自殺に関するインターネット利用が自殺念慮の悪化につながる

2018年03月26日 21時18分15秒 | 社会・文化・政治・経済
ポイント

・インターネットによる自殺方法の閲覧やメンタルヘルス相談等が、若年・中年層のネット利用者の自殺念慮に対して与える影響について検討しました。

・死にたい気持ちを匿名の他者に対して打ち明けることや自殺方法を閲覧することは自殺念慮の悪化につながっていました。

・匿名の他者にメンタルヘルスの相談をすることは、自殺念慮を悪化させはしませんでしたが、抑うつ・不安感の悪化につながっていました。

・この知見は、今後、インターネットを活用した自殺対策の立案に役立つものと期待されます。


 岡山大学病院精神科神経科の稲垣正俊講師を中心とする、和光大学の末木新、国立精神・神経医療研究センターの竹島正、米本直裕らの研究グループは、自殺に関するインターネットの利用が自殺念慮に影響するか否かについて研究を行いました。
本研究では、インターネット利用者に対する大規模な追跡調査を実施し、自殺に関するインターネット利用を経験した者とそうではない者とを比較して、自殺念慮や抑うつ・不安感の変化に違いが見られるかどうかを検討しました。
約6週間の追跡調査で得られたデータを分析した結果、死にたい気持ちを匿名の他者に対して打ち明けることと自殺方法を閲覧することは、自殺念慮の悪化につながっていました。
また、匿名の他者にメンタルヘルスの相談をすることは、自殺念慮を悪化させていませんでしたが、抑うつ・不安感の悪化につながっていました。
本研究により、自殺に関するインターネットの利用が、自殺の危険性を高めることが示されました。
これらの結果は、今後のインターネットを活用した自殺対策の立案に役立つものと期待されます。
【研究の背景】
 日本の自殺死亡者数は、1998年の急増以降、高い水準で推移をしています。自殺は、社会全体で取り組むべき重要な問題として、2006年に自殺対策基本が制定され、2007年には自殺総合対策大綱が閣議決定され、その後の2012年に改定されています。
 インターネットの活用は、自殺予防対策を考える上で、重要な事項となっています。
自殺総合対策大綱には、自殺を予防するための当面の重点施策の一つとして、インターネットを積極的に活用して正しい知識の普及を推進することや、インターネット上の自殺関連情報対策の推進の必要性が取り上げられました。
 しかし、自殺に関するインターネット利用が自殺の危険性の増加または減少に影響するか、また、どのようなインターネット利用が影響するのかという点については、これまでの研究で十分には明らかにされていませんでした。
硫化水素自殺や練炭自殺に代表されるようにインターネットが自殺を促進するという指摘がある一方で、ネット利用者間の相談活動が自殺を抑止するという指摘も見られました。
そこで、本研究では、自殺に関するインターネット利用の影響を明らかとすることを目的とした調査を実施しました。

【研究の方法と結果】
 20・30・40代の各世代に対してオンラインでの質問紙調査を実施しました。各世代内での性別・居住地域の構成割合は2005年度の国勢調査に準じています。配信数744,806名に対し108,206名の回答が得られました。
その中から、自殺に関するインターネット利用の経験者約4000人と、比較対照群4000人の方に協力をいただき、その後6週間の自殺念慮や抑うつ・不安感の変化を追跡調査しました。
 その結果、死にたい気持ちを匿名の他者に対して打ち明けることと自殺方法を閲覧することは自殺念慮の悪化につながっていました。また、匿名の他者にメンタルヘルスの相談をすることは、自殺念慮は悪化させていませんでしたが、抑うつ・不安感の悪化につながっていました。

【今後の期待】
 今回、自殺に関するインターネット利用が自殺の危険性に対して与える影響が明らかになりました。
現在、日本では若年世代に対する自殺予防対策が求められていますが、その際にインターネットの活用は重要な視点となります。
インターネットをどのように活用するのか(あるいは、どのような利用を制限/低減させていくべきか)という視点から具体的な対策を考える際に、資料として活用されることが期待されます。

【 原論文情報 】
 本研究の成果は、米国東部標準時間2014 年4 月16 日、水曜日、午後 5 時(日本時間4月17日、木曜日、午前7時)発行の国際的オンライン科学誌「PLOS ONE」に、下記のタイトルにて掲載されました。

研究論文名:
The impact of suicidality-related internet use: a prospective large cohort study with young and middle-aged internet users(自殺関連のインターネット利用の影響―若年・中年層インターネット利用者に対する大規模前向きコホート研究)
著者:末木新, 米本直裕, 竹島正, 稲垣正俊
(所属:順に、和光大学、国立精神・神経医療研究センター、国立精神・神経医療研究センター、岡山大学病院)
http://dx.plos.org/10.1371/journal.pone.0094841

