世界が認める日本の寿司だけど外国人に嫌われているネタNo.1は?外国人に聞いてみた!

2021年11月12日 21時42分31秒 | 日記・断片

取手駅前の日高屋のほか、家人のおごりで月に1、2回、寿司屋へ行く。
「今日、亀寿司へ行くけど、来る」と問われる。

寿司好きなので、「行く」と二つ返事で応じる。
バイクで亀寿司向かう家人、当方は歩き。

まずはビールである。
家人は友人を誘うこともある。

その友人は、亀寿司で以前働いていたそうだが、当方は無縁であった。
実は当時、駅近隣のスナックやバー、パブ、クラブなどに行っていて、ほとんど寿司は食べていなかったのだ。
いわゆる大衆酒場、居酒屋へはほとん行かなかった。
つまり、女性たちに囲まれてアルコール類を飲んでいた。
そのため日本酒ともほとんど無縁であったのだ。
現在は、年相応に居酒屋派となる。

 

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livejapan.

公.開日: 2019/09/29
更新日: 2020/06/30
 
外国人に、「日本のグルメといえば?」と問いかけたとき、「スシ!」と答える人が多いのではないだろうか。しかし、実際のところ、海外の人が本当に好きな寿司ネタ、そして嫌いな寿司ネタが何か知らない人も多いのでは。そこで、日本に住む外国人17人を対象にアンケート調査を実施!


意外なネタを好きだという意見もあれば、普段みんなが言わないことだから嫌いな寿司を言えてスッキリした!と答えるユニークな人も。外国人たちが本当に好きな寿司と嫌いな寿司を発表!

人気No.1はこのネタ!日本人とは視点の違うコメントが

人気No.1はこのネタ!日本人とは視点の違うコメントが

外国人たちから「好き!」という声が最も多かったのは「マグロ」。ジャパニーズ寿司といえば、やっぱりこのネタ。さまざまなコメントが集まった。

「マグロは食感が不思議だけどおいしい!アボカドが好きだから、海苔で巻いてあるアボカドマグロロールが大好き!」(20代/女性/アメリカ)

「感触が肉っぽいからおいしい」(20代/男性/フランス)

寿司といえばマグロだね。なかでも中トロが一番好き。〆で大トロ一貫!海外では、サーモンを食べ慣れている人が多いけれど、寿司といえばサーモンじゃないよ」(30代/男性/韓国)

「味が好き。大トロ イズ ナンバーワン!」(30代/男性/フランス)

肉っぽいからおいしいとは意外!なかなかツウな男性の回答も。結果を見ると、若年層から支持されているようだ。

 
マグロと同じくらい人気が高いのは、日本人も大好きなあのネタ!

人気ナンバーワンのマグロと並ぶほど、支持されたのは「サーモン」。日本の回転寿司でもお馴染みのネタは、外国人にも高評価だった。

「アメリカのお寿司屋さんにもあったし、馴染み深い。日本の回転寿司でもよく食べるよ」(20代/女性/アメリカ)

「魚独特の臭みがないのが食べやすくていいよね。脂がのっているところがおいしい!」(20代/男性/中国)

「サーモン大好き~!絶対に注文しちゃう!」(20代/女性/韓国)

ちなみに、魚や寿司にまつわる海外事情について、こんなコメントも。

ファミレスに行くとサーモンのおかずが多い。韓国の場合、バイキングみたいにサラダコーナーに置いてある。マグロよりは主流かな」(30代/男性/韓国)

「お寿司っていうとアメリカ人は、サーモンが入っているカリフォルニアロールみたいなものと思っている子が多いかも」(20代/女性/アメリカ)

母国でも身近な食材だからこそ、日本のお寿司屋さんで注文する人が多いのだろう。

嫌いなネタNo.1はこのネタ!半数以上が「食べられない!」寿司ネタは?

嫌いなネタNo.1はこのネタ!半数以上が「食べられない!」寿司ネタは?

次にご紹介するのは、外国人たちが苦手なお寿司。多くの国の人たちが「ごめんなさい、どうしても無理!」と挙げたのは、意外なネタだった。

「イカ。生はいや、焼いたら好き」(20代/女性/アメリカ)

「硬くて噛むのが大変だから苦手です」(20代/女性/オーストラリア)

「イカのぬるぬるしている感じが嫌い。においもいや。見た目も怖い」(20代/男性/フランス)

「焼きイカは食べるけど、イカ寿司は食べない。味がないから。生では食べないね」(20代/男性/中国)

生きたままを食べられる、イカの踊り食いも、見た目が怖い上、まして生で食べるなど、外国人からしたら「アリエナイ!」だそう。しかし、味はあるはず……焼くと食べられて、むしろ好きなことにも驚き。

 
生で食べ慣れていないネタはやっぱりNG!

イカ以外にも、やはり生モノが苦手だという回答がちらほら。「生だから」というだけで食べることを拒否する人も。

「いくらは、生の卵だから無理!見た目もいや」(20代/女性/アメリカ)

「生のエビは、臭いが強いのであまり食べたいと思いません」(20代/男性/フランス)

「生で食べる習慣がないから、いくらは食べ慣れない。しめ鯖も生っぽくてハードルが高い。エビ・カニも食べたいと思わないな」(20代/男性/韓国)

海外では、日本ほど衛生管理に長けていない、小さい頃から、生で食べる習慣がない=生魚が苦手とのことで、寿司は基本食べないとの回答が多数、見受けられた。

意外!苦手な人が多そうに思えるネタ、実はファン多数

 

ここからは、少数派の意見をピックアップ!意外だったのは、苦手な人が多そうな寿司ネタを好きと答える人がいたこと。

「僕はウニが一番好き!本当においしいと思う」(20代/男性/中国)

「私の国ではウナギを食べる人は少ないみたいだけど、ウナギも穴子も大好きよ!」(20代/女性/アメリカ)

「濃厚な味付けが好きだから、穴子とウニは濃厚な感じがたまらない!」(20代/女性/オーストラリア)

日本らしい、醤油の甘ダレがウケるのだろうか。ウナギや穴子が好きという声は、特に女性の意見が多数。ウニが嫌いだったけど、新鮮なものを食べたら、「今まで食べたものはなんだったのだろう?」と思うほどの衝撃を受けて好きになった、なんて声も。

カルチャーショック!?寿司にまつわる深~いエピソード

 

最後に番外編。寿司ネタについて聞いたはずが、寿司にまつわるエピソードを話してくれた人もいた。

「サーモンを注文しようと思ったのに、『生サーモン』『あぶりサーモン』『トロサーモン』って種類がたくさんありすぎて分からなかった。どれを頼めば、私が想像する『サーモン』が出てくるの?」(20代/女性/カナダ)

「ボーイフレンドとお寿司屋さんに行ったときに、『カニミソ』っていうのがあったの。カニも好きだし、ミソも好きだから、カニ+ミソだと思って頼んだら、グロテスクなカニの内臓だったの!ボーイフレンドはおいしそうに食べていた。アリエナイ!」(20代/女性/アメリカ)

「ある日、母親がエビを大量に箱買いしてきて、夕飯に必ずメインで味を変えながら1カ月食べ続けて以来、嫌いになったし食べたくない。でも、海苔で巻いて2つに切ってある、エビ天巻はむしろ好きなんだよね」(30代/男性/韓国)

さらに、日本在住歴が長い人は、普段から抱えている“ある不満”が爆発。

「マグロのどこがおいしいか全然わからない!サーモンと比べるものじゃない!僕は全然マグロを食べたくないのに…日本の友達よ!みんな勧めてこないで!…あ~、スッキリした。普段、言えないことだからね。ありがとう!」(20代/男性/中国)

なかには、母国では嫌いだった寿司も、日本に来たら好きになったという回答も。さまざまなエピソードが飛び出した寿司アンケート。それだけ、日本の寿司が世界で注目されている証拠かも!?これからも、多くの人に、日本の寿司を好きになってもらえますように!

 

専門家が指摘「日本のコロナ死者数は過小評価されている」

2021年11月12日 21時11分04秒 | 社会・文化・政治・経済

11/12(金) 15:50配信

女性自身
厚生労働省が発表している日本のコロナ死者数は、かなり過小評価されているという。

最近では新規感染者数は落ち着きを見せてはいるものの、これまで多くの死者を出してきた新型コロナ。その実態は私たちが見聞きする数字よりさらに深刻なのだという――。

【グラフあり】大阪府の毎月のコロナ死者数

「政府や自治体が発表している新型コロナの死者数は、実態を正確に反映していません。とくにコロナの死者数が多い自治体は、もっと関連死が多いと考えられます」

そう話すのは、北海道在住の元公務員で、統計学に詳しい桑原修さん。

桑原さんは、総務省が発表している人口動態調査をもとに、コロナ前の’18年1月から今年8月まで「毎月の全死者数」を都道府県ごとにグラフ化。さらに、NHKが集計している「毎月の新型コロナ死者数」も、’20年1月から直近まで都道府県ごとにグラフ化した。これらのグラフを比較すると、本来カウントされるべき「本当のコロナ死者数(関連死含む)」が見えてくるという。

「たとえば、人口100万人当たりのコロナ死者数がもっとも多い大阪府(345.7人)の『毎月の死者数』(画像参照)を見てください。’19年5月の死者数は約7500人であるのに対し、’21年5月の死者数は8901人。約1400人増加しています。これはコロナ第4波の影響と考えられます。いっぽう、’21年5月の『大阪府の毎月の新型コロナ死者数』(画像参照)は859人。増加した1400人から差し引くと、じつに500人あまりが捕捉されていないコロナ死か、医療崩壊が原因で適切な医療が受けられなかった“コロナ関連死”の可能性があります。コロナ対策に定評がある鳥取や島根は例年通りの死者数ですから、大阪は適切なコロナ対策ができていなかったのでは……」

この差は、何が原因で生じてしまうのか。新型コロナウイルスの感染予測に定評があり、『誰がコロナ禍を悪化させたのか?』(扶桑社)の著書もある工学博士の牧田寛さんは次のように語る。

