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独ソ戦 絶滅戦争の惨禍

2019年12月28日 16時01分57秒 | 社会・文化・政治・経済
 
大木 毅 (著)
 

内容紹介

「これは絶滅戦争なのだ」。ヒトラーがそう断言したとき、ドイツとソ連との血で血を洗う皆殺しの闘争が始まった。日本人の想像を絶する独ソ戦の惨禍。軍事作戦の進行を追うだけでは、この戦いが顕現させた生き地獄を見過ごすことになるだろう。歴史修正主義の歪曲を正し、現代の野蛮とも呼ぶべき戦争の本質をえぐり出す。

【著者からのメッセージ】
第二次世界大戦の帰趨を決したのは独ソ戦であるが、その規模の巨大さと筆紙につくしがたい惨禍ゆえに、日本人にはなかなか実感しにくい。たとえば一九四二年のドイツ軍夏季攻勢は、日本地図にあてはめれば、日本海の沖合から関東平野に至る空間に相当する広大な地域で実行された。また、独ソ戦全体での死者は、民間人も含めて数千万におよぶ。しかも、この数字には、戦死者のみならず、飢餓や虐待、ジェノサイドによって死に至った者のそれも含まれているのだ。そうした惨戦は、必ずしも狂気や不合理によって生じたものではない。人種差別、社会統合のためのフィクションであったはずのイデオロギーの暴走、占領地からの収奪に訴えてでも、より良い生活を維持したいという民衆の欲求……。さまざまな要因が複合し、史上空前の惨憺たる戦争を引き起こした。本書は、軍事的な展開の叙述に主眼を置きつつ、イデオロギー、経済、社会、ホロコーストとの関連からの説明にも多くのページを割いた。これが、独ソ戦という負の歴史を繰り返さぬための教訓を得る一助となれば、著者にとってはまたとない歓びである。

内容(「BOOK」データベースより)

「これは絶滅戦争なのだ」。ヒトラーがそう断言したとき、ドイツとソ連との血で血を洗う皆殺しの闘争が始まった。想像を絶する独ソ戦の惨禍。軍事作戦の進行を追うだけでは、この戦いが顕現させた生き地獄を見過ごすことになるだろう。歴史修正主義の歪曲を正し、現代の野蛮とも呼ぶべき戦争の本質をえぐり出す。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

大木/毅
1961年生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学(専門はドイツ現代史、国際政治史)。千葉大学ほかの非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、陸上自衛隊幹部学校講師などを経て、現在、著述業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

この世において
「地獄」でない戦争は
存在しないのかもしれませんが
「独ソ戦」(1941-1945)は
軍事的な合理性をすら失い
「世界観戦争」(絶滅戦争)にまで
変質して行ったという点において
最高度に「地獄」的な戦争でした。
それが読了していちばんの感想であり
本書の核心と申し上げてよいかと思います。
著者は新史料(あとで述べます)に基づき
軍事的な「経緯」のみならず
独ソ戦の「性格」を正確に論じています。
一般向けの新書として白眉と思います。

上記の著者の結論は
「終章」において詳述されます。
戦争をその性格上
①通常戦争
②収奪戦争
③世界観戦争(絶滅戦争)
の3つに分類し
独ソ戦の時間的な各段階において
①、②、③がどのような
相互関係にあったのかを
「模式図」で示したものが
掲載されています(p.221)。
数学の集合論や論理学で多用される
「ヴェン図」(ベン図)を
イメージしていただけると幸いです。
要するに3つのマル(円)の相互関係です。
ちなみにジョン・ヴェン(1834-1923)は
英国の数学者・哲学者で
いわゆる「ヴェン図」を導入しました。

独ソ戦は
①通常戦争、②収奪戦争、③世界観戦争
(絶滅戦争)の3つが並行して始まり
最終的には①と②が③に完全に包含されて
しまったことが模式図から読み取れます。
そして「通常戦争」が「絶対戦争」に
変質して行っていたことが示されています。

個人的には父祖から耳で聴いた
戦争の地獄と言えばたとえば
・ノモンハン事変(1939)
・ガダルカナル島撤退(1943)
・インパール作戦(1944)
・レイテ戦(1944ー45)
・硫黄島の戦い(1945)
‥などを連想します。このように
旧日本軍の「地獄」は
例えば、敵の圧倒的火力の前に
無力感から精神的失調をきたしたり
あるいは、兵站(補給)の不足・欠損による
飢餓や餓死のイメージが強いのが
特徴と言えるかもしれません。

これらに対して独ソ戦は
ヒトラー(1989-1945)に代表される
「劣等人種」(ウンターメンシュ)を絶滅し
「東方」にドイツ民族(アーリア人)の
「生存圏」(レーベンスラウム)を獲得する
‥というナチス・ドイツ側の世界観と
スターリン(1878-1953)に代表される
「不可侵条約」を一方的に破棄した
「ファシスト」の侵略を
ソ連邦の諸国民が撃退して
「共産主義」イデオロギーの優越を示した
‥というソ連側の世界観の激突でした。
この「世界観の激突」を通奏低音として
本書は書かれていると思います。

独ソ戦の「性格」の話が長くなりましたが
軍事的な経緯やディーテイルについても
本書は「実証的に」詳述されています。
「実証的に」と強調しましたのは
これまで独ソ戦について記述された
一般向けの本の中には
誤った史料に基づいて書かれたものが
少なくなかったからです。
さらに
1989年に東欧諸国が解体し
1991年にソ連が崩壊してから
多くの新史料が見つかりましたが
それらが記述に反映されることなく
標語的に申し上げれば
「1970年代の水準で止まっている」
記述が(特に日本における)
一般向けの本では多かったことは
否定できないようです。

本書によりますと例えば
独ソ戦に直接の関係はありませんが
ヘルマン・ラウシュニングの
『永遠のヒトラー』(天声出版 1968)は
ヒトラー語録・ヒトラーとの対話
というふれこみでしたが現在では
偽書(つまり捏造)であることが
判明しています。

あるいはまた
フランス人を連想させるペンネーム
「パウル・カレル」
で多くの戦記物を書いたドイツ人
パウル・カール・シュミット
(1911-1997)につきましては
2005年
ドイツの歴史家ヴィクベルト・ベンツが
パウル・カレルの伝記を上梓し
体系的な批判を行いました。
カレルの基本的な主張は
「第二次世界大戦の惨禍に対して
ドイツが負うべき責任はなく
国防軍は劣勢にもかかわらず
勇敢かつ巧妙に戦った」(はじめに ⅷ)
でした。つまり現在の視点からみると
明らかにまちがっていたので
「歴史修正主義」(同)
です。その結果
2019年現在、母国ドイツにおいて
パウル・カレルの著作は
「すべて絶版とされている」(はじめに ⅹ)
と著者は指摘しています。
カレルの捏造(実際には存在しなかった
事象を記述すること)について
具体的な記述が「はじめに ⅸ」にあります。

新約聖書「使徒行伝」第9章18節
の表現を借りるならば
「目からうろこのようなものが落ち」る
思いを読了後にしましたのは
上記のラウシュニングやカレルに対する
現在の世界標準の評価だけではありません。
いくつか順不同で挙げてみましょう。

