創作欄 緘黙症の天使が行進の先頭に居た

2018年03月09日 12時04分40秒 | 創作欄
2012年1 月22日 (日曜日)
我々は、知っていることより、知らないことの方が多い。
緘黙症(かんもくしょう)については、作家の一色真理(まこと)さんが記していたので知った。
思えば、彼女は「話さない」のではなく、何らかの心理的理由から「話せない」病気の緘黙症であったのかもしれない。
美登里さんは、話せなくとも字が書けたので成績は優秀であった。
だが、ある時突然、しゃべったので、みんなが唖然とした。
「トルストイは、大衆、大衆と繰り返し記しているけど、自分も大衆でしょ」
「美登里さんが、口を開いた」と敏子さんが目を見開いたが、徹は美登里さんがトルストイを批判したことにむしろ驚いた。
徹は、「この人は思い描いていた人ではないのでは?」と美登里さんの伏し目がちの横顔を注視した。
心優しく、何時も静かに微笑んでいる美登里さんの別の面を知らされた思いがした。
彼女は周囲への違和感から、自ら言葉を発することを止めていたのかもしれない。
彼女は母親を小学生6年生の時に亡くしていた。
そして、中学2年生の時には父親を亡くしていた。
徹は高校の入学式の日、ひときわ目立つ美顔の美登里さんに心惹かれた。
「世の中には、こんなに綺麗な人がいるのか!」
美登里さんの祖父は画家で、祖母はフランス人であった。
美登里さんは美しい祖母似であったのだろう。
昭和30年代、まだ珍しかったバトンガールの先頭に立って銀座を行進する美登里さんは、天使の化身のようにも映じた。
ルノアールの「カーンダンベルス嬢の肖像」を見ると徹は、フランスに行ってしまった美登里さんはのことを想った。
翌年、東京オリンピックが開かれ、東京・代々木の体操競技の会場で美登里さんを見かけたと友達が言っていたが、その日徹は風邪で寝込んでいた。

創作欄 29歳の徹は酒場へ足を向ける

2018年03月09日 12時01分11秒 | 創作欄
2012年1 月21日 (土曜日)
韓国料理の店で酒を飲む。
徹は、いつものとおり招待された。
若い人たちの中で、話を聞きながら雰囲気を楽しむ。
そして昔の職場を思い出した。
あの頃は何かと酒の席が多かった。
月に2、3回は社員全員で酒を飲んでいた。
段々と記憶が遠くなるが、鮮明に覚えていることもある。
それは、ほんの同僚の一言であったりする。
思えば些細なことであるが、棘のように胸に刺さっていたことも。
東京・神田の駅界隈で、酒を飲んでいたのは10年間くらいで、その後は、水道橋が多くなる。
何故、神田から離れたのか、と記憶を辿ってみた。
「昨夜、友だちとあの店に行ったら、1万円だったの」
同僚の峰子さんが怪訝な顔で言う。
「1万円ですか? 私のボトルを飲んだのでしょ?」
「そうなの」
徹は直観した。
「2度と来ないでね」と言う意思表示をママの綾さんがしたのだと。
徹は峰子さんをその晩、寿司屋に誘った。
「あのママさん、徹さんに惚れているのね」
「そうかな?」
「女の直観よ」
徹は6月になれば30歳になろうとしていた。
「29歳にもなって、結婚をしていないのは、お前だけだよ!」
母親から言われていた。
確かに、近所に住んでいる中学の同級生で未婚なのは、徹だけであった。
徹は8度も見合いをしていたが、結婚には至らない。
「会社には相手は居ないのかい」と母親が言うが、同僚の彼女たちには既に交際相手がいた。
先輩で社内結婚をした人たちが3組。
徹が良いなと思った新入社員の女性も、既に結婚相手が決まっていたり、同僚の誰かが逸早く手を出したりしていた。
徹は面白くない気分を抱いて酒場へ足を向ける。

創作 「信仰心が少しもないんだね」

2018年03月09日 11時53分42秒 | 創作欄
2012年1 月 6日 (金曜日)

