創作 サラ金地獄 続編 2)

2021年11月23日 08時58分22秒 | 創作欄

島田真治はこれまで、土日の中央競馬であったのに、失業保険をもらって、月曜日から大井競馬場へ向かった

皮肉にも真治は、農協勤務の父親の伸一が不祥事を起こした同じ道をたどることになる。
過去の父親は、新宿の農協ビルの事務所から、品川にあった農協の関連事業所へ立ち寄ったあとに大井競馬へ行っていたのだ。
モノレールの方がアクセスがよかったのに、真治はそれに乗ることがはばかれた。
出張で羽田空港へ向かう仕事関係で懇意になった人たちと車内で出会う可能性があったからだ。
仕方なく品川駅から京浜急行で「立会川」駅へ向かう。
午前中から競馬場へ向かう人の姿がちらほら。
「自分もうらぶれた人間の一人か?」と自嘲する。
当時、コーチ屋や多数居て、「兄さん、情報があるよ」としつこく絡みつくのだ。
「何買うの」と穴場まで着いてくる。
「教えるよ。必ず当たる目だよ」
中には、「こんなに儲けた。俺は馬券のプロだよ」ズボンのポケットから札束を見せびらかす。
50万円ほどもありそうな一万円札の束だった。
彼らの一人が、真治の一万円札を脇から奪い取ると勝手に馬券を買う。
唖然するばかりだった。
小指がないので暴力団の一員と想わた。
「ほれ、代わりに買ってやった。的中するぞ!」とドスの利いた声だ。
的中したら、分け前を分捕る魂胆であろう。

真治はコーチ屋たちを避けるために500円を出して指定席へ入る。

気弱でお人よしに映じる50代の父親の伸一は不埒なコーチ屋のカモにされたのだ。
結局、この日、真治は持参した7万円を失う。
<金を失いたくない>と思うと本命志向となる。

隣接する馬主たちの席は何故か、浮き立っているように映じた。
だが、その日のレースは専門誌「勝馬」の本命サイドの予想は1レースも的中しなかったのだ。
暗澹たる気持ちとなり、「立会川」駅の近くの居酒屋へ入って、酒をあおり<こんなことでいいのか?!>と反省するばかりだった。
サラ金で金を借りてでも<リベンジ>だと短絡的にもなる。

 

参考

コーチ屋(コーチや、コーチヤともいう)とは、公営競技の施行場内外や場外投票券発売所で、投票券に関する自分の予想を教えたり買い目を指示するなどの行為を装い、客から金を詐取することを行う者を指す。

場内にいる場立ちの予想屋はその場の主催者が公認しているが、コーチ屋は非公認であり、詐欺罪で検挙された例もあるという

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1970年代のアイドルホースハイセイコーのデビュー地であり、大井競馬では6戦6勝(重賞・青雲賞も含む)。死去後に青雲賞はハイセイコー記念と改称し、あわせて馬像が作成され、大井競馬場の場内に設置されている(他に中山競馬場、新冠町)。

1950年(昭和25年)5月に開場。
同年8月には特別区に対し競馬開催が認可[1]され、10月に設立された特別区競馬組合[1]により、11月に第1回区営競馬が開催された。
敷地内には1954年から大井オートレース場も併設していたが、大井オートレース場は、1973年に廃止された。

かつては特別区のほかに東京都も競馬を主催していたが、1967年に東京都知事に就任した美濃部亮吉が都営ギャンブルの全廃を宣言。
東京都が年8回開催していた大井競馬については、1970年度(昭和45年度)から開催回数を減少させて1973年度(昭和48年度)までに廃止する方針を打ち出した。
これに対して特別区側は、都が減少させる開催分を肩代わりすることを宣言。
結果的に東京都が主催者の立場から撤退したのみで開催数に変化はなかった、現在は特別区のみが主催している。
ただし東京都は大井競馬場や地方競馬電話投票システムSPAT4の所有、運営を行っている東京都競馬株式会社の筆頭株主であり、現在も間接的に公営ギャンブルから利益を得ている。


