使える!「国語」の考え方

2019年01月27日 21時58分06秒 | 社会・文化・政治・経済

ちくま新書<br> 使える!「国語」の考え方

今、指摘されているのは、国語の授業で文学を学ぶ意義があるのかという点です。
しかし、文学を学ぶことを否定し、論理的な思考法のみに注力すべきとの声は偏った意見です。
文学や論理といった枠にとらわれず、別角度からの国語聞養育の方法があってしかるべきです。
文章の作り手が用いる表現の仕組みや原理等、技術的な面を学ぶことです。
名作と呼ばれる小説や話題になる作品には、いくつかの法則があります。
この構造を学ぶことで、文章力・読解力をさらに育むことができると考えます。
作品、作者が置かれた時代や環境など、前提となる知識を学ぶことが重要です。
言葉に隠された背景を押さえることで、理解が深まり、その作品の魅力に気付く新たな発見があるはずです。

内容説明

国語の授業はとかく批判されがちである。

つまらない、役に立たない、小説を読む意味はない、といった声が聞こえてくる。

そのため、論理力をつけるための内容に変えるべきだという意見も強まっている。

でも、それで本当に国語の力はつくのだろうか?

そこで、文学、論理といった枠にとらわれないで、読む力・書く力を身につけるための新しい考え方を提案する。これまでなかった国語の授業がここにお披露目される。

教壇に立つ著者は、何度も「わかりやすく」と強調した。
自らの授業と伝える言葉が、生徒に理解されなければ意味ががないと言うのである。

目次

第1章 現代文の授業から何を学んだのか?
第2章 小説を読むことの意味を問う
第3章 教科書にのる名作にツッコミをいれる
第4章 「論理的」にもいろいろある
第5章 理解されやすい文章のセオリー
第6章 情報を整理し、ストーリーをつくる
第7章 論理ではなく、論拠を探せ!
第8章 すべての事実は物語られる

著者等紹介

橋本陽介[ハシモトヨウスケ] 
1982年、埼玉県生まれ。慶應義塾志木高等学校卒、慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程修了。博士(文学)。慶應義塾志木高等学校講師(国語科)等を経て、お茶の水女子大学基幹研究院助教。専門は中国語を中心とした文体論、比較詩学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

出版社内容情報

小説と評論、どっちも学ばなきゃいけないの? 国語にまつわる疑問を解きあかし、そのイメージを一新させ、読む書く力を身につける。読む書く力は必要だけど、授業で身につくの? 小説と評論、どっちも学ばなきゃいけないの? 国語にまつわる疑問を解きあかし、そのイメージを一新させる。



がんの時代

2019年01月27日 13時19分43秒 | 医科・歯科・介護
 
 中川恵一 (著)

「私はがんで死にたい」と著者は宣言していた。
<突然死>で死ぬのはゴメンだ。
がんとうまく付き合いながら、やり残したことを片付け、自分らしく人生を締めくくるのが理想としていた。
そして、ぼうこうがんにかかってしまう。
「正直、まさか自分が罹患するとは」。
幸い、早期発見だったので、内視鏡手術でがんを取り除き、数日の入院ですんだそうだ。
自身の体験から「日本人はもっと自分の体を大切にすべき」と述べている。
がんをコントロールし、うまく付き合うことは、生活の質の維持に欠かせない。
そのためには、がんに対して正しい知識を持つことが必要だ。
「がんで死ぬ確率は下げることは可能」と中川さんは強調する。

商品の説明

がんはコントロールできる病であり、上手につきあうことができれば、死を迎える直前まで仕事をすることもできる。

もしがんが見つかったとしたら、会社を辞めて治療に専念するという考えが一般的です。

 しかし、働き続けることが求められるようになったこの時代、治療と仕事を両立するという、新たな選択肢を取ることが可能となってきました。

放射線治療は、この両立を可能にするものです。本書では、放射線治療への先入観を取り除く、最新知識を掲載しています。

内容(「BOOK」データベースより)

がんは、コントロールできる病気です。国民病「がん」を飼いならす方法、そのすべて。



未来をはじめる

2019年01月27日 13時04分56秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 「人と一緒にいること」の政治学 

他者同士の共存共栄を考える
「選挙だけが政治ではない。自分たちの力で社会を変えていくことこそ政治だ」
言い換えれば<政治の力で未来は変えられる>というメッセージが全編に通底しているのだ。



つながっているのに孤独

2019年01月27日 12時48分36秒 | 社会・文化・政治・経済

人生を豊かにするはずのインターネットの正体

シェリー・タークル 著/渡会圭子 訳

内容紹介

インターネット上でのコミュニケーションがもたらす影響にも言及。
生命感を損なう時代心理に触れる。
ロボットは設定通りに動いただけで、<寂しさ>の本質など全く理解していない。
テクノロジーの進化は、人にとって大切な何かを侵食しているのではないか―浮き彫りになる諸問題を前に、著者は「この一瞬を完全に生きる生き方を取り戻すべき」と説く。

