競輪選手の級斑別平均獲得賞金

2019年01月13日 17時37分47秒 | 社会・文化・政治・経済

SS 9人 1億824万1233円

S1 210人 2162万7184円
S2 457人 1236万6838円
A1 518人 876万9225円
A2 532人 731万5192円
A3 481人 589万9194円
L 123人 638万9018円

1億円超えは4人。

全選手2330人の平均は989万円
1000万円を超えたのは720人で全体の30・9%だった。


2018年 競輪選手獲得賞金ランキング

2019年01月13日 17時15分27秒 | 未来予測研究会の掲示板
順位選手名期別府県級班獲得賞金
1位 三谷 竜生 101 奈良 SS 255,313,000 円
2位 脇本 雄太 94 福井 SS 148,773,000 円
3位 浅井 康太 90 三重 SS 140,962,000 円
4位 平原 康多 87 埼玉 SS 105,246,400 円
5位 村上 義弘 73 京都 SS 87,907,000 円
6位 村上 博幸 86 京都 SS 63,277,600 円
7位 新田 祐大 90 福島 SS 57,783,800 円
8位 清水 裕友 105 山口 SS 57,714,000 円
9位 武田 豊樹 88 茨城 SS 57,194,300 円
10位 原田 研太朗 98 徳島 S1 49,800,500 円
11位 古性 優作 100 大阪 S1 47,752,000 円
12位 山田 英明 89 佐賀 S1 46,216,000 円
13位 渡邉 一成 88 福島 S1 45,796,000 円
14位 菅田 壱道 91 宮城 S1 44,889,800 円
15位 香川 雄介 76 香川 S1 44,304,200 円
16位 松浦 悠士 98 広島 S1 44,286,800 円
17位 佐藤 慎太郎 78 福島 S1 42,542,500 円
18位 中川 誠一郎 85 熊本 S1 42,251,000 円
19位 中村 浩士 79 千葉 S1 41,475,500 円
20位 木暮 安由 92 群馬 S1 40,571,000 円
21位 和田 健太郎 87 千葉 S1 40,404,000 円
22位 山崎 賢人 111 長崎 S2 39,406,800 円
23位 郡司 浩平 99 神奈川 S1 38,088,500 円
24位 諸橋 愛 79 新潟 S1 38,032,200 円
25位 吉澤 純平 101 茨城 S1 38,020,500 円
26位 柴崎 淳 91 三重 S1 35,478,000 円
27位 椎木尾 拓哉 93 和歌山 S1 35,204,800 円
28位 和田 圭 92 宮城 S1 35,179,400 円
29位 山中 秀将 95 千葉 S1 35,021,400 円
30位 渡邉 雄太 105 静岡 S1 34,696,100 円
31位 小松崎 大地 99 福島 S1 34,605,300 円
32位 園田 匠 87 福岡 S1 33,796,000 円
33位 岡村 潤 86 静岡 S1 33,690,900 円
34位 吉田 敏洋 85 愛知 S1 33,433,200 円
35位 山崎 芳仁 88 福島 S1 32,974,800 円
36位 新山 響平 107 青森 S1 32,149,000 円
37位 金子 貴志 75 愛知 S1 31,928,000 円
38位 太田 竜馬 109 徳島 S1 31,411,500 円
39位 志智 俊夫 70 岐阜 S1 30,879,400 円
40位 神山 拓弥 91 栃木 S1 30,824,400 円
41位 井上 昌己 86 長崎 S1 30,354,400 円
42位 小倉 竜二 77 徳島 S1 30,087,800 円
43位 東口 善朋 85 和歌山 S1 29,933,600 円
44位 竹内 雄作 99 岐阜 S1 29,597,900 円
45位 山田 久徳 93 京都 S1 29,449,000 円
46位 南 潤 111 和歌山 S2 28,933,800 円
47位 大槻 寛徳 85 宮城 S1 28,550,300 円
48位 桑原 大志 80 山口 S1 27,885,200 円
49位 小川 真太郎 107 徳島 S1 27,779,200 円
50位 柏野 智典 88 岡山 S1 27,352,000 円