受け入れ尊重すること

2021年11月23日 08時58分22秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼寛容と尊厳と調和を重んじる仏教。
ヒンズー教は自らの慣習にとらわれのではなく、世界を家族と見る傾向を強めている。
全人類は一つの家族、これがヒンズー教の教えだ。
仏教もヒンズー教も、他者に寛容であれと説く。
しかし、寛容であるだけでは、<差異認める>ことにとどまり、十分ではない。
二つの宗教は、差異を認めるだけではなく、受け入れ尊重することを教える。
そしてさらに、差異を祝福するよう促す。
▼紛争やテロのような残虐な行為が後を絶たない世界にあって、真に必要とされるのはこうした姿勢だ。
仏教もヒンズー教も「自己中心主義」から解放され、他者を差別し排除しようとする自分自身の偏狭な心と戦うよう、戒める。
今日の問題を解決する鍵もこうした自己との闘争にある。
▼「行動する仏教」は、思索にふけるだけではなく社会に尽くすことが、仏教者としての重要な生き方であることを教えている。
一つ一つの行動が仏教の「慈悲」を体現していると思う。
ヒンズー教では、慈悲とは「あらゆる被造物は一つに結ばれている」との信念に基づいている。
また、仏教でも慈悲の実践は「縁起」の法に基づく。
どちらも、生きとして生けるものは互いに連関していると見る。
ゆえに、慈悲の行為とは立場が上の人から下の人へ施すのでなく、自分も他者も分かちがたくつながっていることを、深く自覚するがゆえの実践であるといえる。
▼全ての人は平等に尊厳性が具わっており、ヒンズー教では「神性」、仏教では「仏性」と呼ぶ。
この精神に照らせばて、人を傷つける行為は断じて受け入れられない。
にもかかわらず、歴史上、宗教の名の下に暴力が繰り返されてきたのは事実である。
多くの場合、そうした暴力は狂信という形を取り、こう主張する。
<この道のみが真理への唯一の道である。続かなければ救われず、神から罰せられるであろう」と。
反対に仏教もヒンズー教も真理に至る道は多様であると説く。
その道は多様であり、全ての人に幸福になる可能性が具わっているという意味で、真理は何ら変わらない。
▼世俗を超越した価値観をもちながらも、世俗の中に生きる―これこそが見習うべき生き方の規範である。

 

 

 


ドクトル・ジバゴ

2021年11月23日 08時58分22秒 | 新聞を読もう
11月23日 午前5時15分からCSテレビのムービープラスで観る。
 
3時間余の映画だった。
 
ロシアであるが、英語なので違和感もあったが、映画の世界はロシアそのものに想われた。
時代背景がリアルである。
主人公も如何にもロシア人らしい風貌であった。
 
ドクトル・ジバゴ

ドクトル・ジバゴ
ロシア革命に翻弄された医者・ジバゴの、2人の女性への愛を綴った物語
1965年
アメリカ/イタリア

ロシアの文豪・ボリス・パステルナークの小説を、名匠デイヴィッド・リーン監督が映画化。戦争に分断されたロシアと愛に引き裂かれた人間の心を壮大なスケールで描き出す。

19世紀末、ロシア。裕福な家に生まれたユーリー・ジバゴは孤児となるが、科学者のグロメーコに引き取られる。ジバゴはその家の一人娘・トーニャと共に何不自由なく育てられ、やがて2人は愛しあうようになる。だが、2人の婚約パーティ当日、事件が起きる。

出演
オマー・シャリフ
ジュリー・クリスティ
トム・コートネイ
アレック・ギネス
ジェラルディン・チャップリン
リタ・トゥシンハム
ロッド・スタイガー
エイドリアン・コリ
イングリッド・ピット
シオバン・マッケンナ
ノエル・ウィルマン
監督
デヴィッド・リーン
原作
ボリス・パステルナーク
音楽
モーリス・ジャール
脚本
ロバート・ボルト
製作
カルロ・ポンティ

