▼心に読書と思索の時間をつくる。
▼変革は、子どもたちからはじまる。
教育により人権意識に目覚めた子どもたちが、友人に呼び掛け、地域に働き掛け、学校や教師、親たちも巻き込んで社会を変えていくのだ。
▼「人権を守る」といっても、決して難解なことではない。
同じように目の前の一人も大切にする。
生命尊厳の哲学から、人権の世紀は開いてゆく。
▼何が大切で何が必要かを見つけ、進化させる。
▼挑戦の人生に、どちらか一方が正解ということはないのだ。
大事なことは、最後まで自分で悩むこと。
そうして決めた方が正解かもしれない。
▼たった一度の人生なのに、いつの間にか失敗を恐れ、挑戦を避けている場合も少なくない。
▼学歴イコール知識・学力ではない。
まして、学歴イコール人間の能力ではない。
▼指導者には、知識・学力は必要ではあるが、同時にそれを生かす知恵こそ、不可欠である。
▼何よりも、他人を思いやる心や、自分を律する力など、人格、人間性の輝きといった事柄が、求められる。
▼多忙を極めると失いがちなのが、人と向き合う心の余裕。
「忙」という字を「心」が「亡ぶ」と書くのが合点がいく。
どんなに忙しくとも、悩める友を前にして「何か力にないか」と寄り添う心を、失いたくないものだ。
▼人間が人間らしくあること、本当の意味での充実感、幸福感は、<結びつき>を通してしか得られない。
▼支え合う人生を生きよう。
人のために心を使った分だけ、自分の心も大きくなり、時間の使い方も豊かになる。
▼人生勝利の要諦は、志を立てるとともに、その志を貫いていくことだ。
▼身を捨てて取り掛かりながら途中でためらえば、初志をはずかしめることになる。
「誓った願いは破ることがないようにしたい」
人生の価値を創造する
この言葉は、山岡荘八の小説「徳川家康」の中に使われている言葉です。
自分自身は何のために生まれてきたのか?
自分の人生の価値を、これからどのように創造していくべきか?
悩み苦悩する人生。
これからの生き方に対する<考える契機>になるのではないかと思い、山岡荘八の、“人生の価値を創造する”という言葉を、ここに紹介いたします。
人それぞれが創造する、人生の価値とは、自己を益し、周りを益し、社会を益し、国家を益し、いささかなりとも、文化の創造、発展に寄与する。
それは、具体的な行動を伴った価値になるであろうと、思われます。
そのような具体的な行動を伴った価値は、苦悩や努力なしには生まれず、苦悩や努力は、また、その人を育てる効果があといえるでしょう。
無論、人生の価値の具体的な創造は、人類普遍の価値のある、また、核となる原則に発するものであるはずですが、その意味で、人生の価値を創造するという言葉、含意はなはだ深いものがあると思われます。
~ お客様が喜ぶ『新しい顧客価値』の予測と創造について ~
Ⅰ.緒言 我々グループメンバー各社の共通した課題として、既存市場(主な顧客は消費者=BtoC市場) が成熟しつつあり、将来の成長に危機感があることが挙げられる。そのためには新しい顧客価値 を創造し市場を拡大していくことが必須と考える。そこで、ケーススタディとアンケート調査か ら新しい顧客価値を創造して持続的に企業成長するための戦略を研究した。
<仮説>「これまでに市場になかったお客様が喜ぶ価値」(=新しい顧客価値)を生み出し、 市場を拡大するためには、「新しい『顧客価値』の予測」が重要であり、その為には 1)社会の変化を予測している 2)既存市場での顧客のニーズを把握している 3)自社のコア技術を把握している
が有効である。
企業成長のための「顧客価値創造」戦略. ∼ お客様が喜ぶ『新しい顧客価値』の予測と創造について ∼. Ⅰ.緒言. 我々グループメンバー各社の共通した課題として、既存市場(主な顧客は消費者=BtoC市場). が成熟しつつあり、将来の成長に危機感があること ...
2019年12月6日 公明新聞
国際競争力の維持・強化に向け、企業の情報システムの刷新を早急に進めなければならない。
急速に進展するデジタル技術を活用した経営改革を企業に促す「改正情報処理促進法」が先週、成立した。
改正法の最大の柱は、日本企業の多くが直面している「2025年の崖」を克服することにある。
これは、人工知能(AI)など新しいデジタル技術の登場で世界的に産業のあり方が変化する中、日本企業の約8割が老朽化した情報システムを抱え、デジタル技術への対応が十分にできない現状を憂慮した言葉である。
日本企業は1970年代から、世界に先駆けてシステムの導入を進めてきた。ところが、抜本的な刷新を先送りし、必要に応じた改修だけを重ねてきた結果、システムが肥大化・複雑化し、社員でさえ内部構造が分からないブラックボックスになっているケースが多いという。
これを放置すれば、外国企業との競争に太刀打ちできなくなることに加え、システムの管理費用が増大し、企業のIT予算の大半を占めるようになる。
その経済的損失が数年後には年間12兆円にまで膨らみ、日本経済全体に深刻な影響を与える懸念があることから「2025年の崖」と呼ばれ、対策が急がれていた。
なぜシステムの刷新が進まないのか。
主な要因として指摘されるのが、デジタル技術を活用したビジネスに対する経営者の認識の甘さである。
このため改正法では、企業経営で情報システムを戦略的に活用するための指針「デジタルガバナンス・コード」を国が策定し、これを踏まえた優良な取り組みを行う企業を認定することなどを定めた。
認定を受けた企業は優秀な人材や投資を呼び込めることから、経営者の意識改革を促し、デジタル改革を後押しする効果が期待できよう。
企業にとって情報システムの刷新にかかるコストは大きいに違いない。しかし、「安物買いの銭失い」になりかねない現状は見直すべきである。今回の改正法を契機に、デジタル改革を積極的に進めてほしい。
2019.11.01 BizApp チャンネル編集部
「古い業務システム」を使い続けることに意味はあるのか?いわゆるレガシーシステムと呼ばれる業務システム達は、長らく企業ビジネスを根底から支え続けてきました。しかし、果たしてこれからも同じようにビジネスを支えらえるのでしょうか?答えは「NO」です。
レガシーシステムを運用し続けることには想定以上のリスクがあり、さまざまな弊害が予測できます。本稿では、現在もレガシーシステムを運用している企業に向けて、それが企業に与える影響についてご紹介します。
目次
21年以上運用している基幹系システムが6割に?