牛久シャトーと「神谷バー」の前身

2019年01月13日 16時24分30秒 | 社会・文化・政治・経済

牛久シャトーは、オエノンホールディングス株式会社が所有している茨城県牛久市のワインである。
1903年に神谷伝兵衛が「牛久醸造場」の名で創業した。
フランス種のブドウとボルドーの高級ワイン製造法を取り入れた日本初の本格的なワイン醸造場であり、2008年6月に旧事務室、旧醗酵室、旧貯蔵庫の3棟が国の重要文化財に指定されている。
産経ニュースによると、年間の来場者は約40万人である。
旧称は「シャトーカミヤ」だが、公式Twitterで2017年9月1日に「牛久シャトー」へ改名すると発表した。
牛久シャトーの創業者、神谷伝兵衛は1856年に三河国(現在の愛知県)で生まれた。
1873年、彼は横浜の外国人居留地でフランス人が経営するフレッレ商会で労働者として働き始め、ここでワインを知ることになった。
1880年、独立した伝兵衛は東京都浅草で濁り酒の一杯売屋「みかはや銘酒店」を開業した。これは日本初の洋酒バー「神谷バー」の前身であった。
当時の日本ではワインが一般には普及していなかったが、伝兵衛は1881年から輸入ワインに蜂蜜などを添加した甘味葡萄酒の販売を始め、1886年に「蜂印香竄葡萄酒」として商標登録したこの再生葡萄酒は人気商品となった。

 

神谷バーのデンキブラン

2019年01月13日 16時13分31秒 | 社会・文化・政治・経済

 神谷バーにデンキブランと名付けられたカクテルが登場して、およそ百年の歳月が流れています。

その間デンキブランは、浅草の移り変わりを、世の中の移り変わりをじっと見てきました。

ある時は店の片隅で、またある時は手のひらのなかで― 。

電気がめずらしい明治の頃、目新しいものというと"電気○○○"などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めていました。
さらにデンキブランはたいそう強いお酒で、当時はアルコール45度。
それがまた電気とイメージがダブって、この名がぴったりだったのです。
デンキブランのブランはカクテルのベースになっているブランデーのブラン。そのほかジン、ワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされています。しかしその分量だけは未だもって秘伝になっています。

あたたかみのある琥珀色、ほんのりとした甘味が当時からたいへんな人気でした。ちなみに現在のデンキブランはアルコール30度、電氣ブラン<オールド>は40度です。

大正時代は、浅草六区(ロック)で活動写真を見終わるとその興奮を胸に一杯十銭のデンキブランを一杯、二杯。それが庶民にとっては最高の楽しみでした。もちろん、今も神谷バーは下町の社交場。
仕事帰りの人々が三々五々、なかには若い女性グループも、小さなグラス片手に笑い、喋り、一日の終わりを心ゆくまで楽しんでいます。時の流れを越えた、じつになごやかな光景です。

明治・大正・昭和・平成、時代は移っても人の心に生き続けるデンキブラン。
デンキブランは下町の人生模様そのものです。一口、また一口とグラスを傾けると、時がさかさに動いて、見知らぬ時の見知らぬ人に逢えそうな、そんな気がしてくるのです。
浅草と文学のつながりはひじょうに深く、浅草からは、じつに多くの名作が誕生しています。
たとえば永井荷風は、小説「すみだ川」で下町情緒あふれる隅田川界隈を舞台に、美しくも哀しい人間模様を描き、その後昭和の初めには、川端康成が、浅草の最も華やかな時代を「浅草紅団」「浅草の姉妹」「浅草の九官鳥」など数編の小説に収めています。
このほか石川啄木、萩原朔太郎、高見順、谷崎潤一郎、坂口安吾、壇一雄…など、数多くの文学者たちが浅草に心惹かれ、何らかのかたちで浅草にその足跡を残しています。