合衆国イタリア恋愛ドラマ映画

監督はイギリスのデヴィッド・リーン、出演はオマー・シャリフジュリー・クリスティなど。

原作はロシアの作家、ボリス・パステルナークによる同名小説『ドクトル・ジバゴ』。

モーリス・ジャールによる挿入曲「ラーラのテーマ」が有名

国境沿いのダムにて[編集]

第二次世界大戦後、ソビエト連邦の将軍、イエブグラフ・ジバゴは腹違いの弟の娘を探していた。そんな中、戦災孤児の中にその娘がいると知らされ、モンゴルとの国境近くのダムの事務所でトーニャと名乗る少女に出会う。トーニャは父と母の名前、顔、素性を知らず、イエブグラフが父と母の素性を明かしても狼狽するばかりであった。イエブグラフは彼女に、ユーリ・ジバゴの生涯を語り始める。

ユーリの出生[編集]

時は遡ること19世紀末、幼くして両親を亡くしたユーリは、モスクワに住む親戚のアレクサンドル・グロムイコ夫妻の家に引き取られる。両親の遺品はバラライカという楽器ただひとつ。寂しさを覚えながらも夫妻からの愛情を受け、ユーリは成長していく。

1913年医学生となったユーリは教授からも認められ、研究者になることを勧められる。しかし本人は医師免許を習得し、開業医になることを目指していた。本業の医者以外にも詩人としても才能を開花させ、フランスの新聞記事にも自身の詩が載った。また、ユーリはグロムイコ夫妻のひとり娘のトーニャと婚約しており、順風満帆な生活を送っていた。

美しき娘、ラーラ[編集]

一方、同じくモスクワに住む17歳の少女、ラーラは洋品店を営む母、アメリアと暮らしていた。ラーラにはボリシェヴィキに傾倒する青年、パーシャという恋人がいたが、母のパトロンである弁護士のコマロフスキーもまた、アメリアの娘であるラーラを狙っていた。

ある日の夜、貴族階級のパーティーが行われ、アメリアが出席する予定だったが、彼女は発熱してしまい、代わりに娘のラーラがコマロフスキーと共に出席することになった。会場に到着し、ダンスを踊る二人。そんな中、会場の外からインターナショナルが聴こえてきた。革命運動のデモ行進が起きたのだった。その中にはラーラの恋人、パーシャの姿もあった。彼らは群衆歌を一蹴し、パーティーの続きを楽しんだ。そのパーティーの帰り道、コマロフスキーはラーラに接吻した。一方のデモ隊は、ロシア帝国の騎馬隊により蹴散らされてしまう。家のバルコニーから様子を見ていたユーリは負傷者の手当てをしようとするが、憲兵に家に入るように命令され、仕方なく家に戻る。翌日、ユーリの婚約者のトーニャがフランスから帰国。二人は再会を喜ぶ。一方、パーシャが顔に火傷を負ってラーラの前に現れた。パーシャは官憲から追われており、ラーラに銃を預ける。その夜、ラーラは処女をコマロフスキーに奪われる。

そんな中、コマロフスキーとラーラの関係を勘ぐったアメリアが服毒自殺未遂を起こす。コマロフスキーから隠密に依頼された医師のカート教授は教え子のユーリを連れ、治療に向かう。そこでユーリはコマロフスキーとラーラの不貞関係に気づいてしまうのであった。ラーラは母のこともあり、何も知らないパーシャと結婚するとコマロフスキーに話す。そんな彼女を否定したコマロフスキーはラーラを強姦した。ラーラはショックと怒りに燃え、パーシャから預かった銃でコマロフスキーを殺すことを決意する。ラーラの向かったコマロフスキーがいるクリスマスパーティーの会場では、ユーリとトーニャの婚約が発表されていた。その瞬間、同じくその場にいたコマロフスキーに向かってラーラが発砲。ラーラは取り押さえられたが、コマロフスキーが「警察には突き出すな」と言った為、ラーラは駆けつけたパーシャと共にその場を逃れた。一方、コマロフスキーは弾が急所を逸れた為、一命をとりとめ、ユーリが彼の手当てをした。その中でコマロフスキーが彼女を軽蔑している事に対し、ユーリは不快感を覚える。パーシャのお陰でその場から逃れたラーラはパーシャと結婚。子を成した。

