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問題の追及や告発よりも解決策を示す

2018年08月10日 18時55分08秒 | 社会・文化・政治・経済
建設的ジャーナリズム

何が起きたかを伝えるだけでなく、問題の解決策まで見いだせるような建設的な報道と議論を行うこと。
マティアス・ホルクスMatthias Horx
現在のジャーナリズムは、過剰にネガティブな事象に偏った報道を行っているとホルクスは指摘します。
実際に世界的に報道されているニュースの6割がネガティブなニュースだという統計もあります。もちろん、センセーショナリズムとネガティブな報道はいまにはじまったものではなく、「批判的精神」という名の下に、これまで受けついできたジャーナリズムの遺産です。
ネガティブな報道ばかりに浸っていれば、当然、不安があおられ、社会全体が恒常的なパニックや過敏なヒステリック状態になります。
不安を感じ、そこから逃れるための性急な解決案を望む人たちが増えれば、たとえば政界ではポピュリズムの政党の勢力拡大を許すことになります。
確かに、センセーショナルな話題は人の目を引きます。
ホルクスは、現状のジャーナリズムの体質と体制を抜本的に代えないかぎり、ジャーナリズムに将来はないとする一方、今日、ジャーナリズムには未曾有のチャンスが横たわる好機だともいいます。
よいジャーナリズムとは、見えるままの事実を報道するのではなく、意味のあるものとないものを判別し、事象の背景を探り、分析し、解釈したもので、いわば社会を照らす灯台の役割を担うものである。そのような役割は、あまたのフリーのニュースソースがあっても、それらに代替されるものではないとホルクスは考えます。
「建設的ジャーナリズム」とは、デンマークの二人のジャーナリスト、ハーゲルップUlrik HaagerupやギュルデンステッドCathrine Gyldenstedによって、2010年ごろから提唱されるようになったジャーナリズムの志向や手法です。「今日のニュースメディアで増えているタブロイド化や、センセーショナリズム、また否定的バイアス」に対抗し、「起きている悪いことや否定的な面を強調するのではなく、公平で正確でしかも社会的文脈に関連づけた世界を人々にみせることを目指す」(Constructive Institute)ジャーナリズムだとされます。
ハーゲルップは、建設的なニュースを報道するのに、以下のような問いかけをもつのがよいとします。
・そのことで独自の(特別の)発想はどこにあるのか?

・なにが解決になりうるか?

・ほかの人はその問題にどう関わってきたか?

・我々はそこからなにが学べるか?

・もしも違う風であることが可能なら、なぜ我々にそれができないのか?(Haagerup, 2015, S.97)
ハーゲルップは、建設的ジャーナリズムがかかげる改革路線が、デンマークだけでなく、世界で共通してジャーナリズムが抱えている問題を解決するのに必要だという確信を深めていきます。
穂鷹知美

創作欄 美登里の青春

2018年08月10日 08時31分12秒 | 創作欄
2012年2 月 7日 (火曜日)

「私が休みの日に、何をしているのか、あなたには分からないだろうな?」
北の丸公園の安田門への道、外堀に目を転じ美登里は呟くように言った。
怪訝な想いで徹は美登里の横顔を見詰めた。
徹を見詰め返す美登里の目に涙が浮かんでいた。
「私が何時までも、陰でいていいの?」
責めるような口調であった。
区役所の職員である36歳の徹は、妻子のいる身であった。
「別れよう。このままずるずる、とはいかない」
美登里は決意しようとしていたが、気持ちが揺らいでいた。

