今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 私は人生に対して『当人』であるより『他人』である。見物人である。
だから当人には見えないものが、時々見えることがある。」
「 人は四十になったら自分の顔に責任があるというが、それは一人が多く
を兼ねた時代の話で、現代のように分業の極に達した時代のことではない。
今は三十年会社員を勤めて定年になってもそれらしい風格は生じない。
今後とも生じないだろう。」
(山本夏彦著「良心的」所収)
「 今も昔も私は私のコラムを「猫またぎ」と称している。活字というものには
強い力があって、読まないでそこに何が書いてあるか、きっと気にいらない
ことが書いてあるにちがいないと分るのである。分るからまたいで行くので
ある。」
(山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」所収)
「 私は戯れに人か鬼かと言われる。言う人はふざけたふりをして本当のことを
言っているのである。私は我ながら自分を浅ましいと思うことがある。私は
私の言っていることが間違っているとは思わない。古いとは思わない。コラ
ムはニュースを扱って古くなるのがふつうだが、私は(ニュースを扱わない
から)古くならない。ただ言いかたがあんまりである。せきこんでいる。
畳みかけている。あらゆる逃げ道をふさごうとしている。一方の逃げ道をあ
けておかなければいけないと知りながら、そこへ逃げこもうとすると、それ
までふさぐ。ぐうの音も出ないようにしたがる。浅ましいといったのはこの
ことである。」
(山本夏彦著「恋に似たもの」所収)