経済産業省が2018年9月7日に発表し、話題になった資料が『D X(デジタルトランスフォーメーション) レポート~ITシステム「2025年の崖」の克服とDXの本格的な展開~』です。この資料では、昨今の社会問題やビジネス課題から、2025年に顕在化する深刻な問題について示唆しており、同時にDX推進の必要性を明記しています。
同資料によると、2025年には21年以上運用している基幹系システムが経済界全体で6割に達すると予測しており、レガシーシステム化に警鐘を鳴らしています。
レガシーシステムが企業に与える弊害
セキュリティリスクが増大する
現代ビジネスを生きる企業にとって大きなリスクといえば、情報漏えいなどのセキュリティリスクです。社内端末をインターネットに接続している以上、外部からマルウェアに感染する可能性はゼロになりませんし、内部不正によって機密情報が漏えいする可能性もあります。
ハードウェアが老朽化すると、最新版のOSやソフトウェアが使えなくなることで脆弱性を抱えやすくなり、セキュリティ事件に繋がるようなリスクが頻出します。ハードウェアとソフトウェアが依存関係にあるようなレガシーシステムでは、既存環境から脱却することも難しいため、多数のセキュリティリスクを抱えながら運用していくことになります。
その対応としてセキュリティシステムを強化しても、コストばかりがかさんで十分な対策が取れない可能性があります。
運用コストがIT資産の9割以上に
レガシーシステムは古い技術を用いていることから、IT人材が不足したりすることでシステムの維持管理費が高額化する確率が高くなります。「2025年の崖」では、保守運用費用がIT予算の9割以上に達することになり、技術的負債を抱えやすくなります。
パフォーマンスの低下でビジネスが停滞する
レガシーシステムは、最新システムに比べて確実にパフォーマンスが低下します。それにより、ビジネスが停滞する恐れも出てきます。ビジネス上のパフォーマンスが十分に得られなければ、ビジネス要件を満足させることは難しく、顧客満足度を満たすこともできなくなります。
IT担当者の運用負担が増し、IT投資が難しくなる
レガシーシステムの運用には、IT担当者に大きな負担がかかります。すなわち、保守運用につきっきりになり、本来業務に集中できなくなる可能性がある、ということです。企業は適切なIT投資を目指して、事業成長に繋がるようなITに積極的に人材リソースなどを投じなければいけません。それができないとなると、ビジネスを今よりも成長させることは難しいでしょう。
爆発的に増加するデータに対応できない
最近では「ビッグデータ」という言葉をあまり聞かなくなりましたが、これはビッグデータブームが去ったわけではなく、一般的にデータと言えばビッグデータを指すようになったからです。すべての企業は過去から現在に至るまで大量のデータを保有しており、これを活用するためのシステムがビジネス目標達成のカギになります。
ところが、レガシーシステムは爆発的に増加するデータに対応できない側面があり、日々激化するデジタル競争に敗れるかもしれません。IoTやAI/機械学習が現代の基幹システムに必要不可欠になる時代ですから、レガシーシステムを使い続けることは競争力の低下を意味します。
優秀な人材リソースを生かせない
IT戦略を加速させるために、優秀な技術者を確保したとしても、レガシーシステムを運用し続けている限り古い技術に携わる時間の方が長くなり、技術者が持つ経験やスキルを発揮できないことになります。また、昨今のデジタルネイティブな世代には考えられないような古びたシステムでは、きっとやる気も削がれてしまうことになるでしょう。
日本では昔と比べて「横へのキャリアパス」が受け入れられるようになったおり、高い技術を持つ人材が最新技術を搭載している企業へとどんどん流れていきます。皆、自分が持つ経験やスキルを余すことなく発揮し、さらに新しい経験とスキルを積み上げたいと考えているので、当然といえば当然です。要するに、レガシーシステムを運用し続けている企業では、優秀な人材の確保が難しくなります。
レガシーシステムを効率よく刷新するには?
日本企業の基幹系システム刷新は、海外企業に比べてビッグプロジェクトになりやすい傾向があります。その理由は「IT環境に対する考え方」にあります。
たとえば、日本企業の多くは「業務プロセスにITを合わせる」という視点で、基幹系システムを構築します。ビジネス目標を達成するための業務プロセスがあり、それを実現するためにITを用いるという視点で考えています。
一方、海外企業は「ITに業務プロセスを合わせる」という視点で基幹系システムを構築します。企業ビジネスを根底から支える基幹系システムが前提として存在し、効率性を追求するために業務プロセスをシステムに合わせます。業務プロセスありきではなく、ITありきでビジネスを考えているということです。もちろん企業のコアコンピタンスに必要不可欠な部分は妥協をすることはありませんが、効率的に行えるものは効率化するという合理的な考えを持っています。
長く運用し続けているレガシーシステムを刷新するには、新しい視点を取り入れて基幹系システムを構築する必要があります。基本的には業務プロセスにITを合わせるのではなく、ITに業務プロセスを合わせる。そこには多少の業務改革が必要になりますが、レガシーシステムが実行してきた機能をそのまま新しいシステムに移行するのではなく、日々変化するビジネス要件へ都度対応できるように、未来志向型の基幹系システム構築を目指すことです。
レガシーシステム刷新に効くクラウドERP
2000年代に起きたERPブームでは、大規模な基幹系システムを導入するのに3年~5年という長い歳月を必要とするビッグプロジェクトが目立ちました。そのため、レガシーシステム刷新に際し「あの悪夢が再び…」と億劫になる情報システム担当者も多いでしょう。
しかしここ数年、レガシーシステム刷新を完了させる事例が頻出しています。その要因になっているのがMicrosoft Dynamics 365に代表される「クラウドERP」です。
クラウドERPは、インターネット経由で提供される基幹系システムであり、大規模なシステムを構築するのにサーバー調達やソフトウェアインストールなどは不要であり、そこにかかる労力をカットできます。
