今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「ベ平連の運動というのは、たしか良心と正義の運動だったと思う。だから何万という人を動員出来たのだろう。その何万という人が、ベトナム難民に対してはうんともすんとも言わない。カンボジアの難民に対しても言わない。
いま四十代の壮年は、戦中戦後ずいぶんひもじい思いをした。それなら難民の饑餓がいかなるものか、想像に難くないはずである。
彼ら(または我ら)の良心は、あるときははなはだしく痛み、またあるときは全く痛まない。
彼ら(また我ら)がきっぱり『良心』と言わないで、これに『的』の字をくっつけて、いつも良心的と言うのはこのせいである。
良心と言い切るには、このときに限らずいついかなる場合でもウシロめたい。故に、良心的のほうを愛用して何十年になるのである。」
(山本夏彦著「つかぬことを言う」中公文庫 所収)
「ベ平連の運動というのは、たしか良心と正義の運動だったと思う。だから何万という人を動員出来たのだろう。その何万という人が、ベトナム難民に対してはうんともすんとも言わない。カンボジアの難民に対しても言わない。
いま四十代の壮年は、戦中戦後ずいぶんひもじい思いをした。それなら難民の饑餓がいかなるものか、想像に難くないはずである。
彼ら(または我ら)の良心は、あるときははなはだしく痛み、またあるときは全く痛まない。
彼ら(また我ら)がきっぱり『良心』と言わないで、これに『的』の字をくっつけて、いつも良心的と言うのはこのせいである。
良心と言い切るには、このときに限らずいついかなる場合でもウシロめたい。故に、良心的のほうを愛用して何十年になるのである。」
(山本夏彦著「つかぬことを言う」中公文庫 所収)