原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission、ABCC)とは、原子爆弾による傷害の実態を詳細に調査記録するために、広島市への原子爆弾投下の直後にアメリカ合衆国が設置した民間機関である。
朴南珠さん(87)は女学生だった1945年8月6日午前8時15分、爆心地の西約1・8㌔を走っていた路面電車の中で被爆。
結婚しておなかに宿った双子は、産声を上げずになくなった。
原爆傷害調査委員会(ABCC)の職員が遺体を引き取りに来た。
夫は「人を侮辱している」と激怒した。
葬式や墓を用立てず、やむなく亡きがらを差し出す遺族もいた。
がんを患い3回の手術を経験した。
ぶつけようのない怒りが込み上げると、聖書の教えを思い出した。
「誰かに対して、なにか恨みごとがあるならば赦してやりなさい」
来日したフランシスコ・ローマ教皇と11月24日、対面できた。
「何度も死にたいと思ったけど、本当に生きていてよかった」
半生が報われたと感じた。
原爆傷害調査委員会(ABCC)1954年頃
原爆傷害調査委員会(ABCC)1955年頃
原爆傷害調査委員会(げんばくしょうがいちょうさいいんかい、Atomic Bomb
総説
米国科学アカデミー(NAS)が1946年に原爆被爆者の調査研究機関として設立。
当初、運営資金はアメリカ原子力委員会(AEC)が提供したが、その後、アメリカ公衆衛生局、アメリカ国立癌研究所、アメリカ国立心肺血液研究所(en:National Heart, Lung, and Blood Institute)からも資金提供があった。1948年には、日本の厚生省国立予防衛生研究所が正式に調査プログラムに参加した。
施設は、広島市の比治山の山頂(元々比治山陸軍墓地があった地)に作られた。
カマボコ型の特徴的な建物であった。
ABCCは調査が目的の機関であるため、被爆者の治療には一切あたることはなかった。 ここでの調査研究結果が、放射線影響の尺度基本データとして利用されることとなった。
1975年、ABCCと厚生省国立予防衛生研究所(予研)原子爆弾影響研究所を再編し、日米共同出資運営方式の財団法人放射線影響研究所(RERF)に改組された。
沿革
- 8月 広島・長崎に原子爆弾投下
- 9月 アメリカ陸軍・アメリカ海軍の軍医団は、旧陸軍病院宇品分院に収容された被爆者から陸軍医務局、東京帝国大学医学部の協力で、都築正男(東大)、アシュレー・オーターソン(米陸軍)、シールズ・ウォーレン(米海軍)による日米合同調査団を編成、約1年間の被爆調査が行われた。ここでの収集資料の解析に日本の研究者の参加は認められず、全調査資料が米国に送られ、アメリカ陸軍病理学研究所(en:Armed Forces Institute of Pathology)に保管された。[5]
- 1946年11月 原爆放射線被爆者における放射線の医学的・生物学的晩発影響の長期的調査を米国科学アカデミー-全米研究評議会(NRC)が行うべきであるとするハリー・トルーマン米大統領令が出され、10日後に4人の専門家が広島入り
- 1947年3月 広島赤十字病院の一部を借り受けて原爆傷害調査委員会(ABCC)開設
- 1948年
- 1月 厚生省国立予防衛生研究所広島支所が正式にABCCの研究に参加、ABCCが広島市宇品町旧凱旋館に移転
- 3月 主要遺伝学調査開始
- 7月 長崎ABCCを長崎医科大学附属第一医院(新興善小学校)内に開設
- 10月 主要小児科研究プログラムを長崎で開始
- 3月 主要小児科研究プログラムを広島県呉市で開始
- 7月 比治山で地鎮祭を行い、研究施設の建設を開始
- 8月 ABCC被爆者人口調査開始
- 11月 長崎ABCC、長崎県教育会館へ移転
- 1月 白血病調査開始
- 8月 成人医学的調査を広島で開始、その後長崎でも開始
- 10月 国勢調査の附帯調査として全国原爆被爆生存者調査を実施、全国で約29万人を把握
- 11月 比治山研究施設工事が完了、移転開始
- 1951年1月 胎内被爆児調査開始
- 1952年1月 死亡および死因の試行調査開始
- 1953年12月 広島ABCC施設内に10床の病室設置
- 1955年
- 9月 剖検に協力した被爆者の第1回追悼法要(広島市寺町徳応寺)
- 11月 アメリカ原子力委員会(AEC、現アメリカ合衆国エネルギー省)と学士院(米国科学アカデミー)、学術会議(全米研究評議会)でつくる「ABCCに関する科学的再検討特別委員会(フランシス委員会)」が研究計画の大幅見直しを提案、固定集団を基盤とする「統合研究計画」を勧告
- 11月 第1回ABCC日本側評議会を開催(東京)
- 7月 成人健康調査開始
- 8月 国立予防衛生研究所(予研)と寿命調査に関する同意書が交わされ、日米共同研究体制の基盤が確立
- 1966年6月 第1回ABCCオープンハウス(長崎)
- 1975年
- 2月 米国科学アカデミー視察団来訪、のち3月26日付でABCCに関する科学的再検討特別委員会の報告を作成
- 4月 広島・長崎で放射線影響研究所開所式、広島で第1回理事会開催