか、そしてそれが社会に対してそれだけ被害があり、許されない事であるかを教えなければなりません。


中高生のサイバー事件増加 「尊敬される」「有名に」:朝日新聞デジタル

2017年6月5日 - 今回のような不正プログラム作成事件ではないものの、警察庁が年代別の容疑者数を公表している不正アクセス禁止法違反事件をみると、摘発された14~19歳は昨年1 年間で62人で、全体の31%を占めた。
... 子どもとインターネットの関係に詳しい筑波大の土井隆義教授(社会学)は「今の子どもたちは日頃からネットに親しんでいるうえ、 サイバー犯罪は被害者が見えにくい。
違法行為の自覚が ... セキュリティー大手トレンドマイクロの染谷征良さんは「中学生でも危険なウイルスを簡単に作れる時代。

インターネットトラブル事例集(Vol.3) 総務省
その一方で、様々なネットいじめやネット犯罪が起き、それに子どもが巻き込まれるケースが増加して. います。 .... パソコン用のWebサイトや動画、. SNSなどを利用することができます。
クラウドサービスとの連携により情報. 共有も容易になっています。
また、無. 線ⅬAN機能により高速回線を利用す. ることもできます。 パソコンと同じように、 ウイルス感. 染や個人情報漏えいの危険性があるた. め、巻末の「 ...... 平成23年2月、 女子中学生のIⅮとパスワードを聞き出した女子小学生が、女子中学生のIⅮ・パスワード. でSNSに ...










15歳~30歳の死因のトップが自殺

2018年03月15日 10時33分47秒 | 社会・文化・政治・経済
2016年には自殺した人、2万1897人。
主要7か国野の中でも日本の自殺率は最も高い。
15歳~30歳の死因のトップが自殺。
自殺対策強化月間、3月が自殺が多い。
学校、保護者や地域と連携し、教育や啓発に努める。

自殺対策強化月間(3月) |厚生労働省
www.mhlw.go.jp > ... > 福祉・介護 > 生活保護・福祉一般 > 自殺対策 最近の自殺をめぐる厳しい情勢を踏まえ、様々な悩みや問題を抱えた人々に届く「 当事者本位」の施策の展開ができるよう、政府全体の意識を改革し、一丸となって自殺対策の緊急的な強化を図るため、自殺総合対策会議において、「いのちを守る自殺対策緊急プラン」を決定し、例年、月別自殺者数の最も多い3月を「自殺対策強化月間」と定めました。
自殺対策強化月間では、地方公共団体、関係団体等とも連携して、重点的に広報啓発活動を展開するとともに、関係施策を強力に推進するため、経済団体、労働団体、関係 ...

ゲートキーパー
自殺の危険を示すサインに気付き、適切な対応、支援につなげる。

認知行動療法は、認知に働きかけて気持ちを楽にする精神療法(心理療法) の一種です。
認知は、ものの受け取り方や考え方という意味です。ストレスを感じると私たちは悲観的に考えがちになって、問題を解決できないこころの状態に追い込んでいきますが、認知療法では、そうした考え方のバランスを取ってストレスに上手に対応できるこころの状態をつくっていきます。
私たちは、自分が置かれている状況を絶えず主観的に判断し続けています。
これは、通常は適応的に行われているのですが、強いストレスを受け ...

自殺対策基本法 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/自殺対策基本法
自殺対策基本法(じさつたいさくきほんほう、平成18年6月21日法律第85号)は、年間の日本の自殺者数が3万人を超えていた日本の状況に対処するため制定された法律である。2006年(平成18年)6月21日に公布、同年10月28日に施行された。
主として内閣府(政策統括官)が所管するほか、厚生労働省に特別の機関として設置される自殺総合対策会議(会長・厚生労働大臣)が、「自殺対策の大綱」を定める。施策の遂行そのものは国と地方公共団体が行う。自殺対策法とも通称される。 参議院の超党派議員で構成され ...


