心の教育とは 心に価値を見だすこと
ズルキフリ・アブドゥル・ラザクさん(マレーシア国際大学協会前会長)
父親は1944年、当時の国費留学生としてマレーシアから来日した。
広島の大学に学んでいた。
翌年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、父被爆。
一命を取り留め、帰国した後はマレー語・日本語の教師となる。
自らの被爆体験を各地で語り伝えた。
その遺志を継ぐ。
市民社会において平和が語られることが、非常に重要です。
市民社会の言説は地に足が着いており、より的確で誠実だと思われるからです。
どんな組織も<個人>から成る以上、いかにして個人が<自分のこと>としての平和観を持つことが重要です。
私は父から、そのことを学びました。
父は広島の原爆を生き抜いてから、自身にはその体験を後世に語り伝えていく責任があると感じ、行動を続けたのです。
これからは、精神的な働きが重んじられる段階に入っていくと思われます。
そうした時代に必要なのが「心の教育」だと、私は考えているのです。
さらに深く自身の内面を見つめるための教育が重要です。
私たちの「外側」にあるものへの関わり方を考える教育です。
私たちの「外側」の世界に起こることは、人間の「内なる心」の具体的な表れであり、心が
環境に反映されるプロセスだと私は感じています。
だからこそ、一人一人の「個人」の心に育まれる平和観が大切です。
「怒りを制御できれば欲望を制御でき、支配欲も制御できる」とイスラム法学者のガザリーは語っています。
エゴの心をコントロールできるようになるための教育が必要です。
現在の世界は、明日に何が起こるかも分からない、複雑な変化の時代にあります。
いずれにせよ、今の若者は、より多くの対話が必要な世代だといえるように思います。
平和のためにどんな行動するのか-そうした対話を重ねながら、社会の全体像を見つめ、再構築していくという難題を避けられない世代だと思うのです。
激動の時代の中で、どう次の世代が継承していくのか―その大きな挑戦に臨むための対話と行動も、これからの青年に必要なことだと思います。
ズルキフリ・アブドゥル・ラザクさん(マレーシア国際大学協会前会長)
父親は1944年、当時の国費留学生としてマレーシアから来日した。
広島の大学に学んでいた。
翌年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、父被爆。
一命を取り留め、帰国した後はマレー語・日本語の教師となる。
自らの被爆体験を各地で語り伝えた。
その遺志を継ぐ。
市民社会において平和が語られることが、非常に重要です。
市民社会の言説は地に足が着いており、より的確で誠実だと思われるからです。
どんな組織も<個人>から成る以上、いかにして個人が<自分のこと>としての平和観を持つことが重要です。
私は父から、そのことを学びました。
父は広島の原爆を生き抜いてから、自身にはその体験を後世に語り伝えていく責任があると感じ、行動を続けたのです。
これからは、精神的な働きが重んじられる段階に入っていくと思われます。
そうした時代に必要なのが「心の教育」だと、私は考えているのです。
さらに深く自身の内面を見つめるための教育が重要です。
私たちの「外側」にあるものへの関わり方を考える教育です。
私たちの「外側」の世界に起こることは、人間の「内なる心」の具体的な表れであり、心が
環境に反映されるプロセスだと私は感じています。
だからこそ、一人一人の「個人」の心に育まれる平和観が大切です。
「怒りを制御できれば欲望を制御でき、支配欲も制御できる」とイスラム法学者のガザリーは語っています。
エゴの心をコントロールできるようになるための教育が必要です。
現在の世界は、明日に何が起こるかも分からない、複雑な変化の時代にあります。
いずれにせよ、今の若者は、より多くの対話が必要な世代だといえるように思います。
平和のためにどんな行動するのか-そうした対話を重ねながら、社会の全体像を見つめ、再構築していくという難題を避けられない世代だと思うのです。
激動の時代の中で、どう次の世代が継承していくのか―その大きな挑戦に臨むための対話と行動も、これからの青年に必要なことだと思います。