・ドイツ国防軍は
ナチスによる犯罪・戦争犯罪
(SSによるジェノサイドなど)
に関連して決して
無謬(むびゅう)ではなかった。

・そもそも独ソ戦は
ヒトラーの「世界観」によって
のみ起こされたのではなく
ドイツ国防軍も軍事的な観点から
「対ソ戦やむなし」と考えていた。

・ドイツ陸軍総司令部(OKH)が
立案した対ソ作戦は
1)敵を過小評価し
2)我が方の兵站能力を無視した
ずさんな計画だった。

・ドイツを含む中央ヨーロッパの
鉄道が標準軌であるのに対し
ロシアの鉄道は広軌であるから
ドイツ軍にとっては線路の
レールの幅を変える工事をしないと
鉄道による輸送はままならなかった。
(ナポレオンの侵攻を教訓に
二度と侵略されないように
ロシアはわざと鉄道の軌道の幅を
ヨーロッパと違うものにした
とする説を聞いたことがあります)

・「電撃戦」(ブリッツクリーク)
というコトバはそもそも
宣伝・啓蒙当局あるいは
ジャーナリズムが使い始めたもので
軍事用語ではなかった。

・「ドクトリン」という
軍事用語があり重要な概念である。

・史上最大の戦車戦と言えば
「クルスク会戦」(1943)
(の中の「プロホロフカ」の戦い)
という定説があったが
ソ連崩壊・冷戦終結後の新史料による
研究が進んだ結果
独ソ戦の初期において既に
大規模な戦車戦が展開されていた
ことが明らかにされた。
参加した戦車数が
クルスク(プロホロフカ)を上回る
戦車戦があったことが判明している。
ひとつの例は「センノの戦い」である。

‥上記のように私にとりまして
「目からうろこのようなもの」を
挙げて行くときりがないくらいです。

振り返ってみれば
・1989年11月 ベルリンの壁崩壊
それと並行あるいは続発する
東欧諸国の解体
・1989年12月 マルタ会談
(冷戦終結を明記)
・1990年10月 ドイツ統一
・1991年12月 ソ連邦崩壊
という歴史的事象を私は
リアルタイムで見聞きしていましたが
その結果
多くの新史料が公開され
独ソ戦を含む第二次世界大戦に関する
研究が飛躍的かつ画期的に進んだ
という事実を今、実感しています。

ヒトラーの伝記(あるいは第三帝国史)
ひとつとっても
ソ連崩壊以前に
アラン・バロック(1914-2004)
ウィリアム・シャイラ―(1904-1993)
ヴェルナー・マーザー(1922-2007)
ヨアフェム・フェスト(1926-2006)
ジョン・トーランド(1912-2004)
‥などの著者たちによる
特色ある書物が出版されていました。
それらに加え
ソ連崩壊後の新史料を踏まえた
イアン・カーショー氏(1943-)の大著
『ヒトラー(上):1889-1936 傲慢』
(白水社 2016)(原著 1998)
『ヒトラー(下):1936 -1945 天罰』
(白水社 2016)(原著 2000)
が出版されいわばヒトラー伝の
「決定版」となった観があります。
上下二段組で本文に限定しても
(上)が 611ページ
(下)が 870ページあります
(重さはどちらも軽く1キロを超えます)。
とりあえず一度目を通しましたが
なにしろ大著ゆえに細部まで
読みこなすのは時間が必要です。
独ソ戦についても的確な記述が
多々あります(特に下巻)。

カーショーの大著に比べると
逆に一冊の「新書」という
限定された舞台で独ソ戦を記述する
という行為は別種の困難さが伴なう
であろうことは容易に分かります。
材料を取捨選択し
文章の論理的構造を組み立て
かつ読者が(研究者ではなく)
(私を含む)一般人を対象とするという
配慮をする必要があります。
従って本書は
一冊の新書で独ソ戦をコンパクトに
しかも本質的に記述した労作
ということができると思います。

付録の「文献解題」は
次に読むべき本の指針となりますし
「略称、および軍事用語について」
「独ソ戦関連年表」は
よくまとまっていて使いやすいです。


当方も例に洩れずパウル・カレルをはじめとするフジ出版社などの「軍記物」や小林源文あたりからドイツ軍・武装SSについて読んでいた方だ。
 この本は国防軍神話に批判的な割には意外と具体的な記述のない本だ。この著者が訳した伝記と同様、エーリヒ・フォン・マンシュタインには大甘なので、彼が第11軍司令官時代にユダヤ人虐殺の命令を出した事に触れたくないらしく、同じ南方軍集団に所属していた第6軍司令官時代にヴァルター・フォン・ライヒェナウ元帥が出したライヒェナウ指令すら出て来ない。ビーヴァーの「スターリングラード」は「ドイツ軍最高の戦略家」に手厳しいが、そんな発想がないのだろうか?
 また「スターリングラード」にあるように「投降した将兵を以て『ドイツ解放軍』を結成するとの案」を出したのはヴァルター・フォン・ザイトリッツ-クルツバッハ砲兵大将なのに、パウルス元帥だと混同している。この本の著者は文献解題で犬猿の仲らしい相手の「誤訳」を批判したり、Twitterで白水社版の「ミレナへの手紙」の邦訳者がミレナ・イェセンスカーはアウシュヴィッツで「死んだ」と書いた本を酷評したりしているが、そんな事より自分の間違いに気がつくべきだ。何しろ「トレイシー」を読まないで「兵士というもの」の監修をしたり、「歴史修正主義者」というより「ナチの残党」という方が世代的にはふさわしいパウル・カレルの「砂漠のキツネ」には書かれているのにロンメル伝で他の戦死したり負傷したりした将軍達の中で後年のロードス突撃師団長ウルリヒ・クレーマンも負傷した箇所で彼だけ「削除」しているのだから。ロードス突撃師団を取り上げた「ラスト・オブ・カンプフグルッペⅢ」の著者と違って、「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」を読んでいるから、といって、こんな使い方をしていては話にならない。追記・Twitterで指摘に答える形でパウルス伝に基づいていると呟いていたが、出典を含めて本に書いてほしいものだ。
 「第二次大戦の〈分岐点〉」でナルヴァの戦いを取り上げているのに「旧バルト三国」という表現を使っている。ソ連時代ですらバルト三国はソ連を「構成」する「民族共和国」なのだが、それなら「旧ウクライナ」という表現をすべきではないか?新書本だから収まりきれないだろうが、バルト三国のようなドイツとソ連との間に置かれた国家やドイツの同盟国だったハンガリー、ルーマニア、フィンランドといった国々が「絶滅戦争」では、どういう役割を果たしたのか、も触れるべきだった。また「絶滅戦争」における自由ドイツ国民委員会とドイツ将校同盟及びロシア解放軍をはじめとするドイツ側の民族部隊の位置づけも取り上げるべきだった。追記その2・「第二次大戦の〈分岐点〉」にはモスクワ戦直後の「レニングラード」解囲戦の記述で、この本での表記に従うと「第2打撃軍」がドイツ軍に包囲されてから「1942年の晩秋」に飛んでいる。つまり「第2打撃軍」がスターリンに見捨てられて壊滅して、司令官のヴラーソフ将軍がドイツ軍に投降するまでの記述がない。赤軍の「作戦術」を高く評価する為には「独ソ戦」を書くのに必要なヴラーソフの存在を抹殺したのか、それとも「ドイツ軍事史」で「予防戦争論」についてを書いた箇所で「捕虜、しかものちにウラソフ軍に走った捕虜の証言に重きを置くホフマンの主張を、『コラボ史料』が疑わしいことはいかなる歴史家にも明らかであると一蹴する」と書いたように「ウラソフ軍」の名目上の「親玉」に相当な偏見があるのか知らないが、せっかくヴォルコゴーノフ将軍が「勝利と悲劇」で一章を割いてヴラーソフを書いているという意味が理解出来ないようだ。しかし「コラボ史料」云々と評した人は「独ソ戦」の著者が忌み嫌う人が訳した「総統からの贈り物」の共著者の一人と思うが、グデーリアンの回想録を読んでいないのか、読み飛ばしたのか、あるいは邦訳とは違うテキストを使っているのか知らないけれどグデーリアンがダイペンホーフ荘園の略奪については、ある程度書いているのを知らないらしい。勿論、「誤訳」というなら話なら別ですが。「コラボ史料」という表現は例えばマルガレーテ・ブーバーーノイマンの著書や「独ソ戦」の著者がもっとも忌み嫌うパウル・カレルが「バルバロッサ作戦」でトゥハチェフスキーを書く際にシュピーゲルグラスという名前が出てくるので多分クリヴィツキーの本だと思うが、一頃だったら「反共宣伝」だの「逃亡者の捏造」だのといった「印象操作」をして「歴史のゴミ箱」に葬り去ろうとした時に使うアジプロの文句を連想する。ドイツ民主共和国国家評議会議長にしてSED書記長だったエーリヒ・ホーネッカーの「私の歩んだ道」のような本ですら「赤軍」の著者のエーリヒ・ヴォレンベルクについては「モスクワでは、レーニンの革命的教訓とレーニンの国の生活を深く理解できるよう、私を助けてくれたのであり、階級闘争の中で一〇年以上も功績をあげたのであった」とか「ボレンベルクはブションヌイと個人的な知り合いだったので、私を彼に紹介してくれたボレンベルクは、前に述べたとおり、後年、敵側に走ったが、ブションヌイとのこの一件に関して、私は今でもボレンベルクに感謝している」とかと書いているんですけれど。


