OKYO人権 第77号(平成30年2月28日発行)
インタビュー
冤罪を生まない社会に必要なこと
検察と闘った164日間の勾留で見た真実
2009年に発生した郵便不正事件で、身に覚えのない罪に問われ、逮捕・勾留、起訴された村木厚子さん。
不当な取り調べと、164日間の勾留を乗り越え、2010年に無罪を獲得しました。
こうした「冤罪」は、憲法が保障する自由や名誉といった基本的人権を脅かす、深刻な人権侵害です。冤罪はなぜ起きたのか。
そして、冤罪被害者を生み出さないために必要なことは何か。事件当時の状況とあわせ、刑事司法制度と社会の問題点について、村木さんにお話しいただきました。
この事件では、一体どのようなことが起きていたのでしょうか。
障害者団体向けの郵便割引制度を使って、企業のダイレクトメールが格安で大量発送される事件が起きました。そのとき、厚生労働省が制度の適用を認める証明書を偽造し、自称障害者団体に発行したとして、当時、担当部署の課長を務めていた私も関与を疑われ、逮捕されたのです。後から明らかになることですが、これは当時、私の部下であった係長が、仕事の遅れを取り戻そうと、全ての手続きをスキップして独断でおこなったことでした。
ところが、検察は「これだけ大きな金額の不正を、一係長が単独でできるわけがない」と、政治家が絡んだ組織的な犯罪の図式を描いてしまいました。そして、そのストーリーのつじつまを合わせるため、私を含む関係者に、極めて強い誘導や、脅迫とも取れる取り調べがおこなわれたのです。その結果、複数の人の調書に、“自称障害者団体が政治家に頼み、政治家が私の上司に電話をかけ、上司が私に指示をし、私が係長に指示をした”という、全く存在していない状況が、再現されて具体的に記されました。
なぜ、嘘の自白や証言をしてしまうのでしょうか。
きっと、多くの方が「自分は無関係だ」「知らない」と、事実をはっきり言えばいいじゃないかと思いますよね。しかし、取り調べで事実を正しく主張し続けることは、想像以上に困難なことだったのです。
当時、厚生労働省の関係職員で取り調べを受けたのは、私を含め10人で、年齢は30から50代。皆、国家公務員としてきちんとした仕事をしており、悪人でもなければ、心が弱いわけでもありません。それにもかかわらず、5人が「村木が不正に関与した」との、虚偽の調書にサインをしています。その原因は、検察の取り調べにあります。
例えば、職員が「村木は不正をしていない」と証言をしても、検事は「不正の現場を見ていなかっただけだ」と言って耳を貸しません。どれだけ事実を話しても、検事が用意したストーリーに合わない話は調書にしてもらえません。
私の取り調べを担当した検事の一人は、こんな言い方もしました。「もし、係長があなたから指示されて追い詰められ、証明書を偽造したとしたら、かわいそうですよね」と。これは完全なたとえ話なので「そうですね」と答えると、「私(村木)の指示で彼がしたことに対し、責任を感じています」という調書を作られそうになりました。
また、当の係長は何度も「自分が単独でしたことです」と説明しているにもかかわらず、検事から「村木に命令されたんだろう」と繰り返されました。そのように書かれた調書にサインをしなければ、このまま拘置所から出られないと恐怖を感じたのです。そして、一人が調書にサインをすると、検事は他の職員に「サインをしたあの人は嘘を言う人ですか」と聞き、「そんなことはない」と答えると「ではあの人の言っている通りでいいですね」と、調書へのサインを迫ります。職員は次第に何が真実なのか分からなくなり、自分の記憶にも自信がなくなり「検事がそこまで言うのなら、村木は不正をしたのかもしれない」と思わされたり、「不正の現場を見ていなかった」と答えたのです。
そんななか、なぜ村木さんは否認を貫くことができたのでしょうか。
私が最後まで頑張れた理由は、素晴らしい弁護団に巡り合えたこと、家族や友人、職場の仲間の支えなど、数え上げたらきりがないくらいです。もちろん、虚偽の調書に職員がサインしたものを見せられたときは、とてもショックでした。主任弁護士の弘中惇一郎氏に「なぜ皆、嘘をつくのでしょうか」とほとんど泣いて訴えましたね。
すると、弘中氏はこう諭してくださいました。「誰も嘘はついていない。調書とは、まず検事が都合のいい作文をして、そこからバーゲニング(交渉)が始まるものだ」と。
つまり、5人の職員は、そのバーゲニングの勝負で検事に押し切られてしまったというわけです。さらに、弘中氏は次のようにも説明してくださいました。
「取り調べのプロである検事と、アマチュアである被疑者が密室で対峙しているのに、そのリングにはセコンドもいなければ、レフェリーもいない。だから、たいていの被疑者は負けてしまう」と。そのうえで、「勝とうと思うのではなく、負けなければいい。事実と違うと思ったら、とにかく最後まで調書にサインをしないことだ」とアドバイスしてくださったのです。
長期間、身柄を拘束されるつらさとは?