第一次世界大戦とロシア革命[編集]

時は流れ、第一次世界大戦が勃発。パーシャは軍に志願して前線に向かうが、帰ってこず、ラーラは看護婦として前線に向かい、夫を探していた。そんな中で同じく軍医として来ていたユーリと再会。ふたりで戦士らの治療にあたっていった。負傷者が全員退院し、ラーラに恋心が芽生えたユーリ。しかし、ラーラはそれを制止し、二人は別れる。

ユーリはモスクワに帰郷するが、ロシア革命が発生し、家の様子は一変していた。一軒家だった家は共同住宅となっており、薪ですら配当制。さらに、家の私有物まで没収されそうになる。そこに、腹違いの兄、イエブグラフが来た。共産党員であった兄だったが、兄との初対面を喜ぶユーリ。ユーリはロシア共産党を一定の評価はしつつも、入党は拒否した。イエブグラフはユーリの詩が批判されていることを伝え、ユーリは落ち込む。イエブグラフは一家の別荘があるベリキノへの疎開を勧める。

トーニャの賛同もあり、疎開を決めた一家は夜の汽車に乗り込む。その汽車の中でストレリニコフという、赤軍の将軍が民衆を苦しめていると聞くが、その正体はパーシャだった。汽車の停車中、事情聴取に呼び出されたユーリはパーシャと出会ったが、パーシャはラーラへの愛を失っており、ラーラがベリキノから遠くない、ユリアティン[注 1]という街にいることも聞く。

二人の再会[編集]

ベリキノに着いた一家は、もともと所有していた大きな家も没収され、案内人の紹介で近くのボロボロの小屋に住み、自給自足の生活を始める。そのなかで塞ぎがちになっていくユーリを心配した家族は町へ出掛けることを勧める。ユリアティンの図書館に向かったユーリはラーラと運命的な再会を果たす。二人はラーラの家に向かい、愛し合った。しかし、トーニャへの罪悪感からラーラと別れることを決め、ラーラもユーリの意思を尊重する。

ユーリはトーニャのお腹の子の薬を買うために街に向かう道中でパルチザンに拉致され、活動協力を強要される。しかし、彼らの活動はただの虐殺行為であり、危険を感じたユーリは活動から脱出。身一つで戻るが、出迎えて介抱してくれたのは、ラーラであった。トーニャやその家族はユーリが拉致されている間にモスクワに移っており、トーニャはラーラにユーリのバラライカを託していた。その後、トーニャ達はフランス国外追放された。

ラーラに看病してもらいながら、身を潜めていたユーリだったが、ある日突然、コマロフスキーが二人の前に姿を現した。今や司法大臣となっていたコマロフスキーはユーリの言動や思想が反革命的であること、ラーラもストレリニコフの妻ということで、これにより狙われていることから国外脱出を勧めるが、二人はその申し出を断る。そして、残り僅かな未来をベリキノで過ごす決意する。

取り押さえられていた例の家は放置され、氷の宮殿と化していた。その家で新たな生活を始めた二人。ユーリはラーラへの愛を詩に書き始めた。「私たち、もっと前に早く出会っていたら・・・」「言うな。むなしくなるだけだ」

