▼「勝利の要諦」とはなにか。
まず「率先の行動」。
人を動かすには、自ら動くことだ。
▼まず、人の利点を生かそうと、努力を続けていくことだ。
欠点ではなく、良い点を見つける。
▼「目標を持つ」ことである。
目標があれば、未来への希望が湧いてくるし、力も出る。
また、みんなが、定めた目標を必ず達成しようと思うならば。おのずと、団結も生まれてくる。
関西大教授・河田恵昭氏
再生への闘い(5)2016/3/10 日本経済新聞
-
災害の歴史に詳しい河田恵昭・関西大教授に聞いた。
「江戸幕府から明治政府に変わるときに見逃されたのが防災だ。政治機構の参考にした欧州の国々も巨大災害を経験していなかったためだ」
「日本の災害対策は起こった災害を繰り返さないという発想で、災害が起こらないと対策を取らなかった。震災後、政府は今後起こるであろう巨大地震の被害の大きさを想定し、減災の対策を立てようとしている。その姿勢は評価すべきだ」
「被害を減らす方向へ進んでいるとはいえない。心配なのが首都直下地震だ。人と情報の流れが地震発生の瞬間、ぱっと止まる。世界の都市が歴史上経験したことのない災害になる。限られた財源で命を守るには既存の防災施設の強度を高めることを優先すべきだ」
「これから求められるのは、被害を小さくしできるだけ早く回復させる『縮災』の考え方だ。被害を長引かせない方法を検討すれば、より現実的な対策につながる。震災から5年がたち、親族を亡くした当事者とそれ以外の人々の悲しみに差がありすぎるように見える。悲しみを共有できない社会が巨大災害と対峙することはできない」
<キーワード>首都直下地震
首都圏直下を震源としたマグニチュード(M)7クラスの地震で、今後30年以内に70%程度の確率で起こるとされる。中央防災会議は東日本大震災後、南海トラフ巨大地震とともに被害想定を見直した。
2013年12月の被害想定によると、都心南部が震源の場合、死者は2万3千人、経済被害は最悪の場合95兆円、帰宅困難者は800万人。政府は昨年3月、想定死者数と建物被害を10年間で半減させる目標を設定。住宅の耐震化や火災防止策、首都機能を保つための対策を打ち出した。
2017.4.7 産経新聞
【正論】
憲法に大規模災害条項の明記を 国難級の災害に備え
国士舘大学特任教授・百地章
3月5日、自民党大会が開催され、「憲法改正原案の発議に向けて具体的な歩みを進める」との運動方針が発表された。従来に比べより踏み込んだ表現である。当日は、首都直下型地震や南海トラフ地震などの際、甚大な被害が予想される全国25都府県の国会議員や県会議員が二階俊博幹事長と会い、速やかに憲法に緊急事態条項を新設するよう陳情している。
≪国難への法整備は喫緊の課題≫
現在、最も心配される大規模自然災害の一つが首都直下型地震だ。内閣官房参与の藤井聡京都大学教授は、東日本大震災時の三陸沖地震と連動して、10年以内に首都周辺で巨大地震が発生する可能性があると、早くから警鐘を鳴らしてきた。これは、過去2千年の間に三陸沖を震源とするM8以上の巨大地震が4回発生、それと連動して4度とも前後10年以内に関東地方で直下型地震が発生したという歴史的事実を踏まえた発言である。藤井教授によれば、南海トラフ地震も三陸沖地震と連動して、十数年以内に3回発生している(『巨大地震Xデー』)。
もし首都直下型地震が発生した場合、「発災直後の対応」は「国の存亡に係る」と中央防災会議ワーキングチームの最終報告は述べているが、重大な警告といえよう。
また、元日本自然災害学会会長で京都大学名誉教授の河田恵昭氏によれば、巨大地震に加えスーパー台風の来襲に伴う首都圏での高潮や洪水による氾濫災害も、国難級の災害となり、わが国が衰亡する原因になる可能性があるという(『日本水没』)。
河田氏によれば、江戸幕府の崩壊には、1854年から3年連続で起こった安政の巨大複合災害による幕府の弱体化が大きく影響している。54年の安政東海・南海地震〔南海トラフ地震〕(死者3万人)、55年の安政江戸地震〔首都直下型地震〕(死者1万人)、56年の安政江戸暴風雨(台風)による巨大高潮(死者10万人)である。藤井教授も同様の指摘をしている(『列島強靱(きょうじん)化論』)。
