11月9日(木)のつぶやき

2017年11月10日 03時28分23秒 | 医科・歯科・介護

目指すものが革新的であればあるほど

2017年11月09日 16時32分37秒 | 沼田利根の言いたい放題
先駆者の征路は、目指すものが革新的であればあるほど、険路であり、孤独である。
キリスト、ソクラテスも当時、革新的であっただろう。
我が国の日蓮も然りである。
大聖人と崇められる立場であるのは、人類の稀有な師匠であるからだ。
<仏の生命が人間に内在する>と悟り、説いたのである。
一人ひとりに内在する無限の可能性を開く、宗教運動はこれまでの人類史に例を見ないものである。
その行路には、無理解による非難、中傷、迫害、弾圧があるのも必然。
鎌倉時代に、民衆の自律や<心の大切さ><生きる意義>を生命次元から解き明かしたことは、実に革新的であった。









平和への強き決意と不断の行動

2017年11月09日 14時44分41秒 | 社会・文化・政治・経済
自分の足元を固めた人が勝者となる。
自らの地域を盤石に築くために努力を。

戦う者は地域を握っていなければならない。キューバの英雄・ホセ・マルティ

大いなる誠実な努力も
ただ たゆまずしずかに続けるうちに・・・
いつの日か晴れやかに日の目を見る
ゲーテ

ベルリンの壁も人間が築き。
人間が壁を崩した。

平和への強き決意と不断の行動が困難の壁を打ち破る。
つながる生き方が大切なのだ!

これが道を歩くことだった

2017年11月09日 14時09分05秒 | 沼田利根の言いたい放題
<絶望が虚妄でるのは、まさに希望と同じだ!>ハンガリーの詩人・ペテーフィ・シャーンドル

<思うに、希望とは、もともとあうものだともいえぬし、ないものだともいえない。
それは地上の道のようなものである。
もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ>魯迅

人生は生きねばならない。
歩き続けなければならない。
魯迅は青年に訴え、未来を託したのである。

水俣という場で、患者が自らのいのちと真摯に向き合い、自らの可能性を切り開くのを見る中、私は、いのちの岸部に立っていることを知ったのです。
詩人・坂本直充(なおみつ)さん

坂本さんは、知識としての水俣病だけでなく、水俣病患者一人ひとりの人生に触れたことで、<詩の言葉が次第に崩れなくなった>そうだ。
それまでは、いくら詩を書こうとしても、言葉が砂のように崩れたという。
「ようやく納得のできる言葉にたどり着いたよな思いでした」と振りける。
「そして、分かったのです。これが希望ということだったのだ、これが道を歩くことだった」と。

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<想像力のなさが>

厳しい言い方をするが、<無知が><不勉強が><努力不足が><視野狭窄が><生命力の低下が><自己中心が><甘えが><想像力のなさが>基本的問題。
果たすべき使命に気付かず<死魔>に翻弄され自殺に誘われるのだ。と。
生命尊厳を説かない大人(親や教師)の責任でもある。
死ぬほどに苦しむ難病の人、内戦により難民となる人々の苦闘や絶望などを想像してみることだ。沼田利根

哲学不在の時代

2017年11月09日 13時18分20秒 | 沼田利根の言いたい放題
今日は、久しぶりの八重洲地区のブロックの会合へ参加した。
午前10時30分~11時30分。
珍しく幼児が2人。
まだ1歳半という。
我々が台宿の雇用促進住宅から八重洲団地へ越して来た頃は、会合に子どもたちの姿があった。
団塊の世代の子どもたちであり、あるいはもう少し後の世代の子どもたちである。
その時の子どもたちが親となり、幼児をともなう。
我が家に孫が居ないことが淋しいと思いんがら、可愛らしい幼児を見守る。
お菓子をもらい喜ぶ姿や幼児2人が玩具やキャラクターの人形で遊ぶ姿に皆さん笑みがこぼれる。
歌の合唱、啓発ビデオを観てから、月刊誌の巻頭言の朗読。
当方は、うつかりして11月号ではなく10月号を持参してしまう。
みなさんの一言。
今月の末に、井野地区へ移転する友人の一人が挨拶。
ブロック責任者お二人の挨拶。
原稿に書いてきて読み上げる内容に感心した。
「人材として育っていくな」と頼もしくなる。
文章の内容と論旨が確りとしていて、ポイントを押さえていた。
知的センスを感じさせた。
最後に、圏(ゾーン)の婦人部長が挨拶した。
感動的内容であり鼓舞された。
哲学不在の時代こそ確かな人生の指針となる哲学が大切である。
自ら掲げた目標や課題にどこまでも挑み続けられるかだ。