自社ビジネスに必要な基幹系システム環境について再考し、要件に沿ったクラウドERPを選定します。さらに必要最低限のカスタマイズを加えて、早々に運用することが可能です。レガシーシステムを刷新するにあたり、クラウドERPを検討してみましょう。古く弊害を与えるシステムを運用し続けるのではなく、未来志向型のシステムを目指してみてください。
すなわち思考力を身につけることです。
文部科学省は、プログラミング教育を通して育成する思考力を「プログラミング的思考」と呼んでいます。これは、プログラミングを行う能力そのものではなく、国語や算数などの科目、日常生活、社会に出た後などあらゆる場面で生かすことのできる汎用的な能力です。
では「プログラミング的思考」とは何でしょうか。新学習指導要領と同時に公示された「学習指導要領解説」で以下のように定義されています。
自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合わせが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号をどのように組み合わせたらいいのか、記号の組合わせをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、ということを論理的に考えていく力
端的に言うと、プログラミング的思考とは「コンピュータやプログラミングの概念にもとづいた問題解決型の思考」のことです。論理的思考や創造性、問題解決力など様々な要素から成り立ちます。
コンピューターは何かしらの処理を実行する際、処理をする対象を細かく分けて実行したり、繰り返しや条件分岐などを用います。大きなアプリケーションであっても、処理を細かく分け、実行しやすくしています。
プログラミング的思考とはこのように、目的やゴールから逆算し物事を順序立てて考え、結論を導き出し、実行することなのです。
この力は社会で生活する上で活かすことができます。何か大きな問題、複雑な課題が立ちはだかったとしても、まずはそれらの問題を小さな単位に分解し、取り組みやすくしたり、適切な打ち手を検証したりと、現実社会の問題解決にも応用することができます。
プログラムには言語の文法やコーディングスキルは欠かせませんが、それらは時代とともに移り変わっていきます。変わりゆく知識を覚えるのではなく、自ら考え、それらを形にしていく普遍的な「考える力」を身につけるためのプログラミング教育なのです。
プログラミング的思考の具体例
コンピューターに処理を実行されるには、以下の手順を踏む必要があります。
①どのような処理をさせるのか明確にする
②どのような動きをどのような順序で実行させるのかを考える
③命令をコンピューターが理解できる言語に置き換える
④指示をどのように組み合わせれば自分が考える動作を実現できるかを考える
例えば、コンピュータで正三角形を書く場合、「正三角形を書いて」のような命令は用意されていません。なので、コンピューターが理解できる命令を組み合わせ、それを実行させることを考える必要があります。
正多角形がもっている「辺の長さが全て等しい」、「角の大きさが全て等しい」、「円に内接する」、「中心角の大きさが全て等しい」のような正多角形の性質などから、どのように指示すれば意図した図形が仕上がるかを考えていくのです。
なぜプログラミング的思考が重要視されるのか
プログラミング的思考が重要視される理由としては、社会構造の変化が挙げられます。
IoT(モノのインターネット)やAI(人工知能)、ビッグデータなどのテクノロジーによって産業の形は変わりつつあります。これは第4次産業革命と呼ばれており、業務効率性や生産性は従来と比べものにならないほど飛躍的に向上します。先進国ではテクノロジーを活用したシステムの導入が進められています。
今後は身の回りにあふれている情報やICT(情報通信技術)を、能動的に、目的のために活用できるスキルが必要となります。そのスキルこそが発想力や論理的思考力、すなわち、プログラミング的思考なのです。
またAI(人工知能)の台頭によって現在の仕事の半数がなくなるとさえ言われています。しかしAIを駆使する全く新しい仕事が生まれるだろうと予測されているのも事実です。
数年後、数十年後の社会では、情報やICTに対し受け身の姿勢ではなく、自ら考え行動し、新しい仕事を生み出していく必要があります。
つまり社会構造の変化によって、自ら考える力がより重要になってきているのです。これがプログラミング的思考が重要視される理由です。
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新小学校学習指導要領におけるプログラミング教育 ... 未来の学びコンソーシアム 小学校プログラミング教育必修化に向けて」パンフレット ... 小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議 ...
金子 拓 (著)
内容紹介
天正10年(1582)6月2日、世にいう「本能寺の変」が勃発、織田信長を討ったのは彼の家臣・明智光秀だった。
いまだ謎めく謀叛の動機――。
その解明のカギは「主君」と「家臣」という2人の関係にある。
光秀の足跡を追いつつ、人物にも触れることで、信長殺害までのいきさつに迫る。
――日本史史上、もっともミステリアスでドラマティックな事件。
「なぜ光秀は主君信長を討ったのか」。
著者について
1967年山形県生まれ。95年、東北大学大学院文学研究科博士課程後期修了。博士(文学)。
専門は日本中世史。現在、東京大学史料編纂所准教授。
著書に『織田信長という歴史――「信長記」の彼方へ』(勉誠出版)、『織田信長〈天下人〉の実像』(講談社現代新書)、『織田信長権力論』(吉川弘文館)、『織田信長――不器用すぎた天下人』(河出書房新社)、『鳥居強右衛門――語り継がれる武士の魂』(平凡社)、編著に『長篠合戦の史料学――いくさの記憶』(勉誠出版)などがある。
文献歴史学からの明智光秀論。したがって信長が上洛してからの彼の活躍について最新の資料研究を踏まえた内容。
すでに的確なレビューが四つあるので、一点だけ感想を述べる。
織田信忠が武田勝頼と死闘を演じ、織田軍団の機動部隊として各地を転戦し後継者としての地位を固めている時期と、光秀が信長の側近(近畿管領?)として大活躍している時期は、当たり前だが重なる。