新年会のあと友だちの高浜君たちと、長禅寺へ詣でた。
信仰心が互いにあるわけではない。
「今年こそは、何か良いことがあるように、祈ろう」
大竹さんが茨城県指定文化財の三世堂へ向かった。
「祈っても無駄だ」
冷ややかに言うと高浜君は、左へ向かう。
徹も祈ることもないので、高浜君の後に続いた。
高浜君は本殿をチラリと見ただけで、池の前で足をとめると鯉を目で追っていた。
「福島県南相馬の実家へは15年ほど帰っていないけど、亡くなったじじいが、鯉をかっていたんだ」と言う。
思えば、徹も群馬県吾妻の実家へ10年以上帰省していない。
「正月くらい、帰ってこい」と父親から電話があったのが12月30日だった。
30日の夜半から31日朝まで大竹さんたちに誘われ徹は、駅前の雀荘で徹夜麻雀をした。
長男が10月に生まれ、妻は埼玉県深谷の実家へ帰省していた。
徹は妻から「深谷で正月を迎えない?」と誘われたが、「行くのが面倒だな」と断り自宅で正月をのんびり過ごすことにした。
「二人とも、信仰心が少しもないんだね。徹君は赤ちゃんができたんだからね、無事に育つことを祈るべきだよ」
大竹さんの柔和な目が厳しくなっていた。
徹は気まずい思いで池の鯉に目を転じた。

4割超が「自画撮り」送信

2018年03月09日 11時47分28秒 | 社会・文化・政治・経済
被害半数が中学生-昨年の児童ポルノ事件・警察庁

2018/03/08 10:52時事通信社
 2017年に全国の警察が摘発した児童ポルノ事件は前年比316件増の2413件で、被害者を特定できた子ども1216人のうち42.4%が自分の裸の画像をメールで送信させられる「自画撮り」の被害に遭っていたことが8日、警察庁のまとめで分かった。

 自画撮りは、だまされたり脅されたりして自ら撮影した裸の画像をメールで送らされる被害で、5年連続の増加。被害者515人の半数を中学生が、約4割を高校生が占めた。最年少は8歳の女児だった。被害の約7割がスマートフォンを使ってインターネット交流サイトにアクセスしたことがきっかけになった。

 また、被害者の約8割が面識のない相手に画像を送っていた。

 警察庁は「軽い気持ちで裸の写真を送ってしまうと、取り返しのつかない被害が生じてしまう恐れがある」と注意を呼び掛けている。同庁はホームページで、自画撮り被害の手口を分かりやすく解説した漫画を公開している。

 摘発された児童ポルノ事件全体では、児童ポルノ製造が1414件で最多。自己の性的好奇心を満たす目的での単純所持は188件で前年から3倍以上増加した。 

児童虐待疑い6.5万人、過去最多

2018年03月09日 11時41分39秒 | 社会・文化・政治・経済
警察庁が統計公表

教育新聞 2018年3月8日

警察庁は3月8日、2017年の少年非行、児童虐待および子供の性被害の状況を公表した。通告のあった児童虐待の疑いのある児童の数は、前年比20.7%増の6万5431人。04年の統計開始以来13年連続で増加した。また児童ポルノの検挙件数・人員も、共に過去最多だった前年を更新した。

児童虐待の通告の内訳は▽心理的虐待4万6439人(71.0%)▽身体的虐待1万2343人(18.9%)▽怠慢・拒否6398人(9.8%)▽性的虐待251人(0.4%)。

心理的虐待のうち46.0%は子供の前で配偶者や家族に暴力を振るう「面前DV」だった。通告により保護した児童の数は3838人で、過去最多となった。

検挙件数・人員は1138件/1176人で、内訳は▽身体的虐待904人(79.4%)▽性的虐待169人(14.9%)▽心理的虐待44人(3.9%)▽怠慢・拒否21人(1.8%)。検挙された者を男女別にみると男72.1%、女27.9%。いずれも実父、実母の割合が最も多かった。虐待により死亡した児童は58人で、全被害児童の5%を占める。前年よりも「出産直後」「無理心中」の割合が減り、保護者の暴力などで死に至った子供の割合が増加した。

児童ポルノの検挙件数・人員は2413件/1703人で、共に08年の統計開始以来最多。児童ポルノ専門販売サイトを通じたDVDの販売行為や、低年齢児童を公園のトイレに誘い込んだ上わいせつ行為をし、その状況を撮影した事件などが摘発された。全検挙件数のうち、「自画撮り」を含む「製造事件」が1414件で半数を超えた。検挙を通じて特定された被害児童の数は1216人だった。