本研究は、安心ネットづくり促進協議会のインターネット使用が青少年に及ぼす悪影響に関する実証調査で行われました。

取手中3自殺 混乱の保護者会

2018年03月26日 20時53分51秒 | 医科・歯科・介護
上 「担任なぜ出席しない」両親ら反発 開始3時間遅れ /茨城

新聞・報道が加盟する取手記者会

毎日新聞2018年3月26日 地方版
2015年11月に取手市立中学3年の中島菜保子さん(当時15歳)がいじめを苦にする書き込みを日記に残して自殺した問題で、市教育委員会は24日夜、当時同学年の生徒を対象に保護者会を開いた。担任だった女性教諭の欠席に両親らが反発し、開始が3時間近く遅れるなど紛糾。「恣意(しい)的にいじめがないとしたのではないか」と核心に迫る質問も上がった。激しいやりとりを中心に5時間に及んだ会議を2回にわたり詳報する。【安味伸一、加藤栄】


 ■公開を巡り攻防

 市教委は今月2日、新聞・放送10社が加盟する取手記者会に対して保護者会の開催を発表した。卒業式2日前に開催して以来2年ぶりになる。

 発表には特記事項として「非公開」の方針が記されており、毎日新聞などの加盟社は公開するよう申し入れた。しかし市教委は「生徒のプライバシー保護」を理由に退けた。

 出席した元生徒や保護者の同意なく、個人が特定されるような報道はしないと伝えたが、市教委の小林幸典教育参事は「さまざまな意見が出ることが予想され、(公開して報道されれば)一方的な印象を与えてしまう」と明かし、本当の理由が映像対策にあることをにじませた。

 最終的には市教委の矢作進教育長が冒頭、これまでの不適切な対応を謝罪する場面まで公開し、小林参事による経緯の説明と質疑応答は非公開とする流れで落ち着いた。

 ■体調不良理由に

 市役所藤代庁舎1階の会議室には、開始予定の午後7時前から多くの元生徒や保護者が詰めかけた。その数は約130人に達し、当初予定していた座席数を超えたため、市教委は約20脚のパイプ椅子を追加で並べた。

 菜保子さんの父考宜さん(46)と母淳子さん(47)は最前列に座った。ところが開始直前にアクシデントが起きた。当時の男性校長と男性教頭は出席するものの、担任の女性教諭が体調不良を理由に欠席と知らされ、考宜さんは「事前の話と違う。菜保子は行きたくなくても学校に行ったんだ」と語気を強めた。

 市教委の担当者は電話で女性教諭に問い合わせたが、「参加できない」と返答があったという。午後8時半過ぎ、担任の体調を参加者に説明するとして、報道陣は会場の外にいったん出された。

 この学校では、卒業時に渡すため、修学旅行などのイベントごとにメッセージを寄せ書きしたアルバムを生徒一人一人に作っており、菜保子さんのアルバムには、加害者とみられる女子生徒が「なおきらーい」「なおってほんとうんこ」と書き込んでいた。

 考宜さんは「アルバムを見ていなかったのか、いじめを本当に気づいていなかったのか直接聞きたかった」と悔しそうにこぼした。

 ■いじめを隠す?

 午後10時前にようやく会議が始まった。矢作進教育長は「自殺だったにもかかわらず、学校や教育委員会で主体的に調査を進められなかった。深く反省し、おわびしたい」と述べ、深く頭を下げた。

 本来はここで報道陣を退出させ、経過説明に入る予定だった。しかし最前列に座った保護者の男性が「恣意的にいじめがないとしたのではないか。何を根拠にいじめを否定したのか」と核心に迫る質問を投げかけ、公開のまま質疑応答が始まった。

 市教委と学校は自殺直後、「受験への配慮」を理由に、自殺の事実を隠したままアンケートや聞き取り調査をし、いったん「
茨城・取手の中3自殺:教育長対応謝罪 保護者会有料記事
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2015年11月に取手市立中学3年の中島菜保子さん(当時15歳)がいじめを苦にする書き込みを日記に残して自殺した問題で、市教育委員会は24日夜、当時同学年の生徒を対象に保護者会を開いた。担任だった女性教諭の欠席に両親らが反発し、開始が3時間近く遅れるなど紛糾。「恣意(しい)的にいじめがないとしたのではないか」と核心に迫る質問も上がった。激しいやりとりを中心に5時間に及んだ会議を2回にわたり詳報する。【安味伸一、加藤栄】


 ■公開を巡り攻防

 市教委は今月2日、新聞・放送10社が加盟する取手記者会に対して保護者会の開催を発表した。卒業式2日前に開催して以来2年ぶりになる。

 発表には特記事項として「非公開」の方針が記されており、毎日新聞などの加盟社は公開するよう申し入れた。しかし市教委は「生徒のプライバシー保護」を理由に退けた。

 出席した元生徒や保護者の同意なく、個人が特定されるような報道はしないと伝えたが、市教委の小林幸典教育参事は「さまざまな意見が出ることが予想され、(公開して報道されれば)一方的な印象を与えてしまう」と明かし、本当の理由が映像対策にあることをにじませた。

