▼一人に可能なことは、万人にも可能であるーガンジー
先駆の挑戦が人の勇気と力となる。
▼完全さの意味を問い、別の視点から価値を見いだす。
この考えは人生においても大切だ。
▼どんな悩みや試練でも「幸福と勝利」の価値に転じていけるはずだ。
▼勇気の挑戦が、可能性を開くのだ。
▼環境に決して負けることなく、生命を磨き続けるのである。
▼幸福は、与えられるものではない、自ら勝ち取るものだ。
自分から行動を起こす<自発の心>を大切にしたい。
▼一人に可能なことは、万人にも可能であるーガンジー
先駆の挑戦が人の勇気と力となる。
▼完全さの意味を問い、別の視点から価値を見いだす。
この考えは人生においても大切だ。
▼どんな悩みや試練でも「幸福と勝利」の価値に転じていけるはずだ。
▼勇気の挑戦が、可能性を開くのだ。
▼環境に決して負けることなく、生命を磨き続けるのである。
▼幸福は、与えられるものではない、自ら勝ち取るものだ。
自分から行動を起こす<自発の心>を大切にしたい。
スマトラ島沖地震(スマトラとうおきじしん)は、2004年12月26日、インドネシア西部時間7時58分53秒(UTC0時58分)インドネシア西部、スマトラ島北西沖のインド洋で発生したマグニチュード9.1-9.3の地震である。単に「スマトラ島沖地震」といった場合、この地震を指すことが多い。
インド洋に面した各国の沿岸部に大津波による甚大な人的被害・物的被害をもたらしたことから、別名『インド洋大津波』と呼ばれることも多い。
ネパール地震(ネパールじしん、Nepal earthquake)は、2015年4月25日にネパールで発生した地震のこと。ネパール大地震とも呼ばれている。
現地時間2015年4月25日11時56分にネパールの首都カトマンズ北西77km付近、ガンダキ県ゴルカ郡サウラパニの深さ15kmを震源として発生した地震で、アメリカ地質調査所(USGS)によれば地震の規模はMw7.8と推定されている。また中国地震局ではこの地震の規模をMs8.1としている。気象庁松代地震観測所によるMsは8.2。
この地震の強震によってネパールでは建物の倒壊、雪崩、土砂災害などにより甚大な被害が発生した。
またインドや中国のチベット自治区、バングラデシュなど周辺の国々でも人的被害が生じた。
地震動はメルカリ震度階級でIXがカトマンズで報告されている他、バラトプル、ビラートナガルでVIIIが報告されている。
ネパールやインド北部は元来地震が多い地域であるものの建物はレンガ積みの耐震性のない脆弱な構造のものが多く、また山岳地帯では地すべりも発生しやすいなど被害が大きくなりやすい。
特に人口が集中しているカトマンズ盆地は平均の深さが数百mになる湖底堆積物及び河川堆積物で盆地が形成されており、きわめて地盤が軟弱な土地である上、プレート境界断層の上盤側に存在している。またネパールを含む中部ヒマラヤは地震空白域として知られており、地震に対して特に脆弱な土地であることが知られていた。
復興自体が簡単にできません。
地域特有の課題もあるため、どの復興も「何がより良い復興なのか」を悩みながら携わりました。
中でも印象に残っているのh、ネパール地震の復興です。
貧困層の世帯ほど脆弱な住宅に住んでいるため、2015年のよって格差が広がったのが大きな課題でした。
そうした中にあって私たちは、建築家の専門家などと協力し、日本の建築の知恵を、土着の文化に組み込みながら、より耐震性の高い家を再建するための提言をネパール政府に提出。
しかし国際協力機構(JICA)の姿勢に反感の声もありました。
いつまた大地震が起こるかわからないと考えると、より耐震性の高い家を建てることこそが、国の将来のためになると考えたのです。
結局、ネパール政府は将来を見据えた国際協力機構(JICA)の提言に共感し、復興を進めていきました。
ネパールの人々が<自分の手で将来を変えられる>と信じて行動したからこそその復興と確信します。
復興に限らず、国際協力に携わる人間にとって大切なのは、相手の政府や市民から当事者のエンパワーメント(内発の力の開発)を信じ、主体性を重んじることです。