桜が開花する時節であったが、2人の間に重い空気が流れていた。
乳母車の母子の姿を徹は見詰めた。
母親のロングスカートを握って歩いている少年は徹の長男と同じような年ごろである。
「私は、何時までも陰でいたくないの」
徹の視線の先を辿りながら美登里は強い口調となった。
徹は無表情であった。都合が悪いことに、男は沈黙するのだ。
北の丸公園を歩きながら、美登里は昨日のことを思い浮かべていた。
九段下の喫茶店2階から、向かい側に九段会館が見えていた。
美登里は徹と初めて出会った九段会館を苦い思いで見詰めていた。
美登里は思い詰めていたので、友人の紀子に相談したら、紀子の方がより深刻な事態に陥っていた。
「私はあの人の子どもを産もうと思うの。美登里どう思う?」
美登里はまさか紀子から相談を持ち掛けれるとは思いもしなかった。
「え! 紀子、妊娠しているの?」
紀子は黙って頷きながら、コーヒーカップの中をスプーンでかきまぜる仕草をしたが、コーヒーではなく粘着性のある液体を混ぜているいうな印象であった。
「美登里には、悩みがなくて良いわね」
紀子は煙草をバックから取り出しながら、微笑んだ。
「私しより、深刻なんだ」美登里は微笑み返して、心の中で呟いた。 
結局、美登里は紀子の前で徹のことを切り出すことができなかった。
2012年2 月 8日 (水曜日)
創作欄 美登里の青春
「あの夏の日がなかったら・・・」
美登里はラジオから流れているその歌に涙を浮かべた。
歌を聞いて泣けたことは初めてであり、気持ちが高ぶるなかで手紙を書き始めていた。
「なぜ、あなたを愛してしまっただろう。冷静に考えてみようとしているの。あなたは遊びのつもりでも、私の愛は真剣なの。でも、陰でいることに耐えられない。18歳から21歳までの私の青春が、あなたが全てだったなんて、もう嫌なの」
そこまで書いたら、涙で文字が滲んできた。
美登里は便せんをつかむと二つに割いた。
泣いて手紙を書いていることを、徹に覚らせたくはなかった。
美登里は日曜日、信仰している宗教の会合に出た。
そして会合が終わり、みんなが帰ったあと1人残った。
先輩の大崎静香の指導を受けるためだ。
「美登里さん、私に何か相談があるのね。元気がないわね。会合の間にあなたを見ていたの」
指導者的立場の大崎は、説法をしながら壇上から時々美登里に視線を向けていたこを美登里も感じていた。
美登里と6歳年上の大崎は、性格が明るく生命力が漲り、常に笑顔を絶やさない人だ。
そして何よりも人を包み込むような温かさがあった。
人間的な器が大きいのだと美登里は尊敬していた。
「この人のように、私もなれたら」美登里は目標を定めていたが、現実を考えると落差が大きかった。
大崎は美登里の話を、大きく肯きながら聞いていた。
「それで、別れることはできないのね」
大崎が美登里の心を確かめるように見詰めた。
「そうなの」
美登里は涙を流した。
「それなら美登里さん、日本一の愛人になるのね」
美登里はハンカチを握りしめながら、大崎の顔を怪訝そうに見詰めた。
「日本一の愛人?!」心外な指導であった。
大崎は当然、美登里に対して、「相手は、妻子のある男なのだから、別れなさい」と指導すると思っていた。
改めて、美登里は尊敬する大崎の包容力の大きさを感じた。
そして、美登里は決意した。
「私は、日本一の愛人にはなれない。徹さんと別れよう」
2012年2 月12日 (日曜日)
創作欄 鼻血が止まらず救急車で搬送された徹
「大往生したけりゃ医療とかかわるな」
死ぬのは「がん」に限る。
ただし、治療はせずに。
著者の中村仁二さんは医師だ。
医師が医療を否定する。
それは、どのようなことなのか?
徹は新聞広告を見て、本屋へ向かった。
1昨年のことであるが、真夏にボランティアである施設へ行き、庭の草むしりをした。
炎天下、1時間ほど雑草と格闘した。
流れる汗とともに、鼻水も垂れてきたと思って、ハンカチで鼻を拭ったら、紺色のハンカチが黒く変色した。
それは鼻水ではなく、血であった。
その日の前日も、夜中に目覚めたら枕に髪が絡み着いた感じがした。
部屋の蛍光灯をつけて確認したら、枕に血溜まりができていて髪の毛に固まった血がベッタリと付着していた。
1週間ほど鼻血が出ていて、深酒をした日にはドクドクと鼻血は喉に流れ込む。
吐き出しても口に鼻血はたちまち溢れてきた。
「これでは出血多量で死ぬな」と徹は慌てた。
徹は妻子と離婚して5年余、一人身である。
救急車を呼ぼうかと思ったが、午前3時である。
マンションの住民たちに迷惑になると思い、我慢した。
死の恐怖を感じながら、何とか鼻血を止めようとした。
初めはティッシュペーパで対応したが、見る見る血で染まってきて、それではらちがあかない。
そこで脱脂綿を鼻奥に詰め込んだ。
しばらくして、鼻血は止まった。
徹の母親は56歳の時、早朝に鼻血が止まらなく、救急車を呼んだ。
国立相模原病院に搬送されたが、血圧が200以上あった。
徹は自分の現在の状況と重ねて、20代の頃を思い浮かべた。
結局、母親は生涯、血圧降下剤を飲み続ける。
母子は遺伝子的に同じ宿命を辿ると徹は思い込んでいた。
宿命は変えられない。
だが、意志で運命は変えられる。
徹はそのように考えた。
炎天下の草むしりのあと、昼食を食べに松戸駅前のラーメン店へ行く。
「ビールでも飲むか」とボランティア仲間の渥美さんが言う。
徹は日本酒にした。
3本目を飲みだしたら、また、鼻血が出てきた。
口と鼻を押さえながら、慌てふためいてトイレに駆け込む。
鼻血でたちまち便器は染まっていく。
「これは、尋常ではない」と覚悟を決めた。
結局、乗りたくはない救急車を呼んでもらった。
5分もかかわず、救急車のサイレンが聞こえてきた。
近くに病院もあり、7分くらいで病院に搬送されたが、血圧を測定したら210もあった。
救急車で血圧を測定した時は180であった。
注射をして様子をみることになる。
10分後に血圧を測定したら、まだ、200を超えていた。
「まだ、ダメね」と看護師は首をひねる。
そこで、胸に貼り薬を試した。
「動き回らず、寝ているのよ」と看護師にたしなめられた。
徹は携帯電話を持たないので、心配しているボランティア仲間の渥美さんに待合室の公衆電話で、様子を伝えたのだ。
「あんたは、鉄の肝臓を持っている男だ。鼻血くらいでは死なないよ」とボランティア仲間の渥美さんは笑った。
徹の血圧は、胸に貼り薬のおかげで、140にまでいっきょに低下していた。
「月曜日、来て下さい。鼻の粘膜の切れやすい箇所をレーザーで焼きますから、耳鼻咽喉科へ必ず来て下さい」と看護師が言う。
徹はあれから1年6か月余経過したが、その病院へ2度と行っていない。
血圧降下剤も飲んでいない。
鼻の粘膜は、レーザーで焼かなくともその後、破れていない。
2012年2 月13日 (月曜日)
創作欄 鼻息だけは強かった専門紙の同僚の真田
「心の中に何か抑圧があるのでしょ。でもそれが、どんな形で作品に表われるのか自分ではわからない」
田中慎弥さんが読売新聞の「顔」の取材で述べていた。
芥川賞受賞作が20万部に達し反響を呼んでいる。
徹は記事を読んで、昔の専門誌時代の同僚の真田次郎を思い出した。
真田は小説を書いていた。
だが、作品をどこにも発表していないと思われた。
「この程度の作品で芥川賞なんか、来年はわしが賞を取ったる」
真田は鼻息だけは強い。
「谷崎の文体、三島の文体、志賀の文体、川端の文体どれでも書ける。今週の病院長インタビューは、三島の文体でいくか」
文学好きの事務の渋谷峰子はペンを止めて、真田に微笑みながら視線を送った。
徹は峰子が真田に恋心を抱いていることを感じた。
現代流に言うと真田はイケメンで、知的な風貌をしていた。
そして、声は良く響くバスバリトンで、声優にもなれるだろうと思われた。
特に電話の声には圧倒された。
徹は学生時代を含め、真田のような美声に出会ったことがない。
声優の若山弦蔵の声にそっくりなのだ。
真田は憎らしいほど女性にもてる男で、夕方になると女性から会社に電話がかかってきた。
「真田、たくさんの女と付き合って、名前を間違えることないいんか?」と編集長の大木信二がやっかみ半分「で言う。
「ありませんね」真田は白い歯を見せながら、朗らかに笑った。
「お前さんは、その笑顔で女をたらしておるんだな。俺に1人女を回さんか」
冗談ではなく、大木の本気の気持ちである。
真田は大木を侮蔑していた。
「大木さんは新宿2丁目あたりで、夜の女を相手に性の処理をしておる。不潔なやっちゃ。金で女を買う奴はゲスやな。徹は性はどうしておるんや」
露骨に聞いてきた。
真田はそれから3年間、どこの文学賞も取らなかった。
そして、反動のように女性関係をますます広げていった。
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<参考>
若山 弦蔵(わかやま げんぞう、1932年9月27日 - )は、日本の男性声優、俳優、 ナレーター、ディスクジョッキー。
フリー。 ... 1973年より1995年までTBSラジオ『若山弦 蔵の東京ダイヤル954』(当初は『おつかれさま5時です』)のパーソナリティーを務めた。
2012年2 月14日 (火曜日)
2012年2 月22日 (水曜日)
創作欄 美登里の青春 続編 1
「人はなぜ、狂うのか?」
美登里は考えを巡らせたが、答えが見つかる分けではなかった。
「心も風邪をひく」そのように想ってみた。
中学生のころ、夜中にうなされて目を覚ましたら、父が枕もとに座っていたのだ。
頭に手をやると冷蔵庫で冷やした手拭いが額に乗っている。
「39度もあった熱が、37度に下がったよ」と父親が微笑んだ。
「何も覚えていない」
心がとても優しい父親は寝ずにずっと枕もとに座って、1人娘である美登里を看病していたのだ。
嬉しさが広がり、美登里は深い眠りについた。
母親は美登里が小学生の頃、美登里の担任の教師と深い関係となり、噂が広がったことから狭い土地に居られず家を出た。
妻子が居た教師は学校を辞め、千葉の勝浦の実家へ帰った。
母親は2年後、家に戻ってきたが再び姿を消すように居なくなる。
美登里は子ども心に、母親が何か精神を病んでいるようにも見えた。
母親は化粧も濃く相変わらず派手な姿であったが、深く憎んでいたその姿が美登里にはとても哀れに想われたのだ。
美登里は性格が父親似で穏やかであり、ほとんど人と喧嘩をした記憶がない。
高校卒業後の進路をどうするか?
地元で働くか都会へ出るか迷っていたが、会社勤めに何か抵抗があった。
組織に馴染めないと思われたのであるが、結局、美登里は高校を卒業すると、東京へ出ることにした。
父親の弟が、東京の神保町で美術専門の古本屋を営んでいたので、美術に興味があった美登里は叔父の勧めるままに、その店で働くことにした。
19歳の時、美登里は区役所で働いていた徹と出会ったのである。
九段会館の屋上のビアホールで夏だけアルバイトをしていた。
徹は客として区役所の同僚たち3人とビールを飲みに来ていた。
ある夜、美登里は帰りの電車の中で偶然、徹と隣合わせに座っていたのだ。
美登里の視線を感じた徹が、本から目を美登里に転じた。
「ああ、偶然だね。君は九段会館で働いていたよね?」
「ハイ」
美登里は相手の爽やかな笑顔に戸惑い、恥じらいで頬を赤らめた。
それまで男性と交際した経験がなかったのだ。
「ここで、偶然会ったのも何かの縁。今度の日曜日、上野の二科展へ行かない? 僕の友だちが作品を出展しているのだ」
「二科展ですか?」
想わぬ誘いであった。
「行こうよ。今度の日曜日午後1時、東京都美術館の入り口で待ち合わせよう。待っているからね」
下北沢駅で電車が停車したので徹は立ちあがった。
人波に押し流されるように徹は降りて行く。
2012年2 月22日 (水曜日)
創作欄 美登里の青春 続編 2
宗教とは、何であるのか?
美登里は、ある日突然、同じアパートに住むその人の訪問を受けた。
何時もその人は爽やかな親しみを込めた笑顔で、元気な張りのある明るい声で挨拶をしていた。
美登里はどのような人なのか、と気にもしていた。
「私は、佐々木敏子です。よろしお願いします」と丁寧に頭を下げるので、美登里も挨拶を返した。
その人とは、毎日のように顔を合わせていたが、訪問を受けるとは思っていなかったので、戸惑いを隠せなかった。
「お部屋にあがらせていただいて、いいかしら?」
その申し出に、嫌とも言えない雰囲気であった。
部屋は幸い片付いていた。
「部屋を綺麗にしているのね」相手は部屋を見回して、笑顔を見せた。
美登里はお茶でも出そうかと台所へ向かおうとしたが、その気配を感じて相手は、「突然で、迷惑でしょ。構わないでください」と制するように言う。
美登里は1枚しかない座布団を出した。
相手はその座布団に座りながら、「お仕事は、どうですか?」と聞く。
「まあまあです」としか答えようがなかった。
「あなたは、幸せですか?」真顔で聞かれたので戸惑いを覚えた。
沈黙するしかない。
美登里は、自分が幸せかどうかを真剣に考えてたことがなかった。
「幸せとは、何だろう?」沈黙しながら、美登里は頭を巡らせた。
気押されるような沈黙の時間が流れた。
相手は美登里をじっと見つめていたのだ。
「私たちと一緒に、美登里さん幸せになりませんか?」
佐々木敏子は結論を言えば、宗教の勧誘のために訪問してきたのだ。
「明日の日曜日、どうでしょうか? 時間があればお誘いします。私たちの集まりに出ませんか?」
美登里は、徹から「二科展へ行かないか」と誘われていた。
「明日は、用事があります」と断った。
「残念ね。それではまた、お誘いするわ。是非、集まりに来てくださいね」
その時の敏子はあっさりした性格のように想われた。
そして、小冊子を2冊置いて行く。
小冊子を開くと聖書の言葉が随所に記されていた。
2012年2 月23日 (木曜日)
創作欄 美登里の青春 続編 3
人の才能は、千差万別である。
運動能力であったり、学問の分野であったり、芸術の分野であったり。
美登里は、自分にはどのような能力があるのだろうかと想ってみた。
父親は地元の農業高校を出て農協の職員となった。
母親は? 美登里は母についてどういう経歴なのかほとんど知らない。
イメージとしては、厚化粧で派手な服装で、地元でも浮き上がっているような異質な雰囲気をもった女性であった。
だが、声は優しい響きで甘い感じがした。
体はやせ形の父とは対照的に豊満である。
歌が上手であり、よく歌ってくれた子守唄は今でも美登里の記憶に残っていた。
美登里は美術に興味があったが、絵が描けるわけではなかった。
美登里が勤める美術専門の古本店には、美術愛好家や美術専門家などが来店していたが、特別な出会いがあったわけではない。
美登里は午後1時に東京都美術館の前で待ち合わせをしたので、15分前に着いた。
すでに多くの人たちが来ていた。
二科会はその趣旨によると「新しい価値の創造」に向かって不断の発展を期す会である。
つまり、常に新傾向の作家を吸収し、多くの誇るべき芸術家を輩出してきたのだ。
絵画部、彫刻部、デザイン部、写真部からなる。
概要によると、「春には造形上の実験的創造にいどんで春期展を行い、秋には熟成度の高い制作発表の場とする二科展を開催しようとするものであります」とある。
美登里が、徹と行ったのは秋期展だった。
徹は美登里より、5分後にやってきた。
スニーカーを履き、上下ジーンズ姿である。
「晴れてよかったね」と徹は笑顔で言う。
美登里は徹の歯並びがいいことに気づく。
夜半から降っていた秋雨は午前10時ごろ上がり、青空が広がってきてきた。
上野公園の銀杏は、鮮やかな黄色に染まっていた。
2人は初めに徹の友人の作品が展示されている彫刻展を見た。
裸体像のなかに、バレリーナ―の彫刻がった。
「これだ」と徹は立ち止まった。
その彫刻は等身大と思われた。
つま先立ちであるから、細く長い足が強調されていた。
乳房はお椀のように丸く突き出ている。
手は大きく広げられていて躍動感を感じさせた。
「いいんじない」と徹は美登里を振り返った。
美登里は頬えみ肯いた。
2012年2 月25日 (土曜日)
創作欄 美登里の青春 続編 4
徹は二科展をじっくり見たわけではない。
60点ほどの彫刻展を見てから絵画展を見た。
それからデザイン展と写真展は流すような足取りで見て回った。
東京都美術館を出ると秋の日差しはまだ高かった。
「不忍池でボートに乗ろうか?」と徹が言う。
「ボートですか?」美登里はボートに乗った経験がなかった。
東叡山寛永寺弁天堂方面へ向かう。
細い参道の両側には、露天商の店が並んでいた。
「何か食べる?」と問いかけながら徹は店を覗く。
西洋人の観光客と思われる若い男女が笑いあいながら綿菓子を食べていた。
小学生の頃、美登里は夏祭りで父と綿菓子を食べたことを思い出した。
徹は美登利を振り返り、「綿菓子も懐かしい味がしそうだね」と微笑む。
夏には大きな緑の葉の間に鮮やかなピンクの花さかせる池の蓮は枯れかけていた。
ボート場には、ローボート、サイクルボート、スワンボートがあった。
「どれに乗る?」と徹は振り返った。
一番、ボートらしいローボートを美登里は選んだ。
美登里はこの日、緑色のジーパンを履いていた。
ボートが転覆することないと思ったが、まさかの時を思ってスカートでなくてよかったとボートが池を滑り出すと思った。
徹がロールを器用に漕ぐので、大きな水しぶきは飛び散らない。
ピンク色のスワンボートとすれ違った。
高校生らしい男女が横に並んで足で笑い合いながらボートを漕いでいた。
美登里は県立の女子高校だったので、男性と交際する機会がなかった。
「楽しそうだね」徹は微笑んだ。
美登里は振り返りながら肯いた。
「タバコ吸っていいかな?」
美登里は黙って肯いた。
「実は大学の卒論は、森鴎外だったんだ。小説『雁』読んだことある?」
「ありません」
美登里は青森県人なので太宰治が好きであった。
それから同じ東北人として宮沢賢治の本も読んでいた。
高校生の時、短歌もやっていたので石川啄木にも惹かれていた。
そして、東北人として最も身近に感じたのが寺山修司だった。
美登里にとって羨ましいほどの多彩な人であった。
「僕の職業は寺山修司です」
「そんなことが言えるんだ」 美登里はかっこいい男だと惚れ込んだ。
徹は暫く、思いを巡らせているように沈黙しながらタバコを吸っていた。
「小説の雁のなかに、この不忍池が出てくる。話は遠い明治の昔のことだけどね」
徹はタバコの煙を池の岸の方へ吹き出した。
タバコの煙が輪になって池に漂った。
ボートを降りると徹は、無縁坂へ美登里を案内した。
「ここが三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の岩崎邸だった。この坂の左側に、昔は小説の中に出てくるような格子戸の古風な民家が並んでいたんだ」
徹が学生時代にはそれらの家々がまだ残されていた。
高い煉瓦造りの塀を背にして、徹は手振り身振りで説明した。
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<小説の雁の概要>
1880年(明治13年)高利貸しの妾・お玉が、医学を学ぶ大学生の岡田に慕情を抱くも、結局その想いを伝える事が出来ないまま岡田は洋行する。
女性のはかない心理描写を描いた作品である。
 「岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。・・・」
 坂の南側は江戸時代四天王の一人・康政を祖とする榊原式部大輔の中屋敷であった。坂を下ると不忍の池である。
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<参考>
寺山 修司 (てらやま しゅうじ、1935年12月10日~1983年5月4日)は、日本の詩人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。
「言葉の錬金術師」の異名をとり、上記の他に歌人、演出家、映画監督、小説家、作詞家、脚本家、随筆家、俳人、評論家、俳優、写真家などとしても活動、膨大な量の文芸作品を発表した。
2012年2 月27日 (月曜日)
創作欄 美登里の青春 続編 5
人生の途上、何が起こるか分からない。
叔母が東京大学病院に入院した。
本人には「胃潰瘍だ」と告げていたが、スキル性胃がんであった。
胃がんの中で、特別な進み方をする悪性度の高いがんであり、余命は半年~1年と診断されていた。
叔父は美登里に涙を浮かべてそれを告げた。
医師の診断書を手にした叔父の手が小刻みに震えていた。
美登里はその診断書を叔父から手渡されたので読んだ。
美登里も思わず涙を浮かべた。
冬の陽射しは、長い影を落としていた。
徹と訪れたことがある三四郎池の木立が叔母が入院している病棟から見えた。
小太りの叔母は45歳であったが、年より若く見えた。
叔母は24歳の時に子宮筋腫となり、子どもを産めない身となっていた。
叔母は負い目から夫に、「愛人を作ってもいい」と言っていた。
叔母は薄々感じていたが、叔父には愛人が実際に居たのである。
だが、その愛人に若い男との関係ができて、現在は叔父は寂しい身となっていた。
「美登里ちゃん、あの人は何もできない人なのよ。お願い、私が退院するまで、叔父さんの面倒をみてほしいのだけれど、どうかしら」
叔母は美登里の手を握り締めた。
手には福与かな温もりがあった。
美登里は叔母に懇願されて、東京・文京区駒込の叔父の家へ行った。
八百屋お七の墓がある円乗寺の裏に叔父の家があった。
その夜、美登里は風呂に入った。
脱衣場は風呂場にはないので、廊下で着替えてた。
美登里は襖の間に人の気配を感じた。
叔父が美登里の襖の僅かな間から、美登里の裸体を覗き見ていたのだ。
美登里は多少は不愉快であったが、馬鹿な叔父の行為に一歩引いて冷笑を浮かべた。
大好きな父親によく似ていた叔父に、好感を抱いていたので気持ちは許せたのだ。
そして、美登里はその夜、夕食の時に叔父から聞かされた八百屋お七のことを思った。
お七は天和2年(1683年)の天和の大火で檀那寺(駒込の円乗寺、正仙寺とする説もある)に避難した際、そこの寺小姓生田庄之助(吉三もしくは吉三郎)と恋仲となった。
翌年、彼女は恋慕の余り、その寺小姓との再会を願って放火未遂を起した罪で捕らえられ、鈴ヶ森刑場で火刑に処された。
愛する男に会いたいために、放火をする16歳の女の子の浅知恵である。
だが、その激しい情念に美登里は気持ちが突き動かされた。
2012年2 月28日 (火曜日)
創作欄 美登里の青春 続編 6
叔父の家は昭和10年代に建てられた古い木造屋で、東京大空襲でも運が良く焼失をまぬがれた。
叔父は働いていた古本の美術専店の主人に子ども居なかったことから、養子に迎え入れられた。
義母は52歳の時に突然、クモ膜下出血で亡くなってしまった。
主人の19歳の姪が山梨県甲府から家事手伝いにやってきた。
叔父は29歳の時に、21歳となった主人の姪と結婚した。
70歳で亡くなった義父は東京都文京区本駒込の吉祥寺に眠っている。
寺の境内には江戸時代の農政家・二宮尊徳の墓碑があった。
また、山門には漢学研究の中心であった「旃檀林」の額が掲げられている。
「旃檀林」は駒澤大学の前身のひとつで、仏教の研究と漢学の振興とそれらの人材供給を目的とした学寮だった。
毎月の9日は義父の月命日であり、叔父は墓前に花を添えていた。
だから、その春の9日は美登里にとっても忘れられない日となった。
叔父の家に家事手伝いに来てから3日目の夜中である。
体に異変を感じて目覚めたら、叔父が美登里の布団に入り込んでいたのだ。
驚愕して身を跳ねのけたが、叔父に抑え込まれた。
荒い叔父の息遣いが酒臭かった。
「叔父さん、何するの!」と美登里は叫んだ。
「美登里、男、知っているんだろう?」
叔父は唇を寄せてきた。
美登里はその唇を避けながら、「嫌、ダメ」と叫んだ。
叔父の体から突然、力が抜けた。
「お前は、処女か?!」
美登里は肯いて、声を上げて泣きだした。
「悪かった。許してくれ、俺は魔が差したんだ」
叔父は乱れた浴衣を整えると、畳の上へ両手を突き土下座をした。
叔父は何度も畳に額を擦り付けて謝罪した。
美登里は泣きながら、両手で顔を覆っていた。
豆電球の灯りさえ、美登里には明るく映じた。
美登里は人と争った経験がほとんどない。
温厚な父は子どもころ美登里に言っていた。
「美登里も怒ることはあるよね。でも、ゆっくり10数えてごらん。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、それでも怒りが収まらなければ、怒っていい。でもね、怒ると損をするよ」
美登里は眠れないまま、ゆっくり10数を数えた。
そして美登里は、叔父の行為を許すことにした。
「夢の中の出来事」のように想えばいいと自身に言い聞かせた。
----------------------------------------------
<参考>
作家・島崎藤村は、姪のこま子との近親相姦に苦しんだ。
文学史上最大の告白小説とされる「新生」。
こま子は19歳の春、産後の病で妻を失った藤村宅に移り住んで3人の子育てや家事を手伝うことになった。
だが、藤村とただならぬ関係となり妊娠。
藤村は悩み抜いた 末、翌年には逃げるように渡仏した。


