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人間教育が不可欠

2018年08月24日 13時12分23秒 | 社会・文化・政治・経済
成熟できない日本人の
人間を作らない学校と社会
日本の人の精神的病理の源は?
「誰でもいい、人を殺してみたかった」
「イライラしていたので、人を殺したくなった」
昔なら、「動機なき殺人」と呼ばれた。
<殺したくなる衝動>ってなんだろう。
背景になにがあるのか。
対人恐怖症や登校拒否症がなぜ急増しているのか。
障害者など弱い者いじめの卑劣さ
日常的になった高齢者を狙った詐欺事件の多発。
こんな国は日本以外に他にあるのか。
人間教育が不可欠。

職場 障害者虐待最多

2018年08月24日 13時04分55秒 | 医科・歯科・介護
厚生労働省

職場で暴行などの虐待を受けた障害者 2013年度以降最多の1308人に

厚生労働省は22日、職場での障害者虐待について発表した。
2017年度に賃金の未払いや暴行などの虐待を受けた障害者は1308人。
人数は前年度比34.6%増で、統計を開始した2013年度以降で最多となった。

職場の障害者虐待1308人=賃金未払い増加で最多-17年度

2018年8月22日 16時48分
時事通信社
厚生労働省は22日、2017年度に全国の職場で賃金の未払いや暴行などの虐待を受けた障害者が前年度比34.6%増の1308人だったと発表した。
虐待があった事業所数は2.8%増の597事業所。
いずれも統計を開始した13年度以降で最多となった。
企業などの障害者雇用が進む中、虐待に対する意識の高まりを受けて通報が増加。
事業所の倒産により、賃金の未払いが多く発生したことも響いた。 

ヒトラーのウソ

2018年08月24日 12時16分03秒 | 社会・文化・政治・経済
「ドイツ人はギリシャ人の直系子孫だから世界で一番優秀である」
「ドイツ人が戦争(第一次世界大戦)に負けたのは、ドイツの血を汚すユダヤ人の陰謀のせいだ」と荒唐無稽なものだった。とりわけ中産階級の「やりきれなさ」が、ヒトラーの描く妄想に乗ってしまう土壌tなった。
すさんだ心に無知と偏見が重なり、それを利用する政治家がいると、民主的な議会政治は簡単に失われるとう歴史がここにあります。
専修大学法学部 岡田憲治教授

アドルフ・ヒトラーは『マイン・カンプ(わが闘争)』の中でウソについてこんなふうに書いています。
「政府や指導者にとって、嘘は大きければ大きいほどいい」「大衆の心は原始的なまでにシンプルなので、小さな嘘よりも大きな嘘の餌食になり ...

石田勇治東大教授が「ヒトラーとは何者だったのか」と題して日本記者クラブで講演し、30歳までは無名の青年だったヒトラーが「希代の独裁者」として人々に大きな惨禍をもたらすことになった要因を分析。
ヒトラーの手口は今各国で政治の常套手段になっていると警告した。

石田勇治東京大学大学院教授が「ヒトラーとは何者だったのか」と題して、このほど日本記者クラブで講演し、30歳までは無名の青年だったヒトラーが「希代の独裁者」として人々に大きな惨禍をもたらすことになった軌跡と要因を分析した。
「ウソと謀略に満ちたヒトラーとナチ党の手口は、いまや世界各国で政治の常套手段になり、極右や強権的なリーダ−たちが大手を振るっている」と警告、「政治的社会的な関係の中でとらえる視点が必要であり、なぜ無数の虚像が生じたのかを考えるべきだ」と問題提起した。
石田教授はドイツ政治史研究の第一人者で、「ヒトラーとナチ・ドイツ」など多くの著書や訳書がある。
発言要旨は次の通り。

民主主義を蹂躙した希代の独裁者ヒトラーは30歳までは無名の普通の青年だった。
なぜ短期間で独裁政権を樹立できたのか。
ドイツをベルサイユ条約の軛(くびき)から解放した外交成果で大衆の熱狂を集めたが、悲惨な結末を招いた。
ヒトラーは近代病理、大衆民主主義の陥穽(かんせい)など「20世紀の負の側面」を体現している。

当時の大統領緊急令とその濫用により、強大な権力がやすやすと独裁者1人の手に握られた。
世界で最も民主的と言われた独ワイマール憲法下で「巨悪ヒトラー」が生まれ、肥大化したのか。第二次大戦後の世界がこの問題に正面から向き合い、克服しなかったことが背景になった。

ユダヤ人大虐殺の事実は棚上げされ、その巧みな演説と派手な演出法など「カリスマ性」ばかりに目が行く。
ウソと謀略に満ちたヒトラーとナチ党の手口は、いまや世界各国で政治の常套手段になり、極右や強権的なリーダ−たちが大手を振るっている。
格差とテロ、宗教対立、金融資本の跋扈(ばっこ)、経済危機、大量難民、極右台頭。
世界に波乱をもたらす様々な不安がその「復権」を後押ししている。

ヒトラーに権力を集中した大統領緊急令や授権法(ともに1933年)の現代版が自民党憲法草案「緊急事態条項」や権力者への「全権委任」(授権法)ではないのか。
ナチスはわずか1日の審議で仕上げている。
圧倒的な数の力で短時日に法の成立を図る、我が国会の姿が重なる。
麻生太郎財務相の「あの手口、真似たら」との発言(2013年7月)が想起される。