さて、詩歌や小説のなかに浅草のここかしこが登場するわけですが、この神谷バーも小説のなかにふとその名をみつけることがあります。おそらく、明治十三年創業以来、つねに"庶民の社交場"だっただけに、ここには人々の喜びや悲しみ、つまり庶民の生活そのものがあったのでしょう。
だから歌も生まれ、小説にも描かれたのです。

 一人にて酒をのみ居れる憐(あは)れなる となりの男になにを思ふらん
(神谷バァにて) 萩原朔太郎

・本 社:〒111-0032 東京都台東区浅草1丁目1番1号
・代 表:代表取締役 神谷直彌
・創 業:明治13年4月
・設 立:昭和24年3月
・資本金:1000万円
・事業内容:飲食業(和食・洋食)・小売業


地区の会合へ出た

2019年01月13日 15時51分06秒 | 日記・断片

今日は、午前9時からの支部の会合は中止であった。

午後1時からのご婦人中心の地区の会合へ出た。
男性は二人。
まず、歌のの合唱。
何時ものカラオケセットがないので、伴奏はなし。
歌詞が用意されていた。
覚えてつもりでも、歌ってみると、歌詞を正確に覚えていない。
ついで、月刊誌の巻頭言を朗読。
このあと、フリートークなど。
当方は箱根駅伝の応援へ行ったことと、浅草へも
顔を出したことをしゃべる。
2日は、月と金星が接近して見えた。
皆さん、見ていなかった。
目的は東京大衆歌謡団の路上ライブだったが、どこでやっているかわからなかった。
神谷バーで電気ブランを飲んだ話では、牛久シャトーと神谷バーの関係について告げた。
皆さん知らなかった。

子どもや孫、父母や夫の話、兄弟姉妹たちとの正月休みの交流、友人。知人たちとの友好などを語る。
「孫にお年玉毎年やるんだけれど、今年は初めて娘からお年玉をもらった。そこのテレビは息子からもらった」と中田さんが報告する。
ご主人は7日に、風呂で気を失しなって倒れた、ことも明かすので皆さんが驚く。
大事に至らずに良かった。
また、「介護が必要は母親に会いに行こうとして行けなかった」と心を曇らせている人も。
鈴村さんは、3度も主人が階段や道路で転び、頭に怪我を負ったことを明らかにした。
「外へ黙って出ていくので、ふんどうされている」と涙ぐむ。
認知症がいくらか進んでいるようだ。
また、バツイチの娘さんのことを気遣う人も。
佐貫のマンションに住み、キャノン工場へ30年も勤めているそうだ。
会合後、お汁粉と和菓子などをいただき懇談する。
漬物を持参した方も居た。




心の檻を打ち破る

2019年01月13日 11時18分54秒 | 社会・文化・政治・経済

いつでもできる事も期限を設けるとやる気が増す。

先入観。我見。固定観念。思い込み-それらが自分を縛り、閉じ込めてしまっているのだ。
その心の檻を打ち破ることだ。
行動することだ。
勇気をもってぶつかっていっことだ。
動けば、おのずから、視点が変わるのだ。
自分を見つめ、心の中にる壁を突破していきたい。


「乗り越えられない障害はない」

2019年01月13日 08時57分55秒 | 医科・歯科・介護

幸せのための医療

今、自分が感じている<欠損>は、後で埋められます。
プライドが傷つくのを恐れず、若いうちは何かに本気でチャレンジすることが大事だと思います。
たとえ結果がうまくいかなくても、それはハイリスクな経験となって、病気のおかげで今の僕があるように、後で未来の自分を救うんじゃないかと思います。
だから、自分で自分の能力や限界を決めずに、まずは何かやってみることですね。
外科医師 石井洋介さん