しかし、彼らの幸せもそう長くは続かなかった。ある日、再びコマロフスキーが姿を現した。コマロフスキーはユーリにストレリニコフが失脚して殺害されたことを話す。白軍が消滅した今、ソ連にとってストレリニコフは、ただの邪魔者でしかなかったのだ。そしてその余波がラーラに迫っていることも話し、国外脱出を強く勧める。受け入れるユーリ。支度を済ませ悲しそうにソリに乗るラーラ。しかし、ソリの座席定員が足りず、ユーリはソリに乗らず、あとからついて来ると話してバラライカをラーラに託す。一行を見送るユーリ。すると突然、ユーリは家に戻り二階に駆け上がった。窓ガラスを割り、その先の大雪原に消えるラーラを悲しく見つめるユーリ。出発した汽車にユーリの姿はなかった。「彼はあなたに助けられようなんて思わないわ」と言うラーラにコマロフスキーは「奴は馬鹿だ」と言うだけであった。

二人の最期[編集]

その後、モスクワに戻り、兄のツテで医者の仕事に就いたユーリ。ある日、街中でラーラを見つける。ひたすら呼ぼうとするが、声が出ず、持病により心臓が麻痺してしまい、ラーラに気付かれることなく、死んでしまった。

その後、ユーリの埋葬でラーラはイエブグラフと出会う。ラーラは疎開先で生き別れてしまったユーリとラーラの間に生まれた子供を捜した。二人は懸命に捜索したが、見つかることなく、ラーラは強制収容所に連行され、亡くなったという。

両親の物語を聞いたトーニャは涙を流した。「でも父とは、戦火の中ではぐれた」と言うトーニャにイエブグラフは「それは実の父ではなく、コマロフスキーだ。だから手を放してしまった。親なら絶対に離さない」と言う。そしてトーニャに今後の協力を申し出る。そこへダムの操作をしているトーニャの恋人が迎えに来た。二人を見送るイエブグラフは、トーニャの背中にバラライカがあることに気づく。事務所からイエブグラフが、「トーニャ、バラライカが弾けるのか?」と訊ねると、恋人が「えぇ、プロ顔負けです」と答えた。「誰かに教わったのか?」「いいえ、誰にも」「遺伝だな」

外のダムには美しいが架かっていた。

アカデミー賞で5部門を受賞した。

画像1

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《これで神から遺言された義務を果たし得たのです》 このパステルナークの言葉が納得できる一冊
1905年鉄道スト、1917年二月革命に始まる労働者蜂起、ボリシェヴィキ政権、スターリン独裁、大粛清――
激動のロシア革命期を知識人として奇蹟的に生き抜き、ロシア大地と人々各々の生活を描き切った、何度でも読みたくなる傑作スペクタクル!
すすみ行き、すすみ行き、《永遠の記憶》を歌い、やがて停止すると、人の足も、棺を挽く馬も、立つ風も、最後の時の聖歌を惰性でまだ歌いつづけているようだった。
通りすがりの人たちは道をあけ、花輪の数をかぞえ、十字を切った。物見好きなものたちは列に割り込んでたずねた。《どなたのおとむらいでしょうか?》《ジヴァゴです》――と返事が返された。――《道理で。それならわかります》――《いいえ、彼ではなく、奥さまです》――
(本書冒頭より)

 

著者について

工藤正廣 [くどう まさひろ]
1943年青森県黒石生まれ。北海道大学卒。現在同大学名誉教授。ロシア文学者・詩人。 著書に『パステルナーク 詩人の夏』『ドクトル・ジバゴ論攷』『ロシア/詩的言語の未来を読む』『新サハリン紀行』『TSUGARU』『ロシアの恋』『片歌紀行』等、訳書にパステルナーク抒情詩集全7冊、7冊40年にわたる訳業を1冊にまとめた『パステルナーク全抒情詩集』、『ユリウシュ・スウォヴァツキ詩抄』、フレーブニコフ『シャーマンとヴィーナス』、アフマートワ『夕べ』、チェーホフ『中二階のある家』、ピリニャーク『機械と狼』(川端香男里との共訳)、パステルナーク『リュヴェルスの少女時代』『物語』、ロープシン『蒼ざめた馬 漆黒の馬』など
 