とすれば、国難級の災害に備え、速やかに「防災」や「減災」さらに被害発生後できるだけ早く回復させる「縮災」のため、さまざまな国土強靱化対策を強力に進める必要がある。同時に大規模自然災害対策に特化してでも、憲法改正を含む法制度の整備を行うことは、喫緊の課題といえよう。
≪「緊急政令」を格上げせよ≫
筆者はこれまで、外国からの攻撃、内乱、大規模自然災害、大規模テロなどの国家的な緊急事態に備え、速やかに憲法に「緊急事態条項」を導入するよう訴えてきた。
しかし、有事中の有事である「戦争」については第9条と関連するため議論は進まず、大規模テロの問題にしても、「テロ等準備罪」を創設しようとするだけで、国会の審議が停滞してしまうありさまである。であれば、ことの重大性および緊急性に鑑(かんが)み、せめて「大規模災害条項」だけでも憲法に盛り込めないかと思う。
具体的には、災害対策基本法にある「緊急事態の布告」「緊急政令」「従事命令」などを憲法に格上げするだけである。内閣の権限を強化したり、人権制限の対象を拡大したりするものではない。
このうち「緊急事態宣言」について言えば、同法では「非常災害が発生し、かつ、当該災害が国の経済及び公共の福祉に重大な影響を及ぼすべき異常かつ激甚なものである場合」に、内閣総理大臣は「災害緊急事態」を布告できる旨、定めている(105条)。これを「憲法上の宣言」に格上げする。というのは、東日本大震災の際には、憲法との抵触を恐れて布告が出せなかったからである。
また、現在は内閣の判断だけで出せる布告に「国会の承認」を加え、これによって議会的統制と立憲主義の強化を図る。
≪医療関係者などの従事命令も≫
さらに、「緊急事態宣言」があった場合に内閣が発することの可能な「緊急政令」も、現在、災害対策基本法で定められている以下の3種類に限定し、国会が集会できない時に限り、内閣が発することができる旨を憲法に明記する。
つまり(1)特に不足している生活必需物資の配給、譲渡、引渡しの制限、禁止(2)災害の復旧や国民生活の安定のため、必要な物の価格や役務の対価の最高額を決定(3)金銭債務の支払いの延期や権利の保存期間を延長-するための各政令である(109条1項)。こうしておけば、「財産権」の侵害などといった批判も回避できよう。
また災害対策基本法では、災害発生時に都道府県知事は応急措置を実施するため、医療・土木建築関係者などを救助業務に従事させることができるが(71条)、これも「職業選択の自由」との関係で「従事命令」の発令を躊躇(ちゅうちょ)してしまう恐れがある。そこで「緊急事態宣言」があったときは、被災者を救済するため、法律で定める範
囲で「職業選択の自由」を一時的に制限することができる旨、憲法に明記しておくわけである。
「憲法改正原案」の作成に向けて、「国会議員の任期延長」と共にぜひ検討して頂けたらと思う。(国士舘大学特任教授・百地章 ももちあきら)
2016年02月03日
結党94年を迎える老舗政党の本気度が、今問われている。
室橋祐貴 日本若者協議会代表理事、BUSINESS INSIDER JAPAN記者
民主党が大敗し、自民党・公明党が政権に返り咲いた2012年総選挙。
政権交代は「一強多弱」の始まりとなったが、同時に90年以上続く「長寿政党」共産党の新たな興隆の始まりでもあった。2013年参院選では改選3に対し8議席獲得。2014年総選挙では8議席から21議席と、まさに躍進続きだった。
そんな「波に乗る」共産党が、2015年9月に国会を通過した「安全保障法制」を廃止にするべく、「国民連合政府」構想を打ち上げた。民主党をはじめとする全野党に協力を呼びかけ、「安保法制廃止」一点に絞って本年7月の参院選で選挙協力をしようというのである。
しかし民主党保守派を中心に抵抗感が強く、「あり得ない」(民主党 岡田克也代表)、「シロアリみたいなもの」(民主党 前原誠司元外相)、とまで言われてしまい、構想は進んでいない。