2012年2 月29日 (水曜日)
創作欄 美登里の青春 7
6月9日は、美登里の誕生日であリ20歳となった。
「私も大人になったのね」 美登里は19歳の1年を振り返った。
不本意にも“愛してしまった”妻子ある徹との出会い。
叔母の死、母親との再会。
そして、何よりも大きな変化は信仰に導かれたことだった。
叔母の死がなければ、信仰はしなかっただろう。
元気な叔母が、46歳の誕生日を迎える10日前に逝った。
スキル性の胃癌で余命6か月から1年と医師から言われていたのに、5か月で逝ってしまった。
3か月で一旦は東京大学付属病院を退院した。
叔母は元気な大きな声で話す人であったが、信じられないほどか細い声になっていた。
そして小太りであったが、10㌔も痩せて頬骨が出て年より老けて見えた。
白髪も増えていた。
その叔母がある日、「富士山が見たい」と言った。
山梨県甲府で生まれ19歳までその地で育った叔母は、山梨県側から見た富士山を仰いできた。
「静岡側から富士山を見てみたい」
叔母が懇願するように言うので、叔父が西伊豆へ1日、自動車に乗せて連れて行った。
車椅子に乗った叔母が見た静岡側の富士山は、叔母を甚く感嘆させた。
「富士山は、何処から見ても素敵ね」
叔母は微笑みながら溢れる涙を流した。
車の窓越しに見る伊豆の山桜が満開であった。
万感想うこともあったのだろう桜を見て叔母は涙を流した。
叔母が再び入院したのは死の7日前であった。
すでに叔母の意識はなくなっていた。
意識がなる前日、美登里が病室に入ると、起き上がろうした。
何度も叔母は試みたが、「もう、ダメなのね」と言って、布団に両手を投げ出すようにした。
美登里はその細った手を握りしめた。
肉太であった叔母の手は、皺が目立ち太い血管が浮き出ていた。
「美登里が泊ってくれると元気だ出るわ」
叔母が言うので、美登里はベットの脇の簡易ベットで付添い寝を何度かした。
だが、意識が亡くなった叔母は、眠り続けるばかりで、付添婦が何度も痰の吸引をしていた。
酸素マスクも付けていた。
叔母の死の3日前、その付添婦が、「臭いな。寝られない」とイライラしたように言った。
そして、面倒臭そうに叔母の下の世話をした。
付添婦は叔母と同年代に見えた。
そして叔母の日の前日、付添婦は叔母の酸素を勝手に止めた。
病室に入ってきた看護婦(当時)がそれを見咎めた。
「あはた!何をするの!」看護婦は付添婦を睨み据えた。
そして、美登里を廊下に呼び出して、「あの人を辞めさせなさい。私の立場からは言えないの」
怒りが収まらない様子であった。
「怒る時には、10数をゆっくり数えるんだ。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10とね。それでも怒りたければ怒る。でも怒ると損をするよ」 そのように父に諭されていた。
美登里は想った。
人間は、死期が迫っても、誰かと必ず出会う。
「出会いも、まさに宿命。良い人にも出会う。悪い人にも出会う。それも定めではないのか?」