そして「信忠への代替わりの確定」と本能寺の変(武田氏を滅ぼした祝賀行事で家康は上洛していた)は重なる。
「代替わり」となれば、信長政権内で世代対立が無いわけがない。
そして何よりも武田氏の討滅後であるから、上杉、長宗我部、毛利(その先の北条、九州)との関係をどうするか?(どう"処分"するか?)についてアグレッシブな対立があったはずだ。この点について【織田信忠―天下人の嫡男】 (中公新書) と併読するといろんなイマジネーションが湧いてくるだろう。
「課長 島耕作」みたいなタイトルに思わず笑ってしまった。
その名の通り、織田信長の家臣として身を粉にして働く光秀の姿を、比較的確かな史料によりつつ描き出している。
足利義昭と信長との両属、丹波攻略など、テーマが絞られており、時系列ではあるものの、網羅的な内容にはなっていない。
その分、筆者の見解、推論が前面に出ているのが特徴で、一次史料から光秀の内面に迫る試みは、歴史解釈の広がりを感じられて面白い。
本能寺の変を巡って考察されている光秀の動機については、これまで見てきた諸々の説の中で、最も腑に落ちる説明だった。
すなわち、天正10年に入って立て続けに信長との軋轢が積み重なったところへ、絶好の機会が訪れたのでカッとなってやった、というもの。
現代の事件の解釈に通じるところがあるから、腑に落ちたのだろう。
また、光秀が負傷者や病気の相手をいたわる文書が目立って多く残されている、という点に着目している点も興味深く、印象に残った。
創作での光秀の人物造形にも影響しそうだ。
ただ、筆者の見解・推論が前面に出ている裏返しとして、根拠が弱そうな解釈、踏み込みの物足りなさも、散見される。
それを差し引いても、歴史学を通じて人物像を復元する面白さは十分に伝わってきた。
来年の大河に合わせ百花繚乱の光秀本。
とりあえず金子先生のを読む。
書名の通り、確かな史料のない光秀の前半生は省き、信長家臣時代の足跡を追う。
吉田兼見との交流や光秀の書状、とくに見舞いや私信などの紹介に章を割いているのが印象的で、残されたものから見える人間・明智光秀の姿を描いている。
またそこから導き出された著者なりの「本能寺の変」像も興味深いところ。
網羅的な本ではないが、史料に基づいて光秀に迫る面白さに満ちている。
’20年の大河を見据え、百花繚乱・玉石混交の様相を呈してきた出版業界。
自身それに乗せられ、ここ暫くで数冊目の読了となる"光秀本”。
そしてその中では、抜群に良著に感じました。
同ジャンルの中で、読者に手に取ってもらうには、あらゆる意味で際立ちが必要です。
そのせいか、今年に入り出版された"光秀本”は、(タイトル、帯のコピー含め)奇をてらったものがあったように感じます。
この一冊は、人間光秀を、多くの一次資料からあぶり出し、その上で、武将光秀が本能寺へと向かう道のりを、これも資料(後年のもの含め)から導き出しています。
そして読後には、このクーデターが、案外このようなシンプル?な動機から発生した、将と臣のボタンの掛け違いであった気がしてならなくなりました。
本能寺マニア、光秀好きには、強くお薦めの一冊です。
近年の織田信長論で有名な金子氏の著書はすべて読んでいるが他の著者と違うのはまず史料の性質から書かれている内容を整理しているので信頼してもいい。
1-3章光秀と関わる義昭藤孝兼見の人間関係を様々な史料から暴く。
4章光秀の書状を読んでその繊細な性格からこの時期の光秀の内面をとらえ心情が見てとれる。
これまでにない見解を示している。
5章光秀の丹波攻めに関しての光秀の動向と事績を事細かく迫る。
終章金子氏が論じる本能寺の変はあえて省略するが新説を出さなかっただけでも評価したい。
こればかりは個々の考えの違いもあるので難しい。
その本能寺の変の説は増えに増え続けており新説の類は近年更に複雑化している有様、これら本能寺の変を歪曲し複雑化しているのは誰なのかお考え願いたい。
これまで訳の分からないようなデタラメな軍記やら明智系図から探りなんの根拠もなく光秀の出自をむりやり暴こうとしてる筆者方々は単に新説作りの虚実だけの"実体が見えない明智光秀"の本しか書けないのである。
これではまったく参考にはならない。
よって時系列で明智光秀の説明が必要だと言う人には合わない。
美濃時代であったと思われる土岐氏に仕えていた、明智一族の事柄は省略しているからだ。
だが義昭が上洛してからの明智光秀の足どりは事細かく書かれており良質な史料の"本質"を見抜く金子氏の着眼点と洞察力は他の関連本より信頼できる。
近年では珍しく光秀の精神、心理である内面に焦点を当てた人間明智光秀に迫っているのは間違いない。
長宗我部元親と信長の間を仲介した明智光秀の信長怨恨再説を著者は提起する。
なかなか説得力ある実証である。
それは大いあり得たであろう。
信長への何の不満もなく、重臣である光秀が信長殺害を企てるはずがない。
連歌「時は今、あめが下知る五月かな」は、明確な信長殺害の決意を述べた作品である。
単なる思いつきではない。多少なりとも計画的な犯行である。本能寺での信長滞在を事前に熟知した光秀は、ワンチャンスを逃さなかった。それは美事な謀反であった。「敵は本能寺にあり」との有名なセリフ。
怨恨説は有力である。今年は明智光秀関連の歴史書が書店の歴史コーナーを埋め尽くしている。
本書と同時期に発売された新書版では、光秀の領国支配と信長のそれとの間に微妙な齟齬が生じていたことが指摘されている。
築城に駆り出される石工をはじめとする職人の仕事ぶりや馬廻衆などの迅速な対応、要するに合戦の準備が光秀の思うように進まなくなっていた。
光秀は領国統治を厳しくして厳格に対応する。
しかし、信長の命令を受けての度重なる合戦に光秀は疲れていた。
領国の民も同じである。
戦国武将であると共に、信長の重臣である光秀は信長の意向に逆らうわけにはいかなかった。
しかし、領国の民は悲鳴を挙げていた。
これ以上無理は出来ない。
信長を討つのは自分しかいない。
信長殺害は、領国の下からの突き上げによって自らも限界に達していた光秀の怒りが爆発したものであった。
歴史は武将たちの思惑のみで動いたのではない。
領国民のやり場のない怒りを無視することはできない。
突然沸いたチャンス到来。
光秀の謀反は成功したが、その後誰が自分の行動を支持してくれるのだろうか?
