「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・07・11

2005-07-11 05:42:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「ベ平連の運動というのは、たしか良心と正義の運動だったと思う。だから何万という人を動員出来たのだろう。その何万という人が、ベトナム難民に対してはうんともすんとも言わない。カンボジアの難民に対しても言わない。
 いま四十代の壮年は、戦中戦後ずいぶんひもじい思いをした。それなら難民の饑餓がいかなるものか、想像に難くないはずである。
 彼ら(または我ら)の良心は、あるときははなはだしく痛み、またあるときは全く痛まない。
 彼ら(また我ら)がきっぱり『良心』と言わないで、これに『的』の字をくっつけて、いつも良心的と言うのはこのせいである。
 良心と言い切るには、このときに限らずいついかなる場合でもウシロめたい。故に、良心的のほうを愛用して何十年になるのである。」

   (山本夏彦著「つかぬことを言う」中公文庫 所収)
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2005・07・10

2005-07-10 05:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「黒岩涙香の『萬朝報』のことは旧著のなかに書きましたが、明治の一流新聞で、はじめ醜聞で売出しました。『蓄妾実例』と題して妾を持っている各界名士の私行をあばきました。妾を持てない読者は喜び、妾を持つ名士は恐れ、妾を持たないけれど持つ力のある人はこの新聞と涙香を憎みました。涙香は醜聞を赤い紙で刷りましたので、世間はこれを赤新聞と呼びました。涙香は天才的ジャーナリストで、ほかに美人投票、百人一首大会などたて続けに企画し、いずれも成功しました。社業ようやく盛んになると彼は、内藤湖南、森田思軒、田岡嶺雲、内村鑑三、幸徳秋水、堺枯川(利彦)などを招いて社員にしました。いずれも当時第一流の操觚者(そうこしゃ)で、内村幸徳堺の三人が日露戦争に反対して、その論説をこの新聞に載せたことは、萬朝報は滅びてもいまだに語り草になっています。
 こうして萬朝報は時事や朝日を凌ぐ新聞になりましたが、それでも赤新聞であった過去を拭い去ることは出来ません。新聞記者の社会的地位は戦前までは低く、貸家があっても貸してくれないほどでした。かげでは『羽織ゴロ』と呼ばれていました。口では立派なことを言っているが、何をしているか知れたものではない、紋付羽織を着たゴロツキだというほどのことで、その恐れられることいまの週刊誌に似ていました。週刊誌は『押売と週刊誌お断り』と言われることがあるそうで、それだからいいのだと私は書いたことがあります。
 大新聞はいま正義の権化になって、やましいところはひとつもなくなってしまいました。ついこの間まで羽織ゴロだったことを忘れてしまいました。むかしの新聞記者は心中ひそかに恥じていました。自分はやましくなくても、自分の仲間、同業者がやましいことをしているなら恥じないわけにはいかないと、みな内心忸怩としていました。いまはしません。忸怩としなくなると、人はみな増長すること新聞記者に限りません。つまり人は潔白になってはいけないのです。社員一同潔白だと思いこんでしまうと、自分の言うことに間違いはないと思うようになるからです。」

   (山本夏彦著「つかぬことを言う」中公文庫 所収)
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2005・07・09

2005-07-09 06:07:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「この世の中がうまく運転するには、ある種の欠乏がなくてはなりません。欠乏がないと人間は堕落します。ついこの間まで私たちがまだ貧しかったころ、いたる処にいた、自分の楽しみより亭主や子供の楽しみを先にして、それを自分の楽しみにする母たち、その母たちを助けるけなげな子供たちを、私たちは見なくなりました。
 子供を五人も六人もかかえて獅子奮迅の勢いで働いている両親を、私たちは見なくなりました。母たちはなりふり構わず働いて、衣食に追われていましたから、皺がふえるのは当り前で、気にもとめませんでした。働いた甲斐があって、無事子供が成人するのを見れば満足しました。孫の顔を見ればさらに安心して死にました。
 生れることが自然なら、死ぬこともまた自然でなければなりません。今日ほど死ぬことがむずかしくなった時代はこれまでなかったと思います。」

   (山本夏彦著「つかぬことを言う」中公文庫 所収)
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2005・07・08