スマートフォン、ソーシャルメディア、VR、そしてロボット……。

あなたの心を満たすテクノロジーこそが、あなたから「人間らしさ」を奪っていく。TEDの再生回数350万回超のMIT人気教授が語る、テクノロジーが人間関係に及ぼす「今そこにある危機」とは? 全世界に影響を与えた大ベストセラー、ついに邦訳。




「こころ」はいかにして生まれるのか

2019年01月27日 12時27分20秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
 最新脳科学で解き明かす「情動」 

ヒトが特に発達させたのは「共感力」だ。
他者の幸不幸を疑似体験したり、ある報酬を自分が得られないと理解して嫉妬したり・・・。
情動への奥深い知見満載、脳と全身を包括する精神機能のメカニズム「こころ」を捉える一書。

商品の説明

内容紹介

人は悲しいから泣くのか? 泣くから悲しいのか?
世界的トップランナーが解き明かす「こころ」の正体!

私たちは、自分の行動は自分が考えて決めていると思っている。
己を動かすものは、己の「理性」のみであると信じている。
だが、残念ながらそれは錯覚にすぎない。
行動は理性よりもはるかに、「喜び」「怒り」「悲しみ」「恐怖」などの
「情動」に強く支配されているのだ。
情動とは、生き残る確率を高めるために脳にプログラミングされた、
下等動物からヒトにまで共通する必須の機能なのである。

ところがヒトは、情動よりもさらに複雑な行動決定のメカニズムを獲得した。
それが「こころ」である。
ヒトにはなぜ、このように不可思議で厄介なしくみが備わったのだろうか。
「こころ」はいかにして生まれ、私たちに何をしているのだろうか。
脳神経科学の第一人者が「こころ」の生成プロセスと作動原理を解き明かし、
私たちを支配しているものの「正体」に迫る!

第1章 脳の情報処理システム

第2章 「こころ」と情動

第3章 情動をあやつり、表現する脳

第4章 情動を見る・測る

第5章 海馬と扁桃体

第6章 おそるべき報酬系

第7章 「こころ」を動かす物質とホルモン

終 章 「こころ」とは何か

著者略歴
1964年東京生まれ。筑波大学大学院医学研究科修了。

医師、医学博士。日本学術振興会特別研究員、筑波大学基礎医学系講師、テキサス大学ハワード・ヒューズ医学研究所研究員、筑波大学大学院准教授、金沢大学医薬保健研究域教授を経て、現在、筑波大学医学医療系および国際統合睡眠医科学研究機構教授。

1998年、覚醒を制御する神経ペプチド「オレキシン」を発見。平成12年度つくば奨励賞、第14回安藤百福賞大賞、第65回中日文化賞、平成25年度文部科学大臣表彰科学技術賞、第2回塩野賞受賞。著書に『睡眠の科学・改訂新版』『食欲の科学』(いずれもブルーバックス)、『「眠り」をめぐるミステリー』(NHK出版新書)など。

内容(「BOOK」データベースより)

自らの行動はすべて理性が決めていると私たちは信じているが、それは錯覚にすぎない。

行動は、喜び、怒り、恐怖などの「情動」に、強く支配されているのだ。

情動は動物の生存には不可欠だが、人間はさらに、より高次の機能として「こころ」を獲得した。それはどこで生まれ、私たちに何をしているのか?神経科学の第一人者が永遠のテーマを解き明かす!


男尊女卑の風土は消えない

2019年01月27日 11時50分22秒 | 社会・文化・政治・経済

考えてみると、日本では大学を出るまでは男女の差は小さいのに、職場に入ってから社会的な格差が開いていくようだ。
男性の側が本気で女性を登用しようとしていないのではないか。
男尊女卑の風土は消えない。
人口の半分は女性なのだから、政治家の半分が女性になるのは自然なこと。
現在、女性議員ゼロの町村議員が約3割ある。
1人でも女性が入れば、生活に密着したテーマの議論はがらりと変わるだろう。
票が取れそうだからと、名前が売れている芸能人や有名学者を出していては、世界に追いつけない。
人間として軸をしっかり持って住民・国民に尽くす信念があり、どのような政策を実現させるのかしっかりしたビジョンを持っている女性を擁立してほしい。
結局は、各党がどんな人物を発掘できるかにかかっている。
前千葉県知人 堂本暁子さん


火事か?!

2019年01月27日 11時03分07秒 | 日記・断片

今日は、午前8時40分、肺炎がよくなった富田さんが迎いに来て、小堀(おおほり)の赤峰宅での支部の会合へ行く。
「肺炎だったそうですね」「どう、治った?」と心配していた皆が聞く。
同じ席に居た倉田さんも肺炎でようやく治っていた。
富田さんはリューマチで免疫を抑制薬を飲んでいるので、免疫力を高める薬を併用することとなる。
風邪から肺炎で39度の熱が出てしまったそうだ。
会合前に富田さんが問われて言う。
米田さんは司会を務め、久田さんが活動報告をした。
人材育成で家庭訪問した結果と今度の活動等である。
ポスターに人材育成の対象となる人たちの名前と担当者を記載してあり、近況などを詳細に説明する。
課題が明らかとなる。
会合後は何時ものお茶会となり懇談する。
「1個1万円のカステラ」と赤峰さんが冗談を言う。
「高級なカステラは蜂蜜が豊富で重い」と物知りの富田さんが言う。
往きに利根川大橋から富士山が見えていた。
帰りには、黒く雲が見える。
「火事のようだね。回っていくか」と煙の方向を目指す。
煙は2か所に見えたが、消防車のサイレンは聞こえない。
近く見えた煙は、遠かった。
本郷辺りと思われたが、5、6㌔先であった。
遠回りして帰る。
筑波山は黒煙で見えない。