どんな見栄えのよい復興計画を立てたとしても、当事者が本気で復興に立ち上がらなければ、絶対に成功しません。
他人に任せず、より良い人生と防災の主体的な選択を自ら行う。
その積み重ねによって、災害が生きた時に落ち着いて命を守る行動が取れるようになるのではないでしょうか。
東北大学災害科学国際研究所の永見光三特任教授
自分が楽しむだけではなく、人に楽しさを伝えた。
それはネットの世界であり、カラオケ、動画、映画であり、酒の世界であり、競輪である。
時には愛の世界でもある。
山口 拳矢選手がどこまで、賞金を今後上積できるかが注目される。
9/21~24 | 長良川鵜飼カップ(G3) | 岐阜 | |
9/26~29 | みちのく記念善知鳥杯争奪戦(G3) | 青森 | |
10/3~6 | 火の国杯争奪戦(G3) | 熊本 | |
10/11~14 | 大阪関西万博協賛(G3) | 川崎 | |
10/11~14 | 大阪・関西万博協賛(G3)★ | 別府 | |
10/17~20 | 寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(G1) | 弥彦 | |
10/26~29 | ゴールドカップレース(G3) | 京王閣 | |
11/1~4 | 周防国府杯争奪戦(G3) | 防府 | |
11/7~10 | (G3) | 四日市 | |
11/14~17 | (G3) | 松阪 | |
11/19~24 | 朝日新聞社杯競輪祭・競輪祭女子王座戦(G1) | 小倉 | |
11/30~12/3 | (G3) | 大垣 |
9月21日~24日
SS | 地区 | 選手名 | 期 | 府県 | 選手名 | 期 | 府県 | 選手名 | 期 | 府県 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
南関東 | 深谷 知広 | 96 | 静岡 | |||||||
中部 | 117 | 岐阜 | ||||||||
中国 | 松浦 悠士 | 98 | 広島 | |||||||
S1 | 地区 | 選手名 | 期 | 府県 | 選手名 | 期 | 府県 | 選手名 | 期 | 府県 |
北日本 | 佐藤 和也 | 95 | 青森 | 佐藤 友和 | 88 | 岩手 | 菅田 壱道 | 91 | 宮城 | |
小松崎 大地 | 99 | 福島 | ||||||||
関東 | 佐藤 礼文 | 115 | 茨城 | 芦澤 大輔 | 90 | 茨城 | 杉本 正隆 | 96 | 茨城 | |
坂井 洋 | 115 | 栃木 | 平原 康多 | 87 | 埼玉 | |||||
南関東 | 鈴木 裕 | 92 | 千葉 | 青野 将大 | 117 | 神奈川 | 小原 太樹 | 95 | 神奈川 | |
中部 | 笠松 信幸 | 84 | 愛知 | 川口 聖二 | 103 | 岐阜 | 橋本 優己 | 117 | 岐阜 | |
志智 俊夫 | 70 | 岐阜 | 川口 公太朗 | 98 | 岐阜 | |||||
近畿 | 三谷 将太 | 92 | 奈良 | 神田 紘輔 | 100 | 大阪 | 福永 大智 | 113 | 大阪 | |
岡崎 智哉 | 96 | 大阪 | ||||||||
中国 | 柏野 智典 | 88 | 岡山 | 河端 朋之 | 95 | 岡山 | 町田 太我 | 117 | 広島 | |
四国 | 香川 雄介 | 76 | 香川 | 原 誠宏 | 91 | 香川 | 阿竹 智史 | 90 | 徳島 | |
原田 研太朗 | 98 | 徳島 | 橋本 強 | 89 | 愛媛 | |||||
九州 | 北津留 翼 | 90 | 福岡 | 山田 庸平 | 94 | 佐賀 | 瓜生 崇智 | 109 | 熊本 | |
伊藤 旭 | 117 | 熊本 | ||||||||
S2 | 地区 | 選手名 | 期 | 府県 | 選手名 | 期 | 府県 | 選手名 | 期 | 府県 |