 最終的には市教委の矢作進教育長が冒頭、これまでの不適切な対応を謝罪する場面まで公開し、小林参事による経緯の説明と質疑応答は非公開とする流れで落ち着いた。

 ■体調不良理由に

 市役所藤代庁舎1階の会議室には、開始予定の午後7時前から多くの元生徒や保護者が詰めかけた。その数は約130人に達し、当初予定していた座席数を超えたため、市教委は約20脚のパイプ椅子を追加で並べた。

 菜保子さんの父考宜さん(46)と母淳子さん(47)は最前列に座った。ところが開始直前にアクシデントが起きた。当時の男性校長と男性教頭は出席するものの、担任の女性教諭が体調不良を理由に欠席と知らされ、考宜さんは「事前の話と違う。菜保子は行きたくなくても学校に行ったんだ」と語気を強めた。

 市教委の担当者は電話で女性教諭に問い合わせたが、「参加できない」と返答があったという。午後8時半過ぎ、担任の体調を参加者に説明するとして、報道陣は会場の外にいったん出された。

 この学校では、卒業時に渡すため、修学旅行などのイベントごとにメッセージを寄せ書きしたアルバムを生徒一人一人に作っており、菜保子さんのアルバムには、加害者とみられる女子生徒が「なおきらーい」「なおってほんとうんこ」と書き込んでいた。

 考宜さんは「アルバムを見ていなかったのか、いじめを本当に気づいていなかったのか直接聞きたかった」と悔しそうにこぼした。

 ■いじめを隠す?

 午後10時前にようやく会議が始まった。矢作進教育長は「自殺だったにもかかわらず、学校や教育委員会で主体的に調査を進められなかった。深く反省し、おわびしたい」と述べ、深く頭を下げた。

 本来はここで報道陣を退出させ、経過説明に入る予定だった。しかし最前列に座った保護者の男性が「恣意的にいじめがないとしたのではないか。何を根拠にいじめを否定したのか」と核心に迫る質問を投げかけ、公開のまま質疑応答が始まった。

 市教委と学校は自殺直後、「受験への配慮」を理由に、自殺の事実を隠したままアンケートや聞き取り調査をし、いったん「いじめはなかった」と結論づけ、昨年5月になって撤回した。

 男性は当初からいじめを隠す意図だったのではと疑ったのだ。しかし矢作教育長は「アンケートに出てこなかったのでいじめはなかったと判断した」と答え、やりとりはかみ合わなかった。

 それを聞いた考宜さんが憤った。「答えになっていない。市教委はいじめに向き合った調査をしたように見せかけたが、調査結果には私たち親のことが書かれている。先ほどから『プライバシー』というが、人の家のプライバシーを侵害すれば引き下がると思ったのか。汚いやり方だ」

人生は長いようでいて短い

2018年03月26日 20時20分51秒 | 社会・文化・政治・経済
人生でやるべき順位を決める。
つまり、自分にとって何が大事かを見極める。
そして大事なことから始める。
自分の人生で捨てていいものと、絶対捨ててはいけないものを、賢明に見極める。

誰でもあらゆる分野で一人前になれる。
まず、準備してからやろうとする。
だが、いつの間にか時間が過ぎてしまう。
そこで、やるべき大事なことから、まずは始めることだ。
人生は長いようでいて短い。
そこで悔いのない日々を送ることだ。
悔いない一生を送る

創作欄 続・徹の青春 4

2018年03月26日 12時55分41秒 | 創作欄
2013年9 月29日 (日曜日)

月曜日、徹が地下鉄丸の内線の赤坂駅から赤坂プリンスホテルへの道を歩いていると先輩の近藤兼が背後から声をかけた。
「木村、昨日、見たぞ銀座でいい女を連れていたな! おまえさんも案外やるじゃないか。どこで女のを見つけたんだ!」
近藤は黒縁メガネの奥を光らせた。
徹は近藤の深く響くバリトンの声に気圧される。
近藤は実にハンサムである。
メガネはダテであり、自分を知的に見せるための小道具の一つだった。
近藤は電車内でいい女を毎日、物色している。
そして意図も簡単に女を魚のように釣り上げるのだ。
「女と寝るのは1回きり、後腐れがない」と豪語して憚らない男だった。
「近藤は何時か女で墓穴を掘る」と編集長の田丸勝志が釘を刺していたが、近藤の女漁りは相い変わらず継続していた。
結局、目敏い近藤は徹が恋をした八代由紀をも寝取ったのだ。
徹は近藤に憎悪を燃やしたが、八代由紀も1回切りで捨てられる運命にあった。
徹はそれ以来、女性不信に陥る。
そして新しい恋を求めたが、何時もうまく事は運ばなかったのだ。
徹は転職して、病院関係の専門新聞から薬業関係の専門新聞に勤め始めていた。
そして、東京の医薬品の小売団体の事務局に勤務する真田真理子に恋をした。
だが、真理子には既に婚約者がいたのだ。
「告白されて私、複雑な気分だけど・・・何処かにきっと、木村さんを好きになる人いるはずよ」
東京・御茶ノ水駅に近い音楽喫茶店の仄かな明かりの下、真理子の慰めは徹に虚しく聞こえた。