「桑原さんが指摘するように、厚生労働省が発表している日本のコロナ死者数は、かなり過小評価されています。米ワシントン大学保健指標評価研究所(IHME)の試算では、日本のコロナ死者数は公表されている2~4倍に見積もられています」

なぜ、日本のコロナ死亡者は過小評価されてしまうのだろう。牧田さんは、「コロナの死亡統計にある2つの欠陥」を理由に挙げる。

「ひとつは、厚労省がPCR検査数を絞ってきたので、陽性者数を正しく把握できていないこと。もうひとつは、警察庁が発表する“変死者”のうち、コロナ罹患者だった方の数が含まれていないことです。今年4月から9月だけでも、全国の変死者のうち最大627人(直接死因で389人)がコロナ陽性で統計から漏れていたことも明らかになっています。保健所がひっ迫していたため、死亡報告が20~40日遅延していることも大きな原因です。新規感染が下火になりつつあった今年9月以降、大阪、東京、沖縄などではコロナ死亡者数が増加傾向にあり、今月に入ってもなかなか減らないのは遅延報告のためです」

こうして、カウントされていないコロナ死やコロナ関連死が増加しているのだという。

「大阪府の、コロナによる“本当の死亡者数”は、発表されている人数の2倍であってもおかしくないと考えます」(牧田さん)

そうなると、桑原さんが指摘した’21年5月の大阪の「本当のコロナ死者数」は、859人の2倍、約1700人という計算になる。

報告されている、今年1~8月の大阪府のコロナ死者数は約2200人。実際にはその倍の4000人以上が亡くなっていることも考えられるのだ。

「人口100万人当たりの死者数」だけでなく、「最近1年の全死者に対するコロナ死の割合」でも3.02%とワーストだった大阪。いったい何が原因だったのか。

「明らかに“行政災害”です。保健所の職員も減らされていましたし、吉村知事はイソジンがコロナに効くとか、大阪ワクチンを作るとか、いろいろぶち上げたものの結局すべて不発に。経済を重視するあまり、緊急事態宣言解除を2月末に前倒ししました。さらにコロナ病床も削減したところに、アルファ株が一気に広がり、第4波の惨事を招いたのです」(牧田さん)

■府立病院の民営化でコロナ対応が後手に

「厚労省にも大きな責任がある」と断じるのは、『日本の医療崩壊をくい止める』(泉町書房)の著書もあるNPO法人医療制度研究会・副理事で医師の本田宏さんだ。

「不採算部門である感染症に対応できるのは、採算を度外視して医療に当たれる公立や公的病院です。しかし厚労省は、医療費削減のため公立・公的病院を統廃合して病床削減を行ってきました。特に大阪は、東京都に先んじて府立病院を独立行政法人化(民営化)した結果、スタッフの人件費が削られ、人工呼吸器を装着できるベテランの看護師も減っていたと聞いています。重症者の受入れセンターを作っても、患者の受入れが進まなかった背景には、こうした厚労省の政策の失態もある」

10月以降、数字上では感染拡大が落ち着きを見せているものの、第6波の到来を懸念する声は多い。

これまでのような惨事を繰り返さないために何が必要なのか。医療ガバナンス研究所理事長の上昌広さんは次のように警鐘を鳴らす。

「すぐにでも、高齢者をはじめとしたワクチンの3回目接種を始めるべきです。ワクチンは十分確保できているのに、厚労省内部の手続きが遅れていて、12月からの開始になってしまった。これでは第6波に間に合わず、再び高齢者の死亡が増加する恐れがあります。また、アメリカのメルク社が開発したコロナ経口薬の確保でも厚労省は後れをとっている。こちらも急がなくてはなりません」(上さん)

私たちが見聞きしている数字より、さらに深刻なコロナ死の実情。ウイルスにとって都合がよいとされる、空気が冷たく乾燥する季節を前に、けっして油断は禁物だ。

 

 


T細胞とは?

2021年11月12日 16時12分26秒 | 新聞を読もう

ウイルスに感染した細胞をウイルスごと排除できるキラーT細胞は、免疫細胞の中でも感染症の遷延や重篤化を防ぐ上で主要な役割を果たしています。 
免疫系は、異なる特異性を持つ抗原受容体を発現するT細胞集団を一定数準備しておくことで、未知の抗原に対する反応性を保証しています。

2021/08/23

T細胞の話  結核と免疫の働き
結核研究所基礎研究部 分子病理学科長 菅原 勇

 
 免疫系におけるT細胞の話について説明致します。 分かりやすくするためにあえて専門的なことは簡単に触れるようにし、Q &A式にしました。
 
Q1. 免疫とは何ですか?
 人類は昔から1度伝染病にかかると次はその病気にかかりにくくなる事を経験的に知っていました。この2度目に伝染病にかからないという事を、「疫病から免れる」という意味で、ラテン語の課役を免除される「immunitus」を語源に「免疫、(immunity)」と名付けました。 しかし、免疫反応が病原微生物だけでなく生体内に侵入してきたタンパクなどに対しても起こることが明らかになり、現在、免疫は異物(非自己)の侵入から自己を防衛する生体反応と位置づけられるようになりました。

つまり免疫反応とは「自己」と「非自己」(文字どおり自己でないこと!)をはっきりと認識、区別して「自己」以外のものを排除する機構なのです。
 では、どのように自己と非自己が区別されるのでしょうか。この認識の指標となるのが細胞表面上のMHC(主要組織適合遺伝子複合体)と呼ばれるタンパクです。 ヒトではHLA(ヒト白血球抗原)と呼ばれます。

HLA抗原は自己の証明書のようにすべての細胞に存在します。 これを認識し自己と非自己を区別しているのがT細胞なのです。
図1 免疫担当細胞(T細胞、B細胞)の分化

Q2. T細胞にはどんな種類がありますか?
  T細胞は胸腺で教育されて分化するため、胸腺(Thymus)の頭文字を取りT細胞と命名されました。胸腺はT細胞の学校です。

T細胞はその機能によって、免疫応答を促進するヘルパーT細胞、逆に免疫反応を抑制するサプレッサーT細胞、病原体に感染した細胞や癌細胞を直接殺すキラーT細胞などに分類されます。

このT細胞のほかに免疫担当細胞としてはB細胞、マクロファージ、樹状細胞等がありますが、ここでは便宜上T細胞とB細胞の発達を記しました(図1)。

T細胞の機能は胸腺を出ていく際、既に決定されています。T細胞の起源である幹細胞は骨髄から供給され、胸腺に入ると急速に分裂増殖を始めます。 すると、胸腺でT細胞に2種類のテストが行われます。

一つは自己のHLAを認識できるか、もう一つは自己のHLAと強く反応し自己を排除してしまうかです。

胸腺で教育を受けた後で、このテストに合格しなかったT細胞は容赦なく殺されます。このテストは大変厳しく合格率は5%しかありません。
 機能の異なるT細胞を形態によって分類することは困難なため、その主な分類は細胞表面のタンパクを利用して行われます。 このタンパクは細胞マーカーと呼ばれCDと表記されます。ヘルパーT細胞はCD4、キラーT細胞とサプレッサーT細胞はCD8を持っています。
Q3. T細胞が無くなるとどうなりますか?
 結論から言いますと、T細胞が無くなることは生体にとって致命的です。例えば、体毛のないヌードマウスは胸腺を持っていないためにT細胞が存在しません。

このマウスは感染に対して非常に弱く自然界では生存できません。ヒトのガン細胞を移植しても移植組織(非自己)に対するT細胞による拒絶現象が起こらず、ガン細胞の増殖によって生理機能が侵されマウスは死んでしまいます。

このように免疫系のなかで中心的役割を果たしているT細胞が無くなると免疫機能全体が弱まり、その結果、いろいろな病原体の体内への侵入を許してしまいます。
 侵入してくる病原体には、免疫系全体が完全ならば決して体内に侵入することのないような弱いのも含まれます。つまり、弱い殺菌でも人間を死に至らすほどの病原体となってしまうのです。

ヒトでT細胞が欠損する遺伝病が知られています。たとえばDi George症候群では、T細胞がないためウイルスや結核などにかかりやすくなります。
Q4.  結核とはどういう病気ですか。免疫と関係がありますか。
 結核とは結核菌(M. tuberculosis) に感染することにより起こる病気です。健康な人は結核菌が感染しても発病する可能性は低いのですが、体力の消耗、高齢化といった原因が存在すると、免疫系に異常が生じるため体内に進入した結核菌は除去されません。

とくに結核菌は通常は菌を食べて殺すマクロファージという細胞に寄生して増えるので、結核菌を殺す役目を持つキラーT細胞の働きが重要です。

マクロファージも結核菌を殺しますが、キラーT細胞の機能が低下しているとますます結核菌が増殖してはマクロファージを殺すという具合に悪循環になります。

事実、老人で結核症が増加しています。私も別の病気で治療を受けて死後、病理解剖で結核と分かった症例を何例も経験しています。

普通の場合、結核の進展に伴い肉芽腫の形成が見られますが、これらの症例では結核の肉芽腫を作らず膿瘍、結核性髄膜炎が見られます。 このように結核と免疫、とくにT細胞とは深い関係があるのです。

Q5. エイズとはどんな病気ですか。

T細胞と関係がありますか。
 エイズ(後天性免疫不全症候群)はHIVというウイルスで発症する疾患です。 このウイルスはCD4という分子を持つ細胞に好んで感染します。CD4分子を持つ細胞の代表格はヘルパーT細胞ですからHIV感染によりヘルパーT細胞が死滅してしまいます。

ヘルパーT細胞の役目は他の免疫の働きを助け、ウイルス、原虫、結核菌を体内から除去するようにしむけることなので、この細胞がいなくなることによりこれら病原体が増殖して様々な病気を引き起こします。 感染症の場合、日和見感染(ひよりみかんせん)と言います。

例えば、ニューモシスチス・カリニ肺炎がエイズ患者に多く報告されたことが皆さんの耳に新しいでしょう。 正常人なら感染しない病原体が、免疫力の低下とともに猛威を振るうのです。 それによってエイズ患者が結核にかかる割合も増加します。