北日本 | 藤根 俊貴 | 113 | 岩手 | 照井 拓成 | 115 | 岩手 | 木村 佑来 | 119 | 宮城 | |
竹山 陵太 | 91 | 宮城 | 安部 貴之 | 92 | 宮城 | 泉 慶輔 | 99 | 宮城 | ||
竹村 勇祐 | 96 | 秋田 | 佐藤 一伸 | 94 | 福島 | 佐伯 翔 | 97 | 福島 | ||
猪狩 祐樹 | 99 | 福島 | ||||||||
関東 | 木村 皆斗 | 119 | 茨城 | 飯嶋 則之 | 81 | 栃木 | 金子 真也 | 69 | 群馬 | |
天田 裕輝 | 91 | 群馬 | 一戸 康宏 | 101 | 埼玉 | 黒沢 征治 | 113 | 埼玉 | ||
小沼 良 | 68 | 埼玉 | 岸澤 賢太 | 91 | 埼玉 | 山田 義彦 | 92 | 埼玉 | ||
武田 亮 | 115 | 東京 | 朝倉 佳弘 | 90 | 東京 | 内藤 高裕 | 96 | 東京 | ||
長井 妙樹 | 96 | 東京 | 中島 詩音 | 119 | 山梨 | 滝本 幸正 | 121 | 新潟 | ||
南関東 | 山本 紳貴 | 107 | 千葉 | 野口 裕史 | 111 | 千葉 | 山賀 雅仁 | 87 | 千葉 | |
佐々木 龍 | 109 | 神奈川 | 齋藤 雄行 | 121 | 神奈川 | 石塚 孝幸 | 89 | 神奈川 | ||
武田 憲祐 | 93 | 神奈川 | 渡邉 晴智 | 73 | 静岡 | |||||
中部 | 纐纈 洸翔 | 121 | 愛知 | 松山 桂輔 | 88 | 愛知 | 山口 泰生 | 89 | 岐阜 | |
森川 大輔 | 92 | 岐阜 | 吉田 茂生 | 98 | 岐阜 | 谷口 明正 | 103 | 三重 | ||
小西 晴己 | 121 | 三重 | 村田 祐樹 | 121 | 富山 | 松崎 貴久 | 82 | 富山 | ||
近畿 | 佐藤 成人 | 71 | 奈良 | 古賀 勝大 | 115 | 和歌山 | 張野 幸聖 | 115 | 和歌山 | |
酒井 拳蔵 | 109 | 大阪 | 谷 和也 | 115 | 大阪 | 佐川 翔吾 | 94 | 大阪 | ||
志水 祐彦 | 94 | 大阪 | ||||||||
中国 | 山崎 泰己 | 101 | 岡山 | 橋本 凌汰 | 119 | 岡山 | 山根 将太 | 119 | 岡山 | |
柳谷 崇 | 87 | 岡山 | 戸田 洋平 | 92 | 岡山 | 吉永 好宏 | 80 | 広島 | ||
中村 昌弘 | 81 | 広島 | ||||||||
四国 | 渋谷 海 | 113 | 香川 | 三ツ石 康洋 | 86 | 徳島 | 伊藤 大彦 | 89 | 徳島 | |
山中 貴雄 | 90 | 高知 | 小原 周祐 | 99 | 高知 | 横内 裕人 | 100 | 愛媛 | ||
吉田 智哉 | 111 | 愛媛 | 上田 学 | 69 | 愛媛 | |||||
九州 | 市橋 司優人 | 103 | 福岡 | 原口 昌平 | 107 | 福岡 | 八尋 英輔 | 89 | 福岡 | |
松尾 信太郎 | 92 | 福岡 | 山口 敦也 | 113 | 佐賀 | 大野 悟郎 | 83 | 大分 | ||
兼本 将太 | 117 | 熊本 | 東矢 圭吾 | 121 | 熊本 |
※9月20日現在に取得した情報となります。閲覧時の正確な情報と異なっている可能性がございますのでご了承ください。
▼人には何等かの使命があるはずだ。
それを自覚するかどうかである。
そのためには、自身を磨き鍛え、人格を陶冶(とうや)していくことだ。
「人格の陶冶」とは、 実践を通して人間としての正しい生き方を磨き上げていくこと。
それには、挑戦力、忍耐力、責任感などを身につけ、自身の人間的な成長を図っていくことが極めて重要になる。
▼戦争の本質は、暴力であり、その対極にあるのが文化である。