由紀 安吾に若かれた小説

2019年01月27日 06時11分23秒 | 創作欄

徹は、坂口安吾の石碑の前にじっと佇む由紀を背後から見つめていた。
病的に痩せている由紀は、グリーのジーパンを履いていた。
徳利のセーターを着ていたが、ダークグリーンのコートの襟を立てていた。
やはり、由紀は女性であるより中性を徹に感じさせた。
緑色が好きな由紀は、緑色のショルダーバックを左肩に下げていた。
「これから、どうする」徹が声をかけると、由紀は視線が定まらないような表情をした。
心がどこかに行ってしまったようにも想われた。
「良く来たねって、安吾が私に話しかけたの」
「それは良かったね」
「新潟に来て良かった」由紀は笑顔になったが、目は笑っていない。
「お腹空いた」
「そうだね。何か食べに行こう」
徹は東京の御徒町の越後屋で食べたそばを思い出すした。
へぎという器に盛られた蕎麦のことをへぎそばと呼んでいる。
近年では、蕎麦のつなぎに布海苔という海藻を使用した蕎麦全般のことを指している。
へぎそばは一口サイズに丸めて盛り付けられるのが特徴だ。
2人は新潟一番の繁華街の古町へ向かう。
道すがら徹は、由紀が安吾に若かれた小説が『風と光と二十の私と』であることを知る。
徹が感動した小説でもあった。

--------------------------------------

この作品は20歳であったかつての自分の1年間を、41歳になった安吾が綴ったものである。
わずか1年という短い期間でありながらも、安吾が代用教員として働いていた頃を振り返った自伝的小説。

教師として満ち足りた日々を送っていた安吾の素顔が覗ける作品。

父が死んで借金を抱え、周囲の勧めから小学校の代用教員となった“私”が配属された分校には、本校で手に負えないような生徒たちが通っていました。

“私”が担当したのは教室で喧嘩ばかりする、軍歌を歌う兵隊が外を通れば授業中でも窓から飛び出して見学に行くような問題児でしたが、同時に「本当に可愛い子供は悪い子供の中にいる。」ことを知ります。

“私”は自分も勉強が大嫌いだったため、彼らに勉強を強いることはしませんでした。たとえ文字が書けなかったとしても、生徒の本質を見て接していたのです。
小学校の代用教員をした時分の思い出だけで織り上げられている。

教え子との間にとても美しい時間が流れているのだ。

その中につぎのような一節がある。

― 私は放課後、教員室にいつまでも居残っていることが好きであった。生徒がいなくなり、ほかの先生も帰ったあと、私一人だけジッと物思いに耽っている。音といえば柱時計の音だけである。あの喧騒な校庭に人影も物音もなくなるというのが妙に静寂をきわだててくれ、変に空虚で、自分というのがどこかへなくなったような放心を感じる。 ―

----------------------------------------

ちなみに、安吾とはいったい誰か。

坂口炳五はいかにして安吾になったのか。
〈求道者・安吾〉〈落伍者・安吾〉そして何よりも〈作家・安吾〉
冷酷に現実を見つめる〈鬼の目〉
そして〈いたわりの視線〉
安吾にとって自伝的作品を書くことは、自分の思想や生き方と自分の過去との全面的対決であった。
幼稚園の頃からのヒニクレ者の魂は終生変わらず、育つこともないと言い放つ坂口の落伍者ぶりは堂に入って潔い。
中学2年の時に、4科目(英語、博物など)で不合格となり留年したため、家庭教師をつけられたりしたが、逃げ回っていた。
勉強をしない炳五に漢文の教師が、「お前なんか炳五という名は勿体ない。自己に暗い奴だからアンゴと名のれ」と黒板に「暗吾」と書いたとされ、これが「安吾」の由来とされる。
短歌を書く時の名前を「安吾」と称するようになる。
「安吾」とは、心安らかに暮らすことを意味する「安居」のことである。

睡眠時間をわずか4時間にし(午後10時に寝て午前2時に起床)、仏教書や哲学書を読み漁る猛勉強の生活を1年半続けた結果、神経衰弱に陥る。
1927年(昭和2年)の芥川龍之介の自殺がさらに安吾の神経衰弱に拍車をかけ、創作意欲を起こしつつ書けない苦悩の中で、自殺欲や発狂の予感を感じ、錯乱症状が悪化して、兄も安吾の病状に気づくようになる。
しかし、古今の哲学書や、サンスクリット語、パーリ語、チベット語など語学学習に熱中することで妄想を克服した。