2012年2 月29日 (水曜日)
創作欄 美登里の青春 続編 8
叔母の葬儀は、東京・文京区本駒込の吉祥寺で執り行われた。
叔母の父母と兄弟、姉妹たち6人が、山梨県からやってきた。
叔母は6番目に生まれた娘であった。
「こんなに、若くして亡くなるなんて・・・」と死に顔を見てみんなが泣いていた。
美登里は、父と1年ぶり会ったが、父の背後に居る人を見て目を見張った。
息が詰まり、声も出なかった。
52歳となった母親が美登里の前に姿を見せたのだ。
美登里が10歳の時に母親に若い男ができて、悶着の末に家を出て行ってしまった母親とは9年ぶりの再会であったが、とても複雑な想いがした。
父親は行く場所がなくなり困り果た末に、仕方なく自分の許へ戻ってきた妻を許し受け入れたのだ。
狭い田舎の土地であり、母親のことは暫く噂も立っていた。
気まずい思いをしたはずの母親が厚顔にも、父の許に戻って来るとは、どう考えても美登里には理解できないことであった。
美登里は知らなかったが、母親は温泉芸者であった。
美登里の父の幸吉は、勤めている農協の旅行で美登里の母の五月と出会った。
どのような経緯があったのか、五月は幸吉の押しかけ女房となった。
実は五月には連れ子の男の子がいたが、2歳の時に近所の川に落ちて死んでしまった。
村人たちは、幼子から目を離した母親の軽率さに非難の目を向けていた。
だが、勝気な五月は、相手を見返すように振舞っていた。
「まったく厚顔無恥、何処の馬の骨か分からん女だ」
村人たちは烙印を押すように五月を蔑んだ。
父の幸吉は5人兄弟、姉妹の家族の二男で、実家の農家を長男が受け継いだ。
幸吉の母は48歳の時に結核で亡くなっている。
そして、幸吉の父親は52歳で脳出血で逝った。
和服の喪服を着ている美登里の母親は、52歳になったが、葬儀の中でも浮いたような存在に映じた。
豊かにアップに結った髪型で厚化粧であり、どこから見ても平凡な家庭の主婦のようには想われない。
何処か水商売の女のような雰囲気を漂わせているのだ。
「美登里、その髪型素敵だよ!綺麗な女になったね。私似じゃないね。やっぱり性格もそうだけど、お前さんは、お父さん似だね」
葬儀が終わると母親の五月が美登里の前にやってきて、美登里の手を取った。
母親には、娘を棄てて家を突然出て行った時の謝罪の言葉は最後までなかった。
2012年3 月 2日 (金曜日)
創作欄 美登里の青春 続編 9
その宗教の話は、美登里の心に綿が水を吸うように浸み込んできた。
多くの参加者が、何の飾りもなく自分の過去を語っていた。
そして、信心をしたことで、「宿命を転換できた」と言っていた。
美登里を会合に誘った敏子も赤裸々に過去を語った。
敏子は教育大学を出て、小学校の教師となったばかりの年の夏休みの臨海学校で、生徒の水死事故に遭遇した。
亡くなった1年生の男子生徒の担任の女性教師は42歳、泳げなかったので深みはまった生徒を目撃したのに、自ら助けに行けなかったのだ。
生徒を引率してきた教師たちは、それぞれのクラスの生徒を監視していた。
敏子は1年目の新米教師であるのに、5年生のクラスを担当していた。
行くへ不明となった生徒の担任の女性教師は、取り乱して初めに敏子に助けを求めに飛んで来た。
ところが、敏子も泳げなかったのだ。
結局、50㍍くらい離れたところに居た男性の教師に助けを求めた。
さらに緊急の事態を知って、6人の男性教師たちが海へ向かった。
海で遊んでいた生徒たち全員が岸に集められた。
緊急事態に20代と思われる海の監視員も2人駆けつけてきた。
だが、行方不明となった生徒は、みんなが必死に探した関わらず何時までも見つけられなかった。
そして、虚しくも海に沈んでいたことが約1時間後に発見され、蘇生術を施されたが息を吹き返すことはなかった。
救急車で房総の市民病院に運ばれ生徒の死が確認された。
責任を感じた担任の女性教師は2日後、自宅の部屋で首を吊って自殺をした。
「若い自分が泳げなかった。教師失格ね」
生徒の水死で敏子自身も非常に責任を感じていた。
その年の秋に、敏子は同じ大学出身の先輩である男性教師に導かれて信心を始めたのだった。
「私はこの信心で、宿命を転換することができまいた」
敏子の体験を聞いたみんなが「良かった」と肯いていた。
明るく快活に見えた敏子には、悲惨な過去の体験があったことに美登里は心が動かされた。
「私にも宿命は必ずあるはず、それを断ち切ることができるのなら、信心をするほかないかもしれない。私も敏子さんのような凛とした女性になりたい」
その日、美登里の心は大きく傾き信心をする決意をした。
「美登里さん、私たちと一緒に幸福になりましょね」
会合に参加した全員から祝福された。
「良かったね」
「本当の幸せをつかもうね」
「宿命を転換できるからね」
誰彼無しに声をかけられて、美登里は肯くながら感極まって泣いた。
2012年3 月 2日 (金曜日)
創作欄 美登里の青春 続編 9
その宗教の話は、美登里の心に綿が水を吸うように浸み込んできた。
多くの参加者が、何の飾りもなく自分の過去を語っていた。
そして、信心をしたことで、「宿命を転換できた」と言っていた。
美登里を会合に誘った敏子も赤裸々に過去を語った。
敏子は教育大学を出て、小学校の教師となったばかりの年の夏休みの臨海学校で、生徒の水死事故に遭遇した。
亡くなった1年生の男子生徒の担任の女性教師は42歳、泳げなかったので深みはまった生徒を目撃したのに、自ら助けに行けなかったのだ。
生徒を引率してきた教師たちは、それぞれのクラスの生徒を監視していた。
敏子は1年目の新米教師であるのに、5年生のクラスを担当していた。
行くへ不明となった生徒の担任の女性教師は、取り乱して初めに敏子に助けを求めに飛んで来た。
ところが、敏子も泳げなかったのだ。
結局、50㍍くらい離れたところに居た男性の教師に助けを求めた。
さらに緊急の事態を知って、6人の男性教師たちが海へ向かった。
海で遊んでいた生徒たち全員が岸に集められた。
緊急事態に20代と思われる海の監視員も2人駆けつけてきた。
だが、行方不明となった生徒は、みんなが必死に探した関わらず何時までも見つけられなかった。
そして、虚しくも海に沈んでいたことが約1時間後に発見され、蘇生術を施されたが息を吹き返すことはなかった。
救急車で房総の市民病院に運ばれ生徒の死が確認された。
責任を感じた担任の女性教師は2日後、自宅の部屋で首を吊って自殺をした。
「若い自分が泳げなかった。教師失格ね」
生徒の水死で敏子自身も非常に責任を感じていた。
その年の秋に、敏子は同じ大学出身の先輩である男性教師に導かれて信心を始めたのだった。
「私はこの信心で、宿命を転換することができまいた」
敏子の体験を聞いたみんなが「良かった」と肯いていた。
明るく快活に見えた敏子には、悲惨な過去の体験があったことに美登里は心が動かされた。
「私にも宿命は必ずあるはず、それを断ち切ることができるのなら、信心をするほかないかもしれない。私も敏子さんのような凛とした女性になりたい」
その日、美登里の心は大きく傾き信心をする決意をした。
「美登里さん、私たちと一緒に幸福になりましょうね」
会合に参加した全員から祝福された。
「良かったね」
「本当の幸せをつかもうね」
「宿命を転換できるからね」
誰彼無しに声をかけられて、美登里は肯きながら感極まって泣いた。

創作欄 徹の青春 20

2018年08月10日 08時23分07秒 | 創作欄
2012年3 月23日 (金曜日)

加奈子は徹との気持ちが離れていくなかで悲嘆に暮れていた。
徹の妹の君江を強姦したと思われる犯人の3人が逮捕されたことを新聞で知ってから、心の動揺を抑え難くなっていた。
君江は、「被害を警察に届けたら私は死ぬ」と泣きじゃくっていた。
「私はどうしたらいいの」
眠れない夜が続いていた。
16歳の乙女心は日々沈黙に堪え難くなっていた。
誰にも話すことができない、それはとても辛いことであった。
まさかと思ったが、8月5日に自分が交番を訪れたことを、あの時の警察官が覚えていたのだ。
高校からの下校途中に警官から呼びとめられて、交番に連れて来られた。
「あんたに協力してもらいたいんだ。頼むよ」
横柄に思われた警官が、帽子を脱ぎ汗を拭うと真摯な眼差しを加奈子に向けた。
加奈子がしばらく迷いながら沈黙をしていると、街の巡回から50代と思われる警官が自転車で戻ってきた。
「この子がどうかしたのか?」
戻ってきた警官は、交番の丸椅子に座る加奈子に視線を向けた。
加奈子はこの警官は信頼が置けると思った。
いぶし銀のような雰囲気であり、懐の深さを感じさせたのだ。
その警官は定年を間近に迎えていた。
「実はね、私は長年沼田で警察官をやってきたが、今度の事件のような犯人は初めてなんだよ」
交番の奥から加奈子のためにお茶を運んできて老警官は、しみじみとした口調で言うのだ。
逮捕された勝海は、24歳であったが強姦常習犯であり、実にふてぶてしい態度をとり続けていた。
だが、逮捕されて2週間後に義母が農薬を飲んで自殺をしたことを取り調べの中で聞かされると、それまでの態度を一変させた。
心に非常な衝撃を受けたのだ。
子どものころにイジメられていた勝海を、義母は不憫だと実の子ども以上に溺愛していた。
東京大空襲で戦災孤児となった姉の子である勝海を、母性本能から哀れに思い引き取り育ててきたのだ。
ところがまさかであった、勝海は強姦常習犯として逮捕されてしまった。
「私の育て方が悪かったのだ」
義母は自分を責め抜いて、挙句の果てに自死の道を選んだ。
狭い月夜野の土地の目とマスコミの取材攻勢にも堪え切れなかったのだ。
「おい、勝海よく聞け! お前のおふくろがだな。農薬を飲んで自殺をしたんだ。そろそろ、洗いざらい話すんだ」
取調官は鋭い視線を勝海に向けて促した。
勝海はそれを聞かされると突然、取調室の机にうつ伏せとなり声を張り上げて泣いた。
そして9件の強姦の全てを、さらけ出すように自白した。
だが、強姦の被害届は3件のみであった。




