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映画 FALL・フォール

2024年09月30日 16時45分19秒 | 社会・文化・政治・経済

9月29日午後11時からCSテレビのムービープラスで観た。

高度恐怖の立場の身の人には、恐怖ばかり覚えてドラマの展開であった。

映像は、狭い地上600メールの棟の最上部の足場に取り残された女性二人の死の恐怖が迫る中で展開される迫真性に満ちていたドラマであった。

 

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突然、上ってきた足場が腐敗していて崩れてしまうのだ。
死と隣り合あわの恐怖の始まりとなる。
 
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あらすじ

山でのフリークライミングの最中に夫・ダンを落下事故で亡くしたベッキーは、悲しみから抜け出せず1年が経とうとしていた。

ある日、ベッキーを立ち直らせようと親友のハンターが新たにクライミングの計画を立てる。

今は使われていない地上600mのモンスター級のテレビ塔をターゲットとして選んだ彼女たちは、老朽化で足場が不安定になった梯子を登り続け、なんとか頂上へと到達することに成功するのだが…。

出演者

グレイス・カリーベッキー

バージニア・ガードナーハンター

ジェフリー・ディーン・モーガンジェームズ

メイソン・グッディングダン

ジュリア・ペイス・ミッチェル

ジャスパー・コール

 

鑑賞前、多少舐めた気持ちでいた自分が恥ずかしい。シンプルな状況や構造を極めるとそれは一つの発明にもなるし、芸術になる。そのことを強く印象付けてくれた作品だ。物語は単純明快。トラウマを持つ女性が、親友と共に荒野に建つテレビ塔に昇る。

そして世の中と隔絶された頂上にて孤立無援に陥り、壮絶なサバイバルが幕を開けるーーー。映画というものは誕生以来、様々な「絶体絶命」の型を生み出してきたが、海でも山でも宇宙でも戦時下でも殺人鬼との対峙でもなく、こんなカリン塔を思わせる細長い棒が天空へと突き出した尖端で、きちんと丁寧なドラマとサスペンスが展開していくのだから大したものだ。

ぱっと見、低予算をCG描写で埋め合わせたかのような状況設定でありながら、その実、直径1mほどの円形空間は、崇高な演劇舞台にも匹敵する。後半に訪れるちょっとした構成上のひねりも巧い。こういう映画に出会うと「やられた!」という気持ちになる。

 

まず、限られた空間の中でこれだけ面白い作品を作り上げたことがすごい!

人間模様だっなり、ところどころの発言が伏線になっていたりなど、細かな工夫もあって、飽きずに最後まで見られました!

ただ、一つ大きな欠点が、せっかく高所の設定なのにそのハラハラを感じられる場面が少なかったことです。序盤こそあったものの、後半になるに連れて、高所特有の恐怖は無くなり、その点は物足りなかったです。

 

クライマーがエッフェル塔よりも高い地上600メートルの電波塔に登り降りられなくという単純なストーリー。
単純だからこそどうやって降りるの?という先の見えない感じと落ちたら即死の恐怖が観ていてハラハラしました。

ラストはゾッとしたけどまさに適者生存だな、、と少し感心した。

 

愛する夫の遺灰を?そこから?うーん。

『地上600m』という久しぶりにガッチリとハートを掴まれるインパクトあるキャッチコピー。ちなみに高さは東京スカイツリーくらい?どんだけ高い所をハシゴだけで登ったんだ。


鑑賞者のほとんどは感情移入しにくい動機。もう少し入り口が広いと良かったが、まぁ普通の神経で登ろうとは到底思えないので致し方無いか。

塔の頂上という決まりきった構図、限られたカメラワークの中で、思いの外に中弛みさせずの脚本は素晴らしい。
設定段階でのツッコミどころは多々あるが、要所要所で伏線回収もしっかり行い、色々なアイデアが存分に盛り込まれており飽きさせない。
塔の上で、友人、夫婦、親子の様々な人間の愛が見え隠れする、ヒューマンサスペンスな側面も。個人的にはここで少し引いてしまった。難しい。。。

ラストは全く読めず、、、クライマックスの判断は衝撃だった。ベッキー父の、娘へ

 
 
ロッククライミング中に転落して彼氏を亡くした女性とその友人の女性の物語。彼氏を無くして1年間引きこもっていたが、友人に、思い切って弔おうと誘われて600メートルの塔の頂上を目指すことを決意する。怖がりながらも何とか頂上にたどり着いて、亡くなった彼氏を弔う事ができ、スッキリして地上に戻ろうとハシゴに足をかけた瞬間、ハシゴが崩れてしまった。取り残された2人はどのよううに生き残ることができるのかという物語であった。ハラハラなカメラ使いと展開がとても面白かった。
 