また、マクロファージも少しCD4を持っているので、慢性になるとHIVに殺されてしまいます。 エイズ患者の病理解剖でリンパ節に存在するはずのマクロファージが消失していた例を知っています。
Q6.  エイズの流行と結核の関係はどうなっていますか。
 エイズの流行とともに結核が増えてきました。エイズの流行以来、アメリカでは結核で死ぬ人の年齢分布が高齢者と若年者の2峰性になっています。 エイズが流行に伴って若い人の結核死の数と率が増加しているのです。

アメリカで結核が復活したのはいろいろな原因が考えられますが、
①過去の結核感染者で不顕性感染状態にあったのが、エイズによる免疫低下のため結核が再活性化したため、
②エイズのため免疫不全に陥っている人が、新しく結核菌に感染して急性に発病に向かったため、
の二つの点が重要と考えられます。 WHOの集計によると、世界中で400万人以上が、結核菌とHIVの両方に感染しています。

困ったことに、1980年代からアメリカで多剤耐性結核菌による症例が目立って増加しています。 今何とかしないと治せる病気である結核がまたもや治せない病気の仲間入りする結果になるでしょう。

90年以来、アメリカでエイズ患者の多剤耐性結核菌による結核が集団的に発生しています。 診断を早めることにより伝染の危険性を減らし、不治の病気をうつされる恐怖から解放されなければならないでしょう。

この意味でアメリカの症例は日本の結核研究に大変参考になります。
Q6.  ツベルクリン反応と免疫とは関係がありますか。
 はい、 ツベルクリン反応は免疫反応です。 結核菌を培養した上清液から抽出したツベルクリンタンパクを、結核菌に感染したヒトの皮内に少量注射します。

2~3日後発赤、硬結をともなった局所炎症反応が出現します。この炎症反応は注射数時間以内に現れる即時型皮膚過敏反応と区別して、遅延型過敏反応と呼ばれます。 すでに結核に感染している場合、マクロファージ、ヘルパーT細胞、サイトカイン(細胞から分泌される反応調整物質)は、前に一度結核菌に遭って活性化しています。

そこにツベルクリンという結核菌のタンパクが入ってくると、Tリンパ球が刺激され、サイトカインを放出し、多彩な細胞性反応がそれに引き続いて起こり、最終的に皮内局所にマクロファージを主とする細胞が集まり、充血がもたらされるというわけです。 これが炎症です。

以上がツベルクリン反応の大まかな原理です。 ですからこの反応が陽性だと結核感染の有無が分かるのです。

このように一つの反応にマクロファージ、ヘルパーT細胞、ツベルクリン抗原、サイトカインがお互いに関連しているのです。 実に、免疫反応はとても複雑で精密なコンピュータのように作動します。 いったんこのコンピュータが狂うと大変なことが起こるのが分かると思います。
 

Updated 97/10/16


新型コロナウイルスにさらされまくっても陰性反応しか出ない人がいる理由

2021年11月12日 16時02分12秒 | 医科・歯科・介護

11/11(木) 19:00配信

クーリエ・ジャポン

電子顕微鏡で見たヒトのT細胞Photo: Callista Images/Getty Images

ワクチン接種前から新型コロナウイルスに対する免疫で守られていた医療従事者が一定数いることが、イギリスでの最新の研究から判明した。英紙「ガーディアン」科学担当の記者が紹介する。

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家族中が新型コロナウイルスに感染したのに自分だけは陽性反応がまったく出なかったという人が、あなたの周りにもいるだろう。科学者たちがこの度、その一因を発見した。

一部の人が「感染未遂」を経験していることがわかったのだ。ウイルスが体内に入っても最初期の段階で免疫系のT細胞に除去され、PCR検査や抗体検査では陰性の結果が出ることになる。

パンデミックの第一波が押し寄せた頃の英国ロンドンで働いていた医療従事者で追跡調査した人たちのうち、約15%がこの状況に合致していたようだ。

この発見により、そうしたT細胞の反応を誘導する新世代ワクチンへの道が開けるかもしれないと科学者たちは言う。

ユニバーシティー・カレッジ・ロンドンの免疫学者で、今回の論文の主執筆者であるレオ・スワドリングは次のように述べている。

「ウイルスにさらされても感染しない人たちがいるという事例証拠は、誰もがつかんでいました。わからなかったのは、そうした人たちが実際にウイルスを完全に回避できたのか、それとも定期検査で特定される前に自然にウイルスを除去できていたのかです」

過去にひいた風邪のおかげ?
今回の研究は、医療従事者を集中的に検査し、パンデミック第一波のあいだの感染の兆候と免疫反応を見たものだ。

ウイルスにさらされるリスクが高かったにもかかわらず、いずれの時点でも新型コロナ陽性反応が検出されなかった参加者は58人いた。

ところが、この人たちから採取された血液サンプルを調べると、パンデミックが本格化する前に採取されたサンプルやウイルスにまったくさらされていなかった人たちと比べて、新型コロナに反応するT細胞が増加していたことがわかったのだ。ウイルス感染を示す別の血液マーカーも増加していた。

この研究から示されたのは、一部の人がすでにメモリーT細胞を保持していたということだ。そのメモリーT細胞は、過去に風邪の原因となるほかの季節性コロナウイルスに感染したときにできたもので、それがこの人たちを新型コロナからも守ってくれたことになる。

T細胞はどうやって新型コロナを撃退できたのか
こうした免疫細胞が「嗅ぎ分ける」のは、ウイルスの複製構造(新型コロナと季節性コロナに共通の領域)にあるタンパク質だ。この反応が、一部の人の体内では充分に速く強力なために、感染が最初期の段階で除去される。

「こうした既存のT細胞が準備万端で、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)を認識できたのです」とスワドリングは言う。

新型コロナにさらされたあと、完全に感染を免れる場合から重症化する場合まで、さまざまな可能性の幅があることが知られているが、今回の研究はその幅をさらに広げるものだ。

レディング大学で生物医学技術を研究するアレクサンダー・エドワーズ准教授は次のように述べる。

「この研究が特定したのは(新しい)中間的な結果だ。免疫系の一部が発動するほどのウイルスにはさらされるが、発症したり、有意レベルのウイルスが発見されたり、抗体反応が開始されたりするほどではないという──」

現在のワクチンの脆弱性を補完するワクチン?
この発見はとくに重要な意味を帯びている。免疫反応のT細胞部隊は、より長く持続する免疫力をもたらしてくれるからだ。抗体だとその持続力は数ヵ月ほどだが、T細胞だと免疫力が通常は何年も持続する。

既存の新型コロナワクチンのほぼすべてが主眼にしているのは、新型コロナがヒトの細胞に侵入するのを助けるスパイクタンパク質に対する抗体を用意することだ。こうした中和抗体は、重症化に対して優秀な予防効果を発揮する。

だが、その免疫力はやがて減少していく。こうしたスパイクベースのワクチンには潜在的な脆弱性もある。ウイルスのスパイク部分が変異することが知られているからだ。

対照的に、T細胞反応はそれほど速く弱まらない傾向がある。またT細胞がターゲットにするウイルス内部の複製構造は、コロナウイルス全般で高度に保持されている。つまり、ワクチンでもウイルスのその領域をターゲットにすれば、新たな変異株や、さらにはまったく新しい病原体に対する予防になるかもしれないということだ。

「この研究で得られた洞察は、これまでとは異なる型のワクチンを設計するうえで極めて重要なものになりえます」と言うのは、カーディフ大学医学部で感染症を研究するアンドリュー・フリードマン准教授だ。

「コロナウイルス全般に共有されているタンパク質を狙うT細胞の免疫を用意するワクチンは、中和抗体を誘導するスパイクワクチンを補完することになるでしょう。ウイルス内のそうした成分に対して、抗体はそれほど効果を発揮できないからです。そこで、T細胞の出番というわけです」

 


感染者“激減”の理由 ウイルス研究者と感染症専門医の見解 マスクない生活はいつ戻る?

2021年11月12日 15時56分56秒 | 医科・歯科・介護

11/12(金) 11:31配信

テレビ静岡NEWS

静岡県内では新型コロナウイルスの新規感染者数が1カ月以上10人未満となっている。第6波の到来が懸念される中、なぜこれほどまでに感染者が激減しているのか。ウイルスの研究者と感染症の専門医にそれぞれの視点から話を聞いた。

【関連】「接種券が届いたので…」医療従事者の女性 新型コロナワクチン4回接種

人出が増え 徐々に日常を取り戻す
静岡県内の感染者数の変化

猛威をふるった新型コロナウイルス。県内でも一時は1日の新規感染者数が600人を超えるなど感染拡大が続いていた。しかし9月以降徐々に減り始め、現在では一桁台が続く落ち着いた状況だ。

緊急事態宣言の解除から1カ月あまり。静岡市の中心市街地の人出も徐々に増えてきた。街の人たちの生活はどう変わっているのか。

人出が徐々に戻っている静岡市中心部

女性 「なんとなく安心して出れるような感じ」

男性 「ちょっと出かけれられるようになった気がするので、これから旅行とか考えようと思ってますけど、ちょっとまだ怖いですね」

高校生 「部活が前までできなかったけれど、できるようになってきています」

男性 「ワクチンを打って気が緩んだと言ったら変ですけど、外に出る機会は増えたと思います」

ハマーカーン・吉原健太店長「(売り上げ)は3倍くらいに」

静岡市葵区呉服町にある居酒屋では...