◆「平和愛好」「強いドイツ」を演出

党の宣伝組織(ゲッペルス)が国家の宣伝機関となってフル稼働、言論を弾圧し、「民衆政治家」「平和愛好家」ヒトラー像を演出した。失業の撲滅、アウトバーン(高速道路)建設、「一家に一台フォルクスワーゲン(国民車)」などのアピールも巧みだった。「民族共同体」を標語に、強いドイツを強調し、戦争態勢へ総動員した。

当初は乱暴な手法に批判的だった民衆も、非常時に多少の自由が阻害されるのはやむを得ないと考えるようになった。さらに、表立った異論を唱えなければ生きていけるし、ナチ党員になれば生きていくうえで楽だ、と思うようになっていった。

ヒトラーを内在的にとらえるだけでなく、移りゆく政治的社会的な関係の中でとらえる視点が必要である。その虚像と実像のギャップを認識し、なぜ無数の虚像が生じたのかを考えるべきだ。私たちは今も、かつてヒトラーとその取り巻き、支持者たちが創り上げたカリスマとしてのヒトラーの影響下にあるのではないか?(八牧浩行)

※掲載している内容はコラムニスト個人の見解。

新しいブラウザに移行する事

2018年08月24日 11時56分45秒 | 社会・文化・政治・経済
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敢闘会の会員宅を訪問

2018年08月24日 11時47分33秒 | 日記・断片
午前10時に、寺川さんと待ち合わせをして、敢闘会の案内を持って会員宅を訪問した。
途中、スピード違反で罰金と行政処分で講習を受けることとなった、寺川さんの失敗談を聞く。
国道6号や大利根橋を100㌔のスピード、つくば市内の大通を120㌔で走る寺川さん。
「彼の車には乗りたくない。殺される」と言う人もいる。
クラクションを鳴らし、追い越し、あおり運転。
これまで、検挙されなかったのがむしろ、運がよかっただけ。
運転すると人格が変わる典型的な<挑戦的な性格>なのだ。
「そんなに、飛ばすな。危ないよ。事故になるよ」
「クラクションはダメ」
敢闘会の元会長の大森さんが、何度も諫めてきたが、改まらないようだ。
まず、大利根川橋を渡り小堀(おおほり)地区へ。
赤嶺さんは仕事でお孫さんに案内を渡す。
寺川さんは「お父さんにこれ渡して」とい言いながらお孫さんに敢闘会の意義などを説明している。
後で「彼は19歳の大学生で孫」と寺川さんに言うと「そうか」とほとんど気にしていない。
思えば、赤嶺宅へ何年も行っているが、息子さんの姿を一度も見ていない。
娘さんの姿は見ているのだが・・・・
ついで、井野宅へ。
ほとんど会えないが、珍しく着替えをしながら本人が出てきた「仕事?」と寺川さんが聞く。
「植木屋の仕事は辞めた。これから畑へ行くところ」
「畑の仕事?」と寺川さんは、理解していない。
「家庭菜園」
「ああ、そう」と寺川さん。
「敢闘会たまには出て」
「31日の午後1時半か、眠いので昼間は寝ているな。会合へ出るのは無理だね」
「眠いなら、紅茶飲むといいよ」と寺川さん。
敢闘会に入会してから5年余、一度も会合へ出ていない。
徒歩3分の赤嶺宅の支部の会合も出ていない井野さんのこと、単なる言いわけなのだろう。
この後、辻堂宅へ行くが留守であった。
風が強い日で、雨がやんでいただけ良かった。
「雨があがらなければ、止めようと思ったんだ」と寺川さんが言う。
台宿地区の石川さん、鈴木さん、平田さん、倉田さんを順次訪問。
鈴木さん以外、皆さんに会えた。
今日は、地区の会合もあるが、ソニックガーデンもある。
1000円のウナギとビール、ものまねショーが楽しみ。
今日の地区会合を欠席して、日曜日の地区会合へ行くかどうかだ。

兄のこと、許してください

2018年08月24日 00時21分26秒 | 創作欄
一度、記したのでこの内容は重複する。
元記者には何度も会う。
読売新聞の自称元記者の川上良治さん。
朝日新聞の自称元記者の横川次郎さん実は元産経新聞記者だった。
日本経済新聞の自称元記者澤田幸吉さんは、芥川龍之介研究家で、競馬研究家を名乗っていた。
「君の記事は、シャープだね。とてもいいよ。日経の後輩の松田記者も注目していたよ」と当方を持ち上げる。
「いい、ネタがあったら買うよ。製薬企業のお偉いさんに頼まれているんだ。高給クラブに接待され、お金ももらえるよ」と神田駅前の酒場でのこと。
当方は当時、年収の安さに不満であり、澤田さんにネタを横流しにした。
「君は、私が見込んだように、さすがだね!メーカーのお偉いさんが、とても喜んでいたよ。また、ネタ頼むよ」
それから、5度も澤田さんにネタを横流しにしたが、一銭にもならかった。
彼は結局、競馬依存症でサラ金に500万円余の借金を残して首をつり死ね。
「兄のこと、許してください」妹さんの治子さんに詫びられた。
両親はすでに亡くなっていて、姉妹3人、親戚5人だけの寂しいん葬儀であった。
治子さんの腰に一度、偶然のように手が触れたら、彼女は電気でも通電したように後方に50㎝ほど跳んだ。
あの異常なまでの体感の敏感さは何であったのだろうか?
28歳の当方は想ってみた。