Estate romana ローマの夏
監督 マッテオ・ガッローネ
好きか嫌いか、はっきり分かれそう
タイトルから、ローマの夏~きれいな風景~ をイメージするかもしれないが、監督がガッローネだとそうじゃない、ということがすぐに想像できる。
全然違う。
ガッローネ氏は、今では「ゴモラ」(2008年作。書いてます。別ページを参照)で超有名になった、現在のイタリアでおそらく5本指に入る映画監督。
昨年のインタヴューで見た時、びっくりするくらい気さくで、感じが良く、人柄が個人的に好きなのであるが、その時に、いつも同じようなものを作っていては面白くないでしょ、と言っていた。
確かに、どの作品も個性の出し方が違う。
特に、最新作「童話の中の童話」(2015年、これも書いてます~)は、ガラガラっと変わって、ドレスがなんとまあ美しい。。。。(ため息)
さて、「ローマの夏」は、ガッローネ氏の3作目で2000年の作品。つまり、「ゴモラ」よりずーーっと前に作られた作品である。
すでに素晴らしい才能を表していたというのがわかる。うまい。
しかし、個人的に好きだし、面白かったのだが、見ていてちょっと疲れた。
ストーリーは、70年代に前衛的演劇でちょっとは活躍した女優ロセッラ、その後田舎に引きこもっていたのが、再び演劇活動を復帰するためローマに突然戻ってくることから始まる。
2000年の聖なる年(今年も「特別聖年」です~)の前のローマで、あらまあ、あちらこちら工事だらけ。確かに2000年の聖なる年は盛大だったが、その前、こんなに工事していたっけ? 画面は工事中の建物だらけ。(笑)
テルミニ駅近くの彼女の持ち家は、演劇の背景製作をしているサルヴァトーレにずっと貸していた。突然やってきて、しばらく滞在することになるが、アパートには製作アシスタントのモニカとその一人娘も同居人として暮らしていた。
アパート内でサルヴァトーレが製作中の、舞台用の大きな地球儀が印象的。
いざ、運び出す段階になって、サイズが多すぎて持ち出せない。ドアを通らない。やっとこさ持ち出した頃には結構ボロボロ。。。。
ロセッラは、あちこち昔の知り合いに電話をかけて、また仕事をしたいの、と言うが、バカンス中でいない人も多く、いても、今頃戻ってきてもね~と軽くあしらわれる。
モニカは離婚して、2つの仕事を掛け持ちで頑張っているが、姑とかなり仲が悪い。物事をはっきり言うサバサバした性格。
こういう映画を見ていていつも思うのは、どうしてここまで「美しくない」女優俳優を使うのだろう。(ごめんなさい。。。)
アメリカ映画など、台詞の中で「あんた本当にブスよね」とあっても、えー、うそー、セリフだけー、結構かわいいじゃん、と思うことが多い。本物はどうかともかく、画面ではかなり可愛く作っているのがわかる。
が、イタリアのこの手の映画は逆で、実は本物は可愛いのに、全く可愛くない雰囲気をたぶんわざと作っている。確かに世の中、かわいいとかかっこいい人だけではないので、かなりリアルである。
ロセッラが、かなり疲れた雰囲気の女優でお世辞にも綺麗とは言えないし、モニカも目だけがぎょろぎょろで、もう少し可愛く作ってもいいのに、と思う。でも、だからこそ、かなりリアル。
役の名前は実際の俳優の名前を使っているところもよりリアル感を与える。
ちょっと疲れたのは、映像と音。
カメラを手で持って写している場面が多いのか、ぶれるのではないが、その動き、あらゆる角度からのアップが多く、客観的に映画の画像を見ているというより、インタヴューを見ているような、本当の映像が目の前で展開されているような感じにもなり、見ていて結構緊張しているのを感じる。
そして、ローマの夏の暑さが、見ている方にもなんかじわじわと。。。
そして、音。
普通の映画は、背景の音を消して(または小さくして)、役者の声が大きく聞こえるように作っているのだろうが(と、改めて認識)かなりの場面で、ガチャガチャした背景の音が入っている。わざとなのだと思うが、台詞が聞きづらいのではなく(台詞はちゃんと聞こえる)無意識で雑音と人間の声を分けているのだと思う。
でも、その映像と音も魅力の一つなので、若干疲れたところはあったが、オススメ。