相互理解と共感

2017年11月09日 12時39分45秒 | 社会・文化・政治・経済
一冊の良書には、人生を変える力がある。

テロの脅威、核兵器の拡散、内戦など現代社会の多くの課題の底流にある<対立>と<分断>の原因は何か?
他の人々を理解しようとする試み。
問題を解決するための糸口を模索する。
その方途は圧力ではなく<対話>と<教育>が重要である。
<異なる文化、宗教、民族の壁を越えて、どう人類を調和できるのか>
対話こそ、時代を変革するための新しい創造性を生み出す源泉。
相互理解と共感こそ<崇高なヒューマニズム>

高止まりする若者の自殺

2017年11月09日 08時08分44秒 | 沼田利根の言いたい放題
日本の自殺者は2003年をピークに減ってきている。
だが、15~39歳の死因は自殺が最も多い。
15~34歳の自殺率は事故による死亡率の2・6倍。
先進7国で自殺が事故死を上回るのは日本だけ。
自殺が多い国なのか、事故が少ない国安全な国なんか、の検証も必要であるが、自己肯定感の低さ、つまり生命力の減退は見逃せない。
希望が持てない閉塞感、居場所がないとの迷い。
「心の問題」に帰着する。
日本は世界で唯一の異常な国でもある。
少子中学生や女子高校の援助交際を生み出したのは、大人たちである。
簡単に現金収入を得ようとする女の子と大人の男の欲情。
屈折した世界は国際的にも類例がなかったなかったのではないだろうか。
自分を大切にできない子どもたちの未熟さを生み出したのも、大人たちである。
子ども置き去りにしてパチンコに明け暮れた母親や育児放棄も子どもたちに何らかの影響を及ぼしただろう。
<安易さ>が日本に蔓延しているのであろう。
他人の不幸や弱さにつけこむ風潮でもある。沼田利根

11月8日(水)のつぶやき

2017年11月09日 03時28分40秒 | 医科・歯科・介護

「足元に幸福」

2017年11月08日 10時32分47秒 | 沼田利根の言いたい放題
先のことを思い煩って焦るより、足元を見つめ<今>を大切に生きることで心は豊かになる。
「日々忙しい、そんな暇ないよ」と友人の一人が言えば、「そうだよね」ともう一人の友人が肯く。
そうして、時間ばかりが過ぎていく。
「足元に幸福」があるのだが、それに気付かない。
<自分らしく、自由に>
例え、組織の一員であっても、自分の世界があり、それなりに幅を広げて<充実>して生きたいものだ。
視野狭窄にはなるまい。
沼田利根

<心のお守り>になれる仕組み

2017年11月08日 05時12分58秒 | 沼田利根の言いたい放題
警察庁の統計によると毎年、全国で8万人を超える行方不明者がおり、そのうち4割を20代までの若者が占めるそうだ。
引きこもりの人は自宅内に、行方不明者は自宅外にという構図である。
サラ金・街金地獄から逃れた人も居るだろう。
あるいは暴力から逃れた人や不祥事を起こし居場所を無くした人も。
人身売買、拉致・監禁なども。
「消えてなくなりたい」
「居場所がない」
「死にたい」
自己肯定感が希薄になっている若者たち。
夢を追って自宅から飛び出す若者にはまだ救いがある。
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どうやれば、「ここに連絡すれば分かってもらえる、救ってもらえる」と多くの若者の<心のお守り>になれる仕組みを作ることができるのか。
かなり昔から多くの人が考えているが、いまだに答えがでない。
でも、考え続けるしかない。精神科医・香山リカさん

宗教団体も<心のお守り>になれる仕組みの一つであろうか。

ホイットマンは大正時代の人たちに大きな影響

2017年11月08日 02時44分45秒 | 社会・文化・政治・経済
米国の詩人ホイットマンの詩は「観念的な現代詩とはまったく違います。すごく気持ちがいい。人間の意識下に潜むポエジー、詩情は、今も世界に満ちあふれています」詩人・谷川俊太郎さん
「民衆に光を当て、その開拓者精神をうたったホイットマンと同じく、富田砕花(さいか)も、名も無き人に広く接する精神があったのだと思います」
詩人で富田砕花賞の選考委員長・たかとう匡子(まさこ)さん
ホイットマンは大正時代の人たちに大きな影響を与えた。
ホイットマンを日本に広く紹介したのが、富田砕花。
有島武男、芥川龍之介、谷崎潤一郎たちと交流していた。
谷川さんの父で哲学者の谷川徹三さんは旧制一高の時に「草の葉」ホイットマン詩集と出会い、哲学を一生の仕事と決めた。
同じころ、白樺派の文学者として世に出る直前の有島武男が一高の学生らとホイットマンの詩を読み、語り合う「草の葉会」(別名ホイットマン会)に谷川徹三も参加していた。

