みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

柿生駅への帰り道、気がついたことがある。

2011-11-04 22:05:28 | Weblog
ここは私が小さい頃育った近所の駅(小田急線の代々木八幡駅)の雰囲気によく似ている、と。

路線が同じ小田急線だということだけではもちろんなく、なんとなく田舎っぽい駅の商店街や周りの中途半端に都会な駅の回りの風景がそう思わせるのかもしれない。
柿の木や栗の木などの豊かな緑、小川の横に点在する病院や住宅,商店街から小田急のロマンスカーが見える風景はまさしく昔見慣れた代々木八幡駅付近のそれによく似ている(ロマンスカーの色や形は昔と大きく変わってしまったし、昔のようにオルゴールのメロディを鳴らしながら走ってはいないが)。
今の代々木八幡の駅の付近は「富が谷」と呼ばれ(名前自体は昔から変わっていないのだがそのイメージはかなり違う)代々木公園、NHK,渋谷に近いおしゃれな街というアイコンで語られ「田舎っぽい」というイメージは世間一般ではあまり持たれていない。
しかし、私が小学生の頃の代々木八幡駅のまわりは、それこそ童謡の「春の小川」のモデルの「小川」も流れていて(これって相当田舎ダ!)、そこにメダカやザリガニを発見するのは簡単なことだった。
恵子のリハビリ病院のある柿生の駅は、読んで字のごとく柿の木の多い場所として知らせれている。
隣の急行停車駅の新百合ヶ丘駅とは違い、この駅のに都会っぽい雰囲気はまったく存在しない。
かといって純粋な「田舎」でもない。
要するに、中途半端な田舎なのだが、この中途半端さが妙に私の郷愁をくすぐるのかもしれない。
代々木八幡駅そばの代々木公園は昔ワシントンハイツと呼ばれアメリカ軍の敷地だったところ。
NHK放送センターから参宮橋の青少年センターに至る広大な土地が全て高い塀の金網で囲まれその網の向こうはアメリカだったという占領下の日本の姿がまだ私の小さい頃は残っていた。
小学生の私は放課後になると仲間で毎日バットとグローブを持ってそのアメリカに侵入した(瀬戸内少年野球団のようだ)。
その頃の東京にはほとんど存在しなかった芝生の上で野球をするためだ。
いくら金網が四方に張り巡らされていても身体の小さな小学生が侵入できる隙間は至るところに存在した。
みんなでワイワイ野球をしながら見張り役が「MPが来たぞ」と言うと蜘蛛の子を散らしたように私たちはその「アメリカ」を脱出してすばやく「日本」に逃げ帰った。
「MPにつかまると2日は留置所から出られないらしいゾ」と私たち小学生の間ではこんなまことしやかなデマが飛び交っていた(子供というのはこんなデマを平気で流すからけっして油断ならない存在だ)。
こんなことを毎日のように繰り返して遊んでいたのが私の小学生の頃の日常だったのだが、その頃、このワシントンハイツの中のどこかでジャニーズ事務所のジャニー喜多川さんは既にアメリカ人相手の音楽の仕事をしていたというのを私は最近ある本の中で知った。
ただ、こんな子供の遊びが続いたのも東京オリンピックまでで、オリンピックを期にこの「アメリカ」は日本に返還され代々木公園へと姿を変えたのだ。

こんな私の原風景がどうして突如柿生の駅からの帰り道思いだされたのかよくわからない。
ひょっとしたら夕方見舞いにやってきたフルムスメンバー二人のせいなのか(それではあまりにも辻褄が合わないナ)?
それとも、どこからか私の鼻腔を刺激した夕食の肉ジャガの匂いのせいだったのだろうか?

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