静岡県警による冤罪事件は4件も

2024年09月28日 11時18分33秒 | 事件・事故

静岡県警による冤罪事件は4件も。

二俣事件(1958年確定)、小島事件(1959年確定)、幸浦事件(1963年確定)

そして、1966年の袴田事件である。

二俣事件――。 1950(昭和25)年1月7日早朝、二俣町(現浜松市天竜区二俣町)で一家4人が殺害されているのが見つかり、容疑者として逮捕されたのが当時18歳の少年、須藤満雄さんだった。 「自白」し、同年3月に強盗殺人罪で起訴された。

小島事件(おじまじけん)は、1950年昭和25年)5月10日静岡県庵原郡小島村(後の清水市、現:静岡市清水区)で発生した強盗殺人事件である。

1950年5月10日深夜、小島村で女性(当時32歳)がで撲殺される事件が発生した。国警静岡県本部から派遣された警部補紅林麻雄らによる捜査の結果、同村に住む男性A(当時27歳)が被疑者として浮上した。Aはほどなく犯行を自白したが、公判の段階では自白を翻し、取調べでは拷問を受けたとして無実を訴えるようになった。また、事件には自白以外の直接証拠も乏しかったが、第一審静岡地裁控訴審の東京高裁はともに無罪主張を退け、被告人Aに無期懲役の有罪判決を言い渡した。

事件名 幸浦事件 状態 確定無罪
事件名(よみ) さちうらじけん 事件発生日 1948/11/29
罪名 強盗殺人事件
事件地都道府県 静岡県 事件地名 袋井市
事件概要
 1948年11月29日,静岡県磐田郡幸浦村(現袋井市)で,一家4人が突然行方不明となる事件が発生した。
 警察は,別件で逮捕されていた被告人2人を一家4人の殺害容疑で取り調べたところ,その内の1人が一家殺害を自白し,共犯として更に他の2人も逮捕された。
 その後,被告人ら4人の自白によって,一家4人の遺体が埋められていたのが発見されたとして,起訴された。

 公判では,4人とも否認し,無罪を訴えたが,1審の静岡地裁では1人を除く被告人ら3人に死刑判決が下され,2審の東京高裁まで死刑は維持された。

 しかし,実際には,被告人らの自白よりも前に遺体は発見されており,自白も拷問によって採取されたものであった。

 結局,最高裁は東京高裁の判断には重大な事実誤認の疑いがあるとして判決を差し戻し,差し戻された東京高裁は被告人ら4人全員について無罪判決を言い渡した。
 検察はこれを上告したが,最高裁は上告を棄却し,無罪が確定した。

 警察による「秘密の暴露」のねつ造と,自白偏重に由来する過酷な取調べが原因となって生じた冤罪である。
判決日
1963/7/9
判決裁判所
最高裁判所
書誌
判例時報340号17頁
1審
死刑
2審
死刑
最高裁
差戻し
差戻し等
東京高裁が無罪判決,最高裁は検察側上告を棄却
再審
 
自白/否認
 
備考
【事件関連書籍】
・上田誠吉・後藤昌次郎『誤った裁判-八つの刑事事件』(岩波書店,1960)。

 

紅林 麻雄(くればやし あさお、1908年明治41年〉 - 1963年昭和38年〉9月16日)は、日本の警察官静岡県警察の元刑事。担当した事件において、数多くの冤罪被害者を生み出した。

人物

現在の静岡県藤枝市出身。

自身が担当した幸浦事件死刑判決の後、無罪)、二俣事件(死刑判決の後、無罪)、小島事件無期懲役判決の後、無罪)、島田事件(死刑判決の後、無罪)の各事件で無実の者から拷問自白を引き出し、証拠捏造して数々の冤罪を作った。その捜査手法は紅林の部下も含めて静岡県警の警察官に影響を与えることになり、紅林自身は直接捜査に関与しなかったが袴田事件(死刑判決確定後、再審第一審にて無罪判決)などの冤罪事件を生む温床ともなった[1]

