乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

2009-08-28 | お出かけ





 気がつくと、稲に花がついていた。

 今に季節の稲と同じ色の米の花。

 

 ところどころ何も植えずに水を張った田がある。

 水鳥が戯れる。

 この季節の一こま。



 何も植えてない田畑の草を刈る。

 雑草を焼く。

 農家の方はいつの季節も忙しそうだ。

 これから何を植えられるのだろうか?

 タマネギ?ジャガイモ?

 子どもが幼い頃に家庭菜園をした事があるが、私にはわからない。



 今年は不思議な年だ。

 大和川沿いの道路で亀を見ない。

 例年なら雨上がりの後にのっそりと歩く亀を見かけたものだ。

 車にひかれた亀の多さに心を痛めた事もある。

 今年はミニバイクを止めて、のろのろ歩く亀を助けた事は一度もない。

 亀を見ない。

 不思議な年である。



 川の中にはいるのだろうか?

 大和川を覗くと、魚も亀も少ない。

 川岸で鳥は戯れている。

 白い鳥が例年より多い。

 大和川は美しくなりつつあるといわれているが、白い鳥が多い。

 白き鳥が多い川は汚れているといわれている。



 亀。

 幼少の頃、小さな亀を飼った事がある。

 小さな水槽に入れて、毎日眺めていた。



 ご近所の長老が、亀を飼うと縁起が悪いと忠告された。

 父と私は、なついた亀を池にはなった。

 悲しい思い出。



 そして、亀。

 我が子が小さな頃、奈良にこしてくるまでの間、野生の草亀と一緒に暮らした。

 草亀は庭をのそのそと歩いては、チンゲンサイなどの新芽を食べた。

 プランターは丸裸。



 草亀のためにプールを用意してやった。

 草亀は泳げず、溺れそうになった。

 慌てて助ける。

 亀は庭をのそのそと歩いていた。



 草亀はいつも首をのばして、私のいる部屋の方向を眺めていた。

 私が鰹節を持っていくと、くしゃくしゃの顔で、目をしばしばさせていた。

 亀の目は大きい。

 草亀は、鮮明に刻まれた京都の思い出である。



 それにしても、今年は亀を見ない。

 大和川の亀は、一体どうしたというのだろう・・・。

 



 


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辻堂 2   法隆寺近くの『三辻堂』と『四辻堂』

2009-08-28 | 民俗考・伝承・講演




                 

 上の写真は一枚目の三辻堂のお地蔵さんを大きくしたものです。



 上下の写真と、いずれも法隆寺一丁目。

 同じ場所です。


                 


 上の写真は法隆寺一丁目で見た三辻堂です。
 
 近くに畑を手入れをされている農家のおじさまにお話を伺いました。



「あれは三辻堂ですねん。道が三つに分かれてますやろ。」

「法隆寺のですは。法隆寺の土地。法隆寺と書いた石が両側に置いてありますんや。」

「法隆寺のやったら、税金がかかりまへんやろ。」

「法隆寺は土地を返しよりませんねん。」

「法隆寺かて自分のもんやいうたら、はなしませんわ。」

             (奈良弁がまちがっているかもしれません)


  
 おじさまは農具を運ぶ手を休めて、にこやかに話して下さった。



 こういった『寺と住民』或は 『寺と寺』の確執は、京都の東福寺を始め 時々色々な所で 地元の方に聞く事がある。

 長くその土地に住んでこられた方々の満足と鬱憤が噴き出した形だろうかとも思われる。

 おじさまは私にちょっとした不満をぶつけられているようであった。





 上の写真は、法隆寺のすぐ脇の四辻堂。

 広い道が十字路になっている。

 ここのお地蔵さんは以前にもこのブログでも何度か紹介した事があると記録している。

 本当は上の写真のお地蔵さんの左にはまだ続きがある。

 左には、倍のお地蔵さんが並んであおられる。

 ずらりと並べられた地蔵は通る私たちを見守って下さる息吹を感じさせる。

 無造作におかれた地蔵だが、法隆寺の寺の壁のすぐ際。

 ここもたいそう立派な辻堂だと考える。




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辻堂 1   池の前のお地蔵さん 二ヶ所  法隆寺および斑鳩神社の近くにて

2009-08-28 | 民俗考・伝承・講演







『辻堂 1 』  
          斑鳩の池の前のお地蔵さん



 上も写真は昨日見た大きな治水前におかれたお地蔵さんです。

 一枚目じゃ低い位地に。少し行けば斑鳩神社という場所です。

 二枚目は私の胸の高さよりも高くつくられた台座(?)におかれていました。

 いずれも地面とは区別して、高さの差こそあれ、位地は高くなっています。


 なぜ。治水の前二カ所で辻堂を見ることができるのでしょうか。

 池との境目にお地蔵さんをまつられる先人は、何を考えておられたのでしょうか?

 

 水の貴重さ、五穀豊穣、水争いを静める、水には(龍などの)何ものかが澄んでいたと考えられて境界においた、不幸があった、池をつくる上での(四つ足或は二つ足或は魚の生け贄や人柱などの)何かドラマがあった、水で村人の生活を守ると信じられていた・・・などの中に答えはあるのでしょうか?

 どのように考えられていたのでしょうか?

 いくつもの考えが浮かびますが、実際のところはわかりません。



 誰かに訪ねてみたかったのですが、あいにく池の回りはひっそりとしていました。

 池には鳥もおらず、青藻が以上発生したところが池の一部にありました。

 池のへりに生えた猫じゃらしが、秋風になびいてお地蔵さんの頭をなでています。

 これもまた、夏の終わりの斑鳩です。




          奈良県 斑鳩町

          法隆寺および斑鳩神社 近くにて


               2009、08、27




コメント (2)
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