ハマーカーン・吉原健太店長:
緊急事態宣言が明けてから徐々に増えてきた感じはありますね。(売り上げが)3倍くらいですかね

しかし新型コロナ前の売り上げにはまだ届いておらず、忘年会シーズンを万全の感染対策を取りながら迎えたいと話している。

飲食店は忘年会シーズンに期待を寄せる

ハマーカーン・吉原健太店長:
料理を小分けにしたり、要望があれば席を離して案内したり、個室の需要もあります。お客様にいっぱい来てもらった方が楽しみがあるので、来てほしいですね

第6波への不安も残るが、徐々に日常を取り戻しつつある。

ウイルス研究者が指摘 「感染力失っている」
国立遺伝学研究所(静岡・三島市)の井ノ上逸朗教授

なぜ感染者数がここまで急激に減少しているのか。

静岡県三島市にある国立遺伝学研究所。ここでゲノム医学の研究をしている井ノ上逸朗教授に見解を聞いた。

井ノ上逸朗教授:
ワクチン接種が普及したとか、みなさんが意識したというのもありますし、人流がどうというのもありますけど、そもそもウイルスが感染力を失ってると思う

井ノ上教授は日本でいま「ウイルスの死滅」が起きていると説明している。

アジア・オセアニアの人が持つ“酵素”が影響か

アジア・オセアニアの人が持つ“酵素”が影響か
井ノ上教授は「ウイルスの死滅」が起きたと指摘

井ノ上逸朗教授:
「nsp14」は修復酵素になります

井ノ上教授によると、ウイルスが増殖する際にゲノムをコピーすると、ミスで変異が起きることがある。ウイルスにはこの変異を修復する酵素があるが、この修復酵素の機能が低下するとウイルスに変異が蓄積されていく。

変異が蓄積されたウイルスは増殖できなくなり、死滅するということだ。

ウイルスが増殖する際、ゲノムに変異が起きる

修復酵素の機能低下について井ノ上教授は、人間がもつ「APOBEC(アポベック)」という酵素が影響している可能性があるとしている。

特に アジアやオセアニアの地域の人が持つこの酵素は働きが活発といわれていて、日本のウイルス減少との関係が研究されている。

一方で、今回死滅しているデルタ株とは別の変異株の存在を懸念している。

井ノ上教授「アルファ株はまだ元気」

井ノ上逸朗教授:
アルファ株はまだ元気だと思ってください。(Q.アルファ株がまた流行する可能性があるのか)可能性としてあります、それを心配しています

現在、感染が再拡大している海外からのウイルスの持ち込みにも警戒が必要だ。

井ノ上逸朗教授:
東アジアは患者さん減っているが、まだまだヨーロッパやアメリカではそういう状況ではないと思いますので、入国管理、検疫はしっかりしてほしいなと思います

感染症の専門医 3回目接種のあとはマスクなしの生活が
マスクなしの生活はいつ戻るか?

感染者の減少にはウイルスに要因があるとする井ノ上教授の見解。

この見解について、浜松医療センターの矢野邦夫医師に話を聞いた。

矢野邦夫医師:
多分デルタ株はあちらこちらの国から入り込んできたと思うので、一つのウイルスが日本に入り込んで、一斉に消えていくというのはちょっと考えにくいのかなと思います

矢野医師は、感染者の減少には社会的な感染対策が大きいと話す。

矢野邦夫医師:
やはりマスクとワクチンの効果が大きいと思っています。ひとつはワクチンが急速に接種され70%を超え、しかも日本ではみなさんマスクきっちりはめていると。この2つの面でほとんど説明できると思います

感染症が専門の浜松医療センター矢野邦夫医師

矢野医師はワクチンを接種していない子供たちの間で感染が広がる不安はあるものの、3回目の接種後にはマスクのない生活が戻ってくると予想している。

矢野邦夫医師:
ブースター接種を皆さんが打って、年に1回か2回接種を続けていくならばマスクのない生活に戻れるんじゃないかと思ってます。時期は来年の7月8月かと思っています

2人の専門家の指摘のとおり、新型コロナが収束に向かい、1年後にはマスクをしなくてもいいようなこれまでの日常が戻ってくることが期待される。

 


阪神ドラフト2位指名の創価大・鈴木が仮契約「新人王を獲りたい」

2021年11月12日 15時52分42秒 | 野球

11/12(金) 14:26配信

スポニチアネックス
仮契約を終え、目標を書いた色紙を手にガッツポーズの鈴木(球団提供)

 阪神からドラフト2位指名された創価大の鈴木勇斗投手(21)が12日、都内で入団交渉し契約金7000万円、年俸1200万円(いずれも推定)で仮契約した。背番号は未定。契約後の会見で即戦力としての決意表明した。

 「プロ初勝利が目標だが、そこから勝ち星を重ねて新人王を獲りたい」

 鈴木は最速152キロにスライダー、カーブ、チェンジアップを操り、緩急も使って今秋リーグ戦では50回2/3を投げ48奪三振を記録するなど三振を奪える左腕。「三振にはこだわりがある。取りたい時に取れるのが強み」とバロメーターの一つであることを強調した。3年秋にサイ・ヤング賞3度の受賞を誇る大リーグ屈指の左腕、クレイトン・カーショーを参考にした2段モーションの投球フォームに変更したことで大きく飛躍した。

 阪神は今季、新人の伊藤将が10勝した一方で、軸として期待されていた高橋がシーズン終盤にようやく復帰し4勝しただけに終わるなど先発左腕の不足を露呈した。「(2人の)レベルまで上げていかないといけない」と話し、先発ローテーション入りにも意欲満々。来季のV奪回に向け、頼もしい左腕が加入する。

 

 

 


藤井聡太三冠、最年少四冠かけた一局は「角換わり」1日目午前中で64手目まで進むスピード進行、中盤の難所に突入/将棋・竜王戦七番勝負

2021年11月12日 15時48分28秒 | 社会・文化・政治・経済

11/12(金) 12:33配信

ABEMA TIMES
豊島将之竜王(左)と藤井聡太三冠

 将棋の藤井聡太三冠(王位、叡王、棋聖、19)が11月12日、竜王戦七番勝負第4局で、豊島将之竜王(31)と現在対局中だ。藤井三冠が勝てば、史上最年少での四冠達成となる一局だが、注目の戦型は角換わりに。お互い序盤の研究の深さにも定評があるが、先に主導権を手にするのはどちらの棋士か。

【動画】藤井聡太三冠、史上最年少で四冠なるか 注目の竜王戦第4局(生中継中)

 両者の対戦は、今年度だけで15局目。うち14局はタイトル戦で、お~いお茶杯王位戦七番勝負、叡王戦五番勝負、そして竜王戦七番勝負という3つのタイトル戦を合わせて「十九番勝負」とも呼ばれている。14局の成績は藤井三冠が6連勝を含む11勝3敗と圧倒している。ともに居飛車党だが、戦型は相掛かり8局、角換わり6局の2択。本局でもこのどちらかが選択されると予想されていたが、角換わりが選ばれた。研究が進んでいることもあってか、1日目の午前中から指し手は早く、昼食休憩までに64手目まで進み、中盤の難所を迎えている。

 公表されている今年度の成績で、藤井三冠は39勝7敗、勝率.8478。7敗のうち3敗が豊島竜王に喫したもの。豊島竜王は17勝16敗、勝率.5151。高勝率を誇ってきた豊島竜王にしては物足りないように見えるが、16敗中11敗が藤井三冠によるもので、それを抜けば17勝5敗、勝率.7727の好成績。藤井三冠一人に苦しめられていることがよくわかる。

 藤井三冠は本局に勝利すると、史上初の10代四冠となり、同時に序列1位にも立つ。豊島竜王がこれを阻止し、無冠の危機を脱するには、七番勝負では史上3例目となる「3連敗4連勝」が必要だ。

 持ち時間は各8時間の2日制で、先手は豊島竜王。

【昼食の注文】

豊島将之竜王 地魚の刺し身御膳 藤井聡太三冠 手毬寿し御膳

【昼食休憩時の残り持ち時間】

豊島将之竜王 6時間18分(消費1時間42分) 藤井聡太三冠 6時間51分(消費1時間9分)
(ABEMA/将棋チャンネルより)

 


シーズン終盤から左膝痛だった阪神・佐藤輝「無理をする時期ではない」秋季練習は一部別メニューで

2021年11月12日 15時46分39秒 | 野球

スポーツニッポン新聞社 - 10 時間前

シーズン終盤から左膝痛だった阪神・佐藤輝「無理をする時期ではない」秋季練習は一部別メニューで
阪神・佐藤輝明内野手(22)がシーズン終盤から左膝痛を抱えていたことが分かった。11日に球団が発表し、本格始動した甲子園球場での秋季練習では屋外での守備、走塁を見合わせる一部別メニュー調整が決まった。

打撃に関してはフルメニューを消化して豪快な打球を披露。患部の完治を進めるともに来季2年目へのレベルアップも期した。

 選手や首脳陣らが集まった練習開始前のミーティングが終わり、これからウオーミングアップへ…というタイミングだった。佐藤輝はトレーナーとともに本隊を外れ、グラウンドを後にした。ほどなくして球団広報から左膝痛の事実が報道陣に伝えられた。練習後はいつも通り淡々と取材に応えた。

 「(痛めた時期など)詳しいことは言えないですけど、終盤ですかね。無理はしていないですけど、完治はしていない。この秋は様子を見ながらという感じ」

 優勝争いを繰り広げていた中、打撃で大事になる軸足に不安を抱えていた。矢野監督も「ゼロではないよね。むちゃくちゃ影響しているってよりは、これぐらいならやってもいいんじゃないかというところ」と影響を否定しなかった。明確な時期は伏せても、成績の下降と決して無関係ではないだろう。全ての戦いを終え、これからは来季への準備期間。まずは体を万全にすることが先決となった。

 本格的に始まった秋季練習では屋外での守備・走塁練習は見送った一方、打撃練習には通常通り参加した。「トレーナーの方と相談しながら、できることはやって…という感じですね」。午後からの個別練習でもバックスクリーンへ柵越え弾を放つなど豪快な弾道も披露した。ロングティーでは大山と並んで20分以上。現時点でバットを振る分には問題がないことを示した。

 「無理をする時期ではないと思うので。しっかり治してから、また来年に向けてという感じですね」

 もちろん、「全部をレベルアップしていけるように」と体調を戻すだけの期間にするつもりはない。指揮官にも「来季しっかりいけるように、パワーアップ。幸いバットは振れる。体重もあまり増やすわけにもいかないので管理も必要」と背中を押された。目指すのは1年目の衝撃をさらに超える飛躍。大器に立ち止まっている時間はない。(阪井 日向)