2005-07-08 05:40:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「昭和二十年八月の原爆を、直接間接経験した日本人はまだたくさんいます。あれは人間のすることではないと言いますが、あれこそ人間のすることで、ほかの動物なら決してしないことです。人は獅子や虎を猛獣と呼んで恐れますが、なに彼らは腹がいっぱいなら何もとって食いはしません。弱い動物は彼らが満腹しているか否かを見て、満腹していると見定めるとその前を悠々と通ります。強い動物は後日のためにたくわえるということをしません。かくて弱い動物と強い動物は何万年も共存してきました。それを崩したのはほかでもない人間でした。いま、たくわえることは悪いことだと言いました。以前は保存するといってもかす漬けやみそ漬けくらいでしたが、このごろは冷凍して二年でも三年でもどんな大量でも保存できます。ほとんど無限に出来ます。
 ほかの動物は無益な殺生をしません。いま言ったように保存出来ないからで、保存出来るのは人間だけで、したがって人間は万物の霊長で、その人間に近いものほど高級だという考え方があって、最も近いのが猿だと言われていますが、猿のどこが高級ですか。いったいあれを見て顔をそむけない人がいるでしょうかと、科学史家の筑波常治氏が書いています。
 筑波さんいわく、人間はそんなに高等ではない人間は美しくない人間に近い動物ほど美しくない人間が高等なんかでない証拠は、いくらでもある生命の歴史全体からみた場合、これは地球上の『狂った進化』のなれのはてで、『人間の尊厳』だの『人間、この素晴しきもの』などという文句を見ると虫酸がはしる人間の繁栄ははてしない殺し合いの継続である『狂った進化』のふさわしい目標は人間の平穏裡の絶滅で、これこそ最高の幸福だと思う
 現代医学は人をなが生きさせようと懸命だが、それより安楽に早く死ねる手段の開発こそ研究の目標にすべきである近ごろ発想の転換と言うが、どうせ転換するならこのくらい転換せよ、と筑波さんは結んでいますが、私は大賛成です。同じディレクションのなかで、いくら発想を逆転させても、それはその外へは出られないでしょう。」

   (山本夏彦著「つかぬことを言う」中公文庫 所収)
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紅葉の下葉 2005・07・07

2005-07-07 05:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、「梁塵秘抄」から。

 「我等は何して老いぬらん 思へばいとこそあはれなれ
  今は西方極楽の 弥陀の誓ひを念ずべし」

 「暁静かに寝覚めして 思へば涙ぞ抑へ敢へぬ
  儚く此の世を過ぐしては 何時かは浄土へ参るべき」

 「常に恋するは 空には織女流星(たなばたよばひぼし)
  野辺には山鳥秋は鹿 流れの君達(きうたち)冬は鴛鴦(をし)」

 「女の盛りなるは 十四五六歳廿三四とか
  三十四五にし成りぬれば 紅葉の下葉に異ならず」

 「恋しとよ君恋しとよゆかしとよ
  逢はばや見ばや見ばや見えばや」
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2005・07・06

2005-07-06 05:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「このごろ他人はおろか自分の子でさえ笑ってはいけないと言うものがあります。笑うと子供の心を傷つけると言うのです。親が子を笑うのですから、悪意なんぞありはしません。どうして傷つくのでしょう。これしきのことに傷つくなら傷つくがいいのです。それに全く無傷で大人になることはかえって危険です。またこの世の中には人に笑われなければおぼえられないことが山ほどあります
 私の事務所へ来る三十代の紳士に、『雪之丞変化』のことを雪之丞へんかと言う人があります。へんかじゃあるまいへんげだろうと、三十になったらだれも教えてはくれません。笑ってくれるのは中学高校時代までです。
 中学高校生は辛辣なもので、『オイ妖怪へんかだとよ』と、だれかが先んじて笑うと、他の不確かなものは追随して笑って、笑ったことによっておぼえることもあるのです。」

   (山本夏彦著「つかぬことを言う」中公文庫 所収)
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2005・07・05

2005-07-05 05:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「明治時代まで、人は自分が今日あるのは、まずご先祖のおかげ、ついで父母のおかげ、さらには勤めさきのご主人のおかげ、と思っていた。そのうえ神仏の加護があって、こうして息災でいられるのだと感謝していた。
 いまはそれを笑う。または怒る。自分が今日あるのは会社のおかげだから、感謝せよといわれたら、怒らぬものはないだろう。はじめ男が怒って、ついで女が怒るようになったから、女たちの人相は険悪になって、口はとがって鼻をしのぐようになった。美容上の問題だと私は注意を喚起したのである。
 けれども、人が以前あんなに感じたことを、今はまったく感じないということは、どういうことなのだろう。以前は何ものかにだまされて感謝したというのだろうか。それなら今も、別の何ものかにだまされて怒っているのではないのだろうか。すくなくとも、そう疑っていいのに、だれも疑わないのは、以前だれも疑わなかったことと同じではないのか。
 今回、私が言いたいのは修身のことである。修身は戦後教えることを禁じられ、父兄が欲してついに得られなかった課目である。国民がそれを欲するなら、それは与えられなければならない課目だと私は思うものである。
 世界広しといえども、修身を教えない国はないソ連にはソ連の、アメリカにはアメリカの修身があって、子供たちはそれによってきびしくしつけられているところが、ひとりわが国にそれがないわが国民がそれを欲すると、新聞はいっせいに反対して、その言論を封じた
 けれども、いま松下幸之助氏が世間の尊敬を一身に集めているのは、彼が修身そのものだからである。松下氏を持ちあげたのはマスコミで、さながら非の打ちどころのない経営者のように祭りあげて、たいていならもう引きずりおろすころなのに、まだおろさない。」