一体、なぜ共産党はそこまで嫌われるのだろうか?(特に若い世代は知らない人が多いだろう)
そもそも共産主義とは何か
共産主義とは、財産の一部または全部を人々の共有のものとし、階級と、階級間の搾取のない社会を作りだすという政治思想である。
では、どのようにそのような社会を作るのか。資本家をはじめとする特権階級は、労働者階級に同情し、自らの財産や特権を話し合いなどの平和的手段によって手放し、抑圧を止めることはあり得ないと考えられた。したがって、暴力革命によって労働者階級が特権階級を駆逐するしかないという立場を取るのが共産主義である。
日本共産党の発足
日本共産党は1922(大正11)年に「共産主義インターナショナル」(通称コミンテルン)日本支部として結成された。戦前・戦中は政府による激しい弾圧を受けるが、戦後合法政党として活動を再開し、「細胞」と当時称された学校や党員の職場等における基礎組織を中心に、党勢を拡大する。
1951(昭和26)年には「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」を決定。さらに、「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」と「軍事方針」を定めている。
時共産党が直接・間接的に関与したとされる事件は数多いが、一例を挙げると1952(昭和27)年の「吹田事件」(朝鮮戦争反対に関して暴力的なデモ行進を行った)や、同年の「血のメーデー」(デモ隊1名が死亡、デモ隊・警官隊合わせて約1,000名が負傷)などがある。
しかしこのような路線は国民の理解を得られず、1952年の衆議院議員選挙と翌年の参議院議員選挙では全ての候補者が落選する。困難な状況に直面した日本共産党は、1958年には方針転換を行う。それまでの混乱や武装闘争路線は一部の指導層の独断によって行われたものであり、党中央組織とは関係がないとした。この認識は現在に至っても同じである。
ぬぐえない暴力に対する不信感
これ以降、徐々に内部抗争や金銭的腐敗を一掃し、クリーンなイメージを打ち出すことになる。近年では共産党関係の目立った暴力事件は見られず、また党の綱領からも先鋭的な表現はなくなってきている。
しかしこれは第一段階として資本主義体制の枠内で民主的方法で勢力を伸ばし、第二段階で社会主義・共産主義国家樹立 へと動く戦略に基づくものであり、将来的に再び暴力的な手段に訴えないとはいえない、という慎重な見方も根強い。警察庁では、依然として共産党を「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」 として「重大な関心」 を払っている。
共産圏の世界的な退潮
また、共産圏の現状も共産党に対する信頼喪失につながっている。第一に旧ソ連の崩壊はソ連型社会主義の理論的失敗を露呈した。それにも関わらず、綱領で表現されている「社会主義・共産主義社会の実現」という理想や、党名を変えない点が、時代錯誤であると考えられても不思議ではない。
次に中国や北朝鮮、旧ソ連を含む他のほとんどの社会主義国で見られるように、いずれの国も「民主的」を謳いながらもおよそ一般的な感覚の「民主的」とはかけ離れた政体となっていることである。
これは、共産主義の実現のためには、一時的に「プロレタリアート」(労働者階級)による独裁(プロレタリアート独裁)が必要であるという理論に依っている。理論上共産主義の実現と(一時的な)独裁は切り離せないものであり、社会主義国家の多くが独裁体制になっているのはこのことによる。
日本共産党も1961年の綱領からプロレタリアート独裁の文言が入っていたが、1973年綱領では「プロレタリアート執権」となり、1976年にはその言葉も消えている。現在は革命の第一段階では「議会制民主主義の体制、複数政党制、政権交代は堅持する」と綱領
独自路線の貫徹が独善的との批判を招いた