誤情報は20倍速く拡散

2018年03月09日 11時28分09秒 | 社会・文化・政治・経済
【ワシントン共同】インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」では、誤った内容のニュースは正しいニュースよりも20倍速く、より広く拡散するとの調査結果を、米マサチューセッツ工科大(MIT)のチームが9日付米科学誌サイエンスに発表した。
誤りの情報の方が「目新しい」と感じることが多く、うわさになりやすいことが原因とみている。
米国では、2016年の大統領選で裏付けのない多くの情報がネット上で飛び交い、当選したトランプ大統領も意図的に誤った発言をするなどして、誤った情報が社会に与える ...

<ツイッター>デマは真実より1.7倍

2018年03月09日 11時15分08秒 | 社会・文化・政治・経済
「RT」 MIT調査
3/9(金) 毎日新聞 4:00配信

米マサチューセッツ工科大の研究チームは、短文投稿サイト「ツイッター」で発信された情報約12万6000件を分析し、デマは真実より1.7倍リツイート(転載)で拡散し、一定数に6倍速く達していたとの調査結果を、9日付の米科学誌サイエンスに発表した。偽情報は目新しく感じられ、接した人が驚きや恐れ、嫌悪感などを抱いて情報の共有を求めがちになるとみられる。研究者は「デマの流布に関する心理解明につながる」と話している。

【ウソはウソでも意味が違う! 「デマ」と「ガセ」の違い】

 チームは2006~17年の英文投稿のうち、延べ300万人が計450万回以上話題にしたニュース、うわさ、主張など計約12万6000件を分析。独立した六つのファクトチェック団体の判定に基づいて真偽を分類し、それぞれの情報が拡散した様子を追跡した。

 その結果、デマがリツイートされた割合は、ツイッター利用歴やフォロワー数に関わらず、真実の1.7倍だった。1500人が拡散するまでの時間は真実の6分の1だった。

 無作為抽出した書き込みも解析。デマには驚きや恐れなどの感情を表す割合が高かった。一方、真実へは悲しみや不安、喜び、信頼などを示す傾向が見られたという。

 広がりやすいデマの分野は、政治▽都市伝説▽ビジネス▽テロと戦争▽科学技術▽エンターテインメント▽自然災害--の順。12年と16年の米大統領選や、14年のロシアによるウクライナ・クリミア半島強制編入の時期に特に増えていた。【阿部周一】

村田修一選手戦力外と上原浩治 復帰の整合性は?

2018年03月09日 08時02分45秒 | 沼田利根の言いたい放題
上原浩治 巨人復帰が決定3/9(金) 5:01 掲載

背番号「11」で復帰する上原(スポーツ報知)
【巨人】上原浩治が帰ってくる!9日にも入団会見、背番11
 巨人が、カブスからFAとなっている上原浩治投手(42)と入団合意に達したことが8日、分かった。同投手が5日に極秘帰国して以降、水面下で交渉を重ね、この日までに復帰が決定した。背番号は自身初の「11」。
9日にも正式契約を結び、入団会見が行われる。2008年以来10年ぶりにYGマークに袖を通し、目指すは同い年の由伸監督を胴上げすること。13年(Rソックス)のワールドシリーズ優勝投手が頂点に導く。(スポーツ報知)
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アンチ巨人の立場から言及
村田修一選手を戦力外としたことと、上原浩治 巨人復帰の整合性は?
実に皮肉と言うか、大嫌いな巨人なら、「さもありなん」であろうか。
沼田利根

日本のブログの数は?

2018年03月09日 07時52分13秒 | 社会・文化・政治・経済
国内のブログ総数は約1,690万. 2008年1月現在、インターネット上で公開されている国内のブログの総数は約1,690万、記事総数は約13億5,000万件に上ることが、総務省情報通信政策研究所が実施した「ブログの実態に関する調査研究」で分かりました。
毎月新たに開設されるブログ数も40万から50万で推移しており、ブログによる活発な情報発信が改めて浮き彫りになりました。
国内のSNSの数は?