戦争は破壊であり、武力による外からの人間の抑圧である。
これに対して、文化は創造であり、人間精神の内なる力によって育まれる<華>である。
そして、文化は、その民族や国家を理解する、最も有効な手がかりとなる。
また、文化は固有性とともに共感性を持ち、イデオロギーの壁を超えて、人間と人間を結ぶ、<磁石>の働きをもっている。
▼生命の発露として、新しき人間文化を建設し、広く世界に寄与する。
優れた文化・芸術を生み出すことは、共感と賛同を広げていくこととなる。
▼嘘や噂に惑わされず、自分の「目」で真実を見極めることだ大切である。
現代は「作られた映像」もウソをつく。
「見た」ものが「真実」とは限らない。
ウソも複雑になり、高度で巧妙なものとなっている。
だから、人間は賢明になることだ。
判断の能力を高めることだ。
嘘はどこまでも嘘にすぎない。
真実が覆い隠されてはならない。
「根拠」のない主張に惑わされない知性が必要だ。
東京駅の八重洲地下街の居酒屋「ホタル」の娘である北側春香は、太宰治を信奉する人であった。
彼女は、太宰の愛人となった人たちに、自らの妊娠した身を重ねたのである。
特に太宰の子を産んだ愛人・太田静子の斜陽の世界である。
実は、北側春香は東京女子大学に学び、卒業論文に太宰と斜陽の世界を選択した。
水野晃に春香は言った「あなたの愛を求めたのは、私の方からでした。だから、責任を取ってとか、奥さんと離婚してとも言いません。でも、私から離れないでください。私は子ども一人で育てていきますから・・・」
水野はその日、春香から築地のマンションに誘われていた。
母親の梓は3連の休みで網代の自宅に戻っていた。
2人は春香のベッドで交情を重ねた。
それは、彼の妻との交情では得られない愛欲の世界だった。
参考
太宰は、そのイメージに違わず、若い頃から恋多き男でした。
彼が最初に恋仲になった女性として記録に残っているのは、1927年(18歳)に知り合った故郷・青森の芸妓、小山初代です。当時すでに同人誌『細胞文芸』を立ち上げるなど執筆活動に打ち込んでいた太宰は、故郷で初代との逢瀬を重ね、21歳の頃には小山家と結納も交わしていました。
1935年、『文藝』に発表した小説『逆行』が芥川賞候補になるなど、作家としてのキャリアを順調に進めつつあった太宰。
しかし26歳のとき、腹膜炎により入院したことをきっかけに、鎮痛剤であるパビナールの中毒となってしまいます。
多いときには1日に50数本の注射を打つほどの依存状態に陥った太宰は、パビナール中毒の治療のために入院。入院時、不幸なことに初代が不貞行為を犯していたことを知ってショックを受けた太宰は、以後、初代と別居状態になります。
そんな中、29歳にして出会ったのが、のちに太宰の正妻となるインテリ女性・石原美知子でした。太宰は師事していた井伏鱒二の紹介により、山梨で女学校の教師をしていた美知子と見合いをし、結婚を決めます。
初代との破局以前にもバーの女給と心中未遂を図るなど、私生活が乱れに乱れていた太宰。彼は、美知子との結婚にあたって自らの覚悟が半端なものではないと示すため、当時、井伏鱒二にこんな手紙を送っています。
この前の不手際は、私としても平気で行ったことでは、ございませぬ。私は、あのときの苦しみ以来、多少、人生というものを知りました。結婚というものの本義を知りました。結婚は、家庭は、努力であると思います。厳粛な、努力であると信じます。
ふたたび私が、破婚を繰りかえしたときには、私を完全の狂人として、棄てて下さい。
井伏鱒二『太宰治』より
美知子との結婚生活をスタートさせた太宰は、『富嶽百景』、『走れメロス』といった素晴らしい短編作品を多数執筆しました。小説家としての地位と名声を順調に得つつあった太宰が32歳にして出会った女性が、歌人で作家の太田静子です。
太田静子には、25歳で弟の同僚からの熱心な求婚を受けて結婚するも、夫を愛することができずわずか1年ほどで離婚したという過去がありました。
