仕事で地方へ主張する機会が多かった。
大阪へはある時期、毎月のように行く。
医薬品現金卸の市場調査のためであった。
もう、友人の奈良岡仁も亡くなっているので時効、そのまま記す。
この仕事は、奈良岡がはじめは引き受け、その後、当方がバトンタッチした。
「大阪まで、毎月行くのは大変だろう」と東京の医薬現金卸のトップが言う。
「新幹線代もかかります」
「そうだろう。わたしが大阪の卸仲間にデータを送ってもらうようにしてやるよ」と思わぬ方向となる。
調査の依頼主からは年間、100万円の調査費をいただいていた。
依頼主も今は亡くなっているので、記すが元大手新聞記者で、出版業者であり、中央競馬の馬主でもった。
日本薬業新聞社は、大阪が本社なので支社の人間が大阪の平野町界隈をウロチョロしていたら、まずかったのだ。
本社の誰かと出会ったら、「お前、大阪で何をしておるんや?」ととがめれるのは目に見えていた。
実は全国自治体病院協議会の傘下病院は、正規の医薬品の販売ルートの他、東京の神田や大阪平野町の現金卸の販売ルートからも医薬品を納入していた。
当然、医薬品製造メーカーは「闇の販売ルート」に目を光らせていた。
医薬品の販売価格が値崩れすれば、2年に1回の薬価調査にも影響を及ぼす。
医薬品製造メーカーにとって、売上げに影響を及ぼす億円単位の問題でもある。
ある大手メーカーが奈良岡に接触してきた。
「当社の売れ筋の医薬品の現金卸価格を、何とか高くしてもらえないでしょうか。これはわが社の上層部の意向なのです」
確かに、一部上場企業として当然の申し入れであった。
調査の依頼主からは年間、120万円の調査費をいただいている。
「依頼主を裏切るのは、どうだろか?」と当方は腰が引けた。
「一度、相手先に会ってから、決論を出せばいいのでは」と奈良岡は言う。
彼からバトンタッチした調査であったので、奈良岡の顔も立てて、銀座のクラブで会うこととなる。
27歳の当方が初めて、銀座の高給クラブに接待されたのだ。
相手は、大阪の本社からやってきた常務取締役と営業本部長であった。
大阪へはある時期、毎月のように行く。
医薬品現金卸の市場調査のためであった。
もう、友人の奈良岡仁も亡くなっているので時効、そのまま記す。
この仕事は、奈良岡がはじめは引き受け、その後、当方がバトンタッチした。
「大阪まで、毎月行くのは大変だろう」と東京の医薬現金卸のトップが言う。
「新幹線代もかかります」
「そうだろう。わたしが大阪の卸仲間にデータを送ってもらうようにしてやるよ」と思わぬ方向となる。
調査の依頼主からは年間、100万円の調査費をいただいていた。
依頼主も今は亡くなっているので、記すが元大手新聞記者で、出版業者であり、中央競馬の馬主でもった。
日本薬業新聞社は、大阪が本社なので支社の人間が大阪の平野町界隈をウロチョロしていたら、まずかったのだ。
本社の誰かと出会ったら、「お前、大阪で何をしておるんや?」ととがめれるのは目に見えていた。
実は全国自治体病院協議会の傘下病院は、正規の医薬品の販売ルートの他、東京の神田や大阪平野町の現金卸の販売ルートからも医薬品を納入していた。
当然、医薬品製造メーカーは「闇の販売ルート」に目を光らせていた。
医薬品の販売価格が値崩れすれば、2年に1回の薬価調査にも影響を及ぼす。
医薬品製造メーカーにとって、売上げに影響を及ぼす億円単位の問題でもある。
ある大手メーカーが奈良岡に接触してきた。
「当社の売れ筋の医薬品の現金卸価格を、何とか高くしてもらえないでしょうか。これはわが社の上層部の意向なのです」
確かに、一部上場企業として当然の申し入れであった。
調査の依頼主からは年間、120万円の調査費をいただいている。
「依頼主を裏切るのは、どうだろか?」と当方は腰が引けた。
「一度、相手先に会ってから、決論を出せばいいのでは」と奈良岡は言う。
彼からバトンタッチした調査であったので、奈良岡の顔も立てて、銀座のクラブで会うこととなる。
27歳の当方が初めて、銀座の高給クラブに接待されたのだ。
相手は、大阪の本社からやってきた常務取締役と営業本部長であった。