2013年9 月29日 (日曜日)
創作蘭 続・徹の青春 3
看護婦の八代由紀は誰かに似ていた。
思えば、デビューしたころの初々しい女優の岩下志麻を彷彿させた。
徹は八代由紀に会うため渋谷まで出向き日赤病院の献血に行く。
だが、献血を担当するのは看護婦の八代由紀ばかりではなかった。
結局、短期間に7回の献血をしてしまった。
幸いなのは病院の廊下で倒れた徹を看護してくれたのが、八代由紀であった。
「木村さんは貧血ぎみですから、栄養を付けてくださいね」
由紀は春の陽光が差し込む病室のレースのカーテンの前に佇み、ながら検温を終えた。
「36度5分」と呟きながら、検温結果を検診表に記入する。
徹は由紀の胸のネームプレートに目を留めながら「八代さんを食事に誘いたいのですが・・・」と告げた。
「あら、ご馳走していただけるのですね」と由紀は微笑む。
徹は拒絶されると思い込んでいたので、ベッドから思わず起き上がった。
「嬉しいです。患者さんからお食事の誘いを受けたのは初めてです。楽しみにしています」
爽やかな由紀の微笑みは徹の心を高揚させた。
単なる社交辞令でとは思われなかった。
徹は結局、由紀を銀座のサラダ専門店(サラダブッフェ)に誘った。
「木村さんは、洒落たお店を知っているのですね。私は青森育ちの田舎ものですから、このような店は初めてです」
由紀は看護婦の丈の長い白衣姿とは想像できないスタイルをしていた。
上は黒のとっくりのセーター、スカーとは赤のミニであった。
店のほとんどの客はカップか女性同士であった。
由紀は店内に目を転じながら「わたしたちも恋人同士に見えますか?」と微笑んだ。
徹は夢み心地の気分となる。

2013年9 月24日 (火曜日)

創作蘭 続徹の青春 2


27歳の木村徹は相変わらず人を好きになっては失恋していた。
27歳の誕生日の日の午後の8時過ぎに、新宿の閉店されたデパートの前で開店していた易者の手相を観てもらった。
誕生日のご祝儀だと大学の後輩の大場金太郎が手相代を出してくれた。
もう一人の後輩はこの日の徹の居酒屋の飲み代を出してくれた。
二人とも大手企業に就職をしていた。
情けないかな徹は安月給の身であった。
「金運は?」徹はまず一番気にかけている問題を問いかけた。
40代と思われる女性の易者は金縁のメガネをかけていた。
拡大鏡で徹の手相を念入りに鑑定する。
「残念ながら、あなたは金運に恵まれません」
「やっぱし、そうか」徹は落胆した。
後輩二人は顔を見合わせながら、「では、恋愛運は」と同時に問いかけた。
「あなたは、40代になったら人間的な魅力が出てきますよ。きっと、女性の心を射止めるでしょう」
易者はキッパリと口調で告げると微笑みかけた。
徹はガックリときた。
取材で知り合った渋谷の日赤病院に勤務している看護婦の八代由紀にアタックをかけている時期であったのだ。
その日は献血の取材をした。
帰り際に、「体験が一番です。献血をして帰ってください」と副院長に言われたのだ。
徹の献血を担当したのが看護婦の八代由紀であった。
「あなたは、病院新聞の記者ですか?」と看護婦から問われた。
徹は脱いだスーツの上に自社の封筒に置いていた。
「そうです」と返事をしながら徹は自分の立場が相手に知られたことを恥じた。
封筒はスーツの下に置くべきであり、行為が迂闊であった。

2013年9 月18日 (水曜日)

創作蘭 続 徹の青春 1

待つのが辛いか? 待たせる方が辛いのか?
「走れメロス」を想起させる。
徹は大概は待つ方の立場であった。
墨田区内の総合病院に勤務する女医の峰子は常に待ち合わせの場所へ30分ほどは遅れてやってきた。
徹は1時間以上も待ったことがある。
日比谷公園の噴水前の待ち合わせ場所へ遅れてやってきた峰子は首をすくめて「徹ちゃん、ゴメンね、何時も待たせてわたくし謝ります」
彼女は躍けてバレリーナのプリマドンナがカーテンコールで見せるようなポーズで頭を下げた。
右足を一歩前に出しミニスカートの裾を両手にし会釈する峰子のポーズは少女のようにも思われた。
峰子は小学生までバレーをやっていたのだ。
中学生になってからは演劇に興味をもち演劇部に入った。
徹は峰子の魅惑的な微笑みに待っていたイライラ気分が一辺に吹き飛んだ。
峰子は常に鏡に向かって微笑みを浮かべ、どのような笑みが人を魅了するかを確認していた。
峰子は医学生時代にアルバイトでモデルをしていが、カメラマンの一人から「鏡で微笑を確認して、微笑のイメージを豊に膨らませるんだ」とアドバイスをされてきた。
女に惚れ込んだ男の弱み、不甲斐なさで徹は「峰子さんのことをずっと想い続けていました。何処かでなにかアクシデントでもなかったかと・・・」
「徹ちゃんありがとう。その優しさにわたくし惹かれました」
徹は創造が及ばなかったが、実は峰子は新しい恋をしていた。
峰子は恋多き女の典型的なタイプであったのだ。
当時徹は25歳で峰子は二つ年上であった。
東大紛争のために峰子の東京大学医学部の2度目の受験はかなわなかった。
そこで峰子は東京医科歯科大学医学部を受験した。
峰子の父は彼女が15歳の時に交通事故で亡くなっているが東大医学部を出ていて都立病院の小児科医であった。
峰子の母親は小児科の看護婦であった。
峰子の父母はいわゆる職場結婚だった。