難病の潰瘍性大腸炎によって19歳の時に大腸を全摘出し、人工肛門となる。
その後、人工肛門を閉じて小腸の一部を大腸のような機能にする手術を受ける。
今は肛門から排便し、飲食の制限もなく暮らしている。

それまで4年間勉強していなかったので、偏差値30からのスタート。
当時は底辺まで落ちたので、「もう伸びるしかない」と思えたのよかったと思う。
猛勉強して高知大学医学部に入学する。

「高知での6年間は僕の原点になっています。正しい方法をとれば、すごい能力がなくても誰でも世の中を少しは良くできると思うようになりました」
「乗り越えられない障害はない」-出版した本でも伝えたかってことだそうだ。19歳で人工肛門、偏差値30の僕が医師になって考えたこと

19歳で人工肛門、偏差値30の僕が医師になって考えたこと
     著者 石井洋介著 《医師、日本うんこ学会会長》

16歳で難病指定されている潰瘍性大腸炎を発症し、19歳の時に生死をさまよう大手術で人工肛門になった著者。病気の治療過程で高校生活から落ちこぼれ、偏差値は30程度にまで下がりきっていた。

ところが、ネットの情報から、当時まだ珍しかった人工肛門を閉鎖する手術を受けると希望を取り戻し、「残りの人生は人のために生きよう」と一念発起。猛勉強の末に医学部に合格し、憧れの消化器外科医に。

たとえ家庭環境が複雑でも、病気になっても、フリーターでも、童貞でも、コミュ障でも、人生はどこからでもやり直せる!!

 「うんこで救える命がある!」と、うんこの異変に気づけなかった16歳の自分に捧げるべく医療情報を織り込んだスマホゲーム「うんコレ」(2019年春公開予定)を開発した異色の医師の挫折と成長の物語。

偏差値30台からの医学部受験から、うんこみたいな自分から自己肯定感を高めて幸せになる方法まで徹底的に開示します。


ユーロが抱える根源的な問題

2019年01月13日 06時58分42秒 | 社会・文化・政治・経済

社説
20歳になったユーロ 試練となる財政の共通化
毎日新聞2019年1月12日 東京朝刊
せいぜい10年の命。欧州連合(EU)もろとも崩壊する--。そう予測したのは、ノーベル経済学賞を受賞した米国人のミルトン・フリードマンだった。

 だが予測に反し、単一通貨ユーロは生き延びる。今月1日、ついに20歳の誕生日を迎えた。

 11カ国で始動したユーロ圏は、19カ国まで拡大した。ソ連時代、ルーブルを使用していた国の中から、バルト3国のように、将来フランスと通貨を共有する国が現れるなどと、どれくらいの人が予想しただろう。

 ひとたび経済危機に見舞われたら、大混乱の末に分裂する、と考えた人も少なくなかったはずだ。しかし、リーマン・ショック後の不況もギリシャの離脱危機も乗り切った。複数の主権国家が同意のもとに通貨を統合するという未曽有の実験は、想像以上の成果を収めた。

 ユーロが誕生していなかったら、慢性的な財政赤字や高インフレに悩んできた国は、今でも不安定な経済情勢に振り回されていたのではないか。ユーロ導入前、2ケタも珍しくなかったイタリアの物価上昇率は、導入後0~3%で推移している。

 何より、ユーロが採用国の国民に支持された意義は大きい。EUの定期世論調査によると、単一通貨に好意的な市民の割合は昨年、過去最高の77%に上った。

 しかし、ユーロの抱える根源的な問題は誕生時も今も変わらない。通貨や中央銀行を統合した半面、財政は相変わらず国単位、という中途半端な状態が生む問題だ。加盟国間の経済格差が拡大しても、一つの国のように、全体で財政のテコ入れをすることはできない。