また、共産党は他の政党とめったに選挙協力をしない。これは政策の違いの他に、日本社会党と長年対立してきたこと(したがって元社会党議員が多く在籍する現在の社民党や民主党とも相容れない)や、組織強化の戦略として選挙ごとに独自候補を擁立する方針を取っていることなどが理由として挙げられる。(このことは、結果的に野党陣営の票を割ることになり、共産党が打倒したいと考えているはずの与党を多くの場合利する結果になっている。)
加えて、これまでの歴史で共産党系の団体の多くが分裂を起こしてきた。1948年に生まれた「全日本学生自治会総連合(全学連)」は共産党の強い影響を受けていたが、1955年の共産党の方針転換により影響下から離れる。その後新左翼系学生達と共産党系の学生達の間で激しい争いが起こった。
また、1965年に部分的核実験禁止条約への対応をめぐって「原水爆禁止日本協議会(原水協)」(主流派:共産党)から社会党系グループ、日本労働組合総評議会(当時)系グループが脱退し、「原水爆禁止日本国民会議(原水禁)」を設立した。
解放同盟は元来共産党の影響が強かったが、政府の同和対策方針に対する確執から、同盟内における支持を失い、険悪な関係となっている。
変革への本気度が問われる共産党
以上、共産党につきまとうネガティブなイメージは、主に党が実現しようとする「共産主義」そのものに対する嫌悪感と、これまでの歴史で積み上げてきた様々な不信感が基盤となっているようである。
上記で紹介したように、近年は暴力事件も起こしていなければ、綱領も現実路線に切り替わってきている。
しかしそれがどこまで「共産党の本心」なのか、共産党は本当に変わる気があるのか、多くの人がいまだ疑心暗鬼であることの表れが、冒頭の「国民連合政府」構想の否定につながっているのだろう。
結党94年を迎える老舗政党の本気度が、今問われている。
(2016年2月2日「Platnews」より転載)
2017年01月02日 アゴラの最新ニュース情報
よい子のみなさんの生まれる前のことですが、「社会主義」の国がありました。
1980年代までは世界の半分ぐらいが社会主義で、そのうち「歴史の必然」で資本主義は崩壊して社会主義になるといわれていましたが、崩壊したのは社会主義のほうでした。
今ではそれはダメな経済システムの代名詞ですが、なぜ社会主義は崩壊したんでしょうか?
それが「計画経済」だったからとか「統制経済」だったからだというのは答になりません。なぜ計画経済はダメなんでしょうか。
みなさんはお母さんに「お年玉は計画的に使いなさい」といわれるでしょう。経済を計画的に運営したら、なぜいけないんでしょうか?
これは世界的な大論争になった問題ですが、その答を簡単にいうと、完ぺきな計画が完ぺきに動くのは当たり前だということです。
1億人の日本人が何をしたいと思っているかがわかり、その通りに経済を計画できれば完ぺきです。問題は、そんな完ぺきな計画ができるのかということです。
そのためには、ぼう大な情報をあつめて計画を立て、いちいち人々に命令しないといけません。
そんなことはできないので、現実の社会主義国では役所が国営企業と相談して、適当に生産の割り当てを決めていました。
ソ連の計画当局者が「何を使って計画を立てているのか?」と聞かれて「電話」と答えたといわれています。
計画的に経済を運営するのはいいことですが、実際にそれをやると非常に能率が悪い。
日本でも「お役所仕事」といいますが、その最大の原因は、競争がないことです。
資本主義では、能率の悪い会社は経営がうまく行かなくなってつぶれますが、社会主義ではつぶれません。国がお金を出して助けるからです。
もちろん会社がつぶれるのはよくないことで、国が助けると、そのときはみんな喜びます。
でもそうやって経営の破綻した国営企業がゾンビ企業(生きているように見えるつぶれた会社)として生き残ると、生産性(経済全体の能率)が悪くなって、みんな貧しくなります。
これは安倍政権が「デフレ脱却」とかいってやっている増税の先送りと同じです。