 【佐藤輝に聞く】

 ――練習強度は。

 「しっかり無理をしない程度に。できることをやろうという感じですね」

 ――この期間のテーマは。

 「全ての面で足りないと思うので、全部をレベルアップしていけるようにやっていきたい」

 ――北川コーチは遊びを大事にしてほしいと。

 「コーチとも手伝ってもらいながらやっていきたいと思います」

 ――過去に下半身をけがした経験は。

 「全然ありますよ。肉離れとか」

 ▼阪神北川打撃コーチ(佐藤輝のティー打撃で工夫)シーズン中は自分の調整があっただろうけど、今年1年やってみて、一つの引き出しだけでは当然ダメだと思うので。遊び感覚といったら変な言い方かもしれないけど、いろんなことに対応しなければいけないために、いろんな角度でティーをやらせるということが大事かなと思った。

 


「哲学」とは真実を求める道  困難に立ち向かう「原動力」

2021年11月12日 12時39分47秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼偉大な芸術とは、精進を重ね。自分を磨きに磨き、苦労しぬいて完成させていくものだ。
▼何があっても崩れることがない―その気概が幸福の道を開くのだ。
▼哲学とは何か?
「知を愛することだ」
哲学の本質は?
「真実を見つけ出すために問いを発することだ」
▼仏教は、<哲学>と<宗教>の両面を備えていると思う。
いくつかの宗教は、自分の<外に>何かを求める。
それでは、自分自身の潜在的な能力には覚めないだろう。
自分自身を本当に理解しようとするなら、哲学は欠かせない。
汝自身を知る。わが人生の意味を知る―そのために確固たる哲学が必要だ。
▼生きている以上、人間は、何かしらの困難と向き合うことは避けられない。
▼いかなる不幸も、それを、どうとらえるかによって、プラスにもマイナスにもなる。
プラスに生かせば、それが自身の成長の糧になっていく。
▼「哲学」とは真実を求める道。
困難に立ち向かう「原動力」。
▼体験を共有するにより、より豊かな人間観を築く。
そして、他人の話に耳を傾けることによって自分自身をより深く知る。
▼何があろうと、<真実>は最後に必ず勝利する。
哲学者とは、真実を愛する人間だ。
▼人間を人間たらしめる条件は何か?
それは、自分自身の最大の価値を開発していこうとする成長の心だ―アメリカ実践哲学協会創設者ルー・マリノフの言葉

 【ルー・マリノフ氏 Lou Marinoff】:抜粋
  1951年、カナダ生まれ。ニューヨーク市立大学教授。
  アメリカ実践哲学協会会長。ダウソン大学卒。
  ロンドン大学で「科学哲学」の博士号を取得。
  

哲学カウンセリングの先駆的な実践を行い、1998年に「アメリカ実践哲学協会」を創設。

協会には、全米40州以上、ドイツ、カナダ、  イギリス、ノルウェーなど20カ国以上から大学の教員、研究者が加盟する。

 99年に『プローザックよりもプラトンを』を発刊し、全米でベストセラーに。
  40カ国以上で相次いで翻訳出版された(邦訳は『考える力をつける哲学の本』2002年、三笠書房)。
  邦訳著書としては、他に『元気哲学 人生篇』(2004年、アーティストハウスパブリッシャーズ)、『元気哲学 生命篇』(2004年、同)がある。


安達峰一郎と満州事変関係の新資料の紹介

2021年11月12日 12時18分08秒 | 社会・文化・政治・経済

山形大学大学院社会文化システム研究科紀要 第 9 号(2012)97−102

松尾剛次
はじめに


安達峰一郎(1868−1934)は,1931 年 1 月にアジア人として初めて常設国際司法裁判所の所長となるなど,「世界の良心」と謳われる偉人である。
しかし,著作物が少ないことや,外交官として海外での活動が主であったこともあって,国内的にはさほど知られていない。

そのために,安達峰一郎記念財団が出版した『安達峰一郎 人と業績』
(2009 年)*2を除けば,ト−タルな安達峰一郎研究の蓄積は少ない。
そうした状況下において,山形大学都市・地域学研究所が 2008 年以来「山形偉人再発見プロジェクト」を立ち上げ,安達峰一郎研究に力を結集し,山辺町と協力して公開講座を開催したことなどは注目に値する。その成果は山形大学都市・地域学研究所編『山形学』(山形大学出版会,2010)に結実されている*3。

さらに,2011 年に安達峰一郎の故郷である山形県山辺町から,『安達峰一郎書簡
集』が出版された*4ことは,今後の安達峰一郎研究に大いなる基礎が出来たと評価できる。
しかしながら,資料の収集などの面で,まだまだ十分ではない。とりわけ海外には数多く残されている。

そこで,山形大学都市・地域学研究所は,学長裁量経費を得て 3 度のオランダ・ベルギー調査を行った*5。その結果,多くの安達峰一郎に関する新たな資料を発見することができた。

ここでは,2012 年 5 月 6〜12 日に行った第 3 次の調査で見つかった新資料の紹介などを行う*6。

とくに,2012 年 5 月 10 日に,ハーグのオランダ国立図書館で見い出した資料を紹介する。
第 1 章 1931 年 11 月 1 日(日曜版)付 DeTelegraaf 紙の挿絵(Louis Raemaekers)について
De Telegraaf 紙は,オランダでもっとも発行部数の多い新聞である。その 1931 年 11 月 1 日(日曜版)付号には上図のような挿絵が掲載されている。
この図自体は,安達峰一郎が友人の徳富蘇峯らに切り抜きを送っていて,従来から知られてはいた*7。

それには,両手に刀をもって振り回す完全
山形大学大学院社会文化システム研究科紀要 第 9 号(2012)97−102

*1 浮村直光編『世界の良心 安達峰一郎博士』(財団法人安達峰一郎記念館,1969)参照。
*2 安達峰一郎記念財団『安達峰一郎 人と業績』2009。
*3 山形大学都市・地域学研究所編『山形学』(山形大学版会,2010)。
*4 安達峰一郎顕彰会編『国際法にもとづく平和と正義を求めた安達峰一郎 書簡を中心にして』(安達峰一郎顕彰会,2011)。

武装した武士を,一人の非武装の武士が素手で押さえつけている姿が描かれている。

この図は,オランダ人の風刺画家として有名なルイス・ラーマーケルス氏が描いた*8ものであることは,右下隅に「Louis Raemaekers」と書かれていることにより明らかである。
ま た,上 部 に は「Dedicated to His Exc. M.
Adatci, President Court of International Justice」
(常設国際司法裁判所所長の安達峰一郎に捧ぐ)とあり,下部には「May the spirit of peace in
Japan triumph over military fanatics.」(日本の平和の精神が軍事的狂信者に勝利しますように)とある。

それゆえ,非武装の武士が安達峰一郎であり,甲兜の武士が狂信的な軍部であることは予想されていた。

とりわけ,1931 年 9 月 18 日には満州事変が起こっており,1931 年 11 月 1 日の本記事が満州での関東軍の行動を踏まえたものであると推測されてきた。

しかし,それ以外の関連記事がないために,はっきりとはしていなかった。

だ,それだけでも,オランダ国民の常設国際司法裁判所所長である安達への期待の大きさは容易に推測できる。
ところが,今回,ハーグの国立図書館において,オランダ外務省職員 Albert C. van der Zwan 氏と
Max Valstar 君の協力によって,De Telegraaf 紙の 1931 年 11 月 1 日と 2 日の記事を閲覧することができた。
まず,1931 年 11 月 1 日の新聞を調査したところ,11 月 1 日の挿絵は,第 2 面掲載で,日曜版で
あるために詳しい記事はなかった。ところが,11月 2 日の新聞第 1 面を見ると,「日本の満州での行動」という見出しの 11 月 1 日付の東京などからの配信記事を見いだすことができた。

おそらく,11 月 1 日は日曜日で,詳しい記事を載せられず,翌日にまわしたと考えられる。すなわち,先
の挿絵の関連記事を見いだすことができたのである。

そこで,次章に紹介する。

日本の満州での行動
軍隊の新たな行動,東支鉄道に対してではない東京発,1931 年 11 月 1 日。うわさによれば,
北満州における軍事行動について,黒龍江省の省長馬占山将軍はソビエトからの支援を受けるであろうという。

ロイター電では,吉林から派遣された 600 人の日本軍は,すでに長春(南満州鉄道と東支鉄道が合流する場所)に到着したはずという。
また,他の情報では,その日本軍はハルピンに行く準備中という唯一公的に確認されたことは,吉林の関東軍主力が長春に向けて移動したということである。

かし,日本外務省はこれらの軍隊はハルピンに向かう準備をしていると考えていない。

だが,これも条約違反である。

けれども,外務省は移動中の部隊が洮南方面に展開してきており,その目的は武装兵力を増強し,洮南・四平街鉄道(四洮線)を守るためであることを否定していない。
モスクワからは,情報によれば,外務人民委員部は東京駐在のソビエト大使館を情報源として用い日本軍による東支鉄道の占拠に関するこれらの情報が事実であるか否かを尋ねた,と伝える。

スクワの日本大使館は,そのような事実は知らないと述べた。

さらに,東京の政府筋はロシアの影響下にある地域における日本軍の展開に関する情報は事実ではないと断言した。
幣原外相の安心感を与える宣言日本の幣原外相はロシア軍との衝突の可能性を断固として否定した。
UP 通信社によれば,天皇は九州での大演習に出席の予定という。

このことは日本政府が,依拠していた天皇が東京に留まるとのうわさと矛盾する。

というのも,政府は天皇が東京を離れるならば軍隊へ大きな影響を与えると恐れているからだ。
アメリカの視察者 北満州へ
満州附近の満州国境に展開するロシア軍の中国とロシア間における協力の進展と後退という矛盾した情報により,アメリカ合衆国は北満州に視察者を派遣することに決定した。

