百菜健美☆こんぶ家族ラボ

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意外すぎてビックリ!実は日本生まれの食べ物

2016-01-26 | Weblog

意外すぎてビックリ!実は日本生まれの食べ物まとめ

最近流行っているナポリタンは実は日本生まれだったんですね。その他にも、意外すぎてビックリな日本で生まれたメニューをまとめています。

 

洋食

日本にパスタが入ってきたのは、他の洋食と同じく開港以後の幕末から明治にかけてのことだ。

ナポリタンは戦後まもなく、横浜にある1927(昭和2)年開業の「ホテルニューグランド」で誕生したと言われている。ホテルニューグランドは、ドリアやプリン・ア・ラ・モード発祥の地としても知られる洋食のメッカだ。
当時の総料理長・入江茂忠が、ケチャップの代わりに生のトマトとたまねぎ、にんにく、トマトペースト、オリーブオイルを使ったトマトソースを考案。ハムとマッシュルームを炒めてスパゲティに加え、先のトマトソースを和えて、パセリのみじん切りとパルメザンチーズをふりかけた一品を完成させたという。

考案したのは、サリー・ワイルというスイス出身のフランス料理のシェフだ。
1927(昭和2)年、関東大震災後の横浜にオープンしたホテルニューグランドで初代総料理長を務めナポリタンの回でもすでに登場している人物である。

 ドリアは、そのワイルが1930(昭和5)年頃につくった創作メニューだという。

洋食屋が各地にでき、その代表的なメニューの1つが「フライフィッシュ」、つまり魚のフライだった。
魚のフライが提供されるなかで、明治20年前後にはてんぷらにヒントを得たエビフライも誕生し、徐々に広まっていったという。

中華料理

現在最も有力とされているのが、仙台市青葉区錦町で今も営業している「龍亭」発祥説である。
そもそも中国では、冷たい麺料理は一般的でない。

中華料理人の陳建民が日本で中華料理店を営むため、四川料理の「乾焼蝦仁(カンサオシャーレン)」をもとにエビのチリソースを作りました。

乾焼蝦仁は豆板醤や中華スープ、酒などで作る純粋に辛いソースでエビを炒めますが、エビチリは日本人の口に合うよう、それに砂糖やトマトケチャップを加えたもの。彼の工夫によって、現在のようなエビチリが広く普及したそうです。

あんかけ焼きそば

ちなみにあんかけ炒飯は福建炒飯といってれっきとした中国の料理なんだそうです。

かつて小樽にあった「中華料理 梅月」が発祥という説があり、「あんかけ焼きそば」は昭和30年代に生まれたとのこと。

1910年年に浅草で創業した大衆的な中国料理店「来々軒」が発祥であるという説と、
大正時代に大阪城近くの馬場町に開業した大正軒の山東省出身の亭主が、戦後の食料不足の際に売り物がなく、天津の食習慣である「蓋飯」(皿盛りの飯におかずを乗せたもの)を発想のもととし、天津で多く捕れたワタリガニの蟹玉で作って、上からとろりとした餡をかけた「芙蓉蟹蓋飯」を作ったという説が有力。

中国天津市では、一般的に蟹玉を米飯にのせた類似料理は食べられていない。

韓国料理

日本の大阪府所在の韓国料理店において、1970年ごろに発案され供された創作料理である。 岩から切り出した専用容器を高温で加熱してから材料を入れて供するもので、熱々のまま食べられることと、おこげの香ばしさが喜ばれて人気となり「石焼ビビンバ」として広く知られるようになった。

その後、韓国にも逆輸入され、 「トルソッ(石釜)ビビンバ」(돌솥 비빔밥)と呼ばれるようになった。

焼肉の歴史に詳しい、山梨学院大学の宮塚利雄教授によると、戦後の食糧難の中、在日の韓国、朝鮮人がホルモンを焼いて食べ始めたというのが、焼肉の始まり。

当時の朝鮮半島では、内臓は煮込んで食べるのが普通で、直火で焼きながら食べるというスタイルはなかったんだとか。

スイーツ

一般的には不二家だという説が流布しているが、あくまで不二家は「ショートケーキを日本に広め、定着させた」のであり、発案者に関しては様々な説がある

もともとフランス・パリの老舗カフェ「アンジェリーナ」が原型のケーキを作っており、東京都自由が丘のケーキ店「モンブラン」初代店主・迫田千万億が1933年(昭和8年)にフランス・シャモニーを旅した際に知り、販売の許可を取ったとか。

おおもとはイタリア・ピエモンテ州の菓子という説もありますが、わが国で広く知られる黄色いマロンクリームが乗った「モンブラン」は、日本生まれの菓子のようです。

横浜山下公園前にある、ホテルニューグランド。
第二次世界大戦後、進駐軍に接収されたことから、米軍家族向けのメニューが考案されました。
スパゲッティナポリタンやプリン ア ラ モードはこちらのホテルが発祥とされています。
今でも当時のお味が楽しめますよ。

出典ja.wikipedia.org


飲み物

。アイスコーヒーは大正時代に生まれた飲み物だ。欧米では最近までコーヒーを冷やして飲むことなど殆どなかったが、スターバックスなどがアイスコーヒーやコーヒーフラペチーノを始めたことで、欧米でも知られるようになった。