自殺防止対策事業|厚生労働省
www.mhlw.go.jp > ... > 福祉・介護 > 障害者福祉 > 自殺予防対策
民間団体の相談活動などの取組は、多くの自殺の危機にある人を援助しており、自殺 防止対策を進める上で不可欠であるが、こうした取組は、善意の寄付、熱心なボランティア、企業の社会貢献事業に支えられている状況にある。
自殺防止対策事業( 以下、「本事業」という。)は、自殺対策基本法(平成18年法律第85号)において、民間団体の活動に対する支援が国及び地方公共団体の責務として位置づけられていることを踏まえ、自殺防止対策に取り組む民間団体に支援を行うことにより、一層の自殺防止 対策の推進を ...


人間をつくるという崇高な教育方針

2018年03月15日 07時26分59秒 | 社会・文化・政治・経済
教育には理念が不可欠である。
「つよく ただしく のびのびと」をモットーとしている幼児教育も。
子どもの成績のみを重視すると、何かで挫折した時、そこからなかなか立ち直れないという傾向がある。
子どもの内面的成長を大切にする。
その結果、子どもたちは、とても心が強く、勇気ある方面へ向かう。
<自分のことは自分でやる>という力も身についていく。
他人に関心を寄せ、相手を気遣う。
確固たる人格と意思を持った子どもを育てることは容易ではない。
成績ばかり優先し、人間性の育成が最優先されない教育が一般となっている。
人間をつくるという崇高な教育方針が期待される。

筋肉リハビリ

2018年03月15日 06時47分35秒 | 社会・文化・政治・経済
人間の筋肉は一般的に、30代頃から1年で約1%ずつ減り始め、80代になると20代にあった筋肉量の3~4割程度になることも珍しくありません。
健康には、正しい知識と意欲による実践が必要で、知識がなければ意欲も湧かないもの。
体を5年、10年前の健康状態に戻す効果がリハビリにある。
筋力運動はトレーニングいうより筋肉リハビリに近い。
運動の効果は継続してこそ得られる。
最も大事なのは<健やかに幸せに>生きることだ。
筑波大学大学院久野譜也教授





「恐れるな!」 「神曲」

2018年03月15日 06時27分34秒 | 社会・文化・政治・経済
師弟の旅として描かれている「神曲」

師匠はローマの詩人ウェルギりウス。
弟子は若きダンテ。
「恐れるな!」
苦難の旅路にあって、繰り返し呼び掛ける。
師は時に温かく、時に厳しく、弟子の心を鼓舞し続ける。
「恐れるな、わたしが君を導くかぎり」
「恐れるな。われらの進むのを妨げ力は誰にも無い」
勇気とは、自分が正しい道を歩んでいるという確信であろう。

神曲(しんきょく、伊: La Divina Commedia)は、13世紀から14世紀にかけてのイタリアの詩人・政治家、ダンテ・アリギエーリの代表作である。
地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る、全14,233行の韻文による長編叙事詩であり、聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、しばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられる。
イタリア文学最大の古典とされ、世界文学史にも重きをなしている。
当時の作品としては珍しく、ラテン語ではなくトスカーナ方言で書かれていることが特徴である。

ダンテは白党に所属しており、フィレンツェ市政の重鎮に就いていたが、この政争に敗れてフィレンツェを追放されることになる。
『神曲』には、ここかしこにダンテが経験した政治的不義に対する憤りが現れており、自分を追放したフィレンツェへの怒りと痛罵も込められている。
またダンテを陥れた人物は、たとえ至尊の教皇であろうと地獄界に堕とし、 そこで罰せられ苦しむ様子も描かれている。
ほかにもダンテは自由に有名無名の実在した人物を登場させ、地獄や煉獄、天国に配置しており、これによって ...

神曲」は地獄篇、煉獄篇、天国篇の三部からなり、ひとりの男(ダンテ)がこれらの場所を旅していく物語である。
そこは死者の国であり、死者の魂がすむ場所だ。ダンテには二人のガイドがつく。
地獄と煉獄のガイドはウェルギリウスであり、天国の案内役はベアトリーチェである。
地獄は降りるにしたがって狭くなる漏斗状の地下世界で、そこではありとあらゆる罪に陥った魂の呻吟する姿が描かれる。
好色、貪欲、浪費、吝嗇、激怒、 怠惰、異教徒、さまざまな暴力、欺瞞、追従、聖遺物売買、占い、詐欺、偽善、盗み、不和、贋金 ...