私は,コンサートのトークでも講演でもいろいろなところで「介護と音楽に一番大事なのはコミュニケーション」と話してきた。
その考えにもちろん今でも変わりはないしそう信じているのだが,それでは私自身が恵子との生活でそのことをきちんとできているかと毎日問われているような気も一方でする。
恵子は,病気を発症して以来(というか退院して以降かもしれないが),「涙目」という症状に悩まされている。
食事,光,温度差,風などのさまざまな「刺激」で彼女の目に涙が溢れてくる。
食事をするとほとんど毎回と言っていいぐらいこの症状が起こる。
明るい暗いや寒い暑いといった刺激だけではなく,食事の「匂い」「温度」「味」「湯気」なども「刺激」の一つに変わりはないからだ。
ただ,その(涙目の)継続時間は少しずつだが減ってきているような気もする。
涙が出るぐらい何だと思われる人もいるかもしれないが,目に涙が溢れるということはその間「目が見えなくなる」ということだ。
食事をしていても目が見えなければ食べ物を見ることも掴むこともできないし,光が「まぶしい」と彼女が言えば私はすぐにカーテンをひき部屋を暗くする。
いくら家の中とはいえ,目が見えない状態は危険だ。
なので,しばし涙目がおさまるのを待つ。
その待ち時間がだんだん減ってきているとはいえ,しばらくの間何もできない状態が続くのは不便なのでいつも医者に行こうと誘う。
今通っているリハビリ病院には眼科も耳鼻咽喉科もないので,担当医師に紹介状を書いてもらい近くの大きな病院に行く用意は以前から出来ている。
しかし,彼女は,私が行こうと誘っても一向に行こうとはしない。
今朝も朝方ベッドから起きると涙目になりトイレに行きたくても行かれない状態になったので「しばらく休んでからトイレに行きな。もし辛かったら病院行こう」となだめるが,彼女は再びベッドにもぐり涙目ではなく本格的に泣きじゃくり始めた。
そして,盛んに「違うの,違うの」ということばを繰り返す。
私はハッとなる。
そうか,今この瞬間に出ている涙は,眼科でも耳鼻咽喉科の医師でもきっと治せない「心の問題だ」と彼女は訴えているのだ。
簡単に言ってしまえば「悔しさ」。
いや,そんな簡単なことばではくくれない彼女の頭の中を支配している(病気によってもたらされた)鬱屈がきっと「岩」のように重く頭の中にのしかかっているのだろう。
恵子という人間と知り合ってからもう既に45年の月日がたっている(結婚してからは42年ほどだ)。
そのほとんどを「一緒に」過ごしてきた。
にもかかわらず,私はこの人のことをどれだけ理解しているのだろうかと最近思うことが多い。
(病気になる)以前とはまったく違った身体や心の状態を見せる彼女だが,そのことをほんの少しでもことばや態度で私が現すとそれが彼女の心をますます落ち込ませていく。
だから,(私は)極力病気になる前と同じように彼女に接しようとする。
しかし,それでも彼女がそんな私の声のトーンやリズムに以前と同じように素直に反応できるかと言えばけっしてそうではない。
歩くスピードもことばの反応も以前とは比較にならない。
しかし,それでも,この先何年,何十年あるかわからない二人の時間をなるべく「明るい」ものにしようと努力する。
人は,きっと「そんなことに努力したり頑張ったりしちゃいけない」と言うかもしれない。
心や身体に障害のある人に「頑張れ」って言っちゃダメだよと言う人もよくいる。
でも,頑張らないとどうしようもないこともたくさんある。
それに,私は健常者だ。
私の方が頑張ったり努力したりできることはたくさんあるはずだ。
いつも私はコンサートや講演で,『潜水服は蝶の夢を見る』というフランス映画の話をする。
フランスの有名なファッション雑誌エルの編集長だったジャン・ドミニク・ボビー氏は,脳出血がもとで「閉じ込め症候群(植物状態に近いが身体のどこか一部だけが動かせる状態)」になってしまう。
しかし,彼は,かろうじて動く左目の瞼の開閉だけで伝記を書き上げる。
普通の人が見たら「ああ,もうこの人ダメね,終わってるね」というような状態のボビー氏からことばと意思を拾い上げたのは彼の治療にあたった言語聴覚士の女性だった。
瞼の開閉の動きを「イエス,ノー」の意思に翻訳してアルファベットを一つ一つずつ拾いあげた彼女(とボビー氏)の気の遠くなるような努力が「介護する人」と「介護される人」の心をつなぎ,それが結果として本になり映画になったのだ。
人を介護するっていうことが,単に車椅子に乗せてあげるとか,ベッドから降ろしてあげるとか,お風呂に入れてあげるとか,トイレの手助けをしてあげるとかではなく,何よりもその人の心と「対話」することだということを一人でも多くの人にわかって欲しくて私はこの映画の話をする(今の日本の介護現場でそれができているところは本当に少ない)。
ヘレン・ケラー氏が自分の心を開き「ことば」を得ることができたのも,アン・サリバンという女性(教師)がヘレンの心の扉をこじ開ける努力をしたからだ。
私も,恵子の心がどこにあるのかをいつも探している。
彼女の身体を自由に動かすには,彼女の心の扉をふさいでいる「重し」を取り除かなければならないこともよく知っている。
しかし,人の気持ちの奥底に入っていくことは難しい。
そんな当たり前のことに今さらながら思い知らされるのだ。