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徹と峰子

人との出逢いは、奇でもある。
その日は、芥川龍之介の河童忌であった。
木村徹は大学の卒論で、心酔した芥川龍之介論を選んだ。
そして、卒業後も毎年、忌日の7月24日、足が墓所・慈眼寺へ向けていた。
徹が墓前で手を合せていると、背後に人の気配を感じた。
24歳の徹は、6月に親友の古田浩二から彼が恋していた柳田久美子が同期生の米川勝雄と結婚したことを聞く。
久美子も芥川龍之介を卒論に選らでいて、関連の研究書などを貸し借りする間柄でった。
1度だけ芥川の全集を出していた出版社へ芥川の生原稿を見せてもたうために二人で行ったこともある。
それを機会に二人は文通もするよになる。
だが、彼女は米川勝雄と恋仲にあったことは、迂闊にも知らなかったのだ。
心の何処かで、彼女との再会を願っていた。
河童忌で偶然、逢えないだろうか?
背後に居たのは、彼女ではなく長い黒髪の女性であった。
徹が芥川の墓を仕事用のカメラに収めた。
すると、女性が「その写真、いただけませんか?」と言うのである。
徹はその人に、柳田久美子の面影を重ねた。
久美子は髪を短くしていたが、輪郭が似て居たのだ。
「写真は何処へ送ればいいですか?」と徹は聞く。
その人は、手帳をショルダーバックから出すと名前と住所を書き、そのページを割いて「ここへお願いします。楽しみにしています」と微笑む。
上野峰子との出逢いであったのだ。

「人間の尊厳」の回復が重要

2018年03月26日 12時31分39秒 | 社会・文化・政治・経済
ふくしま連携復興センター

JR福島駅のそばに事務所を構えるふくしま連携復興センター(以下、ふくしま連復[れんぷく])は、2011年7月20日に設立、同年12月1日に一般社団法人となった。
現在は復興関連NPOなど福島県全域の約80団体が会員となるネットワーク組織に発展したが、 始動はやや遅かった。
震災前の福島県には、NPOなどのつなぎ手となる中間支援組織が少なかったからだ。
震災前から活動していた子育て支援をはじめとするNPOを中心に、福島大学も巻き込んで、県内の中間支援を担う組織としてふくしま連復は立ち上がった。
一般社団法人 ふくしま連携復興センターは、東日本大震災の被災地域と被災者の自立的な復興をめざし、コーディネートやネットワークづくり、情報発信などに取り組む福島県の中間支援組織である。
「たいへんだね」と言われるだけではない「元気な福島県の姿」を伝えつつ、協働のネットワークをつくろうとしている。

県内の支援団体のネットワークをつくりつつ、NPO同士の新たな連携・協働を生み出してきたふくしま連復。毎週の事務局会議、毎月1回の定例会議のほか、「子ども支援」や「心のケア」といったテーマごとの分科会も開く。また、岩手と宮城の連携復興センターとの月1回の定例会議(通称:3れんぷく会議)も欠かさず出席する。

設立3年目を迎えた2013年の夏、ミッションやビジョンの見直しを図った。鎌田さんに代わり、新たに山﨑庸貴さんが事務局長に就任した。山﨑さんは会津若松市出身。NPO法人ETIC.が進める「右腕派遣プログラム」によって参画した若者だ。

事業の柱は①協働モデルを創出する「協働推進機能」、②会員団体の活動状況を中心とした「情報収集・発信機能」、③福島県の震災復興に関する「提言機能」の3つ。ただし、これらは個別の事業ではなく、それぞれが関連している。まず協働には、NPOなどの団体だけでなく、行政や企業の力が必要だ。そうした多様な主体が関わるようになるためには、NPOの活動内容を広く知らせる必要もある。そして、実際に協働することで、国や県の施策、企業のCSR活動への提言に重みが増すはずだ。

その中でも重視している点をあえて聞くと、山﨑さんは②情報収集・発信機能の強化を挙げた。「ネットワークに参加する各団体の活動を〈光る〉かたちで発信していきたいです」と語る。