女学校時代から口語短歌や詩歌を嗜んでいた静子は、離婚直後にふと読んだ太宰の小説に惹かれ、小説を書きたいので指導してほしい、という内容の手紙を太宰に送ります。太宰はこの手紙に“お気が向いたら、どうぞおあそびにいらして下さい”と返事をし、静子を自宅に招きました。そして太宰と静子はその出会いをきっかけに、恋に落ちてしまったのです。
太宰と静子はそれから、妻・美知子の目を盗んで逢い引きを重ねるようになります。太宰は静子に送ったラブレターの中に
僕は今日まで、結婚の時にたてた誓いを一
所懸命まもって来た。だけど、もうどうしていいか分からなくなった
一ばんいいひととして、ひっそり命がけで生きてゐて下さい
などと記すほど、静子に夢中でした。
第二次世界大戦が終わる頃、すでに大人気作家として多忙な毎日を送っていた太宰は、数年ぶりに静子との再会を果たします。しかし、太宰が静子に告げたのは、“小説の材料のために、日記を提供してほしい”という依頼のみでした。
太宰に依頼されて静子が提供した日記は、小説『斜陽』のモデルとなります。静子はその際に太宰の子を身ごもるも、それ以来太宰からの態度は冷たくなり、“自分は小説の材料として利用されただけなのではないか”と疑念を抱き続けていたといいます。
実は、太宰は静子から日記の提供を受けたのと同じ頃、東京・三鷹で美容師をしていたある女性と屋台で知り合いになっていました。その女性こそ、太宰とともに心中した最後の愛人・山崎富栄です。
富栄は太宰の著作を読んだことがなかったものの、出会ってすぐに太宰に好感を持ったようで、
愛してしまいました。先生を愛してしまいました。
と情熱的な日記を綴っています。そして太宰も、
死ぬ気で恋愛してみないか
と持ちかけ、ふたりは恋人同士になったのでした。
非常に情熱的で、嫉妬深い性格だった富栄。38歳になっていた太宰は『ヴィヨンの妻』発表後から体調を崩し、仕事部屋にこもりがちになっていました。富栄は美容師を辞めてそんな太宰の世話を甲斐甲斐しく焼く一方で、部屋に青酸カリを隠していると太宰を脅し、彼を精神的に追い詰めていきます。
富栄は太宰と心中自殺をする直前、静子に宛ててこんな手紙を投函していました。
修治さんはお弱いかたなので 貴女やわたしやその他の人達にまでおつくし出来ないのです わたしは修治さんが、好きなので ご一緒に死にます
太宰が富栄とともに玉川上水で心中したのは、1948年6月13日。太宰の遺体が見つかった川原には“下駄で摺った跡”があったとされており、井伏鱒二はこれを、
太宰が死ぬまいと最後の瞬間に抵抗した名残りだろうと思った。
と分析しています。
9月20日午前1時15分からCSテレビのザ・シネマで観た。
かなりの迫力と知力を駆使したも物語であった。
良くできた作品として高く評価したい。
『ラッシュアワー』(1998)や『天使のくれた時間』(2000)のブレット・ラトナーが監督を手掛けた『レッド・ドラゴン』は、トマス・ハリスの同名小説を映画化した作品です。
自らを「レッド・ドラゴン」へと昇華させるために猟奇的な殺人鬼と、『羊たちの沈黙』(1991)のFBI捜査官クラリスとハンニバル・レクターが出会うまでを描いたミステリーサスペンス映画。
『エレファント・マン』(1980)のアンソニーホプキンスや、『ファイト・クラブ』(1999)のエドワード・ノートン『シンドラーのリスト』(1994)のレイフ・ファインズが出演し、殺人鬼の深層心理や、犯行の裏に隠れたコンプレックスに迫っていく様子を描いています。
【原作】
トマス・ハリス
【監督】
ブレット・ラトナー
【キャスト】
アンソニー・ホプキンス、エドワード・ノートン、レイフ・ファインズ、ハーベイ・カイテル、エミリー・ワトソン、メアリー=ルイーズ・パーカー、フィリップ・シーモア・ホフマン
【作品概要】
『ラッシュアワー』のブレット・ラトナーが監督を務めたミステリーサスペンス映画。
トマス・ハリスによる「ハンニバル・レクター3部作」の1作目にあたる同名小説を映画化した作品であり、ジョナサン・デミ監督が映画化した『羊たちの沈黙』の前日譚といえる物語を描き出します。
