「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・05・21

2006-05-21 07:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「思えば最後の『流行』はミニスカートだった。あれは十年続いた。はじめてあれを穿いた娘は、おばさん連にあれ見よと目ひき袖ひきうしろ指さされたが、屈しなかった。今に見ていよ、あのおばさん連もまねして穿くからと昂然としていたら、はたして穿きだして皆が穿きだしたらちっともおかしくなくなった。
 流行というものはこれだからいいのである。器量のよしあし、脚の長短なんか問わなくなる。人並でないものを人並にしてくれる。人並のものは人並以上をめざして、以下を顧みない。おお人並以下のたえざる無念、口惜しさなんか思ってもみない。
 アパレルメーカーはミニのあとにはロングをはやらせようとしたがあてがはずれた。ミディを売出したがこれも成功しなかった。一世を風靡する流行はミニをもって終ったのである。
 これは高度成長と関係がある。本当の金持を滅ぼして一億中流になったことと無縁ではない。猫も杓子も着て許される流行がなければ各人が選ばなければならない。そんなセンスは人並と人並以下にはない。少しはあっても面倒だ。商品は多種多様になって選択に苦しむようになった。流行を待ち望んでも来なくなった。来ても短期になった。これからは全国を掩う流行は来ないだろう。あれは貧乏の所産だった。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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2006・05・20

2006-05-20 08:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「孔孟の子は孔孟でない、ただの赤ん坊である。ひとたび蒸気機関ができてしまえば蒸気機関から出発できる。汽車のない時代には戻らない。これを文明開化という。これ以上開花すれば世界は破滅すると言っても聞くものはないから、言うだけヤボである。『蒸気機関に目がくらみ』のひと言で、電光のように分るものには分る、分らぬものには千万言を費やしても分るまいから万事は休したのである。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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2006・05・19

2006-05-19 07:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「日本人はいつからニセ日本人になったか、私は怪しんで少年のころからじっと見守っていた。昭和初年から日本の知識人はわが国を、この国と書くようになった。この国あの国と書けば書き手とわが国の間に距離が生じる、ははあ自分は西洋人のつもりなんだな。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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2006・05・18

2006-05-18 06:40:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 昭和三十年ごろ私は銀座で精巧を極めたおもちゃの自動車を買ったことがある。手のひらにのせて

  ためつすがめつすると実によくできている、蔵前のおもちゃ問屋はここまで回復したのだな。ボディ

  の塗装も光り輝いて本物そっくりだと感嘆して、はたと思い当った。これは本物のミニアチュールだ。

  これを人体がはいれるほどに大きくしたのがいま売出中の本物なのだな。

   大人はいつまでたっても(死ぬまで)子供なのだ、渋々大人になったのだから、この豆自動車がみる

  みる大きくなって、人がまるごとはいれたらどんなに嬉しかろう。そして手はハンドルをにぎるのだ、

  足はアクセルを踏むのだ、それから高速道路に出てすいすいと進むのだ。ながい間とじこめられていた

  大人のなかなる子供がようやく解放されたのだ。

   ついでながら私は幼い時に見た『ままごと』を思いだした。薄べりを敷いて客を待つ少女は、仲良

  の少女を待っている。『ごめん下さい花子さん。大変お寒くなりました。皆さん御機嫌いかがです』

  『まあようこそ雪子さん』(以下略)という歌がある。『茶目子の一日』という童謡がはやったころ

  共にはやった歌である。そこにある茶ぶ台、土瓶、湯呑などはみんなままごと用のミニアチュールで、

  今なら洗濯機、キッチンなどを並べるところだと思って私は愕然としたのである。

   大人であることというのは、あのままごとを等身大にすることなのだ。おもちゃの洗濯機を等身大

  に大きくして、そこへ洗濯ものを放りこんでONにしさえすればいいのだ。明治大正時代のままごと

  を人体に比例しただけなのだ。思い当ったのはこのことだった。今までは見れども見えなかったのだ。

   テレビもカメラもパソコンも、おお軍艦もジェット機もみんなおもちゃだったのだ。おもちゃなら

  我々は今後ともそれから出ようとしないだろう、いよいよ発明するだろうとこの時私は気がついたの

  である。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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2006・05・17

2006-05-17 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私が正義をほとんど憎むのは、自分のことを棚にあげて初めて正義だからである。戦前は修身が説かれた。戦後は修身は追放された。けれども新聞の『天声人語』のたぐいは、自分が決して実行しない正義を説いて好評を博した。キャンペーンと称して正義と良心を読者に強い、賛成して共に言うならよし、なお言わないと読者は読者を村八分にした。書き手と読み手はぐるなのである。
 イデオロギイが違えば戦争があるのは必然なのだ、核兵器があってそれができなくなって、いま人類はじたばたしているところなのだ。
 南京大虐殺があったとかなかったとか、言いあうのはよせ。むろんなかった。大虐殺はあった派となかった派がいて互に証拠を出しあって、その証拠がニセ写真だと分ってもなお永遠に承知しないふた派がいるだけだ。慰安婦の強制連行があった派となかった派も同じ。
 再びわが国は独立国ではない。60年安保のたぐいはわが国の独立運動ではなかった。ソ連または中国の属国になって、宗主国から首相に任命されて、にこにこして組閣する写真を見たような気がする、どうしてこんな事になったか。日本人のすべて(軍国少年を除く)は日米戦争なんかのぞんでいなかったからだ、あの時我らはすでに『ニセ毛唐』だったのだ。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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2006・05・16