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実は、木村徹は中学生ころ、木村立花を詩のペンネームとした。
富田砕花を意識したのだ。
当時、志賀 直哉(1883年(明治16年)2月20日 - 1971年(昭和46年)10月21日)、武者小路 実篤(1885年(明治18年)5月12日 - 1976年(昭和51年)4月9日)
谷川 徹三(1895年(明治28年)5月26日 - 1989年(平成元年)9月 27日)、谷崎 潤一郎(1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40 年)7月30日)
富田 砕花(1890年11月15日 - 1984年10月17日)らは、健在でテレビで観たり、新聞の文芸欄で読んでいた。
つまり昭和30年代・同時代の空気を吸っていたんである。
さらに大好きな浅草オペラの歌手たちの歌もテレビで観ていた。
街中で出会い、声をかけサインももらったことがある。

ソクラテスとプラトン

2017年11月08日 02時09分31秒 | 社会・文化・政治・経済
ソクラテス自身は著述を行っていないので、その思想は弟子の哲学者プラトンやクセノポン、アリストテレスなどの著作を通じ知られる。
ソクラテスは一対一の対話を通して、相手がいかに無知であるかを自覚するよう、誘導していきます。
プラトンはソクラテスの「真理」に関する論考を具体化しました。
アリストテレスは、プラトンの「イデア論」を批判的に継承して、「形相と質料」という思想を展開しました。
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日蓮と日興

日興(にっこう、寛元4年3月8日(1246年3月26日) - 元弘3年/正慶2年2月7日(1333年2月21日))は、鎌倉時代の僧侶。
日蓮の高弟六老僧の一人であり、白蓮阿闍梨と称する。
日興門流の祖。
富士大石寺の開山にして、日蓮正宗第二祖に列せられる 。
日蓮の六人の直弟子は、日興と他の五人の弟子(日昭、日朗、日向、日頂、日持の五僧、以下「五人」と記す。)との間で、次に対比されるように、考えが大きく異なる。両者の違いが、日興の身延離山の遠因となる[23]。
五人は、日蓮の法門は天台宗で、天台沙門と名乗ったのに対し、日興は、天台の法門は、迹門であり、日蓮の法門は本門であるので、これを認めない。
五人は、伊勢神宮などの神社の参拝を認めたのに対し、日興は、謗法の国では善神がおらず、悪鬼神が住んでいるので、これを認めない。
五人は、如法経を勤行し、書写し供養するなどの修行をするのに対し、日興は、そうした修行は、末法の時代の修行ではないので、これを認めない。
五人は、日蓮の法門は天台宗なので、比叡山で出家受戒を認めるが、日興は、日蓮の法門は法華本門なので、これを認めない。


師の日蓮の教えに忠実であったかどうかに根本問題があった。

優れた人の模倣を重ねる

2017年11月08日 01時58分33秒 | 社会・文化・政治・経済
<学ぶ>の語源は<まねぶ=まねる>との説。
優れた人の模倣を重ねる中で、人は多くのことを学び、成長していく。
そこから新たな自身の可能性も発見できる。
人の心は、良き人との出会いに触発を受け、一段と磨かれていくものだ。
自他ともの向上を目指し、友と関わりを求める。
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スポーツ競技、美術、音楽、文芸、芸能など、その基礎は優れた人の模倣であり、教えを如何に自身の才能の開花に結びつけるかである。
優れた師と出会うことができれば幸運であろう。
その師は成長し続ける人である。
<いかなる困難があろうとも、いつも師の心を真ん中に前進していく>

中学校の担任教師は最悪

2017年11月07日 18時05分37秒 | 創作欄
優れた教師を如何に育成するかだ。
「豊かな人間性」
「確かな実践力」
「地球的視野」を備えた教員の養成を目指す。
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すでに記したことがある。
中学校の担任教師は最悪であった。
生徒の持ちものが度々無くなったのだ。
「この中に犯人がいるはずだ!全員、俺の目が届くように席を下げろ」と甲高い声をヒステリックに挙げる。
生徒全員が後方へ向かって、机を椅子を同時に下げて行く。
気が弱い者は怖気づく。
だが、反抗的な徹は教師に挑戦的な視線を送る。
「木村、その目は何だ。前へ出ろ!身体検査だな」
クラス委員2人に命じて、徹の身体検査が行われる。
徹は怒りに体を震わせながら屈辱の身体検査に応じた。
貧しく学生制服の下のシャツは綻んでいたのだ。
「苦笑」がおこる。
母親は家政婦の住み込みで東京・麹町の呉服屋に行っていた。
弁当は高校1年生の姉が作ってくれた。
いわゆる日の丸弁当で、母親が漬けたタクワンとナス。
その弁当も学友に侮辱されていた。