独ソ戦で「ドイツ軍は占領地で徹底した破壊と殺戮を繰り広げた」
の一文の裏側で実際に何が行われていたかを知りたいと思うと、「スターリングラード攻防戦」や「クルスク戦車戦」等の個々の戦役や、アウシュビッツ等の絶滅戦争の側面を詳細に記した高価な(研究)書籍は存在する一方で、「第二次世界大戦史」のタイプの書籍では数ページしか記述がなく、価格を含めて手軽なテキストが存在せず不満でした。その中間を埋める事に成功している書籍です。
見やすい地図・図表、巻末の参考文献、略語説明、年表付きと丁寧な作り、戦争本にありがちな過度に感傷的にならない簡潔な文章・文体とテキストとして優れています。

戦局の進行(バルバロッサ作戦→スターリングラード攻防戦→ドイツ軍の退却と敗北)と呼応する形で著者が説明する所の「通常戦争」「収奪戦争」「絶滅戦争」と戦争の性質が変わっていったという記述が特に分かりやすく印象に残りました。優れたテキストですが無味乾燥な通史書ではありません。

人類史上例を見ない特異な戦争である「独ソ戦」‐その事は本書を読み進むうちに理解が進むでしょう‐に関心のある人すべてにお勧めしたいです。

個人的には「アンネの日記」や「夜と霧」、映画「スターリングラード」、アインシュタインが亡命のアメリカで原爆の実現可能性についてルーズベルト大統領に書簡を送ったという”事実”等々、本書を読んで「なるほど」と、理解が立体的に深まりました。

p.s.
いわゆる「軍事クラスタ」の読者にも刺さる内容だと思います。



 

人生を変えた恋愛カウンセラー

2019年12月28日 14時29分31秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

羽林 由鶴さん
太め女性恋愛応援カウンセラー。103kgのバツイチ子持ちでありながら、東京大学大学院卒の13歳年下男性と出会い、やがて結婚。

自身の経験を生かした恋愛術は、すべての悩める女性たちを包み込み、幸せに導くと話題に。テレビ、雑誌、新聞等の各メディアも注目

ストレスが重なった上、肺塞栓症で倒れ、危篤状態に。

生死の境をさまよい、2か月半の入院生活で目にしたのは、病気や死にかけた経験すら笑い話にしている周囲の患者さんたち。
「太っていることなんて、大したことじゃないかも・・・」そう感じるようになった。
見舞いに来た父親の「(死んでいたかもしれないから)後の人生はおまけ。お前の好きに生きろ」という言葉も、心にストンと落ちた。
退院後、DVを12年間を続けていた夫と離婚が成立。
「私の人生を変えてきっかけは、入院、離婚、父の言葉。無理だと思っていた離婚ができた。やればできるじゃん!って(笑い)。
後の人生おかけと思うと気楽になれたけど、好きに生きろの<好き>がない。
長い間、元夫が暴れないよう言うことを聞いて生きてきたから、自分の<好き>を考えてない。
だから逆に、好きじゃない生き方を考えたら、人の顔をうかがうことだった。
それから、ハッキリとモノを言えるようになりました。
自己否定や、全てをコンプレックスに結び付ける考え方のクセを変えようと意識すると、物事の本質を客観的に見つめられるようになった。
誰かと比べるとき、その人の丸ごとではなく、最も優れている部分だけを見ていることに気がついた。
「人と比べなければ、人生まあまあ悪くないなぁって」
考え方のクセは急に変えられないけど<やっぱりダメだ>が出たとき、気付くことが大事。
あ、また思っちゃった。
でも今回はすぐ気付いた、ラッキー!と繰り返すうちに、「そんなことどうでもいっか」と思えてきました。
再婚した夫の勧めで、恋愛カウンセラーの道に。
「若い世代を応援したいです。今、周りの評価を気にして、自分の感情にすら自信がない子が多い」
案外近くに「大丈夫だよ」と信じてくれる大人がいるってことも、忘れないでね」


ありのままでいいんだよ!

2019年12月28日 14時18分17秒 | 社会・文化・政治・経済
 

―あなたが素敵な男性をひきつけて、恋愛上手になっちゃう方法 

 

内容紹介

「エチカの鏡」などで大反響! 体重103kgで13歳年下の東京大学卒のパートナーからプロポーズされた著者が、誰でも永遠の最愛パートナーを見つけて幸せになっちゃう方法をコミックで教えます。どんなコンプレックスがあっても、ありのままのあなたで大丈夫! 悩む時間は大切だけど、悩みすぎる時間はもったいないですよ! ひとつひとつの悩みを懇切丁寧に答えていきます。
(目次より)
第一章 昔からずっと太っていて・・・。誰ともつきあったことがありません
第二章 恋愛経験がなくて、何をしていいかもわからないです
第三章 私たち、最近失恋しちゃいました
第四章 こんなにがんばったのに、うまくいきません
第五章 家族みたいな存在? 彼は何を考えているのでしょう?
「あなたの望む彼」との出会いを増やす方法
永遠のパートナーと早くうまく出会う方法
出会いを楽しんでいるだけなのに、仲よくなれる方法
結婚が現実になった場合の、彼のご両親とのあいさつは?