そのためには「取材」を徹底する。もちろん情報は発信してきたが、これからは自分たちで埋もれている情報をしっかり掘り起こして、HP、フリーペーパー、Facebook、メールマガジンを通じて発信していきたいと考えている。それによって「やや属人的だった『つなぐ』ことに広域性をもたせたい」(鎌田さん)という狙いもある。

山﨑さんは「ふくしま連復は、会員や協力者が具体的な行動に移るための場。大いに活用していただきたいですし、会員ももっともっと増やしていきたい。私たちは福島の復興という『大きなうねり』をつくるためのHUB(つなぎ役)をめざしています」と力強く語った。

「がんばっている福島」を伝えたい


事務局長を山﨑さんに託し、新事業を立ち上げる鎌田千瑛美さんは南相馬市出身。
東京のIT系企業を辞めて福島県に戻ってきた
一方、鎌田さんは事務局長を山﨑さんに託し、自身は新事業を立ち上げる。まずは協働推進を担う人材の育成だ。

「協働を検討する際に、互いのニーズを引き出し顕在化させたり、課題を整理して共有化し問題解決に導いたり、ファシリテーションできる人材を派遣するしくみをつくりたい。県内のリソースだけでは足りないので、首都圏などからファシリテーターを招いて協働し、またその姿を間近で見ることで県内の人材育成につなげたいのです」と言う。

また、震災から2年以上活動し続けてきた団体に、やや疲労感が見えるのが気がかりだ。がむしゃらに突き進んできた人たちに、いったん立ち止まって中長期的なビジョンを考える時間をつくりたいとも考えている。
「そういう評価は当事者だけでは難しいです。外部の人に入ってもらって、事業や目的をいったん整理するしくみも整えたいのです」と語る。

南相馬市出身の鎌田さんは、震災前は東京のIT系企業で働いていたが、震災後に福島県に戻ってきた。
その目に、福島の復興はそろそろ次の段階に入る頃だと映っている。

「『たいへんだね、と言われる福島』ではなく『がんばりを伝える福島』という新しいフェーズに入りつつあります。問題はありますが、それでも『ここでがんばろう』という人たちがたくさんいる。私自身、そういう人から元気をもらっています。その姿をもっと広く伝えていきたいのです」(鎌田さん)

山﨑さんは「前向きに取り組んでいるので、関心を持ち続けてください。それが私たちの励みになります」と話す。
鎌田さんは「ときどき福島のおいしいものを食べる、『あまちゃん』のロケ地に遊びに行く途中で福島にちょっと寄る(笑)など、なんでもよいので興味は持ち続けてほしいです。私たちも声を伝えていきます」と言う。

福島県は東から西に「浜通り」「中通り」「会津」と3つの地方に分かれている。
気候も風土も大きく異なるが、浜通りで育った鎌田さんが「会津の人は頑固だと思い込んでいたけれど、山﨑さんは柔軟な人でした」と笑うように、震災という出来事を通じて結束を強めているようだ。私たちは、明るく、しかし歯を食いしばって奮闘する福島の人たちのことを忘れてはいけないだろう。

一般社団法人 ふくしま連携復興センター URL
http://f-renpuku.org/


活動サマリー
ふくしま連携復興センターは、被災した地域および被災者自身の自立的な復興を目指し、様々な支援のネットワークづくり、連携・協働推進を支えるべく活動しています。

□定例会、地域・テーマ別分科会や、課題別作業グループの組成
避難者・被災者への復興支援活動を行う支援団体(NPO等)間のネットワーク形成のため月例定例会や、地域別・テーマ別等の分科会等を実施し、自治体や社協、専門機関等との連携を促進する。
また、課題解決のための作業グループ等を形成支援する。

□行政機関・専門機関との関係構築
これまで築きあげてきた支援団体等のネットワークだけではなく、復興支援活動に関係する国・県・市町村との連携・協働体制を構築し、課題やビジョンの共有・役割分担確認が出来る関係性を築くべく、連絡会等を開催していく。
また、専門機関等との繋がり強化を図ることで、抜け漏れなき支援や、今後の被災者自身の自立的な復興を目指す。

業務内容
主な活動内容としては、
 -福島県内外の支援ニーズとリソースのコーディネーション
  そのためのステークホルダーとの関係性の構築、
  ニーズ発掘、マッチング
 -ネットワーク形成・協働推進のための定例会・分科会等の企画・運営
  それぞれが必要な役割を担う個人や団体が、連携・協働を促進できるような場づくり
 -各支援団体等への定期的な情報提供および外部への情報発信
  支援プログラム、助成情報等の資金調達等、復興支援に関わる
  必要情報等の定期的な情報発信、福島県外への現地情報等の発信
をお願いします。

条件
●活動期間:3ヵ月以上
●活動地域:福島市
●活動支援金:100,000~150,000円/月(委細面談)
→ETIC.震災復興リーダー支援基金より支給
→能力等により+30000円までプロジェクト側からの支給可能性あり
●現地までの交通費:支給なし
●生活支援:宿泊場所あり、住宅支援なし、現地交通費支給なし、食事支援なし