国がお金を使うと、そのときはみんな喜びますが、国の借金はふえます。金利が上がると、そのぶん借金も(元利合計で)雪ダルマ式にふえるので大変なことになります。
では金利が上がらなかったらいいでしょうか? そうすると先送りはしばらく続けられますが、お金を使わないお年寄りがお金を貯め込み、ゾンビ企業が生き残って経済が衰退します。
日本経済の行き詰まりの原因は、社会主義の末期とよく似ているのです。
1980年代まで、社会主義が自分で崩壊すると思った人はほとんどいませんでした。
それは資本主義の国と戦争して滅びると思われていたのですが、上の写真のように1989年にベルリンの壁が壊れると、あっけなく崩壊してしまいました。
日本経済も社会主義みたいに行き詰まっているので、壊れるときは意外に簡単に壊れるかもしれません。
▼「無口であっても、だれよりも<聞き上手>になればいい」
恥ずかしがり屋で、人前で話すことがとても苦手。
引っ込み思案な性格を悩んでいたが、この一言に触れ、重かった心が軽くなり、目の前の視野が開けたように感じた。
会合などで話す中で、徐々に苦手を克服する。
心が変われば環境が変わる。
▼今は、社会は高度に発達し、多元化している。
利害も複雑に絡み合っている。
矛盾と不合理を感じながらも、既存の秩序の安定のうえに、繁栄を楽しむ人々が圧倒的多数を占めている。
そうした現代社会に、単純な暴力革命の図式はあてはまらない。
つまり、求められるのは権力の魔性、人間の魔性に打ち勝つ、確かな道だ。
▼人間のエゴイズム、魔性を打ち破り、人間性が勝利していく時代をつくるには、人間自身の生命を変革する以外に解決はない。
故木村 操・元つくば元市長に明かす
中国の故周恩来元首相が日本留学中、茨城県の筑波山に登ったと、故木村 操元つくば市長が自伝に記していることが分かった。
日中交流研究所の段躍中所長がこのほど発見した。周氏が京都・嵐山を訪れたのは有名だが、筑波山に登っ たことはほとんど知られておらず、段氏は「留学時代の様子を知る貴重な記述だ」と語る。
周氏は1917~19年に日本に留学。木村氏が72年に 日中友好訪中団メンバーとして周氏と北京で対面した際、日本語で「私は学生時代、友人とあの山(筑波山)に登りましたよ」と明かしたという。木村氏はこの エピソードを、95年に出版した「つくばからのメッセージ」で紹介している。
周氏が嵐山で詠んだ詩が刻まれた石碑は、2007年に来日した温家 宝首相をはじめ多くの中国指導者が参観している。つくば市教育委員会は「(筑波山登山は)郷土史にも触れられていない」としている。段所長は「周首相は嵐 山を訪問したころに祖国を救う志を固めたが、筑波山登山はそれ以前の気 楽な観光だったのでは」と解説した。
2019/9/9付
西洋歴史小説の第一人者、佐藤賢一が生誕250年を迎えたナポレオンの生涯に挑んだ。「市民革命を経て生まれた皇帝はどんな人物か」という問いかけから、英雄の等身大の姿をつづる。
長編小説「ナポレオン」(全3巻、集英社)の第1巻「台頭篇(へん)」が8月上旬に刊行された。冒頭では1804年、パリのノートルダム大聖堂で開かれた戴冠式が描かれる。
「ナポレオンは王政が倒れたフランス革命の後に皇帝となった。いわば矛盾を抱えたキャラクターであり、それまでの国王とは違う。冠を教皇に載せてもらうのではなく、自ら戴冠するところに彼らしさが表れると考えた」
挫折から世界観
フランス・コルシカ島の小貴族の次男として生まれたナポレオンは、陸軍幼年学校を経てパリ陸軍士官学校へと進む。コルシカ独立運動の英雄パオリの親衛隊となるが、その能力と意欲が疎まれ、失意の中で故郷を去ることとなる。
「これまでの伝記などではあまり触れられていないが、若い頃はコルシカに強い思いを抱いていた。それが実らなかったことが、フランス一国にこだわらず、ヨーロッパ全体を見渡すような広い視点につながったのではないか」。若き日の挫折が新しい世界観を生んだとみる。
折しもフランスは革命まっただ中。共和国の砲兵指揮官として派遣されると、地中海に面する都市トゥーロンをイギリス・スペイン連合軍から奪回する。その後、イタリア方面軍司令官に就き、数々の戦いに勝利する。