日本国内のSNS利用者数は6,872万人に増加!LINEの利用が全年代で ...

2017年8月28日 - 日本国内のSNS利用者数は6872万人に増加!LINEの利用が全年代で増える - 株式会社ツヨシオカは、地域ポータルサイト「千歳市まるわかりガイド」の運営をはじめ、様々なWEBサイトの立ち上げ、広告プロモーション事業を行っております。
2017年「公表データ」で見る主要SNSの利用者数と、年代別推移まとめ

2017年10月17日 - 国内の主要SNS(LINE、Facebook、Twitterほか)の利用者数や利用率については、 複数の調査会社から、調査結果が報告されていますが、(比較していただくと分かりますが、)調査方法や、集計方法などで、若干、数字が変わってきます。そこで今回は、 ①SNSの利用者数は、各社が発表している数字(公表データ)、②年代別推移については、総務省が2012年から継続的に実施している「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」(2017年7月発表)の数字を利用して、最新の動向をまとめ ...

世界に広がる「おにぎり」

2018年03月09日 07時32分50秒 | 社会・文化・政治・経済
多くの人が同時に感じる感情は伝染する―ラッセル

近年、おにぎりは海外でも食べられるようになってきている。
若者たちの間では、おにぎりをアニメによって知るケースが多いという。
「千の千尋の神隠し」では、ハクが千尋に、元気が出るようにと塩むすびを手渡す。
また「ラブライブ!」で、おにぎりが大好きな女子高校生が登場し、頭ほどの大きさがある、巨大なおにぎりを食べるのが印象的だ。
コンビニのおにぎりも食文化として浸透し、日本のおにぎりは海外でも食べられるようになった。
おにぎりは、災害時など非常時には生命線となる。
そこには作る人の「頑張れ、負けるな」という気持ちが込められている。
そんな気持ちを込めて握るからこそ、何ともいえない温かさを、おにぎりに感じるのかもしれない

法政大学大学院・増淵敏之教授

朝鮮戦争 高校生までが従軍

2018年03月09日 06時08分15秒 | 社会・文化・政治・経済
テレビで多くの歴史を知る。
朝鮮戦争では、高校生までが従軍していた。
ほとんど軍事訓練を受けていない状態で、戦場に放り出された。
船に乗って上陸する作戦である。
背後に多くの軍艦がいるので、心強いと思っていたのに、その軍艦が姿を消していた。
奇襲作戦ではなく、棄て石にされ多くの高校生は北朝鮮軍の機関銃で殺されたのだ。
生き残った元高校生が取材に応じて当時のことを語る。
多くの死体は埋められたり、放置されたそうだ。
山に幽霊が出るとの噂で、ドキュメンタリーとして取材したのである。
証言した元高校生は80代であろう。

心の余裕のなさ

2018年03月09日 05時52分40秒 | 日記・断片
やまない雨はない―と雨宿り。
それでも、急ぐ気持ちを抑えられず、少し小降りになったので ビルの駐車場から駅へ向かって歩きだす。
ところが稲光がして先ほどより激しい雨脚となる。
歩道橋の近くの道路に大きな水溜まりができていて、フルスピードで走る乗用車による水飛沫が胸まで届く。
3台の車が続き、水飛沫でずぶ濡れ状態となる。
東日本大震災以降、道路全体に歪みが目だっているようなのだ。
落雷の音が爆弾のように空気を揺るがす。
駅へ到着したころウソのように雨がやんでいた。
雨宿りを2、3分待てない心の余裕のなさに腹立たしくなっていた。

創作欄 2人とも、30代なのにがんで逝く

2018年03月09日 03時30分37秒 | 創作欄
2012年1 月12日 (木曜日)

