アマチュアのオケやアマチュアの室内楽など聴く機会があり、ちょっと考えさせられた。
私自身ずっと考え続けてきたことなのだが、アマチュアとプロの違いって何?ということをあらためて考えるいい機会でもあった。
私の中では「アマチュアとプロの違い」にはある結論があって、これは音楽だけでなくすべての仕事、すべてのジャンルについても当てはまることだと思っている。
それは、本当に簡単なことで、「お客さんのことを考えているかどうか」ということでアマかプロの違いは計れるのだ(上手かヘタかはまったく関係ない)。
先日聞いたのはアマチュア・オケによる「マーラーの交響曲第5番」。
たしかに、アマオケがこの曲をやりたい気持ちはよくわかるが、アマオケの演奏でこれをやられたら聞いている方はかなり苦痛だ。よっぽど上手なオケでもそうだと思う。基本的にかなり長い曲だし、技術的にもかなり大変な作品だ。
要するに、こういう曲をプログラムに選択すること自体お客さんがどう思うかといったことはまったく考えていないということだろう。
ただ単に自分たちが「やりたい曲」をやる。これが、アマチュアの基本姿勢なのだろうと思う。
でも、これはこれでいい。自分たちの楽しみで音楽をやるのがアマチュアなのだから。
ただ、逆に、これと反対にプロにこれと同じ姿勢の人がいたらどうだろうとも思う。お客さんのことを考えずに、自分たちのやりたいものだけをやる。そして、いかに自分が上手かをひけらかす。それを、人は自己満足と言うのだが、この自己満足になってしまうプロもけっこう世の中にはいると私は思っている。だから、そうした人からはお客さんがだんだんひいていき、結局誰も来なくなってしまう。結果、音楽家は食べていくことができない。
一方、こんな考え方もある。
音楽家はすべてアマチュアでいい。つまり、音楽で食べていくプロは必要はない、ということ。
これも一理ある。
音楽家が好きなことができないんだったら、あえてプロである必要はないじゃないか?
そんな理屈もわからないではない。
でも、これって音楽を離れるとどうなのかナ?とも思う。
例えば、美容師さんが、「オレはオレの好きなヘアスタイルだけやる。気にいらないやつは来るな」みたいな態度だったらどうだろう?
そんな人をプロと言えるのだろうか?
まあ、そんなカリスマもいないことはないだろうが、そんな人は遅かれ早かれ客を失う。
プロはお客さんがいてはじめてプロと言えるわけで、音楽家というのは、その辺をわかっているのかわかっていないのか私にはサッパリわからないところがある。
音楽家の中には、「世の中に迎合せずに、自分のやりたいことだけをやり通す」ことがアーティストの「清く正しい」つとめだと思っているような人たちもいる。多分、自分たちのやっていることが「アート」だと思っているからだろう。
私は、そんなアート至上主義は、中途半端な芸しか持たない勘違いアーティストの戯言だと思っている。
本当の芸を持っているアーティストは立派に世の中に受け入れられるしお客もつく。だから、食べられる。
食べられないのは、中途半端な芸しか持っていないからなのだと私は思っている(だから、私も食べられないのか? ….ハハハハ)。
まあ、そんな自虐的な戯言を結論にするつもりもないけれど、ここ最近聞いたアマチュアの演奏に少々考えさせられたことはたしかだ。
私自身ずっと考え続けてきたことなのだが、アマチュアとプロの違いって何?ということをあらためて考えるいい機会でもあった。
私の中では「アマチュアとプロの違い」にはある結論があって、これは音楽だけでなくすべての仕事、すべてのジャンルについても当てはまることだと思っている。
それは、本当に簡単なことで、「お客さんのことを考えているかどうか」ということでアマかプロの違いは計れるのだ(上手かヘタかはまったく関係ない)。
先日聞いたのはアマチュア・オケによる「マーラーの交響曲第5番」。
たしかに、アマオケがこの曲をやりたい気持ちはよくわかるが、アマオケの演奏でこれをやられたら聞いている方はかなり苦痛だ。よっぽど上手なオケでもそうだと思う。基本的にかなり長い曲だし、技術的にもかなり大変な作品だ。
要するに、こういう曲をプログラムに選択すること自体お客さんがどう思うかといったことはまったく考えていないということだろう。
ただ単に自分たちが「やりたい曲」をやる。これが、アマチュアの基本姿勢なのだろうと思う。
でも、これはこれでいい。自分たちの楽しみで音楽をやるのがアマチュアなのだから。
ただ、逆に、これと反対にプロにこれと同じ姿勢の人がいたらどうだろうとも思う。お客さんのことを考えずに、自分たちのやりたいものだけをやる。そして、いかに自分が上手かをひけらかす。それを、人は自己満足と言うのだが、この自己満足になってしまうプロもけっこう世の中にはいると私は思っている。だから、そうした人からはお客さんがだんだんひいていき、結局誰も来なくなってしまう。結果、音楽家は食べていくことができない。
一方、こんな考え方もある。
音楽家はすべてアマチュアでいい。つまり、音楽で食べていくプロは必要はない、ということ。
これも一理ある。
音楽家が好きなことができないんだったら、あえてプロである必要はないじゃないか?
そんな理屈もわからないではない。
でも、これって音楽を離れるとどうなのかナ?とも思う。
例えば、美容師さんが、「オレはオレの好きなヘアスタイルだけやる。気にいらないやつは来るな」みたいな態度だったらどうだろう?
そんな人をプロと言えるのだろうか?
まあ、そんなカリスマもいないことはないだろうが、そんな人は遅かれ早かれ客を失う。
プロはお客さんがいてはじめてプロと言えるわけで、音楽家というのは、その辺をわかっているのかわかっていないのか私にはサッパリわからないところがある。
音楽家の中には、「世の中に迎合せずに、自分のやりたいことだけをやり通す」ことがアーティストの「清く正しい」つとめだと思っているような人たちもいる。多分、自分たちのやっていることが「アート」だと思っているからだろう。
私は、そんなアート至上主義は、中途半端な芸しか持たない勘違いアーティストの戯言だと思っている。
本当の芸を持っているアーティストは立派に世の中に受け入れられるしお客もつく。だから、食べられる。
食べられないのは、中途半端な芸しか持っていないからなのだと私は思っている(だから、私も食べられないのか? ….ハハハハ)。
まあ、そんな自虐的な戯言を結論にするつもりもないけれど、ここ最近聞いたアマチュアの演奏に少々考えさせられたことはたしかだ。
「お客さんのことを・・」以前にも教えて頂いた事です。
お陰で、少しですが、本当に少しですが意識を変えられてきたように思っています。そして歌を聴いて下さった方からの言葉も変わってきました。
読ませていただいて良かったです。
有り難うございます。