2012年3 月23日 (金曜日)
創作欄 徹の青春 21
老警官は加奈子の心を解きほぐすように、帽子を脱ぐと穏やかな口調で語りかけてきた。
「言いたくない事情があるんだね。分かるよ」
加奈子は老警官の五分に刈り上げたゴマ塩頭を見つめた。
老警官はその頭を左手で撫で回すようにして、微笑んだ。
「帽子をとると、お爺さんのように見えるかい? 私は実は年内で引退だ。お茶が冷めるよ」
加奈子は勧められるままにお茶を啜った。
40代の警官は、黙って加奈子を見つめていた。
加奈子の心を読みとるような鋭い目の光を放っていた。
「8月5日の夜のことを詳しく話してもらえないだろうか?」
加奈子はお茶を二口、三口飲んだ。
そしてあの夜のことを語り始めた。
「君江さんを1人で家に帰した私たち2人が悪かったんです」
加奈子は涙がこみ上げてきて、両手で顔を覆った。
2人の警官は無言で加奈子を見つめていた。
突然、突風が吹いて交番の窓ガラスが揺らいだ。
西に傾いた秋きの陽射しに、冬の気配が感じられる時節となっていた。
老警官が加奈子に問いかけ、40代の警官が鉛筆を手に加奈子の話を筆記していた。
話し終えると加奈子はそれまで背負ってきたものが、いくらか軽くなったような想いがしてきた。
「ご苦労さん、家まで送って行きたいが世間の目もあるからね」
老警官は加奈子を交番の外に送る出しながら微笑みかけた。
加奈子は疎遠になってしまった徹に無性に逢いたくなった。
高校を中退してしまった徹は、相変わらず街中を彷徨していた。
だが皮肉であった。
徹は報復の炎に燃えていたのであるが、君江を強姦した3人の強姦犯人たちは警察に逮捕されていた。
加奈子は徹の報復を、「愚かな行為だ」と何度か思い留めるように諭してきた。
竹刀袋に江戸時代から家に伝わる脇差を隠し持って、徹は沼田の街中を彷徨っていたのだ。
「もう、徹さんにはついていけない」
16歳の加奈子が常軌を逸した17歳の徹から離れていったのは当然なことであった。
「でも、君江さんのことを警察に話してしまった以上は、直ぐに徹さんに会わなければならない」
加奈子は急ぎ足で徹の家へ向かった。
2012年3 月24日 (土曜日)
創作欄 徹の青春 23
沼田公園のある崖上の台地に最初に沼田城を築いたのは、鎌倉時代以来この地方の有力者であった沼田氏の12代万鬼斎顕泰である。
天文元年(1532)の頃であるとされている。
沼田城は倉内城とも呼ばれていた。
そして時代が経て、2万7千石の真田氏初代沼田城主となった真田信幸は、近世的な城郭の整備にとりかかり、二の丸、三の丸、堀、土塁、大門等の普請の後、慶長2(1597)年(一説には12年)には天守が完成したと言われている。
だが、天和元年(1681)11月、5代真田信利は江戸両国橋用材の伐出し遅延と失政の名目で城地は没収、改易となった。
沼田城は幕府に明け渡され、翌2年に城はすべて破却されて堀も埋められしまった。
大正5年(1916)、旧沼田藩士の子である久米民之助は、城地の荒廃を惜しみ私財を投じて購入して公園として整備し、大正15年(1926)に沼田町に寄付した。
断崖に面した本丸西櫓台の石垣や城址公園入り口の駐車場脇に残る三ノ丸土塁、わずかに残る本丸堀、西櫓台石垣、堀跡の一部などに城址としての名残をとどめているに過ぎない。
徹と加奈子は子持山が見える沼田城址の断崖の上に立っていた。
眼前に見える子持山を2人は見つめていた。
小学生の頃、学校の遠足で登った山だった。
「加奈子との別れの予感がするんだ」
徹はセーラー姿の加奈子の姿を目に焼き付けるように見つめた。
加奈子は恋心が既に覚めていたが、思わず徹の手を握り締めた。
密着した加奈子の豊かな腰の温もりが徹に伝わってきた。
「徹さん、高校に戻ってね。そのまま高校を中退してはダメ。実は私は音大を目ざしているの」
「音大?」
加奈子はしばらく沈黙して子持山を見つめていた。
徹は加奈子の瞳を見つめ、次の言葉を待った。
加奈子は子持山を見つめながら、母のことを想っていた。
子持山を見つめながらその山容に母と自分を重ね見た。
高い峰が母の姿であり、小さい脇の峰が自分の姿である。
昭和20年、東京は空襲の戦火に見舞われていた。
加奈子の母親の時子は、1歳の加奈子を連れて沼田の実家に疎開した。
「母はね、東京音楽専門学校を出ているの」
加奈子の母親の時子は、高校の音楽教師である。
徹は、「それがどうしたのか」と思いながら加奈子の話を聞いていた。
加奈子の母の時子は、声楽家を目ざしていた。
だが、戦争がその夢を打ち砕いたのだ。
時子は東京音楽専門学校のピアノ講師と恋愛関係となり結婚した。
東京の根津で新婚生活を送っていたのであるが、夫は昭和20年軍隊に招集され戦地へ赴いたのだ。
そして太平洋上で戦死している。
南方へ向かっていた戦艦が、アメリカ軍の航空編隊の空爆で撃沈されたのだ。
加奈子は話終えると目を輝かせるようにして、進路について明かした。
「母の果たせなかった夢を、私がかなえようと思っているの。私、必ず声楽家になるわ」
徹は高校を卒業する加奈子を待って、結婚したいと願っていた。
徹には格別、将来に果たすべき夢があるはずではなかった。
2012年3 月24日 (土曜日)
創作欄 徹の青春 24
歌が音痴で苦手な人はいる。
だが、歌を聴くことが嫌いな人はいるのだろか?
歌は人の心を感動させるものだ。
歌が希望の光ともなるはずだ。
徹は歌が好きであったが、残念ながら音痴であった。
加奈子が尾瀬沼で「夏の思い出」を歌ったことが、徹の頭に蘇ってきた。
その美しい声に徹の心は改めて魅せられた。
徹は加奈子とこれからも、ともに歩んでいきたいと願っていた。
だが、加奈子の態度はそれまでとは違ったものとなっていた。
恋心が突然覚めてしまうことは、男女の仲ではままあることだ。
それは仕方のないことであった。
人の心は移ろいでいくものなのだ。
相手の心変わりを咎めても、元に戻ることはまずないであろう。
だが、諦めきれずに未練を引きずる場合が大半である。
作家、音楽家、芸術家たちは、作品に悔やむ思いや悲嘆を昇華するすべをもっている。
「加奈子、歌を聞かせてほしいんだ」
徹は子持山に背を向けて立つ加奈子に懇願するように言った。
加奈子との別離の予感し、心がしんみりとしていた。
「何にしようかな?」
加奈子は徹を見つめて、その時の思いを口にした。
「徹さんは、とてもハンサムなのね」
「今更、気づいたの?」
徹は苦笑いを浮かべた。
徹は死んだ父親の写真を見て、自分も大人になったら父のような美男子になれたらと思っていた。
仏間には、72歳でなくなった祖父の金蔵の写真額と47歳で胃がんで亡くなった祖母の写真額と並んで父の写真額が掲げられていた。
昭和20年、高崎連隊に入隊する3日前に、倉内町の写真観で写した軍服姿の父の写真であった。
徹は美男子であった父に容貌が段々似てきていた。
加奈子は「荒城の月」を歌った。
その澄んだ歌声に徹は深い感動を覚えた。
秋風が紅葉した桜の葉を散らしていた。
2012年3 月25日 (日曜日)
創作欄 徹の青春 25
2人の刑事が徹の家へやってきた日、義父は外出中であった。
その日は土曜日で、義父は愛人と老神温泉へ行っていた。
「沼田警察だが、話を聞きたいので、家にあがらせてもらうよ」
「娘さんの君江さんのことで、来たんだがいいかね」
「君江のことですか?」
15歳の娘に何があったのか、江利子は心外に思った。
2人は玄関で名前を名乗ったが、江利子の耳に残っていなかった。
初めは、高校を中退してから沼田の街中を歩き回っている息子の徹が、何か事件を起こしたのだと思って身構えていた。
息が詰まった母親の江利子は気を取り直し、刑事2人を座敷に招いて応対した。
刑事は徹と交際している加奈子から、交番の警官が事情聴取したことを明らかにした。
「すると、娘の君江が強姦の被害を受けたのですね?!」
驚愕して胸の動機が激しくなった。
刑事の一人は恰幅がよく、髪は7.3にきちんと整えていて、年齢は40代後半と思われた。
もう一人の刑事は20代か30代か分からない、角刈りの頭で若く見えた。
江利子は2人を等分に見つめて、次の言葉を待った。
「事件のことは、知らかなかったのかね? 今聞いてさぞ驚いただろう」
40代と思われる刑事が身を乗り出すようにして江利子の顔を凝視した。
「そんなはずはない。ウソを言っているのだろ」と刑事は胸の内で想ったようだ。
人の心を見透かすような鋭い視線であった。
「加害者の勝海は、洗いざらい自白しているのだが、裏が大半取れていない。被害届が出ているのが3件。だが、被害者は9人いるんだがね」
ベテランの刑事が語気を強めて、座敷のテーブルを両手で押さえながら、さらに身を乗り出すようにして江利子に告げた。
「9人も被害者が・・・」
江利子は言葉を失った。
「それでだ、娘さんには絶対、被害届を出してもらいたいんだ、悪いようにはしないよ」
若い刑事は終始沈黙して江利子を凝視していた。
君江はその日、部活のテニスで家には居なかった。
実はその日、徹は加奈子と沼田城址公園に居たのだった。
2012年3 月26日 (月曜日)
創作欄 徹の青春 26
徹の義父佐吉は、その年の11月頃から、毎週土日、外に出掛けることが多くなった。
後で判明したのであるが、高崎競馬へ行っていたのである。
きっかけは、農協の同僚に、「競馬は面白いぞ、行ってみないか?」と誘われたのだ。
そして、ギナーズラックと言われているが、初めての競馬で12万円余の大金を手にした。
佐吉は競馬が初めてで予想のしようもない、遊び心から6月2日生まれなので、2-6の馬券を1000円買った。
2枠の馬と6枠の馬は全く人気なかった。
7枠と8枠の馬に人気が集中していた。
佐吉が勝った2-6の馬券を見せられて、同僚の高野進は、苦笑した。
「そんな馬券を買って、馬鹿だな。来るわけないよ。次のレースは俺の教えるとおりにかいな。2-6を買うなんて金を溝に捨てるようなもんだ」
佐吉は馬券が外れても、1000円を失うの過ぎないと思っていた。
だが、レースは波乱を呼んだ。
スタートと同時に、8枠の1番人気の馬に乗った騎手がゲート内で立ち上がったために馬から振り落とされたのだ。
競馬場内が騒然となった。
だが、8枠には3番人気の馬もいて、外から勢いよく先頭に立って走っていた。
2番人気と4番人気の7枠の馬も先頭集団の位置を走っていた。
佐吉は自分が買った2番の馬と6番の馬を見ていた。
全くの人気薄の馬であったが、比較的良い位置を走っていた。
競馬ファンの大半は、7-8か7-7で決まるだろうとレースを見守っていた。
だが、ゴールまえ10メートルくらいの位置で、人気馬が失速したのである。
ゴール板を人気薄であった6番と2番の馬が1、2着で駈け抜けた時、場内に大きなどよめきが起こった。
佐吉はスローモーションの場面を見ているような思いがした。
同僚の高野進は顔面が蒼白となって、正面スタンドの座席にへたり込んでいた。
本命に畑を売って工面した50万円を投じていたのだ。
場内放送は、配当金1万2570円を告げていた。
佐吉は1000円を投じて、12万5700円を手にした。
昭和35年のことであり、農協に勤務してる佐吉にとっては、それは大金であった。
同僚の高野進はその後、破滅の道を辿っていくが、佐吉も競馬にのめり込んでいった。

創作欄 美登里の青春 2

2018年08月10日 08時19分45秒 | 創作欄
人には、色々な出会いがあるものだ。
美登里は、徹と別れた後、思わぬところで男と出会った。
小田急線の下北沢駅のベンチに座っていると、新聞を読みながら男が脇に座った。
横顔を見て、「ハンサムだ」と思った。
ジャニーズ系の顔だ。
男は視線を感じて、美登里に目を転じた。
「こんにちわ」と男が挨拶をして、ニッコリと微笑んだ。
女の心をクスグルような爽やかな笑顔である。
「女の子にもてるんだろうな」と想いながら、美登里も挨拶をした。
「君は、競馬をやるの?」
男は新聞を裏返しながら言う。
甘い感じがする声のトーンであった。
「競馬ですか? やりません」美登里は顔を振った。
「明日はダービーがあるんだ。一緒に府中競馬場へ行かない?」
赤の他人からいきなり意外な誘いを受けた。
21歳の美登里は、妻子の居た37歳の徹が初めての男であった。
目の前に居る人物は、徹とはまったくタイプの違う20代と思われる男だ。
「あなたと初対面だし、競馬をやらないので行けません」美登里は断った。
「そうか、残念だな。もし、来る気になったら、内馬場のレストランに居るから来てね。競馬仲間とワイワイやっているから」
美登里は愛想笑いを浮かべて、うなずいた。
男が読んでいたのは、スポーツ新聞の競馬欄だった。
急行電車が来たので、それに乗る。
徹は美登里の存在を忘れたように、新聞に埋没していく。
美登里は登戸駅で降り時に、脇に立つ男に挨拶をした。
「お会いできて、光栄です」控えめな性格の美登里自身にとって、想わぬ言葉が口から出た。
「ではね」
男は爽やかに笑った。
「また、何処かで出会うことがあるだろうか?」美登里は電車を見送った。
男は新聞に目を落としたままであった。
美登里は徹との別れを苦い思いで振りかえった。
最後は痴話喧嘩となった。
徹は美登里の気持ちを逆撫でにした。
徹は妻が妊娠していることを、無神経にも美登里に告げたのだ。
「そんなこと、どういうつもりで、私に言うの」
徹はバツが悪そうに沈黙した。
「この人は、都合が悪いと黙り込むんだ」
美登里は徹が風呂に入っている間に、怒りを込めたままホテルを出た。
渋谷のネオン街全体が、美登里には忌々しく想われた。
2012年2 月15日 (水曜日)
創作欄 美登里の青春 3
あれから3年の歳月が流れた。
それは24歳の美登里にとって、長かったようで短かったようにも思われた。
徹と別れたが、気持ちを何時までも引きづっていたことは否めなかった。
美登里の当時の職場は、徹の職場の九段下に近い神保町。
美登里の伯父が経営する美術専門の古本店であった。
現在の職場は、東京・新宿駅の南口に近い国鉄病院(現JR病院)の医療事務である。
その日、小田急線登戸駅沿いのアパートへ帰り、ポストを確認すると茶封筒があった。
裏を返すと友だちの峰子の手紙であった。
お洒落な封筒を好む峰子が、何故、茶封筒なのだろう?
美登里は部屋の灯りの下で、着替えもせず封を切った。
「ご無沙汰で、このような手紙を書くのを許して。私は今、千葉県松戸の拘置所の中にいるの。会いに来てね。その時、何か本を差し入れてね。それから大好きなチョコレートが食べたいの。それもお願い、差し入れてね。私は3歳の娘と心中したのだけれど、娘だけが死んで私は生きてしまったの。死ねばよかったのに、何という皮肉なの。待っています。必ず会いに来てね」
美登里は息を止めたままその手紙を読んだ。
想像はどんどん拡がっていく。
情報が乏しい中で頭を巡らせながら、何度も立ったまま手紙を読み返した。
美登里は新聞を購読していない。
テレビもあまり見ない。
峰子のことは、当然、マスコミで報道されただろう。
美登里は段々頭が混乱してきた。
思えば徹との問題で峰子に相談したことがあった。
「焦ることが、一番、いけない。時間が解決すると言われているわね。今は美登里にとって冬なの。冬は必ず春となる。そうでしょ、自然の摂理でしょ」
あの時、峰子は言った。
そして、妻子のある徹との別れは、意外な展開でやってきた。