『羊たちの沈黙』『ハンニバル』同様、アンソニー・ホプキンスが“人食い”の殺人鬼ハンニバル・レクターを演じています。
精神科医であるハンニバル・レクターは、FBI捜査官のグレアムに捜査の協力を求められていました。グレアムは、レクター博士をうならせるほどの推理力、想像力で犯人を推測します。
グレアムの分析では、犯人は解剖学の技術を持ち、背中の一部……「人間を食べる時に一番おいしい箇所」を食用として切り取っていると考えていました。またグレアムは、頭脳明晰なレクター博士がこの推理に至らなかったことを不審に思います。
レクター博士がグレアムを残して部屋を去ると、グレアムはその隙に棚をあさり、食人に関する本を見つけます。グレアムはレクター博士こそが犯人だと確信しますが、背後からレクター博士に刺されてしまいます。
グレアムは銃で反撃。二人は重傷を負い、ウィルはFBIを辞め、レクター博士は逮捕されました。
レクター博士を捕まえてから数年後。グレアムは妻のモリー、娘のジョシュと平穏に暮らしていました。そんなある日FBIから、連続して起こった一家惨殺事件の捜査協力を求められます。
“噛みつき魔”と称される殺人鬼を捕まえられるのはグレアムしかいないと、FBIのクロフォードが言います。グレアムはしぶしぶ、依頼を引き受けます。
殺人現場の鏡は全て割られていました。また犯人は犯行の際、暗闇で夫を殺したのち、妻には夫の死にゆく姿を見せつけていたことにも気づきました。また子どもたちは殺されてから両親のもとに運ばれ、家族全員の目には鏡がはめ込まれているという、明らかに異常な殺人事件でした。
グレアムは、レクター博士の独房を訪れます。レクター博士が獄中で書いた論文を、“素人”の自分でも楽しめたと、グレアムは褒めます。自分自身を捕まえることができたほどの実力者の“素人”という発言に、レクター博士は引っかかりました。
レクター博士が獄中で欲しているものと引き換えに、グレアムは二つの連続殺人についての意見を求めます。また巧みにレクター博士を挑発し、彼の捜査協力を得ることにも成功しました。
レクター博士という魅力的な人物と共に事件を追っていくという点は『羊たちの沈黙』と同じです。しかし、レクター博士に関するシーンが無い分、本作品の方がスッキリとした作りになっています。
シリーズ最高傑作の『羊たちの沈黙』を超えているとは言いがたいものの、同情してしまうほどに弱々しく哀しい殺人鬼ダラハイドの描写が素晴らしいです。
“レッド・ドラゴン”は多くの人々を惑わす悪魔だと推測されています。ヨハネの黙示録では、女と竜(レッド・ドラゴン)が対峙していますが、その女というのも、聖母マリアであるといった推測や、イエス・キリストを女として表現しているなど、諸説あります。
そんな強大な力を持つレッド・ドラゴンを、ダラハイドは絶対的なものだと考えていました。また、ダラハイドが体の中に取り込んだウィリアム・ブレイクの絵画では、レッドドラゴンが聖母を圧倒している瞬間が描かれています。
「ハンニバル・レクター3部作」の魅力の一つに、殺人鬼にとことんスポットライトを当てるという点があります。
レクター博士やグレアムのような、想像力に富んだ人たちが物語を引っ張っていることにより、犯人像が詳細に描写されています。
そして、殺人鬼の思考が発覚していくと、殺人鬼も私たちと同じ人間で、ただ不遇な生まれだっただけにすぎないのかもしれないと思わせます。
犯人の思考や生い立ちを想像していくことによって、追って追われてのサスペンス的展開とは異なるスリルが生まれていました。
クラリスと出会う前のレクター博士、そして優秀なFBI捜査官のグレアムが殺人鬼ダラハイドを捕えるまでを描いた『レッド・ドラゴン』。
殺人現場は、非常に残虐でショッキングですが、そんな殺人鬼の弱さや恐怖、トラウマを植え付けられた生い立ちまで、詳細に描かれています。
トラウマを乗り越える方法が殺人だったダラハイドという存在が、ただただ哀しい『レッド・ドラゴン』。加害者もまた自分たちと同じように生き、同じように苦悩している人間だと考えさせられる映画です。