 
いかにも欧米人的価値観を全面に出した作品
思い描いた通りのストーリー展開
加えて、決して曲げようとしない価値観
日本の場合、必ずあるのが「教訓」
それがないのが欧米人的価値観
それでも「絶対正しい」という概念
少し話はズレるが、
昨今日本で問題となっている外国人コミュニティ
ほぼすべての外国人が自国の概念を持ち込み、その習慣に妥協せず、日本人の習慣やルールに妥協を求めている。
例えばイスラム圏民族の埋葬
彼らは宗教上決して火葬しない。
土葬は日本で禁じられいるが、足利市などの数か所ですでに土葬が始まっている事実がある。マスコミは決して伝えない。
他人には妥協を求め、自分は決して妥協しない。
この精神はある意味立派だが、この作品全体が見せているものこそ、このような概念に思えてならない。
ベッキーは最後救助され

民衆の声を背景に<下からの改革>のうねりを高めていく

2024年09月30日 13時54分47秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼ただ一つ疑いのない幸福は人の為に生きること―トルストイ

地域に善のスクラムを拡大する。

▼信心とは、まず祈ることから始まる。その中で智慧が生まれ、確信が深まり、人生を開いていける。

▼国連の「未来サミット」が9月22、23日、ニューヨークの国連本部で行われた。

採択されたのは「未来のための協定」である。

コロナ禍で迎えた、2020年9月の国連総会。

パンデミックをはじめとする世界的脅威に立ち向かうには、あらゆる国の人々が協力する「多国主義」が欠かせない。

その重要性が今回のサミットの焦点となった。

今年3月に開催された「未来アクションフェス」には約7万人の若者が東京・国立競技場に集った。

共同声明が発表された。

「気候危機の打開」「核兵器なき世界の実現」「意思決定プロセスへの若者の参画」「国連改革」という4つの柱kらなる声明は、その後、政府機関や未来サミットの準備会議に届けられた。

▼国連を支援する民衆の声を背景とした、<下からの改革>のうねりを高めていくことが、どうしても不可欠である。

「未来のための協定」の履行には、市民社会の後押しが必要だ。

青年を中心に「誰も置き去りにしない」とのSDGsの理念と行動が期待されている。

 


難は乗り越えられるものだ

2024年09月30日 13時09分31秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼「瞬間」には、「過去」も「未来」も含まれる。

▼「師子でるならば、千尋の谷から這い上がれ」

定まらない弱い一念では、宿命を転換することはできない。

言葉はなくとも、一念を変革する無限の広がりを持つ励ましを贈る。

宿命とは、宿命と運命はどちらも自分の意志に関わらずやってくる避けて通れないものという意味である。

だが、それは生きる使命を深く自覚することで、宿命は良い方向へ転換できるのである。

▼師匠と「同じ請願」「同じ理想」「同じ行動」を貫けば師を同じ境涯に達することができる。

境涯とは、生きていく上で、人がおかれている立場。境遇。

▼難は乗り越えられるものだ。

自分自身の強い一念が、一切の人生の戦いの基本でる。

▼多様な生命は地球に突如発生したわけではなく、共通の先祖から進化した結果である―ダーウィンの「種の起源」で提唱したのは165年前のことだ。

その主張は<神によって創造された>とする当時の生命観を一変させた。

 

 


創作 人生の相性 おわり

2024年09月30日 12時17分30秒 | 創作欄

「あなたのナナ、わたしはナナのまま死にます。永遠に愛するみどりのベッドで、天国で会いましょう。きっとよ。いいわね」みどりのテールの卓上の便箋に記したナナの遺書であった。

その日、みどりは12時過ぎまで銀座のクラブ「愛園」で働いていたが、客の一人に誘われ外泊していた。

その客は40台の女の飲食店経営者であり、みどりをお気に入りであり、女同士の愛を迫っていて、みどりは相手の誘いを断りきれなかったのである。

ナナは大量の睡眠薬を飲み、それが致命的な原因で絶命にいたる。

腕には剃刀による躊躇い傷も残されていたそうだ。

司法解剖で妊娠7か月であることが判明した。

さぞかし、みどりは大きな衝撃を受けたであろう。

足立は、ナナの死をみどりからの電話で知らされる。

「みどりです、足立さんに、大きな悲しみをお伝えします。ナナさんが私の部屋で亡くなりました。わたしは大丈夫です。ナナさんの分も生きていきます。さよなら」悲哀を秘めた声であった。

電話はそれきりで切れてしまう。

足立は受話器を握りしめて茫然自失する。

ナナは自ら死を選んだのであるが「何故なんだ!ナナには、死ぬ必然性があったのか?」「人はなぜ、自ら死を選ぶのか?」足立幸雄は自らに問い続けた。

実は、足立の妹の晶子は17歳の若さで自ら死を絶っていた。

当時、大学生2年生であった足立は、両親の深い悲しみをいつまでも見守っていたのである。

人生には出会いがあり、そこに相性も生まれ、そして別れもあることが実に侘しくもあり、腹立ちでもあった。

結局、足立は競馬にはまり、40歳まで独身を貫くこととなる。

 

 

 


創作 人生の相性 19)

2024年09月30日 11時52分39秒 | その気になる言葉

「わたし、みどりです。ナナさんがしきりに足立さんに会いたがっています。電話をしてやってください。要件はそれだけです」電話でそれで切れた。
「なんだろう?!」足立幸雄が胸騒ぎがした。
みどりの声は足立が好む、ソフトで甘い声として余韻を残した。

