在イタリア、ソムリエワインノートとイタリア映画評論、他つれづれ appunti di degustazione

ソムリエ 20年、イタリアワインのテイスティングノートと、なぜか突然のイタリア映画評論、日本酒、日本茶、突然アートも

オブジェとしての時計

2016-03-13 10:16:23 | もろもろ、つれづれ
イタリアの街中の時計



イタリアのオンラインの新聞に、街の中の時計で、止まっている、時間がずれているものの写真を皆さまから募集します、とあった。
街中の時計の時間が違っていると、不便だし、困ったことになることもありますよね、と。
いったいどれだけの投稿が集まるだろうか。いや、逆に正しい時計の方が少ないような気がするので、大して関心がないとか。(後者に1票)

昨今、街中にもデジタルの時計が増えたので、デジタルの場合はまずまず正確だろうし、携帯を見れば1分と狂いない時間がわかるようになったが、その昔は、腕時計を忘れて家を出たら冷や汗モノだったのを懐かしく思い出す。
そういえばその頃は、頻繁に、今何時ですか?と赤の他人に聞かれたものだ。

イタリアは本当になあなあな国である。
良くも悪くも、1分や2分、5分や10分の差を気にしない。
それで人生の一体何が変わるのか、がイタリア国民の持論のような気がする。
日本では、電車が3分遅れただけで大変なことになるような気がするが、そして、なるのだろうが、イタリアでは大抵問題にもならない。

だから、ということもあるが、街中の時計が多少どころではなく狂っていようが、止まっていようが、あまり気にしないのである。
そして、それは、夏時間と冬時間の1年に2回時間が変わることもあると思う。
今は本当に便利になった。家の壁の時計は別だが、携帯など、何もしなくても勝手に変わってくれるようになり、夢のよう。
昔は、前日、家中の時計を全部変更してから寝たものだ。懐かしい。。。。

夏時間と冬時間、時間が変更になった直後は、街中の時計が1時間ずれているのはあたりまえで、1ヶ月たって直していなくても普通である。(多分2ヶ月たっても。。。)
そうやって気にしなくなると、時間がだんだんずれてきていようが、電池が切れて止まっていようが全く気にしなくなる。
そうなると、時計の役目を果たさない。
じゃあ、いらないじゃないか、と思うだろう。なくてもいいじゃないか、と。

いやいや、同じ疑問を持った、まだ来たばかりの若かりし頃、人に言われた。

  イタリアの時計はオブジェです。

そう、何かしらの時間を指している、ただのオブジェなのである。
オブジェなら、街中にあってもそれなりに可愛い。