残念ながら光秀を支持してくれる大名のことを考えている余裕はなかった。
しかし、時は一刻の猶予もならない。
結局、引き返してはいけない。
光秀は限界状況下に置かれていたのである。
信長が死んだ後、二週間足らずで光秀は秀吉に打たれる 。情けない。
苦境からから脱け出すために、咄嗟に信長殺害を思いついた。
結果は計画性がなかった光秀の敗北に終わる。こうなるのもやむを得ない。
詳細は本書を熟読して欲しい。
お勧めの一冊だ。
![](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51i8ihg4uSL._SX323_BO1,204,203,200_.jpg)
内容紹介
明智光秀の生涯を描き、本能寺の変に至った経緯(諸説ある)とその後の明智氏周辺について概説する一冊。
近年あきらかとなった事実を踏まえ、"冷徹な謀反人"というイメージを覆すようなエピソードをもりこみ、明智像を描く。また、諸説ある本能寺の変の原因についても取り上げ、丁寧に考察を試みる。動乱の戦国を収束させ、平らかな世の実現を誰よりも望んでいた光秀の苦悩と真実に迫る。
内容(「BOOK」データベースより)
明智光秀は、なぜ信長を討ったのか。光秀について残る史料は多くない。
光秀単独の決断か、それとも黒幕がいたのか…本能寺の変は謎に満ちており、動機については五〇を超えるさまざまな説がある。本書は、近年再考されてきた新たな提起にも焦点をあて、光秀の知られざる生涯、信長の重臣としての名将・名奉行の業績、本能寺の変以前の苦悩を丹念に追い、光秀の真の姿や内面に迫る。
著者について
東京生まれ。早稲田大学文学部卒業後、公立学校教員を経て作家となる。第19回歴史文学賞入賞。日本文藝家協会会員、日本ペンクラブ会報委員会委員、鳩山町文化財保護委員/町史編纂委員、朝日カルチャーセンター講師、放送大学講師。
主な著書に『梅花二輪』『光る海へ』『ういろう物語』『恋する日本史』(以上、新人物往来社)、『戦国姫物語』『甲斐姫物語』(鳳書院)、「週刊 名城をゆく」(小学館)、「週刊 名将の決断」(朝日新聞出版)、『乙女でたどる日本史』(大和書房)、新書『真田一族と幸村の城』(KADOKAWA)、新書『列島縦断「幻の名城」を訪ねて』 (集英社)などがある。
![](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41ApYbOnxFL._SX351_BO1,204,203,200_.jpg)
「死去の直前までの10数年間、何かが起きるたびに、それをどう見たらよいのか、その『診断』を求めたくなるのが私にとって後藤田氏だった」(「解説」より)
筑紫哲也氏(ジャーナリスト)推奨!
中曽根内閣の官房長官で辣腕を振るい、歴代の政権にも隠然たる影響力を持った男・後藤田正晴――混乱する政局を舌鋒鋭く斬り、“カミソリ”の異名を取った彼の直言は、各界から幅広い支持を得てきた。そんな著者が自らの波瀾の人生を振り返った、貴重な戦後政官界の秘史が本書である。下巻は、田中派支配、中曽根内閣官房長官時代の秘話、田中派分裂、リクルート事件、連立政権誕生などを収録している。
※本書は、1998年6月に小社より刊行された『情と理――後藤田正晴回顧録』に一部加筆・修正を加えたものである。
内容(「BOOK」データベースより)
中曽根内閣の官房長官で辣腕を振るい、歴代の政権にも隠然たる影響力を持った男・後藤田正晴―混乱する政局を舌鋒鋭く斬り、“カミソリ”の異名を取った彼の直言は、各界から幅広い支持を得てきた。そんな著者が自らの波瀾の人生を振り返った、貴重な戦後政官界の秘史が本書である。下巻は、田中派支配、中曽根内閣官房長官時代の秘話、田中派分裂、リクルート事件、連立政権誕生などを収録している。
著者について
ごとうだ・まさはる―1914年、徳島県美郷村(現吉野川市)に生まれる。1939年、東京帝国大学法学部卒業。2005年9月19日、91歳で死去。1976年に衆議院議員に徳島全県区より初当選、以後7期連続当選。その間、法務大臣、副総理などを歴任。中曽根内閣では他派閥である田中派から官房長官に異例の抜擢をされ、以降通算3期を勤めた。鋭い舌鋒や認識力からカミソリ後藤田とあだ名され、長く権力の中枢に在った。内閣危機管理室の創始者としても知られる。
みくりや・たかし―1951年4月27日、東京都に生まれる。東京大学先端科学技術研究センター教授。専門は、日本政治史。東京大学法学部卒業後、同助手、東京都立大学法学部教授、政策研究大学院大学教授を経て、現職。東京都立大学名誉教授。アメリカ流のオーラル・ヒストリーの手法を日本に持ち込んだ。1996年、『政策の総合と権力』でサントリー学芸賞、1997年に『馬場恒吾の面目』で吉野作造賞を受賞した。
上巻に続き、読み応え満点の一冊。
改めて「官房長官」が内閣の鼎ないしはハブであることを感得。
更に、その持つべき資質としてはやはり、各種情報(インテリジェンスを含む)の「分析力」に優れていることはもちろんだ。
このボタンを押せは国内外で政府・民間を問わずどのような動きなり影響が喚起されるのかについての「想像力」。
主体的に収集しあるいは集まってきた情報を単に近視眼的に読み解くのではない。
歴史的かつグローバルなパースペクティブに再置して中長期の視点から吟味・解釈して断を下す「判断力」。
仲間うち(インナー)への配慮に堕すことなく公平に徹している。
しかし恩義や義理人情も忘れないといった「人間力」。
バランス感覚をもってこれらの能力を活用できる「総合力」。
ある面においては「調整力」)といった諸力が必須であることを教えられた。
聞き書(オーラル・ヒストリー)形式であるので基本的に「名著」という表現にはなじまないような気もするが、まごうことなき「傑作」対談である。
「田中角栄さん自身は自分の派閥からは候補者を本当は出したくないんですよ。
要するに、自分の派から総理総裁が出ると、自分の派閥そのものが田中さんからそちらの方に流れていく。
そういう心配を持つのは、政治家として当然ですからね。」(58頁)