あらゆる手段を用いて被疑者を拷問し、自白を強要させるなどしたことから「拷問王」、「冤罪王」と称されている[1]

紅林はさまざまな拷問の手法を考案したが、実行には直接関与せず部下に指示を出していた。また、二俣事件における山崎兵八の書籍においては真犯人と思われる人物からの収賄の疑惑も暴露されている。

上記4事件のうち島田事件を除く3事件が一審・二審の有罪判決の後に無罪となり、島田事件も最高裁での死刑判決確定後の再審で無罪が確定した。幸浦事件・二俣事件の有罪判決破棄差し戻しの時点で御殿場警察署次席警部の地位にあった紅林は、非難を浴びた静岡県警上層部によって吉原警察署駅前派出所へ左遷された。しかも交通巡視員待遇という実質的な二階級降任だった。

紅林は世間や警察内部から非難され精神的に疲弊しきっていたが、1963年(昭和38年)7月に幸浦事件の被告人に対する無罪判決が確定したことにより、気力が尽きて警察を退職。同年9月16日に脳出血により藤枝市志太の自宅で死去。55歳没。

紅林の捜査法

前述の通り、紅林は拷問による尋問・自白の強要・自己の先入観に合致させた供述調書の捏造のような捜査方法の常習者だった。また、アリバイが出てきそうになった場合は犯行現場の止まった時計の針を動かしたトリックを自白させ、被疑者が推理マニアであることや被疑者の周辺で時計の針を動かすトリックがある探偵映画が上映されていることなどの傍証を積み重ねる手法でアリバイを否定しようとした。

これらについて二俣事件の裁判では同僚の捜査員である山崎兵八が「県警(島田事件のみ、これ以前は国警静岡県本部)の組織自体が拷問による自白強要を容認または放置する傾向があった」と証言。県警当局は山崎を偽証罪で逮捕(ただし『妄想性痴呆症(妄想型統合失調症の旧称)』として不起訴処分)したうえ懲戒免職処分にした。また幸浦事件では自分達が先に被害者の遺体が埋められている場所を探知しておきながら、被疑者に自白させた後に発見したようにして秘密の暴露を偽装した疑惑があるほか、主犯とされた男性は拷問によるためか持病(てんかん)の悪化により僅か34歳で上告中に死亡した。

紅林の捜査法に見られるような強制・拷問または脅迫によるなど任意性に疑いのある供述調書は、刑事訴訟法第322条第1項および第319条第1項により証拠とすることができない。

小島事件では実際に紅林の捜査法に最高裁の判断が下された。この最高裁判決では被告人(当時は被疑者)が取調べ中に留置場に戻ってくるたびに赤チン(局所殺菌剤)を塗るなど治療を受けていたという証言などを認定し被告人が主張する程度の過酷な拷問があったかについて疑義を呈しつつも、紅林主導の下で作成された供述調書の任意性を否定し被告人に有罪を言い渡した原判決を破棄差戻しとした(後に無罪確定)

主な時系列

1942年正月、静岡県警察部浜松署署員らの記念写真。
左端に当時磐田警察署所属の刑事、紅林巡査部長
  • 1938年(昭和13年)8月22日、2人の女性が殺害される(浜松連続殺人事件の犯人が最初に犯した犯罪)
  • 1941年(昭和16年)8月18日、1人が殺害、1人が負傷させられる(浜松連続殺人事件)
  • 1941年(昭和16年)8月19日深夜、3人が殺害される。(浜松連続殺人事件)
  • 1941年(昭和16年)9月27日、犯人の兄、姉、両親、兄の妻とその子供の計5人が殺害される(浜松連続殺人事件)
  • 1942年(昭和17年)8月25日、4人が殺害、1人が負傷させられる(浜松連続殺人事件)