 
大変な時間を時間を要して読み上げました。約20時間。

古い世代には、ララのテーマなる音楽で有名なハリウッド大作の原作として認知されてきました。そういうドラマチックな筋立をもち、それがゆえにハーレクインスばりの通俗小説みたいなものにすぎない、新潮文庫は絶版、岩波文庫におさまるでなし、傑作と言及する人をまず見かけないのもそういう理由、流し読みできるだろうとおもっていたのですが。

しかし、すこし読み進めれば、まさにロシア文学とよぶにふさわしい骨太の文学、けれど、ドストエフスキー、トルストイの十九世紀小説のようにはいかないとも理解できたのでした。ああ、これは映画から興味をもって近づいた人をほとんどはじき飛ばしたのだろうなあ、『アンナカレーニナ』『戦争と平和』なら映像素材からはいったひとが小説のファンになるのと大違いだと。

まず、ロシア革命とその前後の歴史を少なくとも高校で習う程度はしらないとかなり厳しいかと。たとえば、ケレンスキー、カデット、プレハーノフ、トロツキー、憲法制定会議ぐらいでは訳注はつかない。そこから先に、高校ではさほど学ばないロシア内戦の複雑なパワーバランスの話が控えていて、ここらを調べないと登場人物たちのおかれている状況、裏切りと密告、粛正の嵐をすっきりとは理解できない。それに時間が必要でした。

また、大変な数の登場人物を覚えておかないと、思わぬ再会を果たしても「誰だっけ、このひと」と感動できない(だらだら読まないで、一気に読める時間を確保して読むのがおすすめ)。読了してから巻末に人物一覧を発見したが、ほとんどネタバレぎみで使えない。また、ロシア式の多彩な呼称を知らないと、よく知った人物ですら「だれこれ」となる。

なにより、文章は香気あふれ、自然描写も詩性にとんだものでこれをちゃんと味わわないと、場面の基調が理解できない。ここらの訳業はすばらしい (冒頭の「すすみ行き、すすみ行き、《永遠の記憶》を歌い、やがて停止すると、人の足も、棺を挽く馬も、立つ風も、最後の時の聖歌を惰性でまだ歌いつづけているようだった」で撃ち抜かれる)。筋を追うためにと読み飛ばせない。また、非常に重要な情報、場面の転換をもたらす内容が大げさを表現ではなく、また、やや複雑な修辞で伝えられるので、常に緊張して読み続けないと、「予感」なしで筋がおおきく進行していて「なんだなんだ」となって読みかえすことに。冒頭で示した訳のごとき日本語の使い手なら、こんな箇所は簡単に処理してわかりやすくしたり、ある種単調で不自然な会話なんかを「生き生きとした人間の言葉」に訳しくだすのなど造作もないことだったでしょう。が、愚直といえるほど原文のニュアンスをそのまま移し替えたのだと思われます。そうして、私たちはゆっくりとこの物語を咀嚼することになるのです。

ただ、そうやって必要なことをしらべ、メモをとり、集中して読み続ければ、心震わせる読書の時間をもてるでしょう。いまではずいぶん安くなった「不倫」が昔は運命との戦いともいえる切実な倫理問題だったことを思い出しました。生きている唯一の理由といえる家族をみずから斧であやめる兵士といった忘れがたい細部に満ちてもいます。

東西冷戦でわりをくったんだなあと。ノーベル賞を辞退させられたことでなく、西側陣営のプロパガンダに使えるから授賞したという、見当外れな評価をうけたことがです。
 
 
 