「僕は素人でわからんけれど、こんなに金が出回っておって、しかも物価は上がっておらんよ。経済成長だってはるかに低いよ。・・・・・・ このお金はどこへ行ってるんだ。
・・・・・・ 赤字国債をゼロにするという考え方から見るならば、バブルがいいんですよね。
税収がどんどん自然増収として上がってくる。その自然増収で赤字国債の発行を抑えていったのだから。
・・・・・・ 要するに、どんどん過剰流動性となっているのを、当然規制すべき銀行行政が十全の作用をしなかった。
それが今日に至っている。」(144~6頁)
「二階堂擁立劇と税制改革劇において金丸さんが中曽根内閣を支えた実績、仕事ぶりが、のちに中曽根さんが竹下さんを後継者に指名することにつながっていったということです。」(192頁)
「ところが、佐々淳行君が、私が訓示をしたと言うんだな。僕はそんなこと言ったことがないと言ったら、書き物を持って来たんだ」
「ひとつは、省益を忘れ、国益を追え。二番目は、嫌な悪い事実まで報告せよ。三番目は、勇気をもって意見具申せよ。どういたしましょうかと言うな。四番目が、俺の仕事ではないと言うな」
「五番目が、決定が下ったならば、必ずそれに従え、そして実行せよ。これが五訓と言うんだそうですよ。僕は忘れていた。五つの訓えだと。これはあそこに勤務するものが絶対に心得てくれないといけない。今でも変わらないことです。とかく母屋を見てるんですよ。それは人事ですよ。これは会社にも適用できるんじゃないですか。」(207~8頁、「あそこ」とは内閣安全保障室長や内政審議室長などのこと)
「憲法というのは、国民が作るのであって、自主であるのは初めから決まっていることではないか。自主憲法という言葉自体は今日的な意味は持っていない。だからこの言葉は改めるべきであるという考え方を持っていた。」(344頁)
しかし、第14章を読むと、やはりどんな組織(特に日本の?)でも出世のためには、人事を含めいわゆるback office業務万象を理解・把握し、調整能力に長けていることが決め手となることを実感させられる。なお、つまらない話だが、363頁の「パテント」は「トレードマーク」であろう。さて、次は『聞き書 野中広務回顧録』を読む予定です。
本書は後藤田元副総理のオーラルヒストリー。
戦中から最近まで政官界の内情を詳しく論じていて、いろいろな読み方ができる。
一つの読み方としてはは、内部者でしか知り得ないたくさん事実が散りばめられているので、それらを追っていくだけで面白く読むことができる。
例えば、現皇太子殿下がロンドンに留学する際に、PLOに対して誘拐事件を起こさないよう世界中の過激派に徹底するよう依頼したことはほとんど知られていないのではないか。
もう一つの読み方は、後藤田氏の仕事に対する考え方を吸収するというもの。
仕事に対する心構えとして「五訓」が紹介されている。
また、重大な事柄を決める際には、憲法・法律の内容をきちんと確認してから物事を進めるという考え方が随所で記載されている。法律を整備せずに近道を取るのはなし崩しを招く、と氏は何回か強調している。
カミソリといわれた後藤田氏の考え方がよくわかる良書。
上巻は官僚世界を、下巻は政界の動きを中心として書かれています。
ある意味下巻はゴシップ的ですが、単なる暴露になっていないのは
後藤田さんの政治に対する姿勢が貫かれているからだと思いました。
岸さん中曽根さんへの評価も辛辣で気持ちがいい。まさにカミソリ。
上巻が主に後藤田氏の官僚時代を対象としていたのに対し、この下巻は政治家時代を対象にしている。本書を手にとる読者の大半のお目当てがこの下巻、特に後藤田氏の官房長官時代の記述だろうが、政治家としての当たり障りのないコメントとなってしまっていると思われる個所が少なく無く、個人的には上巻よりも舌鋒が鈍っているように感じた。
しかしながら、大韓航空撃墜事件、イラン・イラク戦争、PKOといった日本中を揺るがした大事件の内幕が本書を読むと垣間見えるので、非常に興味深かった。
また、宮澤内閣退陣後に後藤田氏を自民党の首班にしようという動きがあったことを本書を読んで初めて知った。本書は田中派の全盛期と崩壊を記した書物という一面も持っており、そのダイナミズムには驚かされた。
政治家、行政官、そして政治学者にとって、本書は必読書であろう。
内容紹介
天皇崇敬が民衆の中で高まるのはいつか。日本で唯一「大帝」と呼ばれた明治天皇の崩御から、明治から大正に変わる時期の東京に焦点を当て国家神道をとらえなおす。
内容(「BOOK」データベースより)
1912年、人々の心をとらえた「神聖天皇」。明治から大正にかわる100年ほど前、民衆の天皇崇敬が一気に高まり、その熱狂は国民の思想と言論の自由を徐々に奪っていく。その歴史的一大転換点をマスコミ・知識人の言動からドラマチックに実証し描き出す。
著者について
1948年、東京都生まれ。上智大学教授。東京大学名誉教授。宗教学、日本宗教史。編著に『シリーズ日本人と宗教――近世から近代へ』(全6巻)ほか。
2019年5月28日
・「プロローグ」において、「本書のねらいは、国家神道や神聖天皇崇敬がどのように人々に浸透し、社会生活を規制していったかを捉えることにある」(p.14)と記しています。2019.5.25
・「第1章 明治天皇崩御と国家神道の新たな展開」 2019.5.27
・「第2章 明治聖徳論の展開と天皇崩御」 2019.5.27
・「第3章 明治天皇の大喪と乃木希典の殉死」 2019.5.27
・「第4章 乃木希典の殉死と軍旗の神聖化」 2019.5.27
・「第5章 「軍国美談」のスーパーヒーローの誕生」 2019.5.27
・「第6章 明治天皇の崩御と大衆参加の神聖化」 2019.5.27
・「第7章 国民の「熱誠」と明治神宮創健への動き」 2019.5.27
・「第8章 二重橋前平癒祈願と大衆の「熱誠」」 2019.5.27
・「第9章 群衆が育てた国家神道」 2019.5.27
・「第10章 石橋湛山が捉えた集合的沸騰の日本」 2019.5.27
・「第11章 天皇への「熱誠」 の美化と桐生悠々の抵抗」 2019.5.27
・「第12章 知識人の神道観・天皇観の変容」 2019.5.27