リーダーからの想い
「こんな考えもあって、あんな考えもあるけれど、私はこうだよ」と、お互いの価値観をちゃんと尊重しあって「一緒にこうしたいね」ってできる結び役というか、いろんな価値観を受け入れられる人がいいなと思います。
福島イコール放射能というわけではなく関東でもホットスポットと言われる場所はあるし、この先もどこかで起こりうるかもしれない問題で、福島だけの問題ではない。
自分はどう捉えてどう解決の糸口を見つけていくのかを当事者として見据えた上で、自分なりの選択や関わり方、成果の残し方を考えていただけたらと思います。

こんな人を待ってます!
・福島出身者、UIターン希望の方
・ミクロな視点とマクロな視点をバランスよく捉え、
 いま各地域にとってどの対象へどんな支援が求められるのかを考えられる方
・様々なステークホルダーとコミュニケーションを図ることの出来る方
・自立的に活動でき、チームワークを大事に出来る方

持続可能な開発目標

2018年03月26日 12時21分56秒 | 社会・文化・政治・経済
SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称です。
そもそもどう発音するかというと、SDGs(エス・ディー・ジーズ)です。
時々エス・ディー・ ジー・エスと読まれる方がいらっしゃるのですが、最後はGoals(ゴールズ)の略です。
SDGsは2015年9月の国連サミットで採択されたもので、国連加盟193か国が2016年~2030年の15年間で達成するために掲げた目標です。

MDGsは、以下の8つのゴールを掲げていました。

ゴール1:極度の貧困と飢餓の撲滅
ゴール2:初等教育の完全普及の達成
ゴール3:ジェンダー平等推進と女性の地位向上
ゴール4:乳幼児死亡率の削減
ゴール5:妊産婦の健康の改善
ゴール6:HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延の防止
ゴール7:環境の持続可能性確保
ゴール8:開発のためのグローバルなパートナーシップの推進”

「極度の貧困と飢餓の撲滅」「HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延の防止」などが織り込まれていることからも分かるように、MDGsは先進国による途上国の支援を中心とする内容です。

しかし、MDGsについては、途上国からこんな意見も出ていました。

“乳幼児死亡率の削減など、発展途上国が抱える問題を挙げ、解決策を探った。
だが、その内容は先進国が決めており、途上国からは反発もあった。
進展には地域の偏りなどの「見落とし」があったとも指摘された。”

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SDGs(持続可能な開発目標)とは何か?17の目標をわかりやすく解説|日本の取り組み事例あり
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最近、新聞やテレビの中でよく聞くようになった「SDGs(エスディージーズ)」という言葉。国内外で人気を集めるタレント・ピコ太郎さんの動画やESG投資をきっかけに「SDGs」を知った、という人も多いのではないでしょうか。

今回は、「SDGsって結局、何?」と考えている方のために、SDGsが掲げている目標について、実際の取り組みをご紹介しつつ解説していきます。

SDGs(持続可能な開発目標)とは、“2030年までに達成すべき17の目標”

「SDGs(エスディージーズ)」とは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称であり、2015年9月に国連で開かれたサミットの中で世界のリーダーによって決められた、国際社会共通の目標です。

このサミットでは、2015年から2030年までの長期的な開発の指針として、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されました。この文書の中核を成す「持続可能な開発目標」を、SDGsと呼んでいるのです。

SDGsの前身である「MDGs」に変わって定められた
SDGsは、2000年に国連のサミットで採択された「MDGs(ミレニアム開発目標)」が2015年に達成期限を迎えたことを受けて、MDGsに変わる新たな世界の目標として定められたものです。

MDGsは、以下の8つのゴールを掲げていました。

“ゴール 1:極度の貧困と飢餓の撲滅
ゴール2:初等教育の完全普及の達成
ゴール3:ジェンダー平等推進と女性の地位向上
ゴール4:乳幼児死亡率の削減
ゴール5:妊産婦の健康の改善
ゴール6:HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延の防止
ゴール7:環境の持続可能性確保
ゴール8:開発のためのグローバルなパートナーシップの推進”

「極度の貧困と飢餓の撲滅」「HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延の防止」などが織り込まれていることからも分かるように、MDGsは先進国による途上国の支援を中心とする内容です。

しかし、MDGsについては、途上国からこんな意見も出ていました。

“乳幼児死亡率の削減など、発展途上国が抱える問題を挙げ、解決策を探った。だが、その内容は先進国が決めており、途上国からは反発もあった。進展には地域の偏りなどの「見落とし」があったとも指摘された。”

それを受け、2015年に新たに策定されたSDGsは、先進国と途上国が一丸となって達成すべき目標で構成されているのが特徴です。

SDGsの「17の目標」とは何か?