監督 マッテオ・ガッローネ
好きか嫌いか、はっきり分かれそう
タイトルから、ローマの夏~きれいな風景~ をイメージするかもしれないが、監督がガッローネだとそうじゃない、ということがすぐに想像できる。
全然違う。
ガッローネ氏は、今では「ゴモラ」(2008年作。書いてます。別ページを参照)で超有名になった、現在のイタリアでおそらく5本指に入る映画監督。
昨年のインタヴューで見た時、びっくりするくらい気さくで、感じが良く、人柄が個人的に好きなのであるが、その時に、いつも同じようなものを作っていては面白くないでしょ、と言っていた。
確かに、どの作品も個性の出し方が違う。
特に、最新作「童話の中の童話」(2015年、これも書いてます~)は、ガラガラっと変わって、ドレスがなんとまあ美しい。。。。(ため息)
さて、「ローマの夏」は、ガッローネ氏の3作目で2000年の作品。つまり、「ゴモラ」よりずーーっと前に作られた作品である。
すでに素晴らしい才能を表していたというのがわかる。うまい。
しかし、個人的に好きだし、面白かったのだが、見ていてちょっと疲れた。
ストーリーは、70年代に前衛的演劇でちょっとは活躍した女優ロセッラ、その後田舎に引きこもっていたのが、再び演劇活動を復帰するためローマに突然戻ってくることから始まる。
2000年の聖なる年(今年も「特別聖年」です~)の前のローマで、あらまあ、あちらこちら工事だらけ。確かに2000年の聖なる年は盛大だったが、その前、こんなに工事していたっけ? 画面は工事中の建物だらけ。(笑)
テルミニ駅近くの彼女の持ち家は、演劇の背景製作をしているサルヴァトーレにずっと貸していた。突然やってきて、しばらく滞在することになるが、アパートには製作アシスタントのモニカとその一人娘も同居人として暮らしていた。
アパート内でサルヴァトーレが製作中の、舞台用の大きな地球儀が印象的。
いざ、運び出す段階になって、サイズが多すぎて持ち出せない。ドアを通らない。やっとこさ持ち出した頃には結構ボロボロ。。。。
ロセッラは、あちこち昔の知り合いに電話をかけて、また仕事をしたいの、と言うが、バカンス中でいない人も多く、いても、今頃戻ってきてもね~と軽くあしらわれる。
モニカは離婚して、2つの仕事を掛け持ちで頑張っているが、姑とかなり仲が悪い。物事をはっきり言うサバサバした性格。
こういう映画を見ていていつも思うのは、どうしてここまで「美しくない」女優俳優を使うのだろう。(ごめんなさい。。。)
アメリカ映画など、台詞の中で「あんた本当にブスよね」とあっても、えー、うそー、セリフだけー、結構かわいいじゃん、と思うことが多い。本物はどうかともかく、画面ではかなり可愛く作っているのがわかる。
が、イタリアのこの手の映画は逆で、実は本物は可愛いのに、全く可愛くない雰囲気をたぶんわざと作っている。確かに世の中、かわいいとかかっこいい人だけではないので、かなりリアルである。
ロセッラが、かなり疲れた雰囲気の女優でお世辞にも綺麗とは言えないし、モニカも目だけがぎょろぎょろで、もう少し可愛く作ってもいいのに、と思う。でも、だからこそ、かなりリアル。
役の名前は実際の俳優の名前を使っているところもよりリアル感を与える。
ちょっと疲れたのは、映像と音。
カメラを手で持って写している場面が多いのか、ぶれるのではないが、その動き、あらゆる角度からのアップが多く、客観的に映画の画像を見ているというより、インタヴューを見ているような、本当の映像が目の前で展開されているような感じにもなり、見ていて結構緊張しているのを感じる。
そして、ローマの夏の暑さが、見ている方にもなんかじわじわと。。。
そして、音。
普通の映画は、背景の音を消して(または小さくして)、役者の声が大きく聞こえるように作っているのだろうが(と、改めて認識)かなりの場面で、ガチャガチャした背景の音が入っている。わざとなのだと思うが、台詞が聞きづらいのではなく(台詞はちゃんと聞こえる)無意識で雑音と人間の声を分けているのだと思う。
でも、その映像と音も魅力の一つなので、若干疲れたところはあったが、オススメ。