 そんな中、昨年末のEU首脳会議が、ユーロ圏の共通予算創設に合意したのは、わずかな規模とはいえ、重要な一歩といえよう。

 今後、徐々に拡大していくことが求められそうだが、そのためにも各国は一層、財政規律を順守する努力が必要だ。共通予算の提唱者、マクロン仏大統領自らが、支持率回復のため財政健全化に背を向けるようでは、財政統合の展望は開けまい。

 信用を築くには何十年も要するが、失うのはあっという間だ。欧州の指導者らはこのことを共にかみしめるべき時ではないか。

 


厚生労働省の不正統計

2019年01月13日 06時40分06秒 | 医科・歯科・介護

毎勤統計、不適切調査で賃金など実態より低く 厚労相「組織的隠ぺいはない」

 [東京 11日 ロイター] - 厚生労働省は11日、賃金や労働時間の動向を把握する「毎月勤労統計」の調査において、実施すべき全数調査の一部を抽出調査で行っていたと発表した。
これにより「決まって支給する給与」等が低く出ていたため、雇用保険や労災保険で追加給付が必要な事態となっている。
根本匠厚生労働相は会見で「組織的隠ぺいがあったという事実は現段階ではない」との認識を示した。

根本厚労相は、自身の責任を問われ、「さらなる調査の実施や再発防止策の取りまとめ、国民への対応に全力挙げて取り組む」と述べた。

また、関係者の処分については、さらなる調査を実施した上で行う考えを示した。

不適切な調査は2004年から行われていた。本来、500人以上の規模の事業所は全数調査を行うことになっていたが、厚労省から東京都に対し、抽出した事業所名簿を送り、これに基づく抽出調査を行っていた。

18年の東京都の500人規模以上の事業所は1464事業所だったが、調査を行ったのは491事業所だった。不適切な調査を行っていたことは、総務省からの指摘により精査したことで発覚した。

これらの抽出調査については、17年まで、母集団の調査結果とするための「復元」と言われる統計処理も行っていなかった。

厚労省では、「復元」に必要なデータが存在する12年以降については「復元」し、再集計値として公表する。「決まって支給する給与」の「再集計値」と公表値のかい離は金額ベースで平均0.6%だった。

なぜこうした抽出調査が行われたのか、また、なぜ18年1月から「復元」が行われたかなどについては、調査中としている。ただ、「意図的にやる意味はない」(厚労省関係者)としている。

全数調査が実施できる時期については「できる限り早急に」と記すにとどめた。

また、18年6月に神奈川県、愛知県、大阪府に対し、500人以上の規模の事業所について19年から抽出調査を行うと通知していたが、これを撤回した。

不適切な調査を行っていたことで、賃金等が低めに出ていたことから、雇用保険、労災保険、船員保険、雇用調整助成金で追加給付が必要になっている。

厚労省では、2004年以降、追加給付が必要となる時期にさかのぼって追加給付を実施するとし、国民からの問い合わせのための電話を開設した。

これらは計567億円となる。一方、給付が本来の額より多くなっていた人には返還を求めない。

根本厚労相は「追加給付に必要な予算を計上する方向で財政当局と協議する」と述べた。


「民音」(みんおん)

2019年01月13日 06時35分37秒 | 社会・文化・政治・経済

一般財団法人民主音楽協会は、日本の音楽文化団体。

1963年10月18日創立。
概要
音楽文化の向上や、音楽を通した異なる文化との交流などを目的として、創価学会の池田大作会長(当時、現:名誉会長)によって設立された。
略称は「民音」(みんおん)。「MIN-ON」で表記されることもある。
労音(勤労者音楽協議会)・音協(音楽文化協会)などと並ぶ音楽文化団体。
クラシック・民族音楽から歌謡曲・ミュージカルまで取扱いジャンルは幅広く、国内外のアーティストの招聘、コンサート・各種コンクール・イベントの主催・企画制作、チケット販売を行っている。
また、世界各国との文化交流は105カ国・地域に及んでいる(2013年10月現在)
関連施設として民音音楽博物館があり、貴重な楽器や楽譜などを所蔵している。
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わたしたちは、音楽芸術を享受する喜びと感動を、より多くの人々と分かちあうために、
民衆を主体とした多角的な音楽文化運動を目指しています。