ジンジャーエールなどで有名なウィルキンソン、名前からするとイギリスのメーカーかな? と思いがちですが、実はれっきとした日本の飲料メーカー。

1889年(明治22年)に日本に定住していたクリフォード・ウィルキンソンが、兵庫県で天然の炭酸鉱泉を狩りの途中にたまたま見つけ、この水をロンドンに送り分析してもらった結果、医療用・食卓用として優れていることが分かり、鉱泉水を瓶詰めにした。


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昆布締め・鯛

2016-01-26 | Weblog

材料(4人分)
  • 鯛(刺身用)…1冊(200g)
  • 塩…小さじ1/2
  • 昆布…2枚(20cm)
  • ラディッシュ…4~5個
  • EVオリーブ油…大さじ1
  • 塩・粗びきコショウ…少々
  • 菊…少々
  • ユズ…1個
 
準備
    昆布は固く絞った布巾で表面を軽く拭いて汚れを落とす。
作り方
  1. 鯛に塩を降り10分程おいて水分を拭き取り昆布で挟み、ラップで被い冷蔵庫に一晩おく。
  2. ラディッシュは1個を千切りし、ユズの果汁をまぶす。残りは薄く輪切りにし皿に丸く並べる。
  3. 鯛を薄切りし、ラディッシュの上に放射状に乗せる。
  4. 千切りのラディッシュを中央におき、オリーブ油・塩・粗びきコショウを掛け、ユズの皮・菊の花びらを添える。
ポイント
  • 昆布の汚れ取りは軽くふく程度とする。 
  • 鯛を薄切りする際は良く切れる包丁を使い、刃の手前に引く様に切ると良い。
 
  • めでたい魚の鯛の刺身を花の形に並べるだけでよりめでたさが増します。 
    昆布も喜ぶ(よろこぶ)でめでたさを感じる素材ですね。 
    鯛の桜色・ラディッシュの白・赤・ユズの黄色・オリーブ油の緑色と彩りもより華やかです。
  • ちょっとした事で「もてなし」のこころが伝わります。
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平成28年度、日高昆布の繁茂状況

2016-01-26 | Weblog

今年の昆布どうだべね!?

 あらパパさんがあちこちの漁業者に問う。
 日高昆布の生産を大きく占めるえりも地区の漁師は皆口をそろえてこう言う。
 『おっとしみてえに、しっといあるわげでね~げど、けっこうみえでるど。』(一昨年みたいに、ものすごくあるわけではないけれど、結構みえてるよ。)
 
 地区によっては少々ばらつきはあるかもしれないけれど、今の段階で海底に生えている小さな昆布の量を判断するに、平年作は期待ができるようです。
 当然、採取時期までに大きな時化などで抜け過ぎないことと、沖出(採取日)が続くことが条件ですけどね。

 ということもあり、休日の朝は潮汐時間をみて浦河築港を浜回り。
 フノリの伸びは意外と良さそうです。
イメージ 1

 港外に生えているミツイシコンブ(日高昆布)をみる。
 見えにくかったですがこの時期の状況からすると意外と良さそうかもしれない。
 2月、3月と浜回りを続けて成長を見ていこうと思う。
イメージ 2

 顔をあげると数年ぶりにチカが釣れ出した浦河築港が見える。
 賑やかそうです。ちょっと様子をうかがってこようかな。
イメージ 3
 
 群れで回流しているチカ。爆釣が終わり伺った時にはあまり釣れてなく暇そうでした。
イメージ 4
 
 帰宅して写真を確認してみると、浦河町井寒台(イカンタイ)の昆布漁師が釣りをしていたことに気付く。
 漁師なのにチカ釣りが好きな方、結構多いですよね^^
 
 
 ぴかぴかに輝くチカを見ていると、鮮度よいチカの煮つけが食べたくなった。
 日高昆布を敷いて醤油と酒とみりん。
 身の弾けた部分が少々濃いめの味がついて…。
 美味いだろうね~ 釣りにでも行ってこようかな^^

出典元

こんぶログ

無形文化遺産。日本人の伝統的な食文化『和食』には昆布のうま味は欠かせません。
http://blogs.yahoo.co.jp/arachin0
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こんぶ料理・百菜健美☆笑撃アドバイス

2016-01-26 | Weblog

 

アピル優の

【百菜健美☆笑撃アドバイス】

「味噌の味噌臭きは食われず」

熟成しきってない味噌ほど食べられないものはない。

むやみに自分の知識を出す人は、未熟だというたとえ。

「出汁の旨味を引き立てる醤油のルーツ」

ヨーロッパ人が醤油のとりこになる
日本国内に醤油が流通するようになった正保四年(1647年)、
オランダ東インド会社によって醤油は台湾商館に送られ、
ヨーロッパ諸国に「極東の調味料」として伝播しました。

醤油については、
17世紀初頭に刊行されたオランダ語の辞書『日葡辞書』に、
TamariMiso(味噌)から取る。

非常においしい液体で、
食物の調理にもちいられるもの
と説明されているほど、
海外からの注目を集めていました。

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