 「松下氏は一代であれだけの産をなした。どんな企業もいいことばかりして、あんなに大きくはなれない。悪いこともしたに違いないと試みに私がいうと、新聞雑誌はいやな顔をする。それでもいうと、証拠を示せという。ちっぽけな企業の経営だって、いいことずくめでは出来ないいわんや大企業をや、証拠なんていらないというと、彼らは笑ってとりあわない。
 松下氏は修身の権化である。マスコミも国民も、この人を悪者にしたくないのである。山本周五郎氏も同じく権化である。小説家のくせに全き善人にされている。吉川英治氏も似たものである。
 全き善人と芸術家とは、ふつう両立しない。どちらかがにせものだろうと思っても、それを言うものがない。言えば『村八分』にされる。私たちが松下、山本、吉川氏たちを、崇拝してやまないのは、私たちが修身を与えられていないからである。
 いかにもインテリたちのいう通り、修身は多くうそであろう。」

 「この世はどれだけうそを欲するかと、何度も私が書くのは、それが私によく分らないからである。ただ修身のなかなるうそは、この世が欲するうその一つだと私はみている。」


   (山本夏彦著「かいつまんで言う」中公文庫 所収)
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四十にして惑わず 2005・07・04

2005-07-04 05:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、小田島雄志さんの「駄ジャレの流儀」(講談社)の中で紹介されている戸板康二さんの傑作駄じゃれのひとつです。

 宝塚出身の南悠子さんの、四十歳の誕生日に戸板さんが仰ったという言葉。

  「四十にしてマドモアゼル


 この駄じゃれは、「論語」の中の次の段を知らない人には通じないのです。これを知らない人はいないだろうと仰いますか。いるんです。

  子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩、

 「子曰く、吾、十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず。」(為政4)

 (孔子さまが言った、『わたしは十五歳で学問に志し、三十歳でこれが自分の学問だというものができた。四十歳で判断に迷いが生じなくなった。五十歳で天がわたしに与えた使命がわかった。六十歳で人の言葉が耳に逆らわず素直に聞けるようになった。七十歳で自分の思うとおりに行動しても行きすぎることがなくなった』)

 「かぎカッコ」の中は読み下し文。(カッコ)の中は中野孝次さん(1925-2004)による現代語訳。
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2005・07・03

2005-07-03 05:55:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、新潮社刊「ひとことで言う 山本夏彦箴言集」から次の「ひとこと」です。

 「物くれる人はいい人にきまっている」

 山本夏彦さん(1915-2002)のコラムの中で、この「ひとこと」が、どのような文脈で用いられたものであるかを、本書は「コラムの抜粋」の形で次のように紹介しています。詳しくは、原典である山本夏彦著「やぶから棒」を見る他ないのですが、あいにく手許に見つかりません。 

 「お歳暮を虚礼だというものがあるが、とんでもないことである。『徒然草』の昔から物くれる人はいい人にきまっている。

 (略)

 大きな声では言えないが、私は袖の下またワイロに近いものは必要だと思っている。世間の潤滑油だと思っている。人は潔白であることを余儀なくされると意地悪になる。また正義漢になる。下級官吏が意地悪だったり、新聞記者が正義を振回しすぎるのは、彼らにワイロをおくる人も、またくれる人もないせいである。

だから中元と歳暮があるのだなと、私は思っている。この時に持参すればおかしくない。すこし金目のものでも、それは歳暮であって袖の下ではないと、思い思われることができて、古人は何とうまいことを考えたのだろうと私は感心するのである。」

  (山本夏彦著「やぶから棒」所収の「潔白なのは残念なこと」と題するコラムです。)
  

 ついでながら、「徒然草」の第百十七段に次のような件があります。

 「友とするにわろきもの七つあり。一つには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身強き人、四つには酒を好む人、五つにはたけく勇める兵(つはもの)、六つには虚言(そらごと)する人、七つには欲深き人。
 よき友三つあり。一つには物くるる友、二つには医師(くすし)、三つには知恵ある友
。」
 
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2005・07・02

2005-07-02 05:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「人は分別ある存在ではない。(海へ)二百万人も出たか、それなら行くまいと、分別があれば思うはずなのに、思うのはつむじ曲りで、それなら行こうと勇みたつ。人はまねする動物で人が集まる所へ集まって、集まらない所へは寄りつかない。」

  (山本夏彦著「毒言独語」所収)


 「私の頭上には二種のつむじがあって、一つは考え方を、一つは感じ方を支配して、それぞれ曲っているようなのである。」

 「私のつむじは、曲るべくして曲っているのである。こんな世の中に生れて、生きて、これを礼讃せよ、謳歌せよと言われても、私はことわる。少年のころから、私はことわり続けてきた。」

  (山本夏彦著「日常茶飯事」所収)


 「私が信用できるかできないかは最も私が知る私は私を信じない困れば何をしでかすか分らない存在だと思っている幸い困らなかっただけである。」

  (山本夏彦著「恋に似たもの」所収)


 「こうして生きているのは死ぬまでのひまつぶしだ。」

  (山本夏彦著「『戦前』という時代」所収) 
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