「人生の充実度」

2018年03月12日 18時00分19秒 | 社会・文化・政治・経済
人類共通の美徳は「寛容の精神」である。
全ての他者に対し、尊敬の念をもって接する。
異なる背景を持った人々が言葉を交わすことから、共生の未来の創造は始まる。
私たちはかつてない長寿社会を生きている。
そのなかで、どう生きるべきか、何をなすかとい「人生の充実度」が、今後まします問われていくだろう。
ゆえに欧州の若者の失業率の高さは、深刻な問題である。
まだ人生の序盤にもかかわらず、<することがない> <社会から必要とされない>という疎外感を味わい、人生の意義を失ってしまう。
現代の若者は創造性に富み、大きな潜在力を秘めていると思う。
社会はより積極的に、若者に生きるモチベーション(動機付け)を与えていくべきだ。
そのために必要なのが「信仰」である。
人間は、人生の意義を見失う時、恐怖感を覚える。
将来の不安、他者への不信、社会への失望、自信の喪失に―。
信仰は、恐怖という<病>を治癒できる最高の方途であると思う。
正しい信仰を通して、人は自分の価値を知り、宗教的使命を根本とした「生きがい」を発見することができる。
また、信仰を共にする同志をもつことで、より良い人生を目指して互いに励まし合うことができ、心に巣食う恐怖に打ち勝つ生命力を発揮することができる。
ヨーロッパ科学芸術アカデミー・フェリックス・ウンガー会長
ウィーン大学医学部卒(心臓外科医)元インスブルック大学教授

認知症 最も効果的な予防法「運動」

2018年03月12日 16時42分18秒 | 医科・歯科・介護
認知症自体を治す薬は未完成。
だが、予防につながる方法はある。
アルツハイマーは、<脳が痩せた状態>になる。
痩せる要因の一つが、「アミロイドβ」という老廃物が脳に異常に蓄積することだ。
神経原繊維変化も起きて正常な神経細胞が減少し、脳が縮んでいく。
軽度認知障害と診断されたら、もう<先延ばし>する猶予はない。
症状が軽いうちに予防を始めた人ほど、認知機能が元の状態に戻りやすいことが分かっている。
「喫煙しない」
「糖尿病を防ぐ」
「抗酸化作用が高い果物、緑黄食野菜を食べる」
最も効果的な予防法「運動」
中でも体と頭を同時に行う運動。
国立長寿医療研究センター予防老年学研究部長・島田裕之さん

視野を広げることで 生きがいの幅

2018年03月12日 16時21分40秒 | 社会・文化・政治・経済
正義を創り出す事によってのみ平和は生れる-アラン

90歳以上、初の200万人に。

第二の人生、第三の人生を輝かせるには?

あなたは、保守型? 刺激追求型?
慎重型? 行動型?

特に多かったのは、変化や刺激を好むけれども、行動は慎重なタイプ。
このタイプは、社会から取り残されたくない、人とつながりたいけど、どうしたらいいかわからない人たち。

知識は豊富なのに、何かと不安が先に立ち、いろいろ理由を付けて自分から動こうとしない。
一方、多くの女性は友人との楽しみ方を知っている。
でも、<ちょっと待てよ>の慎重なタイプの方にも希望はある。
心では変化を求めているので、きっかけをつかめば、ここぞとばかりに活動を始める人が少なくない。
自分なりの行動原理をつかめばいいのだ。
やり残したことに気付いて、挑戦する人もいる。