・「第13章 皇室の一体性と国家神道の新展開 」 2019.5.28
・「第14章 天皇崇敬で高揚する群衆の系譜」 2019.5.28
・「第15章 日露戦争から戦後への群衆の昴揚 」 2019.5.28
・「第16章 治安と言論統制による天皇神聖化」 2019.5.28
・「第17章 皇室を究極的な善とする治安体制」 2019.5.28
・「第18章 大逆事件と世論誘導」 2019.5.28
・「第19章 大逆事件が呼び覚ました皇道論」 2019.5.28
・「第20章 国体論に基づく思想・言論の抑制を批判する可能性」 2019.5.28
・「第21章 天皇崇敬秩序に服する「かように」」 2019.5.28
・「第22章 知識人が国家神道を進んで担う時代 」 2019.5.28
・「第23章 神聖天皇に近づいていく学者・著述家ら」 2019.5.28
・「第24章 宗教運動が神聖天皇崇敬を増幅する」 2019.5.28
・「エピローグ」において、神道の定義が補足されており、「宗教神道」と「神社神道」のふたつに大別されるとしています(「神社神道」は「国
・「あとがき」 において、「本書が照らし出そうとしている歴史は、天皇と神道をめぐる「心の社会史」に焦点を当てたものである」(p.243) 2019.5.26
・「あとがき」において、本書の24の章は、月刊誌『春秋』(春秋社)とウェブ上の「はるとあき」に連載(2016.10-2019.3、2年半)されたものが基になっています(p.244)。2019.5.28
・章別に文献リストが入ってないのはやや残念。2019.5.27
・「索引」がないのはちょっと残念。2019.5.27
・「」での引用文が全体の3割と多い(論証の仕方が上手で、論証が十分になされている)。2019.5.27
・学術書であり啓蒙書(本文中に多くの文献がページ指定で引用されている)。2019.5.27
・分析視点は、表面的にとらえれば、国民とマスコミにポイントを置くように読み取れ、宗教としての神社神道(国家神道)が加わるものの(国民が国家神道の担い手のように読み取れる)、その時代的背景の軍部の支配的メカニズムに対し(日清戦争と日露戦争)、意識的に、分析視点の対象外に置いたように感じました。2019.5.27
・明治天皇の社会史的・宗教史的分析です。2019.5.27
・最初に考えていたよりもはるかに入りやすく読みやすく理解できます。2019.5.27
・写真(47枚)の挿入は的確になされています。2019.5.27
書評(総まとめ)
上記の評者の「感想ノート」を基に考察すれば、「明治天皇」という研究対象には、ふたつの視点(「社会背景から生じた軍部による神聖化」と「国民やマスコミや専門家などによる神聖化」)が考えられるものの、著者は、国民やマスコミや専門家などが、いかに、明治天皇の神聖化と国家神道の強い礎を築いたかの社会史を基礎にした宗教史的分析手法での「明治天皇論」「国家神道論」を体系化しました。
019.11.29
株式会社OSMIC、茨城県稲敷市、いちご株式会社、NECキャピタルソリューション株式会社
農業ベンチャーの株式会社OSMICは本日、茨城県稲敷市、いちご株式会社、NECキャピタルソリューション株式会社との間で、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の稲敷東インターチェンジの西側約51ヘクタールを対象に、“農”を中心に据えた官民連携のまちづくり協定に締結いたしましたので、下記の通りお知らせいたします。
OSMIC ランド
稲敷市は、昨年度に策定した「圏央道稲敷東IC周辺開発基本構想」により、この地にあった農業系の土地利用を基本とした“豊かな農地と調和した活力溢れる都市農村交流、産業集積拠点の形成”という基本方針を打ち出しました。
株式会社OSMICでは、高糖度フルーツトマトである“OSMICトマト”の周年栽培に成功し、その生産施設を全国に展開する中、“農と食のテーマパーク構想”を掲げています。
また、サステナブルインフラのいちご株式会社は、不動産を人々の健康や快適性を向上させ、暮らしをより豊かなものにするためのインフラとして捉えており、本年4月に弊社と業務提携契約を締結しています。
さらに、NECキャピタルソリューション株式会社は、2016年(平成28年)より農地所有適格法人の設立などに参画し、農業を通じた地域社会・経済の活性化を目指したまちづくりに取り組んでいます。
そのような4者によるまちづくりは、稲敷東IC周辺地域において、“農”を中心に据えた官民連携のまちづくりとして取り組んでいくプロジェクトです。
【規模】全体構想:約51ヘクタール
うち第1エリア:約12.7ヘクタール
【期間】全体構想:約10年
うち第1エリア:トマト生産ハウスなど、
2021年(令和3年)より順次オープン予定
【施設】トマト生産ハウス、レストラン・カフェ、マルシェ、
キャンプ・グランピング、貸農園、観光農園、宿泊施設、温浴施設など
(全体構想の施設を含む)
【主体】株式会社オスミックアグリ稲敷(仮)
●稲敷市
行政機関として、まちづくりの全体マネジメントとともに、住宅や道路のインフラの各種調整・整備促進など
●株式会社OSMIC
本事業のプロジェクトマネージャーとして、事業コーディネイト、トマトハウスや加工施設等の農業生産施設の整備・運営など
●いちご株式会社
不動産のプロフェッショナルとして、レストラン、マルシェ、キャンプ、宿泊施設等の参加型農業テーマパークの実現、発展を支援など
●NECキャピタルソリューション株式会社
金融サービスのプロフェッショナルとして、農業をはじめ、地域が抱える課題の解決に向けたまちづくり全般の資金・事業支援など
○株式会社OSMICの概要
所在地 : 東京都中央区日本橋茅場町二丁目9番8号 茅場町第2平和ビル
事業内容 : 土壌改良材の輸入、販売及び製造
肥料及び培土の製造、販売
農業ビジネス及び事業展開のコンサルティング
農作物の販売、プロモーション
設立日 : 2015年5月
代表 : 中川 英之(代表取締役 執行役員社長)
資本金 : 9,990万円(資本準備金2億5,505万円)
