11月5日に祖母が亡くなった。99歳である。亡くなる1時間前から父母と一緒に祖母の病室にいた。午後8時35分に呼吸が止まり、5分後に心臓が止まった。45分に医師の診察で亡くなったことが確認された。実に静かな時間だった。
死因は老衰である。「眠るように亡くなる」というが、まさしくその通りの亡くなり方だった。自分もこういう死に方が理想だと思えた。
祖母は、幸せな生き方を実践して見せてくれた人だった。大正4年生まれで、「激動の」という形容詞が着く昭和を生き、苦労もたくさんしたにもかかわらず、そういうそぶりを一切見せない人だった。
例えば、4人生まれた子供のうち、2人を亡くしている。4歳で三男を、29歳で四男を無くした。この世で最もつらい「わが子を自分より先に亡くす」という体験をしている。どんなにかつらかったことだろう。
また、曾祖父、曾祖母、祖父の三人を介護している。合計で20年近く自宅での介護をしていた。親や夫を介護できるは幸せなことかもしれないが、重労働ではあったはずである。
これ以外にも、苦労はたくさんしてきた方であった。
しかし、それでも、子や孫には一切苦労話はしなかった。いつもどんなときでも上機嫌で接してくれた。
自分も40歳を過ぎたが、いつも上機嫌でいることの難しさを感じることが多い。
いつも上機嫌でいられる人は、芯が強いのである。もちろん祖母にも誰かに相談する、頼るということはあっただろう。ただ、子や孫にはいつも上機嫌で接してくれていた。
葬儀では、孫である姉、妹、そして私が祖母への挨拶をする時間があった。参列者の前で姉や妹が祖母とのメッセージを語る。
私は、いかに素晴らしい祖母だったかを、ひ孫である我が子や参列者の方にも伝えたいと思い、次のような挨拶をした。
ばあちゃん、有り難うございます。
私は、ばあちゃんから、人の悪口や愚痴を聞いたことがありません。ばあちゃんが一番よく言っていたのは、「おおきになあ」「ありがとなあ」という人様への感謝の言葉です。
ばあちゃんの部屋に行けば、いつも温かい笑顔で、
「元気やったね。みんな元気しちょいね。(元気にしてる?)」
と迎えてくれました。
大正四年生まれで「激動の」昭和を生きてきたばあちゃんには、つらい体験もしてきたと思います。しかし、そんな苦労は人に語らず、私たち孫やひ孫には、励ましの言葉、あたたかい言葉だけをかけてくれました。
いつもばあちゃんの部屋に行けば会えた笑顔は、もうありません。
ばあちゃんがいなくなった寂しさをこれからひしひしと感じることになります。
ばあちゃんは、私たち孫やひ孫に、幸せに生きるお手本を見せてくれました。
私もばあちゃんのように、温かさ、優しさを持って生きていきたいです。
ばあちゃん、本当に有り難うございました。