無罪の場合、戦後の4大冤罪死刑事件と数えられる、免田事件(昭和23年、熊本県、同58年無罪)、財田川事件(昭和25年、香川県、同59年無罪)、島田事件(昭和29年、静岡県、平成元年無罪)、松山事件(昭和30年、宮城県、同59年無罪)に、この袴田事件が加わり、5大冤罪死刑判決となる。

 


何があろうと負け魂で前進するのだ

2024年09月28日 09時36分58秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼根底に不屈の希望がある人は行動が違う―ラッセル

何があろうと負け魂で前進するのだ。

「幸福論」「自分の関心を内へ内へとむけるのではなく、外界へとふりむけてあらゆることに好奇心をいだくこと。」

偉大なるコモンセンスの人ラッセル(1872―1970)は、これこそが幸福獲得の条件でありそれは自己説得によって可能なのだ、と説く。

たくましく、しなやかに人生を生きるための知恵がこの幸福の処方箋にはたっぷりと書き込まれている。

コモンセンスとは、常識・通念・良識・思慮・分別ふんべつ・知識・教養・心得こころえ。

▼現代の紛争下にあって、人間主義、生命尊厳の「平和理念」ほど必要な時はない。

▼ある幼稚園の教諭は犬の絵を園児に見せ、「この動物は何と鳴きますか?」と尋ねた。

「うちの犬は、おなかがすいた時、<クンーンクンーン>と鳴きます」「隣の家の犬は知らない人をみると<ギャンギャン>とほえます」と答えた。

園児たちの多彩な犬の鳴き声の回答は続く。

教諭は「そうだね、どれも素晴らしい答えです」とたたえた。

「ワンワン」という犬の鳴き声の「正解」を見せられなかったそうだ。

知識や常識は大切だが、時に物事の理解を狭めたり、妨げたりする。

園児は自身の実際の体験をもとに自信満々に犬の鳴き声を表現したのである。

▼現代はさまざまな情報を容易に入手できる便利な時代である。

だが、情報だけではない生き方

▼嘆いていてもなにも変わらない。

後ろを振り返っても何も進まない。

まず一念で祈るのである。

生も歓喜、死も歓喜―の生命論に生きるのである。

 


創作 人生の相性 15)

2024年09月28日 06時02分12秒 | その気になる言葉

足立幸雄は、製薬会社のお偉いさんたちから、しばしば接待を受けていた。

彼は各上場企業のトップに取材してきた。

取材した中には京都大学の教授から企業のトップに就いた人もいた。

顎髭の記者さんですか」と医師でもあるその人は微笑む。

思えば、当時は顎髭の記者など厚生労省の記者クラブには、一人もいなかったのだ。

クラブの幹事が「髭は厚生省内で、評判が悪いんだよ。剃れ」と足立に剃刀を用意して渡すのだ。

実は、その髭は銀座のクラブのナナ(源氏名)の要望であった。

「足立さん、髭はやしてみて、きっと似合うと思うの」彼女はアメリカ映画のファンであり、髭の俳優を好んでいたのである。

そして、彼女が通う銀座の美容院に足立を連れていった。

「髭か、どうカットすればいいのかな」20代の男性美容師は剃刀を手に戸惑うのだ。

髭を伸ばして3か月が経過していた。

隣で髪をカットするナナが肩をすくめて、笑いを堪えていた。

世の中には偶然があるものだ、ナナが住む築地のマンションには、東京駅の八重洲地下街の居酒屋「ホタル」の娘である北側春香も住んでいたのである。

足立はエレベーター前で北側春香に再会した。

春香は3歳の娘と手をつないでいた。

紛れもなく、その娘は愛人であった水野晃の遺児であったのだ。

「あら、足立さんしばらく。こんなところとで出会うなんて・・・」春香は言葉を詰まらせる。

目には涙が浮かんでいた。

八重洲地下街の居酒屋「ホタル」に足立が水野を誘って、その後の成り行きで春香は水野を愛するこことなった。

彼は製薬企業の部長や専務クラスの人たちから接待を受けなけれ銀座の高級クラブのホステスのナナと出会うこともなかっただろうし、春香と再会することもなかったろう。

人生は不思議な糸に結ばれていることを足立は身に感じるのだ。

 