お問合せ先 : 株式会社OSMIC 事業本部(TEL 03-6667-0312)
広報窓口 : PR企画課(TEL 03-6667-0313)
○稲敷市の概要
所在地 : 茨城県稲敷市犬塚1570番地1
市制施行日 : 2005年3月(合併により誕生)
市長 : 筧 信太郎
お問合せ先 : 稲敷市 政策調整部 企業誘致推進室(TEL 029-892-2000)
○いちご株式会社の概要
所在地 : 東京都千代田区内幸町1丁目1番1号 帝国ホテルタワー
事業内容 : アセットマネジメント、心築(しんちく)、クリーンエネルギー事業
設立日 : 2000年3月
代表 : 長谷川 拓磨(代表執行役社長)
資本金 : 268億2,047万円
お問合せ先 : いちご株式会社 IR推進部(TEL 03-3502-4818)
○NECキャピタルソリューション株式会社の概要
所在地 : 東京都港区港南二丁目15番3号 品川インターシティ
事業内容 : 情報通信機器、事務用機器、産業用機械設備、
その他各種機器設備等のリース・割賦及びファクタリング、
融資、集金代行業務等
創立日 : 1978年11月30日
代表 : 今関 智雄(代表取締役社長)
資本金 : 37億7,688万円
お問合せ先 : NECキャピタルソリューション株式会社コミュニケーション部
(TEL 03-6720-8400)
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星野リゾートが魅力向上案
2019/11/22
星野リゾートが提案した千波湖畔の観光拠点施設(写真はイメージ)
県は同社の提案を参考に、有識者らを交えて魅力向上策を検討する。
構想では水戸観光の課題について「コト消費のイメージが不足」「象徴となる食がない」「魅力が点在」と列挙。千波湖畔にレストランや土産店を集めた拠点施設「MitoMix」、湖を望むホテル、地域活動拠点のコワーキングスペースを整える案を示した。
さらに観光エリアが道路などで分断されているため、千波湖エリア西側や偕楽園・歴史館エリアの一部を結ぶ一周1.5キロメートルのリング橋「MitoLink」を提案。自転車や徒歩で通れるようにする。
シェアサイクルや観光バスで水戸駅との移動手段も充実させる。
大井川和彦知事は「ダイナミックなアイデアが盛り込まれた」としつつ「ハードルが高い内容も含まれ、全ての提案がそのまま実現できるものではない」とコメント。ホテルなどをどこが建設するかは示されておらず、円形の橋にもコスト負担や景観面の課題が残る。
中村医師も警戒 アフガン
毎日新聞2019年12月7日
中村哲さんの遺体と対面する妻尚子さん(左)と長女秋子さん=アフガニスタンの病院で6日、AP
アフガニスタン東部で福岡市のNGO「ペシャワール会」現地代表で医師の中村哲さん(73)が殺害された事件を巡り、日本の外務省が襲撃計画に関する情報を11月中旬までに把握し、一時帰国していた中村さんに注意喚起をしていた。複数の日本政府関係者が明らかにした。地元当局も同様の情報を中村さんに伝達していたという。警戒を強化していたにもかかわらず、襲撃グループが周到な計画に沿って犯行に及んだ可能性が高まっている。
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事前に中村さん襲撃情報 地元州知事、犯行グループ「5人」
【シンガポール=森浩】アフガニスタン東部ナンガルハル州で、農業支援に取り組んでいた医師、中村哲さん(73)が殺害された事件で、州政府のミヤヘイル知事は6日、産経新聞現地スタッフの取材に対し、事前に中村さんが襲撃を受ける可能性があるとの情報があったことを明らかにした。情報の詳細については明らかにしなかったが、中村さんに関する警備を強化していたという。
【写真でみる】中村哲さんらが乗った車、窓ガラスは割られ…
ミヤヘイル氏によると、武装グループは計5人で、2台の車に分乗し、中村さんが乗った車を追走。進行を遮った後、銃撃した。ボディーガードと運転手の計5人は即死状態だったとみられる。ミヤヘイル氏は、武装グループの詳細については語らなかったものの、「国外で犯行が計画された可能性も視野に入れている」とも示唆した。犯行には、アフガンなどで流通する自動小銃「AK47」(カラシニコフ)が使用されたとの見方も示した。
事件の目撃者は、武装グループは襲撃後に車の内部を確認し、頭を上げた中村さんを見て、「まだ生きている」と叫び、再度発砲したとも証言している。武装グループは裾の長い民族衣装「シャルワール・カミーズ」を着ており、顔は隠していなかったという。
アフガン国内では中村さんに哀悼の意を示す動きが広がっており、首都カブールでは5日夜、日本大使館周辺で追悼行事が開かれた。参加した市民はろうそくとともに日本とアフガンの国旗を並べ、中村さんの死を悼んだ。
中村さんの家族や所属していた非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(福岡市)関係者は6日午後、遺体があるカブールに到着した。8日にも中村さんの遺体とともに帰国する予定。
12/7(土)
浦添署は6日、本島中部のホテルで女子中学生にみだらな行為をしたり、会員制交流サイト(SNS)を通じてわいせつな画像を要求したりしたとして、児童買春・児童ポルノ法違反容疑と県青少年保護育成条例違反容疑で、糸満市体育協会職員(24)=糸満市真栄里=を再逮捕した。
容疑者は11月18日、別の児童買春・児童ポルノ法違反容疑で同署に逮捕されていた。
わいせつな自画撮り画像を要求する行為は、県青少年保護育成条例違反第17条の4に抵触し、同条例施行後、初の摘発となった。
逮捕容疑は今年5月26日~11月9日の間、ホテルなどで県内に住む女子中学生が18歳未満と知りながらみだらな行為をしたり、わいせつな自画撮り画像を要求したりした疑い。県警少年課によると、容疑者と女子中学生はSNSを通じて知り合ったという。
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