わたしたちは、各地域における音楽文化の更なる活性化や、
青少年の情操を豊かにする音楽活動等のさまざまな運動を通して、
新しい時代における音楽芸術の興隆に寄与したいと願っています。

わたしたちは、国家・民族・言語等の文化の相違を超えて、
グローバルな音楽文化の交流を推進し、
各国間における相互理解と友情を深めていくことを望んでいます。

真実の世界平和の基盤となるのは、民族や国家、イデオロギーを超えた、人間と人間の交流による相互理解です。
そのために必要なのは、芸術、文化の交流ではないだろうか――。

民音は、音楽などの芸術の交流を推進する音楽文化団体として設立いたしました。

以来、半世紀にわたり、演奏会事業はじめ、音楽博物館事業、音楽普及事業を幅広く展開し、日本各地に古今東西の音楽、芸術に触れる「文化の広場」を創出してまいりました。

とりわけ、世界の優れた音楽芸術を紹介する海外との文化交流を地道に積み重ねて、これまでに100を超える国・地域を結びゆく「平和」と「友好」のネットワークを広げることができました。

これもひとえに、民音の賛助会員ならびに推進委員の皆さまをはじめ、民音を支えてくださる多くの方々のご支援とご協力の賜物と、深く感謝を申し上げる次第です。

これからも、音楽芸術で"世界"を結び、"地域"を結び、"世代"を結び、友好の輪を広げながら、音楽を「平和の力」に、感動を「生きる力」に、希望あふれる人間文化の交流の場を提供してまいります。

代表理事 伊藤一人さん
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民音が音楽を世界の人々のもとへ届けてくれる。
私たちは一生懸命パフォーマンスをすることで「喜び」と「希望」を届けていきたい。
ニューヨーク市ヤングピープルズ・コーラス創設者
フランシスコ・J・ヌニェスさん
音楽を必要としている社会や、そこで生きる人たちの元へ直接出向き、彼らの求める音楽を提供するという、民音が行っている文化事業はとても重要なことです。
私どもはアーティストとして、この国に来ましたが、ただお客様の前で歌っているのではなく、実際に、この国の人たちは、何と求めているのかを考えながら、演じる事が大切だと考えています。
私どもにとって、子供たちに会いに行く「学校コンサート」も、日本の各地で行う本公演も、どちらも変わらない程、重要なことです。
私たちが一生懸命パフォーマンスをすることによって、全国のあらゆる社会の人たちに「喜び」と「希望」を届けることが出来るからです。
時には、コンサートに出かけるのが困難な方もいるでしょう。その時、民音はコンサート自体をそうした人たちのもとへ持って行くことが出来ます。これは、とても素晴らしいことです。
そのような行為が今も、日本全国で行われている。民音が音楽を人々のもとへ届けているのです。
これは、時によって、人生を変えるような出来事になることもあります。そうした努力を民音が続けているのは大変素晴らしい事です。
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当時、私が思いを抱いたような、純粋な
指揮者への志と情熱を持った若者を応援
したい。
京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザー
札幌交響楽団友情客演指揮者
東京音楽大学指揮科教授広上淳一さん
私は、第6回の本コンクールに応募しました。
当時、大学4年生で、指揮者になるチャンスも乏しい日本の音楽社会で、もしこれで結果が出なかったら指揮者の道をあきらめよう、と覚悟して臨みました。
残念ながら1位2位3位のいずれにも入れませんでしたが、名立たる指揮者の先生方が審査員として私を評価してくださり、本選まで進めたことに「自分は指揮者を続けていいんだ」という勇気を与えてもらいました。
このコンクールがなかったら指揮者・広上淳一はいないと今でも感謝の思いが尽きません。本コンクールは、今では、名実ともに非常にレベルの高い国際コンクールに発展し、既に指揮者として実績を積んだプロの実力者も世界中から集まるようになりました。
私は光栄にも審査員を務めさせて頂いておりますが、当時、私が思いを抱いたような、純粋な指揮者への志と情熱を持った若者を応援したいと常に思っています。世界各地のコンクールが、財政的な問題で打ち切りを余儀なくされることが多くある中、このコンクールは、主催者の民音、そしてスポンサーの皆様のご支援で続けられており、こんなにありがたいことはありません。将来の音楽界を見据え、後進育成を願った先輩方の礎のもとに、このコンクールが誕生し、50年の歴史を超え、今や世界のクラシック界に貢献している姿に思いを馳せると、私も微力ながら、命ある限り御奉仕させて頂きたいと願っております。