2006-05-16 06:05:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「まじめということはよいことだと思われているが、実は悪いことなのだ。まじめと正義は仲好だ、したがって正義も悪いことなのだ。人は何より金を欲するというが、実はもっと正義を欲する。大好きな正義! 正義は潔白の仲間だ、そして潔白は残念なのだ。
 五・一五、二・二六両事件の青年将校は、まじめと正義の権化だった。話せば分るまあ坐れと犬養毅は言ったが、問答は無用だ撃てと命じてなお正義だった。
 ソ連とアメリカ、北朝鮮と韓国、イデオロギイの違う国同士の間に話しあいはできないと言うと、男は承知しても女はしない。だから婦人に選挙権を与えたのは誤りだと言うと立腹する。
 日本は独立国ではない、米国の属国だと言うとまじめ人間は驚く。五十年来独立国だとわが国自身にあざむかれ、信じてきたことを覆されたのが何より不快なのである。
 天(あめ)が下に新しきことなしと古人は言った。この世の中にニュースはないと私は言う。江戸の町人は浮世のことは笑うよりほかないと、世間を『茶』にした。天下国家を論じるのをヤボとした。私も町人のまねして天下国家を論じない。ポケットのなかの千円札からさかのぼって天下国家に及ぶのをよしとしているが、なかなか及ばないのは、実は関心がないからである。
 以上アトランダムに私の持論をかいつまんで言った。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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2006・05・15

2006-05-15 08:35:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、朝日新聞に掲載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介されていた俳句を一句。

  花散(ちっ)て藤さくまでは茶屋淋し  (井原西鶴)
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おだまり 2006・05・14

2006-05-14 08:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から「美川憲一は云う『おだまり』」と題した平成十二年十二月の小文の一節です。

 「いま美川憲一ともとパトロンの間がもめている(本誌十一月二十三日号)。美川憲一は三十五年前売出して二十年近く忘れられて、この十年ほど前奇跡的にカムバックした歌い手である。」(筆者注:本誌とは週刊新潮)

 「芸人というものは再起しないものだった。それがテレビ時代になって変った。旦那が『法人』になった。芸人にカムバックはなかったのにタレント不足のテレビは人をもてあそぶ。克美茂は東京から声がかかって、邪魔になった情婦を殺した。もう一度檜舞台がふめると思ったのである。
 げんに美川憲一は再起している。今の若者はピンク・レディーの名も知らない。美川憲一は怪しい中年の新人だと思っている。いかにも借用書は書いた、藤山寛美や勝新太郎のように書いた、むろんもらったつもりである。
 それを今さら返せもどせと言われるのはあんまり芸人の世界を知らなすぎる。ところが戦後芸人は芸能人という芸術家になった。双方とも自分の都合のいいモラルを新旧を問わずにとって譲らないのである。
 今でもあのタレントなら、またあの選手ならオレが呼べばすぐ来るとバーの女たちに電話をかけさせる男がいる。果して万障くりあわせてくる、女給どもに威勢を示したのである。
 藤山寛美と勝新太郎は最後の芸人だと今でもほめものである。近くはいる金、はいるかはいらない金まで使ったからである。みんなあぶく銭である。寛美は若いころ路傍で母と共にいた子に、『アレ寛美だ』と指さして言われたとき、『およし指がくさる』とその手を払われたそうである。芸人というものはなが年こういう扱いをうけてきたのである。アウトローなのである。だから芸ひと筋、これだけを守ってきたのである。芸人が芸能人、アルティストになってこのかた別人になったようだが、どたん場になると化けの皮がはがれて昔の芸人にもどる。人はそのほうが好都合なときはもとに戻る。どっちもどっちなのである。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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2006・05・13

2006-05-13 07:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「相続税は不労所得にかける。持てるものから奪い、持たざるものに公平に分配するのは正義だというのは社会主義の正義で、その根底にあるのは嫉妬である。嫉妬は常に正義に変装してあらわれる。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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変装 2006・05・12

2006-05-12 08:35:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私はむかし『変装』という小文を書いた。私が会社員にならないのは、ならないのではなく、なれないのである。会社員というものは五分で排尿排便をすませ、五分で顔を洗いまた剃って、五分でワイシャツ洋服を着て、めでたく会社員になりすまして、出勤して何やらして、時刻に帰って会社員のまま眠ってあくる朝会社員のまま目ざめるのである。私にはできない。」

   (山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
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