内容(「BOOK」データベースより)

13歳年下の東京大学卒のパートナーを見つけた体重103kgの著者が、コンプレックスに悩む女性の恋愛相談にこたえます。恋愛下手、恋愛経験ナシ、年齢との葛藤…。ひとつひとつ丁寧に解決法を伝えます。

著者について

太め女性恋愛応援カウンセラー。肥満という体型コンプレックスに悩んだ時代を経て、自ら考案した恋愛テクニックで次々とプロポーズされる。東大大学院卒の13歳年下の彼とゴールインした最先端恋愛術がマスコミから注目され、テレビ、雑誌でも活躍。
ホームページ「28歳太め女性限定、180日で彼氏GETの法則」
無料メールマガジン「痩せずに幸せモテ女」

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

羽林/由鶴
太め女性恋愛応援カウンセラー。103kgのバツイチ子持ちでありながら、東京大学大学院卒の13歳年下男性と出会い、やがて結婚。自身の経験を生かした恋愛術は、すべての悩める女性たちを包み込み、幸せに導くと話題に。テレビ、雑誌、新聞等の各メディアも注目(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 


幼少からのコンプレックスやご経験が読むほうや、若い女性をとても癒し勇気づけてくれます。
体型も雰囲気も中身も癒し系の著者です。相当頭の良い女性なので、
ご苦労された節もあるかと思いますが、適職につかれ数々の女性をお導きに
なられ、とても素敵だと思いました。イラストも最適で読み手も癒されます。
関西テレビのえみちゃんねるでお見掛けして、とても良い感じの人でした。
またテレビで拝見したい感性の方です。


表紙のイラストどおりの雰囲気のゆるい漫画です。さらーーっと読めます。

残念ですが、この本の内容では
「そんなの詭弁だよ、なんだかんだ言って美人でスリムな人のほうがいいよ」
「そんなのウソだよ、こんな見た目の女に好意を持たれたら迷惑に決まってるよ」
そういう私の「認知」あるいは「思い込み」を覆してはくれませんでした。

しかし!
恋愛に関してはムリでしたが、例えば仕事の場や同性間での関係などで
ふとした瞬間「あれ?ここで積極性を発揮できるかどうかって、容姿の良し悪し関係なくね?」
と思える場面が増えました!
これまではこんな私が◎◎しても……という思いが強すぎて、卑屈になるべきでない部分までそうなっていたと思います。
この本に書かれた内容を素直に受け入れられるなら、お値段分の価値はあるはず。


ユズさんはテレビで拝見して興味を持ち、この本を読ませていただきました。
一見健康ダイエット本とみまごう平和なデザインの本ですが、それもいいと思います。
真実がキッチリあります。
何よりも誠意を感じるよね!
いろんなタイプの女の子がでてきます。共感できる痛みがさ、ひしひしと伝わってくる。

この本に出てくる女の子、1分1秒生きてるのが怖い!(年とっていくのが)って
いうのが共感できました。それがごく普通の女の子なんですよね。
なんだか、みんな恋愛の恐怖みたいのにしばられてるんですよね。
私もそうかもしれないです、でも本当に大事なのは「自分らしさ」ということ。
世の中婚活で浮かれていますが、危険です。その先を想定してないと思うから。
その答えがこの本にはあると思います。

この本のどの部分に答えがあるのか、みなさん違うと思いますが、
読後、人生をもっと広い目で、勇気を持ってみれる本だと思います。


「エチカの鏡」だったか、テレビで拝見して衝撃というか笑撃(!?)を受けて以来、メルマガを愛読しています。
この無料メルマガも とってもおすすめです。

読みやすく、共感できる&うなづける事ばかりで、恋愛に限らず、自分に自信のないことや、人間関係全般で悩んでいる人みんなに読んでほしいし、もっと若いときに知りたかったことばかりが書いてありました。
勿論もう結婚してしまったから、○歳になってしまったから遅いということはありません。

内容自体は☆5つつけても良いくらいなのですが、本そのものと 内容共に 値段のわりにちょっと残念な薄さというか、 情報量自体が少ないかなということと、
も〜〜う少し絵が上手なかたに描いていただいたほうが。。。と思いました。勿論色々事情があるのはわかりますが、商業出版物ですので。。。
マンガのセリフというか 文字が写植でなく手書き(こちらも 読みやすい上手な字とは言い難い)なのは、 友達にもらった手紙みたいで心に沁みてきて むしろ良いと思いました。


本当に悩んで自信を失い、悲観的になっている時期に読み
救われました。
優しい絵で、すぐ手に取る事の出来る場所に置いて
何度も読みました。
そこから1歩進む元気をもらいました。


恋をしてもむくわれないことばかりで、恋愛にネガティブになってしまう私。
でも、この本を読んで、もう無理するのはやめようって思いました。
自分を卑下するより、もっといろんな人と知り合って、自分の視野を広げたいって。
そして本当に好きな人と出会えたら良いなって思いました。
今までもてない人生で、それはこれからも劇的に変ることはないと思うけど、コンプレックスにとらわれて生きるより、今この自分を楽しもう!!恋したいって思いました。


頑張ったり、努力すれば報われるのだと、学校や世間で言われていますが、それは間違った思い込みだということを教えてくれます(少なくとも恋愛に関しては)。

ゆずさんの無料のメルマガもおすすめです。迷っているとき、苦しんでいるとき、罪悪感を和らげてくれます。いろいろな心理の本を読んできたけど、ゆずさんのメルマガが一番合っている気がします。

少しでも多くの女性が救われて、元気になるといいなあ、と思います。



 
 
 

 

 
 

逆転人生「さようならコンプレックス 体重103キロの幸せ大逆転」

2019年12月28日 14時04分12秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

2019年10月28日 NHK

初めまして、103kgの恋愛カウンセラー羽林由鶴です。

番組をご覧いただきましてありがとうございます。

このたび取材を受けるにあたっての私の思いをお伝えします。

私の人生のほとんどは、コンプレックスに縛られ、苦しくて辛い時間が多かったんです。

もし、過去の私のように今 苦しく辛い思いの方がいらっしゃるなら伝えたいことがたくさんあります。

一番は、人生って意外と面白くできてるということ。
人生がまあまあ悪くないと思えるだけで、こんなに未来に期待できるようになるんだということです。

苦しく辛い時間が長引くと、未来もずっとこのままうまくいかないと感じてしまいがちです。

でも、そうでもないかなぁ?って思うヒントとして、みっともなく苦しかった時代の私を包み隠さずお伝えする覚悟をしました。

必要な誰かに届いたとしたら、、、大丈夫だよって言いたいです。
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彼女がもう20年近く摂食障害で苦しんでる。自分も彼女から番組の中で言っていた同じようなセリフを何度も聞いた。苦しんでいる彼女にあなただけじゃないよって伝えたくなった。いいお医者さんに巡り合えたことがうらやましい。変われたことも、気づいた事も。

投稿者:Jack/男性/50代
 

変えられるコンプレックスと変えられないコンプレックスがある。まあまあと思えで済む事だけではないと考えてしまう点がありました。内面と外見両方をもっと上を目指したい人程変えられないコンプレックスに引っかかってしまうかもしれませんね。

投稿者:求める限度は人それぞれ/男性/30代
 
何気ない、冷静かつ優しいコメントは、当事者にとって‘解って貰えた、理解してくれた'それだけで救われた感が感じられました。
投稿者:キツネくん/男性/60代
 

精神科医の女性の先生もすごいと思った。

投稿者:さつちやん/女性/70歳以上
 

羽林由鶴さんは「辛い悩みの中にもプラスを見つける」のが大得意。コンプレックスに悩む人たちの相談にのり、笑顔を取り戻す手伝いをしてきた。しかしかつては、自身がコンプレックスでどん底に。太った自分はダメ人間だと責め続け、恋も、将来の夢さえもあきらめていた。その後、ある出来事を転機に人生が大逆転。素敵な結婚をして、幸せになれたカギとは?番組では「勇気をもらえる言葉」が次々と。「人生まあまあ悪くない」

出演者ほか

司会】山里亮太,杉浦友紀,【ゲスト】羽林由鶴,【出演】岩尾望,光浦靖子,星野概念,【語り】川庄美雪

 



