卓越性は東洋の智慧

2018年03月14日 21時21分41秒 | 社会・文化・政治・経済
情熱は情熱を生む―ゲーテ
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仏とは何か?

人間が到達すべき最高の境涯(生命)である。

人は仏の生命・智慧から比較すれば、幅が狭く、浅いのである。

そして、その仏は外にあるのではなく、人間の生命に内在している。
この卓越性は東洋の智慧であり、西欧の神の概念にはないものだ。

創作欄 芳子の青春 4

2018年03月14日 12時50分38秒 | 創作欄
芳子は、就職先を世話してくれた恩師の辻村玲子にも手紙を書いた。
<芳子の手紙>
辻村玲子先生、新学期を迎え如何お過ごしでしょうか?
就職先をお世話いただき、先生には感謝しても感謝しきれません。
上京し早くも10日間が経過しましたが、沼田もそろそろ桜が咲く季節になりましたね。
高校1年の時に先生と夜桜を見に行ったことが思い出されます。
先生は大学を卒業したばかりで、母校に先生として赴任されて来られたのですが、先生というより私たち学生たちには優しいお姉さんのように想われました。
先生は、生徒たちに「視野を広げなさい」と言っていましたね。
母は、「沼田市内で職を見つけなさい」と言っていたのですが、私はいずれ沼田に戻ることがあったとしても、1度は外の世界を見てからと思っていたのです。
ですから、先生からお手伝いさんのお仕事を紹介された時は、「このチャンスを絶対に逃すまい」と思ったのです。
母は、「お前にとって花嫁修業になるかしら? お手伝いの仕事もいわね」と背中を押してくれました。
先生は、「お手伝いの仕事に留まらず、自分がやりたいことを見つけなさい。自立した女性の生き方が必要な時代になります」と言われました。
私はあの時の先生の助言を肝に銘じて励みに頑張りたいと思っています。
何卒 今後ともご教示ください。
小金井芳子

芳子は手紙をポストに投函してから、犬の散歩へ行く。
神学院の木立に隣接して、西側に通称「東條山」があった。
芳子は高校の受験勉強をしているお嬢さんの江梨子から、「東條山は、戦犯の東條英機の屋敷があるところなの」と教えられた。
芳子の父は戦死している。
戦争を遂行した責任者の一人が東條英機であことから、敵愾心も湧いてきた。
芳子はメスの柴犬のハナコを連れ、東條山へ足を踏み入れた。
その日は、日曜日で大野太郎教授宅は午前7時であったが、みんながまだ寝ていた。
普段は午前5時起きの芳子も午前6時まで寝ていた。
東條山に足を踏み入れながら、芳子は人の気配を感じていた。
木立の間を見回す。
すると大きな欅の木を背に、ロングスカートの女性が立ち、神父服を着た長身の男性が女性を抱き寄せていた。
それはまるで映画の中の光景のように映じた。
女性は上目遣いになり、身を寄せながら自ら激しく男性の唇を求めていた。
芳子は見ていけないことを見た感情となり、山を駆け下りた。
犬のハナコは思わぬ方向転換に、戸惑いながら首輪を振って抵抗するように立ちあがった。
それから3日後、芳子はハナコの散歩で再び東條山へ行った。
東條英機は昭和23年(1948年)11月12日、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)で死刑判決を受け、同年12月23日午前零時1分、東京都豊島区にあった巣鴨プリズンで絞首刑となった。
享年65歳。
昭和36年、もし東條英機が生きていれば78歳である。
芳子は好奇心から東條英機の屋敷の様子を窺った。
東條邸は何時もひっそりしていたがその日は、洗濯物を庭先で干している和服姿の人がいた。
東條英機夫人のかつ子さんであったかもしれない。
芳子は何か切ない感情が込み上げてきた。
浄土真宗の信仰が深かったとされる東條英機の未亡人かつ子さんのことを芳子は後年知った。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)の友人

2018年03月14日 12時05分58秒 | 日記・断片
音楽家でありながら、ベートーベンは聴力を失った。
希望を失い、自ら命を絶とうとさえ追い込まれた。
31歳の時、弟たち宛てに遺書を書く。
「私を引き留めたものはただ<芸術>である。自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ」
使命こそ、いかなる試練にも打ち勝つ力。
使命に生きる時、無限の勇気が湧くのだろう。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)の友人の菅君は、それでもベットに横向きの姿勢で寝て笑っていた。
「また、笑わせに行くからね」と林さんは部屋を出る時に、真ちゃんに声をかけた。
「かわいそうだ、かわいそうだ。なんで真ちゃんがこんな病気に」と母親は嘆いていた。