「日本医学協会は存在することに意義がある」
日本医学協会の立場について、吉田富三会長が述べた後、同協会の副会長で武蔵野日赤病院院長の神崎三益さんは、「私が吉田先生の過去の足跡に大きな傷を付けてしまったのです」と謝罪した。
話は徹が医療界に入る以前のことであった。
女医の京子は、徹に身を寄せながら、「吉田先生に何があったの?」と声を落として聞く。
「よく解りません」と徹は、京子の顔を見ないで檀上に目を注いでいた。
徹は後で、日本私立病院協会の近藤六郎会長に経緯を聞いてみた。
医療界のドンであった日本医師会の武見太郎会長に対して、当時の日医常任理事で中央社会保険医療協議会の委員であった神崎さんは、盾を突いたのだ。
昭和39年(1964) 日本医師会会長選挙に 「医師の本来あるべき姿、理想を示す」 として 出馬した。
昭和36年9月に日本医師会 の一斉スト宣言があった。
そして日赤を中心とした病院ストなどがあり、医療界そのものが大きく 揺れ動いていた。
吉田富三さんを担ぎ出したのは神崎さんであった。
日本医師会会長選挙は、下馬評どおり武見太郎さんが再選されるだろうと誰しも思っていた。
だが、予想をはるかに覆して吉田さんは大差で敗れた。
選挙の結果は武見太郎157票,吉田富三21 票という圧倒的大差で武見太郎が日本医師会長に再選されたのだ。
「徹ちゃん、吉田富三さんは、私が思っていた人と違っていたの」
京子はお茶の水の駅に近い音楽喫茶の席に座った時に、唐突な感じで言った。
それは、どのようなことであったのか?
徹は確かめることをしなかった。
徹が崇拝している吉田富三さんが、他人の目にどのように映ろうが関係のないことと思われたからだ。
「これから、どうするの?」
京子は煙草のピースをバックから取り出しながら徹を見詰めた。
徹はその時、モーツアルトのヴァイオリン協奏曲に耳を傾けていた。
聞いていると、ヴァイオリンの音色は眠り誘われような心地よい響きであった。
実は金曜日に中央社会保険医療協議会の徹夜審議が行われた。
「日曜日に夜勤なんて、因果な仕事ね」
京子は眉をひそめた。
結局、その日は銀座で食事をして、虎ノ門病院へ向かう京子と銀座線の中で別れた。
当時、徹は酒を控えていた。
「酒を飲んでいる徹ちゃんには、会いたくないの」
「なぜ?」
「何だか図太い感じがして、普段の徹ちゃんの感じでないから」
徹は言われると苦笑するほかなかった。
結局、新宿で降りて歌声喫茶 「山小屋」へ顔を出した。
大学時代の後輩の大崎みどりが働いていた。
徹はみどりと半年であったが、吉祥寺の神田川に面していたアパートで同棲していた。
後年、「神田川」の曲が流れると徹はみどりのことを思い出した。
そして、モーツアルトのヴァイオリン協奏曲を聞くと女医の京子を思い出した。
2人とも、30代なのにがんで逝く。
京子は肺がんで1人娘を遺して、みどりは乳がんで男の子を遺して。

創作 「赤い靴をはいた少女」

2018年03月09日 03時24分56秒 | 創作欄
2012年1 月 9日 (月曜日)

「酒でも、飲もうか?」
徹は振り返って淑江に声をかけた。
コンサートの余韻が残っていて、会場を出てくる人たちの顔はいずれも上気しているよに見えた。
「横浜に来たのだから、中華料理ね」
淑江は県民ホールの階段を下りながら徹に同意を求めた。
「そうだね」と言ったものの、徹は野毛山の居酒屋を頭に浮かべていた。
中華料理は好きな方であるが、2人でのフルコースは量的に重い感じがしていた。
できれば、4、5人で店に来て、色々な料理を注文してテーブルを回しながら味わうのが中華料理の醍醐味と思っていた。
創業40周年記念 1人前コース1860円。
ある店の看板を目にして徹は足をとめた。
「安いな。この店はどうかな?」
背後を振り返った。
淑江は微笑みを浮かべて頷いた。
水色の小旗を掲げた中年の女性に引率されて、20人ほどの観光客と思われる人たちが道の向かい側の大きな中華料理店に入るところであった。
「何処の国の人たちかしら?」
淑江は笑顔で肩車に乗った金髪の幼女を見つめた。
幼女は赤靴をブラブラさせながら、首を曲げて淑江へ笑顔を投げかけた。
「可愛い!」
子ども好きな淑江は歓喜したように言った。
「可愛い子だね」と応じて、徹は「赤い靴をはいた女の子」のメロディーを思い浮かべた。
そのメロディーは淡い哀愁を伴って、徹の胸に秘められていた。
1人っ子として育った徹は初めて幼稚園で、イジメを経験した。
徹の母親は高校の教師で昼間家に居ない。
祖母、祖父とも孫に甘いので、徹がねだれば何でも買ってもらえた。
温室育ちのような徹は、幼稚園で我がまま通じないことを知った。
そして意地悪も経験した。
同じ年であったが、徹より大きな体を少女はしていて、徹がイジメにあうと「いじわるはダメ」とかばってくれた。
奈菜子は何時も赤い靴を履いていた。
2人の兄と弟の間に育った奈菜子は確りした性格だった。
「徹ちゃんは女の子みたい」
徹は奈菜子から言われても悪い気持にならなかった。
女の子みたいだから、女の子には仲良くしてもらえると徹は思ったのだ。
思えばあれは、徹にとって初恋のようなものであっただろうか?

