前回のブログから少し時間がたってしまったような気がしないでもない。
相変わらずの伊豆と東京の行ったり来たりなのだが、その間の大きな出来事と言えば、podcastの準備であれこれやっていたことかもしれない。
自分自身が配信するpodcastの番組は、今日から始まった(以下に URLがあるので、ご興味のある方はぜひ覗いてみてください)。
http://www.voiceblog.jp/mitsutomi/1006074.html
これ以外にも、私が主宰するレディースオーケストラ<フルムス>の podcast番組も、来週かさ来週ぐらいから配信を開始する予定だ。
podcastというものをご存知ない方もいらっしゃると思うので、若干の説明(検索すればすぐにわかることだが)。
podcastとは、要するにインターネットラジオのこと。
ただ、普通のラジオは、テレビと同じように、最初から大勢の人たちに情報を流すマスメディアだが、このインターネットラジオは、対象が限定されたミニコミのようなもの。音のブログ、という言い方をする人もいる。
とはいっても、現在、ブログも当初のインディーズ的なノリからどんどんマス的な要素が加わってきていて、そこにクライアントなりが広告出稿するような現場も増えている。当然、その分、マスメディアから広告主が撤退し、こうしたインターネットメディアに宣伝媒体を移しているわけだ(世界最大の広告代理店のDの経営がアブナイという噂はいろんなところで聴く)。
まだまだ出稿量は少ないのかもしれないが、広告主が、マスで「誰でも見てください」「聞いてください」という形の宣伝の仕方から、最初からターゲットや場所、モノを絞った宣伝に方法論を変えてきているところなので、これからのメディアとしては、この podcast、私は多いに注目している。なので、いち早く(早くもないが)ここでいろんな実験をしていこうかナ?と思って始めた次第だ。
まあ、私自身、以前、 FM番組のDJのようなこと(企画、台本、ナビゲーター)をある番組でやっていたこともあり、番組作りのノウハウはとりあえずわかっているし、今は、パソコンで番組の編集作業は完全にできてしまう時代。だから、自宅で番組の完パケができるわけで、実際、この自分の番組(「こんな音楽あったんだ」というタイトル)もフルムスの番組(「アースコンシャスミュージック Earth Conscious Music)も、私がタイトル、ロゴ、ジングル、BGM、しゃべり、編集、などすべてやっている。そして、それを友人の事務所から配信してもらっているので、ある意味、自宅がミニステーションでもある。
とはいっても、内容がつまらなければリスナーは集まらないので、どんどん中身の充実は計っていこうと思っている。
先日、渋谷で出版社の人と打ち合わせをしていて、私の著作の一つがもうすぐ増刷になるだろうということで、現在の本の修正部分をいただいた。
読者の方からの指摘とか編集者の法で気づいた訂正事項などをいただいたのだが、それを見て、若干愕然とした。数が多いというかそういうことではなく(数は予想の範囲内だった)、そのあまりの初歩的なミスに自分自身愕然としたのだった。
自分が読者として客観的に読んでいれば「絶対わかる」間違いがあまりにも多いことにも驚いた。
もちろん、本を出版する前に何度も校正はしている。
しかし、しかしである。
何度も校正はしていてもこれだけの初歩的なミスをおかしているということは、人間の思考には常に「客観性」が大事だということがよくわかる。
この出版社ではなく、私が最初の本を出した時、最初のゲラをいただいた時も、これと同じような愕然とした体験があった。
その出版社は、日本でも一、二を争う出版社。当然、そこに働いている人たちも出版者としての誇りを持っている。最初のゲラを見た時は卒倒しそうになったぐらいだ。
まるで、試験の赤点のついた答案用紙を見るように、「これじゃ、落第でしょう?」というぐらいの赤でつけられた訂正箇所の多さだったからだ。
それを驚いて見ている私に、当時の編集者がこう声をかけてくれた。「みつとみさん、心配することないよ。これよりたくさん赤つけられている人はいくらでもいるから。有名な作家の◯◯さんなんか、いつもこれより赤が多いよ」と。
要するに、それだけ大きな伝統のある出版社の校正(校閲部と普通は言う)の人たちは、自分たちの仕事に誇りを持っていて「相手が誰でろうと、間違いはまちがい。それをただすのが我々の仕事」というプライドを持って仕事をしている人たちなのである。単に「これ間違ってる」といって赤をつけるだけでなく、必ず「間違っている」根拠となる資料も一緒に添付してくれる。それだけ、ちゃんと「ウラを取っている」ということなのだ。
普通は、校閲の人たちは表には出ないどころか、その存在すら軽んじられる人たちだが、こうした人たちの存在は本当に貴重だ。この人たちがいるおかげで、私がこれまで出した本もそこそこの評価を受け、毎年、必ず大学入試の国語の問題にも使われ続けているということなのだから。
しかしながら、普通の出版社は、こうした大手のような強力な校閲を持っていない(というか、持つ余裕がないのだろう)。
だから、今回のような訂正文書になってしまったということなのだろうか?(でも、この出版社も大手の一つなのだがな...)。
でも、結論は、著者である私が不注意だったということ(これに尽きる)。
本を出版するということは、社会に対して責任を持つことなのだナといつもながら反省させられる(当たり前のことだが)。
