今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 老若を問わず、病人は住みなれた家で死にたかろう。病人はそう思うが
家族はそう思わない。一人が病人につきっきりになるためには、もうひ
とり人手がいる。子供たち孫たちと共に住まないなら、その人手はない。
近く確実に死ぬだろう病人を、入院させるのは一つは医師のすすめによる
が、一つは死んだ人を見たくないからである。こわいのである。以前は死
は日常のことだったが、今は異常のことになった。」
「 別居をのぞむのは若夫婦だけではない。老若を問わず好んで別居して、
こうして私たちは一生に一度しか死を見なくなったのである。三十四十
になって初めて見るからこわいのである。」
(山本夏彦著「おじゃま虫」所収)
「 六十を半ばすぎたのに細君に死なれるとすぐ後妻を迎える人がふえた。
昔とちがって一人暮しができなくなった。知らないで電話すると中年の
婦人が出て、私を自分の知らぬ男だと怪しむので『ははぁ貰ったのだな』
と分るのである。私はその男と三十年来の知人である。彼女は一年足ら
ずの後妻である。怪しいのはあっちでこっちではないのに、すでに古女房
のような落ちつきはらった重々しい足どりである。」
(山本夏彦著「不意のことば」所収)