私は、否認を続けた結果、逃亡や証拠隠滅の恐れがあるとして、164日間勾留されました。否認をしていると、いくらでも勾留することができる手法は、「人質司法」と呼ばれ、冤罪を生む一つの原因になっているといわれています。私も今回の事件でその思いを強くしました。
私が、勾留期間中で最も苦しかったのは、検察と闘った20日間の取り調べです。毎日、拘置所の壁のカレンダーを穴が開くほど見つめ、1日が終わるごとに残りの日数を数えて耐えていました。しかし、係長は取り調べの20日間が過ぎても、検事が用意した別の罪状で拘留を引き延ばされ、再度20日間の取り調べを受けました。彼はその間、ノートにマス目を作り、1時間ごとに塗りつぶしていたそうです。1日単位で時間の経過を追っていた私の24倍、彼は苦しかったのでしょう。そして、そのつらい状況下で心が折れ、検事が語る虚偽のストーリーを受け入れてしまったのです。
検察や警察は、厳しい取り調べをすることが真相の解明につながり、治安維持の役に立つとの意識が強い組織です。
そのためなら、少人数の人権を侵害することになっても仕方がないとの意識さえ見え隠れします。しかし、これはとても怖い考え方だと思うのです。本来、権力を持っている人たちこそが、人権について人一倍考えなくてはいけないはずですよね。
ただし、私たち国民の側にも、考え方を改めなければならない点はあります。例えば、犯人が逮捕されると、多くの人が「捕まってよかった」と思い、その犯人が否認していると、真相が分からないにもかかわらず「早く認めたらいいのに」と思ってしまいがちです。
私も自分が逮捕・拘留されるまではそのように感じていました。しかし、事件以降は、逮捕された人が罪を否認しているとニュースで聞くと「本当に犯人かしら」と思うようになりました。
冤罪を防ぐために見直すべき司法制度とは?
私は、法務大臣の推薦を受け、2011年に設立された法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会の委員に選任されました。
ここで議論されたテーマの一つで、私自身も実体験から切に願うのが「取り調べの可視化」です。公正な取り調べをおこなうためにも、全過程を録音・録画することが必要だと思います。
これについては、部会の提案を受ける形で2016年に公布された「刑事訴訟法等の一部を改正する法律」で、裁判員裁判の対象事件と検察の独自捜査事件のみ録音・録画されることになりました。
しかし、最も冤罪が多いといわれる痴漢は対象外であるなど、制度としてはまだ途上といえます。
また、改正法では、部会が提案した「証拠開示」についても一部反映されました。それまで、被告人や弁護士は、検察が集めた証拠を全て見られるわけではありませんでした。
私は拘置所で開示された証拠類を読んでいるとき、一枚の捜査報告書のなかに検察のストーリーと食い違う決定的な証拠があることを発見しました。私の無実を証明する「客観証拠」があったにもかかわらず、検察は隠していたのです。
この幸運がなければ、私は有罪になっていたかもしれません。
改正法では、これまで極めて限定的だった証拠開示制度が拡充されることになりました。しかし、まだ満点の制度とはいえません。
証拠の全面開示を望むとともに、公布された改正法がどのように運用されるかを、きちんと見守っていきたいと思っています。
制度改革以外で、冤罪を防止する仕組みや考え方はありますか。
郵便不正事件では、検察は自分たちが作り上げたストーリーに合わせて証拠の改ざんまでおこなってしまいました。しかも、組織内でその事実を確認していながら、引き返すことができなかったのです。
これは、検事一人ひとりの倫理観というより、組織の体質と社会全体の意識に問題があると感じています。
検察や警察は、常に悪人を捕まえることを期待され、失敗できない状況下で仕事をしています。しかし、そのプレッシャーを与えているのは、私たち国民です。
もちろん、冤罪は決してあってはならないことですが、万が一起きてしまったときに、組織を責めるだけでなく、失敗を許す社会を作ることも大切ではないかと思います。
そうした環境を目指す意味では、組織が失敗に気づいた時点で引き返せる仕組みを、制度としても作ることが必要です。そうでなければ、検察や警察という職業はあまりにも大変です。
郵便不正事件で、検察には悪いイメージがついてしまいましたが、ひどい職業だと思われることは私の本意ではありません。
これは後から知ったことですが、当時、私が無罪ではないかと進言し、証拠の改ざんを上層部に訴えた、心ある検事もいたのです。
そうした正義感と使命感を持った検事がきちんと働ける職場にするためにも、司法制度と社会風土の両面を見直していく必要があると思っています。
私は無罪を得たあと、検察はなぜ間違いを犯し、なぜ引き返せなかったのか、事実を明らかにするために、国家賠償請求訴訟を起こしました。
しかし国は「認諾」といって、私の言い分をすべて認めて賠償金を払って裁判を終わりにしてしまいました。これで真相を追究する手段はなくなってしまいました。賠償金は社会福祉法人南高愛隣会へ寄付して、障害のある方々の取り調べや裁判、障害があるゆえに犯罪を繰り返してしまう人の社会復帰を支援するための基金を設立していただきました。
一連の出来事は、夫の言葉を借りれば「得難い経験だけれど、二度としたくない経験」です。もう誰もこんな思いをすることがないよう、皆さんとこの問題について考えていけたらと思っています。
インタビュー/林 勝一さん(東京都人権啓発センター 専門員)
津田塾大学客員教授
前 厚生労働省事務次官
1955年、高知生まれ。高知大学卒業後、1978年、労働省(現・厚生労働省)に入省。障害者支援や女性政策などにかかわり、2008年、雇用均等・児童家庭局長。2009年、郵便不正事件で逮捕。2010年に無罪確定、職場復帰。
2012年、社会・援護局長。2013年から2015年まで厚生労働事務次官。
同年に退官後、伊藤忠商事社外取締役に就任。
2017年4月より津田塾大学客員教授。
著書に『あきらめない 働く女性に贈る愛と勇気のメッセージ』(日経ビジネス人文庫)、『私は負けない「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社)