彼の目的は状況調査である。
以上,左側に本文を,右側に英語訳*9を載せ,下に日本語訳を書いた。この記事から,先の挿絵が,
満州での日本軍の軍事行動,すなわち満州事変に関連して描かれたものであることは確実となった。
それにしても,本記事を読むと,オランダの人々は,日中間よりも日露間の戦争になることを恐れていたことがよくわかる。幣原外相がそれを断固として否定したのを伝えたのも,そうした気持ちの表れであろう。ロシアの動向も伝え,アメリカも調査を開始しようとしていたことを伝えている。

満州事変下の日本を海外メデアがどう伝えていたのかを知るうえでも興味ぶかい資料だ。
おわりに以上,2 章にわたって,安達峰一郎に関する新発見の資料について論じてきた。

ルイス・ラーマーケルス氏の挿絵と今回紹介した新聞記事によって,安達峰一郎がオランダの人々に日本の関東軍を平和的に押さえ込むように期待されていたことが明らかとなった。

おそらく,満州問題を安達が所長を勤める常設国際司法裁判所で処理して欲しいという願いが込められていたのであろう。
それゆえ,次に問題となるのは,安達が満州事変と満州国の樹立に具体的にどう対応したかである。

それについては,『安達峰一郎 人と業績』*10では安達が,常設国際司法裁判所で扱いたいと
思っていたとする。
しかし,それは,すでに丸山政己氏が指摘している*11ように,安達の斉藤実宛の書簡の誤読である。

安達は常設国際司法裁判所で扱えば,日本が負けることを知っていた。

それゆえ,政治的に解決すべきと考えていたのである。

それゆえ,ルイス・ラーマーケルス氏の期待は当初からはずれていたといわざるを得ない。
とはいえ,安達が常設国際司法裁判所所長として,国際間の問題を戦争ではなく国際法で解決すべく努力していたからこそ,そうした期待をされたのであろう。
付記
本研究は山形大学都市・地域学研究所 2012 年度「山形偉人再発見プロジェクト」の成果である。


安達峰一郎: 日本の外交官から世界の裁判官へ

2021年11月12日 12時03分30秒 | 社会・文化・政治・経済

柳原 正治 (編集), 篠原 初枝 (編集)

ポーツマス会議では日本の国益を代弁する外交官として交渉に臨み、国際連盟では日本代表として会議の議長を務め、常設国際司法裁判所ではアジア人初の長官として正義の実現を目指した、安達峰一郎。知られざる真の国際人にさまざまな角度から光を当てた、第一級の論者が織り成す初の作品。

【主要目次】
はしがき(篠原初枝)
第I部 安達峰一郎とその時代
第1章 安達峰一郎の生涯(柳原正治)
第2章 安達峰一郎と国際協調外交の確立(井上寿一)
第3章 安達峰一郎と日本の国際法学(明石欽司)
第II部 安達峰一郎と欧米の国際秩序
第4章 安達峰一郎と戦間期ヨーロッパの協調(牧野雅彦)
第5章 安達峰一郎とフランス――駐仏大使時代(1927-1930)に焦点をあてて(黒田俊郎)
第6章 安達峰一郎とアメリカ――日米協調のもう一つのシナリオ(三牧聖子)
第III部 安達峰一郎と国際連盟
第7章 戦間期日本と普遍的国際組織(植木俊哉)
第8章 国際連盟理事会における安達峰一郎――「報告者」の役割(篠原初枝)
第9章 安達峰一郎と国際連盟の判事選挙――国際社会における地位(後藤春美)
第IV部 安達峰一郎と国際裁判
第10章 安達峰一郎と国際裁判制度(李禎之)
第11章 安達峰一郎と国家間紛争の解決方式(柳原正治)
あとがき
関連略年表
安達峰一郎関連の一次史料(柳原正治)

著者について

柳原正治:放送大学教養学部教授
篠原初枝:早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

柳原/正治
1952年生まれ。1981年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。法学博士。現在、放送大学教養学部教授。主要著作『ヴォルフの国際法理論』(有斐閣、1998年、安達峰一郎記念賞受賞)

篠原/初枝
1959年生まれ。1996年シカゴ大学大学院博士課程修了。Ph.D(歴史学)。現在、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
 

 

安達 峰一郎(あだち みねいちろう、1869年7月27日(明治2年6月19日) - 1934年(昭和9年)12月28日)は、日本の外交官、国際法学者。

1913年 - メキシコ公使。
1917年 - ベルギー公使。
1919年 - 第一次世界大戦のパリ講和会議日本代表代理。
1920年 - 国際連盟第1回総会 日本代表代理として活躍。
1921年 - ベルギー大使(公使館が大使館に格上げの為)。
1921年 - 国際連盟第2回総会日本代表(以後、第10回総会まで連続して日本代表)。
1927年 - フランス大使。
1928年 - パリ不戦条約締結に参与。
1929年 - ハーグ対独賠償会議日本代表。この会議でフランスとイギリスが激しく対立した時、調停の依頼を受けた安達は、日本流の茶会を開いて両国代表を招いて和解させ、会議を成功に導いた。
1930年 - 常設国際司法裁判所2期目の判事選挙で最高得票で当選。(判事の任期は9年)。
1931年 - 常設国際司法裁判所の第4代所長(裁判長)となる[5]。(所長の任期は3年)。
1934年 - 逝去。オランダ国葬、常設国際司法裁判所葬。

学者としての顕彰
ファイル:Funeral of Adachi Mineichirō on January 3, 1935, in The Hague, Netherlands.ogv
オランダ、ハーグにおける安達峰一郎の埋葬(1935年)
ハーグ国際法アカデミー教授(1924年)
万国国際法学会(定員60名)の日本人初の正会員(1924年)
日本学士院 帝国学士院会員(定員100名)(1925年)
ルーベン大学法学部名誉教授(1927年)
アメリカ国際法協会名誉会員(1931年)
アメリカ学術科学アカデミー名誉会員(1932年)
オランダ科学協会会員(1933年)

“世界の良心”と称えられた安達峰一郎
安達峰一郎博士。それは“世界の良心”とまで称えられた日本を代表する外交官です。
博士が亡くなったとき、オランダ国では国葬でその死を悼んだほどです。

 

安達峰一郎博士生家&顕彰会ホームページへ

◇少年時代と学生時代の博士

生家写真博士は1869(明治2)年、高楯村(現在の山辺町高楯地区)に生まれました。幼少のころ向学心に満ちた家庭環境で育ち、ひと際高くそびえる小鳥海山の大杉を眺めながら、自分も立派な人間になり世のために尽くそうと決意しました。

東京にある帝国大学法科大学に入学した博士は国際法を学びました。少年時代の逸話に、外国語の発音の学習のため馬見ヶ崎河畔で小石を口に含み練習したと伝えられていますが、外国人教師の通訳を務めるほどの巧みな発音は、後年、フランス語はフランス人より美しいと言われたほどです。

◇外交官時代の博士

外交官時代の写真大学卒業後、外務省に入り、日露戦争後のポーツマス講和会議では、随員として、広い外交知識を駆使して、小村全権委員を補佐しました。その時の学識が認められて明治40年(1907)法学博士の学位を授与されました。

その後、ベルギー公使、国際連盟日本代表などを歴任。正義と公平に基づく識見はどの国からも厚い信頼と尊敬を得ました。第5回国際連盟総会で国際紛争の平和的処理に関する「ジュネーブ議定書」が提案されて、日本だけが反対の立場に立ったとき、各国代表に対して説明している博士の姿を見て、当時の国際連盟事務次長新渡戸稲造博士は「安達の舌は国宝だ」と、そのフランス語の説得力を誉め讃えたそうです。

また、1929(昭和4)年に、ハーグ市で対独賠償会議が開催され、仏国と英国の意見が対立し戦争が心配されるまでに発展したとき、困り果てた両国から調停の依頼を受けた博士は、日本流の茶席に招いて和解させ、会議を成功に導きました。

博士の約40年にわたる国際社会での功績に対して、12カ国から第1級の勲章が感謝を持って贈られ、中には勲章制度を新たに創り、その第1号を博士に贈った国もあります。国際社会に正義と公平に基づく平和をもたらそうと努力した数多くの業績が、各国から『世界の良心』として正当に高く評価された結果でしょう。


◇国際司法裁判所長時代の博士

国際司法裁判の風景1930(昭和5)年、オランダ国ハーグ市にある「世界の良心の府」といわれる常設国際司法裁判所裁判官に立候補した博士は、52カ国中49票という圧倒的な最高点で当選しました。2位は、英国、仏国、伊国の各40票で、当時の欧州中心の国際社会でいかに世界各国から信頼され、尊敬されていたかがこの結果で分かります。翌年1月、所長に選出された博士は、各国から尊敬と信頼を得られるように、裁判官に高い品性と判決の内容に高度で広い学識を求め、その権威を高めました。

1934(昭和9)年12月28日、心臓病が悪化し、帰らぬ人となりました。翌年1月、オランダ国国葬・常設国際司法裁判所所葬として葬儀が営まれ、ハーグ市では多くの市民たちが見送り、永遠の別れを惜しみました。

 

 


対北朝鮮政策は、「満州事変の教訓」から学べ

2021年11月12日 11時48分59秒 | 社会・文化・政治・経済

2017/09/18 5:00 東洋経済

86年前、なぜ日本は「暴走」したのか

丹羽 宇一郎 : 日本中国友好協会会長

弾道ミサイル発射・核実験を繰り返す北朝鮮。海洋進出を進める中国。日本の安全保障を不安視する声が大きくなっている。このような状況だからこそ知るべき戦争の教訓とは何か。戦争体験者や軍事専門家に話を聞いてまとめた『丹羽宇一郎 戦争の大問題』を出版し、中国に精通している、元伊藤忠商事社長、元中国大使の丹羽宇一郎氏が解説する。
満州事変は「反中」の原点