では、肝心のSDGsの中身、「持続可能な開発目標」とは具体的にどのようなものなのでしょうか。
SDGsは「17の目標」と「169のターゲット(具体目標)」でできています。

17の目標
目標1:貧困をなくそう

目標2:飢餓をゼロに

目標3:すべての人に保健と福祉を

目標4:質の高い教育をみんなに

目標5:ジェンダー平等を実現しよう

目標6:安全な水とトイレを世界中に

目標7:エネルギーをみんなに、そしてクリーンに

目標8:働きがいも経済成長も

目標9:産業と技術革新の基盤をつくろう

目標10:人や国の不平等をなくそう

目標11:住み続けられるまちづくりを

目標12:つくる責任つかう責任

目標13:気候変動に具体的な対策を

目標14:海の豊かさを守ろう

目標15:陸の豊かさも守ろう

目標16:平和と公正をすべての人に

目標17:パートナーシップで目標を達成しよう

いかがでしょうか。
貧困や飢餓といった問題から、働きがいや経済成長、気候変動に至るまで、21世紀の世界が抱える課題を包括的に挙げていることが分かると思います。

「169のターゲット」は目標をより具体的にしたもの!
この17の目標を、より具体的にしたものが「169のターゲット」です。
少し長いですが、目標1を例に、実際のターゲットを見てみましょう。

「目標1:貧困をなくそう」に付随するターゲット
“1.1:2030年までに、現在1日1.25ドル未満で生活する人々と定義されている極度の貧困をあらゆる場所で終わらせる。
1.2:2030年までに、各国定義によるあらゆる次元の貧困状態にある、すべての年齢の男性、女性、子どもの割合を半減させる。
1.3:各国において最低限の基準を含む適切な社会保護制度及び対策を実施し、2030年までに貧困層及び脆弱層に対し十分な保護を達成する。
1.4 2030年までに、貧困層及び脆弱層をはじめ、すべての男性及び女性が、基礎的サービスへのアクセス、土地及びその他の形態の財産に対する所有権と管理権限、相続財産、天然資源、適切な新技術、マイクロファイナンスを含む金融サービスに加え、経済的資源についても平等な権利を持つことができるように確保する。
1.5 2030年までに、貧困層や脆弱な状況にある人々の強靱性(レジリエンス)を構築し、気候変動に関連する極端な気象現象やその他の経済、社会、環境的ショックや災害に暴露や脆弱性を軽減する。
1.a あらゆる次元での貧困を終わらせるための計画や政策を実施するべく、後発開発途上国をはじめとする開発途上国に対して適切かつ予測可能な手段を講じるため、開発協力の強化などを通じて、さまざまな供給源からの相当量の資源の動員を確保する。
1.b 貧困撲滅のための行動への投資拡大を支援するため、国、地域及び国際レベルで、貧困層やジェンダーに配慮した開発戦略に基づいた適正な政策的枠組みを構築する。”


感傷的になるのではなく

2018年03月26日 12時07分28秒 | 社会・文化・政治・経済
「たとえ困難であろうと、それでもやはりやらねばならぬ、難しければ難しいほど、ますますやらねばならぬ」中国の文豪・魯迅の精神でる。
その精神・気概は革命の誇り高き合言葉である。

難があるから不幸なのではない。
要は何があっても負けないことだ。
強い自己自身をつくることができれば、いかなる難があろうが、感傷的になるのではなく、明るく、朗らかに、信念の人生を生きていけるはず。
例え環境や状況がどうであろうと。

自己の一念の変革

2018年03月26日 11時51分37秒 | 社会・文化・政治・経済
「平和の対局にあるのは戦争ではない。無関心である」ノーベル平和賞を受賞したエリ・ヴィーゼルさん

自身の生命の変革を目指す。
自己の一念の変革によって、家庭や職場、地域、国土をも変革していける。
大事なのは一人の「一念」であり、「心」である。
一人一人が「心」でつながれば、全人類も「幸福」へ、「安穏」へ、「平和」へと導いていけないはずがない。

持続こそ、負けない力だ

2018年03月26日 07時35分16秒 | 沼田利根の言いたい放題
災害の中、悲嘆に暮れる人もいる。
そのことは、責めることはできない。

3月11日、福島県相馬市の実家は津波で全壊した。
避難生活のために、職場の病院を離れたことが、<患者を置き去りにした>という悔恨となった。
一方、地元の復興にと、ボランティア活動に参加した時期もあった。
わが家のない故郷と心理士として働く職場とを行き来し、<使命の場所は>と悩み続けてきた。
そうした中で大学院への進学を決心した。
常勤で働きながら学び抜き、昨年、晴れて臨床心理士の試験に合格した。
このような体験を知り、若き日を思い起こした。
我々は麻雀に明け暮れていた。
だが、仲間の一人が麻雀を止めて、夜間の英会話塾に通い出したのである。
彼は慶応大学の法学部出身であった。
語学を身に付けて念願のアメリカの大学院へ留学、アメリカに永住する身となった。
彼はさらに上を目指し、米国弁護士資格を得る。