人格とは

2019年12月28日 13時59分47秒 | 社会・文化・政治・経済

人格(じんかく)は、個人の心理面での特性。

人柄。または人間の人としての主体。
明治時代に井上哲次郎が英語のPersonality/Person、ドイツ語のPersönlichkeit/Personに相当する漢語として造語したものである。
発達心理学、教育学においては、人間の成長の過程において形成されていくものとみなされることが多い。
人格の形成
事故や病気等による外的要因を除いて、幼少期における経験や体験が、人間としての人格形成に大きく影響を与えていると思われる。
幼児期に親の愛情を受けずに(ネグレクト等)育った子供は、表情(笑顔等)が少なくなったりする傾向がある。
また、こういう環境で育った子供は、脳の発達具合にまで違いがみられる。
また、幼少期に継続的な虐待(児童虐待)を受けた子供の中には、虐待を受けている自分を別の人物として無意識的に切り離し苦痛から逃れようとする機制のために、自分自身の中に別の人格(正確には人格状態)を形成する場合もみうけられる。
この状態が進行することによって起こる疾患が解離性同一性障害、いわゆる多重人格である。
ただし、心的外傷による分裂病発症理論には否定的な意見もある(分裂病を作る母を参照。
こうした、人間には本性というものは存在せず、子供は本来無垢であり、言語能力・性格・知能・性的指向といった人の頭の中にあることの全ては、外部からの経験によって形成されるという考え方をタブラ・ラーサのドグマと呼び、20世紀を通じて人格形成プロセスの常識として考えられてきた。
しかし、1995年にジュディス・リッチ・ハリスが発表した実証的な論文が発達心理学に一石を投じることとなる。
その後の行動・遺伝学の研究によって、人格の形成の半分は遺伝子の直接・間接的影響で生じ、残りの半分は親の子育てや家庭環境とは関係の無い、何か別のものであるということが分かってきた。
残り半分の「何か」についてハリスは、人間は10代半ばに現在置かれている相対的な社会的地位によって、自分の人格の一部を定める傾向があると述べている。


功徳とは

2019年12月28日 13時52分55秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

<すばらしい性質>のこと。

すなわち<人徳>

功徳を得るとは<人格を得る>こと。

「釈尊は人の振る舞い」を説いた。
人の生き方、信仰への確信と慈愛は、人の生き方、姿勢で伝わる。
<人格>こそ雄弁にその人自身を顕わしている。

功徳(くどく、梵: guṇa、梵: puṇya、梵: anuśaṃsa)とは、仏教用語、または神社仏閣における用語、あるいはキリスト教神学の用語である。
仏教用語としては、善根を積むことによって報いられる功能福徳や、現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行のこと。
神社仏閣においては、 神仏の恵み、御利益(ごりやく)、利益(りやく)を意味する。
キリスト教神学では、ある善業を行うことによって得られる報償を受ける権利やその報償、それを得る道徳的善業のことである。
造寺、造仏、写経、祈禱などの善行為には、現在または未来において幸福や利益をもたらす能力があるとされる。
これらの善い報いを受けるべき因としての善行を善根(ぜんごん)功徳または功徳善根などという。
善根を積むことや修行の結果、報いとして得られる果報や恵みも功徳という。
「十福業事」も参照
善の行為には宗教的なものと世俗的なものがあり、曇鸞は、前者は悟りの果をもたらすので真実功徳とし、後者はそれをもたらさないので不実功徳とする。


釈尊の生涯

2019年12月28日 13時15分26秒 | 社会・文化・政治・経済

村 元  (著)

内容(「MARC」データベースより)

インドの風土の中で、釈尊が如何に生き、如何に悩み、如何に悟りを開いたか。そのすべてがここにある。独創的な釈尊伝。63年刊「世界教養全集 10」に収録されたものを単行本化。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

中村/元
1936年、島根県生まれ。東京大学文学部印度哲学梵文学科卒業。元東京大学名誉教授。仏教思想・インド哲学の第一人者。99年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

原始仏教聖典に準拠し、考古学的資料や実地踏査に基づく風土的考察検討を加え、何とかして事実に近いゴータマ・ブッダ像を描き出そうとした、最も信頼できる著者の手によって書かれた本です。
人間の一生を、句読点を含め15字以内で表すと「生まれたら、死ぬまでは生きる」という事実でしょう。

自分がどういうわけか生まれ、老い、病に倒れ、やがて死ぬという事実=「生老病死」それは「苦」であると正しく見てとったお釈迦様は、家族を捨て、29歳で出家しました。
で、何を悟ったのか?『原始仏教―その思想と生活』(中村元)に書かれているように、「多数の経典に種々説かれていて一様でない。

結局この書においてこれから紹介することばが、かれの悟りの内容をしめしている・・・」と。あわせて『ブッダの人と思想』(中村元他)を同時進行で読まれると、もともとのお釈迦様の考えを理解する手助けになってくれるはずです。
さて、悟りを開かれたブッダはまず、その教えをかつての修行仲間5人に説きました。すると一同、精神的にはブッダと「同じ境地」に到達した。

中村氏は「そこにはいかなる区別もない」と語り、「釈尊は極度に偉大な超人的な存在であり、仏弟子はとうていそこには到達できないと説くのは、後代の人々の空想や神学者のもったいぶった思弁」とハッキリ指摘しております。つまり、ブッダの到達した境地は、それほどはるか彼方にあるものではなさそうです。
さらに最期、ブッダは「スパッダよ、私は29歳で善を求め出家した。私は出家してから50年余となった。

正理と法の領域のみをあゆんできた。これ以外に<道の人>なるものは存在しない」と。中村氏は「ゴータマはその臨終においてさえも、<仏教というものを説かなかった>。彼の説いたのは真実の道である。ところが後世の経典作者は<仏教という特殊な教えをつくってしまったのである>」。納得!


「釈尊の生涯 中村元」を読む。
○ 日本に於ける仏教は、多くの宗派があり、それぞれ異なる教えを語る。また日本仏教は中国を経由してきた。日本の僧侶は漢語の経をよむ。その経は外国語である漢文で書かれ、庶民には理解し難い。

釈尊は庶民に理解できる言葉で教えを説いたのである。私達は釈尊が如何なる人物であったか知りたい。
○ 著者によると仏教と言う特殊な教えは後世の経典作家により作り出された。
○この書は神話や後世の付加仮託を廃して「歴史的人物としての釈尊の生涯」を語る。
○ 著者は釈尊が如何に生き、如何に悩み、如何に悟りを開いたか。その歴史的人物としての釈尊の生涯を可能な限り事実に近い姿で示そうとする。
○ 真実の釈尊には後年付加された縁起説といった概念すら出てこない、ただ人々に様々な実践的な教えを説いた一人の思想家が現れてくる。
○ 釈尊の言葉「私は出家してから五十余年となった。正理と法の領域のみを歩ゆんできこれ以外には<道の人>なるものも存在しない。」
釈尊は歴史的人物としてその臨終においてさえも、我々が知る仏教というものを説かなかった。


紀元前5世紀に悟りを開き、仏教の開祖となったゴータマ・ブッダ。
偉大な歴史的宗教者であるが、彼の伝記は長い間存在していなかった。これは個別的な事象より普遍的な理法を重んじる仏教徒の思惟法に由来する。

後代に成立した仏伝には、神格化や誇張が多く見られる。
本書は神格化や誇張を排した仏伝であり、人間ゴータマ・ブッダを炙り出そうと試みる。

著者は歴史的人物であるゴータマを、次のように評し締めくくっている。
「彼の教示のしかたは、弁舌さわやかに人を魅了するものでもなく、また一つの信仰に向かって人を強迫するものではない。

異端に対して憤りを発することもない。単調にみえるほど平静な心境を保って、もの静かに温情をもって人に教えを説く。

些細なことを語るときにも、非常に重大事を語るときにも、その態度は同様の調子であり、すこしも乱れを示していない。

広々としたおちついた態度をもって異端さえも包容してしまう。仏教が後世に広く世界にわたって人間の心のうちに温かい光をともすとこができたのは、開祖ゴータマのこの性格に由来するところがたぶんにあると考えられる。」

「ゴータマはその臨終においてさえも仏教というものを説かなかった、彼の説いたのはいかなる思想家・宗教家でもあゆむべき真実の道である。」


日本の仏教には余り興味がないが、釈尊の教えにはとても共感し教えられていて自分にとって生きていく上で
必要不可欠になっています。この本は釈尊の生きた足跡を可能な限り真実に近い形で教えて下さっているのでとてもよかったです。但し、最後についていたどこかの偉そうな坊主の解説は無い方が良かった。それ以外はとても良いのでお勧めの本だと思います。



平和の文化……って?