『丹羽宇一郎 戦争の大問題』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)
今日、9月18日は86年前(1931年)に「満州事変」が起きた日である。私が大使として中国に駐在したときの印象では、中国人にとっては満州事変よりも「支那事変」の発端となった盧溝橋事件(1937年7月7日)のほうがより強く意識されているようだった。しかし、彼らにとって抗日戦争(日中戦争)とは、満州事変から日本がポツダム宣言を受諾した1945年までの15年間の戦いである。

満州事変は、日本と中国にとって15年にわたる長い戦争の幕開けだった。満州事変の翌年1月28日に起きた第1次上海事変、1933年3月の日本の国際連盟脱退は、満州事変をきっかけとして生じたことである。

満州国の建国によって、中国の対日ゲリラ攻撃(中国では抗日活動)はさらに頻発するようになる。中国政府との対立は深まり、当時の新聞には、「不法背信暴戻止まるところを知らぬ」と中国の行動を徹底的に非難する文言が躍った。

昨年亡くなられた元陸軍参謀、三笠宮祟仁親王(1915~2016年)は、「支那事変に対する日本人としての内省」と題された論文の中で、日本人には「日清戦争頃よりの侮華思想」があるとし、日本人が内省すべき点であると指摘している。

当時の日本人は、中国人はわれわれよりも劣っている、劣っている彼らがわれわれに反抗するのは許せないという意識があった。事実、戦前の新聞は満州事変、日中戦争と事態が泥沼化するに従い、紙面に「膺懲(ようちょう)」の文字が躍った。「膺懲」とは実力行使で懲らしめるという意味である。「暴戻なる支那を膺懲すべし」「蔣政権を膺懲」という具合だ。

今日風に言えば、「中国はけしからんから、懲らしめてやるべきだ」ということである。こうした論調は、今日でも一部のメディアに見られる傾向ではないだろうか。

拙著『戦争の大問題』の取材でお会いした、元海軍特攻隊員で立命館大学名誉教授の岩井忠熊氏は、「94歳になって、こういう日本の姿を見るとは嘆かわしい。現代の日本社会の様子は戦前の日本に似ている」と述べられ、自国賛美の歴史修正主義的風潮に警鐘を鳴らしている。戦争体験者で、いまの日本社会が戦前に似ていると言う人は多い。

ファクトよりフェイクを喜ぶ日本人
当時の新聞は満州事変を快挙と報じた。独断で軍を満州に進めた朝鮮派遣軍司令官の林銑十郎(1876~1943年)の行動は、統帥権の干犯であったにもかかわらず新聞は「越境将軍」ともてはやした。そのため軍の中央も処分をためらい、林はその後、総理大臣にまで上り詰める。

当時の新聞は、満州は「日本の生命線」であり、手放すことのできない重要な権益であると喧伝し、満州開拓移民を募り続けた。しかし、そのようにして資金と人を注ぎ込んだ満州の実態はどうであったのか。

「小日本主義」を唱えた石橋湛山(1884~1973年)は、「日本の生命線」の持つ経済的な矛盾を次のように指摘している。

「貿易上の数字で見る限り、米国は、朝鮮、台湾、関東州を合わせたよりも、我に対して、一層大なる経済的利益関係を有し、<中略>米国こそ、インドこそ、英国こそ、我が経済的自立に欠くべからざる国と言わねばならない」

当時の朝鮮、台湾、関東州(満州)との貿易額は3地域を合わせて9億円弱である。湛山によれば同年のアメリカとの貿易額は14億3800万円、インドは5億8700万円、イギリスは3億3000万円だったという(金額はいずれも当時の金額)。

「我が国の総ての禍根は、しばしば述ぶるが如く、小欲に囚われていることだ。志の小さいことだ。〈中略〉朝鮮や台湾、支那、満州、またはシベリヤ、樺太等の、少しばかりの土地や、財産に目を呉れて、その保護や取り込みに汲々としておる。従って積極的に、世界大に、策動するの余裕がない。卑近の例をもって例えれば王より飛車を可愛がるヘボ将棋だ」

朝鮮、台湾、満州などは投資が先行するばかりで、リターンの少ない赤字プロジェクトだったのである。それが「日本の生命線」の経済的実態だった。湛山はそれだけでなく、当時の日本が朝鮮、台湾、満州に投資するよりも、まだ日本国内の資本を豊かにすべき段階の国であることも指摘している。

「資本は牡丹餅で、土地は重箱だ。入れる牡丹餅がなくて、重箱だけを集むるは愚であろう。牡丹餅さえ沢山出来れば、重箱は、隣家から、喜んで貸してくれよう」

つまり、満州経営は当時の日本の身の丈に合っていなかったということだ。しかし、湛山が指摘したこれらの事実に注目した日本人は少なかった。「満蒙は日本の生命線」(松岡洋右、1880~1946年)、「王道楽土」などのスローガンばかりが人口に膾炙(かいしゃ)した。戦前の日本人はファクトに目を向けず、フェイクニュースに踊らされていたのである。

満州で終戦を迎えた人々の悲劇
「しかしてその資本を豊富にする道は、ただ平和主義により、国民の全力を学問技術の研究と産業の進歩とに注ぐにある」という、石橋湛山の言葉とはまったく逆の道を戦前の日本はたどってしまった。その結果、石油やスクラップなど重要資源の輸入を止められた日本はアメリカとも開戦、第2次世界大戦へ突入し敗戦に至ることになる。

ソ連に対する緩衝地帯という狙いもあったといわれる満州国は、終戦直前にソ連が参戦するとたちまち崩壊し、開拓民をはじめとする民間人に多くの犠牲者を出した。生きて日本へ帰った人も、満州から引き揚げる途中で塗炭の苦しみを味わった。

軍人も終戦後ソ連に武装解除された部隊は、ほとんどがシベリアに送られ、極寒の地での過酷な労働によって多くの人々が死亡した。元大蔵省事務次官で衆議院議員だった相沢英之氏はシベリアに抑留され、幸いにも日本に帰って来られたひとりである。

シベリアでは最初の1年が最も死亡率が高い。死因のほとんどは栄養失調だった。同じくシベリアに抑留された元関東軍の工兵だった與田純次さんによれば、シベリア抑留の1年目に3割が栄養失調で死んだという。零下40度のシベリアでは遺体も凍る。死後硬直ではなく、遺体が凍って寝たままの状態でピーンと伸びて固まってしまうのだ。

結局、満州事変によって建国された満州国は、日本を大戦へ向かわせるきっかけとなり、国際社会に認められないまま日本の敗戦とともに消滅する。

結果を知ったうえで、当時の日本の選択を批判するのは簡単だし、いささか卑怯(ひきょう)な気もするが、日本が大戦に至った経緯と敗戦時に満州に残された人々の苦労を思うと、なぜ日本は石橋湛山が主張するように満州を放棄できなかったのかという思いを抑え切れない。

現在に通じる満州事変の3つの教訓
当時の日本の指導者たちが満州を放棄できなかった理由は3つあると思う。

理由1:指導者が現場を知らなかった

伊藤忠商事に入って間もなく私はニューヨークに駐在した。そのとき役員であった瀬島龍造氏(1911~2007年)から次のようなアドバイスをもらった。

「もし問題が起こったら、すぐに飛行機に乗って現地に行きなさい。おカネなんか気にしなくていい。それで会社から文句を言われるようなら、私に言いなさい」

問題は現場で起こり、解決策もまた現場にある。「すべては現場に宿る」のである。遠い日本から満州の実情を聞いていても、正しい判断はできない。

こういうと、満州国の中枢には日本人が多くいたし、関東軍も現地にいたのだから、現地を見ていなかったということはないではないかという異論があろう。しかし、国の政策を決定するのは日本国内の指導者たちである。彼らの耳には、現地の担当者からの報告しか入らない。

私は経験的にいって、不良資産や赤字などの悪い話は実際の3分の1程度しか現場からは上がってこないと見ている。トップ自らが現場へ足を運び、「最後は私が責任を持つから、すべて出しなさい」と働きかけて、初めて全容がつかめるのだ。

トップが何の働きかけもしなければ、現場は7割の悪い話は隠そうとする。むろん、隠そうとする現場に非があるのは間違いないが、隠させるトップにも非はある。

部下に隠しごとをさせるトップは、人に対する理解が足りないのだ。現場の人の気持ちがわからないということも、現場を知らないということである。当時の日本政府の中枢にいた指導者たちが、どこまで満州の実情を知っていたのか、大いに疑問である。

理由2:覚悟と勇気が足りなかった

一度始めた大型プロジェクトはなかなかやめられない。中止すれば、やめたトップの責任のみならず、プロジェクトの実行を決めたときのトップにも責任が及ぶ。責任を取るには覚悟と勇気がいる。私も伊藤忠商事の社長時代に、3950億円もの不良資産を処理したときには、もし、この結果、会社が倒産することになったら、私は一生後ろ指を指され続けることになると思ったものだ。

また、プロジェクトを中止すれば担当者からは強い抵抗を受ける。満州国にあっては、担当者は武装した関東軍である。政府中枢の要人といえども、場合によっては命にかかわるかもしれない。

当時の日本の指導者たちに、並々ならぬ覚悟と勇気が求められたことは火を見るよりも明らかである。しかし、310万人ともいわれる死者を出した戦争のことを考えると、このとき国の指導者により強い覚悟と勇気があればと思わざるをえない。


理由3:自らつくった世論に押し流された

先述したように満州事変は快挙であり、満州は日本の生命線であると新聞は報じ、国民はそれに歓喜した。軍も政府も、そうした世論を半ば追認し、半ば自らあおって対外政策を進めてきた。

満州国の実態については、ファクトを隠し、夢のある話や景気のよいスローガンばかりを流して世論をつくり、国民をリードしてきた手前、いまさら満州国は赤字で手放したほうが国際社会との関係も改善できるとは言えなくなっていたのだ。

国内には満州経営の不合理を見抜く識者もいた。当時の政府中枢周辺にも、湛山のような忠告をしてくれる人はいたはずである。しかし、そうした識者の意見は世論の勢いにかき消され、政策に反映されることはなかった。