相変わらずの伊豆と東京の行ったり来たりなのだが、その間の大きな出来事と言えば、podcastの準備であれこれやっていたことかもしれない。
自分自身が配信するpodcastの番組は、今日から始まった(以下に URLがあるので、ご興味のある方はぜひ覗いてみてください)。
http://www.voiceblog.jp/mitsutomi/1006074.html
これ以外にも、私が主宰するレディースオーケストラ<フルムス>の podcast番組も、来週かさ来週ぐらいから配信を開始する予定だ。
podcastというものをご存知ない方もいらっしゃると思うので、若干の説明(検索すればすぐにわかることだが)。
podcastとは、要するにインターネットラジオのこと。
ただ、普通のラジオは、テレビと同じように、最初から大勢の人たちに情報を流すマスメディアだが、このインターネットラジオは、対象が限定されたミニコミのようなもの。音のブログ、という言い方をする人もいる。
とはいっても、現在、ブログも当初のインディーズ的なノリからどんどんマス的な要素が加わってきていて、そこにクライアントなりが広告出稿するような現場も増えている。当然、その分、マスメディアから広告主が撤退し、こうしたインターネットメディアに宣伝媒体を移しているわけだ(世界最大の広告代理店のDの経営がアブナイという噂はいろんなところで聴く)。
まだまだ出稿量は少ないのかもしれないが、広告主が、マスで「誰でも見てください」「聞いてください」という形の宣伝の仕方から、最初からターゲットや場所、モノを絞った宣伝に方法論を変えてきているところなので、これからのメディアとしては、この podcast、私は多いに注目している。なので、いち早く(早くもないが)ここでいろんな実験をしていこうかナ?と思って始めた次第だ。
まあ、私自身、以前、 FM番組のDJのようなこと(企画、台本、ナビゲーター)をある番組でやっていたこともあり、番組作りのノウハウはとりあえずわかっているし、今は、パソコンで番組の編集作業は完全にできてしまう時代。だから、自宅で番組の完パケができるわけで、実際、この自分の番組(「こんな音楽あったんだ」というタイトル)もフルムスの番組(「アースコンシャスミュージック Earth Conscious Music)も、私がタイトル、ロゴ、ジングル、BGM、しゃべり、編集、などすべてやっている。そして、それを友人の事務所から配信してもらっているので、ある意味、自宅がミニステーションでもある。
とはいっても、内容がつまらなければリスナーは集まらないので、どんどん中身の充実は計っていこうと思っている。
先日、渋谷で出版社の人と打ち合わせをしていて、私の著作の一つがもうすぐ増刷になるだろうということで、現在の本の修正部分をいただいた。
読者の方からの指摘とか編集者の法で気づいた訂正事項などをいただいたのだが、それを見て、若干愕然とした。数が多いというかそういうことではなく(数は予想の範囲内だった)、そのあまりの初歩的なミスに自分自身愕然としたのだった。
自分が読者として客観的に読んでいれば「絶対わかる」間違いがあまりにも多いことにも驚いた。
もちろん、本を出版する前に何度も校正はしている。
しかし、しかしである。
何度も校正はしていてもこれだけの初歩的なミスをおかしているということは、人間の思考には常に「客観性」が大事だということがよくわかる。
この出版社ではなく、私が最初の本を出した時、最初のゲラをいただいた時も、これと同じような愕然とした体験があった。
その出版社は、日本でも一、二を争う出版社。当然、そこに働いている人たちも出版者としての誇りを持っている。最初のゲラを見た時は卒倒しそうになったぐらいだ。
まるで、試験の赤点のついた答案用紙を見るように、「これじゃ、落第でしょう?」というぐらいの赤でつけられた訂正箇所の多さだったからだ。
それを驚いて見ている私に、当時の編集者がこう声をかけてくれた。「みつとみさん、心配することないよ。これよりたくさん赤つけられている人はいくらでもいるから。有名な作家の◯◯さんなんか、いつもこれより赤が多いよ」と。
要するに、それだけ大きな伝統のある出版社の校正(校閲部と普通は言う)の人たちは、自分たちの仕事に誇りを持っていて「相手が誰でろうと、間違いはまちがい。それをただすのが我々の仕事」というプライドを持って仕事をしている人たちなのである。単に「これ間違ってる」といって赤をつけるだけでなく、必ず「間違っている」根拠となる資料も一緒に添付してくれる。それだけ、ちゃんと「ウラを取っている」ということなのだ。
普通は、校閲の人たちは表には出ないどころか、その存在すら軽んじられる人たちだが、こうした人たちの存在は本当に貴重だ。この人たちがいるおかげで、私がこれまで出した本もそこそこの評価を受け、毎年、必ず大学入試の国語の問題にも使われ続けているということなのだから。
しかしながら、普通の出版社は、こうした大手のような強力な校閲を持っていない(というか、持つ余裕がないのだろう)。
だから、今回のような訂正文書になってしまったということなのだろうか?(でも、この出版社も大手の一つなのだがな...)。
でも、結論は、著者である私が不注意だったということ(これに尽きる)。
本を出版するということは、社会に対して責任を持つことなのだナといつもながら反省させられる(当たり前のことだが)。
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