その日もナナは、帝国ホテルの帝国ホテルのロビーラウンジで足立を待っていた。
彼女は和服姿では、長いスカートの淡いピンクのスーツ姿であった。
「あら、約束どおりに来てくれたのね」席に座った足立の手をナナが握る。
「彼女できたの?」
「いいえ」
「ダメね。あなたは・・・」彼女はブランド品のイタリア製バックからタバコのピースを取り出す」
「ナナさん、何時からタバコを」
「変でしょ。タバコは1年前から吸っているわ」足立はタバコは吸わないがピースの香りを好んでいた。
今は亡き、親友の水野晃の嗜好タバコだったのだ。
「眠れずに、睡眠薬も。あなたを思い出すのね。私の結婚は失敗したの。夫とは相性が合わないの。それであなたの名前も呼ぶことも。夫とのセックスの中で、愚かな女なのね」
「夫は突然、私の裸の体から離れ、<幸雄とは誰だ>と何度も問い詰めたのよ、当然よね」
その夜を境にナナ不眠症になったそうだ。


創作 人生の相性 18)

2024年09月30日 07時43分02秒 | 創作欄

結婚したナナが2年後、足立幸雄を訪ねてきた。

会ったのは帝国ホテルのロビーラウンジであった。

ロビーにありながら、都会的で落ち着いた雰囲気の店内で足立を待つナナは、藤色の和服姿で人妻の雰囲気を醸し出していた。

ミニスカートの当時とはガラリと変貌していていて、ロングの長い髪もアップにしていた。

「あなた、まだ、髭なのね。もう髭を剃ってもいいのよ」ナナはほほ笑む。

ナナの足立への多少の拘り、そして、愛人の大村みどりの関係を未だに断ち切れずにいたのだ。

「もしも、あならが良ければ、みどりと結婚してほしいの」ナナの意外な言葉に、足立はとても複雑な気持ちとなるのだ。

足立はナナへの想いを未だ断ち切れずにいて、心が揺れ動き沈黙するばかりとなる。

足立はみどりと2回、築地のナナのマンションで出会っていた。

みどりはナナより美貌の人でり、行動的なナナとは対照で寡黙な人であった。

彼女は盛岡の生まれで22歳の時に上京し、夜の世界の女となる。

銀座のクラブ「愛園」は、みどりが2軒目に働いた店で、ナナの後輩のホステスとなる。

その時期には、既に足立は「愛園」に行っていない。

足立はナナとは店ではなく、ナナのマンションでの交情となっていた。

「あんないい女と結婚」ナナへの思慕を断ち切るずにいる一方で、ナナの申し入れに、足立は突然にも期待を募らせるのだ。

「その気持ちになったら、私に連絡してね」ナナは夫とホテルで食事の約束をしていて、直ぐに席を立つ。

足立は和服姿のナナの豊かな腰へ視線を向けていた。

2年の歳月でナナはいくらか太っていたのだ。

「わたし、痛いだけで、セックスは好きになれないのね」ナナの言葉にも足立は拘る。

 


創作 人生の相性 17)

2024年09月30日 03時59分09秒 | 創作欄

銀座のクラブ「愛園」のナナは足立幸雄と知り合って1年後に、客で訪れていた私立病院の院長の松平貴康と結婚した。

松平は2年前に妻を子宮がんで亡くしていた。

ナナは亡くなった妻の秋子と容貌が似ていたのだ。

秋子は神戸の芦屋生まれであり、清楚な人であったそうだ。

一方のナナは行動的な女であった。

彼女は仙台の高校から体操をやっていて日本体育大学へ進学したが平均台で着地に失敗し腰を痛めてから競技の体操から離れる。

挫折したナナは学生時代から夜の世界で生きる女となる。

本名は藤間芳子であった。

彼女は足立幸雄とで出会った時は25歳であった。

「私はね、26歳で結婚するの。相手は女よ」ナナは微笑みながら言っていた。

その通りとなるが、相手は男であった。

どのような経緯で性の嗜好が変わったのであろうか、足立には不可思議である。

「子どもは欲しいの」ナナは母性本能に目覚めたのであろうか?

彼女は結婚するまで、男を知らなかった。

ナナは高校生時代から女を愛する人であり、女性的な足立幸雄と相性があって、彼と寝ても性行為は許さなかった。

一方、足立には性情的には常に受け身であり、本能のまま女を犯すほどの野獣性がなかったのだ。

母親を知らないナナは「あなたは、もしかしてママの生まれ代わりかもしれないわ」と言って足立の乳首を吸うのである。

「ママ、ママ」ナナの哀愁を帯びた声が足立には言い知れぬ戦慄を及ぼす。

そして、ナナの手淫で足立は液を垂れる。

「よかったのね。あなた」彼女は自分の胸を足立に触らせることはなかった。

許すのはナナの背中への口づけであった。

ナナの愛人の大村みどりにも背中への愛撫と口づけを要求していて「あなた、愛撫が段々上手になったわ。あ~あ~そこがいいのそこが・・・」足立の愛撫にもナナは歓喜し、身を捩らせ呻き声を上げるのである。