世論をつくり、世論によって政治を進める手法は今日でも見られる。われわれは世論調査の支持率に目を向けるばかりでなく、世論調査の背景や世論の行き着く先についても注意を払うべきである。世論とは、一方で危ういものであるということも満州事変の教訓といえる。

力対力で解決しようとすれば必ず戦争になる
先述したとおり、戦争体験者が日本の現状を危惧する背景には、形は違えど北朝鮮に対する日本や中国の対応が戦前を彷彿とさせるからだろう。

北朝鮮のミサイルと核は由々しき問題であるが、『戦争の大問題』で述べているように、問題を力対力で解決しようとすれば必ず戦争になる。それが先の大戦を体験した先人たちが、身をもってわれわれに教えてくれたことだ。

北朝鮮に対しては圧力と制裁をもって臨むべきという意見が多い。かつて「対話と圧力」と言っていた人物まで、対話を忘れたかのように圧力と制裁が必要と繰り返している。確かに弾道ミサイルと核実験を繰り返す北朝鮮相手には、対話は手ぬるいように思えることもある。北朝鮮は周辺国に対して挑発的な態度を取り続け、対話のムードはみじんもない。われわれは、北朝鮮は言葉で言ってわかるような相手ではないと見限りがちだ。

しかし、そもそも利害の対立する両国で、初めから意見が一致しているはずがない。言ってわからない相手は、力で懲らしめるというのでは、満州事変から日中戦争へと進んでいったときの日本人の意識にほかならない。意見の違いを乗り越え、妥協点を見いだすのが対話の目的である。初めから言ってわからない相手と見下していては、対話は成り立たない。

お互いが相手を物わかりの悪い、話にならない国民と見下して、対話のための努力を放棄したのは戦前の姿そのものである。世論もそれに同調した。戦前の新聞紙面に躍った「不法背信暴戻止まるところを知らぬ」の文言や「膺懲」という文字は今日の新聞にはないが、論調はどこか似通っている。

私は、仮にも2500万人の国民を率いるリーダーが、対話もできないような野蛮人ということはありえないと思っている。対話する余地があるのに相手に“力”をかけ、窮鼠(きゅうそ)に追い込み対話を放棄することは、とても危険なことである。

日本は戦前の轍を踏んではならない。力対力は決して選んではいけない。日本人は、なぜ戦争が起こるのか、なぜ戦争を終わらせることが難しいのか、満州事変から終戦までの歴史をもう一度振り返る必要がある。それが、86年前に満州事変が起きた今日9月18日に、私が言いたいことである。


藤井聡太三冠「重い」角打ちで四冠へ王手 「砂蒸し風呂」を楽しめない可能性も〈AERA〉

2021年11月12日 11時43分11秒 | 社会・文化・政治・経済

配信

10月30、31日の竜王戦七番勝負第3局が終わった後、若き挑戦者・藤井聡太三冠(19)はそう振り返った。いつものように、まるで敗れたかのようなコメントだった。しかし王者・豊島将之竜王(31)に堂々たる内容で勝利を収めた。それも開幕から一気の3連勝。竜王位獲得、史上最年少での四冠同時制覇に向けて、あと1勝と迫った場面である。

「これ以上いったい、なにを修正するというのか……?」

 多くの観戦者はそう感じただろう。この成績でなお、この謙虚さでは、どうにもスキが見当たらない。そこには将棋史上におけるあらゆる記録を塗り替えていく、藤井にしか見えていない世界があるのかもしれない。

 本局、先手番は藤井。角換わりから互いに手早く攻めの銀を押し上げる「早繰り銀」に進んだ。古くからある戦型ながら、時代の最先端をいく両者の応酬は非凡で、観戦者の目に新しく映った。1日目午後。豊島は強く攻め合うか、比較的穏やかに受けて応じるか、重大な分岐点があった。藤井は前者に自信が持てなかったが、豊島は比較的早い決断で後者を選んだ。

■1時間27分の長考に

 本局のハイライトは2日目午後、藤井が相手陣に角を打ち込んだあたりかもしれない。解説のプロは一様に驚いた。上級者であれば一目「重い」と感じられるからだ。将棋において「重い」という言葉は、マイナスのニュアンスで使われる。しかし藤井の判断は正しく、重い角打ちは好手だった。

 豊島は1時間27分の長考に沈み、桂を打って辛抱した。

「本譜じゃダメだと思ったんですけど、他の手も苦しそうな気がしたので」(豊島)

 豊島らしい辛抱のよさではあったが、形勢の針は次第に藤井よしへと傾き始める。

 互いに相手陣に飛車を成り合っての終盤戦。一手でも誤ればすぐに逆転する終盤を、藤井はほぼノーミスで突き進んでいく。最後はさえた攻防手で、藤井がきれいな一手勝ちを収めた。

「砂蒸し風呂を楽しみにしていると言っていたじゃないか」

 そう感じた観戦者もいただろう。藤井は開幕前、第6局が行われる鹿児島県指宿市で名物の砂蒸し風呂が楽しみと言っていた。しかしそこまで行かないうちに、藤井がシリーズを終わらせてしまう可能性もある。(ライター・松本博文)

※AERA 2021年11月15日号より抜粋


過労の保健所をこれでもかと追い詰める悪魔のようなワイドショー 真に受けた母親たちが怒鳴り散らす

2021年11月12日 08時24分46秒 | 社会・文化・政治・経済

プレジデント Digital
麹町 文子

政経ジャーナリスト

悲鳴を上げる保健所
新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、感染経路の調査を担う各地の保健所が大きな悲鳴を上げている。

感染経路の調査や電話相談、濃厚接触者の健康管理など、「クラスター対策」を担い、医療従事者と同様に新型コロナの最前線で働いているが、世間の見方は真逆――。

医療従事者に対しては「感謝しかない」と称賛の声が上がり、地域住民がベランダなどに出て医療従事者に拍手を送るといったムーブメントが国内でも起こり始めている一方、保健所は「電話が全くつながらない」「保健所調査が甘すぎる」と、ワイドショーが拾ってくる「街の声」ではひどい言われようだ。

実業家と座っているジャーナリスト写真=iStock.com/Tashi-Delek※写真はイメージです
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各地の保健所職員が膨大な業務のうえに、心ない言葉が加わり、職員の疲弊につながってしまっている。全国472カ所(2019年度)ある保健所は、都道府県や政令市、中核市が主体となって、医師や保健師らを配置。新型コロナでは、聞き取りなどを通じた濃厚接触者を探したり、体調を確認したり「積極的疫学調査」、体調不良者から電話を受け専門外来につなぐか判断する「帰国者・接触者相談センター」、自宅などで療養する軽症者らの健康状態を把握する「軽症者らのフォローアップ」などを行っている。

保健所がコロナ禍でしている重大任務
都内のある保健所職員によると、電話をしてきた住民が、数日にわたる発熱や息苦しさなどの症状を訴えてきた場合、海外渡航歴や感染者との接触の有無、過去2週間の外食などの行動確認、マスク着用の有無などについて、詳細に聞き取っていくという。感染が疑われる場合は、PCR検査の予定を調整し、陽性者に対しては入院先の手配も整える。感染者が出た場合は濃厚接触者を特定し、1日1回ほど体調を確認。もし、感染が疑われる場合は検査をする準備も整えていく。

クラスター対策のうえで最も重要なのが「陽性者や濃厚接触者の聞き取り調査」といった任務。一人一人の詳細な行動を確認していくため、「誰と会った」「どこに行ったか」「どのくらいその場にいたか」など細かい質問に対して、丁寧に聞いていく。時間をかけた丁寧な聞き取りが必要になるが、「偏見などへの恐れ」「言ったら、相手に迷惑がかかるだろう」といった理由から、本当のことを言わなかったり、部分的に隠していたり、調査に協力的でない人も少なくないというのだ。「追跡調査のための電話に、若年層は出てくれない」(保健所職員)といった声も上がっている。

都内保健所の別の職員は、現状をこう語る。

「保健所は本当にギリギリの状態です。引退した保健師にもお願いして働いてもらっていますが、発熱した子どもを抱えた母親らが保健師を怒鳴り散らすケースが多発しています。最悪なのは、一部の開業医です。彼らは医療のプロであるにもかかわらず、国や学会の定めたガイドラインを一切読まずに、すべてを保健所に丸投げしてきます。」

保健所に勤める医師は、都内で100名に満たない。給与も低く不人気で次々と辞めていくという。

「感染の危険性が極めて高いPCRの検体摂取や、陽性反応の出た患者の輸送も保健所の役目になっていますが、その作業への特別手当は1日300円に満たない金額です」


視聴率目当ての保健所へのバッシング
実際、山梨県内の60代の陽性者が「副業がばれるのが怖かった」として、アルバイト先のコンビニエンスストアを隠していたり、静岡県内の60代の陽性者がスポーツクラブに通っていたりしたのを伝えていなかったりして、“隠蔽”に気付いた陽性者の関係者が保健所に連絡し、店側が慌てて消毒を行うケースもあった。

保健所から濃厚接触者と判断されると、14日間の健康観察の対象者となり、毎日の連絡も欠かせなくなる。つまり、「濃厚接触者」などを含めると、公表されている感染者の数十倍にあたる観察者への対応を、少ない人員でなんとかしている状態が続いているのだ。

膨大な業務のうえに、不安を抱えた地域住民からの電話が殺到。「PCR検査で確認したい」「感染していないか不安」など、国が示す「4日以上の風邪症状」などの目安を踏まえていない「感染が疑われる以外」の人からの電話が少なくない現状がある。

膨大な業務が職員にのしかかり、とてもではないが対応が追いついていない。「夜11時以降まで仕事も当たり前」(ある保健所職員)といった激務にもかかわらず、ワイドショーなどでは連日、

「保健所がテンプレ通りの対応しかしてくれない」
「保健所が検査をしてくれない」
「保健所がちゃんと聞き取りをして、対応してくれないから不信感しかない」
「電話を60回以上鳴らしてもつながらない。嫌がらせなのか……」

と煽り立て、視聴率目当ての保健所へのバッシングが毎日続く。ワイドショーに煽られた国民は保健所へのクレームを厳しくする。