2019年12月28日 13時03分59秒 | 社会・文化・政治・経済

東京ユネスコクラブ

 差別や偏見、貧困、家庭・職場・教育現場などでの暴力、あるいは環境破壊――私たちの周りにはどれだけの「暴力」がうごめき、社会の「構造」に潜んでいるのでしょう……。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」――ユネスコ憲章の理念が掲げる「平和」は、「戦争のない状態」だけではなく、そんな「構造的な暴力」のない世の中をめざしています。

ユネスコ(国連教育・科学・文化機関)は、1946年に誕生しました。20世紀の2度の世界大戦を省み、「人類はもうこれ以上、戦争をしない」という堅い決意からでした。

1980~’90年代、単に「戦争がない状態」の「平和」のみでなく、「さまざまな構造的暴力」を否定する「平和の文化」が探求されました。’97年の国連総会で「平和の文化の宣言」が採択され、2000年は「平和の文化国際年」、2001~’10年は「平和の文化と教育のための国連の10年」でした。

「平和の文化」は、ユネスコ憲章の「平和の思想」の今日的な表現です。「人間が求める身近な平和、安心・安全」を、考え方の慣習、「文化」にしようということです。人類が探究してきた平和に別の理念を掲げているのではないのです。「平和の文化」に、一定の行動様式やモデルがあるわけでもありません。一人ひとりの行動、考えは多様です。だからこそ、個々人が「平和」と考える思いを、分かち合いたいと思います。

私たち「平和の文化東京ユネスコクラブ」は、ユネスコ憲章の理念のもと、「平和の文化」の輪を広げていこう、と創設されました。一人ひとりの「平和」は、「人の尊厳を尊ぶ」社会の根っこです。「人権の世紀」といわれる21世紀を、「平和の文化」あふれる社会にしたい……そう願っています。
                                                        (詳しくはこちら)


わいせつ事件の刑事処分非公表 大阪地検「被害者が望まない」

2019年12月28日 12時53分35秒 | 事件・事故

12/27(金) 共同通信

大阪地検は27日、大阪府内で12月に発生した二つのわいせつ事件について、容疑者が起訴されたかどうかの刑事処分結果を「被害者が望まない」として公表しなかった。刑事処分をしたかどうかも明らかにしていない。

非公表となったのは、拾ったスマートフォンで所有者の男性に成り済まし、男性の交際相手の10代少女を誘拐したとして、わいせつ目的誘拐容疑などで建設作業員の男(42)が逮捕された事件と、勤務する大阪府門真市の市立小で3年の女児(9)にわいせつな行為をしたとして、強制わいせつ容疑で小学校講師の男(26)が逮捕された事件。いずれも逮捕時は大阪府警が公表していた。

 

 


被害者にも落ち度がある

2019年12月28日 12時39分25秒 | 社会・文化・政治・経済

日本では性暴力について、被害者にも落ち度があるとの偏見が根強くある。
社会の目や人間関係を気にして声を上げられず、心に深い傷を抱え込んで生きる被害者は多い。

「被害者が狙われやすい服装をしていたんじゃないか」

「普通はそんな手に引っかからない。油断をしていたんじゃないか」

犯罪が起こった際、悲しいことに被害者の落ち度を責める声をたびたび耳にします。

詐欺や傷害、性犯罪などの被害を受けて傷付いている人に対し、「被害に遭ったのはお前にも原因があったからだ」と後から責めることに意味はあるのでしょうか。

『被害者を責める人』の心理

そういった『被害者を責める人』が一定数いる理由について描いたのは、漫画家の洋介犬(@yohsuken)さん。

4コマで分かる、深層心理について描いた作品をご覧ください。

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被害者を責める人の心理について『心の防御』と称した洋介犬さん。

そういった人は自分の心を守るために盾で身を守り、被害者を攻撃してしまうのです。

ちなみに、被害者を責める心理は『公正世界仮説』とも称されます。

【公正世界仮説】

「この世界は公正であり、公平にできている」と考えたがる認知バイアスのこと。

世界や社会に理想を抱き、理不尽に傷付けられることを否定する深層心理。

公正世界仮説を信じ、「正しく生きていれば必ず救われる」と思っていると、被害者に落ち度がない理不尽な出来事を否定したくなってしまいます。

「世界は公正で、公平にできている」と思い込みたいがため、つい被害者に『理不尽な目に遭った原因』を求めてしまうのです。

人間の深層心理について描いた作品に、多くの反響が上がっています。

・被害者の口をふさぐのは、こういった発言だよね。自分も気を付けたい。

なるほど!「自分は大丈夫」と思いたいから他人の落ち度を探してしまうのか…。

・そもそも、事が起こった後に第三者が「こうすればよかったのに」って口を出すのがおかしい。

・被害者を攻撃せず、加害者に対する矛をちゃんと構えるようにしたいと思った。

きっと「正しく生きていれば救われる」という考えは、誰もが心の底で持っていることでしょう。

だからこそ、間違った使いかたをして盾で誰かを攻撃するのではなく、守るように意識していたいですね。

漫画初出:auスマートパスWEBサイト『だいたい日替わりどーがとまんが』


[文・構成/grape編集部]

出典
@yohsuken

関連ニ

 
 
 
 
 

ファンダメンタリズム

2019年12月28日 12時34分18秒 | 社会・文化・政治・経済

根本主義と訳される。
19世紀末から 20世紀初頭にかけてヨーロッパの自由主義神学の影響がアメリカのプロテスタント教会に及び,この神学に抵抗して信仰の根本的教理を固守しようとして,特にアメリカに起ったキリスト教信仰運動。
ダーウィンの進化論,聖書の歴史的高等批評,近代主義,教会の世俗化などに反対した。聖書を逐語霊感説によって解釈し,信仰の伝統的立場を固持して教会教派の分裂を招いた。 1895年ナイアガラで開かれた保守的プロテスタント聖書会議は「ファンダメンタリズム5項目」として次のものをあげている。
聖書の逐語無謬,イエス・キリストの神性,処女降誕,代理贖罪説,キリストの身体的復活と身体的再臨。
現代アメリカでは家庭崩壊や性の乱れに対して,伝統的家族観や共同体意識の復権が「モラル・マジョリティ」などの根本主義の団体から叫ばれている。
また聖書を根本原理とすることから人工妊娠中絶や教科書内容 (進化論) を具体的な批判対象として問題化している。
政治的にはニュー・ライトの傾向に近いものがある。
なお,一般に原理主義といわれ,現存する社会秩序の混乱や道徳心の頽廃に対抗して伝統的価値観への回帰を主張する思想および運動をさすこともある。
イスラム原理主義はその代表的なものである。