冤罪の構図 1)

2018年03月09日 03時17分21秒 | 医科・歯科・介護
2011年12 月31日 (土曜日)

何故、冤罪が起こるのか?
夏目徹は考え続けた。
眠れない夜であった。
書棚から判例集を出して読んでいた。
時計を見ると、午前2時を回っていた。
終電車は既に終わっていた。
結局、待ち人は外泊をしたのだった。
徹は居たたまれない想いに駆られ、絨毯の上に仰向けになる。
そして、昼間、澤田奈那子と新宿駅で別れたことを思い浮かべる。
奈那子は、新宿駅の西口に何時ものように30分余送れてやってきた。
遅れて来たのに、小走りになるでもなくユッタリした足取りで改札口を通過する。
イライラして、不機嫌な顔をしている徹の姿を雑踏の中で目ざとく見つけると、こぼれるような笑顔になった。
徹はその笑顔に魅せられて、何時も怒る気になれない。
徹の前に立つと奈那子は、西洋の劇の中に出てくる少女が演技をするように足を一歩前に出して、腰を屈めて挨拶をした。
奈那子が両手でミススカートを持ち上げたので、太股が露となった。
徹は周囲の視線を感じた。
奈那子がそのような仕草をする時は、何かがある兆候でもあった。
「徹ちゃん、悪いわね。私、用事が出来ました。なるべく早く帰るので、私のマンションで待っていてね」
黒皮の真四角な小さなハンドバックからマンションの鍵を出した。
キーホルダーは、徹が東京タワーで買ったものだ。
徹は言いたいことが喉に詰まった。
奈那子は右手をひらひらさせ身を翻すようにして、足早に去って行く。
奈那子から何度か約束を裏切られてきた。
「もう、いい、お別れだ」徹は投げやりな気分となった。
だが、1日、1回は奈那子から電話がかかってきた。
「今、何をしているの?」
「これから、学校へいくところ」
「今日、会えるでしょ?」
「ハイ」
居間で母親が聞き耳を立てていた。
電話は玄関の靴箱の上に乗っていた。
脇には花瓶があって、母親は活けた百合の花が香っていた。
「徹ちゃん、誰かが側に居るのね?」
「まあ・・・」
「渋谷に来て、午後6時に、来られるわね。ハチ公の前にいるわ」電話をそれで切れた。
結局、その日も30分余、遅れて奈那子はハチ公の銅像の前に現れた。
奈那子は渋谷の道玄坂にある法律事務所でバイトをしていた。
司法試験に2度落ちて、3度目挑戦するところであった。
徹の父は大学病院の心臓外科医であった。
父の医療訴訟を請け負ったのが、渋谷・道玄坂の法律事務所であった。
父の東京地裁での裁判を傍聴した時に、徹は奈那子と出会った。
徹は裁判所へ足を踏み入れたのは初めてでる。
建物に威圧され、胸をドギマギさせ途方に暮れた少年のように戸惑っていた。
徹の脇を通り過ぎた若い女性が振り向いた。
その場の雰囲気を和ませるような女性の爽やかな笑顔であった。
「学生さんね? 傍聴なのね?」
「ハイ」徹は助け船を得たような気持ちとなった。
「今日は、医療訴訟の裁判があるの、傍聴するなら一緒に行きましょ」
「医療裁判?!」徹は腰が引けた。
身内の裁判を赤の他人に傍聴されたくない、と思ったのだ。

(米山次郎)