また、視野を広げることで仕事や趣味、地域活動、ボランティアなどへ、生きがいの幅は広がっていくはずだ。

誰にも本来備わっている楽観主義の力

2018年03月12日 15時55分25秒 | 社会・文化・政治・経済
ポジティブ心理学における楽観主義。
真の楽観主義は、困難な事態や出来事に遭遇したときに真価を発揮し、つぶれそうになるわたしたちの心を支え、生きる力を与える。
力強い楽観主義には、三つの特徴がある。
1)「しなやかさ」
つらい経験をいたとしても、そう長く続かないと考える。
つまり一時的なことだと。
あるいは、あることで失敗をしたとしても、他の事までそうなる訳ではないと考える。
総じて、何事にもめげない、柔軟な見方ができる。
2)「意志・勇気」
フランスの哲学者アランが、「幸福論」で「悲観主義は気分、楽観主義は意志」と述べている。
幸福になろう、幸せになってみせるという強い意志こそが、楽観主義の真髄であるといえる。
楽観主義には、こうした人間としての逞しさが備わっている。
3)「未来志向・希望」
盲ろうの三重苦と闘ったヘレン・ケラーが「楽観主義」の中で、「楽天(楽観)は洋々トした未来に希望を抱いている」と述べている。
楽観主義の本質は、近くばかりを見過ぎず、未来を見据えてかかる点がある。
私たちの誰にも本来備わっている楽観主義の力を信じて、前向きに生きることで、人生を心豊かで、実りあるものにすることができる。

輪子の競輪日記

2018年03月12日 15時15分54秒 | 未来予測研究会の掲示板
玉野競輪開設記念11レース
8-6-4 5-1-3 2-7 9(単騎)の並び(ライン)
前日の10レース準決勝で4着となり、決勝進出を逃している武田 豊樹選手(茨城44歳88期)は、当然1番人に支持されていた。
輪子は武田選手のファンとして、当然、並びの1-5-3と1-3-5の車券を買っていた。
配当は安くでも、「武田選手に勝ってもらい、前日の悔しさを払拭してほしい」と多くのファンも思っていたはず。
武田選手を慕って福島県から茨城県取手へ移籍、弟子の一人となった鈴木謙太選手の先導役を得てレースに臨んだのに、鈴木選手から武田選手は離れてしまった。
「何で車間を空けるんだ」とファンたちは叫ぶ、絶好の展開であっただけに鈴木選手を追走できなかった武田選手は不調であったのかも。
「でも武田選手なりに頑張った。競輪の展開の微妙なアヤね」と輪子なりに解釈した。

レース結果
1着6番内村 泰三
2着4番山中 貴雄
3着5番鈴木 謙太

2車単6-4 1万2700円(29番人気)
3連単 6-4- 5 19万6770円(260番人気)
















他人や社会と<共にある>という実感

2018年03月12日 11時11分51秒 | 社会・文化・政治・経済
危険ドラッグの事犯、2013年検挙人員176人、2014年840人、2015年1196人と、増加の一途をたどっている。
10代、20代が3割強を占めている。
薬物に手を出しゆい10代の特徴。
「自傷経験がある」
「親・教師・友人など周りの人を信用していに」
「自尊心が低い」
自信をなくし、周囲から孤立するゆえに、自己不全感を紛らわす目的で薬物に手を出すのかもしれない。
「自分のことを思ってくれる人がいる」―その手応えが、苦悩の人の生命空間を、希望へと広げてくれる。
他人や社会と<共にある>という実感がれば、人は立ち上がることができるはず。

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危険ドラッグ事犯の特徴としては、26年中に検挙された乱用者のうち薬物犯罪の初犯者が約8割を占めているほか、30歳代以下の年齢層が約7割を占めていることが挙げられる
。危険ドラッグは、合法であることを標ぼうして販売されていることに加え、他の規制薬物と比べて比較的安価であり、また、これまで繁華街等で簡単に入手できたことから、初犯者や若年層に乱用が拡大したものと考えられる。
26年中の検挙事件における乱用者の危険ドラッグの入手先の割合をみても、街頭店舗が多く(58.0%)を占めている。