2012年2 月17日 (金曜日)
創作欄 美登里の青春 4
「頑張れ」
励ましは、確かに重荷になる場合もあるだろう。
だが、真意が伝わるのなら、その励ましは背中を押す力になるはず。
真意が伝わりにくい世の中でもある。
善意が、悪意に捉えられることもあるだろう。
人間関係の微妙さである。
美登里は、病院の勤務を休んで峰子の面会へ千葉県の松戸市内にある拘置所へ向かった。
そこは、まったく無縁な場所であり、1人で行くことに不安も覚えた。
本3冊とチョコレートを差し入れるため、前日それを買い求めた。
駅前の交番で拘置への道順を聞いた。
中年の警官が親切に教えてくれた。
椅子に座る若い警官はしげしげと美登里に視線を注いでいた。
教えられた女学校が右手に見えた。
それから公園を抜けた時、母子の姿を見た。
母親はどこか峰子に似ていた。
そして、3歳くらいの女の子を見て、峰子がどのような形で我が子を殺したのかを想ってみた。
拘置所の手前に小学校があったことは、意外だった。
受付で吉田峰子に面会に来たことを告げた。
用紙に面会する峰子の名前を書き、友人 佐々木美登里と記入、住所欄も書いた。
差し入れの包を出したら、「本は差し入れられますが、食べ物はだめです」と係りの人が言う。
「これはチョコレートなのですが、だめですか?」美登里は心外に思った。
「規則です。食べ物を差し入れたければ、所定の店で購入してください。外へ出て50メートルくらい先の右側に店はあります」と言われた。
待合室には和服を着た女性と目つき鋭い男が2人居た。
「あんた、初めて面会に来たんだね」
和服姿の女性が声をかけた。
「そうです」
美登里は改めて女性の顔を見た。
厚化粧であり、普通の女性には見えない。
髪をアップにして粋な感じがした。
30代後半の年ごろであり、顔は綺麗な感じがしたが、どこか異質である。
大きな瞳は人を圧倒するようで、押し出しの強さが漂っていた。
「三郎、案内してやりな」と女性は顎で若い男を促した。
椅子から立ち上がった男は、180cm以上背丈があった。
角刈りで高校生のようにも見えたが、目つきが鋭い。
「おねいさん、何処から来たの」
突き刺すような目とは裏腹に、声は意外に優しかった。
「川崎市の登戸からです」
「登戸? どの辺?」
美登里は男の大きなスニーカーに目を落としていた。
自分の靴の倍くらい大きい。
「小田急線の登戸駅から来ました」
「そうなんだ。遠くからきたんだな」
若者が笑うと白い歯が見えた。
歯並びがいいなとそれを見た。
店のガラス扉を男が開けてくれた。
店は2坪くらいで狭く、果物、菓子、下着を含めて日常雑貨製品が棚に収まっていた。
60代と思われる男性が店番をしていた。
チョコレートとバナナを買った。
それを店の人がケースに収めた。
ケースごと峰子宛に店から届けられる仕組みだった。
面会室は5つあった。
美登里は3番の札を渡された。
着物姿の女性と男性2人は5番。
1番、2番は面接中。
男たちは、ほとんど無言であった。
どのような人たちなのだろう?
美登里は気にした。
そして、峰子と面会したら、どのような言葉をかけようかと考えた。
「頑張って」と言うべきか?
峰子は泣くだろう、自分も泣くに違いない。
美登里はバックからハンカチを取り出した。

2012年2 月19日 (日曜日)
創作欄 美登利の青春 5
拘置所の面会室は、3人も入れば一杯といった感じであった。
美登利が席に着いたと同時に、扉が開いて女性の係官に先導されて、峰子が姿を現わした。
ガラスの窓越しに見た峰子は、一瞬、笑顔を見せたが、直ぐに涙を浮かべた。
化粧をしていない峰子の頬は青白く、目の周囲は赤く泣き腫らしたままであった。
小さな丸い穴があいたプラスチック製の窓越しに二人は相対した。
「来てくれて、ありがとう」
美登利は黙ってうなずいた。
「来週の火曜日に、初公判があるの。来られたら来てね」
「火曜日なのね?」
「午前中なの」
面会時間は約20分。
峰子の背後に座る係官が二人の会話をメモしていた。
「私のこと、驚いたでしょ」
「驚いたわ。私、新聞読んでいないの。それにテレビもあまり見ていないし、峰子のことは手紙をもらって初めて知ったの」
「そうなの。何も私のこと知らなかったの? 誰かに聞かなかったの?」
峰子は思い出したのだろう、肩を震わせて泣いた。
頭を深く垂れたので長い髪が顔を覆った。
抑えた嗚咽がいかにも悲しい。
美登利は峰子が哀れれに思われ、咽び泣いた。
そのまま、暫く時間が経過した。
あれを言おう、これを言おうと電車の中で思っていたが、美登利の頭は真っ白になった。
特に美登利は、自分が信奉している宗教の教えを峰子に伝えようとした。
係官はペンを止めて二人の姿を冷やかに見ていた。
やがて面会終了の時間が告げられた。
「頑張ってね」
扉の向こうに峰子が姿を消す瞬間、美登利は声をかけた。
峰子はラフな水色のジャージ姿であった。
美登利が3番の面会室の外へ出るとほとんど同時に、和服姿の女性たちも5番の面会室を出てきた。
「あんた、松戸駅まで行くんだろう?」と背後から声をかけられた。
「はい、そうです」
美登利は振り向いて和服姿の女性を見つめた。
「駅まで車で送って行ってあげる。遠慮はいらないよ」
強引な言い方であった。
美登利はうなずく他なかった。
「三郎、車を玄関によこしな」
「ハイ、ねいさん。直ぐに車とってきます」
三郎と呼ばれた男が駐車場へ走り出していく。
もう1人の男は、紙袋を抱え和服姿の女性の背後に立っていた。
この男も角刈り頭で三郎ほど背丈はないが、がっしりとした体形である。
「孝治 今度の公判は何時と言っていた?」
「親分の後半は、来週の火曜日、午後1時です」
「そうだったね」
和服姿の女性が玄関の外でタバコをくわえると、男が素早く脇からライタを取り出した。
間もなく、拘置所の玄関の外に黒塗りのベンツが横付けされた。
男二人が前の席に乗り、美登利は和服姿の女性の隣に座った。
「面会の相手は、誰なの?」
和服姿の女性は横目に美登利を見た。
「友だちです」
「男だね?」
「女性です」
「女? 罪は?」
前の席の男二人が背後に目を転じた。
「親子心中です。子どもは亡くなり、友だちは死ねなかったのです」
「そうかい。じゃあ、殺人罪だね」
和服姿の女性は眉をひそめた。



2012年2 月19日 (日曜日)
創作欄 美登利の青春 6
「私の名前は、米谷明美。あんたと拘置所で会うなんてね」
和服姿の女性は名乗ると頬だけで笑った。
大きな瞳は人を射るようであった。
厚化粧で隠されていたが、左頬にナイフでの切り傷があった。
「お茶、ご馳走するから、私の店へ寄っていって」
松戸駅が近くなった時、米谷明美が美登利を誘った。
深く関わりたくない人たちであるから、美登利は断ろうとしたが、言い出せなかった。
松戸駅の傍のデパートの裏側の道路に面したビルの1階にその店はあった。
男二人は店の前で米谷明美たちを降ろすと走り去って行った。
後で知ったのであるが、広域暴力団S連合箱田組の男たちであり、組事務所は新松戸駅から歩いて10分ほどの商店街沿にあった。
明美の店の名前は、「パブ新宿」。
夜の営業時間は午後7時から午前2時までであった。
午前11時から午後5時まで軽食喫茶店として営業されており、女子高校生たちの溜り場となっていた。
「私ね。高校生の頃は、東京の新宿歌舞伎町で遊んでいてね。今は流れ流れて松戸。この店ご覧のとおり、女子高生が多いでしょう。私と波長は合うのね。彼女たち私に色々相談ごとするの」
女子高校生たちを見つめる明美の瞳が優しくなった。
「窓際に居るあの声が大きい子、スケ番なの。昔の私のよう」
美登利はその女子高校生を見た。
よく動く大きな目が特長で、明美のように人を射るような輝きをしていた。
20歳で子ども産んだ明美には19歳の息子がいた。
フェザー級のプロボクサーであった。
「今度の土曜日、午後7時に後楽園ホールで試合があるの。来てね」
明美はチケットをカウンターのテーブルに置いた。
美登利はコーヒーカップを置き、そのチケットを手にした。
ボクシングの試合を見たことがなかった。
「ボクシングですか? 試合見るの、怖くありませんか?」
美登利は病院の医療事務職であるが、血を見るのは苦手である。
明美は肉弾がぶつかり、激しく打ち合う迫力に血がたぎる思いがして、試合にはいつも興奮した。
美登利は断りきれず、後楽園ホール行く約束をして明美の店を出た。

2012年2 月21日 (火曜日)
創作欄 美登里の青春 7
松戸の裁判所での初公判の光景は、美登里にとって衝撃的であった。
傍聴人は男性が2人、女性は美登里を含めて3人、地元の千葉の新聞社など報道関係者が2人であった。
表面の扉が開き裁判長らが入廷して、全員が起立した。
そして、右側の扉が開き、手錠、腰縄の姿で刑務官に先導されて峰子がうな垂れて入廷してきた。
席に着く前に、峰子の手錠、腰縄が外された。
峰子はうつむいたままで、一度も傍聴席に目を向けることはなかった。
美登里は濃紺の地味なスーツ姿であり、化粧もしていなかった。
初めに検事が詳細に罪状を述べた。
それから国選弁護人が医師の診断書に基づき峰子の弁護をした。
峰子は犯行半年前から地元松戸市内病院の精神科に通院していた。
さらに、東京・四谷に住んでいた時には、信濃町の大学病院の精神科にも通院していた。
弁護士は、犯行時に峰子が心神喪失状態であったと主張した。
裁判官3人が顔を見合せながら言葉を交わしていた。
そして、裁判官が、「次回公判は3月24日、火曜日、午前11時、それでいいですか」と弁護人に尋ねた。
弁護人は、手帳を確認してから、「結構です」と答えた。
裁判所を出て、美登里は前回と同様に本とチョコ―レートとバナナを差し入れるために、拘置所の所定の店へ行った。
その店で美登里は、暴力団員の三郎に再会した。
「親分の裁判が、午後1時にあるんだ」と三郎が言う。
美登里は罪状は何だろうと思った。
拘置所へ行くと三郎が「ねいさん」と呼ぶも米谷明美が居た。
「2週続けて、拘置所に来るなんて、あんた、偉いね」と明美は微笑んだ。
明美はこの日のは和服姿ではなく、豊か胸が大きく開いた花柄模様のワンピース姿であり、妖艶な感じがした。
明美は39歳であり、19歳の息子が居る母親の姿とは思われない。
明美は和服姿の時は髪をアップにしていたが、この日は長く髪は下ろしていたので、若く見えた。
美登里は、後楽園スタジアムでのボクシングの試合の観戦に誘われ、チケットまでもらったのに、その試合に行かなかったことを明美に謝罪した。
「いいよ。気にしなくとも。息子は判定で試合に負けた。あの子は性格が優しいから、ボクシングに向いてないかもしれない。攻めきれなかった」
美登里は、どのように言うべき分からずうなずいた。
美登里はその日、休むわけにいかず、午後から病院の勤務に向かい、その日は午後8時まで残業をした。