連戦連勝の勢いはアレキサンダー大王やカエサルら古代の英雄譚(たん)を思わせるが、一方でこの小説のナポレオンは人間くさい。それが最もよく表れるのが、1796年に結婚したジョゼフィーヌとの関係だ。夫が妻宛てに熱心に手紙を書いても、なかなか返信が来ない。遠征先に来るように頼んでも、気まぐれのように顔を出すだけだ。
「ジョゼフィーヌに宛てた手紙などがフランスで刊行され、それを読むと彼の心の動きがよく理解できる」。ジョゼフィーヌを「勝利の女神」と信じ、会いたくなったら千里の道も遠しとせずに、戦地から舞い戻る姿からは、英雄も一人の男子にすぎないと身近に感じられる。
スピード感表現
文体で心がけたのはスピード感という。「ナポレオンはとんでもない速度で生きた。それを表現できるのが小説という手法だと思う」。第1巻の第2章でコルシカから追われるが、第3章ではいきなり暑さの中、馬に乗って進軍する場面が描かれる。離脱していた軍隊に復帰した経緯は後から説明される。
「第一共和政のフランスは内部対立ばかりで何も決まらなかった。ナポレオンはそれを打破しようとした。ただ、野望が大きすぎたこと、自分の力でのしあがってきたはずなのに伝統の力を利用しようとしたことが、失敗を招いたように思う」と分析する。
第3巻「転落篇」は10月上旬の出版予定だ。
15世紀フランスを舞台にした「王妃の離婚」で、31歳のときに直木賞を受賞して20年。「女信長」など日本を舞台とした作品も書いているが、やはりメインとするのは西洋歴史小説。2014年には、単行本12巻の「小説フランス革命」で毎日出版文化賞特別賞を受賞している。
西洋歴史小説というジャンルを開拓してきた自負があるだけに「枠組みをきちんと作らなければいけないという思いは強い。むしろ日本を舞台にした作品の方が、先達がたくさんいらっしゃるので自由に書ける」と打ち明ける。一方で「人間ドラマを楽しみながら、世界をフラットに見る目を養うことができるはずです」とアピールも忘れない。
(編集委員 中野稔)
[日本経済新聞夕刊2019年9月9日付]
12/11(水) FNN.jpプライムオンライン
面識のない女性に無理やり性的暴行をした疑いで、30歳の男が逮捕された。
金融会社社員の狩屋元紀容疑者(30)は12月8日、JR新宿駅の改札前で、面識のない帰宅途中の女性(20代)に声をかけて地下駐車場に連れて行き、性的暴行をした疑いが持たれている。
警視庁の調べに対し、狩屋容疑者は「合意の上だった」、「たまたま見かけたのが好きなタイプだった」と容疑を否認している。
【関連記事】
12/11(水) 日本テレビ系(NNN)
警視庁によると強制性交の疑いで逮捕された、三井住友カード社員・狩屋元紀容疑者は8日夜、JR新宿駅で20代の女性に声をかけ、駅の地下駐車場に連れ込んで性的暴行を加えた疑いがもたれている。
女性が酒に酔って、改札前でICカードを探していたところ、狩屋容疑者が「人の少ないところで探した方がいいよ」などど声をかけ、強引に連れていったという。
女性は被害にあった直後に交番へ相談に行き、そこに狩屋容疑者が女性の携帯電話などを落とし物として届け出たことで逮捕につながった。
調べに対し、狩屋容疑者は「合意の上だった」と容疑を否認している。
▼「用心」の重要性。
「用心」こそ、すさんだ社会にあって、身を守り、勝利していく肝要である。
▼さまざまな事故、事件が多発している世の中。
自ら丹念に、あらゆる想定を点検しなければならない。
▼「信念の人」「努力の人」「忍耐の人」責任感に裏打ちされた行動が大事なのだ。
▼刻一刻に形を変える状況に対して、いかなる手を打っていくのか。
絶え間なく知恵を絞る日々だ。
▼健康は知恵である。
幸福の知恵だ。
知恵で勝ち取る人生。
▼「自分は大丈夫」という判断が、落とし穴。
豊かな知恵と生命力で、健康を勝ち取る。
▼教育は人生最高の至難の芸術。
▼孤立・孤独に社会全体で向き合うべきだ。