心揺さぶる<魂の歌>上田正樹さん

2018年03月12日 10時52分09秒 | 医科・歯科・介護
リズム・アンド・ブルース

(R&B)
R&Bは、アフリカ大陸から奴隷としてアメリカに連れてこられた人々が、生み出したもの。
暴力や憎悪ではなく、音楽で自らの心を解放しようとした、崇高な<魂の歌>なんです。
私は、音楽が好きでたまらない。
誰もしたことのない表現がしたい。
いつもそう思っています。
貫き通せば、新しい自分だけの<魂の歌>を歌うことができると気付いた。
私の言いたい<魂>というのは、普遍的な人間の心の底にあるものです。
人生において、「それ一本で生きていきたい」ということには、なかなか出あえない。
私は、幸運にも音楽に、その中でもR&Bに出あえました。
その分、この道を切り開く責任があると思っています。
そして、愛する音楽によって、平和な未来をつくりたい。
人々が心豊かに、子どもたちが夢を持てる世の中をつくりたい。
まだまだ、デビューして、たった45年。
最近、ようやく音楽を心から楽しめるようになりました。
自分の身体の中に、R&Bが入ってきた感じです。
だから、今後はどんどん新しいことにも挑戦していきます。
シンガー・上田正樹さん(1949年、京都府生まれ、バンド活動を経て、ソロ歌手に)







 




輪子が競輪と出会う契機

2018年03月12日 07時27分38秒 | 未来予測研究会の掲示板
岡山県の玉野競輪場は、輪子にとって忘れられない思い出の一つとなった。
看護専門学校時代に親しくなった阿河美帆の出身地が、玉野であった。
夏休みに「岡山はいい所よ。一度来てみない」と誘われたのだ。
その時は、「何時かね」と輪子は聞き流した。
それから、5年の歳月が流れた。
看護専門学校の同窓会の日、ホテルでの集いは夕刻なので、それまでの時間に美帆と二人でスカイツリ―に昇った。
何事も思い立ったら即、行動である。
初めは、喫茶店で出会って、「まだ、時間あるわね。どうする」と美帆が聞くので、「どうしようか」と輪子は考えあぐねた。
「輪子、スカイツリ―に昇ったことある」と美帆が微笑む。
輪子は美帆の笑顔に支えられてきた。
小学校時代からいじめにあってきた輪子は、ずっと人を避けてきた。
そんな輪子は、心を許せる友を看護専門学校時代に得たのだ。
「いい、思い出になるわね」美帆が微笑、輪子の肩を支えるようにした。
エレベーター前には長い行列ができていた。
待つことが嫌いな輪子であったが、そばに美帆が居れば30分でも1時間でも待てると思えた。
高所恐怖症気味の輪子であったが、スカイツリ―の展望は格別であった。
富士山が見え、秩父連峰が見え、上州の山々、茨城県、栃木県、福島県の山影までが見渡せたのである。
「すごい、すごい」と美帆が感嘆する。
輪子は下界に目を転じていた。
「自分の悩みなどちっぽけだ」と思われたのだ。
隅田川を航行する遊覧船が見えた。
「美帆、船に乗ろうか」と輪子は言う。
「船!?」美帆の視界には船はおさまっていなかった。
その日から約1年、皮肉にも美帆は子宮頚がんに罹患し、勤務していた病院を退職して、実家の玉野に戻っていた。
「逢いに来て」と美帆から携帯電話にメールがきた。
輪子は初めて岡山駅に降り立った。
入院しているはずの美帆は、岡山駅前のロータリーで輪子を出迎えたのである。
「美帆、大丈夫なの?」輪子は、新幹線内で受けたメールに問いかけた。
お互い医療職であるので、想定の範囲で行動しているのであるが、懸念が広がった。
「覚えているわね輪子、岡山を案内するわね」美帆は自ら運転した後楽園へ向かった。
「どうなの?」輪子は聞く。
「私は、信仰者なの。祈っているから大丈夫」
「信仰者?」輪子は何のことだか分からず問う。
美帆は何故か微笑むだけだった。
後楽園は桜が満開であった。
さらに案内された岡山城の桜をバックに輪子は美帆と写真に納まった。
城の周辺を清掃している御婦人にカメラの撮影をお願いした。
岡山城から美帆の実家がある玉野へ車で向かう。
「輪子競輪知っている?」
「競輪?知らないわ」
「明日、競輪場へ案内する」
実は美帆の父親は元競輪選手で、弟は現役の競輪選手であったのだ。
「弟の応援に行くの」
「そうなのね」輪子が競輪と出会う契機となる。
その日から約1年、唯一無二の親友の命は奪われてしまう。
医療担当者の一人として、輪子はこの上なく無力感に陥る。