創作 「赤い靴をはいた少女」

2018年08月10日 08時04分59秒 | 創作欄
2012年1 月 9日 (月曜日)

「酒でも、飲もうか?」
徹は振り返って淑江に声をかけた。
コンサートの余韻が残っていて、会場を出てくる人たちの顔はいずれも上気しているように見えた。
「横浜に来たのだから、中華料理ね」
淑江は県民ホールの階段を下りながら徹に同意を求めた。
「そうだね」と言ったものの、徹は野毛山の居酒屋を頭に浮かべていた。
中華料理は好きな方であるが、2人でのフルコースは量的に重い感じがしていた。
できれば、4、5人で店に来て、色々な料理を注文してテーブルを回しながら味わうのが中華料理の醍醐味と思っていた。
創業40周年記念 1人前コース1860円。
ある店の看板を目にして徹は足をとめた。
「安いな。この店はどうかな?」
背後を振り返った。
淑江は微笑みを浮かべて頷いた。
水色の小旗を掲げた中年の女性に引率されて、20人ほどの観光客と思われる人たちが道の向かい側の大きな中華料理店に入るところであった。
「何処の国の人たちかしら?」
淑江は笑顔で肩車に乗った金髪の幼女を見つめた。
幼女は赤靴をブラブラさせながら、首を曲げて淑江へ笑顔を投げかけた。
「可愛い!」
子ども好きな淑江は歓喜したように言った。
「可愛い子だね」と応じて、徹は「赤い靴をはいた女の子」のメロディーを思い浮かべた。
そのメロディーは淡い哀愁を伴って、徹の胸に秘められていた。
1人っ子として育った徹は初めて幼稚園で、イジメを経験した。
徹の母親は高校の教師で昼間家に居ない。
祖母、祖父とも孫に甘いので、徹がねだれば何でも買ってもらえた。
温室育ちのような徹は、幼稚園で我がまま通じないことを知った。
そして意地悪も経験した。
同じ年であったが、徹より大きな体を少女はしていて、徹がイジメにあうと「いじわるはダメ」とかばってくれた。
奈菜子は何時も赤い靴を履いていた。
2人の兄と弟の間に育った奈菜子は確りした性格だった。
「徹ちゃんは女の子みたい」
徹は奈菜子から言われても悪い気持にならなかった。
女の子みたいだから、女の子には仲良くしてもらえると徹は思ったのだ。
思えばあれは、徹にとって初恋のようなものであっただろうか?

創作欄 徹の青春 13

2018年08月10日 07時54分00秒 | 医科・歯科・介護
2012年3 月18日 (日曜日)

稲穂が豊かに実る田圃の先にはテーブル状の珍しい山容の三峰山が見えていた。
右には戸神山の尖った山容が望まれた。
市街地の田圃では秋の深まりの中で稲刈りが始まっていた。
沼田城址のシンボルである「御殿桜」は樹高約17㍍の巨木であり、紅葉していた。
春には200余の桜が市民の目を楽しませていた。
4月の上旬に御殿桜は満開となり、ソメイヨシノは4月中旬満開となる。
どれも大きな桜である。
徹は加奈子と夜桜見物に来たことを思い出していた。
そして徹から離れていった加奈子への未練が断ちがたく、紅葉した桜を見あげて涙ぐんだ。
徹は高校を中退してまで、妹の君江を強姦した男たちを探し回っていた。
「何処かで出会うはずだ」
沼田公園の突端の約70㍍もの崖から真下に清流の薄根川が青い水を湛えて流れていた。
小学生の頃、徹は従兄弟たちと夏にはその川で泳いだり、魚釣りをして遊んでいた。
薄根川の木橋を渡ると町田町の観音堂への道に至る。
その観音堂の裏で藤沢勝海は、17歳の女子高生を強姦した。
だが勝海の悪運が尽きる日が来た。
君江を強姦した3人の1人の17歳の少年が、「自慢げに強姦は面白い」と遊び仲間に吹聴したのである。
「やってみるか?」と少年が誘うと2人が興味を示して応じた。
彼らはたまたま通りかかった小学生6年生の女の子に声をかけた。
大柄な子どもであり、胸も膨らんでいたので、中学生に見えたのである。
3人は強引に女の子の体を押さえつけて、桑畑にを引きずり込んだのであるが、女の子は恐怖心から金切り声を発して助けを求めた。
16歳の少年の1人が慌て女の子の口を封じたが、偶然、道を自転車で通りりかかった2人の警察官の耳に届いていた。
2人は逃げたが、君江を強姦した17歳の少年が逃げ遅れて取り捕らえられ、強姦未遂で現行犯逮捕された。
そして少年の自供で藤沢勝海も逮捕された。
徹が男たちに報復を加える前であった。
徹は毎日、男たちを探し回っていたが、その日は徹が通っていた高校の国語の教師の佐田稲次郎に路で出会った。
「徹から少し話を聞きたい。いいな」
佐田は徹を喫茶店へ誘った。
徹はコーヒーが飲めないのでミルクにした。
佐田はコーヒーを美味しそうに飲んだ。
「徹はコーヒーが苦手か?」
徹が黙って肯くと佐田は微笑みを浮かべた。
徹は喫茶店へ入ったのは初めてであったので店内を見回した。
レジの傍にはジュークボックスが置かれていた。
レジ係りとウエイトレスを兼ねている若い女性は、赤く髪を染め厚い化粧をしていた。
壁にはルノアール画・イレーヌ・カーンダンベルス嬢の肖像の複製画が飾られていた。
徹はポニーテールの加奈子の横顔をそれの絵に重ね見た。
「徹にどのような事情があったかは聞かないが、学校を途中で辞めるのは惜しいな。徹には徹でなければ、果たせない使命があるはずだ」
「使命?」
徹は胸の中で、報復が使命なのかと思ってみた。
「自分を大切にすることだ。惜しい。もったいない。できれば、徹には大学へ行ってもらいたいんだ」
佐田は高校の教師のなかで、徹にとって一番好感が持てる教師であった。
大学を出て2年目の新米教師であるが、生徒への接し方に熱いものが感じられたのである。
「人に会う約束があるんで、今日は時間がない。今度、会った時はじっくり語りあいたい。徹には良いものがある。立ち直るんだ。いいね」
佐田が握手を求めてきた。
柔らかい温かい手の感触が徹の手に伝わってきた。

2012年3 月19日 (月曜日)
創作欄 徹の青春 14
強姦罪の特徴は、被害者の告訴がなければ起訴することができないとされていることだ(親告罪)。
これは捜査や公判を通じて、犯行の様子や被害者のプライバシーに関する事柄が明らかにされることで、被害者により大きな心理的なダメージを与えかねないことからそのように定められている。
つまり被害者の心情が考慮されるのである。

ただし、加害者が複数の場合には、被害者の告訴がなくても起訴できるとされている。
3人によって強姦された君江は妊娠してしまった。
それは二重の悲劇であった。
娘の異変に気づいたのは、母親の江利子であった。
月経が止まっていた。
女性は妊娠することによって、ホルモンの分泌が大幅に変わる。
君江にも疲労や眠気、頻尿、便秘、おっぱいの張りなどがあった。
特に異様に眠くなったり、吐き気などのつわりの症状が出てきた。
そして体温が今までに経験したことがないほど高温域に達した。
妊娠10週ごろになると 赤ちゃんがお腹の中で活発に動き始める。
羊水の中で頻繁に体を動かしているようなのだ。
君江は固くなに妊娠を否定したが、母親は必死になって君江を説得し産婦人科へ連れて行こうとしていた。
「相手は誰か聞かない。父さんには黙っているから、絶対に産婦人科に行かなければダメ!まだ15歳でしょ。中絶するのよ!いいわね!」
君江は布団にうつ伏せとなり、泣き続けるばかりであった。
徹が妹の妊娠の事実を知ったら、さらに怒り狂ったであろう。
そして、娘を溺愛していた父親の佐吉が、君江の妊娠を知ったらどうなるであろうか?
まだ15歳の中学生、想像もしていなかった娘の妊娠に、母親の江利子は頭が混乱してきた。
「相手は誰なのだろう」
病院の産婦人科の待合室で、娘の中絶手術を終わるのを待つ間、江利子は色々な想念を巡らせていた。

2012年3 月20日 (火曜日)
創作欄 徹の青春 15
母親の江利子は、ある新興宗教の信者である。
実は、8月5日の沼田の祇園祭の日は、実家の川場村に帰省していた。
目的は、兄嫁の貞江に宗教を勧めることであった。
うつ病であった江利子は、蘇ったように性格が明るくなり元気に活動するようになっていた。
兄嫁は別人のように見える江利子を目の前にして目を丸くした。
「江利子変わったわね」
「そうでしょ。私は蘇生したのよ。宇宙の法則に沿って生きているのよ」
「宇宙の法則?」
「例えば、ラジオを聴く時、周波数があるわね。それに合わせないと番組を聴くことができない。NHKにはNHKの周波数があるように、宇宙の法則は一つなの。自分の内に本来ある根本的なものと宇宙の法則に周波数を合わせるの」
「よくわからない」
貞江は多弁になった江利子に気押させた。
「私も初めは、何のことだかさっぱり分からなかった。でもうつ病が治るものなら、やってみようと思ったの。でも今は宇宙の法則があることを確信している。お姉さんも宗教を信じてやってみてね」
「私、考えておく」
貞江は腰が引けた。
夫の佐吉は、江利子の勧める宗教の話には聞く耳を持たなかった。
「信仰の自由だ。お前が信仰を持つことは許すが、俺は絶対にやらんぞ、2度と俺に向かって信仰など勧めるな。いいな」
息子の徹も同様であった。
娘の君江は、「私、考えてみる」と興味を示した。
君江が人工中絶をして病室のベットに横たわっていた。
両手で顔を覆って君江は泣いていた。
江利子はベットの脇に座り君江の髪を優しく撫でながら言った。
「君江、そろそろ信仰をしようね。人生には色々なことがあるけれど、君江は幸せなる権利があるのよ。信仰のことは直ぐにはわからない。でもね、どんな運命でも変えることができる宗教なのよ。いいわね?」
君江は布団で顔を覆い泣き続けた。
だが、「どんな運命でも変えることができる」と言った母親の言葉を胸に留めていた。