創作 人生の相性 14)

2024年09月28日 04時12分42秒 | 創作欄

足立幸雄は厚生省の担当から製薬会社と医薬品卸の担当となる。

彼は初めて、業者の部長や専務クラスの人たちから接待を受けるのだ。

それは銀座のクラブや赤坂の高級クラブでの接待であった。

夕刻の時間になると霞が関の厚生省ビル前の道路には、黒塗りのハイヤーがズラリと並んでいた。

それは製薬会社の人たちがお役人を接待するため光景であったのだ。

足立は30歳になったのに、未だ独身のままであった。

親友の水野晃は34歳の若さで膵臓がんで他界していた。

足立は4歳年上の水野の死を悲しむともに、しばらく心が酷く込んでいた。

彼はスナックやバーではなく新橋の居酒屋で一人酒を飲む機会も増えた。

水野の死によって、足立は水野の妻の道子とも別れることになる。

「なぜなの」別れを告げに大宮のアパートを訪れた時に、縋りつく道子に問われた。

「男として崇拝していた水野さんが亡くなった以上、交際はもうできません」

「足立さん、私には別れる意味がわからない」母親が突然、声を上げ泣き出したので5歳の娘の早苗も泣き出した。

足立はその親子の姿に困惑するばかりであった。

しばしの間、足立は二人を黙って見詰めていたが、母親が泣き止むと娘も泣き止んだ。

そして、しばし沈黙が流れた。

「分かったわ。まだ、あなたには、可能性あるのね。実はあなた以上に主人の死の悲しみを私は引きずっているの。これからは主人を供養して、私は生きていくわ」

「さよなら」足立にはそれ以上の言葉は出なかった。

「さよなら、さよならだけが人生なのね」道子の憂える笑顔に足立は胸を熱くした。

 

 


池袋の概要

2024年09月28日 03時31分47秒 | 社会・文化・政治・経済

池袋の概要

池袋駅は、東部東上線や西武池袋線のターミナルとなっており、新宿に次いで日本で二番目の利用者を誇ります。また埼京線の停車駅でもあり、東京23区の西側にある練馬区、板橋区、西東京周辺、埼玉県南部の居住者が多く流入しています。これらの地区は、東京近郊では比較的地価の安い地域であり、外国人労働者を雇用する工場や、建設会社が多い地域でもあります。そうした背景もあり、池袋は低所得者や、第一次産業に従事する外国人労働者などが多く集まります。

池袋も再開発が進み、繁華街に複数のタワーマンションが建設されています。過去には婚活連続殺人犯の毒婦・木嶋佳苗が、西池袋のタワーマンションに居住していました。庶民派の街の特徴として、こうした高級タワーマンションに、詐欺師や犯罪者、反社会的勢力が紛れ込んでいる可能性もあります。

池袋西口〜北口

池袋駅の西口から北口にかけての繁華街には、裏カジノが比較的多数あります。ディーラーがいる裏カジノよりも、オンラインカジノを店舗で客に遊ばせる「インカジ」と呼ばれる違法な店が多いようです。繁華街にいるキャッチが、若い男性を主なターゲットに裏カジノの案内を行っています。探偵として繁華街で張り込む場合は、トラブルを避けるためにも裏カジノ系のキャッチに目をつけられないよう注意する必要があります。

池袋駅の北西に中規模なラブホテル街があります。このラブホテル街には、細い道路しかなく、車両で張り込みができる地点は非常に限定されています。ホテル街の周辺には小規模なソープランド街もあります。

池袋東口

池袋の東口にも小規模なラブホテル街があり、デリバリー風俗店の事務所も多数あります。外国人の多い池袋では、コロンビア人やロシア人など白人系の風俗嬢専門のデリバリー風俗店もあります。池袋東口のラブホテルでは、デリバリー風俗嬢の送迎役の風俗店店員が、外で待機していたりします。浮気調査の探偵調査員はトラブルを避けるため、そうした風俗関係者の存在に気をつけながら、目立たないように活動する必要があります。