オーケストラの演奏者は、コンクール参
加者の意思や能力がありのままに表現で
きるように、全身全霊で臨んでいます。
日本オーケストラ連盟常務理事・事務局長桑原浩さん


びわ湖ホール オペラ公演で高い評価

2019年01月13日 05時54分14秒 | 社会・文化・政治・経済

【毎日新聞掲載】
びわ湖ホールを題材に、公共ホールの役割と運営の課題について述べた記事「論点~公共ホールの役割」が、1/12付け毎日新聞朝刊のオピニオンページに掲載されています。
ぜひご一読くださ

びわ湖ホールは、国内有数の4面舞台を備えた大ホール、演劇向けの中ホールや、アットホームな小ホールを備えています。
最新の設備と優れた音響、臨場感を追求した湖畔の芸術劇場からオペラ、バレエ、ミュージカル、クラシック演劇など、ジャンルを超えて多彩な感動のステージをお届けします。

オペラ公演で高い評価

日本有数のオペラ劇場として国内外から高い評価を得ているびわ湖ホール。
細部にまでこだわり抜いた音響設備と舞台機構、優れたスタッフの力を結集し、親しみのある演目から日本での初演や上演機会が少なかったオペラもプロデュース。数多くの賞を受賞しています。また、「オペラへの招待」シリーズでは、初めて観る子どもたちからオペラ通までお楽しみいただけるオペラを上演しています。

次世代への贈り物

1998年の開館以来、次世代に素晴らしい感動と体験を届けるため、青少年向けの公演や活動に取り組んでいます。オペラでは「オペラへの招待」、オーケストラは「子どものための管弦楽教室」、演劇・ダンスでも青少年の方に気軽に見ていただける公演をラインナップしています。また、びわ湖ホール声楽アンサンブルが学校や地域に出かける「学校巡回公演」や「ふれあい音楽教室」などを積極的に実施し、子どもたちが本物の音楽に触れる機会づくりにも取り組んでいます
友の会について

入会すると、どのような特典がありますか。また、一般会員とサポート会員、特別会員の違いは何ですか
[一般会員]
チケットの優先販売や優待販売、チケットの無料発送、月1回の公演情報送付、館内レストランにてグラスワインサービスなどがございます。
年会費:一般会員2,500円 クレジット一般会員2,379円
[サポート会員]
一般会員の特典に加えて、一部の主催公演やオペラのゲネプロへのご招待等の特典があり、お得にお楽しみいただけます。
年会費:10,000円
[特別会員]
一般会員・サポート会員の特典に加えて、情報紙への会員名など掲載や、メインロビーへ会員名等を掲示させていただきます。
年会費:100,000円

東京方面・名古屋方面いずれもまず京都駅までお越しください。
京都駅からJR琵琶湖線(東海道本線)の彦根・米原方面行きにご乗車いただき、大津駅もしくは膳所駅で下車してください。
公益財団法人びわ湖芸術文化財団
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール
〒520-0806
滋賀県大津市打出浜15-1
TEL:077-523-7133
FAX:077-523-7147