2012年3 月20日 (火曜日)
創作欄 徹の青春 16
徹の母親の江梨子は、肝っ玉の据わった女であった。
突然、息子の徹が高等学校を中退してしまった時もほとんど動じなかった。
「まだ、17歳でしょ。高校を中退しただけで、徹の人生が終わったわけではないの。私は徹を見守っているからね」
徹の心情を察するような眼差しを向けると包み込むように言った。
そして学校を辞めてから、毎日、沼田の街中を彷徨っているような息子を見守っていた。
一方、徹の義父の佐吉は、怒りが心頭に達して徹を何度も殴りつけた。
「家を出て行け!」
吐き捨てるように言った。
「いつまでも、ぶらぶらしているのか。目ざわりだ早く出て行け!」
顔を合わせる度に、苦情を言われた。
義父は酒を飲むと苦虫を噛みつぶしているよな顔が赤らみ、段々般若の面を想わせるように目も吊りあがっていった。
佐吉は囲炉裏ばたで、炭の火を見詰めながら煙草を吸っていた。
そして戦死した兄のことを思い浮かべていた。
佐吉は兄が戦死したことで、自分の人生行路が狂ってしまった。
佐吉は終戦を長野県の松代で迎えた。
いったん沼田に帰郷して、大学に復学する予定であった。
だが、父親の金蔵が「兄嫁と結婚して、家を継げ」と家長の権限で命令したのだ。
家長とは、一家の家督を継承して家族を統括し、その祭祀を主宰する者を指した。
当主と同義の言葉とされている。
家長は夫権や親権を通じた配偶者及び直系卑属に対する支配は勿論のこと、それ以外の親族に対しても道徳的な関係を有し、彼らに対する保護義務とともに家長の意向に反したものに対する者を義絶する権限を有していた。
そのようは封建社会の古い体質を金蔵は体現していた男だった。
戦死した徹の父の清太郎は、旧制沼田中学の優等生であった。
誰もが高等学校へ進学し、帝国大学へも行くものと期待をしていた。
旧制沼田中学で清太郎と成績を争っていた、清太郎の親友だった大野幸郎は一高から帝国大学へ進学し、後年は弁護士になっている。
だが、清太郎は父親の金蔵から、「農家を継ぐ者に学問はいらない」と高等学校の受験を反対された。
そして、清太郎が19歳の時、川場村から16歳の江梨子を嫁に迎え入れた。
すべての段取りを父親の金蔵が仕切っていた。
農協の組合長で村会議員をしていた金蔵は村の有力者であり、封建的時代の家長的体質が色濃い人間で、言動には人に有無を言わせない強引さがあった。
2012年3 月21日 (水曜日)
創作欄 徹の青春 17
徹の義父佐吉は、戦争に翻弄されたと思って生きてきた。
東京の杉並の阿佐ヶ谷に下宿をしていて、大学予科へ通っていたのであるが、学徒出陣の実施の流れに組み込まれた。
1943年(昭和18年)10月21日、東京都四谷区の明治神宮外苑競技場で「出陣学徒壮行会」が文部省主催、陸海軍省等の後援で実施された。
壮行会を終えた学生は徴兵検査を受け、1943年(昭和18年)12月に連隊(入営)か海兵団(入団)へ入隊した。
そして、徹の義父佐吉は長野県の松代象山地下壕で終戦を迎えた。
第2次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として極秘のうちに、大本営、政府各省等を松代に移すという計画の下に地下壕を構築した。
地下壕の着工は昭和19年11月11日から、翌20年8月15日の終戦の日まで、約9か月の間に当時の金で約2億円の巨費とおよそ延べ300万人の住民及び学徒・生徒、朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され1日3交代徹夜で工事が進められた。
食糧事情が悪く、工法も旧式な人海作戦を強いられ、多くの犠牲者を出したと言われている。
松代地下壕は、舞鶴山(現気象庁精密地震観測室)を中心に皆神山、象山の3か所に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は10キロメートル余に及んでいた。
全工程の75%の時点で終戦となり工事は中止された。
佐吉は、下宿先の娘と恋仲になっていた。
「戦争でお互い生き残ったら、将来結婚しよう」と約束していたのだ。
だが、いったん群馬県の沼田に戻ったことから、思わぬ挫折となった。
大学予科へ戻れなかったことに加え、恋に終止符が打たれた。
それは悔やんでも悔やみきれないことであった。
徹が高校を中退した時、佐吉は自分の過去を重ねて怒りが込み上げてきた。
佐吉は妻の江利子にも大学予科へ通って時代のことや、長野県の松代象山地下壕で苦役を強られたことなどの過去には硬く口を閉ざしていた。
敗戦の年から、15年の歳月が流れていた。
「あの娘は、どなっているであろうか?」
一人酒を飲むと佐吉は想ってみた。


2012年3 月22日 (木曜日)
創作欄 徹の青春 18
徹の母親の江梨子がうつ病になったのは、3年前のことである。
原因は、夫の佐吉の浮気問題であった。
狭い沼田の街のことであり、江梨子はお花の稽古仲間の一人から聞いた。
「言おうか、言うまえか迷っていたのだけれど、私、見てしまったの」
お花の稽古仲間は7人いたが、その人とは格別親しかったわけではないので、江梨子は相手を訝って見詰めた。
4月の中旬で沼田城址公園の桜が5分咲きであったのに、昨夜降った雪が開花した桜の花びらと蕾を包み込むように積もっていた。
2人は立ち止まってそれを見た。
「雪が降り積もって桜が、かわいそうね」と江梨子は言った。
相手はまだ言い淀んでいる様子であった。
「あなた、何を言いたいの」江梨子は促した。
「あなたの旦那さんが、女の人と寄り添って歩いているところを、見てしまったの」
相手は気まずそうに俯いて言う。
「あなたは、私の夫を知っているの?」
江梨子は改めて相手の横顔を凝視した。
「実は、あなたの旦那さんとは尋常小学校の同級生だった。田代幸恵と言えば佐吉さんは覚えているはずよ」
田代幸恵は親しげに笑みを浮かべた。
「そうなの。世間は狭いのね」
だが江梨子は微笑むことができなかった。
城掘川に江梨子は目を転じた。
「私の家は、横塚町の菊屋商店の裏にあるの。遊びに来てね」
田代幸恵は、夫の佐吉について詳しく話すことなく立ち去って行った。
その夜から江梨子は不眠症になった。
「本当に夫の佐吉が浮気をしているの?」
浮気をすることなど江梨子には、とても信じ難いことであった。
江梨子は夫が戦死して、夫の弟の佐吉と再婚していた。
家長制度の名残りであり、兄嫁と義弟の関係からして如何にも日本的な結びつきであった。
一方では、明治時代の貞操観念から夫を亡くした妻は「2夫に交えず」(操正しき女は未亡人になっても、再婚しない)という教えもあったのである。
沼田祇園祭の8月5日、君江が強姦された日に佐吉は農協の旅行だと言っていたが、ある女の人と2人で新潟県の湯沢温泉に行っていた。
1956年(昭和31年)、経済企画庁は経済白書「日本経済の成長と近代化」の結びで「もはや戦後ではない」と記述、この言葉は流行語になった。
君江の強姦事件は、それから4年後(1960年)に起きた。
「徹、おぎょん(祇園祭の別称)には君江1人では行かせるな。何かあると困るからな。兄貴のお前が確りと面倒を見るんだ。いいいな。分かったか」
佐吉は旅行で家を出る前の夜、徹に釘を刺すように言った。
例年なら父親の佐吉が、沼田祇園祭に娘を連れて行っていた。
結果として、父親佐吉の浮気旅行が裏目に出たのだ。
浮気相手は、いわゆる戦争未亡人であり、妻の江梨子と同じ立場の人で会った。
18歳で結婚し、20歳で夫を戦争で失っていた。
江梨子の夫と同じ高崎陸軍歩兵第十五連隊で、昭和16年から始まった太平洋戦争の激化により、十五連隊は南方パラオ諸島に派遣され、ペリリュー島の攻防をめぐってアメリカ軍と激戦を交え、2個大隊分(約2000人)が全滅し、昭和21年(1946)、日本に帰還できたのは1個大隊分の人たちだけであった。
2012年3 月22日 (木曜日)
創作欄 徹の青春 19
徹の母親の江梨子は、うつ病を発症して病院通いをしていたが、信仰を得てから劇的に変化を遂げた。
それはほとんど奇跡的であった。
説明できない「何ものか」の存在を確信したのである。
「宇宙の法則」と呼ばれている教えを信じて、毎日祈り捧げていた。
1時間、2時間、3時間。
すると、内面から湧きあがるものを感じ始めた。
「不思議な現象は、誰にも起こるのです。ところが、多くの人はそれを無視します。例え不思議な現象が起こったとしても、単なる偶然だと思ってしまいます」
江梨子を信仰に導いた高校の教師をしている大月杏子が確信を込めて言っていた。
「本当だったのね」
祈り終えて江梨子は歓喜を抑え難くなった。
江梨子は、娘の君江を産んで2年後に子宮筋腫となり、子どもが産めない体となった。
さらに32歳で子宮頸がんとなった。
その後、夫との夜の営みに段々と抵抗感を抱くようになっていた。
夫の佐吉は若かったので不満を口にした。
18歳で徹を産んだ江梨子は、35歳になっていた。
夫の浮気に対して、「北風ではなく、太陽でいこう」と決意していた。
また、江梨子は母親として、15歳の娘の君江を信仰へ導いた。
「信仰はね。信じることから始まるの。いいわね。知識でも知恵でもないの。まず、信じること」
確信を込めて諭した。
君江は教えられるままに、母親の後ろに正座して祈った。
「君江は、素直な性格なので、不思議な現象が内面から湧いてくるわよ」
江梨子が君江を振り返り微笑んだ。
「おかさん、綺麗になったね」と君江が感嘆したように言う。
「そうね。内面が美しくなれば、それが面にも表れるはずね」
江梨子はうつ病を患っていた時には、暗く沈んでいてその表情から40代の女に見えていた。
君江は何かを会得したように、短期間で劇的な変貌を遂げた。
「宇宙の法則」に感応したようであった。
まず驚いたのは兄の徹であった。
徹は自分に課せられた十字架を一生背負っていく覚悟を決めていた。
「君江には、どうか幸せになってほしい。そうでなければ、俺の幸せもない」
徹は思い詰めていた。
「兄ちゃん、私のために高校を辞めてしまって、ごめんね。高校へ戻ってね。私はもう大丈夫だから。死ぬなんて2度と言わないからね」
徹が居間で太宰治の小説「人間失格」を読んでいる時、君江が徹の脇に並ぶように正座して言った。
徹は妹の君江を改めて愛おしく思った。
君江の容貌は母似であった。
「お前は、兄貴に段々似てきたな」
徹は戦死した父似だと義父が言っていた。
 

ソニックガーデン2018取手

2018年08月10日 07時23分41秒 | 沼田利根の言いたい放題
取手市駅前のにぎわいを復活させたいという想いのもと、取手市商工会青年部を中心として駅前でビアガーデンイベントを開催しております。
茨城県取手市 【開催日程】
2018年8月24日(金)・8月25日(土) 15:00~21:00
巨大屋外ビアガーデン。
地元飲食店が出店。
「浦島」のうな重は何と!1000円、おいしい、です。
生ビール、サワー、ハイボール。
なぜ、地元取手の地酒はないの?
そうか、ビアガーデンだった。
ものまね芸人の安室奈美似さんもステージで歌うよ!

8月25日は、駅前カラオケ大会。
当方は、「時代おくれ」を歌予定。
今年は、新道のカラオケ大会(歌はアメリカ橋)、白山のカラオケ大会(歌は花と蝶)に次いで、3度目の駅前カラオケ大会(歌は時代おくれ)で歌う。
なお、これまでの戸頭のカラオケ大会は、わけありで出るのを自重。