その考えにもちろん今でも変わりはないしそう信じているのだが,それでは私自身が恵子との生活でそのことをきちんとできているかと毎日問われているような気も一方でする。
恵子は,病気を発症して以来(というか退院して以降かもしれないが),「涙目」という症状に悩まされている。
食事,光,温度差,風などのさまざまな「刺激」で彼女の目に涙が溢れてくる。
食事をするとほとんど毎回と言っていいぐらいこの症状が起こる。
明るい暗いや寒い暑いといった刺激だけではなく,食事の「匂い」「温度」「味」「湯気」なども「刺激」の一つに変わりはないからだ。
ただ,その(涙目の)継続時間は少しずつだが減ってきているような気もする。
涙が出るぐらい何だと思われる人もいるかもしれないが,目に涙が溢れるということはその間「目が見えなくなる」ということだ。
食事をしていても目が見えなければ食べ物を見ることも掴むこともできないし,光が「まぶしい」と彼女が言えば私はすぐにカーテンをひき部屋を暗くする。
いくら家の中とはいえ,目が見えない状態は危険だ。
なので,しばし涙目がおさまるのを待つ。
その待ち時間がだんだん減ってきているとはいえ,しばらくの間何もできない状態が続くのは不便なのでいつも医者に行こうと誘う。
今通っているリハビリ病院には眼科も耳鼻咽喉科もないので,担当医師に紹介状を書いてもらい近くの大きな病院に行く用意は以前から出来ている。
しかし,彼女は,私が行こうと誘っても一向に行こうとはしない。
今朝も朝方ベッドから起きると涙目になりトイレに行きたくても行かれない状態になったので「しばらく休んでからトイレに行きな。もし辛かったら病院行こう」となだめるが,彼女は再びベッドにもぐり涙目ではなく本格的に泣きじゃくり始めた。
そして,盛んに「違うの,違うの」ということばを繰り返す。
私はハッとなる。
そうか,今この瞬間に出ている涙は,眼科でも耳鼻咽喉科の医師でもきっと治せない「心の問題だ」と彼女は訴えているのだ。
簡単に言ってしまえば「悔しさ」。
いや,そんな簡単なことばではくくれない彼女の頭の中を支配している(病気によってもたらされた)鬱屈がきっと「岩」のように重く頭の中にのしかかっているのだろう。
恵子という人間と知り合ってからもう既に45年の月日がたっている(結婚してからは42年ほどだ)。
そのほとんどを「一緒に」過ごしてきた。
にもかかわらず,私はこの人のことをどれだけ理解しているのだろうかと最近思うことが多い。
(病気になる)以前とはまったく違った身体や心の状態を見せる彼女だが,そのことをほんの少しでもことばや態度で私が現すとそれが彼女の心をますます落ち込ませていく。
だから,(私は)極力病気になる前と同じように彼女に接しようとする。
しかし,それでも彼女がそんな私の声のトーンやリズムに以前と同じように素直に反応できるかと言えばけっしてそうではない。
歩くスピードもことばの反応も以前とは比較にならない。
しかし,それでも,この先何年,何十年あるかわからない二人の時間をなるべく「明るい」ものにしようと努力する。
人は,きっと「そんなことに努力したり頑張ったりしちゃいけない」と言うかもしれない。
心や身体に障害のある人に「頑張れ」って言っちゃダメだよと言う人もよくいる。
でも,頑張らないとどうしようもないこともたくさんある。
それに,私は健常者だ。
私の方が頑張ったり努力したりできることはたくさんあるはずだ。
いつも私はコンサートや講演で,『潜水服は蝶の夢を見る』というフランス映画の話をする。
フランスの有名なファッション雑誌エルの編集長だったジャン・ドミニク・ボビー氏は,脳出血がもとで「閉じ込め症候群(植物状態に近いが身体のどこか一部だけが動かせる状態)」になってしまう。
しかし,彼は,かろうじて動く左目の瞼の開閉だけで伝記を書き上げる。
普通の人が見たら「ああ,もうこの人ダメね,終わってるね」というような状態のボビー氏からことばと意思を拾い上げたのは彼の治療にあたった言語聴覚士の女性だった。
瞼の開閉の動きを「イエス,ノー」の意思に翻訳してアルファベットを一つ一つずつ拾いあげた彼女(とボビー氏)の気の遠くなるような努力が「介護する人」と「介護される人」の心をつなぎ,それが結果として本になり映画になったのだ。
人を介護するっていうことが,単に車椅子に乗せてあげるとか,ベッドから降ろしてあげるとか,お風呂に入れてあげるとか,トイレの手助けをしてあげるとかではなく,何よりもその人の心と「対話」することだということを一人でも多くの人にわかって欲しくて私はこの映画の話をする(今の日本の介護現場でそれができているところは本当に少ない)。
ヘレン・ケラー氏が自分の心を開き「ことば」を得ることができたのも,アン・サリバンという女性(教師)がヘレンの心の扉をこじ開ける努力をしたからだ。
私も,恵子の心がどこにあるのかをいつも探している。
彼女の身体を自由に動かすには,彼女の心の扉をふさいでいる「重し」を取り除かなければならないこともよく知っている。
しかし,人の気持ちの奥底に入っていくことは難しい。
そんな当たり前のことに今さらながら思い知らされるのだ。
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