詩とは 誰にとっても宝もの

2018年03月14日 11時20分56秒 | 社会・文化・政治・経済
詩心の復権こそ
人間の復権

詩とは 誰にとっても宝もの
自分がつくる詩をつくれる人は
この世に誰もいない

人間には
精神の力が大事

苦労をいとわず
自らを社会に貢献する人間に
育てつづけるための精神力
宗教も
そのための力

人間の成長には
希望と真実
自分を支えてくれる
心の世界が必要

人生に大事なことは
一生懸命になること

青年に大切なのは
勇気と正義

人格を磨くために「鍛え」の場と
強く求める心が不可欠
努力と勇気の生き方

自分自身をみつめ
自分に恥じない人生を貫く













東日本大震災 「祈りと感謝のコンサート」

2018年03月14日 08時27分15秒 | 社会・文化・政治・経済
取手 /茨城

東日本大震災の犠牲者追悼と支援者の輪を広げる「祈りと感謝のコンサート」が3月18日、 取手市新町の取手ウェルネスプラザで開かれる。
歌手らの復興支援団体「東北を繋(つな)ぐ架け橋プロジェクト ひだまり」が主催

鈴木ミチ 祈りと感謝のコンサート
祈りと感謝のコンサートオリジナル絆ベコが完成致しました\(^o^)/2018年のテーマは、道標【みちしるべ】顔に入った赤い線が、まっすぐな復興への想い。皆さまがより良い明日を送れる小さな道標になれますように。
そんな願いを込めて、銀×赤のベコになりました!※絆ベコとは祈りと感謝のコンサート会場に、被災者と支援者の心を繋ぐために並べていきます。
顔だけがついていて、胴体にはメッセージが書けるようになっています。

祈りと感謝のコンサート2018いよいよ3月18日に開催!昨年は2017年3月20日に開催いたしました祈りと感謝のコンサート、多くの方にご支援ご観覧頂き、各方面の媒体にも取り上げていただき、本当にありがとうございました。
今年は3月18日に開催いたします。
少しずつ準備を進めてきましたが、今年も昨年以上のコンサートになりますよう、本腰を入れて頑張って参ります!



「敬天愛人」

2018年03月14日 07時18分52秒 | 社会・文化・政治・経済
緊迫感の伴った状況でしか、創造の神は手を差し伸べないし、また真摯な態度でものごとに対処しているときしか、神は創造の扉を開こうとしない。
暇と安楽から生まれるものは、単なる思いつきでしかないのである。「敬天愛人」
あれこれ試したが万策尽きたと肩を震わせて涙した開発担当者に、稲盛さんか問う。
「君は神様に祈ったか?」
京セラ創業者 、稲盛和夫さん
これまで、どの企業も開発できなかった新技術、新製品を創り出すんは、並大抵のことではない、まさに死闘なのだ。

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「敬天愛人(けいてんあいじん)」という言葉は、 西郷隆盛が好んで使い、よく揮毫した言葉です。
「天を敬い、人を愛する」と読みますが、 この「敬天愛人」という言葉には、西郷の自己修養のための指針(目標)と、信仰的でもある天命に対する自覚という考え方が含まれています。
これからその西郷が目指した「 敬天愛人」という考え方。

言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は西郷隆盛の言葉です。
彼は、幕末の儒者である佐藤一斎を尊敬していました。
佐藤一斎といえば、吉田松陰にも大きな影響を与えたことでも知られます。
彼は歴史の流れについて、「天の意思も人間世界のあり方も刻一刻と変化している。それゆえ、歴史の必然的な流れをとどめることはできない。しかし、人間の力ではその流れを早めることもできない」と述べています。
つねに天を意識していた一斎の思想は西郷隆盛に受け継がれ、西郷は「敬天愛人」を座右の銘 ...
 



虚弱状態

2018年03月14日 06時35分42秒 | 医科・歯科・介護
「フレイル」とは?

加齢とともに、筋力や認知機能など心身の活力が低下した虚弱状態のことだ。
要介護などになるリスクが高くなる兆候。
75歳以上の1~2割との推定もある。
歩くのが遅くなった。
あまり外にでない。

友人のお父さんは、新町から吉田に移転したことをきっかけにして、居間でテレビを見るだけで、外へ出なくなる。
近隣に親しい人が居なくなったので、「外へ出たくない」と閉じこもる。
「桜が咲いてますよ。観に行きませんか?」と同世代の人と共に誘いに行く。
奥さんから「連れだしてください」と頼まれたのだ。
「桜、観てもしょうがない」と部屋から出ない。
仕方なく、部屋で3人で懇談した。
戦争の話しなど聞く。
父親の世代であり、明治生まれであった。
筋力が落ちたのだろう、風呂場で転び骨折、1年後、寝たきりとなる。