原理主義

2019年12月28日 12時27分12秒 | 社会・文化・政治・経済

原理主義(げんりしゅぎ、英語: fundamentalism、ファンダメンタリズム)は、主に以下の意味で使用されている。

キリスト教の用語で、聖書の無謬性を主張する思想や運動(キリスト教根本主義)。
対比語は自由主義神学(リベラル・リベラリズム)、近代主義(モダニスト)、世俗主義など。
上記より派生し、広く聖典や教義を墨守する信仰や立場(イスラム原理主義など)、更には基本的な原理原則を厳格に守ろうとする立場(市場原理主義など)。
対比語は世俗主義、相対主義、多元主義など。
概要
「ファンダメンタリズム」はもともとアメリカ合衆国の保守的プロテスタント派が1920年代に使用したキリスト教の神学用語である。
初期のファンダメンタリズムは、当時のプロテスタント主流派のモダニスト(近代主義者)に対抗した神学運動であったが、その後、北米のプロテスタント派内の穏健な保守派はエバンジェリカル(福音派)と呼称され、超保守派を指してファンダメンタリズム(キリスト教原理主義)と呼ばれるようになった。
一方、イラン革命(1979年)以降、アメリカのジャーナリズム等において、イスラームの急進的な政治運動に対し、キリスト教のファンダメンタリズムとのアナロジーから「Islamic fundamentalism」という用語が使われるようになった。
日本にこれが輸入された際「イスラム原理主義」と和訳された。
さらにこの表現が敷衍され、日本のキリスト教界では根本主義と翻訳されていたキリスト教のファンダメンタリズムに対して、キリスト教原理主義という訳語が使われるようになった(主に現在の北米の宗教右派に対する呼称として使われる)。
他の宗教にも同じくヒンドゥー原理主義、ユダヤ原理主義といった用法が派生している。
今日、「原理主義」という言葉はマスメディア等において広く流通しており、宗教学や社会科学の文脈においては、聖典を文字通りに受け取ろうとする態度や、世俗主義に反対する傾向などを特徴とする運動や思想を指す言葉として使われるようになっている。
しかし厳密な定義があるわけではなく、学術的にも通俗的にも原理主義という語の適用範囲は定まっていない。
原理主義という語は、「単一の価値観だけを信奉し、他者の価値観を排撃する」という意味で、嫌悪する意図で使用される例が多い。
そのため、ごく一部の例外を除き当事者によって自称されることはない。


小説 『沈黙』 遠藤周作

2019年12月28日 12時06分28秒 | 社会・文化・政治・経済

『沈黙』(ちんもく)は、遠藤周作が17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小説。
1966年に書き下ろされ、新潮社から出版された。
江戸時代初期のキリシタン弾圧の渦中に置かれたポルトガル人の司祭を通じて、神と信仰の意義を命題に描いた。
第2回谷崎潤一郎賞受賞作。
この小説で遠藤が到達した「弱者の神」「同伴者イエス」という考えは、その後の『死海のほとり』『侍』『深い河』といった小説で繰り返し描かれる主題となった。

世界中で13か国語に翻訳され、グレアム・グリーンをして「遠藤は20世紀のキリスト教文学で最も重要な作家である」と言わしめたのを始め、戦後日本文学の代表作として高く評価される。
あらすじ
島原の乱が収束して間もないころ、イエズス会の司祭で高名な神学者であるクリストヴァン・フェレイラが、布教に赴いた日本での苛酷な弾圧に屈して、棄教したという報せがローマにもたらされた。

フェレイラの弟子セバスチャン・ロドリゴとフランシス・ガルペは日本に潜入すべくマカオに立寄り、そこで軟弱な日本人キチジローと出会う。

キチジローの案内で五島列島に潜入したロドリゴは隠れキリシタンたちに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となる。

幕府に処刑され、殉教する信者たちを前に、ガルペは思わず彼らの元に駆け寄って命を落とす。

ロドリゴはひたすら神の奇跡と勝利を祈るが、神は「沈黙」を通すのみであった。

逃亡するロドリゴはやがてキチジローの裏切りで密告され、捕らえられる。

連行されるロドリゴの行列を、泣きながら必死で追いかけるキチジローの姿がそこにあった。
長崎奉行所でロドリゴは棄教した師のフェレイラと出会い、さらにかつては自身も信者であった長崎奉行の井上筑後守との対話を通じて、日本人にとって果たしてキリスト教は意味を持つのかという命題を突きつけられる。

奉行所の門前では、キチジローが何度も何度もロドリゴに会わせて欲しいと泣き叫んでは、追い返されている。ロドリゴはその彼に軽蔑しか感じない。
神の栄光に満ちた殉教を期待して牢につながれたロドリゴに夜半、フェレイラが語りかける。

その説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く鼾(いびき)のような音を止めてくれと叫ぶ。

その言葉に驚いたフェレイラは、その声が鼾なぞではなく、拷問されている信者の声であること、その信者たちはすでに棄教を誓っているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げる。

自分の信仰を守るのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきなのか、究極のジレンマを突きつけられたロドリゴは、フェレイラが棄教したのも同じ理由であったことを知るに及んで、ついに踏絵を踏むことを受け入れる。
夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。

すり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた彼の足を襲う激しい痛み。そのとき、踏絵のなかのイエスが「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」と語りかける。
こうして踏絵を踏み、敗北に打ちひしがれたロドリゴを、裏切ったキチジローが許しを求めて訪ねる。

イエスは再び、今度はキチジローの顔を通してロドリゴに語りかける。「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?」
踏絵を踏むことで初めて自分の信じる神の教えの意味を理解したロドリゴは、自分が今でもこの国で最後に残ったキリシタン司祭であることを自覚する。
登場人物
セバスチャン・ロドリゴ(岡田三右衛門)
ポルトガル人の若きイエズス会司祭。恩師であるフェレイラ棄教の謎を追うため、同時に、日本にキリスト教の灯を絶やさないようにするため、日本へ向かう。しかし、その後キチジローの裏切りで長崎奉行所に捕らえられ、そこで信仰を続けるか棄教するかの重い選択を迫られることになる。
モデルとなったのはイタリア出身の実在の神父ジュゼッペ・キアラ。キアラは棄教後、斬首刑に処された下級武士、岡本三右衛門の名を与えられ、江戸小石川の切支丹屋敷で生涯を終えている。
フランシス・ガルペ
ロドリゴとともに日本に渡った同僚のポルトガル人司祭。のち別行動をとるがやはり奉行所に捕らえられ、ロドリゴの見る前で殉教する信徒たちとともに命を落とす。
クリストヴァン・フェレイラ
ポルトガル人の高名な神学者にしてイエズス会の司祭。日本で布教中に捕縛され、「穴吊り」の拷問に屈して棄教したと伝えられる。歴史上実在した人物。「この国は(すべてのものを腐らせていく)沼だ」とするセリフは当時の流行語にもなったが、日本の精神的土壌とキリスト教との背反問題へ向き合った者たちを描いた『背教者の系譜』(岩波新書)も引用している。
ヴァリニャーノ
マカオに駐在するイエズス会の司祭。日本での布教経験があり、ロドリゴとガルペに日本における苛烈なキリスト教弾圧を伝える。史実で著名なイエズス会員に天正遣欧少年使節を率いたアレッサンドロ・ヴァリニャーノがいるが、島原の乱よりも前の1606年に没している。
キチジロー
ロドリゴがマカオで出会った日本人の男。ロドリゴを日本へ連れて行くが、やがて彼を裏切り、長崎奉行所にロドリゴの居場所を密告する。しかし、その後もロドリゴの後を追い続け、彼の許しと、告悔の秘蹟による神の許しを頼む。遠藤周作は後にこの人物は彼に幼児洗礼を受けさせた母親を裏切った自分自身をモデルにした、と述べている。
井上筑後守
幕府大目付・宗門改役。「穴吊り」というもっとも有効に棄教に結びつける拷問方法を編み出した人物として恐れられているが、本人は温厚な初老の政治家。自らもかつては熱心なキリスト教徒であった。ロドリゴにキリスト教はこの国では根付かないと説く。
通辞
井上の部下で奉行所の通訳を務める男。ロドリゴに対しては説得という形で棄教を勧め、時に議論を戦わせるが彼もまた神学校で学び洗礼を受けた過去を持つ。