 


びわ湖ホール 公共ホールの役割

2019年01月13日 05時37分30秒 | 社会・文化・政治・経済

聴衆と芸術家を育成

論点
毎日新聞2019年1月12日 東京朝刊

滋賀県大津市のびわ湖ホールが昨秋、開館20年を迎えた。

県立施設として総工費約245億円で建設された「関西のオペラの殿堂」は財政危機で存続が危ぶまれる時期もあったが、来場者は累計500万人を超えた。

少子高齢化や東京一極集中が進む日本で、公共ホールが地方の文化振興・発信に果たす役割とは。【聞き手・濱弘明】


プラハ国立劇場オペラ モーツァルト作曲:歌劇「フィガロの結婚」[全4幕](原語上演・日本語字幕付き)

プラハ国立劇場オペラ モーツァルト作曲:歌劇「フィガロの結婚」[全4幕](原語上演・日本語字幕付き)

2019.01.13(日)開場14:15
開演 15:00



小田絹子の赤ちゃん

2019年01月13日 01時00分03秒 | 創作欄

外出先から戻ってきた社長は、赤ちゃんを抱く小田絹子の姿を見ると「良く来たね。可愛い赤ちゃんじゃないか」と頬を緩め上機嫌となった。
そして、経理担当の村瀬明美に馴染みの寿司屋の2階の部屋を予約するように指示した。
「出られる者は、なるべく食事会に参加するように」と伝言する。
取材先から直帰する予定であった徹も、「急遽、歓迎会があります」と後輩の大村三郎が電話で言うので寿司屋へ向かった。
何の歓迎会であるかを聞きもしなかった。
寿司屋の2階は20人ほどが収まる畳の座敷で、壁側の中央の席に広田雄一社長と赤ちゃんを抱く小田絹子が並んで座っていた。
いつものように、編集部の面々は窓際の席に並んでいた。
糖尿病の社長はウーロンハイを飲む。
大半の社員はビールで、日本酒は村瀬尚樹編集長と徹、それに荒川由紀も日本酒だった。
タバコを吸うのは社長と編集長だけだった。
寿司の盛り合わせと茶碗蒸し、吸いもの、漬物などがテーブルに並んでいた。
徹は小田絹子が終始、寂しげな表情のしているのを気にかけていた。
荒川由紀は食欲がないのか、寿司が好きではないのは、卵とイクラ、エビだけを摘んでいた。
「食欲がない者は仕事ができない」何時もの社長の持論だ出た。
「そう言われも、もう十分です」と言いたい者は口をつぐむ。
社長がトイレに立った。
その時、社長の息子の治が唐突に言うのだ。
「赤ちゃん、社長に似てない」
皆が唖然とした。
重い沈黙が流れた。
「何を言うの。この子が社長の子なら、このような席にいるものですか」小田絹子は怒りを含んだ目を息子の治に注ぐ。
そして、追い打ちをかけるように「似ていると言えば、似てますわね」と平原今日子が言うので、さらに皆が唖然とした。
荒川由紀は声を立てて笑った。
完全に座が白けてしまう。
席に戻った社長は、ただならぬ空気を察したようだ。
「みんな、どうしたんだ」問い掛けるが誰も俯いて沈黙したままだ。
「親父さん、気にしないでください。俺が余計なこと言って、悪かったです」と治が頭を下げる。
「バカ者、会社だぞ、社長と言え。大学生にもなって非常識だ。お前は先に帰れ」と怒鳴りつける。
重い空気が流れるばかりであった。
「この後、カラオケでも行くか」と社長が言うので、安堵する者も居た。
徹は平原今日子が小田絹子に対して、いい感情を抱いていなかったこを知る。
「私しばらく、カラオケ行っていないので、私も参加していいですか」
母親となった彼女は、平常心を装うほど気丈になっていた。