 

池袋の裏社会勢力

的屋系暴力団の極東会が伝統的に池袋を仕切ってきました。極東会(きょくとうかい)は、的屋系暴力団で唯一、指定暴力団に指定されています。極東会本部の住所は東京都豊島区西池袋1丁目29-5 山の手ビル4FC号で、 Google Mapにも登録されています。

報道によると、2020年に振り込み詐欺への関与で、2018年には職安法違反容疑で、極東会の幹部が逮捕されたことにより、池袋の極東会本部は、警視庁から捜索を受けています。極東会はテキヤ系団体で、2014年には、69際の組員が保健所の許可を受けず屋台でたこ焼きを販売していたもとで逮捕されたりしています。組関係者の逮捕報道を見る限り、闇金業務、振り込め詐欺、建設作業の日雇い人夫の人夫出し業務、等がシノギの中心であることがわかります。

他に、池袋から近い板橋区大山に拠点を置く住吉会系の幸平一家が池袋に縄張りを持っています。十三代目幸平一家(こうへいいっか)は東京都板橋区大山金井町54-15 サンライズ大山204号に本部を置き、住吉会の二次団体です。かつて、公平一家は、極東会と熾烈な縄張り争いをしていたとの報道があります。公平一家は、住吉会の二次団体であるので、本部は、当番の若い組員が24時間体制で警備に当たっています。ドア前に近づいたりすると、監視カメラで警備している組員がすぐに出れきて、注意されます。不用意に近づかないことが得策です。

なお、池袋4丁目に、公平一家傘下の貴幸会(きこうかい 東京都豊島区池袋4丁目29-2.6階)があります。上部団体は十三代目公平一家で、住吉会の三次団体です。

池袋には、中国系のバーや飲食店が多数あります。準暴力団のチャイニーズドラゴンが中国系の飲食店からみかじめ料を徴収しているようです。池袋の繁華街での張り込みでは、チャイニーズドラゴンのメンバーに目をつけられないよう注意が必要です。

北池袋の事故物件

大島てる氏が主催する事故物件公示サイトによると、北池袋の周辺(豊島区池袋1丁目から4丁目周辺)では、変死、自殺、殺人等のあった事故物件が45件集中しています。また、北池袋のラブホテル街は、新宿や渋谷のラブホテル街に比較すると、非常に小規模ですが、事故物件マップに掲載されている比率が非常に高いことがわかります。ラブホテルは、宿泊者の記録を取らない為、他殺、変死、自殺等が発生しやすい場所です。したがって、一般的な場所よりも、変死や他殺がラブホテルでより発生しやすいのですが、特に、池袋では事故発生率が高くなっています。池袋は、それだけ治安が悪いと言えなくはありません。

東京都内における調査はJapan PIへ

尾行や張り込みを行う探偵業者としては、闇社会の連中に被害妄想を起こさせないよう注意する必要があります。特に池袋は多国籍な街であり、様々なバックグラウンドの人たちが入り混じっているため、お互いの警戒心が強い傾向にあります。東京の探偵業者は、こういった複雑な土地の事情をよく理解した上で、エリアに応じて柔軟な対応を行いながら、調査を遂行する必要があります。Japan PIでは、東京の土地を知り尽くしたプロフェッショナルが調査を行います。

記事の執筆者:小山悟郎 (Goro Koyama)

株式会社Japan PI 代表、調査員歴30年を超えるバイリンガル探偵。1992年、東京都渋谷区の追跡調査センターへ入社し、現場調査員やケースマネージャーとして経験を積む。2002年、東京都新宿区にてJapan PIを創業し独立。探偵業務と外国語学習をライフワークとし、日本と海外で調査を行う。国際調査協議会(CII)、および世界探偵協会 (WAD) 会員。Japan Times、Beacon Reportsなど取材歴多数。