「ジヴァゴ」を読んだのは3度目である。最初は30代の頃、2度目は40代のとき、そして50代のいま、久しぶりに新訳で読み返してみたわけが、今回がいちばん時間がかかったように思う。間が十年もあいていると、ディテールについてはほとんど忘れているから、一行一行が実に新鮮で、とくにパステルナークの場合、小説の散文としては密度が濃すぎるぐらいの彫りこまれた詩的文体だから、それを味わいつつ行を追っていくだけで飽きない。そういう読み方をするには、パステルナークの詩を40年にわたって訳し続けてきた工藤氏による今回の新訳はもってこいのものだろう。訳者自身、「多少のごつごつした点があっても、とにかく原文の言葉をできるかぎり、忠実に起こして、解釈や入れ台詞などなしに、作者の肉声を伝えることだ」と書いているが、読み終えるのに時間がかかったのもその辺に理由の一端があるのかもしれない。
 もちろん江川卓の旧訳が悪いというのではない。筋を追いながらぐんぐん読み進めていくには、むしろ江川訳の方が日本語としては読みやすくていいのではないか。「ジヴァゴ」を初めて読もうという若い人には文庫版をすすめるが、その江川訳の新潮文庫が長らく絶版状態だというのは困ったものだ。この新訳に難点があるとすれば、辺見庸が言うように値段が高価すぎることと、もうひとつ本が重すぎることだ。小生、寝る前にベッドで本を読む習慣なので、この新訳を読んでいる間中、腕や肩が凝って困った。せめて上下巻の2分冊にしてほしかった。
 
 
かつてノーベル賞を授与されながら御用作家ショーロホフをさしおいて、というので作家同盟から非難されて辞退、という経緯から同情され、また映画化でも知られるが、映画を観た感じは「戦争と革命の激動の時代を生きたインテリもて男のロマン」という感じで、デジャビュ感ありありだった。ところが書き方が独特なので、通俗小説的には読めない。この翻訳は巻末に、各登場人物の詳しい紹介があって、それであらすじが分かる。ラーラに「本作のヒロイン」とあり、コズロフスキーには「本作で唯一の悪人」とあったりして妙に笑える。ラーラとコズロフスキーって『罪と罰』のドゥーニャと
スヴィドリガイロフそっくりなのだが、果たしてこれは名作なのか・・・?まああらすじが分かるのがいい。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

創作 サラ金地獄 続編

2021年11月23日 05時34分55秒 | 創作欄

勤務する会社の同僚であった佐々木佳子は言っていた。
「私28歳で結婚するわ。そして、亡くなった芦屋の母のように、着物姿で過ごすの」
いわゆる、上品で着物が似合う憧れの蘆屋婦人である。
佳子の母は、貿易商の娘として育ち、美人でおっとりしていた。
性格が勝気な佳子とは全く性格が異なっていて、母の性格を受け継いだのは妹の貴子だった。
幼稚園の頃から娘二人に洋舞を習わせいたが、佳子は小学生3年で止めてしまう。
佳子は勝気なのに妹のようには上達しなかったからだ。
足は速かったので徒競走では誰にも負ける気がしなかった。
足が速いのは父親の大輔に似たようだ。
「俺は元は陸上選手だ」と自慢していたのだ。
佳子のミニスカートの足は、高校生まで短距離選手だったことを彷彿されるものだった。
「太くてこの足、嫌だな」と水着姿の時に彼女は言う。
夏になると二人は勤める会社に近い赤坂プリンスホテルのプールで泳いでいた。
島田真治は1歳年上の佳子と3年間、付き合うこことなる。
「二人は腐れ縁ね」と佳子は言う。
佳子が恋をして、真治が聞き役となる。
「及び難いと思うと、一層、思いが募るものなのね」佳子が涙を流すのだ。
勝気な佳子が新しい恋をして、真治の心は穏やかではなかったので、佳子が失恋したことで、真治は平常心を取り戻した。
「これで、競馬場へ行かずに佳子と共に居られる」と皮肉な想いに駆られた。
「私と真ちゃん、似合わないわ。真ちゃんには田舎娘が合うと思うの」
失恋を繰り返した佳子は皮肉にも、夜の六本木の街に立つ女に転落していく。
「私、贅沢な女だから」と真治を突き放すことも。
つまり安月給の同僚とは深い仲にはなれないことを告げていたのだ。
サラ金にまで手を染めて競馬狂に落ちる契機ともなる。
「もう、お別れだ」と決意し、真治は退社して無職になったことが、さらなる悪夢の始まりとなる。

