競輪のレースは、先導する誘導員が居て、1周目から2週目に移行する中で各ラインの並びが定まって行く。
この日のレースは、異様であったのだ。
1コーナースタンドからは、選手に向かってヤジが激しく飛んでいた。
「オイ、高山帰れ、死んじまえ!」
「お前は、家で寝ていろ」
段々とヤジは辛辣となり、個人攻撃は陰湿になってゆくのだ。
「高山、足が白いぞ、お前は練習ろくにしてねえな!」
選手たちが周回を重ねごとに、ヤジは激しくなった。
ヤジの主は地元の元木たちが見たこともないヤクザ風の3人連れで、最前列の席で叫んでおり、ビンビンと響く声であり、怒声はドスが効いていて、選手の胸にグサリとっ刺さる鋭さを宿していた。
それに反発するように、中段から高山選手は早めに先行した。
ジャン前の発進であってスタンドからどよめきが起きた。
「高山、仕掛けが早すぎるぞ!」
そのファンの叫びを嘲笑うように高山選手は果敢に先行し、番手をマークする同県の春田選手を引き千切っしまったのだ。
スタンドは一層大きくどよめいて、本命ラインで車券を買っていたファンの夢を打ち砕いてしまった。
高山選手は理不尽なヤジに自棄になり暴走したとしか想われなかった。
元木は、ジャンの音を聞きながら、高木選手は2周近くを逃げ切ってしまうだろうと思ってみた。
追走する選手たちは、高木選手のハイペースに戸惑うともに、まだ互いに牽制し合うばかりだった。
暴走とも考えられる高山選手の走りに、他の選手らは楽にゴール前で捕らえられる、後は誰が主導権を握って追走するかに焦点が絞られたか、楽観的に見過ごされていたようだ。
だが、8人の選手たちはタカを括って、高山選手のマイペースの逃げを許してしまっていた。
スタンドの大きなどよめきに、選手たちが認識の誤り気付いた時は、高木選手は4コーナーを回り、直線へ向かっていた。
だが、残りの選手たちはまだ3コーナーから4コーナーに向かいつつあった。
結局、高山選手は50メートル以上の大差で逃げ切ってしまう。
そして、最も弱いラインの逃げ選手がゴール前の混戦のなかを抜け出し、2着を確保した。
その車券は2番高山選手から最も配当が高い、78・4倍の車券となった。
元木は、その車券を3万円買っていたのだ。
車番の2-8は、元木の誕生日11月28日から選んでいた。
彼の40歳の人生の区切りとして、ふところの10万円のうち3万円を2-8に投じたていた。
多くの競輪ファンの怒りの声や非難コウゴウとした言葉にならぬ叫びのなかで、元木は「やった!」と胸の内で喝采する。