彼が棄教したのは宣教師の傲慢で日本人への侮蔑意識に満ちた態度に失望したためであることが作中で示唆されている。
カトリック教会からの批判と遠藤のその後の発言
『沈黙』出版当初のカトリック教会からの反発は非常に強いものがあった。

特に長崎においては禁書に等しい扱いをされたという。

司祭が踏絵を踏むという衝撃的な結末を快く思わない教会指導者による非難がその要因とされる。
1972年(昭和47年)1月13日付で遠藤による「踏絵」と題する記事が『カトリック新聞』に掲載された。

本記事において遠藤は「『早くふむがいい。それでいいのだ。私が存在するのは、お前たちの弱さのために、あるのだ』と(踏絵の)キリストの顔が言っている気がした」と書いたが、その記述に対し、サレジオ会司祭で当時『カトリック生活』編集長であったフェデリコ・バルバロ神父とアロイジオ・デルコル神父は、遠藤が『沈黙』の中の踏絵の場面を正当化したとして、『カトリック生活』で反論を述べている。
イエズスが「正義のためにしいたげられる人は幸せ」という自分の信念をすてて、ただこの弱いあわれな人々の今のしあわせを考えたならば遠藤氏のいうようなことになっただろう。(中略)日々、人間として信仰者として、われわれは、いろいろな意味でのふみ絵の前に立たされている。

キリストと、キリストの国と、キリストの愛をえらぶか、それとも、あなた自身の傲慢と、利益と邪欲とのいずれをえらぶかが、日々ためされている。

この場合、よわい人間としてえらびやすい方をえらんでもよいなら、そしてどうせキリストは弱いもののためにきたのだから、それをあてにして行動するならキリストが、”天にまします父のように完全であれ”という言葉も空しくなる。

こうなれば、キリストは、「人類が歩くべき気高い道の旗印」とはならず、「人間の弱さ、卑劣さの使徒となり、人間の中にある最も聖なるもの崇高なものの最大の裏切者」となるほかない。

キリストが「人類の気高いものの旗印」となったのは、かれが生命をかけて正義と愛と真理を守り通したからである。
遠藤は1974年の著書『切支丹の里』において、棄教者に向ける自身の思いを以下のように記している。
それには考えられる理由が当然ある。

棄教者は基督教教会にとっては腐った林檎であり、語りたくない存在だからだ。

臭いものには蓋をせねばならぬ。彼等の棄教の動機、その心理、その後の生き方はこうして教会にとって関心の外になり、それを受けた切支丹学者たちにとっても研究の対象とはならなくなったのである。
(中略)

こうして弱者たちは政治家からも歴史家からも黙殺された。

沈黙の灰のなかに埋められた。だが弱者たちもまた我々と同じ人間なのだ。

彼等がそれまで自分の理想としていたものを、この世でもっとも善く、美しいと思っていたものを裏切った時、泪を流さなかったとどうして言えよう。

後悔と恥とで身を震わせなかったとどうして言えよう。その悲しみや苦しみにたいして小説家である私は無関心ではいられなかった。

彼等が転んだあとも、ひたすら歪んだ指をあわせ、言葉にならぬ祈りを唱えたとすれば、私の頬にも泪が流れるのである。


安部晋三首相に思想性なし

2019年12月28日 07時32分24秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

1960年以降、歴代の政権は、「うそ」をついてきた。
ただし、従来の「うそ」と安部晋三政権のそれは、全く違う。
前者は、戦争の反省と安全保障の現実を踏まえたもの、後者は単なるつじつま合わせだ。
従来の「うそ」とは、自衛隊と憲法の両立である。
自衛隊は明かに軍隊で、憲法と矛盾する。
自民党最初の首相だった鳩山一郎や安倍首相の祖父、岸信介は「うそ」を解消しようと自主憲法制定を唱えた。
岸の次の池田勇人政権が経済成長優先に転じて以降、自民党政権は、改憲を大声で言わなくなった。
「自衛隊は憲法と両立する」という「うそ」を、国民も支持してきた。
安倍政権の「うそ」には、何の思想性もない。
加計問題が、わかりやすい。
森友学園問題でも、財務省が決裁文書を改ざんしたのは、首相を忖度したからである。
桜を見る会のの問題でも、内閣府は名簿を破棄した。
森友学園と森友学園の問題で政権が潰れなかったのは、野党と自民党の反主流派が弱くなったせいだ。
この成功体験のおかげで、政権は「何をやっても大丈夫」と思い込んだ。
安倍政権は「ほかに代わりがない」だけで維持されてきたが、もはや、気の緩みが尋常ではない。
桜を見る会問題で政権が倒れる可能性は、あるかもしれない。(毎日新聞12月27日記事から引用)
ジャーナリスト 田原総一朗さん


ひたちなかの堀出神社 「ほしいも神社」23日竣工式

2019年12月28日 07時18分40秒 | 社会・文化・政治・経済

2019年11月23日(土) 茨城新聞

聖地、御利益に期待 黄金色の鳥居ずらり

 完成したほしいも神社=ひたちなか市阿字ケ浦町

完成
したほしいも神社=ひたちなか市阿字ケ浦町

生産量日本一を誇る本県産の干し芋が盛んなひたちなか市の堀出神社で、建設中だった「ほしいも神社」が完成して23日に竣工(しゅんこう)式が開かれる。干し芋をイメージした黄金色の鳥居がついにお目見えする。

堀出神社は干し芋と縁が深い。神社のある同市阿字ケ浦地区では明治時代に、小池吉兵衛が干し芋を広めた先駆者として、神社敷地に銅像も祭られている。また、水戸藩2代藩主・徳川光圀が同神社で古墳を掘った際にご神体となる鏡が出土したことから「掘って出た神社」として名付けられたとされる。

そこで数年前から、堀出神社を干し芋の聖地にしようと、ひたちなか商工会議所や生産者、住民らで建設委員会をつくって、ほしいも神社に向けて議論を進めてきた。同時に寄付も募り費用全額分が集まった。

ほしいも神社は堀出神社の末社として神社庁に登録される。デザイナーの佐藤卓氏がプロデュースした。黄金色の鳥居が大小26基並び、大きい鳥居の基礎部分の石は干し芋をかたどっている。小池吉兵衛も含めて干し芋を広めた生産者ら計5人を「ほしいもの神様」に祭り立て碑も建てる。御利益は「干し芋」に掛けて、「欲しい物は全て手に入る」という。

夜間は毎日、日没後から午前0時までライトアップされる。併せて干し芋の直売所も作られた。年に2回、現地でイベントを開く計画だ。

宮本正詞宮司(68)は「生産者だけでなく、全ての人のための神社。みんなが幸せになるよう願いが込められている。茨城の観光スポットにしたい」と話している。
(斉藤明成)