だが、彼女は女友達を介して「佳子さんが、しきりに会いたがっています」とアパートに電話をしてきた。
「何事か」と胸騒ぎがして、彼女の渋谷のアパートに向かう。
「真ちゃん、やはり来てくれたのね。嬉しい、とっても」この笑顔に惑わされ続けられたのだ、と憮然とする。
「会社を突然辞めるなんて心配かけて。今どうなの?」いつものように優しくハグするのだ。
こうしたスキンシップに、翻弄されてきたのだと思うが、彼女の胸の温もりに気持ちが高ぶってきた。
「やはり、二人は腐れ縁なのよ。いいわね。真ちゃ私の気持ち理解してくれているわね」優しい声が甘えるように彼の耳に届く。

 


ドイツで感染者が増加 日本は落ち着いているがその違いは?【新型コロナワクチンの疑問に答える】

2021年11月23日 04時04分50秒 | 医科・歯科・介護

11/20(土) 9:06配信

日刊ゲンダイDIGITAL
ドイツのミュンヘンにある集中治療室で新型コロナウイルスに感染した患者の世話をする医療従事者(C)ロイター

【新型コロナワクチンの疑問に答える】#42

 新型コロナウイルスの感染者が欧米を中心に増えている。ドイツのロベルト・コッホ研究所の発表(15日現在)によると、過去7日間に新型コロナに感染した人は10万人当たり303人で、前日の289人から増加。歴代最高記録を更新しているという。日本では感染状況が落ち着いているが、この違いは?

【Q】BBCニュースによれば、第4波が訪れているドイツでは1日あたりの感染者数が5万人を超えたという。その原因は?

【A】「ドイツでは、必要回数のワクチン接種率が67.5%で、日本の75%に比べると低いものの世界的に見れば高い水準にあります。ただし若い世代の接種率が伸び悩み、7割の壁を越えられません。そのうえ人流が多く、マスクをしていない人々が多くいるのが原因かと思われます。

 英国も感染拡大していますが、4割は未接種の子どもと報じられています。英国では、アストラゼネカ製のウイルスベクターワクチンを使っているため、ワクチン自身の免疫力がファイザーやモデルナよりも弱いことも問題としてあります。

 フランスでも6割ほどのワクチン接種者がいますが、感染者はまだ2万人程度とあまり減ってはいません。これも政府が人流を抑制するような対策を取らず、マスクを外している人も多く、感染予防をしっかりしていないためです。こうした国々と日本との大きな違いは、アルコール消毒やマスクの着用、人流抑制など、基本的な対策を徹底しているかどうかだと思います」

【Q】日本でも、12月から2回目の接種から8カ月経った人を対象にワクチンの3回目の接種が始まる。感染者数は減っているが、打つべきか?

【A】「現在、2度接種しているにもかかわらず、ブレークスルーを起こしているのは80~90代の人が多い。40~50代はまだ免疫が残っているため、そこまで多くありません。もとより80歳以上の高齢者は病院や施設などに入居されている人が多く、ワクチンを打っていても免疫反応が強くなくて抗体価が十分上がっていない人も少なくない。それがクラスターを生む原因にもなっています。

 彼らのほとんどは6カ月ほど前に2回打ち終えています。そのため私もそうですが、抗体は4分の1以下になっている人が非常に多いと思われます。こうした人たちには、やはり3回目の接種が必要でしょう」

 イスラエルでは3回目のワクチン接種率が4割程度だが、感染者が減少している状態だ。11月1日から海外旅行客も受け入れている。

 対象者から徐々に接種していくことで、拡大は抑えられているという。

◆10月28日に連載が単行本になりました。3回目の接種や子どもたちの接種など、まだまだ知りたい情報をQ&A形式で答えます。
「ワクチン接種の不安が消える コロナワクチン114の疑問にすべて答えます」
(発行:日刊現代 発売:講談社)

(奥田研爾/横浜市立大学名誉教授)