今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 大衆社会は大衆に迎合する社会で、新聞雑誌はひたすら売れることを欲し
テレビは見られることを欲するから、大ぜいが機嫌を損じることは言わない。
また言えない。人民は悪をなし得ずなんぞと言って媚びる。」
「 言論の自由は大ぜいと同じことを言う自由であり、大ぜいと共に罵る自由であり、
罵らないものを『村八分』にする自由である。これが言論の自由なら、これまでも
あったしこれからもあるだろう。」
(山本夏彦著「恋に似たもの」所収)
某テレビ局と某IT企業の某ラジオ放送局買収を巡る騒動で利害関係者やそれが
飯の種の政治家や付和雷同の俄かコメンテーターの間で繰り広げられている口パク
パク芝居を見て思い出したコラムです。
以下はおまけ。
「『ロバは旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけではない』と西諺はいう。
何の学問も知識もないものが、海外に遊んでも得るところはないというほどのことで、
むろん私のことだよ、と(私は)言う。」
「子犬は親犬に孝行しない。それが自然で、ひとり人間だけが孝行したのは二千年来教え
たからで、それが僅々三十年教えなくなったらこのていたらくである。」
「 『愛する』という言葉を平気で口に出して言えるのは鈍感だからだ。」
「 愛するが日本語になるには、まだ百年や二百年はかかる。」
「 隠居とはむかしの人はうまいことを考えたものです。親は未練を断ち切って、家督を
子に譲って以後いっさい口出しをしません。こうして十年たてば子は三十代になって、
親が口出ししたくても今度は出せなくなって、自分は全き過去の人になったと知って
安心して死ねるのです。」
(山本夏彦著「つかぬことを言う」所収)
「 いま生きている人、必ずしも生きてるわけじゃない。すでに死んだ人のほうがまざまざと
生きていることがありますからね。生きてるつもりで、実は死んでる人でこの世
はみちみちています。」
(山本夏彦著「夏彦・七平の十八番づくし」所収)